優&愛 ◆1aw4LHSuEI
硬い音。無機質な、冷たい音。規則正しくリズムを刻む。
この廃墟となったビルの暗い廊下。静かに響き渡った音。
剥き出しのコンクリートの上を幾人かで歩いている様だ。
廊下には窓が無く、夜明け過ぎの今でも闇が満ちていた。
丸い光が揺れながら進み行く。闇を切り裂いて広がる光。
懐中電灯によるものだろうか。照らされた床は不均一だ。
その間に見える宙を舞う埃がまるで霧のようにも見えた。
三人の人間が歩いていた。
一人は、一行の最前列を歩く赤のチャイナドレスを着た短髪の少女。その瞳は何を含んでか、爛々と怪しく光っている。
一人は、二番手を行く黒の制服を着た少年。辛いことでもあったのか。甘い顔に見合わない厳しい表情を浮かべている。
一人は、最後尾を勤める少女。ゴシックロリータ調の服を着て膨れ面。少々機嫌が悪そうにしながら後ろを付いていく。
「そういやよお、旦那」
静寂を破るように先頭の少女が顔を半ば後ろに向けて言葉を発する。
無言のまま廃墟を歩き続けることに飽きてしまったのかもしれない。
……状況的に見て、恐らく旦那というのは自分のことなのだろうな。
そう考えたルルーシュはサーシェスに何だと素っ気ない返事をした。
「どーしてこんな廃ビルを探索しようと思ったんだ?」
言っちゃあアレだが、こんなところに何かあるもんかね。
廃ビルだぜ? 廃ビル。名前通りに荒れ放題じゃねえか。
軽い口調で言うサーシェスに、ルルーシュも軽く応えた。
「随分と今更な質問だな。もう最上階だぞ」
「まあなあ。けど今更に気になったんだから仕方ねえだろ」
気になった。と、いうよりはここまで全く成果が上っていないことが原因か。
結果さえ出ていれば、人は多少の理不尽にも耐えることが出来る。だが……。
上手くいかなければ納得済みだったはずの事さえ疑惑が浮かんでくるものだ。
黒の騎士団を纏めていた経験から、ルルーシュはそれを充分に承知していた。
「……サーシェス。お前はこの施設をどう思う」
「ぁあ? どうって、どういうことだよ」
「単純に、感想としてでいいさ。廃ビル、という施設を聞いてどう思う?」
「……はあ、そうだな。なんつーか分不相応な感じがするな」
一瞬考える素振りをして、サーシェスは軽く答えた。
二人の話し声だけが、冷たく静かな廊下に響き渡る。
「ほう」
「他の施設はなんつーかアレだ。確かに訳わからねえのもあるが、何となく特別なのは分かる。
けどよ、『廃ビル』っつーのは普通って言うか……ただのボロいビルだろ?」
「施設として地図上に示してあることに違和感がある、ということだな?」
「ああ……。まあ、そういうことかな」
「それだ」
「はあ?」
「普通なら描写されるまでも無い建物が地図上にわざわざ描かれている。
つまり、逆に言えば描かれるだけの何かがある、ということだ」
「一見ボロいだけのこのビルにか」
「一見ボロいだけのこのビルにだ」
「はぁん。なるほど」
旦那は色々考えてんだな。そう言ってサーシェスは肩をすくめる。
それで、と。話のついでと言うように振り返り憂に向かって聞く。
「お譲ちゃんは何も思ったりしなかったのかよ?」
「別に……。私はルルーシュさんの指示に従うだけですから」
「へえ。随分といい子ちゃんなんだな」
「おい、サーシェス……」
「へいへい。無駄口はこのへんにしときますよ、っと」
唇を釣り上げて笑った後、前に向き直って探索を続けるサーシェス。
このあたりの切り替えの速さはやはりプロかと、ルルーシュは思う。
「……と、そんなこんなでやっとだが、これがこの階最後の部屋だな」
「そして、屋上を除けばこのビルで唯一未探索の場所、か。よし、サーシェス。開けてくれるか」
「あいよ」
目の前に現れたのは鉄製の硬く閉じられた扉。
磨硝子もはめ込まれていない無骨な金属の塊。
冷たい把手を握り捻り、最後の部屋は開かれ。
「――――あれ、固え」
なかった。
「……サーシェス?」
「開かないんですか」
「や、まてまて。ノブは回るから鍵がかかってる訳じゃねえ……。あー、畜生!
古いから錆び付いちまってんのか!? くそっ、くそっ! 開け開け!」
端正な顔をゆがめて紡がれるのは似合わぬ悪態。
柔らかそうなその唇を不機嫌そうに捻じ曲げて。
スリットが翻り太腿が覗くのも一向に気にせず。
サーシェスは扉に何度も何度も蹴りを咬ました。
しかし扉もなかなか強情で動く気配は見せない。
「開かないなら俺が代わりに……」
「や、旦那は無理だろ。もやしだし」
「そうですよ。ルルーシュさん。無理はしないでください」
「――お前達。俺をなんだと……」
運動不足。かつ過労気味の貧弱な学生だと思われている。
現実は非情である。男性として体力的に頼られない存在。
それが悪逆皇帝、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだった。
尤も、憂としては怪我を心配しての言葉でもあるけれど。
「仕方ねえ。旦那に無理させるわけにもいかねえし、ここはいっちょ本気出してみっか!」
構えを取り、集中。理論的に考えていた反射速度に限らない肉体強化。
電気と磁力により足のツボを刺激し、キック力を遥か増強させる――!
繊細、かつ大胆な電流のコントロールによって高まっていく脚の筋力。
チャージ完了。気合も充分。掛け声一発みせて、放つは必殺回し蹴り。
「ちょいさああァァーーーーーーーーーー!!」
紫電が走り軌跡を描く。直撃と同時に響き渡る轟音。
幾ら硬く閉じられた扉とて耐えられるものではない。
「いよしっ、開いたぜー」
「……ああ、良くやった。サーシェス」
「ははっ、それほどでもねえよ」
「…………」
ここぞとばかりに過剰なほどの賛辞を送るルルーシュ。
満更でもないのか目を細めてそれに応えるサーシェス。
そんな二人を白い目で見た憂はどこか機嫌が悪そうに。
それを無視して一人で先に部屋の中へと入っていった。
「…………」
「…………」
残された二人は顔を見合わせて。
片方は肩をすくめ笑みを浮かべ。
片方は額を押さえ溜息をついた。
● ● ●
【憂の場合】
どうしてだろう。
いらいらする。
どうしてだろう。
気に入らない。
あの人が。
あの人と話しているルルーシュさんが。
なんとなく……もやもやする。
不透明で、よくわからない。
どこかしらもどかしくて手が届かない。
どうしてだろう。
あの人が視界に入る。
心が、ざわめく。
…………。
わからない。けれど、これだけはわかる。
私は、あの人が嫌いだ。
● ● ●
……それにしても頭が痛い。
廃ビルの探索を終えた
ルルーシュ・ランペルージは、ホバーベースの制御室で額を押さえて考えた。
結論から言えば期待以上の結果だった。――いや、はっきりと想定以上のものが出たと言ってもいいだろう。
あの後、三人で最後の部屋を調査した結果、サーシェスが棚が二重底になっていることに気付き、
その下からデータディスクが見つかったのだ。
他の箇所も充分な捜索をしたが他には何も見つからず、それのみを探索の成果としてホバーベースへと帰還した。
――――その、中身が問題だった。
帰ってきて早速中身をチェックしたルルーシュは驚愕することになった。
……それは、首輪の詳細な設計図だったのだ。
ある程度以上の機械技術、知識。充分な工具。
それさえあれば十全に――とまでは言わないものの、十分に首輪を解除できるだろうという予想が出来るほどに詳細な。
なぜ、こんなところにこんな情報があるのか?
くるくると左手でデータディスクを回しながら――右手は骨折している――ルルーシュは考える。
…………いや、この情報がここにあったことをどう考えるべきか?
普通に考えれば、こんなところにこのような貴重な情報があるはずがない。
否、あってはならないのだ。
折角首輪という方法で参加者を拘束しているというのに、それを自ら解く方法を会場内に残すなど本末転倒もいいところ。
例えるならば、牢屋の中、囚人の手の届くところに出口の鍵を置いておくようなものだ。
ここまで準備された計画だ。主催がうっかりとミスをして配置した、という可能性は限り無く低いだろう。
いや、そもそも探せば見つかる程度にではあるが隠蔽されていたのだ。偶然置かれたとは考えにくい。
誰かが何らかの目的で設置したと考えるのが自然だろう。
……と、なれば考えられる可能性は大きく二つに絞られる。
一つは主催者は首輪を外すところまでをゲームと考えている。だから、分かりにくいが見つからなくはない箇所に情報を隠していたという可能性。
もう一つは運営側に参加者達に協力するような人間がいて、脱出のための情報を流しているという可能性。
このどちらか……いや、こんな怪しい施設にあからさまに配置されていたことを考えれば……前者の可能性が高いだろうか――?
……予想していなかったわけではない。
随分と前から首輪を外すことがゲームのうちだという予想は立ててきた。
その裏付けが取れた。それだけのことだと言うことも出来るだろう。
だが、予想が当たることは決して嬉しいことではない。
そうであるとするならば、首輪を外したところで未だ主催者の手の中から抜け出せていない、ということに他ならないのだから。
つまり、元の世界へと帰還しようと思うなら、首輪を外すだけでは――足りない。
更にもう一手。主催者、
リボンズ・アルマークの裏をかく鍵が必要となる。
そのためにも、今使える手札――騎士団の面々――を最大限活用しなければいけない。
何一つ無駄に出来るような余裕は、ないのだから。
だからこそ――――
「――ルルーシュさんっ♪」
ハッとして、閉じていた目を開く。
探索の後シャワーを浴びてくると離れていた憂が戻ってきたようだ。
答えるために顔を上げたルルーシュの目に映ったのは楽しげに笑みを浮かべる憂。
少しだけその髪に湿気が残っているのを感じる。
「どうですか、この服。そろそろ汗かいてきちゃったし着替えたんですけど……似合ってます?」
はにかんで笑う彼女は確かにさっきまでのゴスロリとは違う服を着ていた。
くるり。その場で一回転。
スカートが翻り螺旋を描く。
ふわりと捲れ上がったそれはしかしその中身までさらけ出すようなはしたない真似はせず。
腿と靴下の間に絶妙の領域を作り出すに留まった。
……少しだけ、ルルーシュは呆けて見とれた。
クリーム色のその服は、彼に取って見慣れた、或いはどこか懐かしいアシュフォード学園の制服だったからだ。
「……ああ、いいと思うぞ」
「ほんとですか? あはっ」
……ルルーシュは少しだけ状況を忘れて少しセンチメンタルな気分になる。
その制服は、彼にとって日常の証だったからだ。
学園の一生徒とゼロとの二重生活を続けることはルルーシュにとって大きな負担だったに違いない。
それでも決して学園に通うことを辞めようとはしなかったのは。
……打算もあっただろうが、平穏を感じていたから、という理由も少なからずあったのだろう。
その制服を平穏とは程遠いこの場で、ギアスで操り傀儡にしている少女が着ているというこの状況で。
何も感じ入ることがないほどに、ルルーシュは理性的に生きられているわけではなかった。
――本当に、本当に少しだけ。
芝居も無しに、口元に自嘲を含む笑みが浮かぶ。
「ゴスロリばっかりだと飽きちゃいますしね!」
「……そうだな」
ああ――――それにしても。
ゴスロリ、やめてしまったのか……。
似合っていたのに……。
…………。
……頭が痛い。
そんなことを思うルルーシュだが、顔には微塵も出さずに。
嬉しそうにはしゃぐ憂と戯れるのだった。
そして、暫しの後。
「さて、それはそれとして出かけるか」
「はい? どこへですか?」
「折角着替えたんだ。新しい服でショッピングといこうじゃないか」
気軽に女の子をデートにでも誘うように。
ルルーシュ・ランペルージは手を差し伸べた。
● ● ●
【ルルーシュの場合・1】
表情には出さない。
態度に出すことはない。
けれども、自分の中で膨れ上がるそれを抑えきることができない。
その感情の名は――不安。
――どうやって逃れればいい?
この殺し合いから。
現状、具体的な目処など何も立っていない。
考えれば考えるほどに逃げ場が失われていく。ただ、行き止まりだけが明らかになっていく。
憂やサーシェスに漏らすことはないが――弱音の一つでも吐きたい気分だ。
けれど――それを許してくれる相手は、状況はここにはない。
虚勢を張ってでも、貫かねばならない。
トップが弱さを晒しても、同情がもらえるはずもなく。
悪戯に部下の不安を煽るだけなのだから。
――そもそも諦めることなどできない。たとえそれが那由他の彼方でも。
俺には、俺たちにはやらなければいけないことがある。
続けなければいけないことがある。
そのためにも、ここで果てるわけにはいかない。
最初から、道はない。
この先がたとえ袋小路だとしても――進むしか、無いのだ。
だが――。
どうすればいい。
首輪を外すことはその気になれば十分に可能だろう。
けれどもその後にどうすればいいのか。
いや、そもそも外してもいいのだろうか。
これほどあからさまに首輪を外せと言わんばかりに置かれた情報。
首輪を外すことは主催者たちの思惑通り……。
むしろ、ゲームを次の段階に進めるだけなんじゃないか?
――少なくとも、その可能性を捨て去る訳にはいかない。
と、なれば。軽々しく首輪を外すわけには行かなくなってくる。
これ以上の情報が望めるかはわからないが……。
少なくともスザクと合流し、情報の交換と戦力の補強を行った後のほうが好ましいだろう。
――慎重になりすぎているか? だが、今すぐに首輪が爆破されるというわけでもないのだ。
慎重と臆病は違う……が、ここはまだ慌てる場合じゃない。
まだ猶予はある。ならばその与えられた時間をできる限り有意義に使うべきだ。
なにしろ、首輪を外した後に何が待ち受けているのか、俺たちには想像もつかないのだから。
わからない。そうだ。俺たちは未だ何の解決の糸口もつかめてはいない。
主催者が有している戦力はどれほどのものなのか。
――軽く見積もっても参加者総員が力を集めたよりも少ないとは思いがたい。
こちらを一掃出来るだけの武力。それを持っていないと考えるのは流石に楽観がすぎるだろう。
足りない。これから購入しようとしている機体とて、向こうに用意されたものだ。
全ては奴らの手のひらの中――。本当に抗うことが出来るのか。
――笑えてくる。
いつだって変わらないな。
絶望的な状況は何度もあった。
これは、その中でも最大級だ。
だが、俺のやることは変わらない。
余裕ぶった態度でいよう。
大物のように見せかけよう。
敵も味方も騙し通そう。
最後まで。
それが、それだけが。
この俺が果たせる、唯一の役割だから。
● ● ●
紅蓮弐式(ぐれんにしき)。
初の純日本製にして第七世代相当のナイトメアフレーム。
全高4.51m。全備重量は7.51t。
基本性能としては、全体的に高く、特に機動性能に優れている。
だが、何よりも注目されるべくは右腕部に搭載された「輻射波動機構」だろう。
このシステムは右掌から高周波を短いサイクルで対象物に直接照射することで、膨大な熱量を発生させて爆発・膨張等を引き起こし破壊するというもの。
掴んだKMFの装甲や武装の加熱破壊の他、輻射波動によって発生する振動波によって砲撃から機体を丸ごとガードする障壁としての使い方もある。
また右腕は大型に加え伸縮機構が備わっており、KMF1機ぶん離れた間合いでも射程圏内に入る。
まさに必殺兵器と呼ぶにふさわしく、この紅蓮弐式というナイトメアフレームの代名詞のような武装である。
(wikipedia参考、抜粋)
「これが……紅蓮ですか」
紅に染められたスリムなボディ。
見るものを威圧するような長大な右腕。
ホバーベースに搭載されたナイトメアフレーム、『紅蓮弐式』を見て
平沢憂は放心したようにそう呟いた。
「ああ。そして、これからお前の愛機になる」
「……すごい」
カタログスペックだけでは分からない紅蓮弐式という機体の芸術的完成度。
圧倒的な才能を持つ憂はそれに何か感じ入るものがあったのか。
ルルーシュの言葉にも反応を返さず見惚れたように紅蓮を見つめていた。
「……これ、本当に私が使ってもいいんですか?」
「勿論だ。今、俺達の中で一番ナイトメアの操縦が上手いのはお前だからな。
三億ペリカと決して安い買い物ではなかったが、十分以上それに値する結果を出せると信じている。
期待しているぞ、憂」
「はい!」
にこやか笑顔を浮かべる憂。
それに応えるルルーシュ。
何も事情を知らずに表情だけを見ていれば。
――ひょっとして、仲のいい兄妹の様に見えるのかも知れなかった。
「えへへ……。ねえ、ルルーシュさん。お腹すいてませんか?」
「ん? ……そうだったな。結局後回しにしたんだったか。悪いな、憂。作ってくれるか?」
「任せてください! 今度こそ私の手料理ご馳走しますね!」
そうして和やかな空気のまま。
平沢憂は格納庫から飛び出していき。
ルルーシュが一人、そこには残された。
「ふぅ……」
ため息が、一つ。
目線の先に映るのは紅蓮弐式。
ルルーシュにとっても印象深い機体。
かつて頼りになる手足であった彼女。手足でなかった彼女が搭乗していた機体。
それをもう一度、自分に服従する少女を乗せるという事実は――どこか、滑稽にもルルーシュには思えた。
勝つしか無い。そのためにはためらってなどいられない――。
言い聞かせるまでもない。ちゃんと理解している。迷いもない。
だが――。
「考えていても仕方ない、か」
五飛と
ヴァンの首輪を換金し、廃ビルの施設特徴「まとめ売り」で安く売っていたオートマトン三機を一億ペリカで購入。
後々のことを考えて、残しておくペリカを計算に入れれば、これが今できる最大限の装備だ。
今の手札でどこまで勝負になるだろうか。
ルルーシュは考察に入るが、どこまで行こうとも所詮は机上の理論。
果たしてこの物語の行く末がいかなるものか。
さて、それは。やってみなければわからない。
● ● ●
【サーシェスの場合】
好き? 嫌い? 好き?
なあんか、知らねえけど、あのお嬢ちゃんに嫌われてるのか俺?
おかしいよな。こんなに紳士に振舞ってるってのによ。
はは。ま、それは冗談だとしても、仲が悪いのは問題だよな。
いや、一方的に敵視されてるだけで、俺としちゃあむしろ気に入ってるんだがね。
やっぱ、さっきまで敵だったってのがまずいのか。
弱るよなー。甘い甘い甘い。あれほどの才能があってもやっぱりお嬢ちゃんってことかね?
昨日の敵と手を結び、さっきの味方の背中を刺す。
それぐらいは心得て欲しいもんだぜ。
……いやはや、しかし。ここは。あれだな。
仲を深めるためにでも、トークタイムと洒落込みますか――。
● ● ●
「いやあ、羨ましい限りだな、お嬢ちゃん」
「…………」
ホバーベース廊下にて。
戦争狂と殺人者は遭遇した。
この廊下には二人だけ。冷たい廊下に二人きり。
正直なところを話してしまうと、憂はこの傭兵が苦手だった。
いや、もっとはっきりと嫌いだ、と言ってしまってもいいかも知れない。
何故か。と聞かれても困る。
さっきまで殺し合いをしていた相手だから簡単には割り切れない、というのもあるだろう。
けれどもそれ以上に。
生理的嫌悪感。自分でもよくは分からないけれど。
あまり近寄りたくないと、そんなことを思っていた。
だから、ルルーシュがいるわけでもないこの場で取り繕って仲良くなどしたくない。
そんなことを考えて、少女はかけられた言葉を無視して通り過ぎようとした。
「まあ、待てよ」
手を伸ばし、行く先を遮るもまた少女。――少なくとも、外見は。
不快そうに眼を細めて平沢憂は
アリー・アル・サーシェスを見た。
「なんですか」
うざったい、という気持ちを隠そうともしない口調。
そんな様子を物ともしないでサーシェスはにやりと笑う。
「おいおい、一人だけ新しい機体買って貰ったからって調子に乗ってねえ? 俺とは立場が違うってかよ」
「――不満だったんですか、リーオー?」
「ははっ、なーんちゃって、うそうそ! お下がりの機体は慣れてるし、別にあいつも悪かあない。
相手が生身なら充分バケモノどもだって相手できるだろうからな。贅沢言う気はねえよ」
「だったら、何の用ですか」
「いーじゃねえか、ちょっとぐらいお話しようぜえ? 俺、あんたのこと結構気に入ってんだよ」
「……私は、」
あなたと仲良くする気はないです。
そう、告げようと口を開きかけたその瞬間。
憂の意志とは無関係に目に映る光景が変わり、背中に覚える衝撃。
「――――っ!? なっ……」
「――そう冷たいこと言うなよ。傷つくだろ?」
サーシェスは憂の手を取って体ごと壁に押し付けた。
当然のように憂はもがいて離れようとするが、体ごと密着されて逃れられない。
暫く暴れそれを理解して、怯えたような、憤るような顔を憂は見せる。
それが気に入ったのか。にやけた表情を浮かべてサーシェスは互いの顔を呼吸を肌で感じるほどに近づけた。
「……くっ、離せ……!」
「おいおい。落ち着けよ。こんなのスキンシップだろ?」
嫌悪感を耐え切れず暴れる憂だが、どうも体に力が入らずうまく動かない。
外見上、身体能力的には大して変わらないはずの少女に一方的に抑えこまれてしまう。
それはサーシェスが傭兵として培ってきた経験からの拘束術。
如何に力が女子中学生の域まで落ちていたとしても、何の訓練もない少女を動けなくするには充分なものだった。
憂はしばらく抵抗していたが、やがて無駄だということが分かったのか、力を抜いて大人しくなった。
「……。なんの、つもりですか……。」
「ぃやぁぁぁああぁぁっと、俺の話を聞いてくれるみてえだな。嬉しいねえ」
顔に似合わぬねちっこい眼をしてサーシェスは哂う。
戦争狂が元の姿のままならば身の危険を感じるところなのかもしれないけれど。
自分と大してかわらぬ少女の姿であるためにそこまでの考えには至らず。
憂は苦々しげにサーシェスを睨みつけるという反応だけに終わった。
「……用があるなら、手短にしてくれませんか」
「旦那のために飯作るんだっけか。ははっ、可愛いねえお嬢ちゃんも。
……そう睨むなよ。わかったわかった。本題に入るさ」
「……はやくしてください」
できるだけ視線を合わせないようにしながら、憂は言う。
そんな様子を知りながら、勿体付けるように貯めてサーシェスは世間話のようにそれを訊いた。
「――――なあ、お嬢ちゃん……。あんたはどうして人を殺す?」
憂は少し呆然とした。
そんなことを言われるとは思っていなかった。
そして、もうひとつ考えた。
それはルルーシュと出会ったばかりの頃、同じようなことを彼に訊かれたときのことだった。
「どう、して……?」
固まってしまった憂に追い打ちをかけるように、サーシェスは言葉を続ける。
「――――ああ、その通り。人間って奴はどんな理由だろうと人を殺せるもんだ」
例えば正義、例えば信仰、例えば愛情、例えば友情、例えば憐憫、例えば拒絶、
例えば憤怒、例えば自由、例えば使命、例えば後悔、例えば約束、例えば自愛、
例えば肉欲、例えば食欲、例えば金欲、例えば快楽、例えば名誉、例えば他愛、
例えば狂気、例えば正気、例えば善意、例えば悪意、例えば退屈、例えば満足、
例えば復讐、例えば平和、例えば慈善、例えば相違、例えば誤解、例えば理解、
例えば偽善、例えば超然、例えば支配、例えば苦痛、例えば怨恨、例えば嫌悪、
例えば求愛、例えば偶然、例えば必然、例えば運命、例えば信念、例えば感動、
例えば崇拝、例えば期待、例えば障害、例えば堕落、例えば諦観、例えば決意、
例えば警戒、例えば保険、例えば当然、例えば貧困、例えば憂鬱、例えば救済、
今日もどこかで誰かが誰かを殺す。めくるめく多彩な理由を持って。
「……人は、理由なしに人を殺せねえ。だがな、どんな理由であれ人は人を殺す。
俺には分かる。どいつもこいつもが俺の目の前で殺して殺して死んでいったお蔭でな。
……だったら、お嬢ちゃん。あんたの願いは、理由は何だ? あんたは一体何を求めて殺人を犯した?」
さも愉快そうに戦争狂は語る。
気圧されたのか呑まれたか。
引きつった顔で少女は言葉に詰る。
「わ、私は……」
「んん? 私は……なんだよ? お嬢ちゃん」
平沢憂はアリー・アル・サーシェスを正しく理解していなかった。
しかし、少女としての直感か。本能的に悟っていた。
それを今、理性的にも理解する。
こいつは危ない。
離れたい。ただその一心で、憂は質問に答えた。
ルルーシュに尋ねられたときと、同じ答えを。
「死にたく、ないから……! 私は、生きていたいから……!」
「……へえ、だから、殺したってぇのか? 自分の為に? 他人を取り除いてぇ!?」
「それが……なんだっていうんですか!!」
――口から出た言葉は、ほとんど悲鳴のようだった。
「悪いですか!? 生きていたいって、それだけが理由で、人を傷つけちゃいけないんですか!!?」
「仕方ないでしょう!?」
「私は私は私は私は私は私は私は私は私は」
「私は!!」
「死にたくないんです! だって……!」
「何も無いのに!」
「大切な何かを!」
「無くしてしまったのに!」
「だから!」
「ただ、生きていきたいだけなのに!」
「ここで死んじゃったら……!」
「死んでしまったら!」
「本当に、なにも掴めないで終わってしまう!」
「私にはなにも無いってことになってしまう!」
「そんなの、嫌だ」
「私は、嫌だ……」
「死にたくない!」
「死にたくない!」
「生きていたい!」
「だから!」
「私は、私は、それだけで!」
「人を殺して傷つける……!」
「でも……!」
「……それって、悪いことなんですか!?」
涙をにじませて吐き出される言葉。
追い詰められた感情の発露。
彼女は何を失ってしまったのだろう。
彼女は何を得てしまったのだろう。
ああきっと。
『献身』
それが彼女の起源。
だけどそれも諸刃の剣。
ブーメランの様に自分へ帰る。
ひとえにもたらされる奉仕は相手のみならず自身にすら依存をもたらす。
真に向かうべき『献身』の対象を、あらゆる意味で失った。
心から世界から。損なわれた最愛。
そんな彼女に生きる意味も死ぬ意味も。
――――殺す意味も。
伽藍堂の身では求められるわけもなかったのだ。……自身では。
だから、代わりを得た。
誰かに代わる誰かを得て。理由の全てをそこに委ねた。
空っぽの自分を、抜け殻のような希望を。
彼に従うという手段が、目的に変わっているという矛盾にすら気づかずに。
……いや、その事実から目を逸らして。
ただの一度誤った。「生きたい」というのが自身の願いだと思い込んで。
けれども……誰が彼女を責められようか?
彼女だって普通の、一人の女の子に過ぎないというのに。
「ああ――勿論お嬢ちゃんは悪くねえ」
「――――え……?」
ははは、と。
ははははははは、と。
ははははははははははは、と。
ははははははははははははははは、と。
アリー・アル・サーシェスはさも愉快そうに哂った。
「誰もが誰かを犠牲にして生きている。生きるってことは誰かを犠牲にするっつーことだ。
信念? 愛? 正義? 信仰? 名誉? 快楽? 阿呆らしい!!
誤魔化さなくたっていいんだぜ! 何を恥じることがある?
生きるために殺すってのは、他のどんな理由よりも健全で正しい、生物として当たり前のルールってやつだ!
胸を張れよ、お嬢ちゃん。俺の見る目は正しかった。気に入ってるぜ、惚れ直した!
――――やっぱり、あんたはこっち側の人間だ……!!!」
平沢憂は硬直してその言葉を聞いていた。
激昂が醒めていく。
泪が引いていく。
きもちわるい。
違う。そんなのじゃない。
……こいつは、違う。
自分が知っている、誰とも、違う。
「ち、違う……」
「ぁあ?」
華菜さんと、違う。
阿良々木さんと、違う。
安藤さんと、違う。
ルルーシュさんと、違う。
桃子ちゃんと、違う。
式さんと、違う。
デュオさんと、違う。
五飛さんと、違う。
澪さんと、違う。
あの、
バーサーカーとすら、違う。
こんな奴は、
「いっしょに、しないで……!」
逃げたい。
逃げられない。
だけど精一杯の勇気を出して、憂はサーシェスを睨みつけた。
「……は。怖がらせるつもりは別に無かったんだけどな」
ぱっ、と。
にやけたままにサーシェスは体を離して憂を解放した。
憂は一瞬だけ呆けた。まさかこんなに簡単に開放してくれるとは思わなかったからだ。
その後で目が覚めたようにサーシェスを振り払って疾走する。
気持ち悪かった。少しでも遠くに行きたい。
振り返らずに走りだした憂の背中に、サーシェスの声が響いた。
「お嬢ちゃんよ! 何も謙遜することはねえんだぜ? 誇れよ。
あんたには戦争屋の素質がある。それも、この俺以上の、人殺しの天才を名乗れるだけの才能がだ。
受け入れな。愛しい恋人のように。自分の醜悪さを。そうすりゃきっと――――」
俺みたいになれるさ。
そこだけは、ふざけた口調じゃない。なんでもないことかのようにサーシェスは言う。
憂は分かった。分かりたくないけれど、分かった。
……こいつは本気でこんなことを言っている。
何のつもりかはわからないけれど。嫌がらせでも何でもなく、ただ、自分の思ったことを言っている。
……関係ない!
後ろは振り向かない。振り向けない。
怖くて、辛くて、震えていた。
ただ我武者羅に、懸命に走った。
そのうち幾分か離れてサーシェスの気配もなくなったころ、足がもつれて転んでしまう。
痛かった。
憂は目を閉じて少しだけ考える。
サーシェスの言ってることはおかしくて、てんで的外れだと思うけれど、同時に全てを否定しきれない自分もいた。
……やっぱり、よく分からない。
目を開いた。冷たい廊下の床が見えた。瞳から涙が零れた。なんだか悲しかった。
それでも、立ち上がる。ルルーシュのためにご飯を作らなければいけない。
何となく惨めで、何となく負けたみたいだ。しゃくりあげる声はなかなか止まない。
だけどルルーシュには心配をかけたくなくて。
憂は玉ねぎをいっぱい使った料理をつくろうとそのとき決めた。
● ● ●
――そして第五回定時放送は告げられた。
● ● ●
時系列順で読む
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最終更新:2011年09月27日 02:05