DAYBREAK'S BELL/(3.5)◆ANI3oprwOY
3.5 / おしのインターバル
―――海の中。あるいは地の底。
静謐なほど沈んだ場所に震える、音。
地上で起きている争乱とは最も遠く離れている区域。
それは物理的な話のみならず、魔術的概念の見地においても外界とは切り分けられた別世界。
荒耶宋蓮の造り出した隔離式の遮断結界。魔術師が死した後でも機能を保つよう調整された置き土産。
でありながら、ここではない所から伝わってきた何かの振動。
障子の紙のように容易く裂けた境界。
地殻を変動させるほど莫大の力が、奔流となり放たれたということ。
綻びが始まっている。
結界を極めた魔術師の業といえど、超えられない閾値はある。
生まれた亀裂に水を流し込むように呪いは浸食する。
一端裂ければ砂の城に水をかけるのと同様に防護は溶け、地上の地獄がここにも迫ってくる。
そして臨界点はもう間際。いつ決壊しようとも不思議ではない。
「そんな危険な場所で、おまえはいったい何をしてるんだ?って言いたい顔でもしてそうだね」
いつ決壊しようとも不思議ではない。
ただ同時に、今はまだ裂け目が開いてはいない。
護りは保たれ、内部の安全は確保されている。
その意味をどこまで図っているのか。
外と繋がれていない天井を見上げ、誰に向けたものかも判然とせず、
忍野メメはなんでもないようにそう呟いた。
「いえ、別に……」
「構わないよ。このまま説明不足なのも少し理不尽だ。
阿良々木君がいなくなって空気も寂しくなってきたし、折角だから詳しく話そうか」
展示場から続いている、誰も通った形跡のない入り組んだ通路。
阿良々木暦と
インデックスが離れて行ってから、元主催陣の二人は先の道を歩き続けている。
原村和は忍野の言葉に応えるでもなく、黙ったまま後ろからついていっている。
地上に降りてきてから変わらない、予定通りの行動。
和は前を行く男を追っているだけだから、意図して進んでいるのは忍野一人ということになる。
「無秩序で無差別なように見える黒の聖杯だけれど、アレにはアレで一定のルールがある。
一つの方向に純化した濃密な魔力の海。強者も弱者も聖者も悪党も、命あるものは全て分け隔てなく接して殺し尽くす。
ある意味で究極の平等主義、もしくは無差別主義者だ」
景色の変化に乏しい通路では、ここが地面から上なのか下なのかも分からない。
外の情報を削られて、どれだけ時間が経ったのかも曖昧になる。
歩いた距離でいうなら恐らく、この展示場の規模の施設はほぼ回り切っているだろう。
「あんな呪いを抑止するなんて芸当は、人の身の範疇じゃまず不可能だ。
対抗したければ、それこそ本物の仏でも連れてくるしかない。
強いて出来ることがあると言うなら、後押しするくらいだ。
背中を押したら逆に染められるから、予め道を舗装しておくようなものだけど。
ようはあれ、夜間の交通整理。君と同じアルバイトさ」
果ての見えない廊下で忍野は繰り返し『仕込み』と称した作業を進めていた。
壁や床に触れてなにか文字を切ったり。
古めかしい、いかにもなオカルトめいた札を貼ったり。
傍で眺める和には理解できない理屈で、術は基点を持ち発動している。
施工を済ます度に廊下が水面のように漣立ち、生じた波紋が遠くにまで伝わっていく。
効果が行き渡ったかどうか確認してから、忍野は腰を上げて進み、また別の座標に点を打つ作業に戻る。
いつまで、こうしているつもりなのか。
忍野が言った通り、和には焦りが湧いていた。
上で戦う参加者達を慮ってのことではない。そんな資格は失われている。
主催に囚われ、ただ一人のために動くしかないと諦観した頃から。
せめて自分に願えるのは、友人の
宮永咲の安否のみ。
大切なものを守ること以外を切り捨てた。汚れた身でもなお願う一縷の望み。
そこまでしておきながら結局は失う終わりになる、そんな最後だけは避けたかった。
「本来なら餌にならないゴミとして判断され焼却処分されるものだけど、特例というのは何事にもある。
不完全な出来のままで出現した聖杯(ソレ)は、自己の完成を急ぐという優先順位を付けてしまった。
だからこそ半身、同一存在、双子ともいえる『白い聖杯』を求めて手を伸ばしている」
塞がれて通行不能となっている壁を無視して前に出ると、肌に触れた面が透け、先に続く通り道が開けた。
新たに現れたのは行き先を惑わす三叉路。
分かれた道の中間で忍野は止まりもせず迷いなく右に曲がる。
まるで、それ以外に道は続かないと分かっているようだった。
主催の防衛措置の一環。正しい順序で近づかなければ最初の地点に弾き出される迷宮路(ラビュリントス)。
地下工房に続く通路を発見しても、事前の知識無き者は最深部には決してたどり着けない。
何の補助もなく通行できるのは予め認可を受け使用権を委譲されていた
言峰綺礼。
それともう一人、結界の維持と修正の役目を請け負い、構築式についても調べ尽くしてある忍野メメのみだ。
逆に言えば、ここは外からの干渉を受けない会場内での唯一の安全地帯。
身柄の隠匿。災害からの避難。
目的は違えど、二人の裏役は同じ場所を目指した。
言峰綺礼は秘していた隠し玉を使う為に。
忍野メメは、細かに仕込んだ細工を通して外に繋がる場所に干渉を施す為に。
「話は少し逸れるけどさ、
両儀式と
一方通行。二人には共通点と対極点が多くある。
内訳は割愛するからこの場で必要な点だけ述べるよ。二人は各々の世界で、人為的に生まれた存在だ。
片や魔術論の終始に当たる対極の器。片や科学によって天界の門を叩くに至った観測器。
荒耶宋蓮は両儀式の肉体を使い根源という高みへ昇ろうとし、学園都市も何がしかの極地に入る道として一方通行を欲していた」
それはとうの昔に過ぎた事実。単なる知識のみでしかない情報。
だが無駄に冗長で婉曲な話はしても無意味な話はしないこの男が語る意図は明白で。
「カラを満たす器としては、この二人は恐らく全参加者中でも極上と最上の二翼を担っている」
解説を聞く者の胸を、漠然とした不安でざわつかせる。
上で起きている事態(コト)、前後の忍野が語った内容を咀嚼して組み合わせれば予測できる答え。
和は勘付いてしまった。その計算高さゆえに。
まさかと思い、しかしこの男はやりかねないかもしれないと思うのは、原村和が忍野メメを理解するには足りない部分が多すぎたからか。
「何を、したんですか」
和は問う。
何が返ってくるか、半ば予測してしまいながらも。
「両儀式と一方通行に関する全ての情報を、ここから介してあの付近にバラ撒いて置いた。直に伝わるよう加工してね。
もうとっくに食べて中枢に渡っているだろう。
なまじ本能しか生まれていない分、自分にいま必要なものには無意識に惹かれるしかない」
最悪の答えを、胡散臭い顔のままで。
忍野はいともあっさりと言ってのけた。
「両儀の器か一方通行(アクセラレータ)。
いずれかか両方を使って自分の聖杯の完成度を高めてから白聖杯を乗っ取る。
質で言えば両儀式が上だが、相性の点なら一方通行が適しているだろう。既に何度も接触してるから馴染みもいいはずだ。
これが、『黒い聖杯が白聖杯を略取する』現状唯一の手段さ」
バトルロワイアルの中で最大最悪の異端要素。
あの紛い物、凶つ者を。
宮永咲を喰らった聖杯という怪物が勝つ可能性を、この男はわざわざ用意したのだ。
「どうして、そんな―――。
誰も、助けないんじゃなかったんですか」
「そこは僕がリボンズをも掌の上で転がしていた裏ボスであり真の主催者だった、ぐらいのノリが必要だよ原村ちゃん。
ああゴメンゴメン、冗談だよ」
愕然とした声を震わす和とは対照的に。
やはり忍野は緊張感のない抜けた表情のまま淀みなく作業を続けている。
冗談を言う余裕があるのは、所詮他人事と切り捨てられるからではなく―――。
赤い罫線が走る壁面をなぞり、行き渡る情報を綿密に精査してから送る。
そこで初めて、忍野は手も足も止めて和へと振り返った。
表情は胡散臭いままだが、目線だけは真剣味を帯びたものへと変わっていた……。
和には、そのような気がした。
「その通りだよ。前言は撤回しない。僕は誰も助けない。
リボンズと違って僕らはまだ裏方担当だ。この場面で表舞台に訳知り顔で表れるなんて無粋は認められない。フラグ不足もいいところだ。
出たところで、できることなんて何もないよ。出る『意味』がない。一切。絶対に。
丹念に、意味深に、巧妙に散りばめた伏線を仕込んでおかなければ参加者ならぬ端役は檀上に昇るには値しない。主催者がそうだったように」
忍野メメは万能者などではない。便利屋だ。
都合のいい場合になって、都合のいいものを提供する貸し付け人。
物語を完結させるのに足りない欠片を、簡潔に意味深に用意して話を繋げる。
たいてい、それは正しい結果に作用する。
世界という一舞台を、上から俯瞰していると思えるまでの先見性。
住人に縛られた設定、固定された視点を変えて事態を図る柔軟さ。
阿良々木暦が今まで関わってきた怪異絡みの事件も然り。
忍野メメは、実際調整人として優れた資質を有している。
そして、それ以上を踏み込むことをよしとしていない。
場を整え設える段階で、その先に手を出すことを否定している。
「けど、裏方でも、端役だからって手を抜いて理由はどんな世界にも存在しない。
目に見えない場所で働く彼らは誰よりも必死に懸命に全霊で表を支えるのが義務だ。
望まず望まざるに関わらず、この役に収まったからにはね」
忍野メメは、調停者ではない。
正義の味方とも、救いのヒーローと呼ぶには程遠い。
彼はどこまでいっても、傍観者の立ち位置を崩さないままでいる。あえて崩さない姿勢を貫く。
そここそが、自分の居るべき場所だと定めたように。
阿良々木暦が今まで関わってきた怪異絡みの事件も然り。
決して、自らの手で全てを解決する真似だけは絶対に避けていた。
そこに理由はあるのか。
君が勝手に助かるだけだ、と男は常に言う。
誰も、人に他人(ひと)は救えない。自分を助けられるのは、結局は自分しかいない。
自身から生じた問題に自分で向き合い、さんざんに打ちのめされ、それでも最後には頼りない足で懸命に立ち上がり、自分なりに答えを示す。
その姿を、上から目線で差し出される都合のいい救いの手で瑕をつけて穢すことに、何か障るものがあったのか。
「僕はただ仕事を続けるだけさ。帝愛からの依頼はまだ失効しちゃいない。きちんと真面目に契約書にサインをしたからね。
つまるところ、別に僕は帝愛を裏切ったわけじゃない。従って、参加者(かれら)の味方をしているつもりもない」
『このバトルロワイアルのバランサーを取り持て。途中棄権は許されない』。
半強制的にバトルロワイヤルの準備役に任命されてから、最初に言い渡された雇用内容。
依頼は忠実に守っていた。頑ななまでに。
己に課せられた役割を、片時も怠りもせずやり通していた。
「アンリマユには新たな器候補を提供したけど、それは同時にその眼が強く着目することも意味する。
自分の血肉にしようと取り込もうとして消化が遅れる分、二人にとっては反撃のチャンスも生まれてくる。
彼らに限ったことじゃない。勝利の確率がゼロである参加者がここにいないようにするのが僕の仕事だ。
バランスを整えるってのはそういうことさ。誰もが勝ちながら誰もが負ける未来をひとつの選択肢として提示する。
報酬も貰った以上請け負うのは、プロとして最低の矜持だ」
最低限ではなく、最低と。
限界を切り上げた口調には、どこか苦い味がする。
それは最後まで保証を万全にできなかった己に向けた言葉だったのか。
「君についてもだよ、原村ちゃん。実際ものすごい感謝しているんだ。
君がいなくちゃコンピューター上の参加者の重要プロフィールを纏めて紙面に写すなんて無理だった。
遠藤は死んだ後で末端の黒服にそこまで権限はないしインデックスちゃんは僕と同類の機械オンチ。言峰綺礼と
荒耶宗蓮に頼るのは問題外。
ダモクレスの地図の件といい、実は僕は君におっぱいを借りっぱなしなんだ」
「……胸は貸してません」
「おっといけない、噛んじゃったよ。正しくは胸を借りてる、だね。
だから君に対しても僕は正統な報酬を支払う。いやこの場合は賠償と言ったほうがいいか。
さっきの札もそうだし、ほぼ怪異寄りになってしまった宮永咲を、多少なりともこっち側に引っ張られるよう新たな器候補をちらつかせる。
……あの子だけは、本当にただ巻き込まれただけの可哀想な犠牲者だからね。
バランサーたる僕としては、そしてそれを全うできなかった僕としては、彼女を見捨てるわけにはいかないよ」
バランス。均等。整合性。
忍野メメが自身の行動の基本を語る上で出てくる言葉。
この男が動く時は、大抵そういった物言いを付け加える。まるで言い繕うように。
一方的に奪われるだけの形では、聖杯を降ろす儀式には至らない。
罪がないままに罰を受けるのは均整が取れてない。だからその補償を行う。
理屈は通っているようで、けれどそこにはまた別の意図が隠れている。
あくまで単純に、デジタルに考えた計算の結果。
ガチリと噛み合ったパズルのように出てきた答え―――
「さて、作業の気を紛らわせる長話に付き合ってくれてありがとう原村ちゃん。
それじゃあここでお別れだ。そこの壁の前に立って。なるべく無心で、歩調を乱さずに一定のペースで」
掌で押した壁が一度きりの脈動をする。
表面に出て来たのは、手で掴む取っ手に、お決まりの非常口マーク。
動かなかったのは説明釈明などでなく、単にこの場所で手を打つのは最後だっただけのこと。
壁際に寄って道を空ける忍野。促されるままに和は前を通り過ぎる。
「今いるそこの座標が、丁度この施設で一番安全な地点だ。
施設そのものが壊れちゃ意味がないけど、その時は後ろの非常口を使えばいい。僕らも使った帝愛仕込みの脱出経路だ。
そこの札がぜんぶ燃え尽きて、その上で和ちゃんが大丈夫だと思ったのなら、その時には全部終わってるだろう」
指さされた古めかしい札は、数枚に渡って廊下と天井を一週して張り付けられている。
それが今までしかけていた細工とは違う、和の為に配置されたものだ。
「そうすれば後はもう、君と宮永咲は二度とここに関わる災害に晒されることはない。
リボンズが優勝し悲願を果たそうと、参加者が奇跡の逆転を見せようと、黒聖杯が全てを呑み込もうと。全ては他人事だ」
区切られた境界の外からの声。
忍野はとうに踵を返して歩いた道に向き直り、今にも立ち去ろうとしている。
「あなたは、どこへ?」
「僕はまだまだ頑張らなくちゃいけない。ここのバランスを保つのは、正直かなりギリギリの綱渡りだ。
存在を気取られれば真っ先に殺される。かといっていつものように引きこもっていてはいつ結界が剥がれるとも限らない。
常に目を離さず点検と修正を兼ねる必要のある、効果はともかく実用性は皆無な出来のものだからね」
片手を気だるげに上げての、他愛ない挨拶。
始めからの知り合い以外で、最も和と関わりのあった人物との別れ。
互いが生き残る結末だとしても、これが最後になると和は知っている。
はじめから、そういう間柄だ。
安全を確保したからには自分がついてる意味もない。叶えられるだけの補償も渡した。
なら後は、『勝手に助かれ』ということなのだろう。
「最後にひとつだけ、いいですか」
「うん、いいよ。先を急ぐからひとつだけね」
背中を見せたまま、火の点いてない煙草を咥えた首だけを振り向かせて忍野は聞く。
「あなたは、この先どうなるか知っているんですか。
どうなって欲しいと思っていますか」
原村和は思う。
デジタルである彼女は、
忍野の言葉に付け加えられる装飾の全てを視界からはがし、本質のみを見つめた彼女には、思えた。
決して誰かを助けるとは口にしなかった男。
けれども、自分やその友人に助かる道を残してくれた人。
いろいろと理由を取ってつけているが、この人は本当は。
「一つ目には答えられない。僕は何も知らないからね。ウィキペディアでもない、ただのいち読者だ。
そして二つ目は内緒。答えられるのはひとつだけって言っただろ?」
胸が痛くなるほどの、お人よしなのかもしれない。
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最終更新:2015年03月18日 02:41