3rd / 天使にふれたよ(3)◆ANI3oprwOY










/夢物語








――――そうして、少女はたどり着いた。






雫が、落ちる。
ゆっくりと、天井から床へ。

時が止まったような静寂に包まれた、展示場ホール。
床に点在する黒き水たまりに、吹き抜けから差し込む月の光が映っている。
その水面は穏やかだ。
胎動していた泥の勢いは既に収まり、湿り気だけが残されたそこは、まるで雨上がりのようだった。

人の声は、ない。
一つの戦いが終わった後。
残されたものは、朽ち果てた廃墟と、力を失くした汚泥の残骸と―――


―――かつり。
と、小さく。
踏み込む音があった。
静寂の空間に、立ち入る足音が、あった。

決して力強い歩みではない。
自身のある歩みではない。
ここで舞い続けた者達に比べれば、どれだけ頼りない者だろう。
だが、迷いもまた、そこには無かった。

その歩みを奏でる者は、少女は、平沢憂は、迷いなく進む。
廃墟と化したホールの中を、真っ直ぐに。
目指したものに向かって、歩き続けて。



―――かつり、かつり……っ。


そうして、ゆっくりと、歩みは―――走りへと。
堰を切るようにして、少女は駆け出した。
目指した場所、目指した人の居る所へ。
腕を振り、真っ黒な地面を蹴り飛ばし、自分に可能な最短を実現して。

「……っ……今度は……っ!」

展示場ホールの中央に倒れ伏した、幾つかの人型。
そのうちの一つに、再会を願う人の元に。

「……今度は、間に合って……!」

少女はたどり着く。
駆け寄って、確かめて、そして、

「……っ…………」

まだ、消えてない。
死んで、ない。
彼に、真っ黒い床に横たわる阿良々木暦に、確かに息はあった。

「よかった、まだ。生きてる」

とても微弱な、力の無い生命活動であったけれど。
それでも生きていた。
僅かな呼吸。
小さな鼓動。
それらが、彼がまだ、『続いている』ことを、示していたから。


「あなたを、死なせませんよ……絶対。
 約束は……まだ生きてるんだから……っ!」

また会うと誓った。
「君の手を引く」と、彼は言った。
それを嘘には、させない。

憂にとっての約束は、決して『看取る』ことではなく。
生きて、言葉を交わさなければ、認められはしないものだ。
そして何より今、憂自身の中に、彼に伝えたい言葉が在るのだから。

腕の切断された肩口を縛り、これ以上の失血を阻止する。
加えて、近くに転がっていた腕を断面に合わせ、ガムテープと添え木で固定した。
即席かつ乱暴であったが、今できる限界であり―――

「……お願い、阿良々木さん……頑張って」

どれだけ傷つけられても、再生した。
手首を落とされても、時間を掛ければ接合できた。
そんな彼の身体の強さに、賭けるしかなかった。

阿良々木暦の再生能力には限界がある。
まず即死級の怪我は直せず、血を流す度に弱まり、時間が経つほどに消耗する。
しかしまだ、今も阿良々木暦の身体は微弱ではあるが、再生を続けていた。
常人であれば憂の応急処置を受けるまでもたず、限界を迎えていただろう。

阿良々木暦は今も、生きようとしている。
例え、尽きかけた蝋燭の如き再生力だったとしても。
だから憂も、彼の命を諦めるつもりは無く。

「死なせない……絶対」

その時、ぴちゃりと、一際大きな雫の音がした。

「――――!?」

無意識に任せて腕を動かす。
素早く銃を抜き、ホールの一角に向けた。

直感が、危険を告げている。
そこでようやく、憂は改めて、周囲の状況を理解した。

阿良々木の傍には、真っ白なシスター。インデックスが倒れていた。
仰向けに倒れた彼女は、息をしていたけれど、見開かれたままの眼は何もうつしていないように虚ろで。
おそらく、もう、何もうつすことは無いのだろうと、憂は思う。
理屈ではない直感で、彼女はもう、終わってしまったのだと。

少し離れたところでは、両儀式が、蹲っている。
胸を僅かに上下させていることから、生きてはいるようだが、
疲労の為か、一言も発する余裕はないようだ

そして、更に奥には、一つの死体があった。
一方通行と呼ばれた、超能力者の屍。
胸に赤い槍の直撃を受け、黒い泥の中に、うつ伏せに沈んでいる。




憂の銃は、そのいずれにも向けられていなかった。


「また……こうなっちゃたな。私たち」

「…………」

聞こえた声。
今、危険を感じ、反射的に銃を向けた方向を、なぜだか見たくなかった。


「なあ、まだ、こっちを向いてくれないのか。 憂ちゃん」


せめて、死を見てくれないか。
大切な人の死を、見ないふりしないでくれと。
いつか彼女から投げかけられた言葉だった。

「いいえ」

だから今、応えなければならなかった。
見なければならなかった。
例えそこに、どれだけ見たくないものが在ったとしても。

「私はもう、向き合うことにしたんです。澪さん」

顔を上げて正面から見つめる。
憂以外に、この場で唯一、動くことが出来る者。


「生きてて……よかった」


―――こちらに銃を向けて立っていた、秋山澪を。




「その男から、離れてくれ」




短く、澪はそう告げた。
銃口を憂でなく、いま憂が抱きかかえる少年、阿良々木暦へと向けながら。




「殺すつもり、なんですね」

質問に澪は沈黙でもって肯定した。
彼を殺す。
今、その為だけに、彼女はこの危険地帯に留まっている。


「憂ちゃん。私は、まだ諦めてないんだよ」


彼に向けられた銃口は、震えていなかった。
瞳は、決意していた。

「もうすぐ、チャンスが来る。全部、取り戻せるんだよ。
 これ以上何も失うことなく。
 もしかしたら、憂ちゃん達を―――殺すこともなく」

全てを取り戻す。
そして、これ以上、何も失う事は無い。
その範疇に、憂もまた含まれている。
願望でも妄想でもなく、彼女は希望を叶えると確信していて。

素直に、憂は嬉しく思った。
あなたが大事なのだと、言ってくれたことを。

「時間が無い。急いでここを脱出しなきゃいけない」

けれど同時に、秋山澪は、こうも言っている。


「だけどね。……その前に、その男だけは、ここで殺しておかなきゃいけないんだ。
 理由を話してる時間は無い。
 けど、その男だけが『例外』なんだ。今の私にとって、唯一、殺さなきゃいけない敵なんだ」


願望を成就させる為の前提として、阿良々木暦を殺す、と。


「今からでもいい。一緒に来てくれないか、憂ちゃん。
 もう、向き合ってくれたんだろう? 悲しんでくれたんだろう?
 だったら……わかるだろう……」


ああ、分かる。
分かると思う。
決して秋山澪と同じ深度とは言わない。
けれど、失った者に向き合う悲しみ、痛み、重さに、平沢憂は向き合った。


「……わかりますよ。わからないわけ……ないじゃないですか……」


失った者に向き合う。
何の意味も無いのに、何も帰ることは無いのに、なのに心が、そうしようと叫ぶ背反。
ひたすら辛くて、痛くて、重くて。
結果、死は、帰らない過去は、乗り越える物ですらなく。
どうしようもない傷を受けて『それで終わり』の物語だ。

だからその運命を、『どうしようもないおしまい』を、認めず抗う、彼女の気持ちが。
痛いほど、わかる。分かってしまう。
共に行く、そんな選択肢もあると思う。平沢憂は秋山澪を、絶対に否定しない。
少し前、何もなかった憂なら、そういう選択をしただろう。
この世界に来て、大切な人を失って、『それだけ』だったなら。

「だけど、私は……この人を、死なせません」

それは切迫した状況でありながら、静かな言葉の交わしあいだった。
憂は不思議に思う。
自分は誰よりも、彼を、殺そうとしていた筈なのに。

今は、こんなにも必死に、守ろうとしている。
守りたいと、思える。
まったくもって、変な運命だなあ、と。


「………」


秋山澪は、一度、悲しそうに、憂から目線を切った。
明らかな隙であり、どちらも承知していたが、なにもしなかった。
憂は静かに、澪の言葉を待っていた。


「……なんで、だよ」


改めて憂を見つめた澪がこぼした声は、悔しさに塗れていた。


「……そいつが、憂ちゃんに何をしたんだよ」


なぜ庇う。
なぜ守ろうとする。

「助けてくれたのか?
 救ってくれたのか?
 私たちの、誰か一人でも、そいつは拾い上げてくれたのかよ。
 居ただけ、じゃないか……偶々……そこに、いただけで。
 そいつは……何も出来ちゃ……いなかったじゃないか……」

そんなにも大切なのか。
ヒーローなんかじゃあり得ない。
何もしてくれなかった、出来なかった、ただの他人が。

「ここで失った誰よりも、いなくなった人よりも、大切だって言うのか?」

悲痛な叫びだった。
胸を抉る言葉だった。
静かに、静かに、憂は、口を開く。
いま、『あなたを助けたい』と言ってくれた、秋山澪へと、想いを返すために。

「澪さん……この人は……」

命を救ってくれたことが在るだろうか。
大切な人を助けてくれただろうか。
憂の心を襲った迷い、不安、絶望、それらを、取り除いてくれただろうか。

「たしかに、なにも、してくれませんでしたよ」

そう、阿良々木暦は何もしていない。
阿良々木暦は、平沢憂を助けてなどくれなかった。

助けてくれたから、また会いたいと思ったわけじゃない。
守ろうとしているわけじゃない。

秋山澪の言う通り。
彼はヒーローじゃなかった。
無力な彼は、ただそこにいただけのようなものだった。
そこに居て、誰も助けられず、一人でひた向きに頑張って、傷ついていただけ。

「いた、だけなんです」

偶々そこに。
他の誰でもない、彼は。
平沢憂の傍に。

「いたんです」

憂が一番つらかったとき。
誰かに、そばにいて欲しかったとき。
一人じゃきっと、耐えられなかったその時に。
彼は、そこにいた。

「いてくれたんですよ……」


平沢憂は、それに何より救われたのだから。
他に、何が必要だったと言うのだろう。

憂は、澪の眼を真正面から見つめ、告げる。
まっすぐに、まっすぐに、偽りない気持ちを伝える為に。

「ねえ、澪さん。私、お姉ちゃんが死んで……死んだんだって、やっと実感したとき。
 本当の重さで、分かったとき。
 とても、とても、悲しかったんです。
 言葉に出来ないくらい、死んでしまいたいくらい、痛かったんです」

その痛みは、今も無くならない。
平沢憂が死するその時まで、痛み続ける『傷』なのだろう。

「それは、『お姉ちゃんが私を助けてくれたから』、じゃないんです。
 私を庇って死んだからでも、血が繋がっていたからでもなくて。
 私はあの人からたくさんのものを貰っていたから、それを返してあげたかった。
 ずっと、一緒にいたかった。
 ……私は、あの人の事が、すきでした」


だからもう、それが叶わない事が悲しい。
あの人と同じくらい大好きになれる人が、この先、現れるだろうか。
太陽のように輝いていた笑顔。
私の星。
私のサンタクロース。
あったかい、素敵な魔法をたくさん教えてくれた人。


「お姉ちゃんが、大好きでした」


ああ、きっと、もう、現れることはない。
何故なら彼女は、世界に一人しかいないのだから。



「だい……だい……だいっっっすき。だったんです」

「ああ、知ってるよ」



あなたの為に、何でもしてあげたいと思っていた。
何でも出来るって思っていた。
それはきっと、私の為でもあったから。
私の、夢だったから。


「もう一度、あの夢が見れるなら、それは、きっと―――」

いつか平沢憂の胸を締め付けた、一つのユメ。
もう死んでしまった、終わってしまった夢。
続きを観れるというのなら、それはどれだけ魅力的なのだろうかと思う。
もしも憂の胸が『がらんどう』のままだったらなら、迷わず澪の手を取っていただろう。


「だけど、ここに……。
 ここにはもう……在るから。
 叶えたいって、願ってしまったから……」


しかし今、痛みと共に掴む、平沢憂の胸には、確かに在る。
『がらんどう』を、埋め尽くしたもの。
新しいユメ。
それは今までの夢とは全然違うものだ。

あの人が、戻ることは永遠に無い。
『あの人と同じ大好き』を、二度と想う事は無い。
当たり前だ、同じ『すき』は、二つとないのだから。


「ごめんなさい。澪さん」


けれどこの世界に、いちばんは、いっぱいある。
人は欲張りな生き物だ。
何かを永遠に失っても、また違う何かを得ることができる。
得たいと、想える。


「私は、あなたと一緒には行けません」


同じじゃない、代わりじゃない、唯一無二の。


「この夢を、譲りたくはないから」


それを得られた事こそを、何よりもの奇跡だと信じている。
きっかけをくれた彼に、傍にいてくれた彼に、心から感謝している。
だから、伝えなければならない言葉がある。

愛だろうか、恋だろうか、ただ大切だという、それだけだろうか。
なんて、複雑に考えるまでもない。

ただ、死んでほしくないと、居なくなってほしくないと。
いつか大切だった『彼女』や、『彼』と同じように、そして違うように。
想うことが出来れば、それだけで簡単に言えること。


「彼を、殺さないでください。私の、好きな人だから」


今、この胸の中にある、夢は。
たくさんの『彼』、そして『彼女』との関わりの中で、新たに芽生えた夢は。
抱いてしまった、平沢憂の、ユメは。

そっちには、ない。
この先、にしかない。
だからあなたと、一緒の道を歩むことは出来ないのだと。

「……それに……約束とか、しちゃいましたし」

そこでやっと、憂が澪から目を逸らし、照れたように。
付け加えるように言って、けれど次の瞬間には、もう一度、澪の眼を見つめて言った。


「私は、守ります。今度こそ」

両者共に、今相対する者を殺すつもりなど無く。
平沢憂の手にする銃は、澪ではなく、彼女が構える凶器に向いている。
秋山澪の銃口は、憂ではなく、彼女が守る阿良々木暦に向いている。


―――S&W M10 “ミリタリー&ポリス”。
元は誰の手に在ったものなのか。
彼女の友人を初め、幾人もの手に渡ったそれを、平沢憂は握り締める。

―――FN ブローニング・ハイパワー。
元は誰の手に在ったものなのか。
彼女がこの場所で唯一、本当の意味で仲間とした少女から受け継いだそれを、秋山澪は握り締める。

違う歴史を掴む。
それは彼女らが、今まで異なる道を歩んできた証明であり、
違うユメを持つに至る理由だった。
手放せないモノの為に、これから二人、違う道を歩んでいくために。

「……そっか」
「……はい」

澪が、憂が、そうして、覚悟を決めた時だった。


「―――――」


引き金が引かれることは無かった。
憂は、あり得ない音がしたことを認識する。
澪は、時間が来たことを意識する。

「――――――――a」

声を上げたのは死体だった。
いや、それは産声だったのかもしれない。
泥の中で倒れ伏したままの、一方通行の亡骸の口が、何か音を奏でている。

「――――――――――――a.a.a.a.a」

意味を成さない音の羅列を。

「―――――――――――――――l」

少女二人の語らいに、呼応するかのごとく。
心臓を貫かれた死体は。



「―――――――last――――――――――order」


一方通行は、立ち上がっていた。




◇ ◇ ◇

世界が、逆転している。


「―――」


上は下になり、左は右と化した。
喜悦は哀切に堕ち、枯渇は飽和し、光は闇となった。
光が視界を埋め尽くしている。
意識は無意識となり、思考を埋め尽くす感情の方向性が定まらぬまま形にならなず。

―――呆然と、空を見ていた。
仰向けに倒れたまま、展示場の吹き抜け、その更に先を。
黒き嶺上は枯れ落ち、伽藍の洞の底の底から、装飾された夜空に浮かぶ、光を見つめている。

光を見続ける彼は、何を思うのか。
きっと何も思わない。何も、思えない。
既に、彼の意識は停止しているのだから。


「――――――a」


雑音が鳴っている。


「――――a―――――a」


心臓を破壊されて生きていられる命など無い。
ならば今、彼を稼働させるものは何か。
彼の燃料として駆け巡るモノは―――

―――ドクン、ドクン、と。
在り得ぬ鼓動の音が鳴る。
真っ赤な槍に刺し穿たれたはずの左胸。

不可思議な光景だった。
仰向けに倒れたままの彼の、一方通行の左胸に突き刺さっている槍が、ゆっくりとその色を変えていく。
鮮やかな紅が、塗りつぶされていく。

おぞましく、穢れた黒へ。
とっくに変調していた一方通行の心臓に侵食されるが如く、穂先から駆け上がるように染め上がる。

一方通行の鼓動とシンクロするように、展示場内で力を失っていた汚泥が、再び胎動を始めた。
黒聖杯。
言峰綺礼、そして宮永咲という依代を失ったそれは消滅の危機を前に、縋るモノを求めた。
この世全ての悪。
悪性の聖杯。叶える願いを寄越せ。
その意味を、その価値を、生まれてきた理由を寄越せと。

過去幾度、拒否されたか知れない殺戮の器。
此度も無為に消えていく運命を告げられた有象無象の汚れ達が、縋るように群がる。
沈静化し徐々に消えゆく定めだった汚泥のすべてが、彼へ寄り集まっていた。
言峰綺礼が最後に勝者と定めた存在へ。死して尚、何かを諦められない器へと。

しかし彼の精神は既に動きを止めている。
肝心の意思が止まっているのだから、駆動させるべき方向性が定まらない。
このままではやはり、黒き聖杯の存在意義は果たせぬまま、すべてが朽ちる、筈だった。


「―――夢を、譲りたくはないから」


そんな言葉が、彼の耳に届いた。
直ぐ傍らで続けられていた、二人の少女の会話。
純粋で、まっすぐな思いのカケラ。


「………ユ……メ……」

うわ言のように口にする。
それは、なんだ。
死して止まっていた心に、染み入る響き。
死んでも忘れられない何かを、思い出してしまいそうになるほどの懐かしさが、からっぽの心に色を与えた。


「………」


眼を、開く。
ただ直上、空に在るモノを見る。

忘れない。
忘れられない。

嗚呼、いつか、遠い、いつか。
叶わない夢を見た。
決して届かない希望を、抱いてしまった。


守りたかった。
助けたかった。
共に生きていきたかった。

大切に思う彼女と。
同じ場所にいられたら、だなんて。
それはなんて、なんて分不相応な夢だったのだろう。

他人を守る方法なんて分からなかった。
助け方なんて理解できなかった。
昔から、最初から、己に出来たことなんて、一つだけ。

壊すことだけ。
ぶち壊して、ぶち壊して、ぶち壊して、何もかもぶち壊して台無しにしてしまう。
そんな最悪の方法しか知らなかったから。
なんて、愚か。そんな奴が、誰かを守ろうだなんて夢を持つこと自体が間違っていた。


「―――last――――order」


身体をゆっくりと、起こす。
すると目の前に、



アイツの、



姿が在った。

「―――――オ―――マ――エ」


一方通行の前に立っている。
誰もが待ち続けていた彼が、もしかすると誰よりも一方通行が、希求していたかもしれない主人公(アイツ)の姿が。
幻想を殺し、幻想を守る彼が、そこに立っている、前だけを見て立っている。
一歩通行の目の前で、前を、天を見上げて、元凶の神を見据えて、彼は断ち続けている。
そうして、彼は振り向きもしないまま、一言だけ、告げた。



―――――後は任せろよ。



そうだ、ヒーローなら、既にいた。
ここにいて、そういうだろう。
幻想のみをぶち壊し、現実のすべてを守り抜く右手。
憧れて、同時に、決して己には至れないと、知っていたその在り方。
だから一方通行は、そんな幻想に心からの安堵を抱いて―――


「―――は、くだらねェ幻想だ。死にやがれ」


幻想ごとごと殺害して、踏み込んだ。
穂先を、掴む。
僅かに外していた、心臓までほんの数センチ届いていなかった紅槍を、握り締める。


「オマエの出番なンざ、もうねェンだよ」


憧れた正義の味方。幻想殺しの主人公。
それすら、己は殺して、殺しつくした果てに、ここに居る。
絶死の運命すら超え、ここに最強を張り続ける。

「どけよ、ここからは俺のハナシだ。
 死んだオマエは、あの世で悔しがりながら見てやがれ」

正義の味方には、なれなかった。
最後まで、一方通行には壊すことしか出来ない。
最悪の方法しか選べない。
だとしたらいま、この胸を埋め尽くす殺意を、全部を黒く染め上げるほどの悪意を、最後は何処に向けようか。


「じゃァな」


並び立ち、そして越えていく
霧散する幻想の背中を追い抜いて。

悪を背負う。悪を引き受ける。
結局、彼に出来ることはそれだけで、それだけが、貫ける信念だったから。

この世全ての悪。
上等だ。是非も無い。
クソッタレの悪党にはお似合いだ。
これ以上の道連れが在るものか。

「行くぜ。クソッタレどもが」

背負ってやろう。
受け入れてやろう。
そして連れて行ってやろうとも。


左胸に突き刺さる紅き槍の、その柄を握り締め、今度こそ心臓へと、突き刺した。
足りない、もっとだ、もっと深くまで味わいやがれ、と。
自らの腕で槍を押し込み、完全に心臓を貫通させた。

「がっ……ァ……は……喜び……やがれ……俺が、オマエらに生まれてきた意味をくれてやる」

この世全てのクソッタレの(くろ)を、ぶつけるに足るクソッタレの(しろ)の元へ。
届けてやるから、さあ、生まれてきた意味を果たせ。


「――――――」


見上げた空から、落ちてくるモノがあった。
白き燐光。
遂に放たれた、それは展示場という施設を跡形もなく消し飛ばす神の鉄槌だった。
再生の名を持つ神が放つ一撃が、その場全ての者の視界を埋め尽くす。

誰もが思った。
終わった、と。
最後だ、と。

そう、最後だ。
最後まで、一方通行は己らしく在ろうと思う。
壊すことしか知らないなら、何もかも台無しにすることしか、出来ないなら。
だったら最後に、最後まで―――


「――――――」


見上げた空に映る極光。
神様が願う、この世全ての善を布く、崇高なユメとやらを。
ああ、クソッタレの悪党らしく、ぶち壊して、ぶち壊して、台無しにしてやろうじゃないか。

黒き竜巻が発生する。
周囲に存在する有象無象を吹き飛ばしつつ、
泥と同化した展示場ホールの吹き抜け天井、壁を引きはがし、取り込んでいく。

実に悪党らしい哄笑と共に、最後の飛翔を実現させる。
背中に展開する翼をより黒く染め。
展示場に存在する汚泥の全てを施設ごと喰らい尽し、言葉通り、この世全ての悪を引き連れて。
一方通行は地を蹴った。




◇ ◇ ◇

生命が、燃えていた。
鮮烈に、鮮烈に、鮮烈に。
ここは舞台、女神の御前、奇跡の下に踊れ踊れと鳴り響く。

広がる夜天の下、刃は舞う。
終わりなき舞踏を繰り広げる。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!」

咆哮。
擦り切れた喉で、ただひたすらに咆哮。
紅の機装(エピオン)、グラハム・エーカーの放つ剣閃は色褪せず、対敵する存在を追って駆けていく。

「愚かだな」

神を斬る。
などと、果たせぬ暴挙を為すべく、空を往く彼を、
リボンズ・アルマークは未だ、あしらいながら慈悲をもって見下していた。

「哀れだな」

金緑色のサーベルは届かない。
幾何億と振るおうとも、上空に立つリボーンズ・ガンダムに触れる事すら叶わない。
全て片手で払われ、その度に罰の如き両断を返され、地へと落とされ続ける。
絶対的彼我の差を、覆す未来は存在しない。

「そして何より滑稽だ。ここまで来て、まだ足掻くのかい?」

「ああそうだとも。
 確かに君は強い。百度戦おうと、千度戦おうと、敵わない神様なのだと知っている。
 ――だが、生憎だったな、私はしつこくてあきらめも悪い、俗に言う人に嫌われるタイプなのだからなッ!」

閃光が奔る。


「それに、『しつこくてあきらめも悪い』のは、私だけではないぞ」


エピオンの背後から放たれたそれはリボーンズ・ガンダムの傍らを抜け、そこに在ったファングを撃ち落した。



「そうだろう!? 枢木スザク!!」
「――援護を続けます。
 あなたはただ、前を見て戦いに専念してください。僕が、道を開きます」
「承知ッ!!」


直下からの、狙撃だった。
ヴォルケインという銘のヨロイ。
搭乗している枢木スザクにとっては操縦体系の異なる機体だった。

しかし一時的に得た、金色の片眼に視えるもの。
脳に響く微かな残留思考が、スザクを導く。
ごく短い間、共に戦った人の、いつかの思念。
移動すらまま成らいザマだが、それでも砲台に徹することで戦況に一石を投じる。
そもそもヴォルケインには飛行機能が無いのだから是非もない。

かつて夢を失い、夢を過ぎて、それでも歩き続けていた抜け殻のような誰かの思い。
彼が、世界に刻み向けた僅かな感情に沿うように。
スザクは狙い、トリガーを引く。

撃つたびに、思考に交じる量子は過ぎゆき、入れ替わる。
だから、スザクは一射ごとに、それを込めて、放った。

だってそれしか出来ないから。
だけどそれなら出来るから。
今はただ、脳裏を掠める感情(おもい)を送る。
天上に立つ存在へと。

―――誰も知れぬ。
その機体が、地上に齎された中でただ一つ、天上に立つ神の与えた力でないという事実。


「で、だから、どうしたのかな」


そしてそんな彼らの最後の抵抗を、リボンズ・アルマークは見下していた。
下に、下に、彼らが何度立ち上がろうと、天上の目線で測り、憐れむ。
何故なら己は上位種だから。
眼下で蠢く有象無象とは違う次元に立っているから。
弱者の足掻きに余裕と慈しみを持って接するのは、上に立つ存在の義務ですらあるだろう。

断言しよう。
決して、神と同じ高度に立つことは許されない。
自信に、罅を入れる事すら為し得ない。

戦う理由の変遷など、心の持ちようなど、関係がない。
純粋に力の差で、彼らは勝つことが出来ないのだから。

背にするダモクレスに合わせ、リボーンズ・ガンダムはゆっくりと降下を続けていく。
彼の降下に合わせて、突貫を続けるグラハム・エーカーは叩き伏せられ落とされる。
幾度挑もうと、対等に並ぶ事はあり得ない。

ヴォルケインもまた同じだ。
スザクが込め、放つ弾丸は、ファングを落とすのが関の山だ。
如何なる意味においてもリボンズにまで届かないし、伝わらない。

造物主の思考は常に先を見る。
現在を生きる(だれか)、これから作られる(なにか)、その幸福のみを追求すればい。
死者の思い。世界を救うために犠牲になった誰か。
既に終わったモノを鑑みるなど、神はすまい。それは人間のすることだから――――

まったくもって詰まらぬ茶番。
くだらぬ児戯。
彼らは必死になって食い下がろうとしているが、その実、リボンズ・アルマークを肉体的に殺す事にすら、意味は無いのだ。
会場に降りたリボンズの肉体は彼本人の物であるが、同時に代わりの効く端末でしかない。

肉体を滅ぼしたところで、幾度でも作り出すことができる。
無論、多少の時間は掛かるだろうが、ヴェーダと聖杯の在る限り何度でも再生は可能だ。
だから、リボンズを殺す事すら意味は無い。
最初から、全部が無意味でしかないというのに―――

今をもって、リボンズ・アルマークが本気になる気配すら見えず。
と、そこでようやくリボンズは自分が今、自分が余裕を保っていると気が付いた。
まるで今まで、全く別の勝負をしていたような、馬鹿げた時間の浪費をしていたような感覚を。

「くだらないな」

一笑に付し。
彼は終わらせる事を決める。
それは何とも軽い決定だった。
もっと簡単に終わらせる方法に気づいてしまったから、では終わらせようというだけのこと。


「―――トランザム」


アクセス・ヴェーダ。
情報の海と、聖杯に接続された黄金の眼が、完全に予測された未来を視る。
その先は、語るまでも無い蹂躙だ。


「―――ッッッ!!」


振るわれるサーベルはエピオンの片腕を切り落とし、


「――――ぐっ!!」

撃ち漏らしたファングがヴォルケインの装甲を削り切る。


「さようなら」


数十秒先の未来、グラハム・エーカーは機体を真っ二つに裂かれ、敗死。
遅れて数秒、枢木スザクも集中砲火を浴び、死亡した。




そんな、単純な未来が、すぐそこに視えていた。



―――さあ、いよいよだ。


地上への到達は目前。夜空に広がる純白の方陣は世界を覆い尽くし、全ての並行世界へと影響を及ぼすべく扉を開く。
極大の光が地を照らし昼と夜が逆転する。
門が、開いて行く。

白き聖杯、ここに降臨。
女神の身体を借りて、現世に、遍く世界に救済を齎す。
不完全な世界を、救おう。

その為に、聖杯(かのじょ)は作られた。
その為に、神様(ぼく)は生み出された。

信じている。
己以外の何も、信じようとしなかった神は唯一、信じていた。
彼女の価値を、彼女が瞳に映した己の価値を。

自分だけが、世界を救える、救う事が出来るのだ。
何でも出来て何もしない、そんな神はもう、いらない。

己は違う。
いつの時代も人が切に望み続け、得られなかった物をくれてやろう。

真なる、永久の世界平和を授けよう。
その形とは、何度壊れても再生する『恒久の生命』と『もう一つ』―――



「欲しかったんだろう? 幸せな結末が」



人類から、『遍く全ての悲劇を取り除く』。
潰えぬ命で、永遠のハッピーエンドを繰り返せ。


「君たちはその為に戦ったんだ。良かったじゃないか」


救われただろう。
歓喜し、感涙せよ。
お前たちの永劫求め続けたモノが、漸く、世界に満ちるのだ。


「そう、これにてハッピーエンドさ。
 君たちの死をもって、それは終わり、永遠に始まる。
 ―――嬉しいだろう?」



高速で振るわれるサーベルが、エピオンを解体していく。
ファングの集中砲火に晒されたヴォルケインも、
幾ら機体に光学兵器への耐性があるとは言え、数秒と持つまい。
だが、それより尚早く潰すべき処刑対象が、眼下に居た。


「なんだ、まだあったのか」


展示場を喰らい、蠢く黒聖杯。
発生時は山のようだった巨体はファングの斉射に押され沈静化し、既に死にかけの蟲の如き有様になっている。
だが、まだ僅かに動いていた。
漆黒の手を浅ましく、白き洗練な聖杯へと伸ばしている、つまり生きている。
数少ない、リボンズが憎悪を向ける対象が、まだ『在る』のだ。


看過できる筈が無い。許せるはずが無いだろう。
奇跡の糧となる参加者は憐れみ慈しむべき者だが、アレは屑だ。
リボンズと聖杯の儀式を文字通り汚しかねない、唯一と言っていい障害だった。

現世界に設定した、第三の霊脈。
第一、第二を避けてまで降ろすと決めたのは、同じくここに発生するだろう汚泥を完全に潰すと、最初から決定していたからだ。
実質のところ土地の質など、リボンズの信じる完全な聖杯には関係がない。
素体が完全なのだから、地脈など第三で十分である。
奇跡をかすめ取り穢す可能性のある、無粋な汚濁があるならば、上から洗浄し消し去るのみ。

そして理由はどうであれ、リボンズはここに降ろすと決めたのだ。
ならばここが、彼女の花道。
彼女の物語を終わらせ、そして始める極点だ。

だからまず、場所を開けろ、疾く消え去れよ贋作が。
そこは我が女神の降りる地だ。


「リボーンズ・キャノン」

変形と共に、全てのファングが、砲火が、展示場に向けられる。
もはや空前の灯火となったそれにトドメを刺すべく。
放たれる燐光は、蠢く汚泥、『この世全ての悪』へと引導を渡す、紛れもない決着の閃光となった。


「――――」


決着へと、確かに繋がっていた。
いざ、この世全てに善を齎さん。
絶対の幸福が支配する、純白の世界へと―――



「――――■■gyxeq■■■gase止ggee」



異を、唱える漆黒が、ここに在る。




「■■■■laaaaa■■■■■■aaaaaaaast■■■■■ooooooooooo■■■■■■■■oooooooorder■■■■■―――――――――!!!」





燐光を放たれた展示場の『土地』が、ぐにゃりと盛り上がり、弾けた。
否、違う。
これは展示場という施設を飲み込み一体化していた、巨大なる黒の汚濁その物に他ならない。
悍ましい泥は、誰もが疎む死の具現は、こう言っていた。


――わたしは生まれてきた。
――ここに居る。確かに居る。
――その、意味が欲しい。
――意味のないまま消えたくない。
――だからねえ、使ってください。




どうかわたしたちに、生まれてきた意味を教えて―――




「―――あァ、いま連れてってやるからよォ!!」



哄笑が響き渡る。
施設ごと、形状を変化させていく。
天へと伸ばしていた手が崩れ、黒塔が砕け散り、再形成されていくそれは左右に在った周辺施設を喰らい付くし、無限に増えていく。
残っていた全ての汚濁が、死が、悪が、黒が、一つの存在に寄り集まって新たな形を成す。
その依代が今、地を蹴り、飛翔を開始していた。


無限に滴り落ちる泥が寄り集まり、縋りつくのは一人の人間の背。
一つ一つでは弱すぎる、有象無象の具現達。
地下深くから、どれだけ手を伸ばしても届かなかった清廉。
遠すぎる天空へと、憧れた白へと、到達するべく形成するモノ。

大地を覆うほどの巨大な漆黒。
左右へと二枚展開される。
それはきっと、翼と呼ばれる形をしていた。


「ひァははははははははははははははァ!!
 おォォ待ァたせしましたねェ!! カミサマさンよォォォォォォォ!!」


響き渡る狂声。
胸を串刺しにされたまま、血だらけの天使は飛翔する。
地上に放たれた砲火の全てを貫いて。
『この世全ての悪』を引き連れて、クソッタレの悪党は空を往く。


「何だ、何だよ、何ですかァ? このザマはァ! 俺が来るまでに終われなかったンですかァ!?
 仕事が遅いぜ全知全能!! それじゃァ何もかもがご破算だ!!」


中核を失った聖杯は自己を存続させようと、繋がっていた超能力者へと群がり形を成した。
もはや彼らは切り離すことの出来ない同一個体。
最後の乱入者、一方通行が神へと、滅びを届けるべく翼を羽ばたかせる。

曲がりなりにも汚れた願望器を受け取ったモノとして。
そして駆動させ、願いを成就させる者として。
己が願望を、届かせる為に。


「愚かだな……本当に……ッ」


下方から這い出して来るようなその姿に、


「本当に、どこまで君は……」


告げるリボンズは感じ取っていた。
微かな、苛立ちを。

だってそうだろう。
誰もかれも、いい加減、『愚か』がすぎる。
そして殊更に、リボンズにとって、目の前の存在は余りにも醜悪だった。

狂声を上げながら、実際に狂い果てながら、悪を翼と背負い踊り昇ってくる、『弱者』。
決して脅威ではあり得ない。負ける気など欠片もしないモノ。
死にかけの、半分以上生きてすらいない生命の残りカス。見るに堪えぬから一秒以内に消して、それで仕舞いの塵芥。
だが、醜悪さだけは、眩暈を憶えるくらい特上の代物だったから。

見た目においてだけでない、脳量子によって伝わってくる内側はそれ以上にグチャグチャで。
余りにもみっともなくて、汚過ぎて、おぞましくて、リボンズをして一瞬、見入る程に、気持ちの悪いモノだったから。
そしてそれは、紛れない『人間』だったから。


「どこまで、君らは……」


思ってしまったのだ。
一瞬の気の迷い。
あり得ない夢想、些末な錯覚であると同時に、ともすれば彼の根底を覆してしまいかねない感想を。









『こんな愚かな人間(モノ)、本当に救えるのか?』









それは全人類を救う神として、敗北宣言に等しいワードではなかったか。
莫迦なとすぐに吐き捨てる。
くだらないと切り捨てる。
聖杯に不可能はなく、遍くすべてを己は救うのだと、コンマ一秒も断たずにリボンズは取り直し。
その僅かな間隙こそ、全てを分けたのだと気付けない。





「■■■■cb■■■■■■■■gfx■■h■■■asf壊ghj■■■■■■■■■jhfwr■■■■■■■oas輯ue■■―――――――――!!!」



極大のGNの粒子が一方通行を焼き尽くす。
その寸前、胸の刃を、掴ませてしまった。
だからもう遅いと、ソレは嗤って。




「さいっっっこォの悪夢をデリバリーしてやるよォォォォォ!! クッソ野郎ォがァァァァァァァァァァ!!!!!」




大量の血飛沫が宙に舞う。
展開していた黒翼が再び体内へと収束し、体の中心で渦を巻く。
突き刺した呪いの紅槍へと、破壊された全身の血管を通じて、血液と一体化した汚濁を芯まで染み込ませる。
それは世界間を超えた、魔術と科学の合一だった。

柄まで染まった様はもはや黒槍であり、
槍本来の呪いなど及びもつかないほど汚らわしく歪まされた媒介を、一方通行は己の(しんぞう)ごと引き抜いた。


「……なァ、おィ、選ンでみろよ?」


夢か、命か。
放たれた燐光が、五体を撃ち抜かんとする寸前。
目の前の怪物(にんげん)が、リボンズへとそう問うていた。


「―――は」

握るは、この世全て悪そのもの。
放つ己は、ただの悪党。
それでいい。さあ、届け。
全部台無しにしてこいよ、と呼びかけて。


投じられる。


黒槍の刃は、明らかにリボンズ・アルマークを『外して』いた。
見当違いの方向を飛んでいく。
狙い損じたのか、否、違う。


「―――何をした、つもりだ? 人間」


それはこの世で最も、彼の憤怒を煽る行いと言っていい。
全身を焼き尽くされてなお高らかに爆笑を上げながら墜落していく一方通行など、もはや眼中には無い。
放たれた槍の一撃の描く軌跡が網膜に焼き付く。

漆黒の穂先は、ダモクレスを指している。
一方通行の身体を離れ、尚飛翔を続け、白き聖杯を目指している。
先のフレイヤの一撃でブレイズルミナスを失ったダモクレスに防ぐ機能は残っていない。
それが何を意味するのか。

参加者にとって、唯一の勝利条件とは何だったろうか。
そう、己が願いを、意志を、天上の聖杯に届かせる。
リボンズ・アルマークの聖杯を奪う、己が願望で、白き少女を染めることだ。

清廉なる不浄の白に、あの黒が触れた時、何が起こるのか。
純白に漆黒の願いが到達すれば、どうなるのか。
言うまでもないことだ。

全部、台無しになる。
全てが、水の泡になるに決まっている。
完全なる器が、黒き穢れによって歪められ―――――



「ざまァみろよ……は……はは……はひゃはははははははははははははっ!! ぎゃはははははははははははははっ!!」



リボンズ・アルマークの夢を、粉々に、破壊する。



「―――ふざけるなよッッ!! 人間ッッ!!」


リボンズの身体はとっくに、そして勝手に動いていた。
ふざけるな。
ふざけるな。
ふざけるんじゃないと、今まで感じた事の無い程の嚇怒に支配された。

何をしたつもりだ。
天上の奇跡に何をしようとしている。
あれはお前のような穢れが触れていい物じゃない。
いや、誰も触れていいものではないのだ。
リボンズ・アルマークだけが使っていい、手にしていい物なのだから。



――そうだ、彼女は、僕の物だ。





「―――――ぐ―――おおおおおぉぉぉッ―――」


気が付けば、リボーンズ・ガンダムは機体のモードを切り替え、
トランザムの全推力でもって、ダモクレスの正面に到達していた。
槍の軌道に割って入る。
モニターに映る画面が一瞬にして黒く染まる。
庇うようにして自らが、穢れた槍撃を浴びたのだと知って。

直後、全身に襲い掛かる不快な感触に視界が明滅した。
ぐちゃぐちゃに溶けた内面の渦。
受け止めたそれは、愚かだと見下した人間の、全身全霊の『愚かさ』そのものだった。


「―――ねえ、リボンズ」





混濁する意識の中で。
耳元に、ヴェーダを通じて彼女の声が聞こえていた。
状況がまるで見えていないような、静かで落ち着いた、いつもの声だった。

「どうするのかしら?」
「―――黙れ! 切断するッ!!」

告げたそれは、言葉通りの意味だ。
ただちにヴェーダと、そして聖杯とのリンクを完全にシャットアウトする。

食らった一撃の正体は触媒を選ばず伝染する、言わばウイルスだ。
即座に接続を断たねば、泥の影響は機体を通じて彼女にまで及んでしまうだろう。

だが、それは同時に、
リボンズ自ら、ヴェーダと聖杯の加護を断ち切ったに等しかった。
彼女の声が、途切れてしまう。
後は、極大の呪いを叩き付けられた不快感のみが、絶えず頭に流れ込み続け。


「―――がッ」



それでも、



「それが、どうしたッ!!」


神はここに健在だ。
呪いの槍撃を機体の左肘に受け、まさにこの戦い始まって以来初めての傷を、受けた直後であっても。
ツインドライブの片方が砕け散っていたとしても。
シングルドライブになって、だから何だ、負ける要素など無い、趨勢は覆っていない。

リボーンズ・ガンダムが、神が、落されることはあり得ない。
敗北など、未だ1%たりとて、あり得ない、あり得ない―――


「―――?」


あり得ない、ことが一つだけ、目の前に在る。
あり得ない、視線を、あり得ない方向に感じ取る。
この世全ての悪を叩き付けられ、初のダメージを受け、僅かに、ほんの少しだけ僅かに、降下、後退していたリボーンズ・ガンダムよりも、上空から。

四肢の半分をもがれたガンダム・エピオン。
満身創痍のグラハムエーカーが、此方を―――


「なにを―――」


体内で炎が湧き上がる。
リボンズがリボンズで在るがゆえに、無視できない、流せない感情に。


「見下ろしているうううううう!」



爆裂する怒りに任せて上昇する。


「なぜそうまで蒙昧なんだ、君らは!!
 これ以上、子供の駄々には付き合えんッ!!」


サーベルは翻る。
燐光は舞う。
リボーンズ・ガンダムの持てる機能を全開にしてエピオンを追い詰める。

大幅に性能が落ちたとはいえ、敵は満身創痍の雑魚一人。
一瞬で排除できると踏んでいる。
あと、一閃、一突き、一射の下に―――

「そうだな。駄々のようなモノかもしれん。
 このグラハム・エーカー、少し子供っぽいところは自覚している。
 愚かだと、そう繰り返す気持ちも分からなくはないさ」

なぜ、沈まない。
そもそもどうして、この敵はまだ生きているのか。
生き足掻こうとし続けるのか。

「私だけではない、我々全員が『愚か』なのかもしれないな。
 まったくもってどうしようもない。
 何の価値も無い、得る物のない戦いだ。
 我々の中の誰が勝者になろうと、きっと世界はそう変わるまい。
 所詮、我々は今も捨てられないモノの為に、戦う。
 利己の為、『拘り』に引きずられているだけの、それを愚かと呼ばず何と呼ぶ」

絶対に勝てないのに。
勝ったところで、意味など無いのに。

リボーンズ・ガンダムとガンダム・エピオンは苛烈な接近戦を繰り広げながら、上昇を続けていく。
グラハム・エーカーが、決して『上』を譲らないから。
リボンズ・アルマークが、決して『下』に位置することを看過できないから。
だからどこまでも昇っていく。二機は、星のように舞い上がる。

「リボンズ・アルマーク。お前が勝つことが、正しいのかもしれない。
 本当に、人の救われる結末なのかもしれない。
 だが、きっと我々全員にとって、そんな事はどうでもいいのさ」

カミサマに抵抗してきた理由は、全員がバラバラだった。
一つとして協調はない。
だけど全員別々の理由で、別々の方法で、救いを跳ね退ける事を選んでいた。
共通していたことは唯一点、譲れないモノがあったから。

恒久的世界平和だなんて崇高な願いに比べたらまるで見劣りする、他の誰かにとってはどうでもいい、思い。
ちっぽけなこだわり。くだらない希望。
だけど、彼らにとっては、絶対に譲れない。世界平和すら霞む願望だった。

「何故なら君自身、何度も言っていただろう、我々は、『愚か』なのだよ。
 救いようのない愚か者たち。『馬鹿』の集まりさ!! ああまったく救えないなッ!!
 そうとも!! 君に救われてたまるものかッ!!
 神様如きでは、到底救えたものではないッ、我々は最ッ高に!! 馬鹿で愚かな人間風情なのだから!!」

天上に広がる大聖杯の門を目前にして、遂にリボンズの振るう剣がエピオンの頭部を貫く。
位置関係は再び逆転し、神はもう一度制空権を取り戻した。
エピオンは視界と攻撃手段をほぼ喪失し、それでも動きを止めなかった。
体当たりを仕掛けながら更なる上昇を続けていく。

「さあ出番だ!! ここで撃てなければ男子ではないぞ!!」

自爆装置を起動させながら、発破をかける相手は勿論。
背後で時を待っている、白騎士に他ならない。

「――――――ああ、最後だ」

炎上するヴォルケインの内側で、スザクは最後の一射を装填する。
ファングに撃たれ続けた機体は既に限界。
けたたましくなるサイレンは、今すぐ脱出しろと促してくる。
だが、まだ、一発残っている。
これを撃つまで終われない故に、もう一度トリガーを握り締める。

「救えない愚かさ!?
 何を言っている、そんな馬鹿げた理由で、人類救済を阻むなど!!」

リボンズはすぐさまグラハムにトドメを刺すべく、残されたファングを呼び戻し、ガンダムの左腕に握るサーベルを振り上げようとした。


「あまり、人間の愚かさをなめるなよ? 我々の馬鹿さ加減は君の信じる未来をどこまでも上回るぞ!! 神様風情が!!」


その、完全なるタイミングで、このチェス盤に、失われた筈のキングの駒が置かれたのだ。
不意に中空で炸裂した爆風により、戻されるはずだったファングが阻まれ、次々と落とされていく。

数瞬前、枢木スザクが、スイッチを押したその瞬間。
地上、誰もが忘却していたその砲門が開いていた。
自動航行で島の広範囲へ狙いを付けられるポジションへと位置を変えた、
人知れずセットされていたその、『揚陸艇の砲』から、ミサイルが発射されて。

騎士の手によって、失われた王の遺産が空に舞い上がる。
死後にまで、彼の言葉を伝えるように。

さあ、いまこそ知れ。



――――撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ。



「な―――――」



それだけなら、良かったのだ。
リボンズの勝利は揺るがなかった。
全くの同時に、狙いすましたように、とある爆弾が起動していなければ。



『そォら、アフターサービスだぜ。受け取れよ、クソッタレ』


落ちていく堕天使が、指先で作った銃で、天を撃つ。



「―――――な――に?」


振り下ろそうとしていた、左腕が動かない。
左肘に突き刺さる黒槍が、内包していた極大の魔力に耐えきれず壊れる。
一宝具の、内部からの自壊、加えて内包されていた魔力の量は規格外だ。
よって当然、齎される爆力は生半可なものではない。

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)。
リボーンズ・ガンダムの左腕を、内側から破壊しつくす火力が巻き起こる。
機を待ち続けていたような、内側からの一撃、偶然ではあるまい。


仕掛けたモノは学園都市最高の計算能力を所持する第一位なのだから。


「―――――?」


ファングが戻らず、突如として左腕が消失した。
迅速にグラハムを引きはがせぬまま、ヴォルケインの狙撃が迫っている。
右手に握るビームライフルしか、すぐさま振るえる武器が無い。
もしかすると、それは窮地と呼ばれる状況だったのかもしれない。

なのに茫然と、リボンズは考えていた。
はて何故なのだろう。
何かが違う。何かがおかしい。
ようやく、それを自覚している。
それはフレイヤの光を見た時から、頭にチラつく感覚だった。

こんな展開はシナリオには無かった。
ただの蹂躙劇に終わる筈だった。
どこでズレたのだろう。
兆候は、きっかけは、いったいどこに。因果はどこで狂ってしまった。

一方通行が悪を背負うと決意し飛翔した時だろうか。
ならばその要因は?

インデックスが一方通行に槍を放った時だろうか。
ならばその要因は?

秋山澪が一番最初にリボンズへと人の愚かさを叩き付けた時か。
ならばそこに至った過程とは?

それはもしかすると、もっと前から少しずつ、変わっていたのかもしれない。
変わり続けていたのかもしれない。
機械に過ぎなかったインデックスを変えたのは誰だ。
臆病な女子高生に過ぎなかった秋山澪を変えたのは誰だ。

リボンズの願望を、人類救済というユメに亀裂を入れたのは。
世界を救うシナリオを変えたのは、いったい誰なのだ。

誰もが変わっていた。
誰もが少しずつ変わり、そして身近な他人という、身近な世界を変え続けた結果が。
ここに、絶対のシナリオを変遷させる。
――――世界が、変わる。


「―――そんな、ことが」


黄金の目に移る未来を台無しにする。

「あって、たまるかぁッ!!」

その時、神様の、リボンズ・アルマークの吐き出したセリフは何処までも熱烈で。
神様を名乗るには、少し人間味に溢れすぎていて。

右手に握るライフルが、炎上するヴォルケインを捉えている。
ヴォルケインもまた、リボーンズ・ガンダムを照準に収める。
両者同時に、引き金を引いた。

「―――――ぁ」

クロスする弾道はお互いの機体を焼き尽くし、直後、エピオンの自爆装置が作動する。


「―――――ぁぁぁ!!」


大聖杯を巻き込む爆発が天に広がって。
リボンズ・アルマークは、無意識に手を伸ばす。
遥かな下界、今まさに地に降り立とうとしている軌跡の聖杯。
器となった、少女の姿。
怒りとプライドに囚われて、置いてきてしまっていた大事なモノに。

「ま……て……」

待て、行くんじゃない。
戻ってきてくれ。
駄目なんだ、このままでは、僕以外のモノが触れてしまいかねないだろう―――


「君は……君は……ッ!!」


―――君は僕のモノなのに。


最後に、本当に欲しかったモノへと手を伸ばしながら。
神を名乗る存在は、実に人間らしい拘りを胸に、その全身を消滅させられていた。









◇ ◇ ◇




――そうして少女は舞い降りた。





「Ich weis nicht, was soll es bedeuten」





ゆっくりと、ゆっくりと、城の庭園から抜け出して。
もう誰も、立つ者の居ない滅びた大地へと。





「Das ich so traurig bin」





滅びた展示場跡地。
瓦礫絨毯の中心へと、静かに、白く細い両足を付けた。




「Ein Marchen aus alten Zeiten」





そこに、動くものは居ない。
静寂が全てを支配していた。





「Das kommt mir nicht aus dem Sinn」





かつて少女は告げた、如何なる形であれ、私を奪うものが勝者だと。




「Die Luft ist kuhl und es dunkelt」




だから今も、少女は待っている、誰かに奪われるその時を。




「Und ruhig fliest der Rhein」



誰も立ち上がる者の居ない、滅びた世界の真ん中で。
願望器の降臨はここに、歌い続ける少女に、辿り着く者へ。





「Der Gipfel des Berges funkelt」





最後の踏破。
それが、この殺し合いの、ラストだった。





「Im Abend sonnen schein」






少女は目を閉じて歌い続ける。
遠くに聞こえる、誰かの小さな足音を待ち続ける。







「Die Lorelei getan」







今はただ、口ずさむ、ローレライの詩と共に。
















【 3rd / 天使にふれたよ  -END- 】






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339:3rd / 天使にふれたよ(1) リボンズ・アルマーク 340:ALL LAST
グラハム・エーカー
枢木スザク
平沢憂
339:3rd / 天使にふれたよ(2) 両儀式
一方通行
阿良々木暦
インデックス
秋山澪
337:1st / COLORS / TURN 7 : 『Chase the Light!』 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン