20◇珈琲牛乳
娯楽施設、B-2地区の二階。
ここのA-1方面の入り口から少し階段を上った場所には、小さな喫茶店のテナントが入っている。
誰でも気軽に、笑顔で落ち着いた時間を過ごせるように。
そんなコンセプトで設計されたこの飲食店は、
ほんわかな明かりの照明、木のテーブルなど細かいところにまで配慮が行き届いていて、
見事な落ち着き空間を娯楽施設の一角に作り上げている。
――だが、喫茶店の窓側の席に座り、曇った灰色の空を見上げているとある参加者にとっては、
この空間ですら落ち着いてなど居られなかった。
「死んだ……四人……マジかよ……」
やりきれない気持ちを口に出しながら、男は木のテーブルの下で思わず両手を握りしめる。
この、ファッション雑誌に載っているような小奇麗な服をそれなりに着こなし、髪をワックスでそれなりに逆立てて、
いわゆる雰囲気イケメンの格好をしている男は優柔不断といった。
先ほど行われた”放送”は彼にとって大きな衝撃を与えた。
禁止エリアに選ばれないと思っていたA-1が選ばれたことなんかはどうでもよく、
”放送”は、そこで発表された四人が死んだという事実は、ここが
殺し合いの場であると彼に知らしめた。
それでも逃げるようにして彼は窓から灰色の空を見上げていたが、
久しぶりに聞いた奇々怪々な白衣の女の声が耳の奥にこびりついて離れない。
『ずいぶん娯楽として楽しむことができました』……そう白衣の女は言っていた。
どこかから、ずっと見られているのだ。
現実に引き戻された思考が、考えてみれば当たり前のことを呟く。
(そうだ、最初に言っていた。これは”実験”だって。あいつらにとってオレたちは、実験動物なんだ。
少なくとも、人間だとは思われてないんだな。四字熟語だ。って文字じゃんそれ。ははは……)
白衣の女はこうも言った。
『”もうこの実験も、かなりの回数を重ねてきましたが”――こんなに早く死んでいくのは初めてかもしれませんね。』
これも言われてみればだが、この”実験”が行われるのは、初めてではないのだ。
当たり前だ、たった一回の実験でデータをとっても信憑性は薄いだろう。
何回も実験を重ねて……何人も何人も死んでいって、それでようやく奇々怪々たち幻想言語学者の実験は完成する。
十六人も一気に行方不明になれば警察が動くはず。
きっと、逃げ回っていればいつか助けが来て、自分たちを救ってくれるはずだなんて。
優柔不断がひそかに思っていた浅い考えは鼻で笑われてしまった。
相手は、ただの狂人じゃない。計画的かつ理性的な狂人なのだ。
からからだ。乾いた喉を潤したくなった。
優柔不断は席を立ち、店員なんて当然いない喫茶店のカウンターを一足飛びにジャンプする。
調理場の床を踏むと目の前にコーヒーカップがあったので、彼はコーヒーを入れることにした。
おいしい淹れ方は知らないが、確かコーヒーは好きな方だった。
ところどころ実験用に”調整”されて抜けている記憶にいらだちながら、お湯を沸かし、フィルターを用意する。
そこからはまあ、適当に。ごぽ、と一つ怪しい音をさせて、優柔不断はコーヒーを注いでいった。
カップに入れたコーヒーは、店内のほんわかした光の陰になって黒く、黒く澄んでいる。
その黒に自分の顔が映りそうになったので、思わず優柔不断は目を逸らした。
だめだ。濁っていないと、自分の顔が映ってしまう。
優柔不断は冷蔵庫に向かい、牛乳を取り出すとカップに無理やり注いでいく。砂糖のない、即席コーヒー牛乳だ。
飲んでみると、正直言って微妙な味がした。
(――不味いことをしちまった。本当に、不味いことを)
コーヒーと牛乳を持って席に戻ると、
優柔不断の目に入ったのはテーブルの上に置いた日本刀だ。
立派な日本刀の刃には赤黒い錆のようなものがところどころこびりついていて、先端に行くほどそれは多い。
それは、人を斬った時に刃についた血が固まったものだ。
最初から少しばかり付いていたが……今は、彼がこの日本刀を拾ったときについていたものより多い。
それはなぜか? 理由を彼は”知っている”。
でも、思い出すわけにはいかなかった。
思い出したくなどないのだ。
見つめて向き合うなんて無理だ、優柔不断な自分に、そんなことが出来るはずがない……。
「あ」
優柔不断は日本刀をデイパックにしまおうとして、不意に吐き気を覚えてよろめく。
光の角度の関係で。
先ほどまでは見えなかった、窓ガラスに映る自分の姿を見てしまったのだ。
「あああ……!」
そこに居たのは血の気の引いた顔をした自分だった。
恐怖におびえて、元から情けない顔をさらに情けなくした、でも偽物じゃない本物の優柔不断自身だった。
血の気の引いた顔の代わりに、ファッション雑誌で見たような服を合わせて着こんだ一張羅はひどく血にまみれて赤い。
優柔不断の血ではない。死んだ心機一転の血だ。
胸に日本刀を刺して、抜いて、びゅーっと出てきた血だ。べったりとついていた。
当たり前だ、なぜなら心機一転を刺したのは紛れもなく優柔不断自身であり、
返り血をもろに浴びながらおかっぱ頭の男がぴくぴくとその体を痙攣させて動かなくなるところまで無表情に見つめていたのも、
間違いなく優柔不断と四字熟語を付けられてしまった自分自身なのだから。
さっき流れた放送、
奇々怪々が嬉々として発表した四人の死亡者のうち一人を殺害したのは、優柔不断なのだ。
逃げ続けていたその事実が――窓ガラスに映る自分の姿を見たことで、改めて彼の心を刺した。
《どんな刃物の攻撃も通じない》ルール能力を持っていても、精神的に刺される。
スタンスが元に戻ってしまった彼の心を、刺してしまう。
◇◇◇◇
”四字熟語が消える”とは何か?
喫茶店備え付けのトイレに入り、さっき飲んだコーヒー牛乳もどきを吐き出している優柔不断は、
それがどういうことなのかを身を持って体験している。
放送で読み上げられた四つの名前。
そのうち、心機一転の名前が読み上げられる前までは、優柔不断のスタンスは反転したままだった。
だが――”放送で名前を呼ばれた四字熟語は、娯楽施設から消える”。
そして四字熟語のルール能力は、能力である以前にルールだ。
つまりこの二つを踏まえれば、答えはこうだ。
”四字熟語が消えると、その四字熟語が発生させていたルールが消える”。
心機一転が発生させていた《胸に手を当てた参加者のスタンスを180度反転させる》というルールは、
彼の名前が店内放送で呼ばれたあの瞬間に消えたのだ。
「……オレは……なんで、なんであんなことを……うえぇえっ! かはっ、はぁっ、あ……うえっ」
だが優柔不断にそれを知るすべはない。
誰にも自分のルール能力を説明することなく心機一転が死んでしまったため、
彼自身はあの出来事を、”殺されそうになったからついカッとしてやってしまった”ということにしている。
ルール能力によって考え方が反転していたなんて普通の人間は考えない。
だから、優柔不断はこう思うことすらできない。
”あれはルール能力のせいだから、仕方のないことだった”と思うことすら、許されないのだ。
もう、元のスタンス……殺し合いから目を背ける、なんて甘い考えに戻ることもできない。
優柔不断はどうにかなってしまいそうだった。
人を一人殺してしまったという事実が、彼の心をぐちゃぐちゃに握りしめて離さない。
第一放送で呼ばれた名前は、
東奔西走、猪突猛進、心機一転、一望千里の四人。
この四つの四字熟語が及ぼしていた影響(ルール)は、彼らの名前が呼ばれた時点で消えた。
……そう、消えてしまった。
あまりにも唐突に、気付かないくらいいきなり。ここにいる優柔不断がスタンスを元に戻されたように。
同じくB-1地区、その一階では、とある少女もスタンスを戻されてしまっていた。
正気に戻されてしまっていたのだ。
もう、取り返しのつかないことをたくさんしてしまったというのに。
すべて自分が自分の意志でやったこととして、これまでの出来事が少女には襲いかかった。
少女――勇気凛々には。それはあまりにも重い。
でも彼女は、重みを軽くできるルール能力も、迂回させるルール能力も持っていないのだ。
さあ、カメラを戻そう。
そしてあの正しすぎる少女の顛末を、見届けよう。
【B-1/娯楽施設二階・喫茶店】
【優柔不断/フリーター】
【状態】憔悴
【装備】日本刀
【持ち物】激辛よもぎ団子×1
【ルール能力】どんな刃物でも断たれない身体を持つ
【スタンス】……。
用語解説
【コーヒー牛乳】
牛乳にコーヒーや砂糖で味付けした飲料のこと。
2003年にできた規約により、牛乳100%のものにしか「牛乳」と表記してはいけなくなったため、
現在では商品名でコーヒー牛乳という表現はあまり見ない(できない)のだとか。
言われてみればいつも飲んでいるのはカフェオレとかミルクコーヒーとか、「牛乳」とは書かれてなかった。
最終更新:2012年03月26日 15:33