ゲーム・スタート ◆hqt46RawAo
天江衣は目を輝かせて、その景色を眺めていた。
小さな箱の中、二人納まればもう窮屈になるガンダムエピオンのコックピットの中。
彼と二人、モニター上を流れ過ぎていく景色を見送った。
「おお~! 速いなグラハム!」
「ふっ、まだまだ、本来はこんなものでは無いのだがな」
学校より進みだした一団の現在地点は、E-2の中央部やや北より、人の気配のない廃れたビル郡である。
一棟、また一棟と、長方形の灰色がモニターを通り過ぎていく。
「このエピオンの性能をフルに引き出せば、あっという間にこの島を横断することも可能と見ている。
パイロットたる私の真骨頂を披露できるというもの! ああ、だというのにこの状況、もどかしいな……!」
エピオンは先行するランスロットアルビオンに追従するように、都市部を西へ進む。
緩やかな低空飛行で、建造物に紛れるようにして、なるべく静かに移動していた。
目指すはここより更に北西にいるという、主催に対抗するもう一つの集団。
しかし現在は諸事情により、渋々このようにスピードを押えた走行と相成っている。
天江衣と共にコックピットに座る男、
グラハム・エーカーはそれが内心不服のようであった。
「この運動機能、近接戦闘性能、図り知れん。悔しいが流石はガンダムと言わざるをえないな。
いや、そもそも私の知る『性能の基準』から大きくズレた機体だと感じている。
それはどちらが優れているかと言う話ではなく……」
「ふふっ」
「ん? どうした天江衣?」
「いやいや、グラハムよ。お前、血が滾っているな」
もともと、『ガンダム』という存在には多大なる執着を見せていた男である。
それは決着を付けるという方向の意志であったようだが、こうして直に動かしてみての感情と言うものもまた、
本人にしか分らない高ぶりがあるのだろう。
「……やはり、分ってしまうものか?」
「愚問愚問。隠したところで衣には筒抜けだっ! お前が柄にも無く心を燃え上がらせていることなど、顔を見なくてもわかる」
えっへん、と。
狭苦しいコックピットの中で、衣は得意げに胸を張る。
グラハム・エーカーの膝の上。
シートベルトで繋がれた、二人だけの空間。
彼女だけの特等席の上で、得意げに微笑んでみせた。
「なぜならっ! 衣とグラハムはっ! ……えと……その……」
勢いに任せてそこまで言ったものの、肝心なところで顔が赤くなってしまう。
照れに火照った頬を見られたくなくて、衣は慌てて口をつぐみ、俯いた。
視線を下げて、なんとなく足をぶらぶらさせながら、熱が引いていくのを待った。
「……その……い……」
「一心同体、だ」
ポフリ、と。俯いていた頭にグラハムの手が乗せられる。
男の手だ。強くて、逞しくて、ゴツゴツしていて、なのにどこか安心する。
こんなにも心が安らいでいく。
「今回は『失礼』、と言う必要も無いのかな?」
「…………うん」
「撫でるな」なんて、もう言う気も無かった。
わしゃわしゃと髪を軽くかき混ぜられる感覚に身を任せる。
目をつぶって、すり寄せるようにして。
「ふぁ……」
つい洩れてしまう情けない声を抑えることもせず、ただその感触に浸った。
「まだ、信じられないか? そうだろうな、分っている。君が不安を拭いきれないのは当たり前だ。
すべては私の力不足故のことだ。すまないと思っている。信じさせてやることが出来ないことを、情けなく思う」
しかし、撫でながら呟かれたグラハムの言葉は、真理を突いてはいなかった。
きっと先ほど言いよどんだ訳を誤解しているのだろう。
言葉は沈痛な色をしていた。
「そ、それは違うぞグラハム、衣はグラハムを信じているっ!」
だから衣は強く、強く否定した。
そんな誤解だけは、もうして欲しくなかった。
していて欲しくなかった。
この思いを、正しい思いを知ってほしかった。
「グラハムは衣を助けてくれた。ずっと助けてくれていた。
衣が辛いときも、怖くて死にそうなときも、いつだって傍にいてくれた、駆けつけてくれたのだ。
だから衣は……グラハムが大好きだ。誰よりも信じている。
いままでも、今でも、これからも、グラハムは……グラハムは衣の……衣にとって……!」
けれど、言葉は尻切れに途絶えてしまう。
行き先を見失ってしまう。
どう伝えればいいのか分らなかった。
この思いを。今の自分の素直な感情を。どんな言葉にすれば正しく彼に伝わるのだろう。
衣にとって、こんな感情は初めてだった。誰よりも信じている。大好きだ。それは言い切れる。
けれどそれだけでは伝えきれていない感情があるような、そんな思いに囚われる。
嬉しくて、けれど苦しくて、よく分らない胸の疼き。
少なくとも、家族の誰にも抱いたことはない、家族に向けた思いとはまた別の感情。
「……なあ、グラハム……顔を見せてくれ」
「どうした?」
結局、言葉を見つけることが出来なかった衣に、彼は変わらぬ調子で答えてくれた。
衣は上半身の力を抜いて、硬くて広い彼の胸板に背を預ける。
小さな少女の身体はそこにスッポリと収まってしまえる。
そして、衣は潤んだ瞳で、間近にある彼の顔を見上げた。
「衣に、なにが出来ると思う?」
「……言った筈だ。なにも、なにもしなくていい。君は生きてくれれば、それでいいんだ」
「でもそれじゃあ……」
「私が良いと言っている。君は懸命に生きている。それだけで、君は誇っていい」
「……そうか、うん、分った」
伝わらない。
思いは、伝わらない。
きっと永遠に、彼は知ってくれないのだろう。
当たり前だ、自分自身ですらよく分らない思いを、どうやって他人に伝えるというのか。
「天江衣……? 大丈夫だ。怯えることはない、これ以降の君は誰よりも安全だ。
私が保証する。私が君を守る。
その誓いを今度こそ、この身で証明しよう。その時こそ君の信用を勝ち取ろう」
「……うん」
ああ、ならばせめて、この思いを抱けた事に感謝しよう。
そんなふうに、衣は思っていた。
伝えられないことがどうしてか、胸が張り裂けそうに辛いけど。
思えることはどうしてか、こんなにも心を暖めてくれる。
『その時』が来るのは、凍えるように怖いけれど。
この暖かさがあれば最後まで、強がることが出来るかもしれない。
もう彼に出来る事は、それしか思いつかないから。
衣は目を閉じて、グラハムの胸部に自らの手の平を当てた。
彼の熱が、力強い鼓動が、そこから直に伝わってくる。
それだけで、勇気を分けてもらえるような心地だった。
安らげる、幸せだと、感じられた。
「…………っ」
二人の時間、揺れる揺り籠の中、
衣はこみ上げてくるものを必死で耐えた。
泣かない。
絶対に泣かないと決めいてた。
今この瞬間を、涙の思い出になんかしたくない。
笑顔の記憶として、ずっと持ち続けたい。
なぜなら、おそらくこれが――
「グラハム……本当に、ありがとう」
天江衣にとって、最後の安息になるだろうから。
そう思って、天江衣は瞳を閉じた。
■ ■ ■ ■ ■
風を切る感触が全身に纏わりつき、轟々という音が耳を揺さぶる。
瞑りっぱなしだった目を少し開けて、眼球にぶち当たる冷たい感触に耐えながら、どうにか周囲を見回した。
しかし、やれやれ、まったくもって慣れる気がしないな、これは。
「お前は、よく、そんな、平気そうな顔色、で、いられるな……!」
僕――
阿良々木暦は全身に直撃する風圧に絶えながら言葉を掛けた。
『もう片方の手』に座っている少女にむかって、ほとんど叫ぶようにして呼びかける。
「別に。呼吸しやすい体制を維持すれば、それほど辛くもない」
それに対して、少女――
両儀式はすらすらと返答を返してきた。
澄ました顔はこの風圧を前にして淀みもしない。
閉じたその目蓋は微動だにせず、刀を手にして座っている。
僕なんか、既に這い蹲るような体勢だというのに。
息苦しさと、揺れの気持ち悪さに苛まれる。
振動やら風圧やら、この環境はまさしく最悪だった。
僕は現在、
枢木スザクが操縦する巨大ロボットの『手の平の上』に乗っている。
エピオンに先行して都市部を移動中だ。
巨大ロボットに搭乗とくれば、男なら誰でも胸が踊るものかもしれない。
けどこれはちょっと、嬉しくないシチュエーションだろう。
手に乗っけて運ぶなんてぞんざいな扱い。
けどこればっかりは文句を言えない。仕方のないことだ。
ロボット自体は巨大だけど、コックピットは二人乗り込めばもう満員だった。
自然、ランスロットのコックピットには操縦者の枢木スザクと、その補助としてディートハルトが乗り込む事になる。
エピオンのコックピットにはパイロットのグラハムさんと、天江が乗っている。
天江は僕達の中で一番非力だし、何かあったときに一番安全な所にいるべきだ。
という、僕の案が採用された結果だけど。
正直言って、彼女の立場を考えると、僕にはこうする以外の選択肢なんてありえないように思えた。
ともあれ、残りのメンバーはコックピットに乗ることができない。
そして他に乗れるような場所となると、あとは『手』くらいしかないわけで。
現在は僕と式がランスロット・アルビオンの右手と左手に。
インデックスがエピオンの手に乗っている。
僕はこれで二度目の体験だけど、きっと何度乗っても慣れることはないだろう。
多分、吐くのは時間の問題だ。いろんな意味で、早く目的地について欲しい。
ため息をついて、式に言われた通りに、身体の角度を調節していく。
なるべく呼吸のしやすい体勢を模索する。
「はぁ、ほんとに、何事も無く着いてくれればいいんだけどな」
ぶっちゃけると、僕は不安だった。
奴が、ルルーシュが本当に信用できるのか、確実に天江を助けてくれるのか。
枢木との繋がりを考えても、ディートとの繋がりを考えても、穏便に事が進む保障はどこにもない。
それどころか奴は前に一度、僕を殺すことを念頭に置いた行動を取っている。
平沢憂と
東横桃子、式が残して来たと言う秋山と言う少女の存在だって、大きな懸念だ。
少なくとも平沢と東横の二人は、殺し合いに乗っていたのだから。
一波乱あったほうが自然なくらいに思える。けど、それでも今は奴を頼りにするしかない。
焦る気持ちはある。もどかしい思いがある。
あの時、あの薬局で、
白井黒子を待っていたとき以上の重圧を感じていた。
衣の死は、近い。残された時間が少なすぎる。
早く、もっと早く進めないのか。
そんなことばかり考えていた。
けれど現状では、僕に出来ることはなにもない。
もどかしい思いを抱えていることしか……できないのだろうか。
「なにか……」
なにかしよう。僕はこの時、そう思っていた。
手元にあった自分のディパックを開き、
顔面を張り倒すかのような風に顔を顰めながら、有用なものを探す。
状況によっては、戦う事もあるだろう。その覚悟は固めておくべきだ。
もしもの時、枢木はあちらにつくと公言している。
ならば頼れるものは、天江を守ってやれるのは、グラハムさんと、僕以外に誰もいないんだ。
僕も、戦わなくちゃいけない時が来るだろう。そう遠くない内に必ず。
ならば準備をしておかないと。
「よっ……と」
両義のマネをするように、座禅のような姿勢をとる。
無理せず目を閉じて、心を落ち着けていく。
なるほど確かにこうすれば少しは慣れる……かな、どうだろう。
「…………」
目を閉じて、ディパックの中を手探りであさりながら、
役に立たなさそうな物と、仕えそうな物を検分する。
けれど、動かす手とは裏腹に、僕は少し物思いにふけっていた。
僕はこれから、何のために戦っていくのだろう。
そんな事を考える。
目的、願望、希望、今の僕にそういった物は実の所、もう残っていない。
一番守りたかった人は死んでしまった。
好きな奴はみんな死んでしまった。
誰も救えずに、何も出来なかった、それが今の僕だった。
けれど天江だけは守ると、そう決めたのだ。
全てを失っていながらも、決して諦めない少女。
死に直面しても、命のカウントダウンを告げられても。
希望を見つめて、前をむき続ける少女を守りたいと、願った。
もう遅いのに。今更何をやったところで、本当に守りたかったものは帰ってこないのに。
それでも、僕は、守りたいと思っている。
これが僕なりの、後ろ向きの復讐だった。
僕は、僕に、恋人一人守れなかった馬鹿野郎に復讐する。
今更、守って、助けて、そして悔いろ。
投げ出すなんて許さない。出来る事を全部やって、救われずに帰ればいい。
死にたくなるくらい、生きてやれ。
どうせ、僕のストーリーはもう、バッドエンドが決定しているんだ。
ならば最後にあがいて、ハッピーエンドを見送るぐらいが潔いってもんだろう。
「変な顔(ひょうじょう)だな」
その声に隣を見れば、式がこちらをじっと見つめていた。
非常に変化がわかりにくいけど、普段より少しだけ怪訝そう、か?
僕はいま、いったいどんな顔をしているのだろう。
「そんなことも……ねーよ」
なるべくぶっきらぼうに返事を返しつつ顔を伏せた。
いつの間にか、荷物整理も終わってしまっている。
僕の持ち物には、今のところ有益なものはなさげだった。
「なあ、式。お前のディパックも見せてくれないか?」
もう、考えるのは止めよう。
これに関しては、考えるほどドツボにはまりそうだし。
「別にいいけど、大したモンは入ってないぞ。だいたいデュオのところに置いて来たからな」
ルルーシュじゃなくて、『デュオのところ』なんだな、とか思ったけど。
そんなことは顔色に出さずに、放り投げられたディパックを受け取る。
ま、僕もそれほど式のディパックの中身に期待しているわけじゃない。
式への勝手なイメージとして、僕が扱えそうなものをディパックに入れてそうな気はしないし。
多分僕のと似たようなもんだろうな。
というか式って僕達と合流してからは殆どディパック開けてないな、とか思いながら、彼女のディパックに手を突っ込んで……。
「…………」
底の方から飛び出してきたそれに、僕は暫し黙り込んだ。
……いや。うん。あー……。
これは、アレか?
いや、いやいや、そんな、まっさかあ。
「なあ、式」
「ん?」
式は至極面倒くさそうに返事をする。
「これ、なんだ?」
僕は、つまみ上げたソレを、示す。
「ああ、……通信機」
「…………マジで?」
「ってデュオが言ってたぞ、たしか」
オイオイ。
「それ……って、いつでもルルーシュと連絡が取れたってこと、か?」
「そうなるな」
「なんで、持ってるって、もっと早く言わなかった?」
「…………」
少し長い、溜めの後。
「忘れてた」
「おいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
僕は渾身のツッコミを入れながら、切に思った。
コミュニケーションを面倒くさがるのも大概にするべきだ、と。
■ ■ ■ ■ ■
行間である。
これは、ある意味で、余談である。
さして気にする必要も、意味を解す必要も無い話だ。
それはただ、それとしてある、事実でしかないのだから。
事が動くのは、まだほんの少し未来のこと。
いずれ来たる事象にて、彼らは選択を迫られる。
だが、今はまだ知らない。
違う矜持を持つ二人の騎士も、思いを馳せる少年も、嘗て支配者の一部であった者達も。
しかして、ただ一人、この場で唯一、誰よりも早く、それを察知していた者がいた。
理屈、理解、理論、全てを超えた領域に、その者はあった故に。
故に誰にも理解し得ない感覚、領域にて、その者はそれを認識していた。
これは、ただそれだけの事実。
「――近い」
と、その者は揺り籠の中で呟く。
「妖異幻怪の気形」
誰かの胸の中で、小さく、誰にも聞こえない声で、それを呟いていた。
「悪鬼か……羅刹か……はたまたその双方を狩りし魔境の混沌か」
前方、行く果て、まだ見ぬ彼岸に在る気配、その強大さに震えながら。
「何れ、これほどの暴虐は感じたことが無い……」
震えながら、恐怖に、否、それは否だ。
「是を目前に、全ては烏有に帰していく」
果たして、その者は気づいていなかった。
「それ程の気配……」
それの接近を前にした己の言の葉とは。
「――来る」
それの接近を唯一知りえた己の貌とは。
「……衣の邂逅した事の無い大敵。之までで、最も奇幻なりし手合の気配……」
即ち、戦場に赴く武者の如き、其れであったことに。
その者は、気づかない。
■ ■ ■ ■ ■
『それで、結果は?』
疾駆する、ランスロットアルビオン。
そのコックピットの中で、枢木スザクはレシーバーを耳に当てていた。
「阿良々木暦によると、ルルーシュとの通信自体は短時間で途切れてしまったようです」
『途切れた? それは何故だ?』
レシーバーの向こうから聞こえてくるノイズ交じりのグラハムの声に、
スザクはため息と共に言葉を返す。
「向こう側で何かあったのかもしれません。けれど恐らくは、電波状況の問題だと思います。
距離か、それとも別の何かか、現在進行形でこの通信も不調ですし……」
『そうだな……この付近に、電波を妨害するような何かがあるのかもしれん』
話し続けながらも、右の操縦桿への集中を途切れさせることはない。
ただの前進運動であっても、隻腕の身では万全の操縦は望めない。
故にサポートとの連携には常に気を配る必要が有った。
『君は、彼とは話さなかったのか?』
横を見ると左桿の操縦桿を握るディートハルトの横顔がある。
ディートも視線を返す。「多少は会話に集中していい」と、目で告げていた。
「ええ、操縦中はこの場所を動けませんし、僕が繋がったことを知る前に通信は途絶えたようなので」
『なるほど。それで、状況の把握は?』
暦がルルーシュとスザクの通話接触を忌避したのでは、
という疑念があったがスザクは口には出さなかった。
言うまでも無くグラハムとて想定しているであろうし、わざわざチームの空気を濁らせる必要はない。
淡々と、スザクは会話を次に進めていく。
「幸い、位置を聞き出す事と、こちらの位置を伝えることは出来たようです。
ルルーシュは現在、エリアE-1とD-1の境界線を越えたあたりだと」
『それは、つまり……』
「このまま西へ進み続ければ、すぐに合流が可能です」
『北上を焦らなかった事が、吉と出たな……!』
レシーバーの向こうの声が、喜色と安堵を含んだ。
グラハムの高揚を感じ取る。
だが、対してスザクの心情は自分でも驚くほどに凪いでいた。
近づいている。今度こそ、近づいていた。
約束の時、再開の時、共に誓ったあの男が待っている。
長かった。現実の時間よりもずっと長く感じていた。
目前で逃したこともあった。近づいたと思えばまた距離が開いての連続だった。
その到達地点が、いま遂に目前にある。だというのに、高揚など感じない。
『もうすぐ、だな』
「ええ、もうすぐです」
在る物は一つ、変わらぬ意思がただ一つ。
『辿り着かなければならない』という、絶対の意志が在るだけだ。
邂逅を果たしたとして、それで終わりではない。
到達地点にて得る物は望んだ世界。
積み上げられた悲しみと犠牲の果て、造りだす世界だ。
そのどこに、心を熱くする要素があろうか。
しかし、たどり着かなければ始まらない。
たどり着いてこそ、始める事が出来るのだから。
停止していた時間が動き出す。これでやっと、第一歩となるのだ。
故に、熱を、自らの意志で自らに灯す。
振り返る。
優しき過去の残滓を振り払ったのは何のためか。
数多の化け物どもとぶつかり合ったのは何のためか。
彼を死なせる選択を受け入れたのは何のためか。
そう、全てはたった一つの約束の為に。
全てはそのために、戦ってきたのだから。
「今こそ……」
今こそ。
枢木スザクはたどり着くのだろう。
始まりの場所へと。
『――見えるか? スザク』
「――見えていますよ」
モニターの向こう側、そこに映る――
『待ち伏せ……ッ』
最後の障害を越えた先に。
『こんな時に……ここまで来て……立ちふさがるか……!』
激昂の熱を帯びたグラハムの声を耳にしながら、
スザクはその眼でしっかりと直視する。
モニターの向こう側。
距離にして、五百メートルほど前方に、たった一人で、それはいた。
路上に一人、スクランブル交差点の中心に一人、灰色の空の下にそれはいた。
忘れもしない、影があった。
返り血まじりの白い髪。
ギラつく真紅の双眸。
少年とも少女とも断定できない細身の容姿。
纏う真っ黒い服装にはやはり血が染み込んでおり。
口元が裂けるように歪められ、凄絶な笑みを形作る。
その名は――
「一方……通行……ッ!」
其れは、学園都市の頂点に立つレベル5。
其れは、最強にして最凶にして最狂たる超能力者。
其れは、能力名――
一方通行<アクセラレータ>。
目指した鎮魂歌の開幕を目前にして。
ここに、最終にして最大の障害が、枢木スザクの前に立ち塞がっていた。
■ ■ ■ ■ ■
スラスターを停止させたことで、エピオンの前進が止まった。
グラハム・エーカーは眼の奥に炎を滾らせながら、その光景を見ていた。
少し前方にてエピオンと同じように足を止めているランスロット、その更に前方。
左右を巨大高層ビルに囲まれた太い道路の先、距離にして五百メートル程先にあるスクランブル交差点に立つ存在。
一方通行<アクセラレータ>――前回の戦闘にて、多くの仲間の命を奪った宿敵の姿である。
『では、その方針で』
「ああ、首尾よく行こう」
スザクとの通信が途切れると同時、グラハムは迅速な行動に移った。
レシーバーを耳から離し、操縦桿を握る手を動かす。
そう遠くない位置に佇む敵影をサイトに捉え、武装を確認し、臨戦態勢を整えていく。
スザクとの短いやり取りの中で、既に対応は決定されていた。
ランスロット側でも行動は開始されている。
後は動くだけだ。うろたえることはない、と自らに言い聞かせていく。
前もって組み立てていた戦法を軸に、現在の状況を加味した結果、導き指される戦法を取るのみ。
エピオンの基本武装を全てチェック――問題なし。体勢の一段階目は整った。
そして素早く、サイトに映る敵の姿を伺う。
予想の範疇通り、一方通行に動きは無い。
膠着、それは想定済みだ。
敵の立場から考えれば、迂闊に攻め込めむことは躊躇うであろうし、そうでなくては困る。
しばらくは、少なくともこちらの意志を示すまでは、この状況が続くだろう。
事が一応の予定通りに進んでいる現状に、グラハム素直に安堵する。
ため息をついて、そこでようやく、膝の上の少女を見つめることができた。
「……すまないな」
間を開けて発した第一声は、やはり謝罪になってしまった。
少女は、答えない。俯いたままで、その表情は伺えない。
けれども、グラハムの胸へと直に伝わる微弱な動きが、その心情を表しているのだろう。
少女はスザクと通信を開始するより少し前から、
何かを察していたように俯いて、口を閉ざしていた。
そのまま、現在に至るまで一言も話していない。
グラハムには、少女の心情が予想できていた。
今顔を見せれば、泣きそうな顔を見られてしまう。
今声を発すれば、悲しみに濡れた声を聞かれてしまう。
それが、嫌なのだろう。
「偉そうな事を言っておいて結局私は……君を抱えて戦う事ができない」
血を吐く思いで言葉を吐き出しながら、コックピットのハッチを開く。
ひんやりとした外界の風が流れ込んでくる。
二人と共にあった空気が、霧散していく。
エレベーターの代わりを果たすように、エピオンの手のひらがコックピットの前方に持ち上がった。
「奴への対策は万全だった。本来、私は君と共に戦う事も辞さない覚悟だった」
その言葉に偽りは無い。
けれど今となっては、覚悟もただの非効率だった。
想定より少し速い敵との遭遇。
想定より少し速い黒の騎士団との接近。
そして何よりも対敵が一方通行であるならば。
「だが、君は……スザクと共に、ここから離れるんだ。一刻も早く、黒の騎士団の元にたどり着け」
言い訳はそこで打ち切った。
そんな事をしている時間すら今は惜しい。
少女だけではない、全員の命に関わる事なのだから。
グラハムは未練を断ち切るように、シートベルトの解除スイッチに手を伸ばし。
だがそこに、小さな手が重ねられた。
「……天江衣?」
少女は振り向かぬままで、ふるふると首を振る。
「いい、衣が自分でやる」
グラハムの手を優しくどかして、少女は自らの手でそのスイッチを押し込んだ。
パチン、とベルトが解除され、二人は結びの戒めから解き放たれる。
少女は一人、誰の助けも借りないまま、すくっと身体を起こした。
そして一足で、エピオンの手の上に飛び移る。
少女は、振り向かない。
巨人の手の上で、立ち尽くしている。
風が吹いていた。
少女の白いワンピースが波立つように揺れている。
風が吹いていた。
少女の長い金髪がさらりと流れて、煌く光の粒を散らしていく。
風が吹いていた。
カチューシャが揺れて、少女が振り返る。
「……グラハムっ」
少女は最後まで、笑顔だった。
「グラハムは強いから。絶対、あんな奴には負けないなっ」
再び戦場に赴く男を前に、またしても少女を置いて行く男を前に。
「やっつけてやれ、グラハム。そして、さっさと帰ってくるのだ!」
何一つ、不安など無いというように。
「衣は待ってるから……」
グラハム・エーカーはその時、ようやく理解する。
「ああ、当然だ」
目の前の少女が寄せてくれる、その真っ直ぐな信頼の深さを。
「私は勝つさ。勝って必ず、君のもとに帰ってくるさ」
だからこそ、なればこそ、グラハム・エーカーには最早、恐れなど在る筈も無かったのだ。
「天江衣」
「ん?」
「この戦いが終わったら、今度こそ私に麻雀を教えてくれ」
キョトンと。少女は目を丸くした。
そんなことは忘れていたと言うように、
終わった後のことなど、考えていなかったと言うように。
「……え」
「忘れてもらっては困るな。一緒に麻雀を楽しむのだと、約束しただろう。
そのお返しに私は、君を連れて空を飛ぼう。君に空の景色を見せたいと思っている」
約束をもう一つ、願いをもう一つ、空に懸けてみよう。
共に空を駆けてみよう。そう言った。
なんの気兼ねなく、気後れ無く、それを言えた。
必ず現実に出来ると、グラハムは何一つ疑えない。
負ける気がしない。
この思いが、信頼が胸にある限り、グラハムエーカーは負けるはずが無いのだから。
「パイロットとして、私が送れるプレゼントとしては、きっとこれが一番のはずだ」
「グラ……ハム……」
少女は一瞬、ほんの一瞬だけ、顔をくしゃりと歪めて、泣き出しそうに見えた。
けれどすぐにブンブンと首を振って、暗い面持ちを振り払い。
次の瞬間にはもう、花の咲いたような笑顔を浮かべていた。
「……うん、そうだなっ! 約束だっ!」
笑顔が、遠ざかっていく。
遠ざけなければならなかった、自らの手で。
コックピットのハッチを閉めていく、手の平に乗った少女の姿が降下していく。
朝日に光る、黄金色の笑顔を眼に焼き付ける。
「行ってらっしゃい、グラハム」
ハッチが、完全に閉じた。
揺り籠の中で、一人になる。
戦場という名の壁、領域に取り残された男は一人。
しばし、目を閉じた。
すっと膝の上の熱が冷めていく数瞬の間だけ、彼は自己に埋没し。
「ああ、行ってくる」
そして目を開くその瞬間、グラハム・エーカーは己の全てを切り替えた。
己の心を、戦士のそれへと変貌させていく。
全ての準備が完了した事を、確信した彼は言った。
「……そろそろ、始めようか」
『了解です』
通信機越しにスザクへと号令を鳴らす。
名残惜しいが、行かなければならない。
彼女を守る為に、己が役目を果たすために、交わした約束を現実にするために。
「グラハム・エーカー、出撃するッ!」
操縦桿を強く握り締めて、エピオンを目覚めさせる。
炸裂する起動音を鳴り響かせて、跳躍する次世代の兵器。
機体の大きさから考えると極短い距離を前進し、ランスロットの前方へと盾の如くに着地した。
地鳴りと共に巻き上がる砂塵。
曇る視界の中で、相対する敵の姿だけが鮮明だった。
その名は、一方通行。
対して、迎え撃つはグラハム・エーカーが操るガンダムエピオンと、そして――もう一つ。
後部モニターに映る、和服に身を包んだ少女の姿。
エピオンの背後の路上にて、一振りの刀を携えて優雅に立つ、両儀式。
無敵に限りなく近い対敵への、最大にして最適なる対抗策。
「二度の敗北は無い、今度こそ貴様を打倒する。行くぞ、化け物……!」
こうして、男は戦を開始した。
胸に刻み付けた決意を言葉にして、戦意を告げて。
ようやく、グラハム・エーカーにとっての、真の戦いが開始されたのだ。
■ ■ ■ ■ ■
ランスロットは先ほどまでより細い道を進んでいく。
先ほどまでより若干速まったスピードで、だけど手に抱えた僕らに害の無いギリギリの速度で。
開始された戦いから逃れるために。
目指す場所へと急ぐために。
背後、鳴り響く戦火の音を、僕らは振り向かない。
残して来た者を、決して振り返ろうとはしなかった。
振り返ってしまえば、きっと迷いが生まれてしまうと分っていたから。
ルルーシュとの通信は、極々短いものだった。
僕は僕らがいる場所を告げて、奴は奴のいる場所を告げたところで、不意に途切れた。
奴の口調にはもう、猫を被ったような違和感を感じなかった。
推し量れない、重みのある声だった。
その結果と、現れた一方通行。
両方を吟味した結果、枢木とグラハムさんが下した結論とは、分裂。
式とグラハムさんが残って、一方通行を足止めする。
その間に僕らは、迂回してルルーシュとの合流を急ぐ。
たったこれだけの、シンプルな作戦だった。
現在のランスロットの手には、式の姿が消えて、インデックスと天江衣の姿が増えていた。
二人とも、何も話さない。
インデックスはもとから寡黙だったけど、天江の様子は明らかにおかしかった。
その理由は誰にでも察せられるだろう。
天江は僕と同じ左の手の平に座っている。
僕の隣、親指側、外側に座って、高速で流れていく景色を見送っていた。
僕にはかける言葉が無い。
式は兎も角。
グラハムさんが、いったいどんな意志であの場に残ったのか。
僕には分っていたし、きっと天江も察しているだろう。
だからこそ、何も言わないんだ。言えないんだ。
僕も、天江も、ただ振り向く事だけをしないように、戒めるしかないんだ。
「なあ……あららぎ……」
だから天江の口から飛び出してきた言葉は、きっとそれには関係の無いことだろう。
そう思って、耳を傾けた。
「グラハムは……きっと帰ってくるから、衣は心配して無いぞ」
けど、そうじゃなかった。
天江は信じていた。
グラハムさんの事を、絶対に帰ってくると確信していた。
それは強がりとか、言い聞かせているとか、そういうことじゃない。
「グラハムは言ったのだ……絶対帰ってくるって。
また会おうって……一緒に麻雀して、一緒に空を飛ぼうって……言ったのだ……。
だから絶対帰ってくる、グラハムは約束を守ってくれる」
天江は何一つ疑っていなかった。
グラハムさんの帰還を、彼の勝利を、心から信じていた。
「あららぎ……」
なのに、何故、その声は泣き濡れているのか。
僕にはそんなの、一つしか心当たりが無い。
「衣も……約束……破りたくない……」
天江の横顔に、一滴の涙が滑り落ちていく。
「約束、守りたい……衣も……生きていたい……!」
後はもう、嗚咽だけしか、そこにはなかった。
声を上げて、少女は泣いた。
彼の前ではずっと我慢していたのだろう、その涙を零していた。
僕には、かける言葉が無い。
その権利が無い。
だから、天江を抱き寄せる。
胸の中にその小さな身体を抱えて、もう一度、心の中で宣言した。
この子だけは、絶対に守る。
何があろうと死なせない。死なせてなるものか。
この先何があろうと、ルルーシュとの邂逅において、何が待ち受けていようと。
救ってみせる、この子だけは、死なせてはならないんだ。
「必ず、守る」
それだけを呟く。
天江には聞こえているのか、いないのか。
最も信頼する人の名を呼びながら、泣きながら、僕の胸を叩き続ける様子からは分らない。
僕はランスロットの手の平の上、天江が落ち着くまでそうしていた。
吹き荒ぶ風に乗って、
「偽善者め」「いまさら守ってなんになる?」そんな声が、どこからか聞こえる。
うるさい。黙れよ、と。
苦く、誰かに向かって、本当に苦く吐き捨てた。
僕はもう傷つくのも、傷ついた奴を見るのも、傷つけられる奴を見るのも、たくさんなんだよ。
こんなやり切れない涙を見るのは、僕自身だけでいい。
僕一人分だけで、もう十分だろうが。
■ ■ ■ ■ ■
終わりが始まったのはいつの事か。
始まりが終わったのはいつの事か。
それは気がついたときには始まっていて、振り返れば終わっているもの。
であるならば、現状とは始まりに値するのか、終わりに相当するのか。
何れにせよ、何れかが始まることに変わりは無い。
随分と待たされていた殺意は、とうに炸裂の臨界点を越えていたのだから。
斯くして、此処までの一切が茶番であった。
合切が児戯であった。
遭遇、別れ、挑む決断、再会の決意。
それら全てが余計なモノだった。
くだらない。
つまらない。
仕様もない。
少なくとも彼にとっては、500メートル先で交わされていたやり取りなど、
退屈凌ぎの三文劇代わりにすら為りはしないだろう。
開戦に際しての前準備など、彼にはたったの一言で事足りたというのに。
「――――さァ、やろォか」
この世全ての悪と、この世唯一の正義たる彼は、笑う。
口元を喜悦に歪め。
その胸に殺戮の衝動を抱き。
されど心は、最強たる矜持を纏いて、
「ゲームスタート<皆殺>の時間だぜェ? ぞンぶンに踊れよ三下ァ!!」
いま、地を蹴りし一つの殺意が、ラストゲームの開幕を宣言した。
【White Side--Start / 羅刹舞踏編・開幕】
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最終更新:2012年02月26日 03:27