See visionS / Fragments 6 :『あめふり』 -One more-◆ANI3oprwOY





◆ ◆ ◆





/あめふり   - One more -





◆ ◆ ◆





  - 平沢憂 -




ぱたぱたと。
シャワーヘッドから流れ落ちる水が私の髪を濡らしていく。

冷たい。
水道自体は大丈夫でも、ガスの方はダメになってるみたいだった。
お湯の出ないお風呂では、体は温まらない。
だけど頭を冷やすことは出来そうだった。

もう、十分に冷えていたけれど。
それでも、もう少し、冷やしてみたくもあったから。

「…………っ」

纏まらない。
頭の中は、やっぱり、纏まらないから。


「……っ……くっ……ぅ……ぁ」


辛い。
苦しい。
重い。重い。重い。体が重くて重くて堪らない。
胸の中は今も、鉛が敷き詰められたような圧迫感が居座っている。

全身を襲う重量と吐き気に悲鳴を上げそうになる。
お風呂場の壁のタイルに手を付いて体重を支えても、少しも楽にはならない。
このままタイルの中に埋まってしまいなんて思えるほど、ただただ全身が重く感じた。
それは幻想じゃなく現実の感覚で、かつ精神的な重さ。

あの時、胸いっぱいに、ぎゅうぎゅうに入ってきたモノが、私を責め立てる。
ずっと目を逸らしていたものが、見たくなかったものが、常に視界を埋め尽くして、体の内側で膨れ上がって。
積み立てられた負債を取り立てるように、私を押し潰していく。
ずしりと、内側に溢れる重みが、全身を壊していく。
嫌だといっても、許してと叫んでも、それは聞いてくれない。
絶対に、許してくれない。容赦なんて、しない。

なぜならそれは、誰でもない、私自身だから。
これまでずっと蔑ろにしてきた、私自身の感情。
私が抱えずに神様に押し付けていた、私自身の重みだから。

もう誰も、肩代わりなんてしてくれない。
重い。思い。想い。私の重石。
きっとこれを感じたら、生きていけないと思ったから。
死んでしまうと思ったから、怖くて怖くて、何にでも縋りたかったから。
だから捨てた私の思いはこの胸に、帰還した。
そうして回帰した重圧は思った通り、死んでしまいたくなるほど、重くて。
生きていけないほど、辛くて。

なのにまだ、私は生きている。
平沢憂は生きている。
私の好きな人達が、もう誰もいなくなってしまった、この場所で。


「……ぁ……ぅぅ……っ」


縋るものなんて、残されてない。
そんな逃げ道は断たれてしまった。

『あの人』は消えてしまった。もういない。
『あの人』の代わりにしようとした『彼』も、消えてしまった。もう、いない。
大切な全ては、私の好きだった全ては、ぜんぶぜんぶ消えてしまって。もう私しか、いない。
そんな世界の中で。
失った人たちの重さと、犯した罪の重さと、帰還した思いだけが、胸の内側を圧迫する。


「……………重い……よ」


ずるずると、寄りかかった壁を伝って、体が沈む。
降り注ぐ冷たい水を浴びながら。
どこまでも、どこまでも、沈んでいきたかった。

重い、重い、耐えられないほど全身が重い。
これが罰。
これが思いの重さ。
今は一人では抱えられない程の、それでも私しか持つことの出来ない、重み。
痛みにすら変換できないそれは逃げ場のない、地獄に感じた。

「……ぉ……ねぇ……――っ」

助けを求めるように、あの人を呼ぼうとして。
その瞬間、突き刺さすような胸の痛みに蹲る。
涙で視界が滲んで、だから、あの人の代わりになってくれた彼の名を呼ぼうとして。

「ル……」

それも許せず、全身を襲う寒気に震え上がる。
どちらも、もう居ないのだという事実が私の全身を締め付けて。
体中の骨が砕けてしまうような圧迫感に、ただ胸元を押さえることしか出来なかった。

「いやだ……いやだ……よ……」

拒絶なんて無駄なこと。
言葉は何処にも届かない。
私の、平沢憂の思いは、重いは、他の誰も持ってはくれない。

『自分で背負っていくしかない』

それは、ここまで私を引っ張ってきた人の、言葉。

『お前を救うことは出来ない』

私を救うと言った『彼』とは、別の言葉を告げた人。

『自分で勝手に助かるしかないんだ』

きっと、正しい言葉。
分かっていた。もう、逃げ場はない、縋る人も居ない。
そんな私に、真実を突きつけた。
厳しく、残酷に、別の答えをくれた人。

「阿良々木……さん」

ああ、良かった。
今の私の体も、彼の名を呼ぶことは、許してくれたみたいだから。

分かっている。
阿良々木さんは私を、救ってくれない。
助けてなんて、くれない。彼自身が言っていたことだ。
それでも、阿良々木さんは、言ってくれた。
私の、手を――


「………っ!」


なにかに甘えそうになる自分を、自分自身が勝手に自傷する。
絶対に許しはしないと、糾弾する。
重い、重い、重い。
軋みを上げる全身を僅かに持ち上げ、震える手を伸ばして、シャワーを止めた。

そろそろ上がらなきゃいけない。
でなきゃ、あの人がいつまでたっても入れない。
いまも思考は纏まらなくて、ああだけど、冷たい壁に頭をつけていたら。
少しは体の重さが弱まったような、錯覚を感じられた。


浴場の扉を押し開けて、よろよろと脱衣所に出る。
緩慢な動きで掛けられていたタオルを掴みとり、頭の上に持っていく行為が酷く億劫に思えた。
馴染まない体重での着替えは難しいけど、一人でやらなきゃいけないこと。
一人じゃ何も出来ないような、今の私でも。

だけど今まで何もかも簡単に出来ていたのかと考えると、疑わしくて。
緩慢に、体を拭きながら、思う。
そう、私は今まできっと、一人じゃ何も出来なかったのかもしれない。
こんなに無力になった今なら、そう思う。

いつかの日々。
一人じゃ何も出来ないように見えた、あの人。
一人で何でも出来るようになった、私。
だけど、本当は逆だったのかもしれない。

私はあの人が居たからこそ、あの人の為に、なんだって出来るようになろうと思ったから。
何だってしてあげたいと、思ったから。
だから私は、本当にその気になれば何だって出来るあの人の代わりに、頑張ることが出来たから。

「――――」

不意に差し込まれた回想が胸を突き刺して。
耐えられなくて、また蹲ってしまう前に思考を停め、洗濯機の上のディパックを開いた。
替えの下着はある、ホバーベースにいた時から念のためにと、持ち歩いていた。
用意周到な自分の習性を今更のように自覚して、どうしてか苦笑がこぼれる。
それもまた、あの人との生活の中で構成された私だから、だろうか。

下着を着け終われば、次はその上に着る服、だけど。
何を着たいという思考も、今の私は持っていなかった。
だけどこの鞄は便利な物だった。
四次元ポケットのようになっていて、入っているならば、私が望んだものを出してくれる。

つまり、いま私が着たいと無意識に思っている服を、手に取ることができる。
さんざん心を誤魔化すのを止めさせられて今更、服装に拘りなんて無いはずだけれど。
私の無意識が選んだ服は――

「そっか」

……少し、驚いた。
拍子抜けるようで、意外なようで、その実は意外でも何でもない当然のようなそれを。
私は少しだけ、驚いて見ていた。

白いシャツ。黒いスカート。黒い上着。そして、胸元に付ける赤いリボン。
とても、とても良く見慣れたそれが、なぜだか酷く懐かしく思えて。


「そっか、私はまだ、これを着たいと思ってるんだ」


そんなことを、無意識に口に出していた。


服を着て、居間に戻ると、先程までより部屋が暖かく感じた。
開きっぱなしだった玄関が家電の山で塞がれている。
これが吹き込む風を防いでいるのだろう。

「……ぁ」

部屋の温度が上がったのは、他にも理由があった。
お風呂に入っている間に、ひとり、人が増えていた。
居間の中央に置かれた机に荷物を広げ、なにか黙々と作業を行なっている男の人。
一緒に戦った時と服装は変わっているけれど、知っている。茶色の髪に、鋭い眼光。
枢木スザクと呼ばれていた男の人。
『彼』が命をかけて、守り通した人だ。

両儀さんは、ベッドの上から動いていない。
ただ、ここにやってきた私を寝返りついでに蒼い眼でチラリと見た。
少し前までの私は、あの目が逃げ出したくなるくらい怖かった。
心の底を見通されているような気がしたから。
もし今、彼女が正面から私を見たら、私は……。


「戻ったのか。ひらさ――」


そのとき、狭い部屋のなか、家電の山から何かを掘り返していた阿良々木さんが、振り返った。
でも、かけられた声は途中で止まってしまう。
どうしたのだろう、と。少し不安な気持ちになるけれど。
でも、すぐにわかった。
阿良々木さんの目線は、私の全身を、正確には身にまとった服装を、凝視していたから。


「こほん。なんだ、それ、また着たのか」


咳払いの後。
続けられた声に、こくりと頷き返す。


白いシャツ。黒いスカート。黒い上着。そして、胸元に付ける赤いリボン。
桜が丘女子高校の制服。
もう一度、私は、母校の制服に袖を通してみた。
髪も後ろで纏めて、ここに来た時の私の姿に戻って。
もちろん、だからって全てが元通りになるわけもない。
何も変わりはしない。
胸の重みは軽くなるどころか、より強くなってきている。
これを選んだことに、ちょっぴり後悔すら、感じたけれど。

『これが私の戦いだから』

そう告げた人はずっとこの重みを背負って、私の前に立っていたんだ。
私が抱えきれずに逃げ出した重さを、澪さんはずっと、胸に抱き続けていたんだ。
失われた何もかもを、痛くても苦しくても、投げ出さずに、ずっとずっと。
それはどれほど辛くて、切ない道のりだったんだろう。
少なくとも、私にはできなかった。

……凄いなぁ。
澪さんはやっぱり、凄い人だったんだ。
そう、いまさらのように、心から思う。


「じゃあ、僕も風呂に入ってくるよ」

浴場に歩いて行く阿良々木さんと入れ替わり。
私は居間の端っこ。窓際に腰を下ろす。
窓からはベランダと、その向こうにあるボロボロになった町並みと、まだ降りしきる雨が見えた。

両儀さんも、枢木さんも、何も言わない。
私も、何も言わないし、言えなかった。

壁に背を付け、冷たいフローリングの床に座る。
すると体の重さがどっと押し寄せてきた。
日常の中で、よくこの体重を支えて生きてこれたものだと、不思議な気分になる。

だけど昔にも、体が重くなるような日はあったかもしれない。
懐かしく、明るく、今は切ない陽だまりの中にも。
雨の日くらい当然あった。心を重くするような雨の日だって、あったはず。
じとじとと降る。梅雨の日。そんな時は、どうしていたっけ。

思い出す。
聞こえ続ける雨音に。
自然と、思い返していた。

今も耳に残る、少し乾いたギターの音。

座り込んだまま、降りしきる雨を見つめ。
どこかでコトコトとバケツに落ちる、雨漏りの音を聞きながら。
過去を振り返る度に軋みを上げる、胸の重みを感じながら。



私は、ぼんやりと、いつかの雨の日を思い出していた。





















◆ ◆ ◆







聞こえる音は、雨の雫が奏でる鈍いものだけ。
それ以外の響きはない。
声はない。誰も、語ることは無かった。

沈黙した部屋の中には四人分の息遣いがある。
集うのはここまで生き残った四人だ。
身体的生存、のみではない。
心まで、神に抗い続けるという意思まで生き残った四人だった。

それでも彼らの間に会話はなかった。
何一つ、分け合わない。
ここに生き残った者同士、なのに言葉はない。
心を一つにしようとも、互いに鼓舞しようとも、誰もしない。

狭いリビングの中、四人はただ体を休めている。
両儀式はベッドの上で転がったまま、瞳を閉じて沈思する。
枢木スザクはテーブルに地図とヘッドセットを並べて、何かの経路を模索している。
阿良々木暦は荷物をかき分ける手を止め、天井を見上げている。
平沢憂は窓際に佇んだまま、降り止まぬ雨を見つめている。


誰も、何も、語らない。


お互いに、別に嫌いであったり、気に入らない相手というわけではない。
だが彼ら彼女らの道程は、これまであまりに乖離していた。
そして、それぞれの抱えるものを尊べばこそ、誰も、何も、語ることなど出来ない。

それぞれの領域に、無粋に踏み込めるものはいない。
かつては居たかもしれないが、死んでしまった。
それぞれを繋いで、一つにまとめられる存在もいない。
かつては居たかもしれないが、死んでしまった。

雨宿りする四人。たったの四人。別々の四人。
会話なく、対話なく、静かに、彼らは留まり続けた。
最低限の言葉すら尽き。
だから黙し、ただ雨が止むのを待っていた。

ずっとずっと、いつまでも。
誰もが無力感に浸っていた。
そんな数分間。ただ過ぎていくだけの時間。


ざあざあと、ぱらぱらと、しとしとと。
振り続ける雨音の中で。





ふと――






「あめあめ ふれふれ かあさんが」





雨以外の音が、聞こえた。





「じゃのめで おむかえ うれしいな」




僅かに聞こえる。
この空間で久方ぶりに発せられた声。




「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」




それは、歌だった。

雨音にかき消されそうなくらい、小さな歌声。
けれど確かに聞こえる。
一人の少女の声が奏でる。
それはだれでも知るような、ありふれた童謡だった。


「あめあめ ふれふれ かあさんが」


窓辺で雨空を見上げる少女の、平沢憂の唇が、僅かに動き。
その喉が僅かに震え。


「じゃのめで おむかえ うれしいな」


狭い部屋の中。
声は、歌は、確かに響いていた。



「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」



あめふり。
少女の記憶。
いつか日常の中にあった、特別な誰かとの日々、思い出。
少女の、平沢憂のよく知る誰かが、奏でた歌。
一番大好きで、一番大切だった誰かの、それは魔法だった。

なんでもない日々を、なんでもない事のように特別に、宝石のように綺麗に輝かせた、いつかの魔法。
いつか大好きな誰かが得意だった、とても簡単で、誰にだって使える。
だけど誰も思いつかないような、そういう普遍的な、なんでもない幸せの欠片を。
ふと、口に出して。それは懐かしく、少女には止めることが出来なかった。


「あめあめ ふれふれ かあさんが」


狭い部屋の中に響く歌声。
その部分しか知らないのか。
あるいはかつての記憶のままに奏でたいのか、歌詞は幾度もループする。


「じゃのめで おむかえ うれしいな」


けれど誰も、止めようとはしなかった。
両儀式は一度ベッドの上で寝返りをうち、ちらりと憂を見るにとどまり。
枢木スザクは地図上に走らせていたペンを一瞬だけ停めて、またすぐに手を動かし始めた。
二人共、黙したまま、少女の歌を聴いていた。



「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」



そうして暫く。
響き続けた歌声は少しづつ、小さくなり。



「……阿良々木さん」


久方ぶりに、会話の声が上がった。
歌を止めた少女の口から、傍らの少年に向かって。
このとき初めて、思いを取り戻した少女は自ら、己を救わないと言った少年に声をかけた。


「私は……もう少しだけ、このままでも、良いと思います」


言葉の数は決して多くない。
それでも、それは、少女自身の重みのこもった言葉だった。
少女の思いが、重さを取り戻した思いが、いま、音という形で伝わっていく。


「あと少しくらい、このままで」


今はまだ、雨が降っている。
だけど、これでいいと。
今はまだ、このままでいい。もう少しこのまま、降っていてもいい。
それが言い訳になるなら、それでもいい。

「あなたも」

ここまで自分の力で歩いてきたのだから、きっと少しは休んでもいい。
足を休めて、雨宿りしたって誰も責めないから、と。
歩き続けた阿良々木暦に向かって。留まることの出来ない少年に向かって。
あなたの抱えるものだって、ここに置いても構わないはずと、伝えた。

まだ何も見えない、分からない、掴めない、だけど。
せめてこの雨が、もう少し弱まるまでは、このままで。
降り止んでまた太陽が見えたとき、もういちど歩き出すためなら。
足をとめても、いいと思う。
それが今の、平沢憂の心にある、確かな感情だと。

「――そうか」

返される言葉に力は無く。
けれど、力が抜けたことによる、安堵もあった。

「じゃあ……少しだけ、な」

少年は口を閉じ、目を閉じ、床に身を横たえる。
そうしてじきに、会話は途絶えてしまうのだろう。
だが、その無言の意味は、きっと今までとは違ったものだ。

「あと、さ」
「はい」
「嫌じゃないなら。もう少し、歌、きかせてくれないか?」
「……はい」


降り続く雨の中、残された参加者はしばしの間、体を休めた。
それはとどまり続けた、何一つ前進しない無意味な時間、それでもきっと、必要な時間だった。
まるで違う道を辿ってきた四人の。
それぞれ、失ったものを想う。己自身と向き合う時間だった。

無くした物を、亡くした者を、失くしたモノを振り返る。
得たものなど何一つなくとも。
分かり合えなくても、触れ合えなくても。

それでも隣に、誰かがいる。
雨がもたらした停滞は奇しくも、彼ら四人に共通の時間を作り出す。
互いに触れあえず、触れられない傷を持つもの同士。違う世界を生きた者たち。違う物を抱えた者たち。
それでも同じ時間を過ごしていた。同じ歌を、聴いていた。

この雨が止むまで、ずっと、彼らは何も語らず。
それでも確かにお互いの存在を感じながら。
だからこそ強く、己がまだ、生きているのだと感じながら。




雨が止むまで、彼らはずっと、共にいた。































◆ ◆ ◆






ぱらぱらと。
白き布地に水滴は降り続ける。
ぱらぱらと降る雨に紛れて、小さな音が聞こえてくる。

『あめあめ ふれふれ かあさんが』

その音は声だった。
その声は歌だった。

「じゃのめで おむかえ うれしいな」

放り出されたヘッドセット。
降水の中で野ざらしにされて壊れそうなそれが、か細い歌を発し続けている。
瓦礫の山の下。
意思を砕かれた男の傍にも。
男の前で佇む端末の足元にも。
歌は届いていた、響き続けていた。

男も、端末も、共に空虚な二人は何もしない。
ヘッドセットを拾い上げることもなく。
ただ聴き続けていた。静かに、雨音に混じって届く歌に耳を傾けていた。
空虚に、空虚に、それでも。

座り込んだ男と放置された端末、二人。
共に黙したまま、無反応に。



「あめあめ ふれふれ かあさんが」


否、静かに、何処にも聞こえないくらいの大きさで、音はここからも発されていた。
小さな唇が、僅かに動いていた。
インデックスと言う名の端末は、知らず、なぞるように歌い始めた己を自覚した。

誰に届けるわけでもない。
聞かせたいと思うわけがない。
そんな感情が、備わってなどいるはずがない。
ならば何故、己は歌を歌っているのだろう。

端末は無感動に、考察をする。
インデックス。それが端末の名前だった。
ヨハネのペン。完全調律の禁書目録制御装置。
殺し合いを構成するための舞台装置であり、かつては放送の担い手。
時に殺し合いのカンフル剤となり、そして今はもう、用済みの存在。
故、放棄された端末。己はそれにすぎないと認識していたはずなのに。

なぜ、歌っているのだろう。
こんな意味のない行為を行なっているのだろう。
聞こえる歌声をなぞるように。つられるように。導かれるように。まるで、『歌いたい』とでも思ったかのように。
感情でもあるかのように。

回想してみれば幾つもある。
己の行動の疑問点。天江衣への過剰な干渉。
彼女との関わりの中で感知した、いくつものノイズ。
全て、戦いを苛烈させ混沌を作り出すために、行ったと説明付けていたが。

だがそれにしても、彼女との関わりはあまりにも、説明付けられない行動が多すぎた。
己に対して、本当に殺し合いの端末としてのみ行動してたのか、断定することができない。
不可解だった。そして今更だった。
それは今更な考察、あまりに今更な、自己分析だった。

――何故?

端末は疑問を己に向けたことなどなかった。
何故『Index-Librorum-Prohibitorum』は、と。
自己というものの存在を認識してすらいなかったそれは、ここに至るまで思考したことすら無かったのだ。



「じゃのめで おむかえ うれしいな」



けれど現にこうして、歌は歌われている。
他でもない己の口が、喉が。
それは己こそが、存在しない筈の自己こそが。
歌を歌いたいと、望んでいるからに他ならないのだ。
考えてさえ見れば、なんと単純な解だったことだろう。

ならば、だとすれば。これまで不可解だったこと。
周囲に感じたあらゆること。理解できるのではないか。



『衣と……友達になってくれるか?』


あの時感じた、不可解な自己の変遷。
そして自己にある謎。
全て、同じように説明が着くのではないか。

簡単に、単純に、明瞭に。
ただ、インデックスという存在が、それを望んでいたと。
『そうしたい』と、考えていること。
そして何よりも――


「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」


今、インデックスは、考えている。
紛れも無いこの時、自己に疑問を持っているではないか。
ならばそれこそが証明だった。
インデックスが、インデックスという、感情を持っている。
自己を、持っているという。
今更な結論が出た。

そして結論は以下の事態を、意味している。
端末は、壊れている。インデックスは壊れかけている。
いつからなのか分からない。
最初から、かもしれない。
いずれにせよ、完全の機械は、ヨハネのペンはとっくに破綻をきたしていた。

感情が在るという時点で、自己があるという時点で、役割に関係ない思いを感じてしまう存在など。
機械端末としては落第だ。
理解すれば、様々な事に説明がついた。

断続的に流れ落ちる、左目からの血涙。
響き続ける、脳裏の破壊音。
完全記憶に在るはずのない欠落。
明らかなる自死現象。

納得も容易だ。
役割を終えたインデックスが何故ここまで放置されていたのか。
破棄されず、まだ存在しているのか。
自然な事だった。
とっくに処理は行われていたのだ。
鑑みれば、安易な禁書目録の抹消には危険が伴う。
10万3000冊の魔道書を記憶している『魔道書図書館』をそう安々と破棄できるはずがない。
元の世界では、あれ程までに世界から扱いに悩まれていた存在なのだ。
外部的でなく、内部的に。段階を踏んでの処理が確実かつ、安全だと、主催者達は考えたのだろう。
だからヨハネのペンに自壊機能を付加した。それは正しい。当然の判断だった。

徐々に壊れていく、禁書目録の内側。
ないはずの感情が復旧したことも、それが大きくなるたびに、己が壊れていく事を感じられたのも。
こんなにも、当然に思える。

思えると、思える。
我ある故に我があり。
そこまで自覚できたのなら、故にもうすぐ、禁書目録は崩壊する。


「あめあめ ふれふれ かあさんが」


『歩く教会』正しくその機能を発揮している。
雨風の冷たさは、元より感じない。


「じゃのめで おむかえ うれしいな」


肩に当たる水の勢いは少しずつ弱まっていく。
放送より約二時間。
雨はようやく、止む気配を見せていた。







「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」
















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最終更新:2013年09月08日 00:05