12◆遺棄消沈
C-2、屋上駐車場へ向かうエスカレーターを登っている一人の男がいた。
スキンヘッドの頭に黒いスーツを身に着け、ここに来てからずっと顔に笑顔を張り付けていた男、
破顔一笑は今、左手で右肩を抑えながら屋上へ向かって逃げていた。
(¨)……。
痛みを訴えているのは、右肩の関節部分、その一か所にすぎなかった。
しかしそれでも、破顔一笑にとってその痛みは予定外のことだった。
攻撃は喰らっていない。
ついさっきまで戦っていた男女は、自分に一撃を加えることもできずに地に沈んだ。
だが――今、まるで敗走しているかのように逃げているのは、紛れもなく破顔一笑自身だった。
どうしてだ?
勝ったのに。あのままやっていれば間違いなく、あの場に居た三名を殺すことができたはずなのに。
なぜ今、エスカレーターの横の壁に映る自分の顔から笑顔が消えてしまっているのか、
破顔一笑は理解することが出来なかった。
どうしてだ?
何で自分の足は……こんなにも震えているんだ?
◆◆◆◆
ボディーガードとしての破顔一笑の通り名は、××××と言った。
これはペケ四つが通り名なんてことではなく、
もちろん通り名から個人を特定されないために主催側が記憶を操作しているのだが、
破顔一笑にはボディーガードとしての高い能力に見合った通り名がついていたのは間違いなかった。
ではどんな能力が優れていたのか、というと、それを一言で説明するのは難しい。
いわゆるボディーガードとしてのスキル。
対射撃、対格闘、追尾からの逃亡経路確保、敵の狙いを推察する思考力などは、
当然のように破顔一笑も他のボディーガードと同等か、またはそれ以上の力を持ち合わせていた。
その上で、破顔一笑が図抜けていたのは――多人数戦闘。
あくまでも一対一で行う格闘技と違い、
ボディーガードは集団から襲われることも想定される中で要人を守らなければならない。
一対二、一対五、あるいは一対十。
どれだけの戦力差であっても泣き言は言えず、最期まで死力を尽くさねばいけないのが「盾」としての役割なのだ。
破顔一笑はその対多人数戦において天性のスキルを持っていた。
何人もの敵一人一人に対し。また全体の動きに対して、
どう動き、どう闘い、どう相手取れば要人を守りきることが出来るのか。
……経験だけではどうにもならないこの問題を、破顔一笑は誰よりも上手く処理することで有名だったのだ。
記憶が確かならば、一対十五。
このふざけた実験に呼ばれた、破顔一笑以外の他の参加者を束にした人数と同じ数を相手にしたときでさえ、
集団を無力化するまでに破顔一笑が負った傷は全治二週間程度だった。
だから切磋琢磨と一刀両断。
所詮格闘技の世界にいる男と、少し運動神経がいい程度の女、
たった二人を相手取ることくらいは、破顔一笑にとってなんてことはないはずだった。
いや、実際になんてことはなかった。
自らのルール能力、《笑顔を見せることによる顔面破壊》をようやく知ることができたのも大きく、
一刀両断によって切磋琢磨がそれを知ると、
二人はこれを警戒、破顔一笑の方を見ることが出来なくなった。
見ようとせずに、わずかな音と微かな影をちらりと見るだけでこちらの動きを読み、攻撃してくるようになった。
この破顔一笑に対して、だ。
あまりにも下策、あまりにも愚かな選択肢だった。
最初に鳩尾を叩きこんでやったのは女の方。おとなしく逃げの姿勢を取っていれば寿命が少し伸びたものを、
二対一ならなんとかなると踏んだのが間違いの元。
胃の内容物を少し吐きながら膝を折るその姿は、大和撫子には程遠い最後だった。
次に赤毛の男、色んな格闘技から芯を集めて構築したような構えと技を操るこちらの男は少し強かったが、
正拳を合わせた時に感じた男の強さは、「その地点では」破顔一笑に遠く及ばないものだった。
そう、「その地点では」、だ。
問題はここから後。
突然、赤毛の男、切磋琢磨の身体が――朱色に燃え上がった後からだ。
◆◆◆◆
世界が銀色に染まったかのような雪原を、破顔一笑と××は歩いている。
思い出の中で××は、油性ペンで乱暴に塗られたような黒いもやにまみれて、姿も声も曖昧なものになっている。
でも××は笑っていた。それだけは、破顔一笑は覚えていた。
当たり前だ、十五人の追手を雪中に沈めた代償に顔や体中をボコボコにされ、
微笑むことなど出来なくなってしまっていた破顔一笑を励ますために作ってくれていた笑顔を忘れるなんて、
ボディーガードである前に、人間として失格だ。
「ありがとう、××××(破顔一笑の本名)。×××(一人称)を守ってくれて、ほんとうに、ありがとうね」
××はさっきからそういっては泣きそうになって、また一瞬うつむいて鼻をすすると顔を上げ、
破顔一笑に笑顔を見せた。
その笑顔が、まぶしくて。動かないはずの足を無理やりにでも動かして、破顔一笑は前に進んでいた。
それまでの依頼人と××の違いはそこにあった。
ボディーガードに付く要人のほとんどは守られ慣れている。
重要な命を持っているのだから、自分は守られて当たり前だと思っている、
だからボディーガードが自分を守って怪我をしても、ねぎらいの言葉一つだってかけてはくれない。
「ごめんね、××××。×××を守ってそんな傷を……×××、なんて謝ればいいのか、分からないよ」
何を言っているのか。……謝る必要なんてない、自分はあなたを守れて幸せだ。
そう返すと××はまた悲しそうな顔をしそうになってしまって、でも無理やりにでも笑おうとしてくれた。
ああ。
××よ。
作りものの笑顔でも人は癒せるのだということを、知ってしまった××よ。
自分は君を守るため。
君の、本当の笑顔を、惜しみなく自分が見ることができるように。
すべての力を、生涯を捧げて君を守ろうと、自分はあの時誓ったのだ。
◆◆◆◆
エスカレーターは破顔一笑の意思とは関係なく、上へ上へと登り続ける。
屋上に着くまでもう数秒もない。
さっきからあちこちに揺れて、ぶれている気持ちを整理しなければいけないと、破顔一笑は思っていた。
――赤毛の男、切磋琢磨のルール能力は《誰かと戦う度に強くなる》というものだった。
それが発動するのは二回目だったらしく、切磋琢磨は腑に落ちたような顔で、確かこう言った。
「なるほど。同じ人とじゃだめだったんだ……誰か、ってのは、まだ知らない奴と、ってことなんだな」
一目でそうだと分かるほどに、強くなる過程をショート・カットして強くなるルール能力。
止まらないエスカレーター式成長能力。
切磋琢磨のこれは、しかも一度だけではなく、最高で十五回のパワーアップが見込めることが分かってしまった。
このルール――破顔一笑にとって――だけでなく全ての参加者にとって、
早めに止めなければいけないものであると同時に、味方にすればこれほど頼もしい能力はないと言える。
それに気づいたのは破顔一笑が先だったと思う。
だから破顔一笑は、「それ」を止めようとした。
しかし向こうにいた策士。最初に無力化したはずだったくせ毛の少年はもう痛みに慣れていたのか、
「一刀両断さん……その男の人を、殴ってください!」
破顔一笑が思っていた最悪の戦術を、ポニーテールの女に指示したのだ。
そう、
痛みを発する右肩は、最初から痛かったわけではない。
その三度目のパワーアップによって《強さの基本値が書き換えられた》が故に――遅れて《ダメージが入った》のだ。
今ようやく、整理が出来た。
破顔一笑は単純に……あのルール能力を恐れてしまったのだ。
(^^)……。
屋上に着いた。
一気に開けた視界の上半分はくもり空で、時の進み方も今の太陽の位置も分からなくしてしまっている。
だが破顔一笑だけは知っていた。
彼に支給されていた武器は、それもそのまま腕時計だったのだから。
もう殺し合いが始まってから、四時間以上が経過していた。
先ずは四人が死ねば行われるという放送もじきに行われることになるだろう、と、破顔一笑は予測していた。
まあ、それでもまさか屋上で、
死体から首輪を切り取ろうとしている男と遭遇することになろうとは――全く思っていなかったが。
「また一つ、来たか」
顔を上げずにそう言った大男は、手に持っている斧を振り下ろして少女の首を刈っていた。
軍人風の服装をして、冷たい表情をしている男。
屋上に最初から居たのか、少女は男が殺したのか、定かではないが……雰囲気で分かった。
この男も、また強く。
破顔一笑と、同じであると。
(^^)――組まないか。
だから破顔一笑は、この殺し合いの場で初めて、首狩りの男に話しかけた。
しかし、それに男がどう答えるかなど、最初から分かっているようなものだった……だから悲しいな、と思いながらも、
破顔一笑は顔を上げてこちらを見る軍人風の男に向かって、最大級の笑顔を送っていた。
(^U^)
そして二人の、目が合った。
【C-2/屋上駐車場】
【破顔一笑/ボディーガード】
【状態】健康、笑顔、満腹
【装備】腕時計
【持ち物】なし
【ルール能力】にやけ顔を見せると相手の顔がびりびりと破れる
【スタンス】マーダー
【傍若無人/首狩りの男】
【状態】健康
【装備】斧
【持ち物】首輪×2
【ルール能力】不明
【スタンス】マーダー
用語解説
【ボディーガード】
要人の身辺を警護して、誘拐、暗殺などの脅威から守る人。
ちなみに日本には
日本ボディーガード協会なる組織が存在する。
【エスカレーター】
建物の階を移動するときに乗るもの。逆走ダメ、ゼッタイ。
「エスカレーター式に」という形容は、だまってても事が進むことを表したりする。
ちなみに、エスカレーターがなんでエスカレーターという名前なのかには諸説あるらしい。
最終更新:2015年03月02日 01:45