魔人の威力 ◆QkyDCV.pEw





 美影ユラ、そう名乗る彼は少なくとも納鳴村に共に向かった者達の中でならば、その知能は高い方であると言えよう。
 ただ、そのそれなりに高い知能を発揮するには安定した精神状態が必要不可欠であり、これを危急の事態において維持するだけの経験や意志の強さに恵まれていないせいで、納鳴村での事件後半においては彼の持つ知能からは考えもつかないような愚かな行動を行ってしまう。
 では、そんな彼がこの殺し合いの場に放り込まれ、どう考えどう選択しどう行動するか。それが、彼の置かれた状況において適切で妥当で優れたものである、なんてわけがないのである。

 世界全てを呪うような悪口雑言を繰り返した所で、ユラが巻き込まれたこの事件が解決してくれるはずもなく。
 殺し合いのタイムリミットである七十二時間後は刻一刻と近づいてきている。にも関わらずユラは自らに降りかかった不運を嘆き罵るのみで、例えば足元にあるバッグを確認するだとか、周囲の安全確認を行うといった行為を一切行わなかった。
 癇癪を起こした子供のようにそこらにある物に当り散らし、蹴り飛ばし、そして、十分近くの間暴れまわってようやく体力が尽きたかその動きを止めた。
 荒い息が整うまで、ユラは道路に面したブロック塀によりかかって休む。
 さんざん怒鳴り暴れたおかげでか、少しは精神が落ち着きを取り戻してくれた。
 どうするべきか、どう動くべきか、そんな事に思考が向き始めた所で、彼に声をかけてくる者が居た。



 毛利蘭は全身が自由を取り戻した瞬間、弾かれたように走り出すが、周囲の景色が一瞬で切り替わった事に気付き足を止める。
 知り合いの子供、灰原哀が殺されそうになり、これを助けようともがくも体が一切動いてくれない。どうやら彼女は窮地を脱したようだが、その後もやはり蘭の体は言う事をきかず。
 必死に抗っていたのだが、体が自由を取り戻したと思ったら今度は見知らぬ場所に立っていた。視界の内に居たはずの灰原哀も江戸川コナンも居ない。
 何が起こったのか、その全てがわからないが、蘭はまず深呼吸を三つ行う。視野が僅かながら広がった気がしたのでこれをやめる。
 足元にはバッグが一つ。これを手に取りまずはその場を離れ、人目につかない場所に移動した後、バッグの中身を確認する。
 食料や水などの備品は、数日間かけて殺し合えという敵の命令にそぐう形のもの。見ろと言われた書類には、ずらずらと人の名前がある。蘭の名前も、コナンの名前も灰原の名前もだ。他に知ってる名前では安室透がある。またそれ以外にも殺し合いに関するルールの説明があった。
 ざっと流し見しただけでも幾つか気になる点はあったが、蘭がまず真っ先に優先すべきは参加者の確認ではない。
 もう一枚の書類、地図を見て、これのみを手に残りをバッグにしまいこむ。
 時間は深夜であり周囲は街灯の明かりが照らすのみだが、あたりを見渡し最も高い建物であるマンションに目を付ける。
 マンション入り口は、当然と言えば当然であるが鍵がかかっており、外付けの非常階段にも入れないようになっている。
 ただこれも完全密封されてるわけではなく、一階非常階段の壁上部に隙間がありここをすりぬければ中には入れよう。その場所の高さは二メートルもあり幅もほんの五十センチ程で普通の人間はここを通ろうなどと考えないだろうが。
 蘭は右、左と人の有無を確認した後、走り寄って大地を蹴る。
 非常階段壁の隙間の縁に手をかけ、体を引き寄せるようにして隙間に滑り込む。そこでくるりと横に一回転して中に入ると、階段の上にひらりと着地を決めた。
 それだけで金が取れそうな曲芸を決めた蘭は、よしっ、と非常階段を一番上、六階まで駆け上がる。そして高い位置から深夜の町を見下ろし目を凝らした。
 そこが如何な窮地だとて、コナンと哀と、二人の子供を守るのは自分の役目だと蘭は必死にその行方を探す。
 しんと静まり返った深夜の街。
 代わりばえしない、何処にでもある町並みに思える。ただ、深夜だと言っても街灯以外何処の家にも灯がついていないのは余りに不自然だ。
 そんな気になった点を記憶にとどめておきながら、動く人を探す。
「いたっ!」
 顔は良く見えない。が、そのサイズからコナンと哀ではない事はわかる。すぐにその人の所に向かいたいのを我慢して、この高所から見える限りの場所全てを確認する蘭。
 それ以上、特に異常を見つけられなかった蘭は、身を翻し人影の場所へと走り出した。

「あの、すみません!」
 そんな声に美影ユラはびくりと震えながらそちらを振り向く。
「私は毛利蘭と言います。何もわからずここに連れてこられたのですが、貴方もあの暗い和室で変な事を言われたりしましたか?」
 見た目と雰囲気から学生であると思われる女性。言い方は悪いが、ここで初めて出会った相手が自分よりも目下の人間であった事は、ユラに大人として相応しい態度を取らせる一因となった。
「あ、ああ。君もあそこで人が殺し合うのを見たのか?」
「……はい」
「そうか。あの場に知人は?」
「殺し合いなんて出来るわけないって声を上げた女の子と、彼女を守ろうとした子供が……あの二人を見かけませんでしたか!?」
「い、いや。俺は見ていない。そうか……君はその二人を探しているんだな。だが、状況がはっきりしない中あまり不注意に動き回るのは感心しないぞ」
 毛利蘭と名乗った彼女は無理に笑みを作って言う。
「でも、二人は私が守ってあげないと」
 それに、と蘭は腕を曲げてこれをぽんぽんと叩いてみせる。
「私、空手やってますから、これでも結構強いんですよ」
 蘭はそう言うとバッグから書類を取り出し、ユラの前で開いてみせる。
「これ、ここに名簿があるんです。どうやらここに連れてこられた人達の名簿みたいなんですけど……」
「何っ!」
 思わぬ手がかりにユラは奪うように蘭から書類をひったくる。目を皿にして名簿を眺めると、早速不自然な箇所を発見する。
 光宗、スピードスター、ヴァルカナ、らぶぽん、美影ユラ、ナンコ。見知った名前だ。しかし、誰がどう見てもこれは本名ではない。もちろん美影ユラもそうだ。
 他にも明らかに本名ではないだろう名前も見受けられる。というか幾らなんでもダークニンジャはないと思った。
 ダーハラが司会をしていた事もあり、あのツアーの参加者はダーハラの企みでこの事件に巻き込まれる事になったと考えてほぼ間違いないだろう。何故ツアー参加者全員ではなくこの六人だけなのかはわからないが。
 ユラが名簿に集中していると、すぐ側から困ったような声が。
「えっと、多分ですけど、そちらのバッグにも同じものが入ってるんじゃないかなって……」
 名簿から顔を上げたユラは、名簿を持ったまま自分のバッグを開いてみる。
 そういえば殺された僧達は殺し合いのルールが書かれた書類を渡すと言っていた。それがこの何時の間にか側に置かれていたバッグの中にあるというのはわかる話だ。ならもっとわかるように説明しておけ、とユラは心の中で罵りながらバッグから同じ書類を取り出す。
 蘭の分を返し、ユラは自分の分の名簿とルールと地図とに目を通す。
 他にも水や食料、コンパスなどが入っているのを見て、ユラは眉根を潜めながら言う。
「随分と悪趣味なオリエンテーリングだな」
 蘭はユラの言葉に意外そうに目を見開いた後、思わずぷっと噴出してしまい慌てて口元を手で抑える。
「す、すみません。でも上手い事言うなって思って」
 ユラは、ツアーに参加してからはほとんど感じる事の無かった嬉しいという感情と、穏やかに伝わる敬意といったものの心地良さに、自然と体から余計な力が抜けていくのを感じた。
「笑ってる場合じゃないだろ、まったく。名簿に俺の知ってる奴の名前も確認した、だが、コイツ等も、もちろん俺もだが殺し合いをしろと言われて、はいそうですかと殺しあったりは出来ないぞ。あの部屋でいきなり殺し合ってたあいつ等が異常なんだ」
 不愉快げに眉根を潜める蘭。
「そんな人、普通は居ません。居ませんけど……」
 蘭はこれまでに何度も、自分の都合や自分勝手な言い草で人を殺める人間を見て来た。そしてそんな人殺し達は、宇宙人のような不可思議な価値観を持っているわけでもなく、蘭にも理解出来る、何処にでも居るような人達でもあったのだ。
 ユラは我が意を得たりと大きく頷く。
「その通りだ、用心を怠るべきでは絶対に無い。とにかく、今は信用出来る奴を探さないとな」
 考えるべき事は多い、と溜息をついたユラはふと、蘭が困った顔をしているのに気付いた。
「何だ? 何かあるのか?」
「えっと、その、まだ、名前聞いて無いかなって」
 言われるまで全く気付かなかった。自分の迂闊さに赤面しながらユラは早口に言った。
「美影ユラだ。名簿にもそう書いてある」
 そう、用心を怠るべきではないので、本名が明かされていないというのならこれ幸いと偽名で通すべきだとユラは考えた。

 コンッ

 突然の物音に、ユラと蘭の二人は驚きそちらを振り向く。
「はい、こんにちわ」
 何時の間にか道路に立っている人影が見える。
 中年男性。くたびれたコートを着ていて、髪は無造作に伸ばし垂れ流してある。片目だけがぎょろりと大きく見開いており、ユラも蘭も、その容貌だけで警戒心を強く刺激される。
 だが彼は、落ち着いた口調で語りかけて来た。
「喰種対策局捜査官の真戸と言います。美影ユラさんと、毛利蘭さん、でいいんですよね? お二人は民間人であるように見受けられましたが、それでよろしいんでしょうか?」
 蘭のおかげでか、冷静さを維持し続ける事が出来ていたユラは、即座に彼のやっていた事を理解する。
「……ずっとそこで盗み聞きしていたって訳か。なんちゃら対策局ってのは知らないが、捜査官云々って事は警察関係者か何かか?」
「ええ、そう思って下さって構いません。税金で飯食ってる公僕ですし、民間人の保護も任務の内ですからね」
「警察手帳は?」
「身分証明書は持ち合わせてますし、ほら、これですが。……喰種対策局を知らないのならこれ見ても貴方、正規の物かどうか判断つかないでしょ?」
 懐から免許証のようなものを見せる真戸。ユラは真戸の軽口に、不愉快そうに抗議する。
「信用させるのもアンタ等の仕事の内じゃないのか?」
「さて、就業規定にそこまでの記述があったかどうか……」
 少し険悪になりそうな雰囲気を察し、蘭が二人の間に割って入る。
「あ、あの、警察の方が居たのならありがたいです。警察の応援は呼べませんか?」
 今の状況で警察官が真っ先に行うべき行動を、彼女のような若い女性が適切に指摘した事に軽く驚きながら真戸は答える。
「装備の全てを奪われてまして。またここらで通信手段を探してはみたのですが、確認した限りでは外に通じるものはありませんでしたね」
 すぐにユラが割ってはいる。
「そこら中に家があるのにか」
「確認したのは数軒だけですが、電話は……そうですね、電話線が切れているというよりあれは、中継局から先で切られているといった感じですね。テレビもラジオも電波は入っていないようですし」
 ユラは不満気な顔であったが、蘭はというと驚きに目を見開いている。
 蘭が動けるようになってから今までの間に、数軒の家を回り電話回線や電波状況を確認し終えていたというのなら、その手際の良さはかなりのものであろうと。
 真戸は続ける。
「名簿も見てみたんですがね、どうも、不穏な名称を見つけまして。お二人は一時何処かに避難すべきじゃないかなと思うんですよ」
 真戸は、名簿に書かれた名前は自分の名前以外全てに覚えが無かったがたった一つ、ヤモリという単語だけは見過ごせなかった。十三区のジェイソンと呼ばれたグールもまた、この名を名乗っては居なかったかと。
 だとすれば、真戸にとってはともかく、民間人にとっては不幸極まりない話であろう。
 ユラは、警察が居るというのならば危険な捜査は彼らに任せるべきだ、と真戸の申し出を受け入れようと思ったが、真戸の言葉は蘭には到底受け入れられるものではない。
「それは出来ません。私はコナン君と哀ちゃんを見つけなきゃいけないんです」
 ふむ、と真戸は顎に手をやる。そして下から覗き込むように蘭を見上げた。
「これは、確実な話ではないんですけどね。もしかしたらここに、元よりの人殺しが来ている可能性があるんですよ。もし、ですよ。コレと遭遇したら、コレの視界の内に入ってしまったなら、絶対に逃げられず必ず殺されますよ? 例え貴女が拳銃を持っていたとしても、例え貴女が装甲車に乗り込んでいたとしても、絶対に、殺されます。そういうモノが、ここらを徘徊している可能性があるんですよ?」
 怯え後ずさるユラと、それでもビクともしない蘭。
「なら、尚更です」
「カラテで、勝てるつもりで?」
「それは……」
 ユラには全く挙動は見えなかった。しかし蘭にはそれとわかったようで、ダッキングの要領で首を下げると、頭部を狙った真戸の右フックは空中の何も無い空間でぴたりと止まった。
 後ろに飛んで下がった後、きっと真戸を睨む蘭と、振りあげた腕を所在無さげにぶらぶらした後、気恥ずかしそうに頬をかく真戸。
「……思ったよりずっと反応良いですね、貴女。何処かで訓練とか、してました?」
「だから空手やってるんですってば」
「いやー、空手の訓練よりもっと実践的なのやってないと今のはかわせませんよ」
 うむー、と首を傾げる真戸。
「困りましたねぇ。ヤモリという相手は武器無しの私よりずっと強いので、これでもまだ不足なんですが……」
 むっとした表情で言い返す蘭。
「なら武器が無い貴方だってダメじゃないですか」
 苦笑しつつ真戸。
「いやまあ、武器はあるっちゃあるんですけどね。あまり得意じゃないというか、もうちょっと色々とギミックがあったりしてくれる方がありがたいというか」
 張り合うように胸を逸らす蘭。
「私だって武器ありますよ。……使う気全然無いけどっ」
 何故かそのまま、二人は互いが持つ武器を見せ合う流れに。ユラ君はもう、二人のもののふトークについていけていない。
 まず蘭がバッグから取り出して見せたのは、幾重にも折り畳まれた棒状のもの。蘭がこれを折り曲げ開いていくと、長さ一メートル半程の長大な鎌になった。
 折り畳み式という事で強度に難を抱えていそうな構造であったが、いざ出来上がったものはそんな不安をまるで感じさせぬ威容を示している。
 ほうほう、と興味深げに鎌を見る真戸に、蘭は気安くこれを差し出す。
「使います? 私こういうのは全然向かないんで」
 真戸は嬉しそうに鎌を手に取った。
「よろしいですか? ふむふむ……造りは、かなりしっかりしてますねぇ。こんなもの何処で?」
「バッグの中に入ってたんですよ。一緒にあったメモには、エレザールの鎌って書いてありましたけど、聞いた事あります?」
「うーん、聞いた事ありませんねえ。武器としては非常に珍しい形状ですから、一度見れば絶対覚えているとは思うんですが」
「というより、武器なんですかこれ? 物凄く使いにくそうなんですけど」
 この武器、重量配分がそもそもおかしい。全体的に鎌部が重過ぎる上、棒部から鎌の先端が離れすぎている為、これで突き刺そうとしたらよほど上手く振るわないと振ってる途中で鎌の先がそっぽを向いてしまうだろう。
 真戸は、いやいやいやいや、と強く蘭の言葉を否定する。
「使いづらいのは否定しませんが、要は慣れですよ、こういうのは」
 そう言って大鎌を振り回し始める。
 右に一閃、左に一薙ぎ、体全体を覆うように、まるで熟練者がぬんちゃくを振り回すかのように真戸の全身を大鎌が駆け巡る。その腕の動きの速さは、少なくともユラには全く見えない程であった。
 もちろん蘭にとっても、真戸のコレは素晴らしい優れた技であると思えるもので、感心したように大鎌を振り回す真戸を見ていた。
 一通り試しが終わると、真戸は満足そうに大鎌を蘭に返す。
「いやぁ、本当に良い武器だ。細部の重量バランスまで、刃の鋭さもまた、よおく考え抜かれています。硬度も申し分ない。さぞや優れた名工の作品なんでしょうなぁ」
 真戸があまりに満面の笑みすぎて、蘭さんもドン引きである。
「あ、あはははは。じゃ、じゃあ、コレ、使います? 私こんなの渡されてもいらないですし」
「よろしいのですか!?」
 やはり笑顔。片方だけ大きく見開かれた目が、今はもう両方おっきなお目めぱっちりで、さしもの蘭さんもあまりの不気味さに顔が引きつっている。
 そしてやはり突然普通の顔に、といっても元から不気味さ漂う部分はあるが、戻った真戸は丁寧に礼を言う。
「ありがとう、本当に助かりますよ。何時もの武器が無いので、ヤモリと遭遇したらどうしようかと思っていた所で。これなら、何とかなりそうです」
 真戸はその場にしゃがみこみ、自分のバッグの中身を漁りだす。
「そうですね、では代わりに私が持っている武器をそちらに……」
 しかし蘭は慌てて手を振る。
「いいですよ、私無手の方がやりやすいですから。そもそも武器術とか学んでませんし」
 ぴたりと真戸のバッグを漁る手が止まり、申し訳なさそうな顔で振りかえる。
「何かこちらが助けてもらってばかりで、申し訳ありません」
 蘭は笑顔で言った。
「構いませんよー。私がコナン君達を探しに行くのさえ認めてくれればっ」
「…………はぁ」
 しばしの無言の後、真戸は大きく溜息をついた。
「ホント、良く似てますよ貴女は」
「はい?」
「いえいえ、こちらの話です。わかりました。私に同行する形である事、そして私が指示した時は必ずかつ即座に逃走する事を条件に、認めてあげましょう」
 やたー、と言ってぴょんと跳ねる蘭。真戸は、なるほどと妙に納得顔で頷く。
「女の子っぽさはこちらの方が上ですかねぇ」
「はい?」
「いえいえいえいえ、こちらの話です」
 改めて嘆息する真戸。厄介な子を拾ってしまったと。多分、もう、この子を簡単に見捨てるなんて真似、真戸には出来なくなっていると思えたから。
 自分の娘の事を思いだしながら真戸は、ユラを見る。彼は自分の分のバッグを漁り始めていた。
 ユラがバッグから取り出したのは、小さな箱であった。
 真戸は似たものを見た事がある。あれは、良く指輪を納めるのに用いるものだ。
 ユラが中から取り出したのは、果たして真戸が予想していた指輪であった。金の台座に真っ赤な宝石、ルビーらしきものをはめ込んでおり、見た目にも高価とわかるものだ。
 ユラの怪訝そうな顔が見え、指輪の豪華さに驚く蘭の顔が見え、そして、すぐ脇を通り過ぎる、上下赤のスーツを着た男。
「!?」
 喰種対策局捜査官、真戸呉緒を持ってしても、その男の接近に気付く事が出来なかった。
 それどころか、いざその男の姿を目にしても咄嗟に動く事が出来ない。理由はわからない。何故か反応が遅れ、そして現状を認識した上でも真戸の体は動いてはくれなかったのだ。
 スーツ男はユラの前に立つ。真戸は気付けたが、ユラは未だ彼の存在に気付いていない。毛利蘭もまた、気付いていない。いや、背後で彼女の息を呑む音が聞こえた。
 ユラが顔を上げた所で、スーツの男は足を止め手を見る。右手に持った、誰かの手首より先。これを軽く振ってやると手首が持っていた指輪がその指先からぽろりと落ち、スーツ男の左手が指輪を受け取る。
 咄嗟に叫ぶ真戸。
「美影さん下がりなさい!」
「駄目ですよ」
 真戸の叫び声にスーツ男が答える。ユラは、スーツ男が腹部を踏みつけると、そのまま大地に縫い付けられたように引きずり倒される。
 舌打ちと共に動く真戸。ここまで来てようやく蘭も動く気配を見せる。だが、スーツ男が一言呟くだけで、二人は前のめりに倒れ伏す。
「『平伏しなさい』」
 今度は精神的理由云々ではない。体中をコールタールで覆い尽くされたかのように、真戸も蘭も何一つ身動きが取れなくなってしまった。
 そしてようやく、ユラは自分の身に何が起きたのかに気付いた。
「手が! 俺の手があああああああああ!」
 ユラは指輪を、持っていた手ごとこのスーツ男に奪われたのであった。



 上下赤のスーツに丸めがね。ぴんと伸びた耳とスーツの端より垂れ下がる六本のトゲ突き尻尾。
 ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの大幹部にして、ナザリック地下大墳墓第七階層「溶岩」の守護を任された階層守護者、デミウルゴスは自分が置かれた状況を理解すると、胸の奥底より湧き上がる憤怒の感情を抑えるのにかなりの労力を要した。
 冷静沈着をもって知られるデミウルゴスであったが、さしもの彼も、こうまでナザリックをコケにされた経験は無く、このとめどなく溢れ出す感情の持って行き場に苦労したものだ。
 それでもどうにか自制に成功したのは、この戯けた出来事に彼が敬愛してやまない主、アインズ・ウール・ゴウンも巻き込まれていると知ったからだ。
 更に、デミウルゴス自身を拉致して来たと思しき術は彼の知識にもまるで無いもので、彼程の兵を持ってしてもそれと気付く事すら出来なかった。
 主が巻き込まれている事を考えれば、行動は慎重に慎重を重ねなければならないだろう事は容易に想像出来る。
 主アインズ・ウール・ゴウンは、デミウルゴスを軽く凌駕する程の知略と武勇の持ち主であるし、どのような敵が相手であろうと主より優れた者などありえぬと確信しているが、もし御身に万一の事があればと思うととてもではないが無茶な真似なぞ出来はしない。
 すぐにお側に馳せ参じなければと焦る一方、デミウルゴスが躊躇した無茶な真似を、この同じ状況に置かれたなら憤怒と共に行ってしまうだろう、同僚二人の捜索もせねばならない。
 同僚の片割れ、シャルティアはまあ仕方が無いとして、もう一人のアルベドは主さえ関わらねば優れた知能を発揮出来るので、こうした場合以外は頼もしいものだが、今回ばかりはどうしようもない。デミウルゴス自身も今でも怒りに任せ暴れて回りたい衝動を堪えているのだから。
 しかも、何が許せぬかといえば、デミウルゴス達の家であり故郷であり大切な居城でもあるナザリック大墳墓の名が、支給された地図の中にあるのだ。ナザリックに属する者でコレを見て怒らぬ者はおるまい。
 それ以外にも許せぬ事数多あり、とりあえず実利的な部分では、身に付けた装備品の一切を失っている事か。
 これによって戦闘力が著しく低下する事も問題であるが、至高の御方がデミウルゴスの為にと与えてくれた装備品を残らず奪い取られたなど恥辱の極みである。
 自らの不甲斐なさに泣きたくなる程であったが、デミウルゴスはとにもかくにも、情報を入手すべく観察を行う。
 まずは一人発見。何やら喚いているだけで何ら建設的な行動を行わぬまま。少し経って、これを観察する人間が加わる。更にもう少し経つと、女が加わって話し合いが始まった。
 中年の男はグールの対策云々という身分らしい。下級アンデッドであるグールをわざわざ専属で処理する職業というのは考えずらいので、何かの比喩かとデミウルゴスは考える。
 少し経つと中年の男が女に襲い掛かった。動きを見る限りは怖れるようなものは何も無い。その後中年が武器を振り回すのを見ても、デミウルゴスは一切脅威を感じなかった。
 名簿ルール地図等の書類一式は既に全て確認済みのデミウルゴスは、既にこの三人に対しほとんど興味を失っていた。この程度ならデミウルゴスが気を配っている誰に対しても一切脅威となりえないだろうと。
 運動能力もそれほどではないし、探索の手数とするのもあまり効率的ではない、と彼等三人を無視しようとする。
 人を殺す事に抵抗などまるでないどころか、むしろ潤滑油がたっぷり滴ってるようなデミウルゴスだが、殺し合いをしろと言っているこの連中の言い草に従うのは心底から気分が悪いので、必要がないのなら敢えてそうする事もあるまい、と考えていた。
 それも、喚いていた男がバッグから指輪を取り出すまでの話。
 あの指輪は、ナザリック門外不出の至宝。もし敵に奪われればナザリックにとって容易ならざる事態に陥るだろう宝物。ナザリックの深部への瞬間移動を可能にする、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンではないか。
 即座にデミウルゴスは動いた。
 他の者など目もくれず、薄汚い人間の手より指輪を奪い返す。
 人間達は抵抗するつもりらしいので、身の程を教えてやるとすぐに静かになった。
 薄汚い盗賊以外は。
 デミウルゴスは足元で悲鳴をあげながら蠢くゴミ虫に、まず必要な事を訊ねる。
「『私の質問に答えなさい』この指輪をどうやって手に入れましたか?」
「ば、バッグの中に、入っていた」
 各人には独自の支給品が配られるとルールには書かれていた。それであろうとデミウルゴスは理解する。
 予想していた通り、ただそれだけの事らしい。
「ではもう一つ。何故貴方のような下賎な人間如きが、この高貴な指輪に触れたのですか? この指輪の価値は、例え貴方が数万人集まろうと到底比肩しえぬ大切なものなのですよ」
「そ、そんな事、俺は知らなかった……」
「貴方が知っていようと知っていまいと、それこそ私の知った事ではありません。では最後の質問です。貴方は死にたいですか?」
「し、死ぬって!? 死にたいわけないだろう!」
 にっこりと微笑み、デミウルゴスは言った。
「では、死になさい。時間をかけて、ゆっくりじわじわと、ね」
 不意に雄叫びが聞こえた。
 見ると中年の男が、驚くべき事にデミウルゴスの「支配の呪言」に逆らい、立ち上がってくるではないか。
「何と……」
 中年の男は、歓喜に満ちた顔で、片方の目をぎょろりと大きく見開いて言った。
「お前……その高慢な態度、人間離れした動き……他の連中と随分と毛色が違うが……そうか、グール、だな。そうなんだなああああああああ!」

 コツさえ掴めば、この金縛りのような状態から抜け出すのは容易であった。
 真戸は早速もらったエレザールの鎌を構え、スーツ男を観察する。こちらが動けるようになった事に驚いている様子だが、その体勢は緊張などとは無縁のまるで戦闘態勢とは思えぬもの。
 よくある、こちらをなめきったグールのものにそっくりだ。
 スーツ男の額に皺が寄る。
「グール? 先ほどもグール云々と言っていましたが。そんな下等なアンデッドと一緒にしないでいただきたいのですが。というか私の何処をどう見たらグールなんてものに見えるんですか」
「何だ? 誤魔化しか? 命乞いか? その眼鏡を外せばすぐにバレるだろうに、グールの薄汚い赤眼がその下に隠れているんだろうがああああああ!?」
 真戸は手にした鎌を、踏み込みながら袈裟に振るう。スーツ男は手の甲を一振りするのみでこれを弾いた。
「毛利君! 聞きなさい毛利君! その金縛りは自力で解けます! さあ、私の言う通り! まずは下腹に力を入れなさい!」
 真戸は金縛りの解き方を説明しながらスーツ男を牽制するつもりだったのだが、何故かスーツ男が動きを止めたのでこれ幸いと説明を続ける。
「足の裏に力を込めなさい! そして肉ではなく骨です! 骨で足裏から徐々に体を支えるイメージで! 足首! 膝! 股! 腰と順に上に!」
 そこまでの説明で充分だったようだ。スーツ男を睨みつけているせいでそちらを見る事が出来ない真戸にもわかるぐらいはっきりとした、毛利蘭の立ち上がる音が聞こえてきた。
「立てた! ありがとうございます!」
「なら私がアレを抑えている間に美影君を連れて逃げなさい! 反論は無し! 私の邪魔は許しませんよ!」
 真戸の語気の強さに、蘭は少し怯えたように返事をする。
「は、はいっ!」
 真戸が再び突っ込むと、スーツ男は片手を前に突き出す。その指が長く鋭く伸びる。この爪が真戸の振るうエレザールの鎌を容易くはじき返す。
 二度、三度と鎌を振り回すも、まるで体重を乗せているとは思えぬ手先だけの動きで、その爪が真戸の速度と体重の乗った鎌を弾き返すのだ。これでは足元のユラを開放する事すら出来そうに無い。
 と思っていたら、言いつけを軽く無視して蘭がスーツ男の下へと踏み込んでいた。真戸が文句を言う暇も無いスピードで。
 真戸の目から見ても鋭く強烈な一撃であろうと思われる、体を低く落とした所からの下段蹴り。これを見た真戸は、どうやらこの娘はまだまだ本気を隠していたらしいと悟る。この蹴りといい踏み込みの速度といい、下手をすれば喰種捜査官をすら凌ぐものであろう。
 武器の習熟は無いとの事なので、クインケを持った捜査官とやりあうのは不可能であろうし、グールの相手を無手でするのは無茶が過ぎるだろうが。
 案の定、或いはこのグールがとてつもないのか、蘭の蹴りにもスーツ男の足はびくともせず。
 真戸は言う事を聞かない文句を言ってやりたいのが半分、賞賛してやりたいのが半分といった所である。上手く連携出来れば、この底の知れないグールにも一撃を与える事が出来ると、たった今彼女が証明してくれたのだから。
 スーツ男は片足で美影ユラを抑えつけたまま、前後を囲むようにして入れ替わりに、或いは同時に攻め寄せる真戸と蘭を迎え撃たねばならなかった。
 真戸の鎌がスーツ男の片腕を抑えている間に、蘭が怖れる気もなく踏み込み正拳をスーツ男の腹部に打ち込む。いや、逆手に防がれた。真戸は即座に鎌ではなく柄の部分でスーツ男を打ち据えにかかる。首をよじってかわすスーツ男。蘭は下段へ再び足を伸ばす。これが、突如軌道を変化させスーツ男の側頭部を直撃。
 本来ならばこれで決着だ。如何なグールとて脳を強く揺らされれば動きが鈍る。それを見逃す真戸ではないし、蘭でもなかろう。
 だが、さあ攻めるぞと勢い込んだ所に、スーツ男の右手が真戸に、左手が蘭へと伸びる。
 間一髪、長年危地に身を置いた戦場勘で窮地を潜り抜け、スーツ男の手をかわし転がりながら後退する真戸。
 同じ目に遭った蘭はどうした、と焦りそちらを見るが、何と蘭もまた地面を転がりスーツ男の手より逃れている。どうやらあの娘も、真戸と同じレベルの危険感知能力があるらしい。いや、若い分優れた反射神経故かもしれない。
 いずれ、自らの相棒とするに相応しい能力を持っているようで。娘と重ねて見てしまうような少女とそう出来る事に、奇妙な高揚感を覚える真戸。
 喰種捜査官にならんとしている娘と、共に戦っているような気がしているのかもしれない。
「毛利さん! 武器の無い貴女は撹乱です!」
「はい!」
 打てば響くといった感じで答えが返って来る。すぐに蘭は足を使い始めた。激しい出入りと絶え間なく居場所を移動する事で敵の混乱を誘うのだ。
 そして戦いの主軸となるのは真戸とエレザールの鎌。これが激しくスーツ男を攻め立てる合間を、蘭が埋めるように踏み込み一撃を狙う。
 とても出会ったばかりとは思えぬ、二人のコンビネーションはスーツ男の反撃を封じているように見えるが、その実、スーツ男は足元に美影ユラを確保したままであり、いずれが優勢かは火を見るより明らかであった。

 デミウルゴスの持つスキル「支配の呪言」は、かつて居たユグドラシルにおける40レベル以下の存在を支配下に置くというものである。
 だが、今デミウルゴスはこのスキルが弱体化していると感じていた。正確な所はわからないが、おおよそ15レベルぐらいまでにしか通じないようなシロモノに成り下がっている。
 確認の為「支配の呪言」を打ち破った二人と、その得意とするらしい近接戦闘を行ってみたが、大体、二人共が15から20レベルぐらいだと思われるのでデミウルゴスの推測は間違ってはいないだろう。
 何故スキルが弱体化したのかは全くわからないが、もしかしたら今居るこの地に問題があるのかもしれない。
 デミウルゴスは考える。
 バッグの中のものと書類は、これを企図した者が本気で集まった者に殺し合いをさせるつもりだと示している。
 そして今こうしてデミウルゴスに向かってくる二人は、実力はともかく、武力行使を躊躇しない環境に居たと推測される。
 そうした者が殺し合いの場に招かれるというのはわかる話だし、もしこの殺し合いをつまらないものにしたくないのなら、このように強者の能力に制限をかけようとする事も理解出来る。
 殺し合いをさせた結果何を得るのか、といった所が不明瞭である為確実な事は何も言えないが、バッグや支給品やらといったものから推測される主催者達の意図を考えると、特に言及されていない事柄が幾つか浮かび上がってくる。
 主催者は、闘技場でただ戦闘の技量を競うような強い弱いではなく、夜討ち朝駆けに交渉や腹芸といったものまで含めた総合的な強さを比べようとしており、恐らく、ここから先まずこの殺し合いに招かれた者達の間で重要となってくるのは招かれた者同士の同盟になるであろうと。
 そして当たり前の事だが、この地にはきっと、王国や帝国といったさして脅威になりえぬ雑魚ばかりではなく、デミウルゴスに匹敵する、或いは凌駕する存在が招かれているだろうと。
 そこまで考えた所でデミウルゴスは笑みを深くする。知略をも含めるとなれば、デミウルゴスの主、神算鬼謀の坩堝たるアインズ・ウール・ゴウンが負ける事なぞ断じてありえない。
 しかし油断ならぬ状況である事は間違いない。ならばデミウルゴスに出来る事は、少しでも主の知略の助けとなるべく、招かれた者、招いた者、この土地そのものの情報を集める事だ。
 そこまで考えた所でデミウルゴスは、完全な失敗とは言えないが自分の行動が誤りであったと気付く。
 この指輪を奪い取るのは当然の事だが、このマドとモウリランからもっと情報を聞き出すべく友好的に接しておくべきだったと。
 マドの方はどうやらデミウルゴスをグールと勘違いしているようなので、とりあえずはこの誤解を解いてみることで関係改善を計ってみるとする。
「待ちたまえ、マド。そしてモウリランとやら。私には君が何故私をグール呼ばわりするのかまるでわからないが、私の目を見れば誤解が解けるというのであれば今ここで見せようではないか」
 突然のデミウルゴスの申し出に、二人は動きを止めるが警戒を解いた様子は一切無い。そしてデミウルゴスはかけていた丸眼鏡を取る。
 蘭の息を呑む音。そして真戸の方もまた、眉間に深い皺を寄せる。デミウルゴスの宝石で出来た目はあまりに人間らしからぬものであるし、二人の反応もわかるのだが。
「……これで、満足はしてもらえたかね?」
 真戸は、それでも鎌を納める事はしなかった。
「逆により怪しくなりましたよ。それに、グールであるない別にしても、貴方が人間に危害を加える存在だという事は間違いないようですしね」
 とは言いながら、真戸の口調は何時もの丁寧なものへと戻っている。
「それこそ誤解でしょう。私が刃を向けるのは、我等が主に不敬を働く不埒者に対してのみ。今もこうして、貴方達二人には手出しを控えているでしょう?」
 真戸の追求は続く。
「不敬とは、貴方が持つ指輪に何か関係が?」
「然り、どのような理由があろうと、これは人間が触れて良いようなものではありません」
 そこで強い口調で蘭が割って入った。
「だからって! 手を切り落とす事はないでしょ! あなたの実力ならそんな事しなくたって指輪は奪えたでしょうに! それにもしそれが本当に貴方の物ならきちんと美影さんに話せば……」
 ぴくりと、デミウルゴスの眉が動く。
「私にこの屑蟲の御機嫌を伺えとでも言うのですか? 薄汚い手で我等が至宝に触れた、許し難き大罪人たるこの愚か者に」
 静かな口調でありながら、その怒りは蘭にも真戸にも伝わった。
 その恐るべき気配に蘭の口が止まったのを見計らって、デミウルゴスは別の話題を持ち出した。
「それよりも先ほどから気になっているのですが。マド、貴方の言う所のグールと、私の知るところのグールで、どうにも差異があるように思えてならないのですが」
 真戸もまた、同じ事を考えていたようだ。精神の均衡を失うほどにグールを憎む真戸であるが、だからと彼からその優れた観察力が失われるわけではない。
「……先に、そちらのグール像をお聞きしても?」
「屍を食らう鬼、と書いてグールと読み、文字通り死肉を食らう、下級のアンデッドです。痩せた個体が多いのも特徴で、私の知る限り、会話が行える程知能の高いグールというものは聞いた事がありません。実力的には、マドでもモウリランでも単体で容易く駆逐出来る程度でしょう」
 額に皺がよりっぱなしのまま答える真戸。
「そんな雑魚が相手だったなら、私達の仕事はどれだけ楽な事か。貴方の言うようなグールなぞ、聞いた事すらありませんよ。グールとは人間そっくりの外見と人間並みの知能に人を大きく超える能力を持った上で、人食いの習性を備えた最低最悪の害獣です」
 この会話だけで、デミウルゴスは一つの仮説に思い至る。それは、ユグドラシルから異世界へと転移させられた経験故の事でもあろうが。
 もしかして、と口にしかけた所で危うく自制する。
 こうして不思議を解き明かしていく事はデミウルゴスの知的好奇心を強く刺激してやまないが、情報は宝である。むやみやたらと撒き散らして良いものではない。
 誤魔化すようにデミウルゴスは感想を述べる。
「そんなものが居たら、人間滅びません?」
「滅びませんよ、人間は。アレ等を滅ぼす手段は、幾らだってありますからね」
 ふむ、と顎に手を当てるデミウルゴス。
「個体数差で力押してるといった所ですか?」
 真戸はこれには無言でお答え。
「まあいいです。でもこれでわかったでしょう、お互いの知識を交換する事はどちらにとっても大いなるメリットとなります。なので不幸にも刃を交わす事となった過去は水に流し、情報交換と行きませんか?」
 蘭が何かを言い出そうとするのを、真戸は手を伸ばして制する。
「情報と引き換えに足元のそれ、離してはもらえませんか?」
「駄目です」
 真戸は両目を瞑り、数秒間をあけた後でゆっくりと答えた。
「……わかりました。情報交換に応じましょう」
 そう言って真戸は、手にしていたエレザールの鎌を床に置き、手で強く押し遠くへと滑らせた。
「ちょっと! 真戸さんそれは!?」
「黙りなさい!」
 抗議する蘭を、強く窘める真戸。
「彼我の実力差を見抜けぬわけではないでしょう! 今の私達に出来る事に! 彼を救うといった選択肢は最早ありえません! そしてその一点を除けば、彼が理知的で交渉に足る相手である事は貴女にもわかるでしょうに!」
 納得いかぬ、そういった気配を感じ取れた真戸であるが、彼女に更に追い討ちの一言を。
「もしこれ以上彼の目論見を邪魔するというのであれば、私は腕づくで貴女を拘束しましょう。そちらの方、よろしければ毛利さんを無傷で拘束する手助けをお願いしたいのですが」
 デミウルゴスは深く頷く。
「もちろんですとも。貴方の理性と知性に富んだ判断に、私は必ずや報いてみせましょう」
 蘭が絶望したような表情になるのも無理は無かろう。そして完全に動きの止まった蘭に、デミウルゴスは優しく語りかける。
「これはこちらの方のご好意ですよ、モウリラン。貴方の身の安全だけは何としてでも確保したいというその切なる想い、どうか汲んであげてください」
 ぶるぶると震えながら、地面に倒れ伏す美影ユラを見つめる蘭。
「……それでもっ、あんなに青い顔して苦しんでる人を見捨てるなんて……」
 真戸はその言葉に、怪訝そうにユラを見直す。ユラの上に置かれている足は、それほど彼を圧迫しているようにも見えなかったので彼が苦しんでるとは思っていなかったのだ。だが、良く見てみるとユラの顔は青ざめ苦痛に満ちた表情を浮かべているではないか。
 そこで思い出したようにデミウルゴスは言った。
「ああ、そういえば。貴方には時間をかけてゆっくりじわじわ死ねと命じてありましたね。忘れてましたよ『死ななくても良い』」
 ぽんと手を叩き愉快そうに笑うデミウルゴスの下で、呪言を解かれたユラは凄まじい勢いで息を吸い込み、吐き出すを繰り返す。
 その目からは涙がぼろぼろと零れ、それまで彼を襲っていた恐怖がどれほどのものかをその歪みきった表情が教えてくれる。
 自分の体が自分の意思に従わず、ゆっくりと死ぬべく動き出すのだ。意識ははっきりと死を拒否しているというのに、体の全てがこれに逆らいゆっくりじわじわと死ぬべく手を喉に当て少しづつ締め上げていく。決して逆らえぬ緩慢なる死を前に、ユラが抱えた恐怖がどれほどであったか。
 その表情、実に快なり。そんなデミウルゴスの特殊性癖が、真戸が動くに足ると考える隙となった。
 デミウルゴスは、蘭が強く大地を蹴る動きを察し、そちらに目をやる。彼女は手にしたバッグを大きく振り下げ、デミウルゴスの方へと放り投げる所であった。
 そしてほぼ同時に、真戸もまたデミウルゴス目掛けて大きく跳躍している。しかし彼の手に武器は無く。また真戸の攻撃は武器によるところが大きい事もデミウルゴスにはわかっている。
 一撃分、確かに虚を付かれはしたが、それでもデミウルゴスをどうこう出来るとは思えず。デミウルゴスは素手での一撃を許した後、すぐさま反撃に出るつもりで腕を引き絞る。
 空中で追いついたバッグの中に、真戸は手を突っ込み、掴む。
 手にするは刃。当初、真戸が余り好まぬといった形状の武具。
 ウィッチと呼ばれる空の狩人達が、敵空戦機体を叩っ切る為用いた反りのある片刃の剣。その名を扶桑刀。近接武器で、空飛ぶ巨大な飛行兵器を斬り倒そうなどという正気を疑うエモノを、真戸はもちろんそれとは知らずに振り抜いたのだ。
 逆袈裟に、デミウルゴスの胴前部に斜めに深く斬り傷が刻まれる。瞬きする間に振り上げられたこの刃は、真戸が着地すると今度は大地をしっかりと踏みしめた万全の体勢での斬撃となる。
 いや、二度目の斬撃よりも、反撃を構えていたデミウルゴスの爪が速い。
 いやいやいや、それよりも。バッグを投げた後自らも跳躍した、毛利蘭がより先だ。
 上段より扶桑刀を振り下ろす真戸の頭上を飛び越え、デミウルゴスの顔面に飛び蹴り一発叩き込む。かの階層守護者の頭をこうもぽんぽんと蹴り飛ばしたのは彼女ぐらいだろう。
 その一撃で、デミウルゴスは足蹴にしていた美影ユラから、足を離す羽目になってしまった。
 だが、それで倒せたわけではない。デミウルゴスがどう動くにせよ、その前に畳み掛けんと真戸の刃が彼を襲う。空を切る。
 デミウルゴスはこの刹那の最中にあっても、優先順位をたがえるような事は無い。
 苦笑を一つ残し、デミウルゴスは片手に美影ユラの足を掴んで走り後退していった。
 追撃、無理。その尋常ならざる跳躍力、人一人を飛び越えて見せた蘭のそれをはるかに越えるもので、デミウルゴスは二階建て民家の上へと飛び上がり、そのまま屋根伝いに逃げ去って行った。
 絶望の表情でこれを見送る蘭。結局、美影ユラを救う事は適わなかったのだ。
 真戸は手にした扶桑刀をバッグの中の鞘に納めると、あれほどの怪物を、油断させておいての不意打ちにより完全に敵に回してしまった致命的な現状を指して、こう評した。
「失敗、しちゃいましたね」
 狡猾さこそグールを討つ重要な武器である、と平然と口にする男である。敵を騙した事に、ほんの僅かの後悔もあるわけがないのである。

 ひどく落ち込んでいる蘭を、真戸は叱咤するように即座の移動を促す。
 あれはグールでなく、またウィークポイントに触れさえしなければ人間に敵対する事もない。今の所はそう判断出来る相手だ。
 であれば美影ユラを守れなかったのならこれ以上執着すべきではない、と真戸は冷徹に判断を下す。
 内心忸怩たる思いがあるのせよ、毛利蘭という同行者がいる以上自分はより安全思考に動かねばならない、と。
 首元の冷たい首輪をなでながら、真戸はこれから先どう動くかを考えつつ、その場を離れるのだった。



 デミウルゴスは美影ユラであったものをそこらに投げ捨てる。既に原型を留めておらず、誰が見てもコレが美影ユラであったとはとても判別できないだろうが。
 出来ればもっと時間をかけたかったのだが今はそうも言っていられない。先ほどの問答で得た、現在この地では異世界に住む者同士が交流しているかもしれない、という仮説の検証を行わなければならないのだ。
 次の遭遇者とはもっと上手く交流しよう、と心に決めデミウルゴスは次なる交渉相手を探しに向かう。
 移動中、デミウルゴスはあの見事な中年の男を思う。理で固め完全に相手を丸め込んでからのあの不意打ちには、デミウルゴスとの実力差を理解していながら恨みを買う事を怖れず行動出来る勇気には、さしものデミウルゴスも完全に裏をかかれた。
 あの男は定めた目的に対し、最も有効と思われる手段の選択に躊躇が無いのだろう。ああいう手合いは、感情論のみの愚か者と比べて遥かに交渉しやすい。
 ならば、あの男からまだ得られていない情報があったとしても、アインズとあの男が出会えばアインズが必要な情報を入手してくれるだろう。
 確かにあのマドという男は大した男ではあるが、主アインズ・ウール・ゴウンの智謀と比較しては流石に可愛そうであろうし、主を前にしてはたちどころに全ての情報を吐き出させられてしまうであろう。そう、デミウルゴスは確信していた。
 ならばアインズの為にも、あの男をここで殺してしまうのはよろしくなかろう。まあ、アインズと出会う前にシャルティア辺りとぶつかってしまったらもう、諦めてもらうしかないが。
 また、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使えばもしかしたら地図上のナザリックへ、更に更に、もしかしたら本来のナザリックへ脱出出来るかもしれないだろう。
 だが、デミウルゴスがこれを使う事は決して無い。当たり前だ、この指輪はデミウルゴスに下賜されたものではなく敵より奪い返し一時的にその手にしているもので、本来の持ち主であるアインズ・ウール・ゴウンの許可なしに用いる事など許されるはずもないのだから。




【美影ユラ@迷家-マヨイガ-】死亡
残り69名



【H-4/深夜】
【毛利蘭@名探偵コナン】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:支給品一式
[思考・行動]
基本方針:
1:江戸川コナン、灰原哀を探して守る
2:真戸呉緒と行動を共にする

注:ユグドラシルで言う所のレベル十五~二十相当の戦力であると判定されました。武装もスキルも何も無い状態でっ。


【H-4/深夜】
【真戸呉緒@東京喰種トーキョーグール】
[状態]:健康
[装備]:エレザールの鎌、扶桑刀
[道具]:支給品一式
[思考・行動]
基本方針:
1:グールを探して殺す
2:毛利蘭と行動を共にする

注:ユグドラシルで言う所のレベル十五~二十相当の戦力であると判定されました。


【H-4/深夜】
【デミウルゴス@オーバーロード】
[状態]:健康(斬られたり蹴られたりしたが大して効いていない為)
[装備]:
[道具]:支給品一式、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン(ナザリック内を自由に行き来する能力を持つが、デミウルゴスが主の許可無くこれを使う事は無い)、不明支給品(1~3)
[思考・行動]
基本方針:
1:主であるアインズ・ウール・ゴウンを探す。
2:同胞であるアルベドとシャルティア・ブラッドフォールンを探す。
3:主の役に立つ為、情報を集める。

注:デミウルゴスのスキル「支配の呪言」は弱体化されており、ユグドラシルで言う所のレベル15相当以下の相手にしか通用しません。




注:原作で美影ユラがハンドルネームであると言及している描写はありませんが、彼の性格を考慮するに本名で参加するとは考え難いので偽名であるとしました。


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000:オープニング 毛利蘭 044:舌戦
GAMESTART 真戸呉緒 044:舌戦
GAMESTART 美影ユラ GAME OVER
GAMESTART デミウルゴス 044:舌戦

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最終更新:2016年09月18日 23:16