21◇三人死亡
振り下ろす。
振り上げる。
また、振り下ろす。
また振り上げて、落とす。
「はぁ……はぁ」
振り上げる。
振り下ろす。
また、振り上げる。
振り下ろして、また上げて。
「はぅ、はっ、……はぁっ!」
どさりと、
振り下ろす。
何を?
――《剣》をだ。
ふらりと、
振り上げてまた。
どこへ?
――男へ、振り下ろす。
どさりという音を立てて。
存在ごと、消し去るように。
娯楽施設のB-1地区、一階。
布地の床にガラス片や血痕が飛び散る戦場となったこの場所では、
数分前から一人の少女の手によって、
ある男に向かって《剣》の刃を叩き付ける動作がずっと、
絶え間なく、
休むことなく繰り返されていた。
そして――それによって飛んだ液体が、水たまりにおちて音を立てていた。
朱く、どろどろとした液体。
それは原型をとどめていない男の頭部、そこから湧き出る新鮮な血液か、
あるいは脳漿か、唾液だったモノかもしれない。
ただ一つ言えるのは、男がもうとっくの昔に、
とっくの昔、もうぞっとするほど前に、
死んでいるということだけだ。
ぴちゃ、ぴちゃと。
原型をとどめていない男の頭部、平たく潰れて顔も見えないそこから飛び散る液体が、
もう何度もメッタ刺しにされた体から流れ出た血だまりへ着地して、音を立てる。
重苦しい空気の中で、それだけがとても軽快だった。
命の重さと反して、
皮肉なほどに、軽かった。
「ひ、はぁ、あ……げほっ……げほっ! あぁあっ、はぁ……」
何回、何十回、それを行ったのか。
少女は過呼吸と疲労に耐え兼ね、ついに強く咳き込んだ。
しかし彼女は、自分の体調を意に介さない。
何かに取りつかれたように、
何かを振り切ろうとするかのように、
振り下ろす。
振り上げる。
左手で持ったその《剣》で、
振り下ろす。
振り上げる。
肉に包丁を叩きつけるみたいな感触と、
ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃという音。
それが嫌で、
でも怖くて、
また、振り下ろす。
もう喋る口もなく、触ってくる手も動かせない、
人じゃなくなったそれに、まだ終わらない裁きを与える。
振り上げる、
でも、
人じゃなくなったのはこの男だけなのか。自分もなんじゃないのか。
いいや、認めない、ううん、認めたくない。
思考がそこまで及ばないよう、少女はまた単純作業に戻った。
振り下ろして。
振り上げて。
少女はもう、ただ繰り返すだけだった。
終わりまでそれを続けていても、きっとそれで良いように思えていた。
「――止めるんだ。お嬢ちゃん」
声が後ろから聞こえた。とても優しい声だった。
これが始まってからしばらく、惨状に呆然と立ちつくしていたもう一人の男が、
意を決して少女に話しかけたのだった。
少女はその声を聴いて、どこか懐かしいような、そんな錯覚に陥った。
ここで振り返って、泣きついてしまえば、楽になれるのかもしれない。
そんなことを思った。
でも振り返ることはできなかった。
それほど少女は不器用で、あまりにも汚れてしまっていた。
「止めるんだ、そいつは」
「嫌」
「そいつはもう、死んでいる」
「嫌、ですッ」
「死んでるんだよ、お嬢ちゃん。もう殺さなくていいんだ」
「でも生きてます」
「死んでる」
「生きてるんです。わたしの、……わたしの頭の中で、生きてるんですよ」
「だけど!」
「だけどじゃありません!」
「……」
「だけどじゃなくて。だから――殺さなきゃ、なんです」
そう言った少女の声はかすれて震えた。
殺さなきゃ。
自分の気持ちを口に出す。
口に出すことで、確認と確信を深めるのだと、教えてくれたのは誰だったか。
「……殺さなきゃ、悪い人は、殺さなきゃ。そうです。悪い人は殺さなきゃ、だめなんだ」
からからに乾いたその唇から、逆流した胃液が吐き出されても、
少女は止めない。《剣》の刃で男を叩き潰しながら呟くことをやめない。
やめたらこの悪い人は、生き返ってくる気がするから。
ルール能力で軽く扱えるはずの《剣》はもう重く、
腕は棒のようにきしんでいたが、止めない。
近寄る靴の音。
それを聞きながらも、止めない。
息を深く、大きく吸い込めば、
もはや服を着た肉の塊となった男の死体から漂う、錆びたような血の匂いが、少女の肺を蹂躙し始めた。
酸っぱい物を食べて思わず涙が出てしまうように、
少女の双眸からふつふつと、透明なしずくが流れ出し始める。
涙なんて綺麗なものとは、少女はそれを呼びたくなかった。
こんなものは、ただの体液だ。
体液。
そう、体液だ。
あのトイレの中で。
自分がいろんな体液を出しながら”悪いこと”を楽しんでいたことを、少女はしっかりと覚えていた。
痛かったことも、気持ち良かったことも、呑み込んだことも、吐き出したことも。
全部自分は”悪いこと”だと認識した上で、心の底から楽しんでいた。
あれは本当に自分だったのか?
少女は確信が持てなかった。
でも、トイレの中で味わった感触は鮮明にリアルに覚えていた。
お酒を飲んだ記憶もある。それで酔っていた記憶も、だけど、拒もうと思えば拒めた記憶もある。
なのに記憶の中の自分は確かにバカみたいに笑いながらあれを受け入れていて、
あまつさえ楽しんで、自分から動いて、ぐちゃぐちゃになって、
汚くて、溺れてしまっていて、もう戻らないつもりで、
快楽に身を任せて、罪もない人を殺して笑って。
なのに今、自分は自分に戻っていて……。
誰のせいなのか、分からない。
ひとつだけわかるのは、
もうどうしようもなく手遅れだってことくらいで。
――手を、掴まれた。
さっきのもう一人の男が、少女が《剣》を持っている手を、片手で掴んで止めていた。
「止めてくれ。理屈は分からないが――戻ったんだろう。だったら」
「無理ですよ」
「いや無理じゃない。とにかく、止めるんだ。このままだと君は壊れる……さっきまでの僕のように、」
「無理です」
「無理じゃな、」
「手を離してくださいっ! わたしは、この人を殺さなきゃいけないんです!
壊れる? いいですよ。壊れてもいいんだ! 壊れたいんです! 嫌だよっ、こんな、こんなぁ!」
「落ちついてくれ。いい子だから」
「……いい子?」
「あっ、」
「わたしはっ! いい子なんかじゃないんです!」
少女は掴まれていた手を振り払おうと、
ぐっと《剣》を持った手に力を込めながら、後ろに振り抜いた。
すると。
――ざくり、と。
繊維を切るような、
生気を奪うような、
嫌な、――嫌な音がした。
次いで空気が抜けたような呼吸音と、
掴んでいた手から力が抜けていく感触が、
またひとつ取り返しのつかないことをしてしまった事実を、少女に知らせる。
「えっ、」
「お嬢、ちゃ」
「あ。……ああ。……ああぁあ、ぁ……っ!」
目を見開いて後ろを見れば、
男の首筋には、少女が手に持っていた《剣》が深々と刺さってしまっていた。
全員の首に巻かれている首輪には刃は不運にも当たらなかった。
その一センチ上あたりに、ざくりと。
ずぶりと、骨に当たるくらいに深く、這入ってしまっていた。
ぱく、ぱく、と。
こんな状況でもまだ少女を心配している男は、少女に向かって何かを呟こうとしていた。
男――軽妙洒脱のルール能力は《自分の痛みを軽くする》ことだ。
だから首に刺さった《剣》の痛みも彼は《軽く》できた。
もちろん彼はそうした。
喋ろうと試みるだけの心の安定はそうして図ることが出来た。
……しかし、ひゅうひゅうと、喉に空いた穴から空気が漏れて喋れない。
それに、いくら《痛みを軽く》したからといって、
致命傷を受けてしまえば人は死ぬ。
軽妙洒脱は、人だった。
「あ……」
白目を剥いて。
ぐらり、と倒れていく軽妙洒脱の最期を、少女――勇気凛々は目で思わず追った。
刃が抜けた首からは、頸動脈がドクンと動くと共に、とんでもない勢いで血が噴き出た。
その暖かい液体は勇気凛々の顔にかかった。
バケツに入った赤いペンキを上から被ったみたいになって。
そして、時間がスローモーションになった。
ゆっくりと、
ゆっくりと、
倒れていく軽妙洒脱の身体は、先の酒々落々との戦いでボロボロになっていた。
ガラス片が体に突き刺さり、服のいろんなところから血がにじんでいた。
そんな体で彼は、少女を止めようとしていたのだ。
勇気凛々を。
仲間を……一望千里を殺した少女を。
これ以上罪を重ねさせまいとして、止めようとしていた。
それを振り払って殺したのは、紛れもなく勇気凛々だった。
ばたん。
軽妙洒脱が床へと倒れきったその音で、娯楽施設の一角に久方ぶりに訪れた静寂。
立っているのは勇気凛々ただ一人だった。
たったひとり。
それ以外はみんな、死んだ。
「――死んだ、の?」
肩で呼吸を整えながら、少女は淡々としたトーンで呟く。
冷静になった今、なってしまった今、
少女の視野は広くなり、さっきよりも多くの情報を脳内に取り込むことが出来た。
まずは目の前。
どくどくと跳ねながら首から血を流している軽妙洒脱の姿がある。
彼が死んだのは何故だ?
少女は自分に問うた。
答えは――自分だ。自分が殺したからだった。
次に視界の隅。
頭を割られ、仰向けに倒れている女子高の制服を着た少女が、少し離れた場所に倒れている。
彼女が死んだのは何で?
少女は自分に問うた。
答えは――やはり、自分だ。自分が殺したからだった。
最後に少女は視線を前に戻した。
そこにあったのは、ヒトの原型をとどめないほどにぐちゃぐちゃの、服を着た赤い塊だった。
この男が死んだのは?
少女は自分に、問うまでもなかった。
さっきまで、少女はこの男――酒々落々を殺していたのだから、分かって当然だった。
そう。
死んだ、じゃない。
そんな他人事の話じゃない。
「殺したんだ……わたしが。この三人を」
そう言った少女の声はかすれて震えた。
口に出すことで、確認と確信を深めるのだと、教えてくれたのは誰だったか。
誰なんだろう。そんなこと、教えてもらわないほうがよかったと思う。
もう少女は、現実から逃げられなくなってしまった。
現実と向き合わされるのだ。
人を三人殺したという、現実に。
「……なんでしょう。
わたしは、なんなんでしょう。
悪い人を倒すと言って。善い人は守ると言って。
絶対に誰も殺さないと誓いますって、わたしはいったい、何になるつもりだったんでしょう……?」
今にも消えてしまいそうなかぼそい声で、少女は返り血にまみれた顔を触りながら呟く。
引きつった笑顔を手鏡にでも映したら、きっと最高に笑える表情なんだと思う。
何になるって。
ヒーローになりたかったんだ。
最初に自分が誓った理想は、確かそうだったはずだ。
でも現実を見れば。
いつにまにか少女は、三人もの参加者を殺していた。
一人は何か、何かが間違ってしまっていた自分が殺した。
一人は不可抗力とはいえ、事故とはいえ、少女の意思が引き金を引いてしまったことは明白だった。
そして酒々落々に関しては、完全に弁護のしようがなかった。
少女は、彼を、私怨で。
殺したかったから、殺したのだ。
悪人は殺さなきゃなんて――少女は最初にそんなことは言ってなかった。
後付けの理由でしかない。
ただ、自分をそそのかした酒々落々が恨めしくて、
そう恨めしくて、全部この男のせいだと考えて……殺したく、なったのだ。
いまでも全く分からない。
ヒーローを目指していた自分がなぜ、
”悪い人を守り、善い人を倒す”なんて考えてしまっていたのか、今でも少女は理解できない。
でもそこから、酒々落々に誘われて、
お酒のしびれるような味と気持ちよさに耽溺して、さらに堕ちたのは自分自身だ。
結局は自分のせいだ。
どこまでも自分のせいで、少女はこんなことをしたのだ。
「あはっ。悪い人は死んで、だなんて。あははっ、何で気づかなかったんでしょう。
一番悪い子は。一番悪いことをしてたのは、わたしだったんだ。――死ぬべきなのはわたしだったんだ!」
勇気凛々は急に思い立ったようにそう叫ぶと、
どこまでもおかしいというように、一生懸命に笑い始めた。
そうしながら、
《りんりんソード》の柄を両手で掴んで、自らの首筋へ当てた。
悪い人は、殺さなきゃ?
じゃあまず自分が死ぬべきだ。
掻っ切ろう。
悪い子を殺そう。
最期くらいヒーローとしての役目を果たそうじゃないか。
少女はそう思った。
いいや、そうじゃないのかもしれない。
単純に死にたくなっただけで。やっぱり理由は後付けなのかも。
(でも……もう、いいですよね、どうでも)
《りんりんソード》の刃は血に濡れて暖かかった。
切れ味は鈍ることはない。そういう剣だと自分の脳が理解していた。
思い切り、引く。
その行動は少女の動脈を傷つけて、血を噴き出させ、勇気凛々という存在を殺す……、
はずだと、信じていた。
でも。違った。
彼女の手から、《りんりんソード》は消えてしまった。
「え……?」
消えた。
……何で?
急に軽くなった両手を見つめながら、勇気凛々は今度こそ心からの疑問を発した。
勝手に《りんりんソード》が消えることなんて今までなかった。
自分の意志で消したり現したりは出来るが、意志に反して消えるなんてことは。
これじゃあ、できない。
悪を裁くことが。自分を殺すことができない。
「どうして。殺させてくれないんです。
ダメなんですか。死んじゃいけないんですか。こんなに苦しいのに。こんなに辛いのに!」
誰に向かって言葉を投げかけているのか、
ともあれ勇気凛々はもう一度《りんりんソード》の生成を試みた。
しかし叶わない。ずっと触れていたのに、感触がもう思い出せない。
意味が分からなかった。こんなときにかぎって、制御がきかなくなるなんて。
これじゃあまるで――。
「まるで……わたしがほんとうは、死にたくないみたいじゃないですかっ……!」
「ああ、そうだ。その通りだ、娘」
「!?」
「お前のルール能力は《勇気を出すことで剣を顕現する》ことだ。
つまり娘、端的に言えばお前は――死ぬ勇気がないということだ」
新たな声が、上から響いた。
見上げると軍帽を被った大男が、中央階段を降りながら歩いてくるところだった。
勇気凛々は、そのシルエットに覚えがある。
それは名簿に載っていた中で一番危なそうな顔をしていて、
最初に集められた部屋でも他の参加者に対して威圧感を放っていた、大男。
四字熟語は、傍若無人。
「だが安心しろ娘。お前は己が楽にしてやろう。”これ”を仕留めたこの手でな」
ひょい、と軽い調子で傍若無人は、
階段の手すりに隠れて見えなかった片手を上げて、その手に持っているモノを少女に見せつけた。
それは首のない死体だった。
黒いスーツを着ている、その四字熟語を”破顔一笑”という男の死体だった。
「”これ”は面白い相手だった。
肩慣らしにもならなかったがな。最初に殺した東奔西走の方が強かった」
「ひ……」
「怖気づいたか? それもまた、いいだろう。
勇気亡き者にその剣は扱えぬ。もう一度言う。安心しろ。――お前は己が”送って”やる」
階段を降り切ると同時に、新たな闖入者は引きずっていた破顔一笑の死体を投げた。
どさ、と首なし死体が転がり、この場には四つ目となる死体が現れる。
首なし死体からは首輪が無くなっていた。
だが、彼が首輪を(何らかの理由で)集めているとは知らない勇気凛々には、
それを気付く余裕なんてなかった。
ただ見つめてしまった。
スーツ男の死体を投げた方じゃない、もう片方の手に大男が持っていた、大きな手斧とそれに付着した赤い血。
あれは本物の殺人者の武器だと、直感で分かった。
傍若無人もまた、勇気凛々と同じく。
この娯楽施設における人殺しであることは、明白で。違うのは、覚悟のレベルだった。
顔色一つ変えずに殺しを行っているのか。
涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、殺しをしてしまったのか。
その違いは――同じ殺人でも、はるかに大きな格差を生んでいる。
殺される。
一瞬でそんな思いが、勇気凛々の脳内を駆け巡った。
ここで、少しでも本気だったら……自分では死ねないわたしを殺してくれる人が現れたのだと、
彼女は狂喜するべきだったのだろう。
しかし彼女は恐怖した。
本当に近づいてしまった”自らの死”という現実に、ただただ恐怖してしまった。
それが《生き抜くために剣を振るう勇気》を出すきっかけになってしまい、
再び少女の手に《りんりんソード》を生み出した。
握った刃を、どう振るうべきなのか?
少女は考え――考えようとして。考える必要が無いことに、気づいてしまった。
「あはは……あなたも悪い人なんですね。良かった。
最後にわたしも、少しくらいは正義になれるのかもしれません。………死んでください。
一緒に。わたしと一緒に――
殺し合いを、しましょう?」
だってもう、少女の心は壊れ始めていたのだから。
そう、もう終わりだった。
これ以上殺しても、殺されても、変わることなんて何一つない。
そしたら暴れてしまおうぜ。
思考の片隅、悪魔のように居座る酒呑みの男は、そう言っていた。
(そうですね)
何もかも間違えた自分の最期としては、
きっとお似合いです、と、少女は幻影にはにかんだ。
打ち合う刃は、斧と《剣》。
どちらが負けるかなんて、最初から決まっている戦いの始まりだ。
【酒々落々:死亡】
【軽妙洒脱:死亡】
【破顔一笑:死亡――残り九人】
【B-1/娯楽施設・中央大通り一階】
【勇気凛々/女子中学生】
【状態】――――
【装備】《りんりんソード》
【持ち物】化粧用の手鏡、ボウガン
【ルール能力】勇気を出すとりんりんソードを具現化できる
【スタンス】自暴自棄
【傍若無人/首狩りの男】
【状態】健康
【装備】斧
【持ち物】首輪×3
【ルール能力】不明
【スタンス】マーダー
用語解説
【傍若無人】
傍らに人無きが若(ごと)し、の語源を持つ、人のことなどまるで気にかけずふるまうさま。
四字熟語ロワでは軍人のような服を着た大男。大きな手斧を持ち、
参加者を殺して首を斬り、首輪を集めている。C-2にて破顔一笑を殺したあと、屋上を通ってB-2まで来た。
なぜか他の参加者のルール能力を知っているようだ。
最終更新:2012年03月26日 15:33