See visionS / Fragments 3:『my fairytale』 -秋山澪-
その夢にずっと憧れてた。
その夢にずっと夢見ていた。
君にも手に入るものなんだよって、ずっとだれかに言って欲しかった。
小さな夢を、あの日君と決めた。
小さな夢を、その日胸に抱いた。
なんの意味もないけれど、それはきっとすごく楽しいと信じて走り続けた。
だからここは、その終着点。
どんなに信じられなくても、認められなくても、ここが今の私たちの果て。
夢幻(ユメ)の最期。理想(ユメ)の果て。幻想(ユメ)の終わり。
夢を見ずに人は生きていけるのか。
夢を失くした人は何を見ればいいのか。
新しい夢?それとも悪夢?
答えなんて幾らでもある。選び取るのは全部私たちの手だ。
今はただ、壊れた夢の欠片を握りしめるだけ。
ほほをつたう涙は血。
懐かしくて哀しい、夢の名残り―――
◆ ◆ ◆
See visionS / Fragments 3:『my fairytale』 -秋山澪-
◆ ◆ ◆
見える景色は、薄ぼんやりとした陽炎の街。
まるで、夢の中にいるようだった。
体に重りがのしかかってると思えるぐらい、疲労は全身に張り付いて離れない。横になって眠ることすら耐えられない。
みっともなく生きてる癖に体は死んだみたいだなんて、まるで糸の切れた人形、ものを考えない死体、映画に出てくるゾンビみたいだ。
怖くて一度も観た事はないから、殆ど想像だったけど。
腫れ上がった左手首が訴える痛み、滲む水分で疼く頬の傷。
それらは私がまだ生きているという、夢と現実の区別をつける確かな感覚だった。
茫とした頭でまず始めに浮かんだのは、
生きていてよかったのだろうか。
なんていう、そんな後ろ向きな思考だった。
このまま永遠に醒めない眠りに沈んでいくほうが、まだしも優しい救いだったんじゃないか。
そう思考する脳をよそにして、寝転ぶ私はひび割れた天井を見上げていた。
「……」
水分を含んだ空気、湿った臭いがする。雨音が聞こえる。いつの間にか、雨が降っていた。
空にかかる厚い雲に包まれた土地は、暗く淀んでいる。
ショッピングセンターという施設があった場所は、跡形もないと言っていいくらい崩れ果てていた。
建物は軒並み潰れ、陳列していた商品は瓦礫に呑まれたり砕けたりして綺麗になくなって。
これだけの破壊を生んだ原因は全て人のもたらしたものなのだと、事情を知らない人に言っても信じてはもらえないだろう。
私も、この目に見てなければ、信じられる事じゃない。
ヒトガタの局地的災害、細い体つきの白鬼、空を飛び回る起動兵器。
なにもかも私の想像外で、規格外の存在による死の暴風雨。
大波のような破壊現象の渦中にいながら、生き延びた命は確かにある。
そのうちのひとつに私が―――
秋山澪という脆弱な人間が加わってることは、我が事ながらも言い難い齟齬を感じていた。
だってそう。
こんな地獄で、正真正銘の超人や化物がいる殺し合いの中で。
白貌の狂人よりも。
不死の怪物よりも。
独眼の武将よりも。
戦いにおいて長じるものを何一つ持たない私が長く生き残ってるなんて、どうして考えられるだろう。
明確な目的があるでもなく、体の条件反射でのろのろと身を起こす。
寝ていた場所の上には屋根があり、そこに幾つか空いた大穴の下には水たまりが出来ていた。
穴の間から見える曇った空を仰ぎ、遠いなあ、なんて感想を抱いて―――隣に座っていた少女へと視線が移った。
肩あたりまででばっさりと切られた黒絹のような髪。
白い着物とそこから覗く細い首。
真正面から見ても性別が分かりにくい容姿だから、後ろからみればもう男か女か判別ができない。
自分と同じか、あるいはそれよりも華奢にみえる体躯でありながら、私とは絶対的に違う位置にあるその姿。
叩いたガラス板みたいに割れたショッピングセンターの地面で、私の手をとってここまで逃がしてくれた人。
もう何度も見ているのに、それでも新鮮な気持ちで背中を見つめる。
正直、白状するなら見とれていた。
短い人生感だけど、こんなにも綺麗な人を見たことなんて、きっと一度としてなかっただろうから。
「なんだ、動かないから寝てるかと思ってた」
背中への視線を感じ取ったのか少女―――
両儀式が振り返る。
透き通るような黒眼は無関心そうに私を見据えている。
和服に負けずに白い肌は、傷や埃で汚れていても、その優美さは衰えていなかった。
むしろ中性的な顔立ちについた傷は、凛々しさを一層際立たせる戦化粧みたいで。
女性と分かっていても一瞬、またしても性別を見誤りかける。
「何だよ、オレに変なモノでもついてるか?」
「……いや、別に」
何か、いま恥ずかしいことを考えていた気がしてきて顔をそむける。
式は式で、汚れが気になったと勘違いしたらしく裾の先で顔をこすっている。
その仕草は足を舐めて掃除する猫に似ていて、不思議と愛嬌があった。
戦う時は触れるものを躊躇なく切り捨てる日本刀みたいだったのに、今では別人のようだ。
部屋の電気のスイッチを切り替えるみたいに、別の人格でも潜んでいるんじゃないだろうか。
そんな私の疑念も露知らず、興味を失ったらしい式は半身を返して無防備に背中を見せている。
手元を見れば、抜き見のままになった刀にぐるぐると包帯を巻いている。紛失してしまった鞘のかわりにするつもりだろうか。
一度、彼女から視線を切り、私はまた周囲を見渡す。
後ろを見ると、先程まで横たわっていた場所には、私が枕代わりにしていたらしき物が転がっていた。
砂利の溜まった床の上、並べて置かれた二つのディパック。自分のと――そしてモモの、所持していた物。
『――私は、ここにいる』
耳を打つ、彼女の、最後の言葉。
全身に筋肉痛のような鈍い痛みを抱えながら、それをなんとなく手繰り寄せようとして。
「――あれ」
ふと目についたのは、地面に転がっていた小さな破片だった。
ただの石くれかと思えばそうでなく、切り口から見える配線から機械の部品だと判別がつく。
荒れ放題の土地ではそれくらい不思議でもないけれど、その形には僅かに見覚えがあった。
確かめようと自分の首元に指を持ってきて――つい最近まであったはずの感触がないことに気づき、体が固まる。
辺りに散らばっていたやや大きめのガラス片をおそるおそる拾って、自分の顔を映し出す。
やはりそこには、今まで巻き付かれていたはずのものが映っていなかった。
バトルロワイヤル参加の証、それと同時に戒めでもある枷。
全ての参加者に平等に嵌められている爆弾入りの首輪が、私の首からはさっぱりと消失していた。
「式、これって……」
「ああ、もう外しといた」
………………。
「―――――――――へ?」
思わず、間抜けた声を吐いてしまった。
ほら、と式が指先でつまんで見せたのは、私が持っているのと同じ部品――首輪のパーツだった残骸。
注視してみれば、髪から覗く式のうなじにも首輪はついていなかった。
「――――――」
首輪の解除。
私達に殺し合いを強制していた最も直接的な戒めを、壊した。
それがどれだけ大きな意味をもつのか。
けれど本人は無味乾燥に、あっさりと衝撃的な行動をやってのけたと、言い切った。
「……さっきからオレの顔見てばっかしだなおまえ。
もう一度違う奴で外してあるし二度目だってオレので試したんだ、文句とか言わせないぞ。
それとも、そういうの嵌めるのが趣味なのか、秋山は?」
「そ、そんな悪趣味じゃないっ。
……けど、その」
趣味であるという以外については、正直、少し返答に困った。
首輪の破壊は、一部のルールが壊れた事を意味している。
この殺し合いのルールに乗っ取り勝利することを目指している私と、そしてもう居ないモモにとって。
ルールの破綻は都合の良いこととは、もう言えなくなっていたからだ。
「さっきの放送で言ってたことだろ、もう首輪に意味はないって。
外されるのが前提の枷を用意する意味なんてまるで分からないけど、少なくともオレ達にとって以前と大差はない。
顔の下で爆発するか空から降ってくるかぐらいの違いだ。
だからどっちを選ぶにせよおまえにはもう必要ないんだよ、首輪(これ)は」
「っ―――」
だけど、これまたあっさりと認めたくない事実を言い切った式に、私は息を呑む。
途端、口が乾いて、声が出しづらくなる。
極度の緊張は、戦いがまだ続くということについて、なんかじゃない。
思い出したからだ。体を休めていた時に聞こえてきた、遥かな天上からの声。
主催者の宣言。首輪解除に伴うルール変更。
そうなることを見越していた、むしろ最初からからそうなる運びだったかのように準備されていた文言を。
何の滞りもなく殺し合いが続いていく。
それは問題ない。そもそもまだ続ける気でいた。
主催者の突然の出現と参戦。
これもまだ流せる。この展開になだれ込むのは私も予見していたからだ。
正確には、その情報を私にわざわざ教えた人物が、だけど。
とにかく現状に変わりはない。やることは変わらない。
歴然とした力の差が分かっているのは当たり前。相手が竜でも蛇でも同じこと。
戦うと決め、心に誓ったのなら、それ以外に傾けるものなどなかった。
なかったんだ。
その誓いが、どうしようもない欺瞞だと思い知らされる前までは。
「……私が、どっちを選ぼうとも構わないってことか?」
「そんなのはオレが決めることじゃないよ。おまえの勝手にすればいい。
他人の言う通りの事しかやらないなんて、それこそ動く死体か人形と変わらないだろ」
そっけない返答。
突き放す物言いに気遣いなんてない、だからこそいっそ清々しくすら感じる。
少し離れていたから忘れていたけど。
彼女は相手が人殺しかどうかで態度を変えるようなやつじゃなかった。
式自身が常識や倫理といったものから外れているから、私ひとりがどうしようがその行動方針に揺らぎなんてないのだろう。
そして式の言う事は正しい。
私は私のやりたいようにやるべきだ。誰かに責任を押し付ける訳にはいかない。
だけど、私の戦いは終わってしまった。私は、知ってしまったから。
反芻する。あのとき、憂ちゃんと対峙して、死を目前にして理解したこと。
私の戦いは誰のためでもない、私自身の為ですらない、自身を消したいが為の無価値な逃避そのものだった。
どれだけ決意を固めても、心の奥底で私を突き動かしていたのはそんなモノだったと。
そういう、どうしようもない事実に心が挫かれている。
もう自分の意思で式を、他の誰かを殺そうとする事なんて出来ないし、どう動けばいいのかも考えられない。
糸の切れた人形、ものを考えない死体、その通りだ。
誰かを取り戻したいって。誰かに会いたいって。
悪くても、間違いでも、願って信じていた筈なのに。始まりの土台から決定的に違っていたんだから。
「…………」
本当にそれだけなのだろうか、なんて。
誰に問いかけても返事はない。
本当に私は、『ただ死にたいだけだから』、それだけの理由でここまで戦ってきたんだろうか。
他にはなにも、欠片もなかったのか。否定したいけど、否定は私にしかできない。
そして今の私にはもう、分からない。それほどに、自分に自身が持てないんだ。
つまり白紙。
前に進む希望もない、諦める絶望すらない、そんな放心にも近い状態。
ポタポタと刻む時間。地面を叩く雨の音が耳をつつくのを、感じるだけの沈んだ静寂で。
「……なあ、式。私達との契約って、まだ続いてるよな?」
答えは予想できたけど、ふいに確かめたい気持ちに駆られて、尋ねてみる。
「だからさっき、助けただろ」
考える仕草もなく式は肯定する。
私の目的を知っていながら、私に手を貸す事に不満など持っているようではなかった。
殺したいから殺すのが殺人鬼の定義と式は言った。
理由なき殺人ではない、快楽すら超えた理由なき衝動こそが殺人鬼の条件だと。
式は、きっと、そうなのだろう。式が時折発するそれは普通ではない。明らかな異常性だ。
動物らしい本能的な敵意とは違う、それでいて人の感情からくるものとも違う隔絶した殺気。
その理屈から見れば、彼女は紛れもない殺人鬼といえた。
けれどその殺人鬼は、誰よりも私を守って、味方して、傍にいてくれている。
本人にその気がないの分かっている。ただの成り行きであることも知っている。
しかし助けられた事実に変わりはない。どんな理由を挟もうが、私が式に何度も救われてるのは覆りようがなかった。
駆け引きとか、友情とか、私たちとの間には余計なものは一切ない。
守りに来てくれたのは、単にそういう約束があったから。
刀で繋がる、歪な守護の契約。私の元に来たのはそういうこと。
反故にする理由も特になく、優先させる目的もなかったからというだけ。
そのぐらいの理由で私は助けられ、
それだけの理由で式は助けてくれた。
単純簡素だからこそ、偽りはなかった。
どちらかから切り出さない限りこの関係は終わらない、ずっと続く繋がりの証。
殺人鬼と人殺しのペアだなんて最悪の一言。
けど、嘘じゃなかった。約束は守られてきた。
ニセモノだらけで固められた今の私にその輝きはあまりに眩しい。
触れたくても届かない、太陽みたいな光に見えたんだ。
それは細くとも、確かな繋がり。
守ってもらえなくなるのが不安だから、聞いたんじゃない。
きっと私は、これが続いていることを確認したかっただけだ。
誰かとの、繋がり。
道を見失った私にとって、それが最後に、縋れるものなんだろう。
他人ごとのように、自分の弱さを噛み締めて、思う。
ああそれが、もう何もわからなくなった今の私の、唯一はっきりと分かる事実なんだ―――
「式」
地面を叩く雨音にかき消されてしまいそうな小さな声だったけど、式には聞こえたようだ。
「行きたいとこがある。だから、ついてきてくれないか」
若干うわずいた声になってしまったが、なんとか言えた。
正しく言えば行きたくない場所があるからそこは避けたい、なのだが……そこまで言うのは流石に気後れして濁した。
裏を含んだ言葉に、不思議がることもなく式はふうんと、特に嫌がりもせずに了承してくれた。
「別にいいよ。けど、この雨じゃ色々面倒だな。前みたいに乗れるヤツ、もうないのか?」
「……少し歩いたビルの中に、もう一機あるよ。たぶん、まだ動かせると思う」
ショッピングセンターが完全に崩壊してるなら、その中に停めていたヴィンセントはもう回収不可能だ。
けど私とモモとで所有していた機動兵器は一機ではない。
遠隔操作できるスイッチをモモに預けた機体。
ショッピングセンターを狙い撃ちできる位置のビルの屋上に設置したナイトメアフレーム、ガレスがある。
手が及んでないのなら、あのままになってるはずだ。
少し濡れるけど、ビルづたいに歩いていけば被害は最小限に抑えられるだろうと、濡れた路地を歩き出す。
見渡す限りに雲がかかっている空は、まだ雨が続いていくことを示している。
……叶うなら。
この雨が晴れるまでには私の内側に救う靄も消えてはくれないかと、有り得ない望みを抱きながら。
私たちは目的地へと歩き始めた。
■ ■ ■ ■ ■
――いま地獄に足を踏み入れたのだと、誰が言うより先に直感で理解できた。
これまでも幾つかの戦地には回ってきた。
人の死に様を嫌が応にも何度も見せつけられ、自ら手を血に染めたのもあった。
結果目にした破滅も数知れず、人の消えた壊れた街にも慣れてしまう程神経は麻痺していた。
それでもなお鼻白む程、目の前の光景は群を抜いて悲惨なものだった。
支柱が崩れドミノ倒しになったビルの山。
溶けて気化したコンクリートやアスファルトの刺激臭。
両断され、焼け朽ち、落城した陸上艦。
朽ち果てた人形兵器の残骸。
一帯に広がっていたらしい火の手は降り注ぐ雨でほぼ鎮火して、立ちこめる煙は外界を切り分ける境界みたいに広がっている。
素人の私でも感じ取れるほど、残留する悪意。匂いを嗅ぐだけで吐き気が込み上げる。
状況を把握するのは十分だ。ここで、想像を絶する戦いが繰り広げられていたと。
ルルーシュ率いる一団と、戦国武将
織田信長が激突した戦場。
生きている人の影は見えない。死体も見当たらない。
敵を倒してから場所を変え身を休めているのか、それとも相打ちで炎に果てたのか。
誰が死に、誰が生き残ったのかも判別がつかない。
亡骸を探すことさえ諦めさせるほど、ここは災害で埋めつくされている。
絶望に染まった戦場を見て、けれど驚きこそすれど狼狽えはしない。
誰あろう自身が、この破滅の焦土を生み出すようけしかけた一人なのだから。
織田信長。あの恐ろしい魔王相手に、命を天秤にかけて成立させた会話。
敵の情報を伝え、剥かせる牙の行方を定ませる事で動きを誘導する。命がある場所に向かわせれば、あの男は必ず火を吐くと確信して。
後に起こる戦端は、どんな形であれ自分達の利に働くに違いなく。そしてこの残骸を見れば結果は言うまでもない。
モモとで組んだ戦略は、ここに大成功に終わったということだ。
今更、後悔とかそういうのはない。
おそらくあの時点では、この上ない選択だったから。
優勝のためには、主催に抗する集団の中で最高に近い戦力、情報を有するルルーシュ達の一団の排除は欠かせない。
そのために信長にルルーシュの居場所と情報を与え、残り十人規模の参加者を一網打尽にするべく大規模な乱戦をお膳立てした。
憂ちゃんの行動を阻みきれず完璧とはいえなかったものの、これ以上の展開は望むべくもなかった。
全滅とはいかずとも、どの陣営も相応の被害を与えたはずだ。
織田信長の死、そしてルルーシュの死。
放送で名前を読み上げられ知った戦いの結末。
予測のうちで一番望ましいはずだったのに、私になにももたらさなかった。
喜びはない。
誇りはなく、達成感もない。
胸に満ちる充足感のようなものは微塵も感じられない。
そんな「戦う者」が備える殊勝な心がけを私は持ち合わせていない。
無様に、臆病に、進んだ先にある場所に辿り着いてこそ、過去に納得することが出来ていた。
今となっては、どれも救えない妄想だったのだけれど。
広がる景観は映画でも見てるみたいで現実感に欠けている。悪夢であれば、どれだけ幸いだろう。
気付けば自分の部屋にあるベッドの中にいて、いつも通りに着替えて朝ごはんを食べ、教科書とベースを持って学校に向かえるとしたら。
それはほんとうに、夢のような現実(せかい)なのに。
悪夢よりずっと酷い現実で見えたものは、黒焦げになったシュークリームみたいな歪な塊。
そこはこの場で最も甚大な破壊がもたらさられていた地点だった。
マンション一棟ほどの大きさの黒い塊が、真ん中から両断されてバックリと開きになっている。
私も式も、一時の間をその中で過ごしていた、ホバーベースと呼ばれていた陸上艦の末路の姿だった。
保存していた遺体を残したまま、炎に呑まれて灰の城に埋もれている。
これだけの猛火の中では、それ以前にここまで破壊されていては無事など期待出来ない。掘り出すのだって難しいだろう。
それ以前に周辺の被害が甚大すぎて、暫くは近づくことすら難しい。
「って、式、そっちは危ない――」
濃厚な呪いが充満している死地に、何の躊躇もなく足を踏み入れている式を見て意識を変えさせられた。
雨で鎮火してるとはいえまだ各所には火種が燻り煙が上がっているのだが、それでも迷いなく奥へ進む。
「少し見てくるだけだ。嫌ならそこで待ってればいい」
我関せずとばかりに先を行く式。
すぐに追おうとしたけれど、覆う巨人の掌のような煙が目の前に立ち込めて足を止めてしまう。
白色の霧に包まれ見えなくなる先の道。
ようやく風で煙が晴れた先の景色には、神隠しにあったように式の姿が消えてしまっていた。
「―――ぁ」
辺りを見回しても、誰もいない。
ぽつりと、私は一人。取り残されて再び、孤独に後戻りする。
雨は冷たく、全身を濡らす粒は鋭い棘のように痛かった。
はりつく服は気持ち悪く、染み込んでいく水は体温を奪い代わりに重りを乗せていく。
「……っ」
急激な脱力感。
ついには支えきれなくなって膝から折れる。咄嗟に踏みとどまろうとしたが間に合わずに地面にへたれこんだ。
泥で汚れる両足。濡れた寒さもあるけど、なんだか上手く力が入らない。
「――、――は――」
突発的に襲ってくる絶望に、なんだか嗤いたくなる。
自嘲が止まらなかった。どうして私はこんなにも弱い人間なのか。
ほらみろ。
一人になってしまえばすぐこれだ。
私以外誰も居なくなって、強がる理由すら無くしてしまえば簡単に、こうして弱い自分が顔を出す。
「けっきょく私は、何がしたかったんだろう」
もう立ち止まらないと決めた私はどこにったのか。
それとも最初から、そんな強い私は居なかったのか。
体は死ななくても、心は既に挫かれていた。
奮い立たせていた支柱は折れて曲がり、前を一歩進む勇気も持てず立て直せないでいた。
「私は何のために、何をすればよかったんだろう」
疑問はぐるぐると回り続けて答えにならない。
誰と戦うのか。何と戦うのか。戦うのか否か。
今まで決めた全ての答えがいっぺんに失われて。どんな選択を取っても信じられない。
目的のためにがむしゃらに走り続けていたら、いつの間にか目的を見失い迷子になってしまうように。
「私は何を、決めたんだろう」
そこまで考えて、はたと気づく。私の選択とは、いったいどこからだろう。
モモと組んでふたりで作戦を練っていた頃か。
ルルーシュの率いる集団の一員として活動していた頃か。
軽音部のみんなを取り戻そうと願った頃か。
それよりもずっと前――殺し合いに乗るか、逆らうか。優勝を目指すか、主催を倒し脱出するか。
そんな一番はじめに決めるべき岐路にまでか。
けど今更振り返っても、最初の私が殺し合いに乗るなど逆立ちしたって有り得ない。
外的な要因でそう陥れられたとしても、やっぱりただの人に過ぎない私には長く生きるのはおろか、一人殺せるかも怪しい。
あの頃の私はただ震えて、恐れて、逃げてを何度も繰り返していただけで――
「なんだ。ちっとも、変わっていないじゃないか」
これはつまり、変えられない性質とでもいうのだろうか。一生私は弱いままなのだと。
何度も死にかけても気づかず、むしろ必死に覆い隠していた起源(こころ)。
本当にギリギリの命の危機、紅蓮の機体に熱波を浴びせられる直前になって、やっと自覚できた内面。
答えは簡単で、だからこそ必死に言い繕っていた。
逃げたかったのは、辛いから。
死にたかったのは、苦しいから。
なんだ簡単じゃないか。
戦うこと。誰かを殺すこと。それらを抱いて生きること。本当の気持ちに向き合うこと。
それができないから、弱いんだ。
死者に死ぬ理由を作り、引き金すらも他人に引かせようとした。
そんな弱虫に、何が出来るっていうんだ。
「ばかみたい……だ……」
そうしてここまで、私は生き残ってしまった。
奇しくも、ゼロの地点に立っている。
全部の選択が無為になったことで、すべてが巻き戻され、最初からやり直せるという、リセットされた状況。
私の選択は、振り出しに戻った。
過去は消えていないし、今もなかったことにはならない。
殺し合いは依然として続き、体の痛みは引かず、死んだ人は相変わらず死んだままだ。
その中で生きている私。弱いと嘆いて、求めても手に入らなくて、死にたいとすら願っていたのに、ここにまだ命はある。
ずっと、間違った道を歩いてきた。
人殺し。殺し合いの肯定。なんて。
愚かで、暗くて、辛くて、闇の中を歩き続けるような黒い道を。
私はこの場所で、そんな道をずっと選んで歩いていた。
だけど今の私は、選びなおす事ができるらしい。
意思の挫かれた今になって、皮肉にも。
ルールの変更。残る参加者。主催者の参戦。
私の心と同じように、状況すら白紙に戻された。
リセットされた世界。
そこでもう一度、道を選ぶ機会が与えられた。そこに何か、意味はあるのだろうか。
このまま式と一緒に居続ければ、どういう流れになるか。
分からないわけじゃない。
きっと私は、これから主催者と戦う者達に会うことになる。
グラハムさんや
枢木スザク、他の生き残っている、正しい道を歩んだ人達。
そして彼らはきっと私を拒絶したりしないだろう。
甘い見通しかもしれないけど。私が拒絶しなければ、もう一度、私は歩けるかもしれない。
一度は否定した、光の指すような、正しい道を。
衛宮士郎や
白井黒子が、歩んでいた道を。
私も、今からなら、選び直せるかもしれない。
三十時間前の私には出来なかった決意。
力も心も散り散りになっている私の前で、開けた岐路。
選択肢は無い。
何故なら私には残された力がない。
未だ残る参加者の中から生き残る手段も、ましてや主催者を打ち破る力も。
無理を承知で突き進む意志力すらもう、ない。
だから目の前の選択肢は一択のみで。
それはきっと、状況に流されるだけという、いつもの私を体現するようなものだった。
このまま式と一緒にグラハムさん達に再会して。
今までのことを謝罪して、相応の罰を受けて、許されるならもう一度。
どこまでも正しかった衛宮士郎と白井黒子、二人のいたような、あの場所に戻る。
その先で生きるか死ぬか、結末なんて分からない。
ああだけど、それはどれほど簡単で、都合がよくて、恥知らずで。そして救われる道だろうか。
「私は――――」
なのにどうして、躊躇する自分がいるのだろうか。
不満など無いはずなのに。そもそも選択肢すら無いはずなのに。
これでいいのか。それで本当にいいのか。
なんて、考えてしまうのだろうか。
「私は……、――!?」
揺れる葛藤を待ち構えていたように、何かが崩れる音がした。
驚いて、振り返る。
人影はない。生き物の気配も感じられない。ただ崩れかけていた瓦礫が落ちただけらしい。
自分の臆病さにいい加減嫌気が差して――そこに、無視できない光沢を発見した。
何故だか目が離せなくて、ゆっくりと近づく。崩れた場所には火が移っていないので間近まで屈んで観察する。
瓦礫から覗く物体はひとつの輪だった。
大の男の首周りを嵌め込むような円形。材質の予測できない金属。
それは紛れもない、参加者全員に課せられた首輪だった。
首輪の内側は赤錆た汚れが付着しており、鼻を押さえる異臭を放っている。
それが人の血と肉の焦げた痕跡だというのにさほど苦もなく気づき背筋が凍った。
偶々紛失したものとは考えにくい。首輪は構造を解析する大事な試料であり、またペリカと引き換えにできる資金源だ。
それを道に放り投げる真似をする者が今もいるとは思えない。
ならより自然に考えつくのは……この場で死した誰かの首に嵌められていたものだというのが、最も理に適っている。
辺りを見回す。傍には死体の欠片も見つからない。
ひょっとしたら地面を汚す染みがそれかもしれないがそのくらいだ。
爆発なり破裂なりした肉体から吹き飛びここに突き刺さっていたのだろう。
中にある爆弾に火が点かなかったのは首輪の頑丈さの賜物か。
躊躇しながらもつまみ上げ、こびりついた汚れをタオルで拭き取って、記されてる名前を見た。
ODA NOBUNAGA―――
首輪の内側には、確かにその文面が刻まれていた。
"受け取れい。生き残った貴様に最期の手向けよ"
おぞましい幻聴が、鼓膜を突き破って思考に入り込んだ気がした。
叫びは何度も頭の中を跳ね回り激しく揺らしていく。
怖気は走るけど、どういうわけか心の底から震え上がりはしない。
声はまるで呪文のように鍵を開け、奥底に眠ったままだった記憶を掘り起こす。
『君がもし、次の戦いを生き抜く事が出来たなら―――』
無くしたパズルのピースが忘れていた頃にふと机の下から見つかったときに似た感覚。
早鐘を打つ心臓が血液を手足の先まで送り込む。
所持していた金額に、かの戦国武将の死がもたらす額を継ぎ足す。
高揚する体は脳の動きを早めさせ計算を促し――
「――ぁ」
――足りる。
足りて、しまった。
選択肢が、ここに示された。
もう一つ。
愚かで、辛くて、奈落に落ちるような真っ黒い道が、再び、私の目の前にあった。
■ ■ ■ ■ ■
「――――――」
上から覆いかぶさっていた重さなど、嘘のように立ち上がり歩き続けていた。
佇むのは機械の兵。乗り込めば意のままに動き、大砲を飛ばす人形。
そして、徒歩とは比べ物にならない移動の手段。碌に一エリアを踏破できそうもない状態ではある意味で最も必要な道具。
まだ、何もわからない。
正しい道を進むのが正しいのか。そうじゃないのか。
わからない。だけど、知りたいと思う。
せめて私自身が、何を望んでいるのかくらいは。
誰の姿のないホバーベース跡。ぐるりと見回したのは後ろ髪が引かれる思いがするからか。
式とは一方的に別れる形になるけど、言葉を交わす余裕は保てそうにない。
これ以上、一緒にいれば、きっと目的が揺れてる私は流れてしまう。
隣に誰かがいるという事はそれだけで安心をもたらし、寄りかかってしまう。
だから私はひとりで動かなければならない。誰の手も借りず、孤独を抱えたままでも。
ここから向かう場所。そこに着いた時が、最後の選択だろう。
そこで私の未来が決まる。秋山澪の戦いが始まる。だから私一人で行かなくちゃいけない。
空虚を埋め直して、自分の足で進むだけの力を取り戻す。
どんな終わりを迎えたら、納得できるかを知るために。
―――ふと、遠くに人影が見えた。
式が戻ってきたかと思ったけど、違った。遠目にぼんやりと映る輪郭は女の子とは程遠い青年のものだった。
茶色の短髪の青年は怪我でもしているのかゆっくりとした足取り南へと向けて歩いている。
面識のない初めての相対だったが、私はその人を知っていた。
「おくりびと」で見た顔とは寸分違わずぴったりで、同時にその名前も明らかとなる。
青年――枢木スザクも遅れてこちらに気付き、足が止まる。
しばし、視線が重なる。
お互いとの距離はつかず離れず、声をかけて聞こえるかどうかぐらい。
ルルーシュ・ランペルージの探していた仲間。そのスタンスを予測するには想像に難くなかった。
私は彼に告げる言葉なんて持ちあわせておらず、それは彼も同じのようで。
何も語らぬまま、やがて向こうの方から視線を切って歩いて行った。
気紛れのような一瞬の交差は、だけど私の中に何故か重いものを残していた。
ガレスの中へ入り、エンジンをかける。
コクピットに戻りシートに座った後でも、言い知れない気持ちが残っていた。
枢木スザク。
私は彼の人生を知らない。だから彼のことは、何もわからないけれど。
でもこれだけは私と違うって、分かる部分が一つだけ、あった。
それは眼。瞳の色の質。
戦う者と、そうでない者の、経験の差と言い換えてもいい。
ルルーシュに感じた物と、同種の隔たり。
それはきっと、彼にだけ感じた差異じゃない。
私がこの場所で、出会う誰もに、ずっと感じてきたことだった。
性質の善悪に関わらず。
明智光秀、衛宮士郎、両儀式、白井黒子、
グラハム・エーカー、一方通行、そして
東横桃子にさえ。
どうしようもないほど違いを感じてきた。
一体どんな人生を歩めば、どれほどの物を背負えば、あんな眼が出来るのだろう、と。
そして、枢木スザクの眼に、彼らの眼に、私はどう映っていたたのだろう。
私がいま必死に背負うものは、彼らのそれに比べたら、いったいどれほどの価値があるのか。
絶対的な、意識の違い。
この場所に来る以前からずっと、何かと大事なものをかけて戦ってきた者だけが備える瞳――こころ。
ルルーシュも、式も、他の者達も、此処に集められた者達の大半が、初めから備えていたモノ。
私だけが、いや、私たち軽音楽部のいた世界だけが、それを持っていなかった。
足早にガレスを走らせ始める。
行くかどうかは悩んでいたけれど。
行き先は、実はずっと前から知っていた。
ショッピングセンターにあった治療サービスを受けた時まで、遡る記憶。
私の目の前に立つ、黒衣の男。
面白い見世物でも眺めてるような視線、それを隠そうともしない慇懃な笑み。
正直言えば二度と思い出したくもない嫌な顔だったけど、あの言葉にはきっと重要な意味があるはずだ。
罠にかける理由も意味もないし、これから示されるそれがどれだけ残酷だとしても。
少なくとも、嘘や偽りなんかじゃないはずだから。
『喜べ秋山澪。君の願いは―――』
刻限は6時間。
多くはない猶予ですべき事。
灰と煙とで煤けた街を、ただ一直線に、進んでいく。
【Fragments 3:『my fairytale』 -End-】
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最終更新:2013年08月23日 23:30