「両儀、式か」

グラハム・エーカーは近づいてきた足音に顔を上げ、それだけを言った。

半日も経たない再会なのに、その姿はひどくやつれたように見えた。
頬はこけ、頼んでもいないのに全身から溌剌と漲っていたかつての覇気というものが見る影もなくなっている。
所詮それは錯覚に過ぎない。人の内面が実際の体に影響を与えるのには本来長い時間がかかる。

「スザクだけでもそうだが……君と会うことになるとは本当に、思わなかったな」
「単に通りがかっただけだ。お前に用とか、別にないし」
「私にもないさ。それでも、だ。
 この様のまま、再び全員と邂逅する事などあり得まいと思っていたのだがな……」

恐らくはあのずっとこの場から動いていないだろう男の傍には、まだ真新しい幾つかの物が落ちている。
レンゲと一緒にラップにくるみ雑炊が詰まれたタッパーとか。
どこかの戦闘機のパイロットでも着込んでいそうなスーツとか。
いやに都合のいい、親切な誰かの落とし物が。



「行くのか」
「ああ」

簡潔な、短い問いだった。
そして答えは早かった。間を置く意味なんてない。
それで終わり。それが終わりだ。
こいつにも、こいつが失ったものへの興味は本当にない。
生きようが死ぬまいが、そんなものは対岸の火事の程度の出来事。
交差はたまたますれ違う瞬きほどのもので、それで別れる一瞬の逢瀬。

「それで、お前はなにしてるんだ」

だから、こうして私は何の意味もないことを尋ねる。

「何を……か。その通りだな。
 私は―――いや、君に言っても栓方なき事か」

言い切られることなく、その口は本人の意思で噤まれた。
この相手に対して言うべきでない、言えるだけ馴れ合った関係を持ってはいないと戒めるように。

今一度、じっと男の顔を見つめる。
まだ十分生きているくせに、今にも自殺したそうな顔。
死に体なのに、そのくせ最後の一線だけは決して飛び越えない。
まるで半人半霊。あるいは動く死体。
生死を区分する境界線そのものに立つような曖昧さ。
……他にそんな不様をしていたのは、誰だっただろうか。

けれど、映る「線」はいつものように視えている。
グラハム・エーカーの全身に走る落書きのような線は、いつも視るのと同じ、生きた人間のそれと変わりなかった。

押し黙る男の傍へと無言で近づく。
同時に底のない鞄の中からゆるりと、ジグザグに折れ曲がった歪なナイフを取り出す。
とても実用的ではない形状。元の持ち主の性根が顕れてるようだが、切っ先だけならば通常のように使用するのに支障はない。
膝を折り曲げ、蹲る男の首もとへと先端を近づける。
虹色の刀身が、落陽の光を浴びて怪しく閃いた。

「……」

男は動かない。最後まで、抵抗の素振りも見せなかった。
おかげで狙いを外さずに済んだが。
パキンと小気味のよい、金属片が落ちる音。
知る人間の中で、ただひとり嵌められていた首もとが露になる。
輪を両断された爆薬入りの枷は、機能を全うしないまま重力に任せ地面で叩き割れた。
ナイフを戻して後ろを向く。そのまま立ち去ろうというところで、ようやく男が口を開いた。

「これは、何の真似だ?」
「何って、見ての通りだよ。もう外してもいいんだし、邪魔なだけだろ、そんなの」
「そこではない。君の行為そのものを問うている」

おかしなことを聞いてくる。心底疑問に思った。
そんなの、考えなくたって分かることなのに。そんな不可解そうな顔で見られると逆にこっちが困惑してしまう。
何故こいつの外したのか。
それはただ、見たままの感想で。

「外して欲しそうにしてたから」
「それは、何故そう思った?」
「だってまだ生きてるだろ、おまえ」

ここに留まってるということは、生きてるということは、つまりそういうことだろう。
見れば分かる事、当たり前に知る事をこの男はずっと気づこうとしていない。

ああ、けれど。身近な事にいつまでも気付けないのも人間だ。
灯台下暗しとはよくいったもので。自分にとって当たり前の大事なものほど、よく見落としやすいものだから。

それとも……気づきたくないからこうして殻を作っているのか。
喪失の穴を知ってしまえば向き合うしかない。残留した痛覚を抱えたまま生きる方法を模索しなくてはいけない。
それがどれだけ恐ろしいものなのかを、私は忘れない。
私は一生かけて引き摺っていかなければならない。でなければ、もう―――


返事は途絶えている。これ以上話すことはない、と受け取り傍から離れる。
時間は有限なのだ。無駄に費やしてはいられない。一応、行くあてだってあるのだから。

「……ああ、そういえば。ひとつだけ言いたい事はあったんだ」
「……?」

そしてその無駄をまだ私は愚かにも続けていた。

「あのデカいヤツのコトだよ。あんな酷い乗り物は初めてだった。
 足場は悪いしやたら速くて何度も落ちそうになる。おまけに風が痛い。ついでに声もうるさい。
 あの時、何度かオレごと殺そうとしただろ。握り潰そうとしたり、風で潰そうとしたり。機械越しでもビリビリ感じたぞ」
「ひとつでは、ないな」
「言ってることはほとんど同じだろ。あとやっぱりもうひとつ」

誰かの手で小奇麗にされていた、コンクリートの台座に置かれたタッパーを指さす。

「ソレ、いつまで取っとくんだ。冷めると不味いぞ。というかもう冷めてるぞたぶん。
 食わないなら返すか捨てろ。作った側にとっては、そういうのが一番嫌になるんだから」

こればかりは、調理した本人として言っておかなくてはならない。
困った、奇妙なものを見るような目をされるが知ったことではない。

それで、今度こそおしまい。
私はグラハム・エーカーへの意識を消し去り、振り向かず目指す先に進んだ。









      ◇  ◇  ◇  ◇  ◇






              COLORS / TURN 2 :『ARIA』






                 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇








焼けの空に灰の街。
その境目の、ちょうど双方の空気が混ざり合い、淀み合った箇所を眺めながら歩く。
特に意識しているわけでもないので、瓦礫に足を踏み外す下手を打つこともない。

人気がない街にはもう慣れたものだが、今は僅かな、けど見過ごせない違和感がある。
不気味とは思わない。雰囲気だけならむしろ気に入っている。だがそれにしてもこれは静か過ぎた。
寒さにも暑さにも強い体質なのに、『敵』と対峙した時に近い、肌がひりつく感覚が続いている。
嵐の前の静けさ、という諺を思い出す。大気でも、予感めいたものを感じ取るものなのか。
空は騒がず震わず、ただその時が来るのを自然と待ち受けている。
さながらそれは、結末を受け入れ、刑の執行を告げに来る呼び声を静かに待つ、監獄の収容者のように。
あいにく私は、扉が開かれるのを大人しく待つほど悠長ではないが。



「ここか」

他と比べて、明らかに真新しいタイル。
外で使いっぱなしで汚れたブーツがタイルを踏みつけて足跡をつけていく。
現在で初めて出来て、誰にも使われてない場所は目に痛いほど清潔で病的ですらもある。
壁も地面も天上も、ひたすらに白の一色だった。
というより、何の着色もされていない。まともに塗装する暇もなかったためだろう。

馴染みのない、切符を入れる穴のない改札口を素通りしてより奥に入る。目的地はそこだ。
黄線と白線。細長く引かれたいくつものライン。左右にはふたつの線路。
新しく作られた駅のホームは、修復というよりは増設と言うほうが正しい。
元あった場所は地盤ごと陥没してしまっているのだから、当然といえるが。
今いるE-2から、水没したF-3へなだらかに曲がりつつF-5に走っていたのを、ここから直通でF-5に向かうよう調整したらしい。

掲示板で一番近い到着時間を見る。現在時刻より残り幾分か。この分だと放送を超えた先になるだろう。
ベンチに腰掛けて時間を待つ。することは何もないし、放送だって近い。身体だって十分休めているわけでもない。
体重を背もたれに預けて、弛緩した空気に浸る。


「本当に、静かだ」

世界には何もない、と思うほどの静寂。
周囲はまだ明るく果ても見えるが、生きてるものの感触を感じ取れない。
何もないのであれば、それは無か。それとも、死―――?

「……違う」

くだらない錯覚に虚空を睨んで振り払う。
死は、こんなに静かなものじゃない。
何も「ない」世界はこんなにも穏やかでなんていられない。
希望がないという点では同じだが、ここにはまだ余分がある。
隙間だらけで穴だらけだけど、そんな空白すらもない世界に比べれば、こっちの方がまだ住みやすい。
だからここは現実の確かな生の世界で、私は今、ここに生きている人間だ。

ここで見た幾つもの『死』が、眼に焼き付いて離れない。
住む世界が違うだけでただの人間、ただの他人の死の筈なのに。
ここの人の死は、どうしてこんなにも前と違うのか。
……それとも、死は変わりないままで、違っているのはそれを見る私なのだろうか。
識が死んだ時のように、幹也を失って私は何かが変わりつつあるのか。
分からない。私の中身は相変わらず穴だらけで、分かってるのはおかしくなってることだけだ。

細めていた目に、赤い日が映り込む。
燃えるような夕暮れの空。太陽が沈む直前の、一瞬だけの光景。
こんな日の教室で―――彼と私(かれ)は、何かを語り合う事があったのだろうか。
次の朝になれば忘れるような、どうでもいい日常の会話も。
一生忘れられることのない、とても大事な言葉も。

式も識も、望んでいる夢は同じだった。
大元の一つから分かれ、同じ趣味を持ち、成長を共にしてきたのだから憧れるものさえ一緒なのは当然だ。

普通に生きたいという在り得ない望み。
式であり識である以上、決して叶わない願い。
それを、あいつは現実のカタチにしてくれた。
自分と同じ場所に居られるよと、そう笑ってくれた。
かわりばえのしない、退屈な高校生活。
あらそいのない、穏やかな日常の名残。
駆け抜ける時間は速くて、掴みとることもできなかった。
けど感謝してる。嘘みたいに幸福だった。

だから話した内容なんか、きっとどうでもよくて。
そんな風に誰かと話せる事自体が、識(かれ)がずっと祈っていた、幻想(ユメ)の日々なんだ。

殺すことしか、否定することしかなかったシキが見た、夢のカタチ。
それを、たとえ喪くしてしまっても。私が生きてる事でここに残していけるなら。



『                                             』



天から鳴り渡る宣誓。殺し合いの最後の始まりを告げる、神が綴る最後の物語の冒頭は耳に届かない。
それよりもなお優しく、耳朶の奥を打つ声がある。
もういないクラスメイト。四年前からずっとシキを気にかけてくれた男。
その声を聴いてるだけで、胸の穴の苛立ちを消してくれたヒト。
両儀シキにとって、いなくてはならなかった存在。


「幹也。君を――― 一生、許さない」


言葉は赤い大気に消え失せる。
たしかに残るものはもうないけれど。
その想いを、私はこれからもずっと抱えていくだろう。




 ◇  ◇  ◇




数分後、予定通りに電車がやって来た。
電車の方は使い回しているらしいが、こんな時でも洗浄を欠かさなかったのか車体は綺麗で場違いな気はしない。
合図と共に一斉に開く扉。目の前で開いたところから中へと乗り込む。

先頭から最後尾まで、がらんどうのような車内。
私が踏み入れた車両もやはり閑散としていて。
けれどそこに、たった一人、先客が座っていた。

「………………よう」

終電どころか回送列車のような空間の中、秋山澪は私を迎える。
数時間ぶりの唐突な別離からの再会は、どちらにとっても然程感慨を感じさせないものだ。
目に見えるほどの変化があったわけでもなく。また、取り決めた約束を違えるものでもない。
だから私は、あたりまえに返事をする。

「時間通りだな」
「言ったのは、私だから。ここで待ってるって。
 むしろ式の方がすっぽかすんじゃないかって思ってた。なんか、時間に頓着しなさそうだから」

いま、少し失礼な事を言われた気がする。
言いがかりもいいところだ。今年の学校の欠席数は一桁を切ってるというのに。
そう言いかけた文句を抑えて奥に入り込む。

「理由もなく約束を放り出す真似はしないよ。破るだけの動機もない」
「……そっか」

完全に自動操縦の仕様だからだろう。扉はまだ閉まらない。
秋山は手すりのある端の席に陣取っているので、その席から丁度一人分空けた場所に座る。

前を通り過ぎる瞬間、秋山と目が合った。
見上げる瞳にもう、潤みはない。
……どうやら、こいつにも変化はあったらしい。
それが私にとって、こいつにとってどう向くのかはさておいて。

「時間、みたいだな」

どこからか発進を知らせる電子音が聞こえてきた。
扉が閉められ、車体がびくりと痙攣する。

「ああ」

少しの振れの後。
窓の向こうで、景色がスライドするように動き始める。
揺り籠のように微動しながら、発進した電車は線路の上を進んでいった。










【 TURN 2 :『ARIA』-END- 】









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329:See visionS / Fragments 12 :『黄昏』-Index-Librorum-Prohibitorum- 両儀式 :COLORS / TURN 5 :『Listen!!』
グラハム・エーカー 333:COLORS / TURN 3 :『泪のムコウ』
327:See visionS / Fragments 10 :『Re;』-Index-Librorum-Prohibitorum- 秋山澪 :COLORS / TURN 5 :『Listen!!』



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最終更新:2015年03月05日 01:42