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せんりグローバル(前編)

男は、全てを知っていた。
七人もの人間が血眼になって追い求めた理想が、どれほど穢れきったものか、知っていた。
自らも例外なく『それ』を信じ、追い求めるが余り多くのものを失ってしまった。
外道と蔑まれ、怨嗟の声を聞いても尚、立ち止まることなく殺し、壊した。
自分の選ぶ道の最果てに待つ『それ』を頼って、自分を納得させてきた。
そんな愚かしい選択の末に待っていたのは、あの――――"崩落"。
煉獄と言ってもいい惨状の中見た真実を、そして自らが選び取った最悪の選択を、彼は覚えている。
罪深き正義の果てに、彼は理想に破れた。
宿敵と呼べる男は撃破した。
天秤の守り手たれという意志の下、彼は最後までそれを貫き通した。
そして、一人の少年を見つけて、最後の最後で、彼は報われた――――。
だがしかし、その彼は今、ここに存在している。

「………僕が、またあれに関わることになるとはな」

黒いコートの男は、忌々しげに吐き捨てた。
光の宿っていないくすんだ瞳は何を見据えるでもなく虚空に向けられている。
彼の名前は、衛宮切嗣。魔術の世界では名の知れたフリーランスの暗殺者、『魔術師殺し』の切嗣。
手段を選ばずに只目的の相手を抹殺する、冷酷非情の猟犬と謡われた。
だが、それも今や、大いなる『悪』の汚染によって蝕まれ、長くは生きられない身体になった筈。
言ってしまえば死に体だ。まだ寿命は残っているが、これから行おうとしていた『最後の魔術行使』を使ったなら、もう魔術を行使することさえ叶わなくなるだろう。
後は保護した少年―――士郎を見守ってゆく、それだけの人生になる。

――――筈だったのだが、今こうして衛宮切嗣はここに存在している。
それも、体調は万全で、あの煉獄を見る直前のそれに戻っているようだった。
不思議なこともあるものだ。だがそれ以上に、憎らしいと思う。
衛宮切嗣の宿敵だった男、言峰綺礼。
確かに心臓を撃ち抜き絶命させた筈だが、何せ彼も万能の願望器の『泥』を浴びているのだ。
その身にどんな奇跡が起きていたとしても、何ら不思議なことではない。
切嗣が生き抜いた後に事実上の隠居生活をしていたように、言峰綺礼もまた何かの変化を受けていてもおかしくはないが―――まさか、まだあれを追い求めているとは、思わなかった。
聖杯。
かつて七人のマスターが追い求め、何人もが命を散らし、この世全ての悪が内包されていることを知った。
―――だというのに、あの男はまだあれを追っているのか。
あんなものをもう一度この世に卸して、あの惨劇を繰り返すつもりなのか。


「………ふざけるな。あれをもう一度卸すことは、絶対に認めない」


横道に随分と反れてしまったが、本質的に衛宮切嗣は正義の味方なのだ。
天秤の守り手たれと務めたことも、全ては世界から争いを根絶するという、そんな馬鹿げた理想の為。
その彼が、みすみすあの『悪』を卸してしまうことを許す筈がなかった。
一度破壊して、破壊したというだけであの煉獄を引き起こしたあれを、見過ごせる筈がない。
あれが正しい形でこの世に舞い戻れば、どれだけの惨劇が勃発するのか、想像に難くないだろう。
今度こそ、世界は大変なことになる。
言峰綺礼のような人間の手にあれが渡れば、この世界は最悪の方向に、崩壊してしまうかもしれない。
自分や今は亡き妻の望んだ世界とは正反対の世界に、変革してしまうかもしれない。
それだけは、絶対に認められる話ではなかった。
愛娘のイリヤスフィールや、只一人助けられた少年、士郎の生きる世界がそんな世界だなんて、絶対に認められない。

『魔術師殺し』衛宮切嗣は、もう一度戦う覚悟を決めた。
―――冷酷非情の猟犬としてではなく、一人の正義の味方として、言峰綺礼の野望を打ち砕く。
冷たい空の瞳が、かつて戦場を馳せていた時期の、戦う意思を秘めたそれに変わる。相変わらず濁った瞳ではあったが、つい先刻までの疲弊しきったそれとはずいぶん変わっていた。

そうと決まれば、早速準備をする。ここはホームセンターだ、一工夫すれば爆弾を制作することも可能だろう。
切嗣は無言のまま、だがまずは自らの置かれている状況を反芻する。
参加者、自分含め90名。
制限時間は無制限。生殺与奪は奴らが握っている。
かなり厳しい状況には違いないが、決して活路が無い訳ではない。
このレベルの窮地、衛宮切嗣という暗殺者からすればまだまだ序の口であった。


「首輪――これをどうにかしなければな」


切嗣が如何に戦い慣れているとはいえ、流石に首輪が爆発したなら生存していることは不可能だ。
故に大前提として、このゲームを打倒して主催者を討つ為には、首輪の解除が必要となる。
道具とある程度の手掛かり、そして―――”サンプル”が手に入れば、十分可能な話だ。
切嗣は魔術師の世界では稀有な、現代機械に精通し、魔術よりもそちらに頼る魔術師であった。
そのせいで業界の人間の多くから反感を買っていたが、愚かな魔術師に媚びるつもりなど彼には毛頭ない。
が―――これだけの危険を冒すのだ。ぶっつけの本番でどうこうできるかと言えば、否、である。


(死体から、首輪を回収する)


声には出さずに、常軌を逸した非道な台詞を口にする。
何十、何百の卑劣を働いた彼にとってそれは苦ではない。むしろ、勝つためには必要な事なのだ。


「――――まぁいい。僕が殺した人間から回収すればそれでいい」


衛宮切嗣は殺し合いに乗らない。
ただしそれは、ご都合主義の正義の味方になるというものではない。
殺し合いに乗っているマーダーまで盲目的に助けていくような、そんな夢は見ないと決めていた。
その逆である。
マーダーは、積極的に処分していく。現役時代にそうしてきたように、天秤を量るように、殺す。
毛ほどの迷いも、切嗣にはなかった。


「さて、次は名簿だな」


首輪の件に関しては納得したのか、次にディパックから参加者の名前、顔写真が記された参加者名簿を取り出し、確認していく。
しかし―――そこに記されている事実は、覚悟を決めた筈の彼でさえ驚愕に値するものだった。
驚愕―――そして、憤怒。


「アイリ……セイバー………? 間桐のマスターにバーサーカー……何だこれは?」


アイリスフィール。自らが愛した女。第四次聖杯戦争にて死亡。
間桐雁夜。敵対するマスターだった男。第四次聖杯戦争にて死亡。
セイバー。自らが使役したサーヴァント。令呪の刻印が二画残っていることからまさかとは思ったが、本当に存在しているとは。
バーサーカー。強大な力を持った破壊と暴虐の狂戦士。だが奴もまた、脱落した筈である。
どれもこれもショックが大きい名前ばかりだったが、衛宮切嗣が真に憤怒を懐いたのはまた、違う名前。

あの煉獄の中で、墜ちた正義の味方がたった一人助けられた少年。
―――衛宮士郎。
衛宮切嗣の養子にして、唯一の希望だった存在。
どうして彼がこんなゲームに参加させられているのか。まだ幼い、戦うなんてことは出来ないような少年が。
言峰綺礼という存在を恐れ、忌まわしく思ったことは数あれど、これほどまで憎悪したことは初めてだったかもしれない。



「…………言峰綺礼」


怒りを押し殺した声で、宿敵への憎悪を極力押し潰して、唸るように呟く。
そしてこの時、元から迷いなどなかった切嗣だったが、真の意味で彼の心は固まった。
主催者連中を絶対に赦さないという確かな覚悟を決めることが出来た。
『魔術師殺し』の顔ではなく、一人の『父親』としての表情で、切嗣は宣戦布告する。


「僕は今度こそ、貴様を殺す」


心臓を撃ち抜いても尚殺しきれなかった亡霊を、存在ごと消してやる。
奴の裏に存在している最悪の存在も、誰一人逃がすつもりはない。
一人として残さず、皆殺しだ。
殺し合いは潰す。聖杯は破壊する。監督役は殺す。
一度は破れた筈の理想をもう一度懐いて、衛宮切嗣は前を向く。
既にその表情は、『魔術師殺し』のそれに戻っていた。


「死人を蘇らせる力――か」


魔術師の世界でも禁忌とされる、というよりそれ以前に不可能なまでの難易度が伴う蘇生。
どうやってその手段を手に入れたのかは分からないが、一つだけ合点がいくことがあった。
アイリスフィールの役割は恐らく、聖杯の器。
第四次聖杯戦争と同じ役目――イリヤスフィール・フォン・アインツベルンはまだ幼い。彼女の身体では器にはなれないだろう。


「………セイバーか」


騎士王・アルトリア・ペンドラゴン。
ブリテンの騎士王にして、衛宮切嗣が道具として使用し、決定的に決裂した存在である。
彼女の力は確かに強大だし、彼女の持つとある宝具を用いれば、弱りゆくアイリスフィールを支えることも可能だろう。
『全て遠き理想郷(アヴァロン)』。如何なる傷も老化も停滞させる、伝説の宝剣エクスカリバーの鞘。
しかしあれは今、切嗣の養子・士郎の体内にあるのだ――アイリスフィールはその恩恵を受けることが出来ない筈である。
だとすれば、解せないことがあった。
『聖杯の器』として生まれたアイリスフィールは、『全て遠き理想郷』なくしては存在を保つことさえ危うい筈。
当然、バトルロワイアルなど出来る肉体ではない。
―――この戦場を生き残れる可能性なんて、万に一つもない。


(……駄目だな。これじゃあ、昔の僕には随分足りない)


アイリスフィール・フォン・アインツベルン。
今はもう『有り得ない』彼女の存在もまた、衛宮切嗣に大きな影響を与えていた。
しかし、それを無理やり払拭し、切嗣は今自分がすべきことを模索する。


「令呪が戻っているのは幸運だ。もしも危機になったらセイバーを呼べばいい」


衛宮切嗣という男は、セイバーという己のサーヴァントと決定的に決裂している。
最初からマスターである切嗣との相性など二の次に選ばれたサーヴァントなだけあって、彼の方針に彼女はいつも反発した。
その決裂が決定的なものになったのは、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト達の一件だろう。あの一件にてセイバーは切嗣を外道として見限り、切嗣もまた己のサーヴァントを決定的に否定した。
そして最後の瞬間、彼女が願いを懸けんとしていた聖杯を令呪によって破壊させた――これで友好が築ける筈もない。
切嗣自身もまた和解する道など考えても居なかったし、する気もないのが現状だ。
サーヴァントはあくまで道具―――そんな思想は未だ、根深く衛宮切嗣を支配していたのだ。
だが、もしも必要とならば彼女の都合などすべて無視し、令呪による強制力でセイバーを使う。

合理的な道だった。
万一敵に回ろうが、令呪がある限り彼女が切嗣に謀反を起こすことは出来ない。


「出来れば舞弥――とまではいかなくとも、サポート役が欲しいところだな」


改めてその名前を口にして、少しだけ胸が締め付けられる。
久宇舞弥。切嗣が戦場で助け、長らく相棒として多くの場を踏んできたパートナーだ。
もっとも、彼女もあの戦争で命を落とし、最期まで切嗣の手足として行動してくれた――。
女性を相手にするとつい甘やかしてしまう癖のある切嗣だったが、パートナーとなる人物は欲しいところだった。


(だが一先ずは―――このホームセンターを見て回ろうか)


上手くいけば簡易的な爆弾くらいは作れるかもしれない。
自らの主義を少しだけ曲げたにしても、爆破や銃撃は彼の基本スタンスである。そこには違いなかった。
ニトログリセリンとちょっとした材料だけで簡単に製作できるダイナマイトを、制作しておこうと彼は考えていた。
ホームセンターの中を探索する。目についた『材料』を片っ端からディパックに詰めていく。


「―――――――ッ」


警戒を怠っていた訳ではないが、切嗣は全くの不意打ちで、『それ』を感じ取った。
常人ならば気付くどころか感じることさえ出来なかったろうが、長らくフリーランスの過酷な環境で戦い抜いてきた切嗣だからこそ、その微弱な『それ』を感じ取る事が出来たのだ。
―――衛宮切嗣を監視する、視線を。
とならば、切嗣のやることは決まっている。―――視線の主を叩くのみだ。


「――――」


支給品は既に確認済み。コートの内ポケットに収納していた一丁の狙撃銃を取り出して、切嗣は臨戦態勢となる。
MSR-001――人並以上に銃器に精通してきた切嗣から見ても、それは脱帽と言えるクオリティの代物だった。
弾丸は電磁石で、火薬を用いない為に反動は限りなくゼロ。弾速は音速に少し届かない程度。
未来銃、という言葉が実に相応しい一丁だ。故に、衛宮切嗣という暗殺者にとっては最高の当たり支給品だったと言える。出来れば自らの愛銃があれば良かったのだが。
愛銃ーーコンデンダー・カスタムと、衛宮切嗣が切り札の魔弾は追々捜索するとして、今は誰とも知れぬ監視者への対処が先決だ。害なき監視者ならばいいが、もしも殺し合いに乗っているならば、それは衛宮切嗣にとっての外敵となる。

「………」

切嗣は無言で、自分に与えられたもう一つの支給品を取り出す。
それが衛宮切嗣の手に回ってきたことは、相当に皮肉の効いた話だった。
第四次聖杯戦争にて、他ならぬ切嗣自身が策に嵌めて殺害した男、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが所持していた霊装、『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』。
罪悪感は無い。自分が勝つために取った手段を悔いはしない。
むしろ今の切嗣がすべきことは、強力な霊装を得られた幸運に感謝し、やるべきことを実行することだ。

魔力を用いて、月霊髄液を起動させる。
見覚えのある水銀の球体が揺れ、切嗣の指示を待つ飼い犬のようにも見えた。
かつての持ち主との戦闘を思い返しつつ、切嗣は一つの指示を与える。
"自動策敵"の指示だ。
それとほぼ同時に、水銀の流滴が慌ただしく『標的』を捜すために走っていく。
月霊髄液の使い方は朧気な記憶しか残っていなかったが、成程、便利なそれであることに違いはない。

「――シャーレイ」

ひょっとしたら、このゲーム最初で最後の落ち着ける瞬間かもしれないのだ。
切嗣は遠い記憶、だが自分の中にずっと燻ってきた一人の年上の少女の名前を呼ぶ。
あの島を地獄に変貌させる要因となった、衛宮切嗣の初恋の相手。
いつか彼女に問われた問いに―――幾度も回答してきた問いに―――彼は答える。


「僕はね、正義の味方になりたいんだ」


その一言を皮切りに、まだ見ぬ参加者との邂逅に備えて、戦士の目に戻る。
迷いは、燻っている。
じくじくじくじくと、まるで偏頭痛のように、一度は理想に破れた男を苛む。

だがしかし、自らの選んだ道を進もうと、切嗣は戦う。
アイリスフィール。士郎。大切な人達も巻き込まれているのなら、みすみす諦めてやる道理はない。


「――見つけたか」


月霊髄液の流滴が、何処かに潜む監視者を発見したことを伝える。
磁力狙撃銃を両手で持ち、月霊髄液の力を使って監視者の位置までゆっくりと歩いていく。
自立防御が発動する以上、不意の攻撃に気を遣う必要はない。 銃弾の威力によっては貫通されてしまう可能性も無きにしも非ずだが、ケイネスのようなヘマを犯すほど、切嗣は戦いに疎くはなかった。
ホームセンターを歩いていく。その最中にも月霊髄液には探索を行わせているため、見失うことは有り得ない。どうも監視者は、二階の放送室にいるようだった。
わざわざそこまで出向いてやる必要もない。あの放送室から監視が出来る理由として、窓があること。一階の風景をある程度なら見渡せるような、少し小洒落た作りになっている。

(そんな場所を選ぶなんて―――愚策としか思えないな)

窓の見える位置に移動する。
視線はもう外れているようだが、月霊髄液にもう一度策敵に向かわせて見れば、まだ相手は移動することなく放送室に留まっているらしかった。
相手はどうやら相当未熟な、こういった状況に慣れていない人間。だとすれば―――相手は、こうして自分が接触しようと行動していることにさえ気付いていないだろう。
磁力狙撃銃を構える。
スコープから、高所にあたる放送室の窓を覗き込み、照準を合わせる。


(当たらなくていい。当たりでもしたら逆に困る)


ひどく使い心地のいい未来銃を構え、触り慣れた引き金に人差し指をかける。
まだ幼い頃から師であり、母親代わりでもあった女に付き添って修羅場を潜ってきた。
暗殺、爆破。姑息な手段に引け目なんて感じないし、手段を選ぼうともしなかった。
事実上の引退を強いられるかと思ったのに、またこうやって自分は銃を構えている。
全く、とことん因果な人生だ。

波打つ水銀の球体には目もくれず、切嗣は慣れた手付きで引き金を引く。
硝子に穴が空き、放送室内部にかけて銃弾が突き抜けていった。幸い内部の人間には当たらなかったようだ。そんなことには感慨も懐かず、切嗣は次のステップに移るために一階と二階とを結ぶ階段に向かう。もしかすると、最初の戦闘になるかもしれない。

切嗣の作戦は、単純にして明快なそれだった。
幾度もの戦場を越え、仕事を経て、聖杯を巡る戦争にも身を投じてきた暗殺者。常に奇を衒い、騙し討ちやトラップを使って標的を抹殺してきた彼にしては、随分と単純な作戦だ。
放送室の人間にあえて自分の攻撃に気付かせ、ここでは仕留めずに逃亡を誘発させる。
放送室は二階。二階は関係者以外の侵入が禁止となっている為、階段での移動を余儀なくされる――いわば、二階に潜伏してしまった時点で詰みがかかっていたのだ。
逃げるために階段を使う――そこで待ち構えれば、必ず遭遇出来る。


「さて、どう転ぶかな」


説得の余地なしならば容赦なく、水銀の刃で切り刻むまでだ。
だが、もしも相手の存在が何かしらの恩恵を衛宮切嗣にもたらすというならば―――手を組んでみる価値は十二分にあるだろう。そうするのも悪くはない話だ。

舞弥のように心を殺して淡々と仕事をこなす人間でなくとも、パートナーが居るに越したことはない。
それにもしも怯える弱者なら――助けてやるのは、正義の味方の仕事ではないか。
もう二度と、誰も救えない絶望を味わうのは御免だった。地上の煉獄を歩いて、『救えない』苦しみを経験した衛宮切嗣。あの時の絶望と、そして救えたたった一つの存在に出会えた時の喜びを、きっとその生命を終えるまで切嗣は忘れることはないだろう。


「………もう二度と、あんなのは御免だ」


『魔術師殺し』としての衛宮切嗣しか知らない人物が見たなら、きっと驚いたろう。
敵対した者には死神のそれにしか見えない沈んだ瞳を歪めて、悔しさを顔にありありと浮かべて歯噛みする、そんな人間らしい動作をしていることに、驚いたろう。
正義の味方として今度こそ多くを救う。
その為に、自分はこうしてもう一度チャンスを与えられているのだ。
生かさずしてどうする。今度こそ、最高の未来を掴めるかもしれないのに、そのチャンスを自ら殺してしまって、一体どうするというのだ。

「僕はもう、間違わない」

階段を駆け降りてくる音と、荒い息遣いが聞こえてくる。
切嗣は念のため銃をしまい、降りてくる相手に備える。
衛宮切嗣、決意を新たにした正義の味方が、最初に出会う存在。
月霊髄液を待機させつつ、遂に対面した『監視者』は――――


――――両の目にかかるくらい長い前髪が特徴的な、一人の少女だった。



◇ ◇


時は遡り、バトルロワイアル開幕後。
少女、一望千里が目を覚ましたのは、ホームセンター二階の放送室だった。
普通ならば盛況していても何らおかしくはなさそうなものだが、客の姿は一人として見えない。
その事実があまりにも簡潔に、このバトルロワイアルが夢でも何でもないことを示していた。
だが彼女にとって、この殺し合いが現実であることなど、既に分かりきっていることだ。
『四字熟語』を冠された一望千里は、ここに来るより前に『四字熟語達の殺し合い』に巻き込まれていた。
もっとも、何かを為せたかどうか問われれば言葉に詰まってしまう、というのが本音だった。
前回は開幕直後、自らのミスで顔面を《破かれた》。
軽妙酒脱という四字熟語に出会うことも出来たが、結果としては脱落、死亡。

一望千里の体感時間では自身が死亡したことさえつい数時間前のことくらいに感じられているのだが、だからこそだろうか。少女の身体にはまだ、《死の恐怖》が根付いていた。
消える灯火。
寒く凍えていく意識。
どれ一つ取っても、恐怖以外の要素が見当たらないまでの死の瞬間を、彼女は経験したのだ。


「でも………私はここにいるん、だよね」


顔を破かれ、身体を貫かれて、それでも一望千里はこうして存在している。
不可解と言えば不可解極まりないけれど、自分が存在していることに、少女は安堵した。
『死』によって消失してしまった自分は、どうやら完全に消えてしまったわけではないらしい。
……まぁ、結局これもバトルロワイアル、殺し合いには変わりないのだが。

これもまた、奇々怪々―――あの四字熟語の仕業なのだろうかとも考えたが、そうは考え難い。
四字熟語だけを集めて殺し合わせる『実験』を企画した彼女とは異なり、言峰綺礼という男はこの殺し合いを『ゲーム』と称した。娯楽の対象、見世物であるかのように語った。
この時点で両者の考えには明確な差異があり、同じ人物の企画とは思えない。
一望千里のような死者までも蘇らせて参加させる、如何なる手段を用いたのかは分からないが、この分だと言峰の言った『願望』の話も真実と受け取っていいだろう。
優勝すればどんな願いでも思うがまま、というのは確かに魅力的だと思う。
でも彼女は人を殺めてまで遂げたい願望など持ってはいないし、したいとも思えなかった。
………何しろ、記憶は奪われたままなのだから。
せめて記憶くらいは返してほしかったな、と一望千里は思う。
しかし、叶えたい願いがないのだ―――それは必然的に、殺し合いには賛同しない、ということになる。

血眼になって殺し合う必要もないし、本来一望千里は死んだ身なのだ。
死ぬことは怖いし、出来るなら生きていたいと思うけれど。とにかく、人殺しだけはしたくなかった。
とはいえ、この場でじっとしていても何か始まるわけではない。
何らかの行動を起こさなければ、前のような目に遭ってしまいかねないから。
とりあえず、一望千里が最初にしようと思ったことは『参加者名簿の確認』だった。
望んじゃいけないことだとは分かっていても、最期の時一緒に居た四字熟語、軽妙酒脱の名前が無いか気にしてしまう。後は、破顔一笑、《顔を破くルール能力》を持った彼の名前は出来ればあってほしくないと思った。


「直接会ったことのある人は、いないなぁ……」


直接会ったことのある人自体、軽妙酒脱しかいないのだが。



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最終更新:2012年06月11日 11:18
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