13◆お仕舞い(前)
巨大な商店街をそのまま閉じ込めて建物にしてしまったかのような、娯楽施設の一角。
本来なら何十、何百もの人が買い物のために練り歩いている広い通路には、
いまはまったくと言っていいほど人がいない。
何せ、今回この施設は買い物のために作られたのではないのだから、当たり前だった。
B-1エリアの一階にあたる場所にいるのはたった二人だけ。
殺し合いという名の悪夢の実験に呼ばれてしまった、哀れな男と、哀れな少女だけだ。
そして通路の真ん中で少女は目を覚ました。
モノクロの夢から覚めて、悪夢じみた現実へと帰還した。
でも視界は真っ暗なままだ。
だってもう、彼女にすべてを見通す眼は存在すらしないんだから――それも当たり前だった。
「あ、……気が付いたかい?」
だから少女にとっては、突然聞こえた男の声は恐怖の対象でしかなかった。
どうして何も見えないのか? なんで自分は気絶していたのか?
色んな記憶が混同してわけが分からなくなりそうで、思わず床から体を起こして、後ずさって「声」から距離を取ろうとした。
するといきなり、少女の頬に暖かい手が触れて――優しく、丁寧に、ゆっくりと撫で始めた。
「傷、痛くないかな? ……僕は医療に明るくなくてね、
君を置いて書店に行くわけにもいかないから、自己流で処置してみたんだけど。
いやあ、鋏を持ってきてなかったから、大きい包丁で包帯を切ってさ、地味に大変だった」
言われて少女は自分の顔に包帯が巻かれていることに気付く。
ぐるぐる巻きで、でも窮屈にはならない絶妙な巻き方だ。
いまだにあまり思い出せないが、とにかく自分はこの人に助けられたらしい。
そう認識した少女は、相手を動揺させないような柔らかな物腰と、優しい声をした男の前に、警戒心を解くことにした。
――大丈夫、あんまり痛くないです。
答えてその後、自己紹介をし合う。……男は軽妙洒脱。少女は、一望千里と名乗った。
「軽妙洒脱、ってのはまあ呼びづらいだろうから、僕のことはケイおじさんとでも呼んでくれればいいよ。
君は……千里ちゃん、でいいかな」
「あ、はい。おかまいなく。――あの、ケイ、おじさん。あ、ありがとうございます。その、助けて、くれて」
「いやあ、僕が勝手にやったことだよ。気にしないでくれ。
通りすがりに血まみれの女の子が倒れてたら、手当をするのが大人ってものさ」
「え……あの、わたしの怪我って、そんなに酷いんですか」
「ああ、そりゃあ――、まあ、ね。
階段から転げ落ちたようだから……それより千里ちゃん、お腹空いてないかな?
なぜか時計がどこにもないから正確な時間は分からないけど、
もう実験が始まってからかなり時間が経っているはずだ。そこのベンチで何か食べよう」
「は、はい」
何か言葉を濁されたような気がしたが、深く考える前に軽妙洒脱に手を引かれ、一望千里は立ち上がる。
見えない世界では平衡感覚を保つのも難しい。
ふらつきそうになるたびに繋いだ手に体重を預けて、助けてもらいながら歩く。
もう一人で歩くこともままならないんだ――と、考えるのも束の間、ベンチは近かったらしくすぐ着いた。
軽妙洒脱が先に座る音、そしてぽん、ぽん、と何かを叩く音。
「ここに座って。分かるかい?」
「あ、はい」
音で示された場所に、こわごわ腰を下ろす。
どうやらベンチはクッション地で出来ているらしく、ふわりと一望千里の体重を受け止めてくれた。
ふう、とひと息。
重く圧し掛かる申し訳なさも、このクッションが受け止めてくれた気がする。
横で、軽妙洒脱がビニール地の何かをくしゃくしゃとしている音。
次いで一望千里の手が取られて、手のひらに食べ物が乗せられる。
「はい、どうぞ。こんなのしかなくて悪いけど、これなら食べられると思うよ」
渡されたのは冷たいおにぎり。
全体が海苔に包まれている、コンビニで売られている感じのアレだ。
「どうも……本当にごめんなさい、わたし、何でこんなになっちゃったか……あんまり覚えてなくて」
「その話は後にしよう。とりあえず、生きているんだからいいじゃないか。
さ、まずはこいつを食べてしまおう。渡したのが何の味か、千里ちゃんは分かるかな?」
言ってくしゃりと海苔を噛む音。一望千里も見習って、おにぎりにかぶりつく。
口に運ぶとやっぱり、ちょっと冷たい。でもこのおにぎりには、人の優しさと温かさが詰まっているみたいだった。
もぐもぐ、と咀嚼するたびに、心の震えがおさまっていくのが分かる。もぐもぐ、もぐもぐ。
食べられる幸せに感謝しながら味わっていくと、次第に中心の具の部分に行き当たった。
やわらかいお肉と、さっぱりした風味。これは……
「ねぎ塩……カルビ味?」
「おっ、すごいなあ。よく分かったね。体力を付けるならお肉、っていう発想だったんだけど」
「……普段は安いツナマヨしか食べないんですけど、ちょっと豪華なのを食べたい時って、これにしてたので」
「分かるよ。名前からして豪華だもんなあ、ねぎで塩でカルビだし。ちなみに僕のはツナマヨだけど、食べるかい?」
「いえ、お気持ちだけで。……これ、おいしい」
「あはは、そう言ってくれると僕も嬉しいな。ゆっくり食べていいよ、今のところ周りには誰もいないから」
「ふぁい」
もぐもぐ。
作れない笑顔を声のトーンで表現しておにぎりを美味しそうに食べる一望千里を、軽妙洒脱は微笑ましく見つめる。
嬉しそうな人を見ていると、自分まで嬉しくなってくる。
それが自分の助けた少女であるなら尚更だ。
このまま、こんなゆったりとした時間が続く――そういうシナリオだったらどれだけいい事だろうか。
軽妙洒脱はぱくりとツナマヨをほおばり、静かに手を合わせて、この時間に感謝した。
「千里ちゃん、食べ終わったかい」
「はい……ごちそうさまでした」
「うん、僕もごちそうさまだ。さあ、そしたら。本題に入ろう」
でも、微笑ましい時間なんて、長くは続かない。
「――千里ちゃん。君は、顔に傷を負ったのが何でなのか覚えていないらしいけど……、
じゃあ、ここに来てからのことは、全部忘れてしまったのかな? 何か覚えていることはないかい?」
少なくとも。一望千里の顔をあんな状態にした犯人が分からない限り、
この殺し合いの場において安心することなんて出来ないのだ。
「君にとって、例えそれを思い出すのがどれだけ辛いことだとしても、忘れたままにしておくのは危険だ。
落ち着いて聞いてほしいんだけど、君の怪我はとても普通の人間が負わせられるようなものには思えなかった。
かなり、ひどい。僕はこれは、誰かのルール能力に因るものだと見ている」
「ルール、能力……ん、いや、」
「僕のルール能力は殆ど使えないものだったけど、きっと強力な能力も――何か思い出したのかい?」
「い、いえ……何か、思い出せそうな気がしたんですけど……なんだか気分が悪くなって」
「きっと君の脳が思い出すのを拒絶してるんだ。
怪我人に無理はさせたくないけれど、思い出して。何かきっかけがあれば――そういえば」
軽妙洒脱は思い出したようにデイパックを漁ると、
沢山のものが入って膨れているそこから何かを取り出して一望千里に握らせる。
「これ、は?」
「君の倒れていたそばに落ちていた。もう壊れてしまったが、エリア内の首輪の位置を探るレーダーらしい。
これが落ちていたおかげで、僕は君を見つけることができたんだ」
「そうなんですか……わたし……何だろう、これを、握ったことがあるような、気がします。
ううん、覚えてる。……思い出して、きました。
わたしはこれを持って、最初、二階のレストランのテラスに居たんだ……。それで、そこから、外を見て――」
顔を上げて、天井を見上げる。見えない目が一望千里の脳裏に映しているのは何なのか、推測はできない。
嫌な予感が脳裏をよぎった。軽妙洒脱は、少女に声をかけようとする。
「千里ちゃん、」
「……ああ――思い出し、た」
「え、」
「わたしの、せいなんです。……わたしが、わたしの顔を破かれたのは、自業自得、なんです」
壊れたレーダーを強く握りながら、一望千里はそう告白した。
思い出すのはさっき見た夢――その中の自分の姿と、最初に居たテラスでの出来事。
一望千里のルール能力は、《会場全体を透視できる》だった。
そう、あくまで《できる》ことだ。
勝手にそうなってしまうわけじゃない、意識しないとこのルール能力は発動しない。
だから、自業自得なのだ。
「わたしが、すべてを見ようとしていたから。
すべて見通した気になっていたから――罰があたったんだと、思います」
一望千里はうつむきながら、娯楽施設に転送されてから気絶するまでの顛末を語った。
全てを見るルール能力を惜しみなく使った結果、破顔一笑のルール能力に返り討ちに遭った一コマを。
語りながら――同時に。
自分が一望千里という四字熟語に選ばれてしまった理由も、彼女は分かってしまったようだった。
「昔からわたし、人と話すのが苦手なんです。
いつも相手の顔色ばっかりうかがってしまって、何を言えばいいのか分からなくなっちゃうんです。
だからわたし、いつからか会話するのがめんどくさくなっちゃって。クラスでも出来るだけ一人で過ごすようになって。
……どんな話でも盛り上がれるような友達を、作ることさえしようとしませんでした」
それでも学校というシステムは、一望千里にクラスメイトとの関わりを要求する。
運動会、文化祭、修学旅行なんて大それたイベントで。
日直や、グループワークや、忘れてしまった宿題みたいな、日常めいた生活の一場面で。
そんな場面において、人と関わろうとしない者はどうなるか。
「高校生にもなると、よくテレビで取り上げてるみたいな、表面的で攻撃的なイジメはもう起こりません。
年を重ねていくごとに……頭がよくなっていくごとに、
いけ好かない一人をクラスから弾き出す方法はあまりにも単純で、無意識的なものになるんです。
食物連鎖の中で自然淘汰が起こるみたいに、わたしは数か月であのクラスから除外されていきました。
気付く暇もなかったなあ。……いつの間にかわたしは、あのクラスから浮いちゃったんだ」
お昼休みに一人でお弁当を食べたり、グループでいつのまにか勝手に話が進んでたり、
話しかけられることが少なくなったり、授業中に落とした消しゴムが拾われなくなったり。
好きの反対が無関心なら、嫌いの延長もまた無関心。
嫌いを表現しようとエネルギーを使うくらいなら、無関心を貫いた方が省エネだと人は知る。
だから、一望千里はクラスから浮いてしまった。
それはもう、ぷかぷかという音が聞こえてきそうなほどに。
クラスの輪から外れて――クラスを見下ろせる位置で、浮いていた。
「わたしはクラスのみんなを、見下ろすようになっていきました。見下ろすなんて言い方は、甘えかな。
見下していました。教室の一番後ろで。
みんなを観察しながら、クラス全体を見下してたんです。
男子がバカな話をしてるのも、女子が彼氏がどうの洋服がどうの言ってるのも、わたしは気に食わなかった。
わたしを除外しておいて、安全圏で慣れ合ってるあいつらが……憎かった。
だからわたしは、妄想の中で何度もなじってやった。
みんなで輪の中だけで誉めあってるお前らより、一人でがんばってるわたしの方が偉いんだって、
聞こえるように耳元で囁く妄想をして。そうやってわたし、日々を過ごしてたんです」
「……」
「笑っていいですよ。原因を作ったのはわたしなのに、それを相手に責任転嫁して、
しかも根拠のない理由で見下して、優位に立った気になってたんだから。
一望千里だなんて、皮肉もいいところで。わたしはここに来ても、見通した気になっていただけで――だから、」
「その目を奪われてしまった、かい?」
「……うん、そうです。きっとそうなんじゃないかなって、思う」
「だから自業自得、か。あまり納得したい話じゃあないね」
と、語り終わった一望千里が聞いたのは、何故か落ち着きのないトーンで答えた軽妙洒脱の声。
手を握って、ぷるぷると震えているのが分かるような、
譲れないものを見つけたときのような、強くて静かな声だった。
「悪いけど僕は、それを認めちゃいけない立場にあるんだ。
だって――してしまった、と言うならば。僕だって君を助けてしまったんだからね。
君がどれだけ正論めいた諦め方をしていても。
それが救いのない考え方なら……僕には君を、救う義務があるんじゃないかな」
「……」
「確かに千里ちゃんの考え方は、間違った方向にひねくれていたかもしれない。
でも、そのくらいの間違いは、誰にだってあることじゃないか。
いつか気づいて、直していこうと努力すれば、なんとかなる類のものであるはずだ」
「それは。」
「僕は。……君のように若くない。
間違いを直そうとしても、もう残りの人生ではあまり意味が無いくらい、それを積んでしまっている。
でも君はまだ、やり直すことだってできる。変わることが出来るんだ。
それを忘れてしまっては、いけないよ。
……僕は自分の間違いを直そうともしてこなかった。この娯楽施設に来るまで、僕の人生は諦めだらけだった」
「ケイ、おじさん……?」
「悪いけど、君を笑う資格は僕にはないよ。千里ちゃんのその傷が自業自得だというなら。
どんなことでも、自業自得だと信じてやってきた結果が、僕の人生なんだからね。
むしろ僕の生き方のほうが――たちが悪いかも、しれない」
「……おじさんは、どんな人生を?」
「聞きたいかい?」
短く。軽妙洒脱は実に軽々しい調子で、一望千里に問いかけた。
一望千里はすぐには答えない。
軽く放たれたその言葉の、重さがどれくらいなのかを測りかねていたから。
娯楽施設の一角、大通りの隅のベンチに、息を呑む音が聞こえるくらいの静寂が訪れる。
いち、にい、さん、よん。
例えばレストランで間違ったメニューが届いてきたときくらいの気まずさが場にただよって。
五秒目を数えた時、一望千里は決心した。
「聞きたいです……教えて、ください。
わたしの《一望千里》じゃ見ることができない、おじさんの過去を」
分かったよ、と言って軽妙洒脱は、自らの人生について語りだす。
勝ち組になろうとしなかった、負け組の人生を。
「例えば僕はあのとき、君を殺すことができた……でも、
包丁を持ったはずの僕はいつのまにか、君を、助けてしまった。
そのとき僕は思ったんだ。これは、筋金入りだって――僕は永遠に、負け組のままなんだ、ってね」
一望千里の口の中では……美味しいおにぎりの後味が、ようやく消えるころだった。
用語解説
【おにぎり】
コンビニでさまざまな種類が売っている、リーズナブルな食事としてまず思い浮かぶマストアイテム。
安いツナマヨも魅力的だがおかかや昆布などの定番もの、チャーハンっぽいのから豪華な食材を使ったものまで、
千差万別の味が楽しめるのがおにぎりのすごいところだと思う。
おにぎりロワイヤルを書く予定はないけど、スイーツロワがあったならおにぎりロワがあってもよさそうですよね。
最終更新:2015年03月02日 01:39