夢を過ぎても(前編) ◆tu4bghlMIw
平沢憂はその名前が呼ばれた瞬間、思わず両手で自身の口元を抑えてしまった。
だが、自然と漏れ出した嘆きを打ち消すには少しばかり時間が足りなかった。
その名前は三度、呼ばれた。
最初の二回は名簿から漏れた十二人の参加者の一人として。
そして、最後の一回は――これまでの六時間で命を落とした人間として。
「そん、な……梓ちゃん……」
憂の胸の奥で、何かが崩れるような音が響いた気がした。
もちろん、どんなに衝撃的な出来事に遭遇したとして、『心』という曖昧なモノが実際に壊れてしまうことはない。
精神、気持ち、想い…………形を持たないソレらは常にあやふやな概念に過ぎないのだ。
でも、だからこそ――際限なく、その歪みは少女という存在自体を蝕む腫瘍と成り果てる。
梓ちゃんが、死んだ?
つまり【
中野梓】という名前が放送で読み上げられたということ。
たった六文字の言葉に自ここまでショックを受けるなんて、想像していなかった。
いや、むしろ彼女がこの島に来ていることすら自分はつい先程初めて知ったのだ。
覚悟はしていた…………はずがない。
ショックに備える体勢を一切取る余裕もなく、乗客として乗り合わせていた飛行機の落下に巻き込まれたかのような感覚。
ノーガードの心に非情に身近な場所にいた人間の『死』が抉り込んで来る。
…………どうして、こんなに悲しいんだろう。
憂は自身の幸せを守るために、人を殺める決意を固めた。
そして、実際にそれを実行している。しかも一度だけはない。二度。二人の人間を既に殺めている。
当然、放送で名前も挙げられていた。【
池田華菜】と【
安藤守】という名前が、しっかりと。
故に、平沢憂は完全な殺人者であり、正道を振り返ることなど出来るはずのない異端者だ。
『人を殺した』という事実は決して拭い去ることなど出来ない烙印となって、今でも掌に焼き付いている。
憂は知っている。肉を突き破り、神経を切断する感触を。
人間が簡単には死なないイキモノであり、同時に簡単に死んでしまうイキモノであることを。
だが、この気持ちは何だ。
胸の奥から湧き上がってくる不可解な衝動は?
鼻の辺りの鈍痛は?
両眼に溢れ出しそうな液体は?
覚悟を決めたはずなのに。
お姉ちゃんがいる――そんな幸せを守るために、他の人間を皆殺しにすると、決意したはずなのに。
今更。そう、今更だ。二人も殺しておいてこの期に及んで……知り合いの死を悲しむ権利があると言うのだろうか。
あるはずが、ない。むしろ、あってはならない。
確かに、梓ちゃんは掛け替えのない友人だった。
最初、名簿の中に彼女の名前があったとしたら――もしかしたら、自分の行動は全く正反対のモノになっていたかもしれない。
だけど、それは仮定。起こり得なかったIFに過ぎないのだから……!
「…………ククククッ」
「! ル、ルルーシュ……さん?」
突如としてもたらされた傍らの制服を着た少年の嗤い声に、憂の背筋がピンと伸びた。
少々長い黒髪と、恐ろしいほど整った端正な容姿。
紫の瞳が与える印象は非情に艶やかであり、見ているだけで思わず溜息が漏れてしまいそうだ。
少年の名前は
ルルーシュ・ランペルージ。
現在、憂が行動を共にしている謎の人物だ。彼は自身のことをあまり語ろうとはしない。
「ルルーシュさんも……誰か知り合いが……?」
憂は恐る恐る問い掛けた。
自身の幸せのために、人を殺す決意を固めた――とはいえ。
何もかもを簡単に吹っ切ってしまえるほど憂は強くはない。そして、本来は誰よりも優しい少女なのだ。
だからこそ、不安だった。慰めが欲しかった。仲間が欲しかった……のかもしれない。
「――いや、俺の知り合いに死んだ人間はいない」
「そう……ですか」
だが、ルルーシュはすぐに向き直ると憂を胡乱げな眼差しで見つめた。
その瞳に奥には、放送前とは何か違う輝きが宿っているようにも思えるのだが、それを裏付ける証拠もない。
単なる気のせいだろう、そう憂は結論付ける。
彼は先程まで纏っていたウェットスーツを脱ぎ捨て、憂の支給品だった『アッシュフォード学園男子制服』に身を包んでいる。
『この服にまた袖を通すことになるとはな……』と、ルルーシュは呟いていたが、どうやら彼と関係性のある学校の衣服だったらしい。
「とはいえ、お前は違うようだな」
「う……っ」
「今、梓と言っていたな。中野梓。ほう、名簿外の参加者か」
ルルーシュが自身の名簿を見つめながら呟いた。
「友人か」
「……はい」
「まったく……そう堅くなるな。泣きたいなら好きにすればいい。文句を言うつもりはないぞ?」
「……結構です!」
揚陸艇に乗り込んでから、憂はルルーシュの言葉通り、シャワーを浴び、渡されたゴシックロリータ風の服に着替えていた。
そのデザインは普段の憂ならば絶対に着ない華美な服で(軽音部のメンバーが去年のステージで着ていた服に近い)、
こんな衣装を勧めてくる彼には妙な趣味でもあるのではないか、と思わず疑ってしまったほどだ。
「……しかし、意外だったな」
「え?」
ルルーシュがぽつりともらした言葉に、憂は小さく首を傾げた。
「お前に知り合いの死を悲しむほどの余裕が残っている、とはな」
「なっ……!?」
「大切な姉は無事だったのだぞ。安心こそすれ、悲しむべき場所ではないと思うが」
「ッ――!」
絶句、した。
憂はルルーシュに唯に関することは何も話していない。
だが、彼は見事に憂の心中を言い当て、今も涼しい顔を浮かべている。なんで、どうして……!?
「『何故、私が人を殺す理由が分かるのか』という顔をしているな」
「……ぁ……う……!」
「簡単な推理さ。お前はどう見ても何の能力も持たない普通の女だ。
殺し合いをしろ――と強要されても、簡単に頷くことなど出来るはずがない。あるとすれば、せいぜい自衛のための殺人程度だろう。
ここで注目するべきは、お前がどうも何らかの目的を持って動いているらしき点だ。
服すら着ずに俺の揚陸艇を追いかけて来た。あの時ばかりは流石の俺も目を疑ったぞ?
それに、だ。手当たり次第に殺しているだけならば、俺の力を借りようなどとは考えないはずだ。これだけの材料があれば、後は誰にでも分かる――」
つまらなさそうな瞳で、ルルーシュは驚愕の表情を浮かべる憂を見下ろした。
「大切な人間、おそらくは――『姉のために』人を殺そうと思ったんだろう?」
憂は、その問い掛けに答えることが出来なかった。
それは、ひたすら――否定し続けていた事柄だった。
矛盾を孕んだ言葉であると、頭の隅では理解しつつも受け流していた真実だった。
「ちがっ……」
「先程、姉の名前を俺が出した時の反応も妙だった。いや――異常、だった」
「別に、嘘をつく必要はない。責めるつもりもない。俺は事実を確認しているだけだ」
鋭利なナイフのようにルルーシュの言葉は憂の心肝へと突き刺さる。
柔らかい肉を引き裂いて、冷酷なまでに彼女の行動に理由を付ける。全てを、解体する。
なんで……!?
どうして、そんなこと言うのっ……!
平沢憂が人を殺す理由――ソレは、いわゆる狂人の論理なのだ。都合の良いこと事柄を抽出したに過ぎない。
阿良々木暦と憂が遭遇した際、彼女は自身が人を殺す理由を彼にこう説明した。
『阿良々木さんは勘違いしてます。私はお姉ちゃんの為にしてるんじゃありません。自分の、為なんです。
お姉ちゃんの為なんて言ったら、悲しむじゃないですか』
そして、河原で安藤守を殺した際の返り血を流していた時、自身の行動を振り返った彼女はこう結論付けた。
『この戦いで私がお姉ちゃん以外を殺し尽くす事とお姉ちゃんは無関係! 』
狂って、いる。破綻している。
誰だってそう思う――憂以外は。
決して理解されることはない。否、理解されるわけがない。なぜならば――
「……埒が明かないな。平沢憂、俺の質問に答えろ――――決して、俺を『裏切る』ことなく」
ルルーシュが口にした『裏切り』という単語に、憂は反応せざるを得なかった。
ソレは、絶対遵守の言葉。反故することの出来ない王の意志。
混濁とした精神意識に飲み込まれ、完全に普段の自分を見失い、錯乱した平沢憂の核心へと迫る唯一の手段。
「お前は、この島において何故、人を殺す。そして――何故、殺した?」
「あっ……ぅ……!! 私…………は……、」
ルルーシュの血のように紅い瞳が、憂を見ていた。
全てを見透かされるような。全てを掌握されるような、大海の如き意志の氾濫に飲み込まれる。
憂は虚ろな輝きを双眸に宿し、必死に偽ってきた自分自身を丸裸にすることを強制される。
――――本当は、気付いていた。いや、気付いていないわけがなかった。
わたしは、日記を持っている。
この島で起こった出来事を、誰かを殺した事実を記す絶望ノートを。
どうして、日記なんて物を書こうと考えたのか?
わたしにはそもそも、日記を書く習慣なんてないのだ。
じゃあ、唐突に日記を付けようと思い立った理由は?
しかも殺し合いの場で、だ。あきらかにおかしい。普通に考えたら、異常としか考えられない。
つまり、それは――
『お姉ちゃんのために殺す』という、本心を隠すために『自分のために殺す』と言い訳をしていたのではなく。
「……自分が死にたくないから……殺していたんです」
『自分が死にたくないから殺す』という、醜い本心を覆い隠すために、唯を免罪符代わりにしていたに過ぎないのだ。
それが、私がずっと押し隠していた事実。
本当の、私。
▽
「そうか」
予想外の答え、だった。そのまま『姉のために殺した』と肯定の言葉が返ってくるとばかり思っていたのだが。
ルルーシュ・ランペルージ、またの名を神聖ブリタニア帝国第九十九代皇帝・ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
だが、このバトルロワイアルという殺し合いの場において、その肩書きは何の意味も持たない。
それは、ルルーシュの名前がランペルージ姓で名簿に登録されていたことが裏付けているのかもしれない。
ブリタニア皇帝として、ではなく、あくまでルルーシュという一人の少年としての行動――
それこそがこの場で自分に求められているのではないか、朝焼けに輝く海面を視界の端に収め、ルルーシュは再度、思案する。
(……見込み違いだったか?)
目の前で絶望に染まりきった表情を浮かべている少女をルルーシュは見下ろす。
彼女は『駒』だ。それ以上でもそれ以下でもない。
だが、当然――従順な駒にも資格というモノは求められる。
(ギアスは十分に効果を発揮しているようだな。ただ、ギアスのサンプルとしての役割……程度か。
実際に、俺の手足となって働いて貰う駒としては不穏な要素が多すぎるな)
平沢憂に対するルルーシュの認識が最も近い相手。
それは『毎日、アッシュフォード学園の屋上の壁に印を付けるギアス』を掛けた女生徒であった。
ルルーシュが絶対遵守の力を入手した際、ギアスの継続時間を調査するための実験台とした少女。
制限下の状況を意識したギアスサンプルとしては、これ以上ないほどの比較対象だろう。
また、これはルルーシュも知らない完全な余談ではあるが、彼女は戦乱が拡大した後、ブリタニアの本国に帰還している。
おそらくではあるが、現在でも生存しているはずだ。
しかし、彼女に掛けられたギアスは一年が経過した今となっても依然、健在なのである。
ブリタニアと日本の時差は八時間。彼女は今でも夜になるとアッシュフォード学園のあるエリア11へと足を運んでしまう。もちろん、家族に静止されるわけだが。
そのため、夜は家の中に監禁される生活を送っている――という裏話。
(ここで、むしろ――――俺にとっての問題は、)
ルルーシュはスッと視線を憂から外した。
揚陸艇は宇宙開発局エリアから離れ、一路工業地帯を目指していた。
F-4が禁止エリアに指定はされているものの、
この付近水路自体は二エリアに跨っており、使用可能であると判断した故の行動だ。
だが、それ以上にルルーシュにはこの場で優先すべき問題が発生してしまった。それは、
(…………ユフィ!)
(『死んだ人間を蘇らせる《魔法》』とやらをコレで否定することは出来なくなった……か。
ユフィは、死んだはずだ。間違いなく。そう…………間違いなく、俺が、殺した)
もしも、ユーフェミアが死ななければ――ルルーシュ達の道筋は全く異なるモノになっていただろう。
それほどに、大きな影響をもたらした死だった。
ルルーシュとスザクの間を引き裂き、
イレヴンの意志を完全に反ブリタニアへと駆り立て、そして巡る憎悪と復讐の連鎖。
全ての始まりは、ルルーシュのギアスの暴走。行政特区日本の失敗。
死後、『虐殺皇女』という汚名を被ることになった心優しき少女の末路――
(切り替える、必要がある。いや、切り替えざるを得ない。
俺はまだ冷静さを保つことが出来た。だが、アイツは…………スザクはどうだ?
アイツにとってのユフィという存在は――限りなく重い。俺、以上に)
今のスザクはユフィの『騎士』であった頃のスザクとはまるで違う。
少なくとも、何もかを放り出して暴走を始めてしまう――という可能性は否定出来る。
だが、内心に抱いた感傷は計り知れないだろう。スザクが虐殺の現場に駆け付けた時、全てはもう終わった後だった。
ユフィを守れなかった、死なせてしまった――同じ種類の後悔をルルーシュとスザクは抱えている。
だからこそ、
(俺は、ユフィを見つけ出さなければならない)
同じ過ちを二度、繰り返すことは絶対に出来ないと考えてしまう。否、考えるしかない。
死んだ人間は生き返らない。それは当たり前のことだ。だからこそ死は尊く、不可侵的な輝きを帯びる。
かといって、生き返った命を無駄にすることなど出来るはずもない。
(他にも問題はある。ユフィに掛けたギアスについてだ。
ギアスに関する調査は行ったが……『対象が死亡した際ギアスの効果が継続するかどうか』だけは分からない。
もしも、あの『虐殺ギアス』が未だに効力を持っているとしたら――)
そして、この空間において、ユフィに更に人を殺めさせるわけにはいかないのだ。
配布された名簿を見るに、今回のバトルロワイアルの参加者の大半は日本人である。
条件に一致する人間のなんと多いことか! つまり、この状況でルルーシュに求められる行動は――
「あの、ルルーシュさん」
「……どうした」
「その、大丈夫ですか?」
黙り込んでいたルルーシュの態度から不安を覚えたのか、傍らの憂がこちらの顔を覗き込みながら尋ねた。
「問題は、ない。とにかく、もうすぐ上陸だ。それまでに要らない物や支給品の整理をしておけ」
「ギャンブル船には……いかないんですね」
「ああ。あそこは単なる『餌場』に過ぎんからな。この段階の目的地としてはリスクが大きすぎる。却下だ。
ひとまず、上陸する。海上にいては、他の参加者と遭遇することも出来んからな」
浮いた施設の多い会場内ではあるが、その中でも特に『ギャンブル船』は一際異彩を放っている。
『ペリカ』というルールを提示された参加者にとって、ギャンブルという言葉の持つ意味は大きすぎるのだ。
自ずと、参加者が集まることは予想出来るが……逆に、警戒して距離を取る人間も多いはずだ。
(スザクや
C.C.も動いているだろうが……いつまでも俺が遊んでいる訳にも行くまい)
そうだけ考え、ルルーシュは行く先を見据えるのだった。
▽
(最悪、やなっ……!)
本音を胸中に隠したまま、
船井譲次は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、今後の策を練っていた。
このあまりに不自然な名簿外参加者の死者の多さが船井に天啓をもたらしたのである。
つまり――この後付けの参加者達は、バトルロワイアルの序盤において脱落することを前提に選出されたメンバ-なのではないか、ということ。
実際、参加者の初期配置は帝愛グループ側が自由に操ることが出来る。
好戦的な人間の側に、『餌』を置いて殺しを促すくらいのことは…………平気でやる!
(あの仮面の男――【ゼロ】言うたか。アイツも……濃厚やな。
もう少し……気付くのが遅れとったら、オレも完全に詰んどったかもしれん。
『最初にある程度の死者を出すことで、他の参加者に殺人を促す』っちゅー論理なわけや……!
しかも、今回死んどるのは女ばかりっ……これが怖いっ……!
つまり『ゲームに乗ってる連中は女だろうと容赦はしない』……そういう裏付けや。
ハッキリしたわ。これは持久戦なんかやない……完全な…………短期決戦っ……!)
カンフル剤。加速剤。ブースター。
例えば、一番最初の放送で死者が少なかったら参加者はこう考えるだろう。
『意外と、殺し合いに乗っている人間は少ないようだ。これは信頼出来る人間も多いかもしれない』と。
だが、それは帝愛グループが後ろに付いている裏社会のゲームとしては有り得ない。
裏切り、憎しみ、欺瞞、偽装、自己保身……そんな薄汚い人間の奥底に溜まっている澱のような感情を帝愛の人間は好むのだから。
(身の振り方…………考え直さんとあかんようやな)
そんなことを唯と紬を視界の端に収めながら、船井は考えた。
ここまで『盾』として唯と行動を共にしてきた船井ではあるが、彼女と同行して得たものは何もなかった。
それどころか、見事なまでの『お荷物』まで背負い込んでしまう始末である。
このゲームは過酷だ。油断すれば船井でさえ、あっという間に足元を掬われてしまう。と、いうことは――
「うっ……あああああああああああああっ…………!」
「む、ムギちゃんっ!?」
そこまで、船井が考えた時、突如として眠っていた紬の唇から苦悶に溢れた叫び声が漏れた。
中野梓が死んだ――という事実を一方的に突き付けられ、グッタリしていた唯も瞳をカッと開いて飛び起きる。
「ごめんっ……なさい……わた、私のせいでっ……!
加治木……さんっ……撫子ちゃん……! 浅上……さんが……加治木……さんを……!」
「ど、ど、どうしよう……ムギちゃんが……!?」
「落ち着けっ……よく見るんや、寝言やで寝言! うなされてるだけや!」
あたふたと半泣きになりながら、左右を見渡す唯。どうしたら良いのか分からないのだろう。
確かに、対処に困るシチュエーションではあると船井も思う。
それにどうやら紬は目覚めたわけではなく、悪夢を見て怯えているだけらしい。
(加治木に撫子……これは、どっちも放送で呼ばれた名前やな。
つーことはこの嬢ちゃんが浴びとった返り血はこの二人のどっちかのモンってことか。
あとは浅上…………名簿に名前があったな。確か【
浅上藤乃】だったか。
……あん? 待ちや――この嬢ちゃん、まだ死んどらんやんけ!? つまり…………『乗った』人間ってことか…………?)
船井はここで一度、方向転換を決意した。
明らかな足手まとい二人である唯と紬を切り捨てようかと考えていたのだが、
どうやら紬の持っている情報はそこそこに有用性が高そうである、という判断を下した形である。
殺人者の情報は喉から手が出るほど欲しい。
手口、容姿、能力…………対策を練ることで、生存率は格段に上昇するのだ。
その時、だった。
――薬局の入り口の方で、ドンッ、という人と人とがぶつかり合う、鈍い音が響き渡ったのは。
「あっ…………!?」
「ど、どうしたんですか。船井さん?」
「……どこまで鈍いんや、嬢ちゃんは。…………人や。外に他の人間がおるっ……!」
「ええっ!?」
「アホ! 顔出したら撃たれるかもしれんで!
亀のように頭を突き出し、唯が入り口の方を眺めようとするのを船井は窘めた。
本当に、どれだけ抜けているのだろうか。この
平沢唯という少女は。
今の行動など、相手が銃を構えた人間だとしたら、狙撃されていてもおかしくなかったというのに。
「ちっ……!」
船井はデイパックを背負い直し、ポケットの中にしまったナイフの位置を確かめる。
あくまで護身用だ。船井程度の力で倒すことの出来る相手は相当に限られる。
ただ、現れた人間を吟味する――時間があればいいのだが。
チラリ、と横目で薬局の裏口の位置を船井は確認した。
格闘技や戦闘術に長けた人間が相手ならば、重要なのはとにかく戦わないことだ。
唯と紬を囮にして、出来るだけ素早くこの場から脱出する――
「ど、どどど、どうすればいいんでしょう!」
「静かにしいや。ええか、落ち着くんや」
唯を宥めつつ、船井は自分だけゆっくりと後ずさる。
決して、彼女に気取られないように(大袈裟に逃げ出しても唯ならば、気付かないかもしれないが)
そして――僅かな時間をおいて、入り口の向こう側から人影が顔を出した。
「……警戒しないで貰いたい。断っておくが、もちろん殺し合いには乗っていない。
俺はルルーシュ。ルルーシュ・ランペルージ。参加者の一人だ」
現れたのは黒髪と、黒の制服が特徴的な少年だった。
いや、更に特筆すべきはその驚くべき整った容姿だろうか。
そして、爛々と煌めく紅の瞳の少年に――――ルルーシュ・ランペルージに船井達は出会った。
▽
(男一人に意識を失った女。そして…………こいつが【平沢唯】か)
こんな口調で話すのはなんとも久しぶりだ、ルルーシュはそんなことを思いながら遭遇した三人を見渡す。
着ている服も、名簿に書かれた名前。
まるで一昔前の自分に戻ったような錯覚に捕らわれそうになる。
もちろん、そんな夢が叶うはずもないのだが。
「乗ってない、か。まぁそうすんなりとは信用できんな」
「ふ、船井さんっ。酷いですよ! そんないきなり人を疑うなんて!」
「アホか。簡単に信じる人間の方が、むしろ疑わしいっ……! そういう場所やで、ここは」
「むむむむ……」
唯が顔を顰めた。
だが、その仕草からは全く真面目なニュアンスが感じ取れない間抜けそのものである。
ルルーシュは、早くもこんな姉だからこそ憂が殺人を行うことにしたのだろう――そんなことを考え始めていた。
(憂とこの姉を合わせなかったことは、どう影響するか……?)
薬局にルルーシュ達が足を踏み入れ掛けた時――不思議な出来事が発生した。
何が起こったのかはよく分からなかったのだが、妙な『何か』が薬局の中から飛び出してきて同行していた憂と衝突したのである。
先程のやり取りを経て、憂は完全に意気消沈状態だった。心ここに在らず、という奴だ。
結果、その『何か』を回避することは出来なかった。
とはいえ、その隙に顔を出した相手側の少女――平沢唯を一方的にルルーシュだけが確認することに成功した。
既に唯の外見情報を得ていたルルーシュはすぐさま、憂へ『一旦、離れていろ』と命令を下した。
理由は簡単だ。『簡単に、唯と憂を遭遇させるわけにはいかない』と考えたためである。
(憂が殺人を犯す理由……それは本人すら意識が及ばないレベルでねじ曲がっている。
だが、少なくとも姉である平沢唯の存在がその大きな割合を占めていることは事実。
不用意な接触を許すことは、出来ない。十分に吟味してからでなくては――)
ルルーシュはそう結論付ける。まだまだ駒は必要だ。
姉と妹、深い絆で結ばれた血縁関係にある人間には何か利用価値があるかもしれない。
だが、逆に状況を悪くするような再会を歓迎するわけにはいかなかった。
「もっともな意見だろう。このような環境で、人を信頼することは難しい。
とはいえ、俺の眼にはあなた達二人は非常に息の合った関係であるように見えるが……」
「ど、どうしましょう、船井さん。褒められちゃいましたっ」
「……別に褒めとるわけやないやろ。誰でもコレくらいは言えるで」
「そんなっ! 絶対に褒めてくれてますよ! ですよね!?」
「あ、ああ……」
だが、唯と会話を試みてから数分。ルルーシュは早くもとある疑念にぶち当たっていた。
(なんだ、このアホ具合は……!? こんな状況でまだこんな平和ボケした思考が出来るのか!?
いや、だか待て。この露骨なまでの天然っぷりは俺への牽制の可能性がある……!)
つまり、唯が――完全に駄目な人間にしか見えない、ということだ。
このポンコツ具合はあの平沢憂と本当に姉妹であるかどうか、疑惑の目を向けたくなるレベルだ。
とはいえ、少し話した程度で全てを見定めることは出来ないとも思う。
すぐ側で眠っている女。
そして船井と呼ばれた胡散臭い男と合わせて、ルルーシュは更なる情報交換を試みる――
▽
「はぁっ……はぁっ……!」
薬局を飛び出した時、誰かとぶつかったような気がしたけれど、正直よく覚えていないっす。
黒髪の男の子と、茶色い髪の女の子がいた……ような。曖昧っす。
予感は、していました。
だから――その名前が呼ばれた時、とにかく私は冷静にならないといけないと思ったっす。
なのに、どうして、こんな。
衝動的な行動を取ってしまったんでしょう。
これは、殺し合いの最中だっていうのに。
私はどこかの誰かのように、デジタルの打ち手じゃないので徹頭徹尾、理性的な行動を取ることなんて出来ません。
だけど、そうそう不用意な打ち込みをしてしまうほど、迂闊な性格ではないと思うっす。
わざと牌を切る時に音を立てたり、点棒を置く時にうるさくしたりするくらい。
それにそういう『目立つ』行為をしたとしても、大抵、誰にも気付いて貰えないことの方が多いくらいで。
だから、あんまり意味とかないっす。
私のリーチはダマと同じ。
私は誰にも振り込まない。
リーチに当たり牌を打っても、相手がフリテンになるだけ。
私は――存在しない。
だから、あの人がこの世界から消えてなくなったということは、また私の存在が消滅したことと等しくて。
でも。それでも。
あの人がいないからこそ、私はしっかりしないといけない。自分をしっかり持たないといけない。
そう必死になって自分へいい聞かせていたはずなのに。
本当に、不思議な話っすよね。
おかしい、っすよ。私は、自分を落ち着けようと物凄く頑張ったんすよ?
結局、限界まで張り詰めていた糸が、ぷつん、と切れるのは突然でした。
そのきっかけになったのはやっぱりあの人の名前。
不思議な巡り合わせだと思いました。
実際に、ソレは悪趣味なまでに運命的な遭遇だったんだと思うっす。
だってあの、眉毛さんの口から『加治木』なんて言葉が飛び出したんすよ!
普通、驚かないはずがないと思うんすよね。
完全に掴むことなく千切れたと思っていた線が繋がった瞬間でした。
だけど、その名前を聞いた瞬間、私の中でなにかが燃え上がって……爆発して。
まぁ、何だかんだでこういう有様です。
自分で思っていた以上に、私の中であの人の影響力は大きかったようで。
「………………先輩」
走って、走って、走って……。
辿り着いたのは朝焼けを反射してキラキラと輝く堤防でした。
素晴らしい光景だと思いました。なんて美しい光景なんだと思ったす。
でも、こんな情景を先輩は見ることが出来ないと思うと、胸の奥から不思議な感覚が込み上げて来るわけで。
「…………先輩」
私には一つだけ夢があったんす。
だけど、それは私だけの夢ではなかったはずっす。
私と、先輩と……そして鶴賀学園麻雀部全員の夢っす。
県予選に勝って、全国で戦う――そんな、未来。
「……先輩」
だけど、それはあくまで表向きの目標に過ぎなかったわけで。
聞きましたよね。
『もし、あさっての県予選で負けちゃったりしたら、私と先輩が一緒にいる意味ってなくなっちゃうんすか?』
って。帰り路、二人で歩いていた時に。
はっきりとした言葉、貰えませんでした。
でも、私は別に答えは何でもいいと思うっす。
ただ、そこに、先輩がいさえれすれば。
一緒に居ることが出来れば。
私は、それで。
それで、きっと…………良かったんだと思うっす。
「先…………輩」
放送で聞こえて来た名前が、先輩の名前が、
加治木ゆみという名前が。
今まではその名前を耳にするだけで、嬉しい気持ちになることが出来たのに。
どうして、こんなにも私は悲しい気持ちになっているんすかね。
おかしいっすよね。ホント。
先輩も――そう、思いませんか。
「せ……ん…………ぱい……!!」
溢れ出したモノは涙。止めどなく頬を濡らす液体。
どこまで走ってきたのか、もう私には完全に分からなくなっていたっす。
両手を堤防のコンクリートの路面に付けて、私は力の抜けた身体に縋りつくような格好になります。
ぽたり、ぽたりと。
細かい砂の粒子に汚れた白亜色が黒く濁っていきます。
落ちた雫はぱしゃんと潰れて、散って、弾けて。
私の両眼がまるで真っ黒い雨雲にでもなってしまったようでした。
吹き付ける海風が涙でグショグショになった頬を冷たく撫でさすります。
私はその凍えるような感覚に、半ば衝動的にブレザーの袖で瞼を荒々しく擦りました。
でも、どれだけ拭っても、拭っても、私の瞳は泣きじゃくるのを止めてくれなくて。
「先輩……先輩……せん……ぱ……ぁい……せん……ぱ……」
もうそうなってしまったら、後はグチャグチャでした。
涙も鼻水も際限なく溢れ出します。
喉の奥がカラカラっす。舌は痺れて、鼻の頭がつーんと痺れます。
擦っても擦っても涙は止んでくれないので、私の顔は真っ赤になってしまいます。
ひっくひっくとしゃくり上げる音。漏れる嗚咽。
声にならない声が重なって、外の世界が完全にどこかへ行ってしまいます。
「ぜ……ん……っ……ぱ……い……」
おかしいっす。変っすよ。
何で先輩が死なないといけないんすか! なんで、死んで……!
だって、先輩はいつもカッコよくて、冷静沈着で、すごく頼りになって。
私を残して、先に死んでしまうことなんて、絶対にありえない……そう思っていたっす。
なのに、なんで……どうして……!
「先輩が……いなく……なったら…………わたしは、どうすれば……いいんすか……」
意識がどんどん不思議な方向に尖っていく感覚でした。
普段、人から全く存在を感知されることなく、真っ暗な天の岩戸に閉じこもっているような私。
だから、私は外の変化から取り残されていて、私もそれに慣れて完全にコミュニケーションを放棄していました。
そこに現れたのが先輩でした。
私を求めてくれた。私を必要としてくれたっす。
だから――私を見てくれる人は一人だけいれば、それで良かったのに。
「わたしを……見てくれる人が……いなくなって…………しまったっす」
これから、私はどうすればいいんすか……。
先輩のいない世界に意味なんてない――と、全てを投げ出すのも一つの選択肢かもしれません。
でも死ぬことを、別に私が自分でやる必要もないような気も。
私が他人に自分の気配を察知されない『ステルス体質』であるとしても、存在自体はしているのですから。
殺されることは……きっと簡単っす。
だけど、残酷なことに――この結末を変える手段が一つだけ残されているわけで。
これは《バトルロワイアル》という殺人ゲーム。
そこにはルールがって、優勝者がいて、優勝賞品があります。
死者の復活―――――四億ペリカ。
優勝賞金が十億。蘇生が四億。元の世界へ返るのに一億。
そういうこと……なんすかね。
何もせずに生きて返るなんて……無理ってことなんすかね。もう、私に残された道筋は――――
「…………女、か」
声が、しました。
男の人の、声。まるで私へと問い掛けるかのような声。
完全に閉じた世界の中で泣きじゃくっていた私を、頭の上から見下ろすような声。
「誰かが、死んだか」
ハッとして、私は声のする方を振り返りました。
路面に蹲っていた私の背後、数メートル先に金色の長髪をたなびかせた男の人が立っていました。
切れ長の瞳に白い肌。身に纏っている衣装は、まるでどこかの国の民族衣装のよう。
所々破れたソレは、彼がこれまでの間に複数の戦いを経験していたことを証明していたのかもしれません。
「あっ……!?」
男の人の手には無骨なデザインの拳銃が握られていました。
私のステルスは決して万能ではありません。
大きな音を立てたり、大騒ぎをすれば気付かれてしまうこともあるわけで。
例えば、今のように――大声で泣き叫んでいたりした場合ならば、当然の如く。
それは、私がこの島にやって来てから、初めて一人の人間としてはっきり他の参加者に確認された瞬間でした。
勘違いや気のせいではなく。明確な意志を持った存在として。
私は私――
東横桃子として、認識されたのです。
「丁度いい所で出会ったものだ。女、一つだけ聞きたいことがある。お前は……」
男の人は瞳は虚ろでした。
左肩は銃で撃たれたのでしょう。血が滲んでいます。
そして、男の人は私に銃口を向けて、小さな声で呟いたのです。
「夢を、奪われた者が……どうなるか知っているか?」
今にも消えてしまいそうな押し殺した、声で。
その言葉を聞いて、私は思いました。
――この人は、本当に私を見ているのだろうか、と。
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最終更新:2009年12月03日 17:49