開幕乱世・無頼 ◆hqt46RawAo
/開幕乱世・無頼
――都市部。
そのエリアは、見る者によって受ける印象を異にする。
平凡なる世界に生きてきた者であれば、近未来的と表現するだろう。
高度に発展した科学技術の世界に生きてきた者であれば、先進的には感じられないものの、多少の違和感を覚えよう。
そして機動兵器が日常的に存在するような、ロボットにありふれた世界に生きてきた者であれば、それは至極見慣れた町の景色だ。
現在、D-1エリアとE-1エリアの境界線を越えた一団の中では、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと
アリー・アル・サーシェスがこれに該当する。
平沢憂から見れば不自然なほど巨大な高層ビルや、圧倒されるほど大規模な町の発展、機動兵器が行動することが計算された道の作りであっても。
彼らはさほど気にとめない。日常に近しい景観だった。
一団は現在、島の西側にある都市部を南下している。目指す場所はひとまずエスポワール船と定めていた。
総合的に考えても、他の参加者と接触する候補地としては、おそらく戦闘のあったその場所が最上と言えた。
先の麻雀大会の最中における
秋山澪の足跡を追う形。
例えニアミスになった場合も、そこから更に集団の足跡を追っていけば必ず行き当たるだろう。
それが主催者に対抗する集団か、はたまた殺人鬼のどちらなのかは分らないが。
「…………」
そのような意志で行動を開始していたルルーシュにとってすれば、目前にある状況変化は若干不可解なものであった。
進む道の景色は少しずつ変わってきている。
同じ高層ビルでも、朽ちて枯れたような廃ビル群から抜け出して、建てたばかりの塔が目に付くようになってきた。
しかし、ルルーシュにとってより不可解なのは、手元における変化である。
「さっそく予定が更新されるかもな」
手の平に乗せた、イヤホン型の通信機を見つめる。
それは着信状態を示していた。
両儀式へと試み続けたコールは遂に放送をあけても繋がらず。
半ば諦めていたところに、逆に向こうから通信が来たのだ。
何故今になって? という疑問を抱えながらも、ルルーシュは通話ボタンを押し込んだ。
『――――』
しかし暫く待ってみても、イヤホンの向こう側から声は無い。
ただ轟々と、風の吹き付ける音が聞こえていた。
「式、か?」
埒が明かない。
事を動かすために発した第一声。
それに応えた声は、
ノイズに罅割れた声であっても、誰の物かを判断できた。
肯定の代わりに名を呼び返して、ルルーシュはおおよその事態を察した。
まず優先したのは更なる現状理解。
ノイズに紛れて聞こえてくる音は機動兵器の駆動音だろう。
脳裏に断片的なキーワードが浮かび上がる。
阿良々木暦が操縦している訳でもなさそうだ、
ならば向こうは複数、
おそらく『あちら』も『こちら』を探していた、
スザクがいる可能性は比較的高い、
この男が交渉役に抜擢されたのは不可解、
等々。
まず、あちらがどこを移動しているかを知ることが第一に優先される。
通信状況が著しく悪い。急がなければならない。
余計な思慮を挟むことは無い。
優先順位の上のほうから消化するのが、彼の基本的な動き方だった。
「確認する、そちらは主催に反抗する集団か?」
『そうだ』
あちらはやはり集団。
ならばゲーム終盤である今の状況において、
黒の騎士団以外ではおそらく最後の対主催者集団となるだろう。
接触しない、手はない。
「そちらの位置は?」
『ザッ――E-2の北西から、E-1に入る』
酷く罅割れた音声。しかし冷めた調子の、簡素すぎる返答だった。
阿良々木暦がいかな思いをルルーシュに向けているか、少なくとも好感は無いと思われる。
むしろ悪感情を持っていてなんら不思議ではない。それが自然。
けれどイヤホンの向こうから聞こえてくる声は、全てを圧し殺しているように硬い。
感情を押さえつけ、必要なことだけを言い交わす意思。
ルルーシュとて同じであったが、阿良々木暦の人間像には一致しない。
何か、向こう側にはのっぴきならない事情でもあるのか、
とルルーシュが予測を立てたとき、告がれられた情報。
『そろそろE-1に入る――ザザザザッ』
ひとまず、得るべき理解はそれだけで十全にこと足りた。
――良い。
予想以上に都合が良い状況だった。
こちらの集団と、あちらの集団。
双方が同時に移動していた中で、すれ違うか否か瀬戸際の、ベストなタイミングで通信が繋がったことになる。
「俺はエリアE-1の北東部に南下しているところだ。
そっちはこのまま西へ移動し続け、E-1に進入した後は北上しろ。
手順を間違えなければ、数分も経たないうちに、合流が可能になるはずだ」
後は兎も角、状況的に言って合流の一択。
流石に、むこう側も心得ているようである。
簡素な答えが跳ね返る。
『分った』
この時点で、ルルーシュにとって確認すべきことは全て為したといっても過言ではなかった。
此処から先は半ば余談だ。
後はもう、合流までの調節と、合流後の準備のみ。
『必要』ではなく『有用』なことを聞く。
「質問が二つある。
そちらに
枢木スザク、両義式、秋山澪の3名はいるか。
いるならば何故お前が連絡を寄こしたのか、答えられるか?」
『一つ目は……、枢木は、いま手が離せない状態だ。両義式はお前と話したくないって言ってる。
それと……その秋山って子は……ここにはいない』
「そうか」
思いつく限り最良の結果だった。
戦力と目的、同時に果たせる。
これ以上に望むことは無い。
たとえ、最善はなかったとしても。
故に次に問うべきことを、冷静に検分する。
電波状況は著しく悪い。悪くなり続けている。
通信の断絶は時間の問題に思われた。
とはいえ語らずとも、近いうちに邂逅は果たされる。
ならばここで、残る時間に交わすべき言葉とは。
「スザクと、繋げる気はあるか?」
しばし、重苦しい沈黙が流れた。予想された反応。
スザクが、ルルーシュの知るスザクとしてそこにいるならば、周囲の者が繋がりを危惧することは当然でもある。
ルルーシュは待った、あちら側の反応を。
そして返された答えは漸く、感情の色を持っていた。
『その前に、こっちから聞きたい事がある』
それが阿良々木暦の答えだった。
拒絶でもなく、許可でもなく、ただ意志を通す、私情を通す。
『お前なら、首輪を外すことができるのか?』
一秒にも満たない僅かな間、逡巡する。
首輪の解除は可能である、今ならば出来る。
合流する際のカードになると考えていた情報だけあって、言うつもりは無かったのだが。
「できる」
ルルーシュは、嘘偽り無くそう告げた。
阿良々木の言葉に含まれていたもの。
今まで感情を抑えていただけあって、顕著に現れていた。
その強さがルルーシュに、ここでハッキリと言うべき台詞を選ばせた。
『そうか……、……そうなのか……!? 本当に?』
「ああ、可能だ。お前の出かたにもよるがな」
『…………』
「怒るな。当然のことだろう。俺達の関係は、少々複雑だからな」
『分ってる……』
首輪が不快だから、怖いから。
そういう単純な理由で阿良々木が焦っているわけでないことは、ルルーシュにも察せられる。
彼の声からは一刻の猶予もない、断崖を目前にした焦燥の念を感じていた。
しかしだからと言って、ここで甘さを見せるわけにはいかない。
交渉を望むならば迅速かつ慎重に、これは双方の集団全体のために必要なことだ。
その点で言えば、今焦りに突き動かされるこの男は話にならない。
「全ては合流後の話だ。もう一度聞こう。スザクに代わる気はあるのか?」
『……っ……もう一つ、ある』
「なんだ?」
すぐさま返された否定の言葉に、
眉を顰めて、続きを促す。
『平沢憂のことについて、だ』
そしてルルーシュは内心、深く嘆息した。
やはり、この局面でそれか。
それが、阿良々木暦の優先するべき事柄なのか。
合流を目前にして。
過去の遺恨を語るでもなく、こちらの思惑を探るでもなく、そちらの意志を述べるでもなく。
これからの事を考えるですらなく。
阿良々木暦はただ、他人を気にかけている。
たとえば、首輪を外さなければならない誰かを。
たとえば、救いを求めて彷徨う少女を、この世界でただ一人、本当の意味で気にかけていた。
ならば、この男は、善人(どく)だ、と。
ルルーシュはそのとき、理解した。
この阿良々木暦という人間のあり方を知った。
辟易を滲ませて、確信する。
「そうか」
ならばもう、先に待つものは断絶と拒絶、それだけだろう。
決して分かり合えないという、現実が待つのみだ。
ルルーシュは通話を打ち切ろうと、指を伸ばし。
『それが終われば、枢木に繋ぐ』
もう一度、嘆息して。
「なら続けろ」
阿良々木暦へと、先の見えた会話の続きを促した。
■ ■ ■ ■
「これにて、戦闘準備終了っとぉ……! よぉーやく一息つけるってもんだぜ」
ぐぐぐっと身体を伸ばして全身をほぐし、脱力ついでに腰を下ろす。
ホバーベースの甲板にて、アリー・アル・サーシェスは風を浴びながら胡坐をかいていた。
緩やかに朝日が登っていく蒼天と、日に照らされる都市が反射するキラキラとした光を、涼しげな表情で眺める。
リラックスした体で、組んだ足の上に置いたデバイスを、画面も見ずに操作する。
「いー風だ。やっぱ一日の始まりは朝からっだなー……あ?」
朝飯をたんまりと平らげた満腹感を持て余すように弛緩していた表情。
それが、ぴくりと反応する。
緩んでいた丸い頬と、爪楊枝を咥えていた口元が、瞬時に引き締められる。
唯一、瞳だけは元よりギラつきを失っておらず、自然な動作で視線を空からデバイスへと移し変えていた。
「……ほおほお、やっとかい?」
デバイスの画面。
先ほどまで表示していた、経路を確認するためのマップが消えていた。
代わりに映し出されていたものは、見知った文字。
――着信アリ『"あちらがわ"』
「よっ、大将。久しぶりだな」
期待を寄せながらコチコチとデバイスを操作し、本来の雇い主からの指令に応答する。
デバイスに映し出される雇い主の姿。
それは劣悪な電波環境の中で歪んでいたが、本質的には問題なく表示されていた。
募る思いを込めて、言葉をかける。
「待たせてくれやがってよぉ?」
現在サーシェスが属しているチームは、決してサーシェスにとって悪いものではなかった。
寧ろ良い、少しばかり気に入っている。
仮の雇い主は付き合いやすい男だったし、あの哀れな少女は弄りがいがあって面白い。
居心地の良い空間だ。仮宿としては理想以上に良物だった。
しかし、サーシェスとしては、そろそろ動きが欲しい頃合である。
居心地は悪くないが、このままでは退屈してしまいかねない。
その前に、始まって欲しい。次の戦端を、開いて欲しい。
胸中で、再び燻りだした戦場への想い。
そんなサーシェスの心情を読んだかのように、クライアントからの要望が届いたのだ。
「こっちは律儀に働いてたってのによ、連絡もしねーで何やってたんだ? 腹でも壊してたのかい?」
軽口交じりの文句とは裏腹に、口元は良い意味で歪んでいる。
届く指令の内容を見るまでも無く、血の臭いが香ったからだ。
「――やあ。確かに、久しぶりだね」
「ちゃっちゃと用件を頼むぜ? なにやら通信状況もよろしくねえ」
「そうしようか。今回、君には二つほど伝えることがある。
一つは、称賛。もう一つは注文。これは同じ件に関することなんだけどね」
画面の向こうの人物から伝わる調子は、特に前回までと変化した様子は無かった。
変わったことと言えばその姿がよく見えないという一点だけだろう。
「面倒くさい言い回しだが、称賛ついでに注文をくれるってことか、はっ、ありがたいこった」
「ああ、称賛を受け取るついでに役割を果たしてくれってことさ。分るだろう?」
「了解だ。大将のそういうところは嫌いじゃねえよ。で、具体的には?」
「まずは、『例の件』について、よく働いてくれたね。あれで問題ないよ」
「まーな」と、サーシェスは苦い感情を隠さず含ませて返答した。
放送前に下された任――そして先ほどやり遂げた『その件』に関して。
実際、サーシェスはあまり良い印象を持っていない。
それは限りなく茶番に近い、くだらないやり取りだったからだ。
俺を使うなら戦場をよこせ。
そういう苛立ちが無かったといえば嘘になる。
「けどよ、大将。旦那……ルルーシュは普通に気づいてるぜ?
大将の意図に、だから試すこともしねえ。首輪は外さねぇ。
ていうかよ、あんなもんあからさま過ぎて怪しく思わねえほうがおかしい」
「だろうね。もちろん、彼は馬鹿じゃないし、それくらいの察しはついているだろう」
「だったら、何故に?」
「それが狙いだからさ。僕の意図はそこじゃない。
僕がやりたいことは伏線、保険、先手、っていうやつさ。君は何も危惧する必要は無いよ。
万事は予定通りなのだからね」
「それならいーけどよ。いや、しょーじき俺は別に何が起ころうと構いやしねぇし」
傭兵はカラカラと笑いながら言い切った。
仮の雇い主どころか、大本の雇い主に何が起ころうとも、それが楽しめるなら構わないと。
年端も行かぬ少女の破顔は、それだけを切り取れば無邪気で悪戯っぽい、微笑ましいものだ。
されどその細められた目、目蓋から覗く冷たい眼光は、まるで射すくめるように鋭く、喰らいつくように獰猛。
獣であり、狩人である。
それが肉体が変質してもなお変わらぬ、アリー・アル・サーシェスの本質だった。
「僕も君のそういうところは嫌いじゃない」
それに、クライアントもまた苦笑いを返しながら、朗らかに答えてみせる。
「そいつぁーありがとよ」
「で、だ。君には働きに見合った報酬を渡そうかとね」
働きによっては、武装面の支援もある。
サーシェスはそんな言葉を思い起こす、が。
「いらねーよ」
即決で、断った。
アレは傭兵の仕事ではない。そんなものに報酬はいらない。
プライドというものが、ある。自分で定めたルールがある。
例えそれが、戦争が好きで好きでたまらない、人間のプリミティブな衝動に準じて生きる最低最悪な人間であっても。
最低には最悪なりの、矜持というものが在るのだ。
だからそんなものよりも、今は戦争が欲しいのだ、と。
「そう言わずに」
だが、声は含み笑って続けた。
「もう少し聞いて、それから考えて欲しいね。
いやなに別にたったアレだけの仕事で、君を有利にしようなんて僕も思わないよ」
雇い主は、取引の内容を語り始める。
「これは、そうだな。ボーナスミッション、とでも思えばいい。
言ってみれば、余興さ。
僕としても、ちょっとしたサプライズイベントだったんだ。
ならば、単純に処理するよりも、いっそゲームに組み込んだほうが面白いだろう?」
サーシェスは暫し黙し、その意図を徐々に理解して、更に続きを促した。
「つまり遊びを思いついたってことか。
ま、いいさ、聞かせてみろよ」
■ ■ ■
『お前は最終的に、あの子をどうするつもりだ?』
少年の声で投げかけられた質問に、男は淡々と答えた。
「どうもしない」
『どうもしない……だって?』
その言葉が何を意味しているのか、少年は理解に数秒の時が必要らしい。
故に男は重ねて告げる。
『ああ、俺はあいつをどうするつもりもないさ。
俺はあいつに何もしてやらない』
それはつまり。
加害者の自白であると同時に、罪の放棄を意味していた。
相対する少年は当然、怒りをもって応える。
『……ふざけるなよ。お前は分っているんだろ? あの子がいまどんな状態か。
あいつは大切な人のために人を殺して、なのに大切なモノを失って……。
そんな子を利用しておきながらお前は……なんの責任も取らないつもりなのか?』
少年は断罪する。男の罪を責める、正しき声を上げる。
「だとすれば、お前こそ、何が分る?」
しかし男は、断罪の声を更に斬って捨てるように、冷めた声で返答した。
『なん……だと……?』
「あいつの、何を知ってる? 何を理解してやれる?」
『僕は……平沢を……』
「あいつを助けたいと、お前はそう言うのか?
だとすれば、お前に何が出来る? 考えてみろ」
男の声には、以前少年に振舞ったような、作り物めいた調子は既にない。
どこまでも重たい言葉、沈み込んだ声色はまるで鉛のようだった。
「無理だな。お前にはあいつを救えない」
『そんなことがお前に……!』
「分るさ。お前はあいつを何も知らない。理解してやれない。
だから何も出来ない。殺されてやるくらいが関の山だろうさ」
男の言葉は真実だ。
相対する少年にもそれは分るのだろう。
少年は何も知らない。知らすぎている。
関る期間が、足りていなかった故に。
『…………っ』
何も言えず、少年は悔しげな声を漏らす。
しかし男の口ぶりからは、理解が伺えた。
いま話題となっている一人の少女への理解だ。
相対する少年が知らないことを、分かっていないことを、男は知っている。
そのくせ、諦観していた。全てを諦めていた。
だからより悔しげな念が、少年の言葉から滲み出る。
『だったら、お前が……救ってやれば……!』
それは、血を吐くような思いで発せられた言葉に聞こえた。
己のプライドを自らへし折るような、苦行だったのだろう。
「それも無理だな。俺はあいつを助けない。救わないし、救えないんだよ。
まだ分らないのか? もうこの世のどこにも、あいつを救える奴は残っていない」
それでも、男の声は変わらなかった。
無情、冷酷、冷徹な言葉だった。一切の温情を撤廃したような。
容赦無き、言葉の羅列。
「手遅れなんだよ。お前は遅すぎる。
彼女はあまりに失いすぎて、そのくせ奪いすぎた。
そして、向き合うことに、何の覚悟も持っていない」
『……くそが』
男はそこまで、理解しているくせに、
知ったような口を聞けるくせに、何もする気が無いと言う。
それこそが、少年には許せない。
『なあ……お前は……本当にお前じゃ駄目なのか?
お前は知ってるんだろ? 理解してるんだろ? 平沢のことを。
それでもお前は本当に、何も思わないのか?』
「…………」
男はその質問に、答えず。
「何度も言わせるな。俺は、平沢憂を『どうもしない(犠牲にする)』んだよ。
……ただ、それだけだ」
それは決裂の言葉だった。
何より深い、断絶の瞬間だった。
相対する少年も、この男も、分かり合える日は来ないのだと確信する、一撃だった。
『そう……かよ……』
「そうだ」
『だけど僕は認めない、諦めない』
「そうか」
相対する少年の声は揺るがなかった。
男が諦めるならば、勝手にすればいい、と。
それでも己は、全てを諦めない。
男と戦う事すら辞さない覚悟だと、告げていた。
『――それでも、無理だろうさ』
固めた決意を、告げられて、
しかしもう一度、男の否定が下された。
当然、相対する少年も、引き下がるつもりは無い。
男とて、それは既によく分っているのだろう。
だからこれは、誰かに向けた言葉ではない。
最後に男は、誰にともなく、呟くように。
それは願いに似た、ただ消えていくだけの言葉だった。
『お前には、あいつを助けられない。なぜなら――』
通信は、そこで途絶えた。
■ ■ ■
「ルルーシュさん」
その声に、操縦桿を握っていたルルーシュは背後を振り返った。
イヤホンを耳から離し、操縦席のすぐ後に立っていた少女と向き合う。
そこには、パイロットスーツを着込んだ平沢憂が立っていた。
「どうした、憂?」
「ちょっと休憩することにしました」
「そうか、そうだな。根を詰め過ぎて本番で力を発揮できないようでは困る。いい判断だ」
彼女は先ほどまで紅蓮の操縦練習に明け暮れていた様子だった。
少しだけ疲れた面持ちである。
褒められたことが少し嬉しかったのか、
ふにゃりと笑顔を浮かべて操縦席の背後のソファに腰掛けた。
「ふぅ……熱いです」
パイロットスーツを少し緩め、憂は火照った顔を手で仰ぐ。
一際狭い紅蓮のコックピットの中にいたせいか、髪の毛の先まで汗びっしょりの様相であった。
既に根を詰めすぎている。ルルーシュにはそう感じられた。
「さっき、式と通信できたよ」
「そうですか、式さんと……」
憂は喜んだ様子であったが、ルルーシュの言葉から言外の意味も感じ取ったのだろう。
同時に少し、残念そうな面持ちでもあった。
「やはり、澪が気がかりか?」
「い、いえ……あの、それで、どうなりそう……ですか?」
指摘されて、慌てたように取り繕う憂を見ながら、
ルルーシュは立ったまま、操縦桿に背中をつけた。
「式は現在、とある集団に属しているらしい。
南下を継続すれば、いずれ遭遇するだろう。
その時までに向こうの集団への対策を練らなければな」
「はい。分りました。それじゃ私は何をすればいいですか?」
「…………」
「ルルーシュさん?」
「お前は……」
「はい?」
「お前は、何も聞かないんだな。出会う集団についてとか、なんで通信機が繋がったのか、とか」
「それはだって、そういうのは全部ルルーシュさんに任せてますから」
「……そうか」
「はい」
少女の表情に迷いの色は無い。
屈託の無い顔つきで、ルルーシュを見つめてくる。
対して、ルルーシュは憂の顔から視線を離して、天井を仰ぎ見た。
やがて長い間を開けて、ポツリと、まるで何かの間違いのように、感傷的な呟きが零れ、
「…………憂」
「なんですか?」
「……いや、なんでもないよ」
操縦桿から背中を離す。
再び少女に背を向ける。
それは会話の終わりを意味していた。
何一つ結果を出さない。中途半端な終わり方。
けれどルルーシュはそれを良しとして。
「準備しておけ、もうすぐ合流し――」
「聞かせてください」
無いと思っていた切り返しに、もう一度背後を振り返る。
「……憂?」
「いま、なんて言おうとしたのか。最後まで、聞かせてください。……駄目ですか?」
何の予感を得たと言うのか。
請うような目で、少女は見上げていた。
「……大した事じゃない」
「聞きたいんです」
縋るような目で、少女は言う。
「お前……」
けれど曇りなき目で、少女は聞いていた。
それは聞かなければならないことなのだと、信じているように。
透き通った視線。
「…………」
「本当に、大した事じゃないんだが……」
「…………それでも、いいから」
この目、おおよそ好むものではない。
麻痺していたはずの感覚で、久方ぶりにバツの悪さと言うものを感じながら。
ルルーシュはやはり憂から目を逸らして、やがて観念したように言った。
「…………なあ、憂。……お前は……」
「はい」
「どんな世界が好きだ? たとえば世界は、どんなふうに変わればいいと思う?」
質問の意図はあまりに抽象的で、
そのくせ意志はどこか筒抜けのようで、
だから言いたくなかったその言葉を、口にした。
「…………」
そして返される答えは、
「ん……ごめんなさい。
世界とか、私にはスケールが大きすぎて、すぐにはハッキリした答えを返せないみたいです……」
頬をかきながら、苦笑い交じりの、予想通りだった。
聞かなければよかったと、ルルーシュはもう何度目かも分らない自嘲を浮かべる。
こんな漠然としている質問を、ガランドウの少女に答えさせてどうする。
そんな仕打ちをすることに何の意味があったのか。
彼女とルルーシュは、そもそも生きてきた世界すら違うと言うのに。
「だろうな」
何を考えて、この質問を口にしようとしたのか、自分でも分らなかった。
頭の痛みで呆けていたのだろうか。
などと考えつつ今度こそ、ルルーシュは会話を終わらせようとして。
「でも……」
少女の言葉には、まだ続きがあったことを知らされた。
「世界なんて、変える必要あるんですか?」
「――――なに?」
「私は……思うんです。ずっと、幸せな今日が続けばいい。
私と、私の好きな誰かが傍にいて、互いに優しければそれだけで、十分なんじゃないかって……」
拙く放たれたその言葉に、
ほんの一瞬、言葉を、失った。
「せめて、大切な物を大切だって思えれば、毎日が辛くても、大変でもいい。
隣にいる誰かが、隣にいる誰かに少しでも優しくしてあげられるなら。
たとえ、どんな世界でも、きっと私はそれだけで幸せを感じられるから……」
壮絶な概視感に、眩暈がした。
「…………」
「なんて……あははっ……綺麗ごと、ですよね。しかも自分勝手。
ホントはそれだけで満足できるわけがなくて、
優しくなれない人もいて、優しくなれない時もあって。
それに誰もがずっと、大切な人と一緒に居られるわけじゃない……」
その言葉と、とてもよく似た世界を望んだ少女が、似たことを言った少女が、かつていた。
ルルーシュの一番近い場所に、一番に守りたい存在として。
そしてもっとも恐ろしい、一番最後の敵として、立ちはだかった少女の理想。
「でも、ルルーシュさんは優しいです。だから、私はいま……、……?」
咄嗟に隠さなければと思う、何かを。
しかし内心に衝撃を受けていたルルーシュよりも、
ルルーシュを見上げる憂のほうが、なぜか驚いた表情を浮かべたまま固まっていた。
「……どうした?」
掠れた声で、今度はルルーシュが取り繕う。
「あ、いえ、ルルーシュさんがそんな顔するの、始めてみたから」
ふ、と。
引き寄せられているかのように、憂がソファから立ち上がる。
そのまま数歩、ルルーシュの目の前まで歩み。
この先もずっと記憶しようと言うように、じっとルルーシュの表情を覗き込んだ。
「……」
「……」
沈黙の中。
手が、ゆっくりとルルーシュの頬へと伸ばされる。
まるで撫でるように、労わるように、その小さな指先が触れる、寸前だった。
「――それじゃあ、ルルーシュさんは……」
見上げる少女は、相変わらずの透き通った目で、質する。
ふと、なにかに気がついたように。
「ルルーシュさんは、どんな世界を、望みますか?」
かすめていく、小さな音で。
彼女の存在と同じくらい、消えそうな声で。
それがあまりにも、儚くきこえたから、だろうか。
「……俺は」
気がつけば、勝手に喉が震えて、言っていた。
彼女に告げるはずの無かった、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの、答えを。
「望む世界に、名前はない」
それは、彼が戦い抜いた果てに掴んだ、一つの解だった。
「なぜなら世界は……変わり続けるから」
幸せは固定できない。
苦しみは幾度も廻ってくる。
それを、それだけを、彼は長き戦いの中で、知っていた。
「過去にある幸せも、今の辛さも、全て大事だけど縋ることは出来ない。
俺には、留まることが、許せなかった」
昨日に帰ろうとした男がいた。
今日を留めようとする男がいた。
その二つを、かつて、彼は否定した。
「俺はただ明日が欲しかった。
時を止めたくはなかった。
そこに、その先に、続くものがあると信じたから――」
口を滑らせてしまった、その言葉。
もう撤回は出来ない。
なのに思ったより後悔は無く。
むしろ、理解できるだろうか、と少女を見やり。
「あし、た……」
ピンと来ない様子の彼女に、安堵を覚える。
それでいい、と。
漸くいつもの余裕が戻ってきたルルーシュは、軽い苦笑を浮かべて、肩をすくめた。
部屋を満たしていた硬い空気が、幻のように霧散していく。
「なんて、な。まあ、そんなところで雑談はお終いだ」
これで今度こそ、余計な言葉は仕舞いだ、と。
少女の肩を、片手でそっと掴んで、回れ右。
操縦室の出口の方向に、憂の身体を向けさせる。
「ちょ、ちょっと……ルルーシュさんっ……!?」
「ほらほらのんびりしている暇はない。一時間もしないうちに合流だぞ。さっさと着替えて来い」
「そんなっ、もぉ、中途半端ですよー!」
有無を言わせず、ずいずい押して、廊下にむかって歩かせる。
腕を気遣ってか憂は渋々と歩き出すものの、首だけ振り返り抗議しはじめて。
「ちゃんと説明してくださ――」
どこか緩んだ雰囲気が流れ始めていた。
その時だった。
『――――ザザザザザッ!!!!』
ルルーシュの背後、
操縦席においてあったイヤホンから、大量のノイズが鳴り渡ったのは。
「「――!?」」
ルルーシュは眉を寄せ、憂は驚いた声を上げ、両者同時に振り返ってイヤホンに注目する。
間をおかずに鳴り鳴り響く音。
罅割れたノイズの渦中から発せられた声は――
『一方――う―に遭遇した!!――西へむかうのは――う不可能――!!
――南のショッピングセンターから周りこんで行――から、そっちは南下――続けてく――!!
――頼む――一刻も早く――時間が無い――!!』
少年の、焦りに満ち満ちた声だった。
「ルルーシュさん、今のって……」
だが、それを察した憂の言葉が完遂する前に――
「おい、やべえぞッ旦那!!」
ドアを蹴破る勢いで操縦室に飛び込んできたサーシェスが、
二人の前方にある外の風景を写すモニターを指差して、叫ぶ。
「見てみろ!!」
ルルーシュも憂も、それを同時に見て、同時に理解した。
戦いは、既に始まっている。
遂に戦場が、動き出しているのだと。
「奴かッ!?」
『もう一つの集団』は敵対する何者かと戦闘に入り。
そして今、ルルーシュ達の目の前には――
「ああ、きやがったぜ!!」
進むホバーベース前方のビル街、並び立つ摩天楼の内一棟。
最も高い建造物の、その屋上に在る強大なるモノ。
日のもとであれば尚のこと、その深淵を見過ごせるはずが無い。
「織田……!!」
操縦桿を強く握り締めたルルーシュの発する、敵意の声を、
「信長ですか、あれが……?」
モニターを見上げたまま硬直した憂の、掠れた声が拾い、
「ああ、間違いねぇよ」
酷薄に笑んだサーシェスの、武者震いを含んだ声が肯定する。
「アイツがそうさ。あの化けモンが、な」
黒き渦である。
聳え立つ塔の頂点にて、空の群青を一画塗り潰して君臨する、膨大の黒点。
即ちそれは、覇者の軍勢に相当した。
一騎にして当千、当万、当億を超える規模の途方もない密度で凝縮されし魂魄。
其れはむき出しの闘志を収束し、煮詰めた地獄の業火そのもの。
故に誰もが知り、誰もが恐れ、誰もが敬いし男が一人、黒点の中央に立っている。
漆黒の武人。
曰く、魔王。
戦国武将、
織田信長。
それがいまルルーシュ達の目前に立ち塞がる、底無しの闇の名であった。
「――即時」
対して、ここにもう一人、魔王と呼ばれた男は臆す事無く。
ただ一つの指令のみを、己が手足へと叩きつける。
それは巨大にして矮小なる艦内へと、荘厳に響き渡る開戦の鐘。
「対応するぞ! 戦闘開始だッ!」
「おうさ!」
「は、はい!」
かくして号令と共に、三者は動き出す。
生きるため。
戦うため。
それぞれの役目を果たすため。
ここに、第二の戦端も、その幕を開いていた。
【魔王狂想編・開幕 / Black Side--Start】
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最終更新:2012年03月03日 02:15