バケモノを見た率直な感想 ◆1qmjaShGfE


 全身を黒いコートで覆い、挙句黒帽子なんてものまでかぶってクソ怪しさをより際立たせている長髪の男、ジンは自らの胡散臭さを自覚しているわけでもなかろうが、道路のど真ん中につっ立ったままの現状はあまり好ましくないと思ったのか足早にその場を離れる。
 片側一車線、合計二車線の道路は住宅街に面したもので、ジンは横道に入りこの道路から見えない場所に移動し、電柱の影に立つ。
 深夜という時間、灯りは街灯のみという現状を考えればそこまでして隠れなくても、とも思えるがジン自身を安心させるといった意味合いもあった。
 何が起こったのかを頭の中で冷静に整理する時間を、ジンは欲していた。
 ホテルで寝ていて起きたらあの謎の場所だ。挙句軽薄そうな眼鏡が何やら抜かした次の瞬間には道路にバカみたいにつっ立っていた。
 信じられない出来事であり、大きな動揺を隠しえぬ、超常的な事件に遭遇してしまった。とは、ジンは考えなかった。これを仕掛けて来た何者かがこちらにそう思わせるための演出でしかないだろうと。
 懐から煙草を取り出し火をつける。
 仕掛け人がジンを薬などにより瞬時に意識不明に陥らせる手段を持つのなら、とりあえず今起こっている出来事全てに説明がつくのだから。またさっきの場所で身動きが取れなくなった理由もまた、同じく薬物を用いる事で実行可能であろう。
 今はっきりしているのはたった一つ。
 ジンは、何者かに拉致され行動の自由を奪われたという事だけ。
 首元に手を当てる。ある。恐らくはこれがそれと気付かぬ内に意識を失っていた原因であろう、首輪。
 犬コロのような扱いを受けている怒りは当然ある。だがそれ以上に、見事完璧にしてやられたという思いの方が強い。
 ジンは、負けたのだ。これを仕掛けて来た何者かに。そして何らかの意図を持って生かしておいてもらっていると。
 自分の所属する組織から助けの手が来る可能性を、ジンは全く考えなかった。こんな間抜けを晒した馬鹿、自分だったら即座に見捨てる。
 それでも助力をとなると、それはジンがこのジンを浚った連中の情報を手に入れ、組織の力を持って叩き潰すに足る計画を持ち込めた場合、であろう。
 もちろん、自分一人でそう出来るのならそれに越した事は無いが、そこまでうぬぼれる程自意識過剰になった覚えは無い。
 とにかく今は、連中の思惑通りに動き少しでも情報を集める事。そして何より、生き残る事だ。
 制限時間は七十二時間。猶予は僅かと言っていいだろう。
 ジンは足元に置いておいたバッグに手を伸ばす。中を開き確認すると、水と食料、それに備品と、書類。書類はすぐにでも目を通したかったが、もう少し落ち着ける場所を探してそうすべきだろうとスルー。最後に、銃。
「……ベレッタ?」
 ジンも使った事がある、信頼性の高い名拳銃だ。また英語の説明文がずらずらと書かれた箱が山程、これは予備弾丸である。
 簡単な動作チェックを行うも、全て良好。出来うるなら一度全部バラして確認してから使いたい所であるが、どうやら、そんな余裕は持てなさそうである。

「こんにちわ、黒い方」

 そんな声と共に、横道入り口を塞ぐように立つ、驚く程の美貌を備えた女が居た。
 ジンは手にした銃を構えるでもなく、凍てつくような視線のみを女に向ける。
「まあ怖い。私のようなか弱い女を、そのような目で睨まないで下さいまし」
 この女が言葉とは裏腹にジンを全く怖れていない事はわかる。そもそも、本当に怖いのなら銃を持った男に声をかけるなんて真似はするまい。
「……何か用か?」
 殺し合いをしろ、と言われた場所で即座に仕掛けて来ないのは、恐らくジンと同じ事を考えたからであろう。最低限の情報すら、ジンには与えられていないのだ。
 もちろん女が動けばジンも即座に反応する気で構えてはいる。その時はクイックドロウ勝負、狙撃が得意なジンであるが、だからと拳銃戦闘が苦手という訳でもない。
「ええ、ええ、用はありますとも。わたくし、一体何が起きたのかまるでわからないのです。なので、誰か説明してくださる方がいれば、と」
 ジンは即答する。
「俺も知らん。それと、普通の女のフリなんて真似はやめておけ。お前はオンナなんて生易しいシロモノではないだろう」
 女がその身に漂わせるただならぬ気配を、ジンは何と呼んでいいのかわからない。凡そまともではないだろう事だけはわかるのだが。
「あらあら……せっかちな御仁ですわね。でも、話が早い殿方は好みですわよ」
 女は優雅な仕草でバッグから書類を取り出す。ジンがそれを許したのは、やはり銃を手にしているという強みあっての事だろう。
 取り出した書類を開きながら問う女。
「こちらにある、参加者名簿に目は通しましたか?」
 ジンは無表情のまま。
「いや」
「では、ここに名前のある蒼月潮という少年を、殺して欲しいのですよ」
 数秒の間を空けて、ジンはやはり感情を表に出さぬ顔のまま答える。
「殺し合いをしろ、と言われて放り出された場所で殺しの依頼とは恐れ入るな。代わりにお前は体でも差し出すと?」
「それがお望みなら。ですが、こういった道具の方が、今の貴方には好ましいのでは?」
 女は再びバッグに手を伸ばし、そこから物を引っ張り出す。ジンは驚きに目を見開く。女がバッグから取り出したのは、全長一メートル半近くある長い銃身を備えたライフルであった。
 明らかに、そんな長物が入るようなバッグではない。また、ジンの記憶が確かならばこのライフル、重量が十キロを優に越えるはずだ。それを苦も無く片手で持ち上げる女に、ジンは驚きを隠せない。
 更に驚くべき事に、女は銃身の先の方を手に持ち、台尻の方を突き出すようにジンへと向け、歩み寄って来る。これをジンに渡すつもりだというのはわかるし、銃を手渡す時の礼儀をそれなりには心得てるという事なのだろうが、この対物(アンチマテリアル)ライフルでそうする馬鹿をジンは初めて見る。
 見た目だけなのか、と思いライフルを手にしてみると想像していた通りの重量がジンの手にずしりとのしかかる。左手はベレッタで塞がっており右腕のみで手にしたので危うく落としそうになったが、女が持てて自分がもてないなんてみっともない真似を見せたくないので必死に堪える。
 呆れた顔でジンは言った。
「そいつは装甲車にでも乗っているのか? 過剰火力にも程がある」
 ちなみにこの対物ライフル、元々対戦車ライフルと呼ばれていた系列のライフルで、主力戦車は無理でもそれ以外のものであれば地上に存在する車両装甲の大半をぶち抜け、二キロ先の狙撃をも可能とするバ火力ライフルである。
 女は小首を傾げる。
「そうなのですか? あまりこういったものに詳しくないので良くわかりません」
「他に、これの予備弾丸と、本体を分解して収納出来る鞄があるはずだ」
 女は少し考えた後、にこりと微笑んで答える。彼女程の美貌がそうすると、ジンですら惹きつけられずにはいられない程の魅力があった。
「ああ、そういえばありました」
 バッグから鞄と弾を取り出し順に地面に置く女。その作業を見守りながらジンは問いかける。
「お前は殺し合いをしろと抜かした連中の事、少しでも知っているのか?」
「いいえ、全く知らない方々ですわ」
 女は息をするように嘘をついたわけだが、女の事を知らないジンにそれを見抜けるはずもなく。
「アオツキ、ウシオ? だったか。そいつは何者だ?」
「男子中学生です。人間離れした身体能力を持つので、このらいふるで気付かれない遠くから撃つのがよろしいと思いますわよ」
「名簿で他に、知ってる人間は?」
「おりませんわ」
「他に、言い残す事はあるか?」
「特には」
「そうか」
 ジンは手にしたベレッタの引き金を、まるで欠片の躊躇も無く引いた。
 女の額に赤い点がつき、後頭部からはまっすぐ血が噴出す。
 女はバッグの中に手を入れたしゃがみ込んだ姿勢のまま、後ろに倒れる。これを見下ろし、ジンは酷薄な笑みを浮かべ言った。
「お前のような女は、絡め取られる前にさっさと仕留めるのが正解なんだよ」
 その美貌とクソ度胸は、ジンも認める所であったという事だ。そこで、即座に殺害という選択肢が出た上で実行にまで移してしまうのが、ジンという男の恐ろしさである。
 殺害現場にいつまでも居るのはよろしくない。ジンは弾やら鞄やらを回収しようと歩を進めるが、その足が止まったのは、信じられぬものを目にしたからだ。

「お、おっほほほ、ほほほほほほほほほほほほほほほ!! 素晴らしいですわ! 黒い方! 貴方はやはり! 私が見込んだだけはあります!」

 女は、額から血を流しながら、立ち上がって来たのだ。
「さあ、まだ疑いの余地はありますわ。さあさあ黒い方、もっと撃って下さいまし。もしかしたら、頭蓋で弾かれ脳に達していないのかもしれませんわ。ほら、ホラホラホラホラほらほらほらほらほらほらほらほら……」
 驚愕を隠しえぬまま、ジンは再びベレッタを構え引き金を引く。残り十四発、全てを打ち込むまでジンは銃撃をやめなかった。
 弾丸は心臓に八発、顔に六発、近距離とはいえ実に正確な射撃であったが、今度は女は倒れてやる事すらしない。
 弾丸で穴だらけになった顔のまま、女は先ほど見せたものと寸分違わぬ微笑を浮かべた。
「たかだか人殺しを躊躇するニンゲンの何と多い事か。それを踏まえれば黒い方、貴方の行動力は賞賛に値するものですわ」
 防弾チョッキで防いだだのといった言い訳は通用しない。女は銃弾で体を致命的なまでに破壊されて尚、その場に立っているのだとジンも認めざるをえない。
「なに、ものだ、おまえ」
 ジンの声がかすれ、体に震えが見えるのも無理はなかろう。それでも、言葉を発っせるだけ肝は据わっていると言えるだろう。
「バケモノですわ、黒い方。そして、貴方の味方でもあります。躊躇無く他人を手にかけられるような、崇高な魂を持つ者を愛してやまないバケモノですわ」
 言っている間に女の傷口は煙を上げて塞がっていく。
 ジンは、既に根元まで吸ってしまっていた煙草を吹き捨て、新しい一本を取り出し火をつける。
 その手が僅かに震えている。平静であるよう自らに必死に言い聞かせているジンであるが、全てを自制するには相手が悪い。
「……味方、と言ったな。何故俺を?」
「蒼月潮は中学生です。これを平然と撃ち殺せるような人間は、そうそう見つかるものではないのですよ」
 じっと女を見つめるジン。
「自分でやらない理由は?」
 それはですね、と女はジンに顔を寄せる。
「アレは我々バケモノから人間を守ろうと、守れると、本気で考えているからですわ。ねえ、そういう愚か者を、人間達自身の手で滅ぼしてやったら、彼は一体どんな顔を見せてくれるのでしょうねぇ」
 女の美しい顔は、とても見れたものではない程ひしゃげよじれ醜悪極まりない笑みを浮かべる。
 ジンは自らの感情を堪えながら、女に流されぬよう必死に踏ん張りながら、口を開く。
「で、その後に俺も殺すか」
 ジンが何故そう言うのかわかっていて女は答える。
「いいえ、そんな事をする必要が私にはありませんでしょう」
「生き残るのは一人だけだと聞いたぞ」
 女は、口を耳の側まで開いたケダモノのエガオを見せる。
「こんな首輪で、私が殺せるとでも? 首が落ちた程度で死ぬニンゲンと、私が一緒だとでも言うのですか?」
 頭部に何発も銃弾を打ち込まれて尚死なぬ存在が口にした言葉だ、説得力があるなんてものではない。女はこれを狙ってジンに銃撃を促したのであろう。
 女は、ケタケタと笑いながら自らの頭頂部に手をかけ、掴み、引っぱり、首から上を千切り取る。
 ジンの足が、我知らず一歩後ろへと下がる。女の甲高い笑い声は、女が千切り手にしている生首から聞こえ続ける。
「とはいえ」
 女はそのまま首を元の胴体にくっつけ、手を離す。やはりこちらも、傷口から煙が吹き上がりだしている。どうやらこの煙は再生中という事らしい。
「首輪はつけたままでないと、他の方々に怪しまれてしまいますので」
 首から上を千切り切った女であるが、首輪だけは下部分に残るようにしてあり、首をくっつければ首輪は再び、絶対抜けない首輪に戻った。
 女は表情を普通の人間の物に戻し、重ねてジンに訊ねた。
「で、蒼月潮殺害の件、引き受けていただけますでしょうか?」
 女のペースに乗せられないよう、一度大きく煙草を吸い込んだ後、煙草をそこらに投げ捨て煙を噴出す。
 次の煙草をゆっくりと取り出し、火をつける。まだ震えは残ったままだが、何とか物を考えられる程度には判断力も戻った、と思われる。
「ライフルはいらん。代わりに……」
 と、そこまで口にした所で不意に言葉を切る。ジンは、遅ればせながらこの会話が殺し合いをしろと言って来た連中に聞かれている可能性に思い至ったのだ。
 もしこの忌々しい首輪に盗聴器を仕掛けられていたら、ジンには為す術が無い。
 女は首輪を怖れる必要が無いようだが、ジンはそうはいかないのだ。
 ジンは女に目を向ける。女は少し怪訝そうな顔をした後、ジンが無言のまま自らの首輪を指差した事でその言いたい事を理解したようだ。
 女は勘の良い生き物だと、どうやらジンは良く知っているようで。
「わたくしをお望みという事ですか、もちろん構いませんとも」
 そこで言葉を切り、女は自分の首元を指差す。
「万端」
 次に彼方の空を。
「整えて」
 一瞬意味がわからなかったジンだが、それが脱出を指していると理解すると口の端が上がる。
「お待ちしておりますわ」
 大きく頷くジンに、女は続ける。
「ですが、らいふるはお持ちください。蒼月潮はその小さな銃では、撃とうとする動きより早く懐に踏み込んで来ますわ」
「……そいつもバケモノか?」
「似たようなものです。ただ彼、ニンゲンには弱いですし急所を砕けば死にますから、らいふるを使えば案外あっさりと殺せるでしょうよ」
 確かに狙撃は得意なのだが、この女は一度も見せていないはずのそれすら見抜いていそうで怖い。
「良し、交渉成立だ。居場所は?」
 女は少し困った顔をする。
「申し訳ありません。配られた地図の内に居るとは思うのですが、何処に居るかまではわかりかねます」
「……それは、ライフル分としておこうか。外見的特長、出来れば写真か何かはあるか?」
 写真を持っていなかった女は似顔絵を描く、と言った。なので紙と書くものを求めて二人は移動を開始した。



 若狭悠里が抱えた絶望は、彼女が置かれた前後の状況を考えれば誰にでも理解出来るであろう。
 まだ高校三年生、学生に過ぎない彼女は、ある日突然数人の仲間と共にゾンビ溢れるホラーワールドで生活する事を余儀なくされてきた。
 衣食住を確保出来るという幸運に恵まれたとはいえ、何時死んでもおかしくない場所で長きに渡っての生活を強いられて来たのだ。
 その彼女が、ようやく仲間達以外の誰かに出会えた、あのゾンビだらけの街から連れ出してもらえたと思ったら行った先で殺し合いを強要されたわけだ。
 実際に人が死ぬ所も見せつけられ、彼が死んだ原因であるものと同じ首輪を付けられ町に放り出された。
 今、街路の片隅に座り込む彼女を、誰が責められようか。
「……なに、これ」
 答える者もいない場所で、そんな言葉を漏らす彼女を、どうして責められようか。
 悠里が覚えているのは、夜だからと皆で眠った所まで。そこでさらわれたとなれば、さらわれたのは悠里だけではあるまい。そんな考えに思い至った悠里は、周辺を見渡し誰か居ないか探してみる。
 彼女が望んだ仲間達の姿は、見つけ出す事は出来ない。
 首を振って勢い良く立ち上がる。悠里はまだ、仲間の為ならば立ち上がる事が出来る。
 そのまま走り出そうとして、足元に落ちていたバッグにつまづき転びそうになる。その時始めて、悠里はこの存在に気付いたのだ。
 見た事の無いバッグ。誰かの落し物だろうかと思い手を伸ばしかけたが、気味悪さもあったので悠里は手を付けぬままその場を離れる。
 僧の言葉『詳しいルールについては儀式開始と同時に配布される書類を読むがいい』というものを思い出せば、このバッグにもう少し注意を払えたのであろうが、流石にそこまでの冷静さは望めなかった模様。
 場所は住宅街。深夜という時間もあってか街灯はついていても人っこ一人見当たらない。それは、悠里に焦燥を覚えさせると同時に安堵をもたらすものでもあった。
 どうやらこの街にゾンビは居ないらしい。まだそう決め付けるには早すぎもしたが、これまでさんざん悩まされて来たアレ等が居ないかもしれないという予測に、悠里の頬が緩むのも仕方ない事であろう。
 アレさえ居なければ、例え深夜であろうと町中の探索は安全極まりないものになるのだから。
 住宅街を走っていた悠里は一旦足を止める。息が乱れていたのもそうだが、もう少し慎重に行動すべきと考えたからだ。
 足を止め呼吸が整うのを待つと、段々と冷静な思考が蘇ってくる。
 今回の事は余りに意味が不明すぎる。ゾンビに囲まれ救助の手を待っていたら、何処か見知らぬ場所に拉致されて殺し合いをしろと言われた。改めて言葉にしてもやっぱり意味がわからない。
 身近な人間のいたずらという線は、最もありえない事だ。寝ている悠里を街中に放り出すという行為がどれほど危険か、わかっていないのは由紀ぐらいのもので、他は皆そんな洒落にならない真似は絶対にしない。
 由紀がそうしようとしたなら残る人間が間違いなく止める。
 また、目が覚めたらまず暗い畳の部屋で、一騒動あって次の瞬間悠里は街の中に立っていた。とかはもうどうすればいいのやら。
 眩暈がしそうである。
 実際に殺された人を見ても、殺し合えなんて言われた実感は無い。逆に、死ぬような怪我を負っている人間の形、ゾンビを幾人も見てきたせいで死体への恐怖が薄れてしまっているのかもしれない。
 誰かに襲われるなどという事があるのだろうか。ゾンビでもない人間に襲われるという事が、悠里はリアルに想像出来ないでいる。ただ漠然と、危ない状況かもしれないと考えるのみだ。
 なので悠里が取った行動は、誰も居ないと思われる明かりもついていない家の敷地に乗り込み、物置を開いて、中にあるシャベルを手に取るといった事だった。
 他人様の家から物を拝借するという事に抵抗が無いのは、やはりゾンビサバイバルを潜り抜けてきた悠里ならではであろう。
 長さ一メートル弱のシャベルは対人用武器としては確かに優れたものであろうが、悠里がこれを手にしたのは、シャベルを人間に叩き込むビジョンを具体的に脳裏に思い浮かべたとかではなく、対ゾンビ武器として有用だったからという理由だけである。
 それだけを手に、再び悠里は走り出す。仲間を探し、誰か人が居ないかと。
 そして程なくして、悠里は二人の男女を見つける。念願の、大人。社会の何たるかを知らぬ悠里達とは違う、仕事をしていただろう、大人の人達だ。
「あのっ! すみません!」
 そう大声を上げる悠里。二人組みは道路の先に立ち、悠里をじっと見つめている。
 大事な大事な先生が失われてから、初めて出会う大人のひと。
 きっと悠里よりも冷静で、悠里よりも的確で、悠里よりも正しいだろう、子供の悠里とは違う世界に住む人。
 二人の大人の前まで駆けていった悠里は、荒い息を漏らしながら声を上げる。
「わ、私っ! 若狭悠里っていいます! あの、あなた方もここに連れてこられたのでしょうか!」
 男は何故か、驚いた顔をしていた。
 男が女の方を向くと、女もまた男の方を向き、互いに顔を見合わせ両者共が頬を緩める。
 男は表情が硬く、悠里には少し怖いと思えたものだが、少しでも笑ってくれた事で怖い空気は薄れてくれたように思える。
 女はというとびっくりするぐらい綺麗な人で、彼女が微笑むだけで様々な不安が溶けていってくれるような美しさがあった。
 含み笑いながら男は言う。
「そういえばお互い名前すら名乗っていなかったな」
「そうですわ。名乗っていただけないので私はてっきり、黒い方という呼び名を気に入ってくれたものとばかり」
「……ジンだ」
 男は女の方を向いたままそう答え、
「斗和子ですわ」
 女は男の方を向いて答えた後、悠里を見て微笑みかけた。

 男、ジンは悠里の話を聞いても、どうやら信じてくれていないようであった。
 女、斗和子の方はというとこちらは悠里の言葉一つ一つを丁寧に確認している辺り、信じているかどうかはともかく信じようとしてはくれているようだ。
 ゾンビが街中に溢れ、何時までたっても救助が来ないという状況であったので、もしかしたら世界中でそうなっていたのでは、と悠里は考えていたのだがジンの反応を見る限りそんな事態にはなっていないようで、少なくともジンが住んでいた地域ではゾンビなんてものとはまるで無縁の生活を送れていたらしい。
 悠里の言葉を信じてもらえぬ不満より、ゾンビなんて何処にもいないと思える地域がある事の方が、悠里には嬉しく思えてしまう。それはつまり、ジンの住む場所にまで逃げられれば再びゾンビに悩まされる事なく暮らしていけるという事なのだから。
 ジンは呆れた口調で言う。
「……何処かの病院から出てきたのか?」
 悠里は頬を膨らませて抗議するが、その口調は怒るというよりも、子供が大人に甘える時のそれだ。
「もうっ、本当なんですってば。ニュースとかにもなってないんですか? それはそれで納得は出来ませんが、理解は出来る話でもありますけど」
 馬鹿馬鹿しい、と鼻で笑いつつジンは、今の医学はそういった症状を引き起こすような薬をすら作れてしまうだろう事も知識にある。
 ゾンビパンデミックを引き起こす薬の方が、若返りを起こす薬より遥かに理解出来るシロモノであろう。
 ジンは目線で斗和子に問うと、斗和子は笑顔で答える。
「嘘を言っているようには見えませんわね。それに、何処にそんな必要性があるのかはわかりませんが、そういった薬を作る事自体は不可能ではありませんし」
 世間話程度の気軽さで問い返すジン。
「本当に作れるのか?」
「若狭さんが言うものと全く同じものではないでしょうが、同じ症状を引き起こす物質程度でしたら問題なく。もっとも今やれと言われても設備も何も無いので無理ですが」
 自分がそう出来る、言下にそう口にした斗和子に、ぎょっとした顔のジンと、思わず身を乗り出してしまう悠里。
「じゃ、じゃあ! 噛まれちゃった人を治す薬も作れますか!?」
「当然でしょう。ただ、壊れたものが元に戻るわけではありませんから、その物質の作用で失われた器官があったとすれば、元に戻すにはその部位を治すのにかかるのと同等の手間なりがかかるでしょうし、生命活動が出来なくなる程の損傷を受けていれば当然死亡するでしょうが。とはいえ、若狭さんのお友達は地下室の薬とやらで治ったのでしょう? なら開発自体はそう難しく無いでしょう。その時間すら惜しいのであればサンプルを手に入れればあっという間でしょうし」
 西洋魔術に通じ、これと法力の融合なんて真似をしでかしてくれた斗和子からすれば、現代医学をなぞる程度造作も無いのであろう。ホムンクルス作成やら人体改造の方が余程手間がかかる、なんて事を考えているのかもしれない。
 思わぬ場所で光明にめぐり合えた悠里は、斗和子の事を尊敬の眼差しで見つめる。
 ジンは、悠里に微笑み返す斗和子に訊ねた。
「こんな所か?」
「ええ、もう充分ですわ」
 ぱん、と乾いた音が一つ。悠里は跳ねるようにその場に倒れた。

 いきなりの事に悠里は事態の把握が追いつかない。
「え?」
 頭上から声が聞こえる。
「足、ですか? 殺さないので?」
「いや、お前は人を嬲るのが好きみたいだしな。そうしたいのなら好きにさせてやろうと思ったまでだ。その気が無いのならさっさと殺すが」
「あらあらあらあら、もうっ、女心を良くわかってますわね、ジン様」
「……それを女心と呼ぶのには、流石に抵抗があるぞ」
 悠里が自身を見下ろすと、足からの出血が見えた。次に首を上げてジンを見ると、彼が拳銃を手にしている事も。
 この二つを確認するなり、悠里は即座に動いた。
 若狭悠里は、不慮の事態に弱い。予定、予期していた事から外れた事が起きると、パニックになってしまう傾向がある。
 ただ、それでも、彼女はゾンビパンデミックを生き抜いているのだ。
 数多の大人達が為すすべなく、或いは抵抗の末に倒れていっているというのに。
 そんな彼女が最後の最後で、追い詰められた土壇場のその先で、怯え震えるのみなはずが無いだろう。
 悠里は手にしたシャベルを力強く握り締めると、伸びるように立ち上がりながらこれを振り回した。
 それは完全な不意打ちであったろう。怯え震えるのみの子兎が、狼の牙を持ち襲い掛かって来たのだから。
 ヤケクソに振るわれた一撃ではない。重量のある先端部の刃がジンの頭部を斬り裂けるよう、正確に振り上げられたものであった。
 さして力があると言えない悠里でも、命中さえすれば確実にジンの命を奪うに足る一撃であった。
 たかが女子高生が、人を殺しうる一撃を放つ違和感。鍛え上げた技術ではない。積み上げた訓練でもない。それは最も効率の良い技術であり訓練、実践を経たものである。
 何もかもがジンと斗和子の予想を大きく上回るものであった。
 それでも尚。
「……驚いたな。やるじゃないか、若狭悠里」
 ジンは片手でシャベルの柄を抑え命中を防いでいた。
 刃部を触ればジンとて無傷では済まぬ。完璧な不意打ちであったはずのコレに対し、ジンはシャベルの加速が充分に行われきる前に、一歩を踏み出し肘を伸ばしぴんと伸びた腕で柄を押さえ込んだのだ。
 すぐに悠里は逆回転させながらもう一撃を見舞う。こちらも当然、相手が死ぬかもしれないなんて事は欠片も考えられていないだろう躊躇容赦の無い一撃。
 しかしこの二撃目はジン殺傷を目的とはしていなかった。
 コレが当ったかどうかの確認すらせず悠里は、シャベルを放り出し走って逃げ出したのだ。
 片足を引きずるようにしながら走る悠里の背後から、声が聞こえて来た。
「的確な判断だ。まったく、最近のガキは皆こうなのか?」
 同時に聞こえてきた銃声と共に、悠里は勢い良くつんのめって倒れる。
 お腹が焼けるように痛い。それでも立ち上がろうともがき、そして、すぐ後ろからの声を聞いた。
「ゾンビの話、信じてやるよ。そうでもなきゃお前みたいなガキがここまで出来るなんて考えられねえ。じゃあな」
 そうして若狭悠里は終わった。



 斗和子は口を尖らせて言った。
「好きにさせてくださるのでは?」
 冷笑しながらジン。
「無害な羊ならそれでも構わなかったが、食らい付く牙があるってんなら、それが何者だろうと俺は容赦はしない」
 その返答に斗和子は満足気に頷く。
「その通りです、ジン様。貴方の腕前を早々に確認出来た事は、私にとって僥倖でありました」
「馬鹿言え。こんなガキ一人殺した程度で腕前もクソもあるか。その蒼月潮とやらを殺すまでにも、人を見かけたら殺していくが構わんな」
 ジンは殺し合いをしろと言ってくる連中に対しても気を配らなければならない。連中の意図から外れていないと、ジンは証明し続け油断させねばならないのだ。
「もちろんですとも。わたくしは蒼月潮さえ死んでくれれば、それ以外は比較的どうでもよろしいので」
 ふんと鼻を鳴らした後、ジンはもう何本目になるか煙草を取り出し火をつける。
「で、お前はこの後どうする?」
「また別の協力者を探しに向かいますわ」
 ぴくりと、ジンの眉が動く。
「……競わせる気か?」
「まさか。蒼月潮が消えてくれれば、誰がそうしたかに関わらず貴方の望みは叶えさせていただきますわよ。ですから、自分で殺す事に拘る必要もありませんわ」
 肩をすくめるジン。
「随分と嫌われたもんだな、その蒼月潮とやらは」
「ええ、それはもう……八つ裂きにしても飽き足りません」
「こんなガキが、お前がそこまで言う程とはな」
 ジンは手にした似顔絵を見る。若狭悠里と出会う前に無断侵入した民家で、斗和子が描いたものだ。気持ちが悪い程に写実的で、これなら一目で当人を見分けられるだろうと思えた。
 後、この女がどんな技術を持っていたとしてももう驚かないだろうとも。医学に造詣が深く絵心もあるバケモノとか、一体何をどうしたらこんなモノが仕上がるのだと。
 ではそろそろ、と斗和子はジンの前を立ち去る。普通に歩いて去っていくのを見て、何故か少しがっかりしたジンであった。

 斗和子が姿を消して、ようやくジンは人心地つくことが出来た。
 まるで虎の檻の中に居るような感覚であった。そんな恐怖を表に出さぬよう抑え込めるジンであるが、だからと怖くない訳では無論無い。
 何度思い返してみても、悪夢そのものである。
 銃弾を何発も打ち込まれ胴体から離れた首がケタケタと笑う様なぞ、逆にそこまで行くとギャグにすら思えて来る。
 そして、ふと思いついてジンは悠里であったモノの側にしゃがみこむ。
 頭を打ち抜いたので上半分はエライ事になっているが、下半分である顔の所は綺麗に残ったまま。
 そんな彼女の頬をつついてみる。死後硬直だのといった事とは無縁のやわらかさがある。ぷにっといった感じの。
 頭部には一発のみだが、何度つついても彼女が起き上がる事は無い。
「死ぬよなぁ」
 そんな当たり前の事に安堵する今の自分の状況に、ジンは溜息をもらさずにはいられない。
 そして次に、ジンは手にしたバッグを地面に置き開く。
 中には分解して鞄に詰めた対物ライフルが。これを中から引っ張り出す。途中まではほとんど力がいらないのだが、バッグから出た辺りで鞄の重量がずしりと腕にのしかかってくる。
 バッグの中に押し込むとまた重さが消えて、引っ張ると重さが生まれる。その境目を何度往復させても、原理や仕組みは全くわからない。
 そして全部を引っ張り出した後、鞄とバッグを比べる。どー考えてもライフルを入れた鞄はバッグに入りきらない大きさだ。バッグには更に予備弾丸やらが詰め込んであるというのに。
 ライフル鞄をバッグに入れなおした後、やはりジンは大きく溜息を付くのであった。

 ジンと分かれた後、斗和子はその美しい容貌を忌々しげなものへと大きく歪める。
「おのれ……光覇明宗めがっ」
 斗和子は、明らかに自分の力が歪められている事を知った。
 拳銃の弾なぞそよ風程度にしか効かぬものであったはずなのだが、今の斗和子にはまるで法力を込めたかのような威力があった。
 もっとも元の力を考えれば法力が篭っていようと、銃弾如きが斗和子をどうこう出来るはずもないのだが。今回は敢えて使わなかったが、反射を用いればそもそも当りすらしない。
 だとしても自らの力を弱められ笑って許せる程斗和子はバケモノが出来ていない。
 それでもこうして大人しくしているのは、これが蒼月潮を葬る好機であるからだ。バケモノに対して絶対的な強さを誇る、斗和子をすら上回るだろうあの蒼月潮をだ。
 このような悪逆非道と呼ばれるような行為を、あの者が嫌うのは知っている。ならばアレはこの地でどう動く。
 きっと殺し合いに非難の声を上げたあの小娘のような者を、守らんとするに違いない。他者の指一つで死ぬ足手まといを抱えて、殺意に満ちた土地をうろつくのだ、あの者が。
 先に集められた場所には多数の人間の姿があった。人間同士が殺しあう最中、あれらを全て守ろうと動くのならば、必ずやそこにアレを殺す機会が生まれよう。
 だから斗和子は蒼月潮が死ぬまでは、大人しく光覇明宗の連中に従っているつもりだ。
 それさえ成し遂げれば、後は何をしたって構わない。元の大妖の姿に戻り何もかもを蹂躙してやるのも良いだろう。
 斗和子は自分につけられた首輪が自らを殺しうるなど欠片も信じてはいなかったし、光覇明宗の連中にその程度の事がわからぬとも思っていなかった。
 ならば何故このようなものに斗和子を招き入れたのか。別所で工作の真っ最中であった斗和子を、斗和子にすら通じる法術か何かで強制的に引き寄せてまで、一体何をしたいのかはわからない。
 そもそも蒼月潮が死ぬような催しを何故奴等がしでかしたのか。光覇明宗にとってこういった真似は到底受け入れられるものではなかろうに。
 それらを探る意味でも、斗和子はまだ、この不愉快な催しを踏み潰すような真似はしないのだ。



【若狭悠里@がっこうぐらし!】死亡
残り70名



【F-4/深夜】
【ジン@名探偵コナン】
[状態]:健康
[装備]:拳銃(ベレッタ)
[道具]:支給品一式、ベレッタの予備弾薬 対物ライフル(分解して専用鞄に収納済み)と予備弾薬、蒼月潮の似顔絵(超似てる)
[思考・行動]
基本方針:
1:蒼月潮を殺し、斗和子に首輪外しと脱出を頼む
2:主催者達に怪しまれないよう出会った奴は殺していく

※その他 ジンは殺した人間の名前は忘れるので、若狭悠里の名は既に記憶に無いでしょう。斗和子の不死身っぷりをその目にしました。


【F-4/深夜】
【斗和子@うしおととら】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:支給品一式
[思考・行動]
基本方針:
1:蒼月潮を殺してくれる人間を探す
2:光覇明宗の狙いを探る


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ジン 017:戦う意思
斗和子 013:至高の御方へ
若狭悠里 GAME OVER

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最終更新:2016年07月07日 17:09