酒二無二

19◇酒二無二



 前方から飛来してきていたそれは、娯楽施設の照明の光を受けて輝いていた。
 きらきらと、ぎらぎらと。
 宝石のように乱反射する光はとても美しくて、殺人劇には似合わない。
 ひとつ。
 反射するガラス片が、血まみれになった軽妙洒脱の姿を鏡のように映した。
 歪んだ波のようになった口から赤い液体が垂れているその顔は、
 自分で見ても驚くほどに悲劇的に笑っている。

(はは、ははは。こんなときでも僕は笑うのか)

 軽妙洒脱はそれを見て、客観的な感想を心の中で呟いた。
 けして笑いたい気分じゃない、でも笑うしかないような、そんな状態であることは確かだったが、
 やっぱり自分はへらへら笑っているのが似合うのだなあと今さらながら感じる。
 ――こんな状況で笑う自分が、許せないのか、辛いのか、面白いのか、もう分からない。
 感情は液体で、それを貯める容器があると、
 そう誰かが言うのなら、軽妙洒脱のそれは壊れていた。氾濫を超えて決壊していた。 
 今はただ、前を見据えながら笑って、
 十メートルほど先から自分を殺そうとしている男に対して一発殴ることだけを考えている。
 理由なんてものはない。
 溢れた感情を誰かにぶつけなければ、軽妙洒脱はおさまらなかった。

 それは酷いんじゃないか、って?
 じゃあこうしよう。理由が無いなら作ればいい。
 でっちあげて、適当な理由をつけるのであれば、
 勇気凛々――自分を傷つけながら傷ついていた少女に対して、軽妙洒脱は何も感じていなかったわけじゃない。
 彼女が正しすぎるほどに狂っているのも。
 そして目の前の男がそれを知っていて遊んでいることも、彼には感覚的に分かった。
 きっと、許せなかったのだ。
 誰かを堕落させながらそれを止めずに、自分は高みの見物を決めていた酒々落々が、彼は許せなかった。
 だから、彼はただでは死ねなかった。 
 例え《彼を狙って落ちてきた》ガラス片が、その身を何の容赦もなく貫いたとしても。


◇◇◇◇


 どざあ、と。
 娯楽施設の床に散らばったガラス片の音が、攻撃の結果を酒々落々に知らせていた。

「なんだ、避けねぇのか」

 始まるかと思った戦いのあっけない終わりを観測し、酒々落々は小さく悪態をつく。
 軽妙洒脱は、降り注ぐガラス片に対してまったく回避行動を取らなかった。
 一歩すら回避行動を取らず、ただあるがままを受け入れたのだ。
 頭、顔、肩から始まり、軽妙洒脱の身体の前面には沢山のガラス片が刺さっている。 
 つつ……と体中から流れ始める血、無言のまま立ち尽くす軽妙洒脱。
 誰が見ても軽妙洒脱が生きているとは考えないだろう。
 勝負あり、だった。

「つまらねえ。せっかくルール能力まで使ってやったのによ」

 酒々落々は軽妙洒脱から目を離して、彼のそばで倒れている勇気凛々を回収しようと歩き出す。
 さっきの攻撃には巧みなまでに計算された《落》のルール能力が使われていた。
 《落》――《投げたものを、自らの望む場所に落とす》。
 二階から勇気凛々を一望千里のもとに《落とした》のもこの能力だ。

 先ほど投げられた二つの酒瓶は、この能力によって片方がもう片方の酒瓶に向かって《落ちる》ように設定されており、
 片方は軽妙洒脱に向かって《落ちる》ように設定されていた。
 ゆえに、《まず空中で二つの酒瓶がぶつかり――その破片の半分が軽妙洒脱を狙う》、という攻撃となる。
 避けようと考えるうえでこれは非常に難しい攻撃だ。
 半分はランダムで、半分は自分を狙ってくるのにもかかわらず、ガラス片の見た目はどれも同じなのだから。
 遊びで考えたにしては会心の出来のこの技、
 酒々落々としては軽妙洒脱がどう対処してくるか楽しみな部分もあった。
 しかし相手は避けようとさえしなかった。
 立ち上がるところまでで軽妙洒脱の身体は限界を迎えていて、
 あと一回の攻撃で沈むだけだったということらしい。
 奥の手を隠していたのは酒々落々のほうだったが……それにしたって、拍子抜けだ。

「ま、しかたねぇわな。無理なもんは無理だったってこった。
 むしろ長引かなくてよかった、感謝するぜ。戦闘ってのも楽しいが、酒はまだ一本残ってるしよ」

 気持ちを切り替えて、酒々落々はデイパックから最後の酒瓶を取り出してちょびりと飲む。
 《酒》の方のルール能力、《アルコールを操る》に酒を使うにはラッパ飲みしないといけないが、
 酒々落々としては本来ラッパ飲みは愚の愚であって、酒はゆっくり飲むものだ。
 単純にその方がおいしい。
 飲みながら勇気凛々の傍まで歩き、少女の脳に送っていた《酒の霧》を発散させる。
 一度体から出した《酒の霧》は回収が効かず、こうやって発散させるしかない。
 再利用できたら便利すぎるから納得ではあるが、あまり味わえないまま空中に霧散していく《酒の霧》を見るのは、
 外道を自覚している酒々落々にとっても寂しいものがあった。
 心のどこかが、また乾いてしまう。

 思わず下を向く。酒を抜かれていくらか表情を和らがせ、すやすやと眠る勇気凛々は、
 そんな酒々落々の心の乾きを満たす存在だった。
 もっとこの娘を堕落させて、味わって、ねぶって、自分の楽しみのために利用しよう。
 改めてそう決意した酒々落々は少女を抱きかかえようとして――

「《軽い》よ、酒々落々」

 すぐ近くで立ち往生していた軽妙洒脱に、服の袖を掴まれた。

「……てめぇ」
「《軽い》んだよ。君は。
 人や命をもてあそぶようなことしか出来ない君の攻撃は。《軽い》。それじゃ、僕を殺すことはできない」
「なんで動ける。軽いだと? 致命傷だったはずだ。どうやって……まさか」
「ああ。そのまさかだ」

 一発。
 軽妙洒脱の拳が空を切り裂きながら酒々落々の右頬を捕らえた。
 先の攻撃でガラス辺が刺さったままの拳での一発は、酒々落々の頬を比喩どおりに切り裂く。
 そのまま振りぬかれた一撃は、酒々落々をぐらつかせ――殴り飛ばした!

「ぐ、はァっ!!」
「僕のルール能力も”二つ”あるんだよ、酒々落々。
 最初に使ったのは《洒脱》で――今使っているのは《軽妙》のほうさ。
 といってもどちらも大したものじゃない。とくに《軽妙》のほうは、使う気すらなかった。
 他人には使えないし、自分に使ってもどうせ状況は好転しないんだから、
 これを使うくらいなら潔く死んだほうがいいって考えていた。千里ちゃんに会うまではね」

 投げ飛ばされたドラム缶のように、酒々落々の体躯がごろごろと二メートルほど転がった。
 失策だった。ここは殺し合いの場。
 正義も悪も存在しないこの場所では、誰であろうと卑怯な手を使うことが許される。
 ルール能力を二つ持っていた軽妙洒脱は、
 それを隠して死んだふりをし、酒々落々が近づいてくるのを待っていたのだ。
 先入観からそんなことはしないと思い込んでいた酒々落々はまんまと嵌められてしまった、というわけだ。

「《自分の感覚を軽くすることができる》。それが僕のもう一つのルール能力だ。
 痛みも、血の流出による貧血も。僕はぜんぶ《軽くする》。
 僕を殺すなら首を切り落とすか、動けなくなるまで攻撃を加えろ。さもなきゃ死ぬのは君だ。
 さあ、やってみろ。君のルール能力ならできるだろう? 今度こそきっちり、僕を殺してみろ!!」

 一秒ごとに今も血を流し続け、ベージュのスーツを血で赤く染めながら、軽妙洒脱はそう宣言した。
 酒々落々とは覚悟が違う、魂の底から叫んだかのような声は、今の彼にとっては傷の進行を早める悪手であり、
 すぐにまた血の塊を嗚咽と共に吐き出す。
 が、《痛みなどほとんど感じない》。感じても、蚊に刺されたかのような《軽い》痛みだ。
 だからまだ立てる。
 弱音を吐かないことが出来る。軽妙洒脱は死を間近に感じながら、それでも立ち続けることを選択した。

「く……そ……痛ぇじゃねーかよ」

 向かって、頬から鮮血を流しながら立ち上がった酒々落々は怖気づいていた。
 転がったことで図らずも移動した彼の近くには、軽妙洒脱と一望千里のデイパックが置かれている。
 おにぎりを取り出したあと開けっ放しになっていたデイパックからは、金属バットやフライパン、
 包丁や楽器類などの武器が顔をのぞかせていて、
 これらは《落》で軽妙洒脱に落とせば間違いなく致命傷になるであろうものばかりだ。

 だが、”頬の傷が痛い”。
 初めて受けた傷の痛みが、酒々落々の心臓の鼓動を早くして、正常な思考力を奪わせる。

「やってみろ、だと……はは、ご機嫌じゃねぇかよ。ならお望みどおり、やって――やってやる」

 口だけが勝手に動くも、それは酒々落々の本心を喋ってはいなかった。
 楽しくない、ぜんぜん楽しくない。
 いますぐここから逃げ出して酒を飲んで過ごしたい!
 どこまでもクズな思考だと理解しつつも、
 怒られてそっぽを向く児童のようなその考えが酒々落々を支配していた。
 しかし酒々落々の足は動かない、威圧感に震えて、歯ぎしりをしながら軽妙洒脱を睨み返すしかできない。
 そうすることしか出来なかった。

「はぁ……はぁ・……ちくしょ、う、なんで……」
「やれないだろう。君には無理だ。少女にすべて押し付けて、二階から観戦していただけの君には。
 傍観者でいられると思ったかい? 酒を飲みながらでも生き残れると思ったかい?
 そんなことが出来るはずないんだよ。ここでは僕らは、誰もかれもが当事者だ」
「説教なんざ聞きたくねぇんだよ……おれはいつも、こうやってやってきたんだ……。
 娯楽施設なんだろ、ここは。……だったらよ……楽しまなきゃ損じゃねぇかよ……!」
「こんな場所で楽しめるような奴は、もう人間じゃなくなっているのさ。
 君も僕も、人間だ。だから殺し合うし、騙し合うし、痛みも苦しみも味わうんだ。
 逃げちゃだめなんだよ、人間であることから。認めなきゃだめなんだ、自分の弱さを」

 会話を交わせば交わすほど、酒々落々に逃げ場はなくなっていくように思えた。
 切り裂かれた頬から流れる血は止まらず、血液を失えば体が重くなっていく。 
 それを《軽く》している軽妙洒脱にも限界はあるはずだが、もはやここにおいて希望的観測なんて意味をなさない。
 新たな一手が、必要だった。
 しかし酒々落々の混乱した脳内回線は、起死回生の策を編み出すことはない……!

(……終わりなのか? ここまでのツケが、いよいよおれに回ってくるのか?)

 酒々落々の行動原理の一番はじめに来るのは酒だ。
 飲んで、飲んで、質も気にせずただアルコール飲料を飲むだけ、彼は生来の心の渇きを満たしてきた。
 酒が無くなってしまうと、とたんに気分が暗くなる。
 そうなれば代わりになにかで満たすしかない。酒々落々は酒が切れるたびに悪事に手を染めていた。
 会社の金を横領したり、今は名も身分も思い出せないが、誰かしらに貢がせたり。
 酒々落々、あっさりさっぱりと彼は欲のままに生きる人生を選択し、
 その犠牲となって奈落の底に落ちていく人々に感傷を抱くことなく嘲笑って生きてきた。
 不思議なことに欲望の限り周りを利用しても、彼にそのツケが回ってくることは今までなかった。
 生来の悪運であるのか、神が遊んでいたのかは知らないが、確かに彼の人生は彼の望むままに進んできていた。
 だがそれももう、ここで終わりのようだった。

(ふざけるなよ……酒……おれは、酒々落々……自由に生きてこそだろうが。
 助けろ、おれを。誰でもいい、おれを……助けろ!)

 酒々落々は目を血走らせながら娯楽施設の天井を見上げた。
 二階がほとんど吹き抜けで構成されている娯楽施設を一階から見上げると、
 高い天井に並ぶ照明が酒々落々の目を焼いた。
 黒い泥にまみれて生きてきた酒々落々にその光はあまりにまぶしすぎて、思わず目をつむった。

 戦況が変化したのは、そのときだった。


「……ひっく」


 神はやはり居なかった。
 膠着状態が続き、いずれ酒々落々が折れるだろうこの状況で、ここまで沈黙していた勇気凛々がなんと起き上がった。
 上体を起こして、ふらふらと頭を揺らす。
 突然意識が暗転してからの覚醒だからだろう、眠そうな目をこすって現状を確認している。

「そんな」
「きた。来たぜぇ、おい! お嬢ちゃん、おれだ! 酒々落々だ!」
「……酒々、落々。おじさん?」
「ああ、そうだ! おれが酒々落々だ。そっちのそいつは良いやつだ。どうすればいいか分かるよな?」
「酒々落々、……君は! やめろ!」
「殺せ! 勇気凛々!
 善人を殺して悪人になれ! 罪を重ねつのは気持ちいいんだ、おれと一緒に酩酊しよう――」
「……わたしは」

 ちょうど二人の間に倒れていた勇気凛々は、電源の入った機械のようになって跳ね起きた。
 その目にもう、心機一転に出会う前の澄んだ光はない。
 そしてまた、酒々落々に出会ってからの妖しい光もない。
 勇気凛々の目はくすんだ灰色になっている……二人ともそれに、気が付いてはいなかった。

「わたしはっ」

 どこからともなく少女の手に現れるは、少女には不釣り合いな大剣《りんりんソード》。
 まるで幽鬼のようにふらふらとそれを振り回しながら、小さな勇気凛々はしばし沈黙した。

 なぜだろうか、その瞳からは取り返しのつかない涙が流れているように見えた。
 いいや、本当に流れ始めた。
 少女は《りんりんソード》を強く握りしめながら、氾濫した感情にまかせるまま泣いて、哭いて、
 啼いて、泣いて、鳴いてしまったことを後悔する様に突然それをやめて、
 振り向いて見据えて、

「わだしはぁっ……あなたをッ!」

 叫んで――そこに居た男に向かって、その《剣》の切っ先を向け、駆けだした。

「……!」
「殺す!」

 どすり。鈍い音を立てて《りんりんソード》が、彼の腹部に深々とめり込んだ。
 突き刺す刃に込めた思いは。
 流れる血に込められた意味は。


 ”四字熟語が、消えていた”。



【B-1/娯楽施設・中央大通り一階】


【軽妙洒脱/ショー芸人】
【状態】????
【装備】なし
【持ち物】基本支給品、壊れたレーダー、包丁×2、二日分の食糧、
     ショーに使えそうな楽器、金属バット、フライパン
【ルール能力】軽妙◆自分の感覚を軽くする、洒脱◆酒を受け付けない 
【スタンス】一発殴る。

【勇気凛々/女子中学生】
【状態】――――
【装備】《りんりんソード》
【持ち物】化粧用の手鏡、ボウガン
【ルール能力】勇気を出すとりんりんソードを具現化できる
【スタンス】????

【酒々楽々/わるいおじさん】
【状態】????
【装備】なし
【持ち物】空の酒瓶×8
【ルール能力】酒◇アルコールを操る。落◇投げたものを望む場所に落とす
【スタンス】自分の楽しいことをする




取捨選択 前のお話
次のお話 珈琲牛乳

前のお話 四字熟語 次のお話
一発殴る 軽妙洒脱 三人死亡
一発殴る 勇気凛々 三人死亡
一発殴る 酒々落々 三人死亡

用語解説

【酒々落々】
洒落の字を重ねた四字熟語で、意味は物事にこだわらずさっぱりとしたさま。
四字熟語ロワの酒々落々は酒の呑み方くらいにしかこだわりを持たない奔放な人間である。
あまり常用されていない四字熟語だからなのか、そのルール能力は凶悪。
《酒》と《落》の二つの力を駆使してどこまでも娯楽施設を娯楽する。髪は脂ぎったセミロング。

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最終更新:2012年02月12日 22:10
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