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2nd / DAYBREAK'S BELL(4)





4 / THIS ILLUSION (Ⅰ)







流星が煌めく天空の下。
荒れ狂う呪怨の波を、避け、斬り裂き、吹き飛ばす。



軽く置いた足を基点に、猛烈な勢いで上方向へ飛散した岩盤。
一方通行の前面に展開された石壁は、迫りくる灼熱を孕む泥で出来た触手を受け止める。
超能力『一方通行(アクセラレータ)』により瞬間的な盾となった瓦礫の山は、殺戮の呪いからの浸食を押し留めていた。

ベクトル操作による『反射』の膜が通用するか疑わしい、明らかに物理法則下から外れている攻撃。
これまでの常識が通用しない超常者すら超える規格外など何度も会ってきた。
超能力の行使の節約のコツは完全に掴んでいる。
注入したベクトルは極僅か。制限時間内の1%程度の消費に過ぎない。
それでも射出された岩盤の砲弾にはロケット弾の初速並の運動力が込められている。
目前の生命に絡みつこうとする触手の包囲は瞬く間に飛散し―――その突破を一瞬で塗り替える頭上からの波濤が押し寄せた。

「……ちィっ!」

舌打ちと同時に後方に飛び退く。
小石を蹴る程度の小突きで十メートルはゆうに超えた距離にまでの超移動。
数秒前に立っていた位置には四方八方から雪崩れ込んだ大波が叩きつけられ、泥沼の一部と変わっていた。

やおら頭上に目をやる。
そこには、別の「根」から持ち上げられた野太い縄のような泥が計七筋。
退避した一方通行を逃がすまいと、泥第の二波が空から落ちてくる。
瓦礫を射出し迎撃するが、止められるのは末端のみ。
頭部にあたる場所を吹き飛ばされても、残った部分だけで脈動し、軌道を修正して再び躍りかかってくる。
下がる一方通行を獰猛に追いすがり陰湿に付け狙ってきた。

「しつけェぞ、ゲテモノ野郎!」

乱雑に袈裟に右腕を振るい上げる。
腕の軌跡をなぞって、通過した斬裂の空刃が黒縄を両断する。
大気の流れを操って生み出した真空の衝撃波は、瓦礫の投擲とと同様純粋な物理攻撃だ。
微細な物理計算を念頭に入れる必要もなく、ただ破壊に必要な運動エネルギー分だけぶつければ事足りる。
『反射』を封じられても、ベクトル操作による多種多様な手段は未知の物質にも有効となる。
万能にも等しい法則改変こそが一方通行の超能力が最強たる所以だ。
戦術もなく、遮二無二突っ込んでくる悪意など、脅威には値しない。人類根絶の呪いであろうと銃火器と大差のない障害だ。

「……はァ」

問題となるのはむしろ、際限なく溢れて止まない無尽蔵の質量だ。

泥の支配に濡れてないまだ安全領域の場所にまで下がって俯瞰するのは、全身をよじるおぞましき妖樹。
飛散していく泥は骨格という決まった形で定まれておらず、生体を補う内臓も詰まってない。
アメーバのような単細胞生物に等しく、従って弱所もありはしなかった。
毛先一本分に足らない分を潰した程度で動きが止まるほど、繊細な造りはされてはいない。
現出を促し、自然崩壊を留めている「核」を叩かない限り決定打になり得はしない。
それがなんであるかを、とうに一方通行は看破している。

「……」

樹体に半分埋もれたオブジェと化した少女。
もはやヒトとしての機能は求められていない。ただ悪魔をこの世に招き寄せる為の依代、儀式の生贄の供物。

一方通行は同情はしない。
たとえ彼女が何の罪も背負わない陽の元の世界の住人だとしても、全てはとうに遅い。
切り捨てるのは悪だろう。速やかに終わらせるのが唯一の救いになる、という言い分も所詮は詭弁。
救える手には限りがある。血に染まった己に救えるのはもうただひとつしかない。
誓ったのだから。それ以外に手を差し伸ばせるわけもない。

「第一、構ってやれるほど暇じゃねェンだ。
 せいぜい恨み辛み重ねたまま、絶望して消えて逝け」

悪の殺到する死の森へと切り込む。
迷いなく一方通行は選ぶ。人でも敵でもない障害として、非道に片づける修羅の道を。

一方通行が離脱したアンリマユの支配圏では、今も両儀式が駆け走っていた。

視覚もなく本能といえるものすら曖昧なのにも関わらず、そこにいる命には鋭敏に察知し蹂躙しようと根が向かう。
戦場をくまなく覆い尽くしてあらゆる地点から飛び出す魔手。
正面、背後、地表、天井。
逃げ場のないそれを、手に持った一刀が照らす白銀の煌めきが切り拓き道を成す。
間合いに入り込んだ敵は例外なく斬滅する『剣の結界』。古の剣士の業が犠牲者と共に再現される。

両目に映るのは赤。流れ落ちる血の色。燃え上がる戦火の色。
泥に刻まれた呪詛のような『線』は、眼球を蕩かせるような熱を押し込んでくる。
目を通し脳に伝わる痛みを切り捨て、その線に刃を入れてその身に死を具現させる。
ボロボロと崩れゆく触手の末路には一瞥もくれず、瞬きの後には返された二の太刀が次なる獲物を斬っていた。

『死』ははっきりと、これ見よがしに鮮明に映っている。
それは異常だった。気を抜けばあらゆる物、人に死を見るとはいえ、この泥に入っている線はあまりにも、濃い。
かといって脆く虚弱というわけでもなく、まともに受けては式とて死に至る殺傷性がソレにはある。
全身に死を明瞭に映し出しているくせに、世界を死に至らす圧倒的な闇を振りまいていく。
弱さと強さを併せ持った矛盾の塊。犠牲者でありながら簒奪者であり続ける死神。

立ちはだかる存在のその奇妙さに、だが式は疑問を覚えない。
分かりもしない意味を考えることはせず、単にそういうものだと割り切って済む話だ。
刀剣の暗示化にある中でそのような些事は抱かない。
あるのは直感、戦闘本能としての違和感だけ。
戦闘、生存に特化した人体は背筋に走る氷の冷たさを常に満たしている。
その冷たさを飲み干して、改めて敵へ肉薄する。
魔眼と刀技による絶対死の一撃も、武器の間合いにないものには届かない。
周囲を埋め尽くす勢いの大滝の如き呪いの坩堝に飛び込むとしても、そこにしか勝機がないのなら選ばない理由はない。


狙うのは祭壇に侍る言峰綺礼。
式が生きるにはこの聖杯の根源を抹消する他ない。だがその時間違いなく邪魔なのはむしろ神父の方だった。
危険の度合いでいうなら、人殺しに特化した泥を生む聖杯のが大きく上回っている。
それでも脅威の点、存在を許容できない意味で、式は聖杯以上に言峰へと先に剣を突き付ける。

水溜りを踏みつけ、飛沫が舞う。
聖杯に言峰を守る意志などだいだろうが、それでも自らの元に走り寄る命には貪欲に引きつけられた。
怪魔の軍勢が、我こそはと式の肢体を蹂躙せんと詰め寄る。
対極の聖杯の略奪が最優先だとしても、それで他の存在に手心を加えるなどという機能はこの聖杯には元からない。
生き物の気配を感知したのなら是非もなくその身を焼き焦がし責め殺す。そんな使命の元悪意を躍動させていた。



その死の渦を、掻い潜る。
正に渦を巻く、と呼ぶべき螺旋廻廊。
その内の洞。呪いの通貨しない空いた箇所へと身をねじ込んだ。

悲鳴を上げる関節。
粒になって散った泥が付着し叫ぶ肌。
その全てを無視して、渦の外を突破する。

着地と同時に、隙を逃さず真上から落下する魔力の波濤。
逃れられず、防ぎようのないそれを、触れるより前に手にある刃で祓い落とした。
唐竹に割れる汚泥。
周囲を闇に覆われながら裾を黒ずませても、中心に立つ姿は未だ無垢に残ったままだ。



「私を先に狙うか。懸命だな。
 劣る敵とはいえ倒せる相手なら先に倒すべきだ。でなくばいざという時足元を掬われかねん」

言峰との距離は、既に十メートルを切っていた。
死の圏内が縮んできても、神父は相変わらず悠然な笑みのままでいる。

「それとも。さっきの一言が余程腹に据えかねたのか?
 荒耶も言っていたな。おまえは見かけよりも激情的な―――」

語らせる気も、聞く耳も持たない。
その口を噤ませるべく、いますぐ一閃を払って言峰を両断せんと、体が流れ次の一歩を深く踏み込む。


その直前。
夜気を揺るがす豪爆の音界が、燐光を伴って並み居る触手を燃え散らした。

「………………!」

起きた風が紬の袖を払い、カソックをはためかす。
濃霧舞う空を切り裂き貫通した空間にあるのは、やはり赤い粒子。
この世全ての悪とはある種同一にあたる、人造の悪意である劣化GN粒子。
GNドライブ搭載機の基本武装のひとつであるGNミサイルの炸裂した跡だった。
比喩などではない本物のミサイルの爆発は、周囲にあった泥を根こそぎ消失させていた。
もし飛来物に反応して飛びついた触手の数が少なければ、式と言峰にまでも被害が及んでいただろう。

「……ち。照準がズレたか。まだ粒子が馴染まねェのか。
 成分は理解してるが弾くならともかく、自分で使うとなると勝手が違うな」

一方通行は、空になった手を前方に突き出したままの姿勢で立っている。
推し量るまでもなく、彼は自らを誘導弾の"発射台"としていたのだ。
殺害の報酬に頂いた多量の首輪を換金して得た銃火器のうち、最も大きな武器であるGNミサイル。
対モビルスーツ戦を想定して造られた、人に向けるには過剰極まる破壊力。
だがその照準は人ならざる魔性。機械など及びもつかない真性の悪鬼だ。
能力の制限に縛られている中で攻撃力を維持するにはうってつけだった。

「まァ、いい。今のでコツは覚えた。次は直撃させるぜ?
 逃げられるもンなら逃げてみなァ。その寸胴から足が生えるかは知らねェがよ」

デイパックから引き抜かれる二基目のミサイル。
人間一人では引き摺ることさえ出来ない質量のそれを、まるで紙細工の模型かのように軽々しく持ち上げる。
内部機器に干渉して推進に点火し、勢いのまま手づかみで投擲した。
射角調整は僅かな操作で事足りる。センサーは己の感覚で補う。

「そうら、ブッ散れ」

手から離れ、猛進する第二射。
だがここで、ただこのまま固定砲台に甘んじる気概で収まる一方通行ではない。
次なる一手は構築済み。殲滅のための超能を制御する知識が回転する。

「はっ――――――!」

ミサイルが射出されるや否や、一方通行もまた前方に跳んだ。
高速で移動するミサイルに更なる超高速で追いすがり、その上体に足を着け、乗り上げたのだ。
そこからは、まるで大道芸でも見るかのような光景だった。
取り付いた一方通行はその姿勢のままベクトル能力を行使、ミサイルの運動法則を操りサーフボードの要領で「操縦」した。

二転三転と繰り返す蛇行。
運動神経では人並み以下でも、それに反比例して頭脳内での演算力は卓越してる。
襲いかかる触手の速度、精度はとうに見切った。
戦国武将の剣戟、見上げる巨躯の機動兵器に比べれば稚拙そのもの。馬鹿正直に来たものに突っ込むしか能がない。
肉体的な反応でなく、起きる現象の数値を正しく計算した結果であれば、軌道の穴に入り込むのは余裕だった。
無数の触手を、風を読み自在に羽ばたく燕のように鮮やかな演舞でかわし切る。

「おらァっ!」

右往左往する蛇の上まで昇り、決着の一撃を放つ。
足の接地を外し空に浮く体。制御から離れ先を行く爆槍。
後背部のブースター面へと、裂帛の気合いを込めて力強い蹴りをぶつけた。

膨張する火焔の柱。
けたたましく鳴る龍の逆鱗の咆哮。
今までとは比の違う時間行使。桁外れの力(ベクトル)を注入され、人智の兵器はいま条理を越えた魔具へと変性を遂げる。

埒外の加圧を受けたミサイルは、城門を砕く破壊槌そのものだ。
中に貯蔵されたGN粒子までもが付与された力に騒然としている。
食らいつく先はただひとつ。いまも無防備に括られている裸身の生贄。
神父の謳う女神とやらを、木端微塵に打ち砕くべく突貫する。

だがそれさえも、超能力者には布石の一投に過ぎない。
槍は泥の集積した塊に阻まれ、本懐を果たせずまま火花を散らした。
莫大な威力の余波で、防いだ壁の包囲には完全な穴が貫通する。
表面を焦がされたことで凝固したトンネルを、颶風と化した白の影が通り抜ける。
飛び勇む一方通行の狙いは変わらず、少女を磔にする聖杯の中心部。


「じゃあな、潰れろォ!」

一本に重なるふたつの撃槍。
ひとつ目で盾を奪い取った今、邪魔するものは何もない。
轟然と向かう五体が流星となり、肉の詰まった杯を爆砕するべく衝突する―――。


一方通行の蹴撃が振るわれると同時の瞬間、式は弾けるように駈け出していた。

一発目の時点で、影はもう消えていた。
上から落ちてくる一撃がただならぬ脅威と察知したのか、周囲に寄っていた触手が空へと吸い込まれるように昇っていった。
無限を誇る総量の泥が、この時点でのみその均衡が崩れる。
解れた結び目の境の間隙を未来予知の域にまで高まった直感で見つけ、その先を踏破する。
進路の邪魔になる触手の根を横薙ぎの斬撃で消し去り、振り抜いた反動を使って黒縄の檻の外―――言峰綺礼の立つ地面へと跳ね飛んだ。

一足。
泥の障害が消えた今、言峰の眼前にまで踏み込むにはそれだけで十分だった。
言峰は構えを取る。しかし遅い。
音速の域に辿り着く式の足運びは言峰の反応速度の限界を凌駕している。
たとえ防御が間に合っても、その守りごとを切り落とす。

掲げられた上段。限界まで引き絞られる筋繊維。
直に構えられた太刀が、雲耀の速度を以て振り下ろされる―――。





両儀式と一方通行との連撃は、阿吽の呼吸に相応しいタイミングで続いた。
当然、連携の示し合せなど二人は行っていない。
他に向けられる意識は用意されておらず、自分が定めた敵を倒すためだけに動いている。

だが他者を見ずとも、状況は常に確認している。
自らにとって有利な展開を定め、生み出すために直感と知能を総動員している。
結果、両者はそれぞれ同時期に勝機の到来となる鍵を見つけた。
それは一方通行には聖杯付近に踏み込んで泥の襲来を集中されている両儀式であり、
式には上からミサイルを蹴り放ち、核を守ろうと泥を集約させた一方通行の存在だった。

最大の真価を発揮するために他人を利用する。
言葉にすればそれだけの方法だが、それが成立するには数々の条件が塞いでいる。
狙う敵が一致し、思考が同一だったからこそ成り立った共同戦線。
どちらかが少しでも違った行動を取れば即座に双方共自滅する、綱渡りの選択。
だがそもそも、この二人が直に殺し合った回数は一度や二度では済まない。
死線で結ばれた関係は、所詮互いの否定でしかない。

理解しているのは、その戦法。
使う武器、持ち得る能力、予測される攻撃、弾き出される運動性能の限界。
刃を重ね殺し合いを演じるごとに、二人の間には情報が蓄積されている。
技の冴えも、武装の破壊力も。自分が相対した場合の対処法を幾つも想定している。

それを応用に使ったのが、今し方の連続攻勢の仕組みだった。
繰り出される心技を十分に把握していた二人は、片方がこの状況で取る行動を逆算し、それに後続して相乗った。
前進して出来た孔は直後の後押しの相乗効果を受けて拡大し、遂に泥の牙城を突き破ったのだ。




確信があった。次の手で完全に決まると。
GNミサイルの爆散で、一方通行と核の少女との間を阻む壁は取り払われている。
両儀式はアンリマユの波状攻撃を透過し、言峰綺礼の目の前に辿り着いた。

これ以上ない絶好の勝機。
この手を下ろせば汚濁は潰える。二人の願いを壊す禍つ聖杯は崩れ去る。
二人は全く同じタイミングで悪夢を終わらせる止めを刺そうとして。







『怪異』が、起きた。










「「――――――――――――――――――!!!???」」




得も言われぬ悪寒が、両者に走った。
何か、道の途中で大切なものを落としてきてしまった気がする。
自分達は途方もない思い違いをしていたのではないかという、猛烈な不安が。
あり得ないと信じる思考が、覆さざる現実によって脆くも浸食され、反転する。


宮永咲に差し出された一方通行の拳は、顔面に触れる寸前に中空で制止していた。
泥の強度を念頭に入れて設定された威力の一撃。
粘性と熱性の防壁が敷かれようと纏めて風圧で吹き飛ばして、減衰したままでも無抵抗の少女の首を折る計算の力を発揮したはずだった。

なのに、今一方通行の拳を受け止めたのは、たった一枚の掌大の花弁だった。
花弁は他の泥の溶けた鉄のような色とは違う、鮮明な光が灯っている。
美しく幻想的な灯。春に吹雪く桜の華。
一方通行の目に、それは死者の人魂としか見えなかった。



式の持つ中務正宗もまた、言峰を斬ることなく軌道を止めていた。
髪の先まで近づいているのに、そこから先がまったく動かない。

阻んでいるものは、刀と男の合間に境界となって挟まれた細い根。
今までとはまるで手応えの違う感触にただ困惑した。これではまるで鋼で出来た業物の刀剣だ。

そして乱れる自分の呼気の音を聞いて、その事実に固まった。
あれだけ死を味わいながらもこの身を刀に保っていた暗示の術が、解けている―――。




突如の異変に時が止まる。
異常な事態だと理解しているのに体が追いつかない。


「――――――――」

先に復帰したのは一方通行だった。しかしそれは自力での復帰ではない。
肌が触れ合う近さで自分を真っ直ぐに見る「視線」に気づき、反射的にそれを見返してしまったのだ。



屍同然だった宮永咲の瞳は、開いていた。
虹彩は赤い。生まれ持った花の可憐さはなく、眼光には見た者を焼き焦がす烈火の炎だけが炯々と灯っている。
そして瞼の内からはごぼごぼと、どろどろと、黒い涙が滂沱と溢れていき……。


「……………っっっ!!!」


本能からの警鐘で完全に自己復帰して咄嗟に後ろに飛び退いた。
攻めを止め下がる選択をしたのは単なる警戒か、それとも殺意よりも生存の意志が勝ったのか。
当然前者だ。前者でしかない。それ以外であっていいはずはない。
答えの出ない迷宮に囚われた思考で、今はただこの「敵」と距離を取る事だけを考えるのみだ。


弾けた白影に連動して、式もまた背後に下がった。
得体の知れない異常よりも、確かに死の手応えを教える硬い感触が腹部に押し込まれる。
その寸前、身をよじり衝撃の全てを受け止めるのだけを避ける。

「……っ―――」

それでも、触れた箇所には鈍い痛みが疼く。
内部からの破壊を目的にした八極の拳打は、まともに入れば内臓と、それを守る骨が砕かれていただろう。
逸らした顔があった位置を、幹のように野太く鍛えられた言峰綺礼の腕が通過する。
まともに打たれれば首がもがれてもおかしくない功夫の冴えに、式の本能は刺激される。
続く拳をスウェーでかわし背後に下がる。
空いた隙へ切り込むよりも、全身に刺さる怖気から身を守る方を選んだ。
周囲にひしめく泥は何の反応も見せず、拍子抜けするほど簡単に退避が出来た。

聖杯を俯瞰できる位置、即ち初めてここの着いた時の場所にまで戻って、式は海に浮かぶ樹を見上げる。
空に巣食う赤い稲妻。
天上での死闘の余波が、聖杯に触れようとする黒い泥の手を打ち落とす。

「―――――――――これは」

隣には、立ち戻った一方通行が焦燥した表情で同じ標的を睨んでいる。

「……この感じ、前にもあったぞ。
 似たような胸糞悪い障られ方だ。あの紅いヤツとやってた時、か?」

かつて似た現象に囚われていた記憶を一方通行は反芻する。
そう、あれは駐車場での事だ。あらゆる手を封じて詰みに入っていた紅い騎士の機動兵器。
それが突如として威勢を取り戻した、あの時の不穏な不運を招かれた謎の介入操作―――。



「そうか、決めにきたか。
 調整するのはもう十分かね?宮永咲」

「あン?」

ただ一人。
全てに納得しているとばかりに、異変に顔を強張らせないまま微笑でいる男の声が聴こえる。


「なんだ、ここに至ってまだ分かっていないのか。
 数々の未知の異能、ありえざる異常に関わってきたのならすぐ気づくかと思っていたが、残念だな」


『樹』は、未だ異変の只中にいたままでいる。
花葉が枝が根が幹が、樹全体が激しく揺れている。


「―――遊戯の中では、時に魔物が身を潜めていることがある。
 賭けるものがないがゆえに他を顧みず容赦なく全力を尽くし、命を取り合う恐怖がないからこそ他を竦ませる戦術を躊躇いなく用いる。
 戦場であれば恐れられ疎まれるであろうその魔物は、遊戯台にあってはむしろ賛美と名声で迎えられる。
 当然だ。彼らは公正な試合の元で戦い、単純に勝ったのみだ。それが疎まれる謂れはない。
 己の異質さ、禍々しさを自覚することなく、戯れに人の死を築き上げていく。
 悪意も敵意もないまま、純然たる善意と好意を以て他者を蹂躙し嬲り屠る魔性の化物。
 宮永咲はまさにそれだった」


伝わる揺れは樹木全体が起こしているものだ。
根を張る地面のみならず、空までもが樹の振動に震撼していた。


「単に素養があるだけで聖杯の器は務まらん。
 まして始めから器になるべく設計も調整も為されていない娘では、この孔を固定することは到底かなわん。
 だが彼女には別の素質があった。世界という絵巻の秤となるべく生まれ落ちた舞台装置。
 そして卓上のみにおいて発揮される、運命を決める権能の力。
 誇張なく、宮永咲は『世界の主役』と呼ばれる存在だ」


然り。これこそ震えだった。
殺戮の喜悦によるものとは質の違う漣の根源は、途方もない恐れから振るえているのだと式には思えた。

あの視線を受け止めた一方通行は、ふと思ってしまう。
悪しか齎さない殺害という概念の化身であるあの泥。
意志すら定かでないこの世全ての悪が、あんな踏めば潰れるような草花に恐怖しているのだと、あまりにも馬鹿馬鹿しい考えを。


「私とお前たち、そして彼女。
 これで四人。卓を囲むには丁度いい数だ。
 とうに牌は配られ、賽子(ダイス)は回っている。ならば後はもう思うがままだ」

「さっきから、何を言ってる。おまえ」


殺し合いに巻き込まれた不幸な被害者。
何の責もなく、無理やり生贄の役目を負わされた憐れな犠牲者。
式も一方通行も、あの少女はそれだけの存在だと認識していた。
今でも、それが間違っていると思わない。


だが、それなら今あそこに収められている人型は。
全体を影に呑まれ、焔を宿した眼でこちらを睥睨するその姿は。


「単純な話だ。既に我々は彼女の遊興に付き合わされていたというわけだ。
 損傷、消耗、彼我の戦力差。
 真剣に殺し合ってるように見えて、その実我々には互いに何も失っていない。
 全てが以前と――――変動なし(プラスマイナスゼロ)のままでいる。
 私も含め誰もが決着を望んでいるというのに、彼女の意志がそれを拒んだというだけで、こうして膠着を生み出した。
 聖杯ですらもその指向性を誘導させられている。引き役を務めるこちらでさえ空恐ろしさを覚えずにはいられんな」



戦慄する。
勘違いしていたのは―――果たして、いったいどちらだったのか。

予め定められた都合のいい展開を相手から差し出され、知らぬうちにそれに乗せられ操られていた。
これまで思い通りに進めていた戦いが全て、あの掌の上で転がされていたとすれば。
もはや人に収まる業ではない。正統な流れにある者には受け入れられない邪に映る。
「魔」と呼ばれる類の、怪異だ。


「だがそれも終わりだ。
 どうやら、この状態でも勝利の決意は残っているらしい。本能が剥き出しになったと言った方が正しいか。
 図らずも、私にとっても喜ばしい限りだ。虚飾のない人間の命の疾走は、誰であろうと美しい」


神父は笑った。これ以上なく朗らかに。晴れやかに。
虚偽なき本心からの祝福を、人ならざるカタチに昇華された魔姫へ送る。



「―――喜べ少女。君の願いは、ようやく叶う」



聖杯は願いを叶えるもの。
どのような人物、どのような小さな願望だろうとその理想を形にして見せる。
少女はいま、確かに願った。
人間性、世界との関わりを削ぎ落とし、裸になった心になお残った、あまりにもささやかな希望。




それが此処に、最悪の形で曲解され一つの局を立つ。




「さあ、開化(カイホウ)が始まるぞ。
 せいぜい耐えるがいい。命を消(とば)されたくなければな」



妖花が狂い咲く。
悶え乱れた触手総てが、無作為に悪害を散らすだけだった呪いが、ここにひとつの意志の元で統一される。

声を皮切りに、地に埋もれていた"根"が一丸となって、猛烈な勢いで二人に押し寄せてきた。
町を飲み込み災禍を引き起す、荒海の津波そのものの速さ。
これまでにない膨大な量の泥は、左右に別れて回避した式と一方通行の間を通過したまま残留し、二人を分断する壁となった。


「「っ――――――!」」

動いた後で、双方が詰んだと悟った。
何が起きたかは計れない。ただ体の奥底で警鐘を通り越して観念したに近い声を鳴らしたのだ。
これから先、自分達はあの少女に殺される。
真綿で締められるように刻一刻と、絶望を丹念に塗り込められながら死んでいく。
理論を一切挟まない直感だけが、そう真実を叫んでいた。

当然、両者ともそれを易々と受け入れる性根の良さは持ち合わせていない。
式の前に踊る泥の筋は六条。刀を握った時で踏み込めば容易に討てる数。
しかし、繰り出されてきた触手の群れは一糸乱れぬ無駄のない機動で人体の急所めがけて突き入れにきた。

泥状の固形物でしかなかった呪いは、今や研ぎ澄まされた槍の形に先鋭化していた。
古流の剣客の業を継承した殺人鬼を以てしてかわしきれない槍撃の冴え。
研ぎ澄まされた殺意に統率された、訓練を受けた兵士の槍捌きであるかのような攻めは、式に迎撃の間を与えずその場に釘付けにする。
その肉の内は、よく見れば人間の静脈のような青い筋が通っている。

バースデイを介して混入させられたG-ER流体は人の悪意という記憶を読み取る。
そしてその惨劇の再現を行い、死を演出する。
幸せの時と名付けられた織物の如く。
少女に幸福な夢を魅せるため、ふたつの水は融和し、世界を満たそう広がっていた。


斬りつけ合う間に、槍衾は数を増していき、広がる光景は地獄の剣山の様相を呈していた。
一際大きい、心臓を狙う突き。式は避けも防ぎもせず正眼の大勢で槍の到来を待つ。
柱大の太さの黒槍が刃先に触れた瞬間、柄を持つ手首を捻り刀身を穂先に絡みつかせる。
流された槍の柄に浮かぶ溝に刀を押し込んだ途端、それまでの豪壮さが嘘のように槍は霧散した。

一本を凌いだところで安堵には遠すぎる。剣の山はひっきりなしに襲い掛かってきている。

二本目を落とす。三本目、四本目も同様に切る。

五本、裂く。六本を殺す七本を刈る八本九本は半ば無理やりに押し通す。



だが減らない。無限の質量は未だ健在のままでいる。
ただ一点の変化は、この呪いが今一人の意志に基づいて運動していることだ。


獲物は槍といわず、あらゆる類の武器が押し寄せる。
人の全知を尽くした殺戮の道具。それを自らの手で握り振るう血潮の武芸。
式に斬りかかっているのはただの呪いではなかった。
その対象に選別され凝縮された死の歴史。その閲覧に他ならない。

浅く、手足を戦斧が掠める。
継戦には支障ない。だがそれは今の式の剣捌きが現界に達しつつあるのを示す。
限界なのは肉体のみではない。中務正宗の刀身は綻び、名刀の銘に陰を落としていく。
付着する泥の一粒が、武器を腐食させる強酸となってじわじわと力を削いでいく。

地面から伸びる棘に間一髪で飛び退く。
通った跡を縫うように次々と棘が突き出て行く。
どこまでもどこまでも、追いかけていく。

「は―――っ、が、ァ――――――!」

別れた一方通行もまた、追われる立場にあった。

変化した戦法は無粋な物量戦。
無思慮に飛び込むだけだった呪いの塊は、明確な目的に測りその性質を多様化させていった。
対空迎撃用の榴弾を浴びせ続け、地面には一帯を覆う棘が足場を奪い時には串刺しにせんと伸縮する。

空を遮断するドームから滴り落ちる花弁が全身を打ちつける。
地より突き上げられる朽ちた死者の腕が仲間を求め足を掴んで引き摺り下ろす。
ただ独り、一方通行だけを取り残して、この世の全てが敵に回っていた。


無論、単なる物量に任せた包囲戦など超能力者の一方通行はものともしない。
回避するまでもなくただ立っているだけで凡そ全ての通常兵器はねじ曲がり、反射される。
だが今一方通行を襲うのは、この世にあらざる側から招かれたこの世全ての悪だ。

「っ!ギィ――――――!」

落ちてくる泥を退けようと振り上げた腕に、横から伸びた黒い縄が縛り上げられる。
肉は、溶けていない。デフォルトの反射では機能しなくとも一方通行の意志で適応するフィルターは変更できる。
泥と同質である脳内にこびりつく怨念を精査し、それに対応するよう再設定することで、即座に死に至ることは防いでいる。

そこまで対処しても、巻きつかれた触手は一向に離れようとはしない。
リアルタイムで設定を組み替えているのに、泥はそれに応じて組成を変化させているかのようにフィルターをすり抜けようとのたうっている。
結果、肌にへばり続けている泥は徐々にだが一方通行の肌に染み込み、内側から侵されつつあった。

「ベタベタと、付き纏って……鬱陶しいことこの上ねェンだよ!」

繋がれた線を介して逆流のベクトルを送り返す。
膨張破裂する触手。しかし既に次の手は迫っている。
空より降ってくるのは、一方通行を丸ごと包む大きさの桜色の泥花。

「この、クソがァっ!」

手で払いのける動作の通りに引き裂かれる花の蜜。
直接触れぬまま風圧でかき消せば反射の浸食も関係ない。
だがその分、能力時間は減っていってしまう。必要なベクトル数量が上がってしまう。

泥の強度が増しているのだ。
飽和状態で野暮図に垂れ流すだけだった能力が、ここにきて急速に結束している。
より硬く、速く、鋭く。
まるで何かを果たす為に計算されているような、豪胆と緻密が両立した間断なき攻め。

全方位からくまなく振りかかる呪詛の大波を止めるのに、既に能力の制限時間の四割を費やした。
条理外の法則で動く泥は能力による迎撃に相当のロスを生じさせていた。

まるで蜂にたかられる蟲だ。
飛べるのならまだいいが、羽をもがれて地に落ちれば、今度は蟻の群体についばまれ解体される。

「何も見ェねェ聞こェねェ分からねェ、その癖して好き勝手しやがって……!
 こンなモン、もう能力でもなンでもねェぞクソッタレがァ!」

触手をかわし続けつつ、黒くなった少女の能力を見抜こうと計算しても、答えにまったく行き着かない。
解析不能(エラー)ですらもない。『何が起きているか分からない』。

少女がこの異常を握っているのは理解できる。
何か、この場そのものに介入しているのも想定はできる。
空間に作用しているのか、特殊な電磁波を発しているのか。
たとえ一方通行自身に解析・観測されない波だとしても、結果としてあるものを見れば逆算して答えを導けるはずだ。
なのに齎す効果がなんなのか、能力の性質を読み解くピースが一片すら手に取ることが出来ないのはどういうことなのか。

宮永咲の能力。
果たして、それを能力に定義してしまっていいものなのか。
かつて一度、一方通行の挙動を翻弄してのけた天江衣も、この類の"魔"を携える雀士であった。

『麻雀を打つ』。
そんな他人からすれば一笑に付すような状況が、彼女らが生まれ持つ奇跡を発現するための土台となるものだった。
彼女が彼女であること以外に理由はなく、彼女らがそこに立つだけで事は速やかに成る。
そこにはありとあらゆる理論は省略され、ただ結果だけを現実に書き起こす。
規模こそ小さいが、それは確かに奇跡と呼ばれる業のひとつだった。

観測した現象から逆算して本物に近い推論を導こうにも、現象そのものが不理解であれば推理しようもない。
因果の累積で導けるとは違う、真の意味での運命。
人類、如何な系統樹の生命でも届かない断崖の果て。
一方通行にとって、彼女らの力は天敵に当たる存在というわけだ。
直死の魔眼でさえ、運命の死に線を通すのは叶わない。

……当然その発揮は麻雀内に限定される以上、本来なら脅威になどなりようはずもない。
ただの競技、遊興の域でしかなかった力を変えたのは、言うまでもない。
意思の強弱に関わらず。願いの質を問わずして。
万人の声を聞き届け実現する魔女の窯は、今目の前で中身を盛大に返しているのだから。






槍群に挟み込まれる。
空間ごと呑まれていく。
何処へ行こうが、死の轟雷は鳴り止まない。
嗚咽。苦悶。人の負の声が地獄で響き続ける。

段々と、『流されている』のを二人は感じた。
まるで強風に飛ばされる花弁のように、為す術なく風の向くままに吹き飛ばされている。
落ちる先が煉獄の炎だと理解しており、必死に抜け出そうとしても、風の檻は堅牢でまったく刃が立ってない。


印象を操り、思考を謀り、行動を縛る。
相手の自由を根こそぎ奪い尽くして自分の優位を不動のものにしてから、その果てに討ち取る。

これこそが遊戯の本質。差し手の赴くまま、盤上の駒は玩弄させられる。
命は転がされ、娯楽の大衆は消費される。
それを眺めて花々は微笑む。
搾り取られる贄の叫喚を、貌を綻ばせて愉しいと。
血の味も死の意味も知らなかった身で、少女は地獄を具現する。






それでも。

そう、それでもと、膝を折れない理由がある。





流れる血の海の中で、呪詛の弾雨が四方に散る。
絢爛とは真逆の汚濁した武具が粉と消える。
服を煤けさせ、幾度なく身に傷を増やそうとも、二人の動きが止まることはなかった。
皮膚から溶かされていく肉は、全ての熱を失ってない。
肉体の限界。能力の制限。そんなものは知らないと愚直に前を睨み進み続ける。

遊びに精を尽くす少女とは違う。
式が先に進むのは。一方通行が命を賭けるのは。より硬い意志から伸びているもの。
こんな枝葉で止められほど、止まっていられるほど彼らの決意は温くはない。脆くない。
この世全ての悪だろうと地表に墜落寸前の彗星だろうと、立ち向かうという選択以外取るべき道(コト)はない。

何故なら、その先に求めるものがあるから。
その先が、自分の歩みたい道なのだから。

全世を覆う怨念に比べてなんとも小さい願い。
だから、譲らない。自分だけのものだからこそ、誰にも邪魔させることはない。

制限時間の四割を切りながらも障害を跳ね除けて一方通行は前進する。
式も壁となって潰しかかる武具の猛撃を死の線に這わせて屑鉄に変えながら走り出す。
奇跡の恩寵を受けた聖杯の呪層界をものともせず突っ切って行く。
肉体の限界。能力の制限。そんなものは知らないと愚直に前を睨み進み続ける。

故に。

己の導いた通りに動いた二人を、少女は完全に刈りにかかった。



時間がない、と二人は言った。これ以上の暇はないと。
事実その通りだった。もう、時間はない。
生者が生きていられる時間はここで打ち止めとなる。
駒は回りに回り、場は掻き混ぜられた。『宣言』の準備は成っている。
対峙者の血をも蒸発させる、極大極地の一撃。
千山に咲き誇る、大輪の花の開放は。



「当たりを引いた、か。ではこれで終局だな」


逃れようのない終わり。
聖杯の女神と化した、少女が少女である所以の発動。


コールタールのように濁った海。
煮えたぎり、泡立つ、命の生存を許さない泥の中で、瘤が隆起した。
足を広げた地面に枝、式と一方通行の立つ位置、聖杯自身からも至る場所に瘤が表れていく。
拳大でしかなかったそれは空気を含んだ風船のように急激に膨れ上がり、瞬く間に破裂直前にまで成長した。

水から上がったクラゲじみた、滑稽にも映る風体。
だがそこに詰まっているだろうものを想像すれば、笑いなどすぐに引きつった。
樹木から生えてくるモノといえば当然、開化を待つ前の蕾に他ならない。



「「             !!」」



絶句。
秒を刻むより先に疾駆。
白と黒の直線を残像にして二人は走り出していた。


空気が爆発し、中空で急激に加速する一方通行。
式も網の目をくぐるように呪いの剣槍をかいくぐって最短で中心に向かおうとする。

確信だ。
ここで落とさなければ間違いなく終わる。
予測予感なんてものとは比較にならない実感が背中を後押ししていく。


「黙って、撃たせて、やると、
 思ってンのかァ――――――!」

足を着けて移動しなければならない式より、空を弾けて飛ぶ一方通行が一歩早く必殺の態勢を取った。
手と手の間。風を吸い込み収束される電子の波。
圧縮された空気はプラズマ化され融滅の光線へと変わりゆく。
この桜花が中身にある種子を破裂させるより前に、大元たる黒樹を焼き散らす―――!


照準を向けている光を理解したか、阻止させる迎撃が振るわれる。
地盤ごと持ちあがったような震動を上げて放たれたのはもう触手とは呼べない形状だった。
太さといい大きさといい、深海の海獣が全身をそのまま叩きつけるのに等しい。
海中を遊泳する鯨の如き泥の結晶は猛然と一方通行へと突貫し――――途中でビタリと微動だにせず制止した。

「邪魔だ」

切り開くのは、一刀の煌めき。
数百メートルに及ぶ巨躯に、数十センチ程度の小さな傷が突き刺さる。
悪魔はその動力の元を断たれ、十と七の破片に分割した。

式にとっては、進行上の妨げだったものを殺しただけ。
接近して自らの手で聖杯に刃を通すために進行上の障害物を破壊したに過ぎない。
それでも、一方通行にとってはこれ以上ない援護の形。


「素敵な仕事だな両儀クン、ご褒美にトドメは貰っといてやるよォ!
 さあ燃え散れ!チリも残らずなァ!!」


照射される熱線。
吼え奔る光の渦。
灼熱の衝撃が悪を具現した黒い巨塔を眩く照らす。
怒れる雷神の鉄槌が、科学の鬼子の手によって振り下ろされる。

触れるまでもなく蒸発していく泥沼。
汚濁の跡も許すまいと閃光の熱波は容赦なく世界を滅ぼしていく。

その、筈なのに。






「な」







白滅する視界の先に広がるのは、






怪物の口を思わせる、底なしの暗闇。








咲き乱れる、惡の華。

光をも飲み干す黒い海。

雷火の輝きすらもが、無窮の地獄に落ちていく。





「に―――」

プラズマの熱線が少女に直撃するよりも前に。
式が裂いた巨塊の破片それぞれの中に、無数に敷き詰められた蕾が破裂したという、起きた事実を理解する事もない。
ベクトルの反射など何の抵抗ももたらさず。
断末魔の声を上げる間もなく、一方通行の全身は波濤に押し流されるように消えていった。











「ぁ――――――」

正面から大波を浴びた一方通行と違い、聖杯に肉薄していた式は背中から諸共にソレを受けることになった。
断線される意識の中で感じたのは泥がもたらす灼熱の傷みではなく、腹部に叩きこまれた拳打の衝撃。
蕾の炸裂と同時に震脚を打ち鳴らし懐に滑走した言峰綺礼の発勁だった。
吹き飛ばされる全身が、爆散して溜め込まれた泥の海に激突し、中へと沈み込んでいく。





呪いのたちこめる展示場から、生きる者の気配が消える。
立つのはただ一人の死者、言峰綺礼だけ。
死人は濁った空を仰ぎ見て、地の底へと思いを馳せる。


「そろそろ、だろうな。
 最後に待つ扉まで辿り着いた時、君は如何とする?」


















◆ ◆ ◆










4 / 花痕 -shirushi- (Ⅰ)







音を追う。

怪物に浸食された展示場。黒く染まり鼓動する壁面の続く先。
奈落のような螺旋階段。
螺子巻く道の最奥から広がる音を、僕は追う。

こつ、こつ、こつ、と。

それは小さな靴音だった。
決して力強くはない、むしろ可愛らしさすら感じさせる、弱い音だった。
だけどその音は、決して止まることが無かった。

どこまでも行く。
地下へと潜る階段の向こう、闇の向こう、僕のずっと先を行く少女の足取りに、迷いだけは無かった。
少女は、秋山澪は進んでいく。

ひたむきに。ひたむきに。怪物の腹の中を進んでいく。
潜り込んでいく。
廊下の先に広がる闇の、更に更に奥へと。

僕はその足取りを追い続けていた。
先ほど廊下で見た、流れる黒髪の残滓。以降、秋山澪の姿を見てはいない。
尾行に気づかれないよう、後姿が見えないギリギリの距離で足音を追い続ける。
だから僕たちはまだ、お互いの顔を見てすらいないのだ。

「どこまで……いくんだろうな、アイツ」

口の中で、僕は小さくつぶやく。
実際、尾行を始めてから、かなりの時間が経っていた。
黒き聖杯と同化した展示場外周廊下から地下に降り始め、もう数十分は経過しただろうか。

かなり地下深くに潜っている筈だけど、螺旋階段の終わりは一向に見えない。
外の戦いは今、どうなっているんだろう。
そもそも、どこに繋がる階段なんだろう。
秋山澪は、今、このタイミングで、どこを目指しているのだろう。

そして僕の全身を襲う寒気は、言いようのない不安は、どこから来ているのか。
秋山澪の黒髪を見た時。
感じた恐怖の正体。
きっと僕はどこかで、確信を抱いていて……。

「なあ、この階段、どこに繋がってるんだ?」

だから僕は小声で、知っている奴に答えを聞くことにした。

「おそらく工房……アラヤの残した結界の内側です」

僕の背中にのっかる小さなシスター。
忍野から僕に引っ付き先を映した魔導図書館は、今までとは少し違った口調で答えてくれる。

「黒聖杯の影響か、アラヤの仕掛けか、分かりませんが、展示場地下の構造が変化しています。
 ですが向かう先は間違いなくそこです。目的までは推定しきれませんが」

今の彼女の声には、『色』があるような気がした。
少しずつ見え始めていた物がいよいよ顔を出したような。
所謂、人間味という暖かさ。
それが、今、薄暗い螺旋階段を潜り続ける僕の身には、とても優しく感じられた。



◆ ◆ ◆

足音が、止んだ。


長い長い螺旋の終わりを告げる無音。
つまり彼女はもうすぐたどり着くのだ。彼女の目指していた場所に。
僕の歩みも自然、早くなりかける。

だけど抑えなければならない。
ここで一気に距離を詰めようとしたら、今まで気づかれないように尾行してきた意味がない。

目の前に広がるのは長い長い廊下。
幾重にも分岐した、迷路のような真っ黒い道だった。

もう一度だけ考える。
彼女がここに居る意味。
僕がここに居る意味。
僕が感じていた予感の意味を。

何故、彼女はまっすぐここに来たのだろう。
僕たちの敵を名乗った彼女が。
一人の味方すら持たない彼女が何をもって戦おうとし、ここに現れたのか。


当然、ここに勝ち目があるからに他ならない。


そして、もしも、もしも、だ。
参加者も主催者も、誰しも平等に混乱を約束されていた、『黒聖杯』の出現。
この世界の神を名乗る者でさえ、知らなかったというもう一つの『逸脱した力』。

この状況で、冷静で在れた者が居たとすれば。
冷静に、己の勝筋に進んでいける物が居たとすれば。
それは、それを『知っていたモノ』に限られる。



そしてそれが、もしも、彼女だとするならば。



「―――――なっ!!」



前方から微かに聞こえていた足音が、唐突に切り替わった。
穏やかな『歩行』リズムから、連続した、そして切迫した『走り』のそれへと。

「くっそ! ……ここで待ってろ!」

慌てて僕も、インデックスを背中から降ろし、その場に残したまま床を蹴り飛ばして駆け出した。
何故気づかれた?
いや、違う。

「いつ、バレてたんだよ!?」

足音が遠すぎる。
全力で追いかけているのに、未だに背中が見えない。
距離が、開きすぎている。
少しずつ、少しずつ、秋山澪は歩くスピードを上げていたのか。

螺旋階段の一本道では追いつかれるから。
迷路のように複雑な廊下に出てから、一気に僕を引き離すつもりで!

「にがすか……!!」

まだ僅かに聞こえる足音を追って、スピードを上げる。
道に迷ったら終わりだ。

曲がる廊下を間違えないよう、体に残る吸血鬼の血を総動員して、聴覚を研ぎ澄ます。
目を凝らして薄暗い廊下の先を暗視する。



―――足音が、完全に止んだ。



秋山澪はたどり着いたのだ。
思考が、そして体が『急げ!』と命令してくる。
何かが、手遅れになる前に。

廊下の角を一度曲がり、二度曲がり、見えた。
通路突当りの部屋――と言っていいのだろうか。
シェルターのように大掛かりな扉が今にも閉じようとしていた。






◆ ◆ ◆

広く、そして真っ白い部屋だった。
壁も、床も、何もかもが白い。
黒く染められた建造物の中にあって、それは異質な場所だった。

だけど白さの質は、空に浮かぶ清廉とはまた別種の物だ。
機械的な白。無機質な白。滅菌処理を徹底し、生活感を削ぎ落したような無の空気。
滑り込んだ部屋は、そんな場所だった。

部屋にはプラスチック製の机が大量に置かれ、机の上にはずらりとPCが並べられている。
そして中央、聳え立つモニターの集合体のような塔の麓に、彼女は立っていた。

平沢と同じ女子高の制服を着た、一人の少女。
部屋に侵入した僕を無視し、モニターの塔の麓でコンソールを叩き続ける彼女は一心不乱に指を動かし続けている。
僕が来る前からずっと、操作し続けていたのだろう。
かたり、かたり、と。
最後に一度二度操作を行ってから。
彼女はこちらを振り返った。


「そっか、あなたが、来たんだ」


黒髪が、流れる。
突発的に脳裏によぎる、第一印象。
『綺麗な女の子』だ。
そう、『綺麗』で『女の子』だ。
傷だらけで、もうどうしようもない位彼女はいろんな意味で傷だらけで。
それでも目の前に立つ少女は『綺麗』で、そして『女の子』だった。
ああ、平沢から聞いてた印象と、ピタリと、当てはまる。

「お互い。実際に会うのは初めてだな。秋山澪」

「そうだな。阿良々木暦」

その話し方に、物凄いアンバランスさを感じる。
アンバランスさが、マッチする。
何とも言い難い大和撫子。
そんな事を、思った瞬間だった。

『管理コード:コトミネキレイ 認証』

無機質な機械音声が、辺りに響き渡った。

『最終権限者と認識します』

発生源は秋山の背後の機械塔に取り付けられたスピーカー。
同時、映し出されるモニター、そして部屋中のPCが一斉に起動した。
嫌な予感が、いや、絶望的な予感が、全身を駆け巡る。
ここは一体、何をする場所なんだ?


「……お前……」

「―――言っただろ。私は、敵だって」


冷淡な声で、冷淡な言葉を、少女は奏でる。
その眼からは、欺瞞も、迷いも、一切の躊躇すらも、感じ取ることはできなかった

『フェーズ:5 開始』  

秋山澪の背後。
モニターに表示された事象が、どれだけ非現実的な光景であったとしても。


『最終権限行使により、ゲームの強制終了を実行します』


眼は、本気だと、何より饒舌に語っていた。


「私は勝つよ、阿良々木暦。あなただけじゃない、全員に、勝たせてもらう」


ああ、本当に、ここまでとは思わなかった。



『使用兵器名称―――――』



完全に、僕の予想を超えていた。
終わらせる。
ここは『そのための場所』なのだ。


「勝って、取り戻す。
 取り戻す為に私は、この世界を……ぶっ壊す!!」




『"Field Limitary Effective Implosion Armament"』



フレイヤ。
領域制限爆縮兵器の『大量投入』による、地上空間の消滅。
そう、殲滅ですらない――消滅だ。
モニターに表示されている圧倒的な破壊事象は、文字通り、地上に存在する生命全てを壊すと告げていた。

『最終認証を行います。実行しますか……?』

白聖杯、そして黒聖杯。
幻想の究極系を打ち倒す『現実』の究極系は、
幻想よりも遥かな非現実感をもって、僕の前に映し出されている。

「待……っ!」

駆け出した時には遅かった。
いや最初から、この部屋にたどり着いた段階から、僕は遅すぎた。
僕の足が部屋の中央に辿り着くよりも、少女の手が振り下ろされる方が、早いに決まっている。

機械塔から飛び出した認識口を切り裂くように、スラッシュされるカードキー。
最後のトリガーが、引かれた。


『最終認証終了。カウントダウンを開始します』


次に上げられた少女の手は、既にカードキーを握っていなかった。
代わりに、銀の銃を……どこかで見覚えのある銃口を、こちらへ突きつけていた。

「……ッァ!!!」

思考を放棄し、身体を捻って、近くの机の影に飛び込む。
瞬間、肩口に焼けるような痛みが走った。
無視して這いずりながら、放たれる銃撃をやり過ごす事に全神経を集中する。


『フレイヤ発射まで、残り十分です』

机の影に隠れ、銃撃を凌ぎながら肩口を押さえる。
回復力は……だいぶ弱まってはいるものの、まだ働いている。
戦う事は出来るだろう。
だけど既に、トリガーは引かれてしまった。
希望があるとすれば……実行までの残り時間だけか。

「……このカウントダウンが終われば、フレイヤは発射される。
 それを使えば、地上の会場全部が吹き飛ぶんだってさ」


淡々と、淡々と、冗談のようなスケールを少女は語る。


「帝愛が残した最後の切り札。ゲームのリセットボタン。
 ……すごいよな。
 空に浮かんでる神様も、このすぐ上の真っ黒お化けも。
 全部全部、平等に消えてなくなる。そしたら……勝ったも同然だ」


全てを壊して、求める全てを手に入れると。
いや、全てを、取り戻すのだと。

「地下シェルターとアラヤの結界で地上と二重に切り離されたこの場所だけは、爆弾の影響範囲外。
 だから……あんただけは、私が直接殺さなきゃいけないみたいだけど」

「それで……願いを叶えられるモノまで消してしまったら、どうするつもりなんだよ!!」

「―――心配ないよ」


僕の叫び声を、一笑に付して、少女は軽く言い切った。


「願いだけは、誰にも撃ち落せないから」


無茶苦茶だ。
方法が滅茶苦茶すぎる。
そしてそれ以上に滅茶苦茶なのは――

「だから早く、さ。出てきてほしいんだ。
 なるべく早く終わらせたいんだよ、こんなの」

彼女が今、泣いていることだ。
後悔、罪悪感、恐怖。正体ははっきりしていない。
だけど初めて彼女の顔を見た時から既に、彼女の表情はくしゃくしゃに歪んでいた。
泣きながら、そして涙をぬぐいながら、彼女は、リセットボタンを押し切ったのだ。

「私の願いは、失くした物を取り戻すことだ。
 その為に、自分勝手に全部壊そうとしてる。
 正義の味方がやりたいなら、出てきて私と戦えばいい。まあ、どうせ手遅れだけど」

自分の為に。
求める物の為に。
全部を壊すと言い切った。

その願いを、その想いを、その行為すらを。
僕は、愚かと思う事も、悪だと断ずることも、出来なかった。

彼女はヤケになったわけでも、気が狂ったわけでもない。
ただ純粋に求めているだけだ。
泣けるほど痛みを感じる事が出来る、震えるほど恐怖を感じることができる。
無感になったわけでも、無痛になったわけでもない。自分を偽ったわけですらない。

『それでも』だ。それでも、求めてやまないから。
諦めることが出来ないから、手を伸ばす。
失くした物を、理不尽に奪われたものを、ひたむきに。
泣きながらでも。震えながらでも。
取り戻したいと願っている。
その姿を、愚かだと、悪だと、誰にも言う権利はない。

僕だって、彼女と同じ思いを感じることが出来るから。
僕には、それを、彼女ほど純粋に願う事が出来ないだけで。
取り戻したいと思う気持ちなら、十分に理解できてしまうから。

世界の崩壊すら、こんな世界なら、いっそ痛快かもしれない。
むしろ彼女から、僕から、大切なモノを奪った世界へと振るわれる鉄槌に、多少の正当性すらあるように感じる。
そう、何故なら僕は―――


「僕は、正義の味方じゃない」


僕には彼女の願いも、行動も、否定できない。
この場所にはもう、善も悪も、残っていない。
在るのは一つの純粋な祈りだけ。少女の背負う、ひたむきな『願い』だけだ。
だから他に、在るとすれば、あと、もう一つ。


「僕は僕の、身勝手な理由で、お前に殺されてなんかやらないよ。秋山」


ああ、やっぱり。
僕が請け負うべき役目はここに在るらしい。

それは、正義などではない。
善などでは、全くない。
酷く、酷く、残念で最低な役柄だ。

世界丸ごと敵に回した少女の、ちっぽけで尊い願いを、踏みにじる為に、一人の無粋な男がやってきた。
それが誰かは、もはや言うまでもないだろう。


かちり、と。
遠くで装填の音が聞こえる。

ぐい、と。
止血を終えた僕は、膝に力を込める。


「残り十分。時間もない。始めようか」


どちらからともなく、そう言った。
一応、世界の命運を左右するんだけど、実は世界なんかどうでもいい個人戦。

最終幕。
僕にとっての、戦いの始まり。
最後にしてもっとも規模の小さく、そのくせ与える影響のもっとも大きな戦局が、静かに動き出していた。





◆ ◆ ◆




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338:2nd / DAYBREAK'S BELL(1) 両儀式 2nd / DAYBREAK'S BELL(5)
一方通行
言峰綺礼
阿良々木暦
インデックス 3rd / 天使にふれたよ(2)
335:1st / COLORS / TURN 5 :『Listen!!』 秋山澪 2nd / DAYBREAK'S BELL(5)