歪んだ空。
天高く浮かぶ神の居城(ダモクレス)と、この世全ての悪(アンリマユ)犇めく地。
共に幻想の権化たる二つの中間に、異物が一つ浮かんでいる。

飛行船。
それはまだ『金のための見世物』という表の理由がこの世界を支配していたころから、
空を行き、地を見下ろすかつての支配者だった。

しかし今はすでに『聖杯による救世』という裏の理由が全てを席巻した後。
用済みとなり、場違いにすらなった小さな船は、今も空しく漂っている。


その、内側。
とある区画の、とある施設、とある実験部屋にて。


『彼』は、帰還した。
闇の底でなく、光の向こうでなく、ここではない何処かから。
彼は戻り、目を醒ました。

目の前には天井。
そこにはスクリーンが広がっており、画面に映し出された若い男の顔が、彼を見下ろしている。
さして間を置かず、自らが横たわっている場所を認識し。

「……なぜ……だ?」

瞬間、彼は全てを思い出していた。

「なぜなんだ?」

自分の名前は分かる。
どのように生きてきたか分かる。
記憶に欠損は一つもない。
それは良い、良いが、しかし同時にあってはならない事だった。

彼は今、生きている身。故に己の名前が分かる。
どのように生きてきたのかも分かる。
しかしなぜ、『どのように死んだのか』まで、分かってしまうのか。

「なぜ俺を……!?」

水槽の中で横たわる彼は、問う。
スクリーンの向こう側に在る、絶対的存在へと。

「なぜ俺を蘇生したんだ……リボンズ・アルマーク……!!」

生まれ直したばかりの喉が、張り裂けんばかりの切実さで。
彼は――遠藤勇治は、天に向かって叫び声を上げていた。



「意味など無いだろう……価値などないだろう……キサマにとって……俺の、命など!」

モニターの向こうで、リボンズ・アルマークは薄く微笑んでいる。
喚きたてる遠藤を見下げながら。

「理由が欲しいのかい?」

ただ、そう告げた。

「な……んだと……!?」

「君が生き返ったという事実に、君が選ばれたという事象に、なにか意味が欲しいのかと、聞いているのさ」

「どういう……」

意味なのだと口に出しかけ、遠藤は気づく。
それはつまり、そのままの意味なのだと。
単純にリボンズは知りたがっているのだと。

「興味があるんだ。君は何が不満なのかな?」

遠藤が今、なぜこうも憤っているのか。
憤っていると、そうリボンズには見えているのだと。

「君は生き返った。君はここに存在している。それ以上に何を望む?」

遠藤は見るからに納得していない。
何かに、不満を抱いている。
その理由を、リボンズは純粋に分からないから、聞いているに過ぎないのだ。

「ひとまず君の問いに答えるなら……そうだね、『理由はない』、だよ。
 偶然だ。偶然に君が死んで、偶然に蘇生する対象が必要で、適当に君が選ばれた、それだけだ」

小首を傾げすらして、この神を名乗る男は疑問を口にする。

アリー・アル・サーシェスは直ぐに理解していたよ。
 君も分からない訳が無いだろう。
 僕にとって、君がなんの価値もない事を知っていたなら。
 君を戻したことに意味など在るわけないだろう?」

遠藤はよく分かっていた。よく知っていたのだ。
この男にとって、遠藤など何の価値もない。
いっぺんの興味も、関心も在りはしなかったのだ。

「だから僕はわからないな。
 些末な疑問だが。
 君は死んだ、そして偶然にも生き返った、それの何が不満だ?」

「リボ……ンズ……」

遠藤は誰かの下につく、組織の中の人間だった。帝愛という巨大な歯車の一つ。
上の人間に切り捨てられる末端の姿など幾度も見てきた。
自らが誰かを切り捨てた事もあった。

だから、バトルロワイアル主催の一部となった後も、切られる可能性は常に考えてきた。
一応は覚悟もしていたのだ。ヤバい橋を渡っている、命の危険がある、そのぐらいは理解していた。
死地に立った時も、死の瞬間も、みっともなく足掻きながら、足掻き喚きながらも、
しかし心のどこかで、『ああ遂に俺の番が来たのか』と、考える冷めた自分もいた。

「リボンズ……アルマーク……」

だが、この瞬間を、覚悟したことだけは無かったのだ。

「……なんなんだ、お前は……なんなんだ……?」

己が死ぬ瞬間をイメージした事はある。
人なら誰もがあるはずだ。
病気、老衰、事故、自殺、他殺、なんでもいい。
死の瞬間、命が終わる瞬間は誰しも必ずやってくる。
だからこそ、それは激しく、尊く、そして貴重であるだろう。

己のような取るに足らない人生でも、汚い命でも、死を前にすれば惜しいと思った。
ごく当たり前に、遠藤は死にたくなかった。
必死で生きようとした、藁にしがみ付いてでも、生き汚く、生き続けようとしたのだ。

「……お前は……いったい……」

リボンズは遠藤が不満を持っている、憤っていると見立てた。
しかしそれは少し違う。
遠藤は恐怖しているのだ、今。
凍り付くような寒気を感じている、心から、リボンズ・アルマークに対して。

「何を……考えている……」

そしてもう一つ、己に対して。
生き返ったという『安堵』ではない。
蘇生という事実への、明確な、『恐怖』。

いったいどういう仕組みなのか。
幽霊、ゾンビ、器の転換、クローン、そういった不完全なモノではない。
対価なく、リスクなく、何も引き換えにしない、ただ単に戻ってきた生命。
それは何故か、ある意味で、死よりも恐ろしいように思えたから。

「俺がお前にとって……何の価値もないというのなら……そんな命を再生して……何がしたい……?」

遠藤は知っていた。
その問いの先に、最大の恐怖が待っていると。



「いいや違う、何を……試したんだ……?」

己は『他者より価値のある人間』だ、などと思ってはいない。
自分の命の矮小さ、取るに足らなさ、価値の無さを、遠藤は理解していた。

他人にとってみれば、ましてこの傲慢にも神を名乗るリボンズ・アルマークにしてみれば己など、
まったく意味のない、ゴミ屑のような命としか思われていないのだと。
そんなことは、ああ、分かっていたとも。


けれど、しかし、それでもだ。
己にとってだけは、己の命に価値があるのだと。
信じていた。
信じられていたのだ、それが――――



『一度きり』しかないのなら、と。



「……お前は一体……何をする気なんだ……」


『俺から何を奪ったんだ』と聞くのはあまりに恐ろしく。
だからもっと恐ろしい答えに繋がる問いを発してしまったのだと、遠藤は気づけない。

「決まっているだろう、人間。何度も言うように、僕は神なんだよ?」

リボンズ・アルマークは呆気なく、答える。


「君たち人類が、最も希求するものを、齎してあげるのさ」


その瞬間、駆け抜けた怖気は、遠藤から言葉を奪い去っていた。


「………………ぁ……ぁ……ぁ……!!」


ぐにゃぐにゃと、視界が歪んでいく。
闇のような絶望が、遠藤の思考を覆い尽くしていく。

今やっと、わかったのだ。
リボンズ・アルマークがやろうとしていること。
このゲームの、最終段階、その更に後。
主催者の目的が達成された向こう側に、広がる世界の形とは。

「恒久的世界平和」

その真の意味。
リボンズ・アルマークの描き出す。
誰にとってもの永遠なる平和とは、はたしてどんな形をしているのか。
その本当の意味を。
遠藤は理解できたから。
一度死に、一度生き返った今だからこそ、理解できてしまったから。

「……お前は……まさか……」

ならば全て。
全ては茶番の世界に通じている。
この時、最後の死を強いられている参加者を除く、後に続く全て。
何もかも、誰の流血も、誰の命も、正しく等しく平等な―――


「僕は人類を救済する。救われた世界に例外など在り得ない」


平和という、まっ平らな、どこまでも続く平面。
ただ一人、この傲慢な男だけを上位種とした、誰の価値も同列に並べられた地平。

「救ってあげるさ。『後の全て』を。この地に呼ばれた贄をもって、人類最後の流血、いや―――」

生き返すということは魔法だ、特別だ。
ならば自然、特別な相手に用いられるべき事象だ。
それが、特別でない、何の感情も価値も見出さない者に実行された、意味とはなにか。
ここに明らかである。




「このゲームこそが。人類最後の『悲劇』の体験となる」



死(りふじん)の無い、世界。
痛(かなしみ)すら無い、世界。



「で……でたらめだ!!」



遠藤は知らず、極大の恐怖を口に出していた。

「滅茶苦茶だ!!通るか!そんなふざけた願いが!!
 そんな世界……破綻する!!成り立たない……在り得ない……そんなもの……秩序の破壊だ……不可能だ!!」

哲学的なことや理論的なことは、遠藤には分らない。
だからこそ本能的に叫んだ言葉は、全て彼の中の真実で、しかし――

「ははっ、何を言ってるんだい?」

神はただ、愚かな子を見下ろす視線で。


「不可能を可能にするのが、聖杯なんだよ」


否ならば是とすればいいと、それこそ子供のような単純さでもって、答えるのだ。


「ところでね、生き返って早々悪いんだけど、遠藤。君はまた暫く死んでくれ」

「……や……めろ」

「まあ気分を害するのは分かるけど、君のいる飛行船は、もう邪魔なだけなんだ。だから落とす。
 その際、いちいち君だけ、どかすのも面倒だしね」

やめろ、違うのだと。
叫ぶ声は届かない。

「なに、心配しなくていいよ」

「やめろ!」

違う、違うのだ。
死ぬことが怖いのではない。

「どうせまた――」

「やめてくれ!」

死ぬこと。
そんなことが恐ろしいのではない。
そんなこと。
『そんなこと』と思えてしまうこと、こそが。



「すぐに生き返ることが出来るよ」

「やめてくれぇぇぇえええぇええええ!!」




白光が視界を覆う。
己の居る飛行船が撃墜されたのだと分かった。
もうすぐ二度目の死を経験することも。
その軽さも。
理解しながら、高熱の粒子によって焼け爛れてていく喉で、ひたすらに遠藤は訴えた。


「やめろ殺すな!!」


命(おれ)を。



「やめろ生かすな!!」



無価値な命(おれ)を。



「やめろ! やめろ奪うなぁぁぁぁ!!」



俺の命の価値を、『〝一度しかない″尊い命』を。
あれほど希求した生への執着を、熱を。
無価値に貶めないでくれ、と。
そんな単純な願いすら、この慈悲深い神には届かない。
蒸発していく遠藤の視界の向こうで、リボンズ・アルマークは微笑んでいる。

「本当に運がいいよ、遠藤。君はこの先に続く素晴らしい世界を見ることが出来るんだ。
 贄となり、魂を捧げなければならない参加者達は、永遠に消えていく彼らは、一番の功労者でありながら、それが出来ないんだからね。
 ――――本当に、本当に、彼らは哀れだ」

人類救済の為に行われる儀式、そこで流される最後の血でもって。
此度の擬似的な聖杯戦争、その参加者のみを除く、全ての人類を分け隔てなく救ってやる。

「とはいえ、人類救済の為に使われる最後の死だ。
 これ以上に名誉なことは無いだろうけどね」

だからほら、満足だろう? 安心したろう? 
喜べ、後に続く者達は救われる。君たちは報われる。誰の血も無駄にならない。
奪われる命のすべて、消え去っていく何もかも、戻る世界を作れば納得するのだろう?
神はそう、純粋に信じているのだ。

「―――――――ァ――――」

既に焼けついて機能を止めた喉では叫ぶことすらできない。
それは違う、と。
全てを無価値にしてしまうのだと、訴える事すらもはや遠藤には許されなかった。

二度目の生、そして二度目の死。
実に軽く、軽く、軽く、なんて無価値な、
もはや自分ですら惜しむことのできない程に鮮度の絶えた、些末な命(たましい)が消え去る瞬間。

遠藤は切に恐怖した。
あれほど希求した『生への執着』がとうに薄れきっている事実に。
そして、いずれ訪れるであろう、『次に目覚める瞬間』に。
更に薄まった無価値な人生の再開に。

遠藤は切に羨む。
ここで永久に消える、64の生命、その全てを。
人類最後に『たった一度の生』を全うできる命を。
まだしもそれが、どれほど幸福な事なのかを噛み締めながら。

ああどうか、と。

彼はただ、願う。願うことしか出来なかった。
もうこれ以上、目覚める事の無いように。
何もかもこれで、最後の死(おわり)になるように。

誰か、誰か、誰でもいい。
この恐ろしい神を、止めてくれ。






◇                                      ◆



        ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






       1st / COLORS / TURN 7 : 『Chase the Light!』






                      ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇       



◆                                       ◇







「だからそう、君は本当に幸運なんだよ、遠藤」



舞い降りる天使。
ガンダムという、力の象徴の内側(コックピット)で。
下方、燃え尽きながら落ちていく鉄くずを、リボンズ・アルマークは見送った。




「きっとすぐに理解できる。そして感謝することになるさ。
 この僕に、そして、ここで消える64の生命にね」



原型を失った飛行船は墜落の途中、地から伸ばされた泥の手に捕まり、汚濁の中心へと引きづりこまれていった。
溶かされていく、潰されていく、しかし内側で鳴り響いているだろう阿鼻叫喚は、リボンズの耳にまで届かない。
興味が失せたようにリボンズは遥か下方の黒色から視線を切り、上に目を向ける。



「この島で未だ生き残る参加者の諸君。六時間ぶりだね」



ダモクレス。
ガンダムよりも上方を浮遊する巨大要塞は既に、ゆっくりと降下を開始している。


「もう一度、改めて名乗ろう。
 僕はこのゲームの主催者、リボンズ・アルマーク――人類を導くもの、すなわち神だ」


微笑を浮かべながら、リボンズは開幕を口にした。


「さあ、これより聖杯(キセキ)をこの地に降ろす」


声は島中に取り付けられたスピーカーからも流れだし、この地に生き残った全ての存在へと届けられる。


「見上げるがいい、願望器はここにある」


告げられる言葉。


「首輪を外し、ルールから外れた者達。
 僕は君たちに時間を与えた、六時間という猶予を、だ。
 そして君たちは選んだ。
 殺し合いという理の放棄。
 ――これより始まるのは、その結果だ」


最後の段階。
最後の儀式。
最後の闘争。


「六時間前と同じことを、もう一度告げよう。
 『どんな形であろうとも、バトルロワイヤルは完遂されなければならない』。
 故に――――」


遂に枷は外される。



「主催者として宣言する。
 これよりゲームは、第二フェーズへと移行する」




定められたシナリオ通りに。



「この物語を完結させるために。
 僕が手ずから―――君達を救済(せんべつ)しよう」


神の力(オーバースペック)は、ここに、残る八つの命へと、その剣を向けた。




「もう一度言う。
 君たちの魂が無為なまま消えることを、僕は決して許さない」

64名という、再構築された聖杯で呼び出せる限界の存在質量。
その全の魂を散華させ、消化してこそ、世界の根源(ルール)に触れられる。
世の摂理を変えられる。
リボンズ・アルマークの望みは形になる。

余計な願望に使える魂など一つも無い。
故に最初から、この展開は必定だった。


「せめてその魂の価値を磨き、疾く女神の糧となれ」


最初から、誰の手にも、聖杯を渡すつもりなど無かったのだ。


「理から外れるというならば、僕から彼女を奪って見せろ」


唯一、己のみが、その願望を果たすに相応しいと信じる故に。
彼女を、使い切るに相応しいと信じる故に。



「喜べ。
 ここが人類最後の戦場、そして君らの死こそが、人類最後の犠牲(かて)となる」




下方、黒の聖杯より湧き出る汚濁をもう一度見据え。



「そこの目障りな紛い物も、すぐに消してあげるさ。
 崇高なる儀式の邪魔だ。一秒すら存在を看過するつもりはない」



そして最後に、下方から登り来る、白き閃光。


「……だけどその前に。
 勇敢にも現れた君を、歓迎しなければいけないね」



最初にやってきた尊い犠牲を、視界に入れたその瞬間こそ。




「さあ、救済の時だ。
 リボンズ・アルマーク――リボーンズ・ガンダム、これより武力介入を開始する」




この世界における、最後の戦いの始まりだった。





◆  ◆  ◆







紅蓮の炎が業と巻き上がる。
散った火の粉が飾り付けられていたカーテンや紙材に燃え移って、その範囲をじわじわと広げていく。

【F-6】に設置されていた展示場。
各々の世界で作られた製品を閲覧できた館内には、それらの展示品はひとつも残っていない。
あらゆる人智、人の生み出した造芸は見る影もなく焼け落ち、あるいは押し潰された。
展示ホールの中心部。出展世界の固有技術を一覧に並べた大型スペースの床を突き破って顕れた黒い泥。
黒としか形容できない色。赤い灼熱を孕ませて奈落より躍り出た泥の波は、自らを塔のように積み重ねて"上"を目指す。

それは人の知恵に預からない、だが確かに人の想念によって生まれたモノだ。
燻る黒煙も燃え盛る焔も、それがこの世に現出しただけの余波に過ぎない。
塔が生み出す余熱だけで近くにあった人工物は融けて炎の塊に姿を変える。
零れ落ちた滴は触れた箇所を焼け爛れさせ、燃え尽きるより前に重量に耐えきれずに倒れ込み、更なる延焼を誘発する。

いずれ被害は全館にのぼり、その後は近くの建築物、街そのものを火の海に飲み込んでいくだろう。
そこまで至ったとしても黒い泥は手を緩める事はない。滾々と湧き出る泥が収まらない限り、殺戮は世界の果てまで起こり続ける。
それこそが是の望みだ。是に人々が願った祈りであり呪いだ。


故に其の名を『この世全ての悪(アンリマユ)』。
絶対善神と対極の名を冠するに相応しいだけの破滅を行うため、是はここに生まれ出でた。



この世の地獄を具現させている大広場。そこに、炎ではない影が立っている。
輝きのない瞳。異様に黒ずんだ左胸。
地下を突き破る黒柱の前に、まるで見守るように傍らに身を置く、爪先から頭頂まで黒一色の長身。
生きるものが存在できない筈その場所で、言峰綺礼は静かに立ち尽くしていた。



「……ほう」

毒が舞う炎上を気に払いもせず、言峰は首を上へと傾ける。
頭上に浮かぶのは天上に吊るされた剣、ダモクレス要塞。だが今ここに限っていえばそれには違う意味が込められている。
即ち、聖杯の収められし祭壇。バトルロワイアルの勝者に与えられる窮極の賞品。
既に潰えた運命を塗り変えるほどの奇跡をくるんだ巨大な揺り籠だ。

「予定とは違った動きだったか。いや、これは予想以上と評すべきかな。リボンズ・アルマーク」

頬をなぞる熱気をまるで意に介さないまま、喜悦さえ孕んだ声をこぼす。
目論見を外れたといいながら、むしろそれを歓迎するかのように。



前提として、言峰の目的はバトルロワイアルの優勝、転じて聖杯の獲得ではない。
元を辿れば主催の組する一員、運営役を務めていた身だ。
商品たる聖杯を手に入れる権利を持つのは殺し合いの参加者と、主催者として参戦を表明したリボンズのみ。
優勝の競い合いにおいて言峰は飽くまで部外者、この戦争の内枠に踏み入れる資格は持っていない。
無論、参加者も他の主催者も全て皆殺しにして残った聖杯を奪う事も手段としてあるが……言峰にはそんな無粋な真似を起こす気はなかった。

「むしろ、こちらの動きなど予測されて然るべきだったのか。
 そも私達の望みは始めから相反している。
 お前は全ての参加者を手ずから殲滅する必要があり、バトルロワイアルの優勝者として聖杯を使う気でいる。
 対して私は―――私自身に望みなどなく、お前が処罰しようとする者のいずれかにこそ聖杯が渡るべきだと思っている」

聖杯に、自ら叶える願いに、興味はない。
これまでの言峰綺礼の人生において変わりなかった結論だ。
興味の対象は別にある。自身が持ち寄った聖杯から生まれるモノ。そして今も戦う、僅かに残った参加者達にこそ。

「その為なら、私はコレを未完成のまま解放する事も辞さん。
 破壊しかもたらさぬモノ。後の再生などあり得ないモノ。
 神聖にして厳かなる儀式を御破算にするのに、これ程適したモノはない」

放出される泥は、いわばあまりに早い出産で元の形を保てず溶け崩れてしまった胎児の肉片だ。
一個の生命として誕生することは叶わないが、その殺傷性に疑いはない。
人を呪い殺す単一能に特化した悪神の成り損ないは、生まれてこれなかった恨みを晴らすが如く全ての命に降り注ごうとしている。
神を名乗る者(リボンズ)の勝利という定型を打ち壊し、バトルロワイアル本来の形に戻す新たな舞台装置。
いや本来の形すら、ぐずぐずに溶かしてしまいかねない破滅として。



「衝突が避けられんのも当然だったな。互いの目的の達成に互いが邪魔ならば食い合うのが道理。そしてその一点に関して、私は容赦が利かん。
 積年かけて築き上げた君の準備、設備、配備。注いできた信念と想念。
 それらの結晶である悲願の成就を、達成の目前で粉微塵に打ち砕く。それはさぞ―――ということだ。
 強いて言うなら――――――お前の願いを破壊することが、今の私にある、ささやかな願望……という事にしておこうか」

酸鼻極まる殺し合いの果て、去来するものとは何か。
最低にして最悪。混ざり合って出来た蠱毒を抜けて残る物。
ソレを何を思い、何を望むことになるのか。

求める答えは、それだけだ。
その程度の事の為に、己は再び得た命をこの局面に費やそうとしている。
傍から見れば、何とも愚かしい。あまりに馬鹿げてる。

「……分かっていたとはいえ、成る程、私もつくづく救い難い男だ。
 御子の再臨を体験したなど信徒が担ぎ上げる程の奇蹟だというのに。
 だが仕方あるまい。それにしか関心を持てなかった人生だ。
 ならば旅路が終わるまで、私は私として在り続けるのみだろう」

くつくつと、頬を吊り上げて自嘲する。
一度死んだ程度で直らない、否、正しく歪んだ己の性根をたまらなく愉快に感じて。





―――聖杯を降ろす場所には、必要な条件がある。

本質は霊体である聖杯には、それを現実に繋ぎ止める器と、降霊に耐え得るだけの霊脈を持った土地が必要だ。
バトルロワイアルという形式が開始された時点で、聖杯降誕のお膳立ては終わっていた。
後は予め配置された霊脈が流れる土地に「器」があれば、自動的に降臨の儀が始まる。
ここまでの流れは優勝者が決まり次第起動する、参加者にとってさほど知る必要性のない情報だ。
言峰の隠匿しているもう一つの聖杯も、起動させるには同様の手順を踏まなければならない。

定まれた候補地は三つ。
霊格の高い順に、【B-2】の火口エリア、【D-4】の円形闘技場、そしてこの展示場がある。

荒耶の工房が置かれていたここは、会場内での研究という彼のために止む無しとして帝愛から提供されたものだ。
会場機能の調整の役目を負うという名目がある以上ある程度の格のある霊地の方が都合がいい。
かといって、一番上質な火口エリアを与えるには優遇が過ぎる。
よって帝愛は、最低限会場に手を伸ばせられるだけの土地である展示場地下を受け持たせた。
図らずもそれが、荒耶と結託していた言峰が聖杯を隠匿する場所として利用されることになった。

より確実な召喚を望むなら、当然優れた霊地である火口地、或はエリア中心となる闘技場を選ぶのが常套だ。
立地的にも邪魔が入りにくい山岳部。
まして火山エリアに直接踏み入った参加者はヒイロ・ユイファサリナの二名のみであり、受けた被害も微少。
リボンズが祭壇をそこに選ばない理由はないと、言峰は判断していた。
よしんばあちら側の未だ知り得ぬ事情で二番目の霊地である闘技場に決める事があっても、
わざわざ最も劣る霊脈の展示場を使う可能性は著しく低い。

故に一切の邪魔が入らないと踏んで、この場所を己の聖杯の祭壇とした。
完璧な聖杯を求めるリボンズと違い、言峰はただ招き寄せるだけでいい。
正確な願望成就など必要ない故に、要害や霊格の憂慮は不要だった。

質や完成度においてイリヤスフィールの「白い聖杯」に大きく劣る黒聖杯が唯一勝る点。
杜撰な準備であっても問題なく起動できる、即効性の優位を効果的に利用したのだ。
先んじてアンリマユを発生させる事で、霊脈の全土を穢し、戦いの主導権は言峰が握る。
機先を制するのは戦いにおいての常道の策。
これでリボンズは既に整えられた道を歩かざるを得ない。
穢れなき酒杯を、汚泥の上に落とすような愚行は侵すまい。



「などと……読んでいたのだがな。やはり私も、衰えたということか」

だがしかし。
現実の光景はその想定を真っ向から覆すものとなって表れていた。

現在、イリヤスフィールを乗せたダモクレスは、言峰の頭上へと位置を定めている。
即ち、アンリマユで構成された泥の塔の真上に。
それで終わらず、今度は眼下の様子など知らぬとばかりに会場への降下を始めている。

元は同一の存在としてあった、いわば兄弟器とでもいうべきふたつの聖杯。
対極の性質でありながら、黒い聖杯は他のどの生命に見向きもせず、引き合うように天上の白を目指している。
もしも万が一、黒聖杯が白聖杯に及んでしまえば、何が起こるのか。
今は完全に弾かれているが、仮に内部のイリヤスフィールに接触し取り込んでしまえば、何が巻き起こるのか。

結果は言峰にとっても想像の埒外。
足りなかった肉片を埋め合わせることで史実の通り、邪神の孕み胎として完成するのか。
それともそれ以上の、ひとつの惑星を侵すだけでは収まらない何かへと変貌するのか。
何れにせよ、この世界のみの崩壊だけで済むとは思えない。
それぞれの参加者を通じ繋がっている全ての並行世界へと、全人類を呪い殺す悪を、雪崩のように流出させる可能性すら存在するのだ。

黒き聖杯は、もはや数少ない、白き聖杯にとって有害な要素である。
残された、ほぼ唯一と言っていい、そして最大の不穏分子。

だからこそ、白と黒の真っ向勝負だけは"無い"と見ていた。
そんな言峰の読みは、それこそ完全に読まれていた。
第三霊脈たる展示場で黒聖杯を起こすことを、リボンズは最初から予測していたに違いない。

並行世界の記録から、第四次聖杯戦争での言峰の行動を分析したのか。
いずれ、こうして言峰が思い描いていた絵図は呆気なく崩壊する。

少しずつ、ゆっくりと、しかし確実に地上との距離を縮めつつあるダモクレス。
目前に吊り上げられた特上の餌に、黒の聖杯は無数に枝分かれした手を伸ばし、糸に縋る餓鬼の如く白光へと殺到する。
自らに触れようとする不浄に、ダモクレスの全体から空間を白く食い尽くす烈光が浴びせられる。
痩せ細った手は指先をかけるのも叶わず、残滓も残さず抹消させられた。

白聖杯を固める防備はまさに万全だった。
器たるイリヤスフィールを魔術的・生体的にバックアップする、今や巨大な量子魔術書と化したコンピュータ・ヴェーダ。
物理的な害から守護する城壁であるダモクレス。
そして何よりも、リボンズ・アルマークの守護がある。

これらが揃う限り、内部のイリヤスフィールに穢れが及ぶ要素は極限までカットされる。
現存する参加者が結集しても、アンリマユが押し寄せても、その城壁が罅割れもしないだろう。
趨勢は明らかで、先は見えている。
何れ、降りてくる神の威圧に押し潰されるが如く、黒き聖杯は消滅させられてしまうだろう。

「まったく、どこまでも傲慢なことだ」


事実として、アレは傲慢だ。
直に接してみて、リボンズの性質は理解できた。
だが傲慢には傲慢なりの理屈が通っていることを、言峰は知っている。





「――――――……なるほど。つまり、お前は」


ひとつの答えが脳裏に浮かぶ。
それは実に単純で、分かりやすい。
故に異論を挟む余地のない、恐らくは的を射ている答え。


―――あの男は、ただ単に、誰よりも強く己を信じている。


言ってしまえば、
『どうせ黒聖杯は潰すのだから、最も手っ取り早い方法で潰そう』
という、たったそれだけの事なのだ。
直接赴き、『女神(イリヤ)を守る為に危険(どろ)を避けるだろう』という驕りごと天上から押しつぶし、跡形も無く消滅させる。
それを実行移すだけの、圧倒的、自信現れ。

自己の強大さに疑問を持たず。
行為に迷いも曇りもなく実現する。
決して間違いはないと、憚ることなく正当性を謳う。



恒久的な世界平和。
リボンズの掲げる目的。このバトルロワイアルが開かれた真の理由。
言葉にしただけで嘘になるようなそれを、リボンズは本気で叶えようとしている。
叶えるべき願いである故に、叶うのだと確信している。

かつて、同じ理想を叶えるために奇跡を望み、愚かにも全てを喪い何も為すことなく死んだ男がいた。
その男とリボンズの最も大きな差異は、リボンズにとって世界平和とはただの手段でしかないこと。
世界を救う為に幾多の試行をして、聖杯を使うと決めたのではなく。
初めに己があり、己の欲するものを叶えるのに、世界平和という形の結末が必要だっただけ。

人を導くべく造り出された肉体も頭脳も。
純正の粒子炉を備えたガンダムという強大な機動兵器も。
揃えられる限り接収した無数の異世界の技術すら、男にとっては彩を与える付随物でしかない。
自分こそが世界を救う神なのだと豪語し切る、尊大に収まらない精神。

己の力ではなく、己そのものへ対する絶大なる信仰。
それこそが、リボンズ・アルマークにとって、最大最強の武器であるのだと理解した。




「認めよう。
 圧倒的な自己への信頼。あらゆる可能性を真っ向から打ち破る事に恐れを抱かない気概。
 確かに、人ならざる者にしか届かない境地だ。人の領分を超越したといって過言ではない」



そう、言峰は強さを認める。




「ならばこそ、私も私の望みを言わせてもらおう。
 楽園を堕とし、擁する果実を食らうという禁忌の原罪をもって、この主を問い殺す。
 ああ、それもまた―――」


微笑のまま、言峰は頭上の白城から視界を外し、目の前と向き直る。
既に展示物は全て燃え落ち、周囲には外からの侵入を拒絶する炎の柵が形成されている。
言峰にも逃げ場はないが、邪魔者の入る隙もない好都合な空間。

それでも、対峙する者がいるとしたら、その者にこそ資格がある。
神にも譲れぬ、己だけの望みを込める資格が。

燃え盛る壁を吹き飛ばす魔手の一撃によって、一箇所の孔が穿たれた。
ずり落ちる壁面。飛散する破片。
切り開かれた空洞から、一つの存在が姿を見せる。

先に待つ、幾億もの呪いの集積した塔に怯みもせず、前へと踏み出す。
熱気舞う空間に、極低温の殺意を篭めた視線が対峙する者に突き刺さる。
心底からの笑顔のまま、言峰綺礼は諸手を挙げて入場者を迎え入れた。


「待っていたぞ。バトルロワイアルを生き残りし者。
 それでは、最後の開幕だ。
 己が胎を晒し、胸を開け、頭蓋を割り、君が叶えるべき願いを見せるがいい。
 ―――コレもまた、其の時を待ち望んでいる」


背後に聳え立つ。
この世全ての悪の根元にて。



「―――――よォ。
 俺を差し置いて『悪』の殿堂ここに現るってかァ?」




招かれた存在は。



「ひはっ面白れェ……イイね!イイねェ!さいっこォだねェェ!!」




ソレが在る事を、決して許せぬ彼は。




「ぜンぶ、殺してやるよ」



膨大な狂熱を乗せて、言い放った。




「―――ゲームオーバーの時間だぜ」









◆  ◆  ◆






風が吹く。
温度が上がる。
何かが、近づいてくる。

鋼の音が鳴っている。
荒野に鋼の音が響いている。

それは戦いを告げる音。
消えぬ炎の上がる合図。

獣のような人の、人のような獣の、人を超えたモノの、動く証左。


――――カラ、カラ、カラ、カラ。


鉄の擦れる残響が、嵐の到来を告げている。


――――ザリ、ザリ、ザリ、ザリ。


砂利を散らす足が、戦火の到来を告げている。


――――ハ、ハ、ハ、ハ。


熱烈の笑みが、ソレの到来を告げている。
やっと、やっと、やっと来たぞと歓喜しながら―――





「――――開戦だ」





最後の、戦争がやってくる。









◆  ◆  ◆








「つまり参加者は誰一人として勝つことなんて出来ない、ということさ。
 わかるかい? 原村ちゃん」

「わかりません」

「バッサリだねぇ」


そうして、忍野メメは肩を竦めながら振り返った。
見える景色は前方と同じ、黒の筋が幾重にも張り巡らされた不気味な廊下。
数歩後ろをついてくる少女の表情は、暗い。

「じゃあ『例えばのお話』で解説してみよう。
 君は麻雀が得意らしいけど、そのルールを変更できる人に勝てるかい?」

聞くと、少女はやはり不快そうな表情を作る。
あり得ぬこと、起こりえぬこと、つまり非科学的なこと。
それらの問いに答えることは、原村和にとって生産的な行為とはいいがたいのだろう。

忍野が彼女と行動を共にした短い時間。
黒服に見つからぬよう飛行船を脱出し、
この殺し合いの会場、その今や中心地と言っていい展示場内部の外周廊下に侵入するまで。
非現実的な例えを孕んだ話をする度に不満げな顔をされれば、誰にだってその傾向を掴むことができるはずだ。

「ルールを変える相手? まさか対局中にですか?」

「そう、君の嫌いなオカルトじゃない。あくまで論理的な話さ。
 点数計算や役作りの条件、それらを都合の良いように設定できる者、所謂ゲームマスターというやつだね」

「勝てません」

「そうだよね」

「というより、それはゲームが成立しなくなると思います」

「まったくもって」

かたく真面目な声。おどけたような声。靴音。
展示場外周廊下に響く音は、この三つともう一つ。
壁を走り、この建造物の中央へと流れ込んでいく黒い筋が蠢く鼓動。
まるで怪物の腹の中のような通路を平然と歩き続けながら、忍野は言葉を続けていった。

「ゲームの勝敗を論じるうえでのポイントだ。
 ルールに則って戦う者達が決して勝ち得ない存在がある。
 ルールを決めた者、ルールを作りルールの外側に在るモノ。
 故に自在、故に無敵、縛られることなく縛りつけるゲームマスター。アウトサイドの力さ。はっはーイイご身分だね」

暗く、黒く、そして長い廊下をただただ歩き続けながら、二人は足と話を前に進めていく。

「だけどね、そう、原村ちゃんがさっき言った通り、その対戦カードは本来成り立たないんだ。
 ルールを作る者自身が、作り上げた秩序を乱すのはご法度だからね。
 それじゃゲームじゃなくてただの殺戮だ。聖杯を降ろす儀式には成り得ない。
 故に――」

ルールを決める者。
ルールに従って動く者。
絶対的上下関係がある、それ故に同じ卓には座れない。
だが可能とする方法があるとすれば。

「『殺し合い』という前提そのもので誘導し、リボンズ・アルマークは成した。
 彼が儀式に介入するもっともシンプルな手段。
 『参加者自身にルールを破らせる』、ことをね」

ルールに縛られる者。
そしてルールマスター、アウトサイドの力。
忍野が話す『例え』がそれぞれ何を指していたのかは明らかで。
作られた構図は浮き上がる。

作った仕組みを外側から壊せないなら、内側から崩せばいい。
そして修正という名目で自らを割り込ませる。
ゲームを成立させるために『必要な枠』として捻じ込む。
自ら構築した『白き聖杯』というシステムすら欺き、リボンズは参戦を成したのだ。

荒耶宗蓮、言峰綺礼、ディートハルト・リート
殺し合いという儀式を何事もなく運ぶには、些か以上に難がある人材選出。
並行世界を知るモノならわかる筈だろう。彼らはカオス、この場所に呼び込んで正しき仕事をする筈が無い。
更には内側からの崩壊を仕込まれた禁書目録の変調、その静観。

思えば、幾つもあった綻びの胤。
ルール自体に仕込まれた、ルールを崩す因子。
最初から、状況をこうするために仕組まれたとするならば。



「その結果が、これ」

現に状況は混迷を極めている。
荒耶宗蓮は暗躍を重ね、言峰綺礼は会場にアンリマユを流し込み、ディートハルト・リートは裏切り、インデックスを参加者に与えた。
禁書目録は壊れながらも動き続け、今も変調を続けている。
そうして作られたのが、この、どうしようもない盤面だった。

地は黒き聖杯が蠢き、聖杯戦争という裏の目的すら巻き込んで一切合財を呪いの渦に沈めんとしている。
参加者は首輪という戒めを破壊し、定められたルールを反故にしようとしている。
そこにリボンズ・アルマークは降りていく。
イリヤスフィールという聖杯と共に。

混迷を極め、崩壊の危機に瀕した聖杯戦争の救世主。終わらせるために舞い降りる者。
黒の泥を消し去り、定めを投げ出した参加者の命も全て屠り、聖杯が求めるものを与える男。
強引であろうとも聖杯は納得せざるを得まい。
なぜなら彼こそが、唯一残った『殺し合いに勝ち抜いて願いを叶える者』なのだから。

現にこの場で、聖杯に到達するにおいて、彼より相応しい者は居ないのだから。

そう、だから、この盤面は―――




「彼らは……生き残った彼らは……絶対に……」

「勝てないね」

忍野は断言する。
彼らは彼らのままでは勝てない。
リボンズ・アルマークとの力の差は絶対だ。

いま彼らが握る物はリボンズ・アルマークから与えられたモノ。
いま彼らが振るう力はリボンズ・アルマークに許されたチカラ。
それでは、勝てるわけがない。
勝敗はあまりにも明らかで。
次の忍野の言葉が、その現実を否定する事に繋がると。
果たして原村和は期待でもしたのだろうか。



「でもそれで何か、悪いことがあるのかな」

「……ぇ?」

「だから、リボンズが勝って、たとえば原村ちゃん的には何か不都合があるのかな? ってね」

忍野は更に問いかける。

「だって見ただろう?
 リボンズ・アルマークが実現する願いを」

「それは……ですが……」

「アイツがいけ好かないとか、アイツのせいで何人も死んだとか、そんなオカルトありえませんとか、そういうんじゃなくてさ。
 原村ちゃんが好きな『現実的なお話』としてだよ。
 リボンズ・アルマークが勝利し、その願いを……『恒久的世界平和』ってやつを叶える。
 夢とか幻想じゃない。誰も殺されない、誰も傷つかない、誰も泣かない。
 化学的に論理的にデジタル的に、現実的に、本当にそいつが実現するっていうのなら」


オカルトでも何でもなく本当に、世界が永遠の平和を手にするならば。


「なあ? それでも、ここで永遠に消える64の命の方が価値ありますって、原村ちゃんは言えるのかい?」




永遠の平和と、たった64の命、どちらが優先されるべきかという、それは不条理を挟まない至極単純な問いだった。
この世界を知らぬ者、失われる64人を知らぬ誰かに問いかければ、回答は明らかで。
原村和もまた、一番大切なモノの為に、それ以外を犠牲にしてここに居る以上、忍野の言葉を否定する事は出来ない。

「だから、もう一度言うよ。『命は平等だ』なんて、僕の一番憎む言葉さ」

そして事実、リボンズ・アルマークこそ、聖杯を手にするべき者なのだろう。
彼ほど単純に、世界が希求する願いを願望器に捧げられる者は、他にいないのだから。

「この際だからもう一度ハッキリ言っておく。僕は彼らを助けない」

「…………」

「分かったかい?」

「わかり……ました……」

うつむいた和の声に、諦観が混じり始める。
正しく伝わったのだろう、忍野という男の性分が。
そして理解したのだろう、なぜ今、忍野がここに居るのかを。


「じゃあ、あなたはこれから、どうするんですか?
 誰も助けずに、誰も救わずに、あなたは……」


忍野という男を理解して。
絞り出すような問いに、返される答えは、やはり軽く。


「ん? 当然、お仕事だよ。
 僕は『この特設かつ即席の不安定な世界が、ふとした拍子に調和を崩さないようにしろ』って依頼されているんだから。
 いつものようにバランスを取れって、ね。
 だからいつも通り、バランスを取ろう。帳尻を合わせようと思うんだ」


だけどその言い方は、少し引っかかるところがあった。


「だからとりあえず、その『願い』ってやつの。帳尻を合わせるとしようかな」

「……え?」


前言撤回なのかもしれなかった。
軽やかに歩き続けていた男は、展示場廊下に設置された自販機の前、不意に足を止めて、告げる。


「じゃあ、とりあえず、ここからは『この子』をおんぶして行かなきゃいけないから……って、なんだい?
 原村ちゃん、さっきからコロコロ表情が変わって面白いね」

伝わっていなかったのかもしれない。
まったく理解していなかったのかもしれない。
事ここに至っても、原村和には、筋金入りのデジタルである彼女には。




「……その子は?」


忍野という、怪奇(オカルト)専門の男を理解することは、到底できていなかったのかもしれない。


「久しぶりのインデックスちゃんだね。
 阿良々木くんを追ってここまで来たのかな。だとしたら先回りになっちゃったわけだ」


廊下の突当り、まだかろうじて泥の浸食を免れた窓から差し込む、僅かな西日に照らされた場所。
そこだけは周囲とは少し違う、穏やかな雰囲気を保っていた。
ほんの僅かな陽の光の中央、壁に設置された自販機と首輪換金機の隙間で、少女が一人眠っている。

白い修道服のシスター。
名をインデックス。
恐らく忍野や和と同じ方法で、此処へと移動してきたのだろう。

「これも、さっき言った事なんだけどさ。
 平等じゃないんだ、命はね。
 リボンズ・アルマークに叶えんとする壮大な救済の願いがあるように。
 もしも参加者達に、そんな綺麗で美しい願いに張り合うような、それぞれに抱く、自分勝手な膨大の我欲(エゴ)があるのなら」


忍野は彼女を背負い、また先へと歩き出す。


「その二つの、バランスを、取ってみよう。それが僕の仕事だからね」

飄々と遠のく背中を追いながら、原村和はもう一度、問うていた。
さっきと似たようで、すこし違うコトを。

「あなたは、これから、どこにいくんですか?」

「ん? そうだね、とりあえず阿良々木くんの顔でも見に行ってみるかな。
 どうやら彼も近くに来てるみたいだし、ついでに少し話したいこともあるしね」

「あの……」

「そうだ原村ちゃん、これ、バイト代だ。今のうちに渡しとくよ」

「あ……」


古びたお札を受け取りながら、やはり胡散臭そうに見上げる彼女には、まだまだ分からないのだろう。
律儀にお礼だけは、返しながら、考える。
この男、果たして善人なのか、悪人なのか、あるいはただの―――


「ありがとう、ござい……ます」




気分屋なのか。












【 1st / COLORS -END- 】




――嗚呼。



「Ich weis nicht, was soll es bedeuten」



降りていく。



「Das ich so traurig bin」




ゆっくりと、私は世界に降りていく。




「Ein Marchen aus alten Zeiten」




あと少し、もう少しで、私の願いは果たされる。




「Das kommt mir nicht aus dem Sinn」




さあ、目を開けよう、立ち上がろう。




「Die Luft ist kuhl und es dunkelt」



閉じこもっていた部屋から出よう。



「Und ruhig fliest der Rhein」




お外に出たのは久しぶり、吹き抜ける風が、私の頬をくすぐっていく。




「Der Gipfel des Berges funkelt」



降りていく船の上、夕焼けの空の下、私はここで、待っている。



「Im Abend sonnen schein」



ここで、待っていよう。




あと少し、もう少しだけ、待っていよう。




もうすぐ私のもとにやってくる、誰かの願いを待っていよう―――





「Die Lorelei getan」




今はただ、口ずさむ、ローレライの詩と共に。


























【 LAST BATTLE -start- 】











時系列順で読む


投下順で読む


315:第六回定時放送 ~Loreley~ リボンズ・アルマーク 338:2nd / DAYBREAK'S BELL(1)
イリヤスフィール・フォン・アインツベルン 3rd / 天使にふれたよ(3)
228:主催にさえなれば俺だってラスボスになりますよ猿渡さん! 遠藤勇次 GAME OVER
326:See visionS / Intermission 2 : 『悪の教典』 言峰綺礼 338:2nd / DAYBREAK'S BELL(1)
334:1st / COLORS / TURN 4 :『終物語』]] 忍野メメ
原村和
328:See visionS / Fragments 11 :『正義と悪』- 一方通行 - 一方通行
323:See visionS / Fragments 7 :『Mercenary』 -アリー・アル・サーシェス- アリー・アル・サーシェス


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最終更新:2016年05月16日 23:26