ふたば系ゆっくりいじめSS@ WIKIミラー
anko0278 ゆうかの花
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ゆうかの花
十数匹のゆっくりたちが久しぶりに味わう御馳走に舌鼓をうっていた、
「むーしゃーむーしゃ、しっ、しあわせぇえええ!」
「おいしいんだねー!わかるよー!」
「ちちち、ちんーぽ!」
昨日まで愛情を注いで育てていた紫陽花。
その踏みにじられた花弁を見て、ゆうかは口の端を歪めて苦々しい笑みを浮かべる。
(……もう少しで満開だったのに)
見つからないように場所を工夫した。棘を持つ茨の茂みに囲まれた小さな空き地。
これ以上の隠し場所は思いつかなかった。
だけど、所詮はゆうかも餡子脳だったのか、隠し方が甘かったようだ。
紫陽花は大きくなりすぎた。成長した紫陽花は茨の背丈を越えてしまっていた。
そして真夏となれば、紫陽花の群生は色鮮やかに変化して咲き誇る。
花開いた紫の花弁は、如何しても周囲の目を惹きつけてしまう。
やがて体の小さい子ゆっくりが茨の隙間を潜り抜け、中から成ゆの通り抜けられる道も見出した。
今まで丹念に、丹誠に、精魂こめて世話をしてきた花々は、ゆっくりたちに踏みにじられ、喰い荒されていた。
他のゆうかだったら、怒りに駆られるままゆっくりたちに戦いを挑んだかも知れない。
辛かった。悲しかった。でも、此処で戦っても多勢に無勢。
気の強いまりさがいる。素早いちぇんがいる。棒を巧みに使うみょんがいる。
何匹かは殺せても、結局は、数に飲み込まれ押し潰される事になる。
友達だった別のゆうかのように。
だから、ゆうかは憎悪を飲み込み、憤怒を抑え、茂みに隠れたままそっとその場から立ち去った。
(見たかったなぁ、あの子が満開に咲き誇る姿……きっと綺麗だったろうなぁ)
このゆうかは今年で四歳。ゆっくりとしては結構な長命だった。
死に易い赤ゆ、子ゆっくりの時代を除けば、自然界のゆっくりの寿命は平均しておよそ三ヵ月
二度目の冬を経験する個体が滅多にいない事を鑑みれば、慎重で思慮分別に恵まれた性質が身を助けてきた事は否定できない。
歩きながらも、ゆうかは何とか気を取り直した。
(……今度から、もっと隠し場所を工夫しなくちゃ)
こんな事は今まで何度も在った。花を育ててはそれを失ってきた。
幾度もの喪失を経験して、多少はゆうかも学んでいた。
育んでいる紫陽花は一か所だけではない。常に分散し、数か所の隠れた株を育てるようにしている。
喪失は辛い。これからもこの痛みに慣れる事はけしてない。
だけどもゆうかは、明日も明後日も、戦って散るより苦悩を抱えて生きる方を選ぶだろう。
ああ、とゆっくりらしからぬ懊悩と苦悶を孕んだ吐息を洩らし、ゆうかは深く嘆息した。
たった一輪の花さえ守れないのなら、私は如何して生きてるのだろう、と。
まだゆうかが幼い頃に、一度だけ四季の花の主の姿を遠来から仰ぎ見た事が在った。
花を愛でる最強の妖怪。幻想境で唯一枯れない花。
彼女が育てたのだろう。麗人の足元に咲き誇る朝露に濡れた美しい花々は、鮮やかに色付き、主に似て凛とした輝きさえ放っていた。
そして、ゆうかが他のゆうかと紫陽花の苗木と薔薇の種を交換した際、何気なく耳にした噂話。
美しい花を咲かせた何匹かのゆうかは、彼女に選ばれ、永劫に咲き誇る花の楽園に住む事を許されたと云う。
真実か如何かは分からない。或いは、何処かのゆうかが何気なく口にした願望が無責任な噂になっただけなのかも知れない。
だけれども、何気なく耳にしたその伝説は、若いゆうかの心へと強く焼きついた。
焦がれた。一度で良い。向日葵の主の育てた花々に触れてみたい。近くで心行くまで鑑賞したい。
いいや、違う。あのような花をいつか自分も育てたいのだ。
それは憧憬。
ゆっくりの心のうちにある全てのゆっくり分を押し潰し、残らず焼き尽かさざるを得ないような、まるで地獄烏の核融合のように熱く激しい業火の如き渇望。
その日から、ゆうかはゆっくりできなくなった。
永劫に枯れない花の一つになりたかった。
だが、成長するにつれ、ゆうかは自分の限界を否応となく思い知らされていく。
ゆうかには無理だ。手入れの簡単な紫陽花を世話する事が精一杯の彼女には、到底、向日葵畑の主の目に適うような花を育てる腕などない。
けして手の届かない適わぬ願い。
今日も心の奥底に満たされる想いを燻らせながら、ゆうかはとぼとぼ自分の巣へと這いずっていく。
だから、他のゆっくりたちはそもそも近づいてくることさえ少ない
ゆうかの住処は、丘陵の中腹。石と盛り土に隠蔽された洞穴に在った。
付近一帯の土は剥き出しになっている。ゆっくりたちが元々少ない丘陵の草を蝗のように食いつくしたのだ。
此処には殆どゆっくりに食べられる物はない。
自然な傾斜となっており、ゆっくり出来る場所でもない。
だから、他のゆっくりたちは余り近づかない。
周辺は静まり返っている。
ゆうかは周囲を見回し、ゆっくりの影がない事を確認した。
力の無い通常種には動かすことも難しい入口の石を巧みに動かし、
狭い入口へと潜り込むと、這いずりながら奥へと進んでいく。
洞窟の奥は意外と広がっていた。
殺風景な部屋の四方の土壁を、色褪せた押花だけが彩っている。
部屋でくつろいでから、ゆうかは壁に並んでいる餡子袋の一つに近寄ると噛みついた。
中身を口に含むと、もしゃもしゃと咀嚼する。
餡子袋が微かに震えた。残された目に恐怖と脅えを孕んでゆうかを見上げる。
飾りは千切られ、足を破られ、もはや動くことも喋る事も出来ないそれは、ゆっくりだ。
この巣に近づいたり、あまつさえ巣に入り込んでおうち宣言した愚かなゆっくりは、ゆうかの餌食となる。
近くには、二m級のどすまりさを頂点とする二百匹ほどの群れが生息していた。
この二匹も其処に属していたのだろうが、元々、ゆっくりは死に易い生き物。命も安い。
単独行動していたゆっくりの二匹や三匹が消えた所で、探しにくるゆっくりはいない。
月に二匹か、三匹を狩った所で不審に思うゆっくりもおらず、群れを敵に廻す恐れもなかった。
孤独を好んでいるゆうかだが、別に群れと敵対したい訳では無い。
ゆうか種も一応、捕食種ではあるものの、れみりゃやふらん、れてぃやゆゆこと云った連中に比べれば、
残念ながら体格や力で大きく劣っている。
高度な知性の代償か、捕食種の中では多分、最弱に近い存在だ。
何匹ものゆっくりを敵に回して、無事でいられるほどの力はもたない。
故に、このゆうかも用心深く近くの群れと関わるのを避けていた。
今、ゆうかに生きながら中身を食われているのは、黒い帽子のゆっくりまりさ。隣にいるのは番のれいむ。
五日程前にゆうかの留守中に巣へと潜り込み、おうち宣言した若い二匹だった。
戻ったゆうかは無言で棒を咥えると、あっという間にまりさとれいむを叩きのめした。
適度に暴行を加え、弱らせてから右目を抉り、足を噛み破り、口を喰って、後はゆっくりとも言えない餡子袋へと変えてしまう。
今は、れいむと共にゆうかの食事となっている。
このゆうかには、獲物を痛めつけて喜ぶ習性はない。
生かしているのは苦しめた方が味が良くなるからと、長く保存する為でしかない。
向日葵畑を目にしたあの日以来、ゆうかの心からは花への情熱を除いた一切への興味が薄れていた。
「ゆ゛っ、ゆ゛っ、ゆ゛っ」
まりさは微かに呻き、寒天の瞳が抉られた空洞からも涙を零した。
なんでこんな苦しい目にあうのか。なんでこんな怖い目にあうのか。まりさには分からなかった。
まりさは独り立ちしたばかりの若いゆっくりだった。
幼馴染のれいむと共に実家から旅立ち、その日のうちに誰もいない洞窟を見つけておうちにした。
二人でこの幸運を喜んでいると、この恐ろしいゆうかがやってきた。
余りゆっくりしているとは言い難い雰囲気のゆうかだったけれども、折角おうちにやってきたお客さんだ。
だから、歓迎した。
ここはまりさとれいむのおうちだよ。ゆっくりしていってね。
なのに、ゆうかは襲いかかってきた。
どうしてこんなことをするの?
まりさは、涙に濡れた左目でゆうかを見上げた。
ゆうかは応えない。
ゆっくりとしては、きめぇ丸と並んで例外的に感受性と知性を有するゆうか種だ。
まりさの無言の問いを読みとってはいたが、理由などないのだ。
ゆうかは捕食種で、当たり前に食事をとっているだけ。
苦痛を与えて楽しむ趣味はないし、饅頭との対話ほど不毛なものはないと知っている。
腹八分目で止めておく。この二匹でまだしばらく食い繋げるだろう。
腹も膨れたゆうかは、近場で育てている紫陽花の様子を見に行こうと思い立った。
紫陽花を見に行く途中、五、六匹のゆっくりが近づいてくるのに気づいて、ゆうかは立ち止まった。
ゆうか種は捕食種ではあるが、ふらんやれみりゃなど他の捕食種と違って基本的に雑食性である。
ゆっくりも食べるが、草木や木の実、虫などの食事でも充分に生きていけるし、
ゆうかの中には、(賢い群れ限定だろうが)他のゆっくりに溶け込んで暮らしている個体もいる。
だから、丘陵に棲むゆっくりたちも、自分たちに襲いかかる訳でもなく、
独りで静かに暮らしているゆうかを特に脅威とは見做してなかった。
ゆうかは、その場で狩りの真似事として道端に生えていた雑草に近づいていく。
「ゆっくりしていってね!!」
れいむの挨拶を無視し、いかにも不味そうな草を噛み千切り、無言で咀嚼し続ける。
忌々しい事に、ゆっくりのうちにも花や野菜を育てるゆうか種の習性を知っている奴がいる。
こんな真似でもしないと、時々、御馳走目当てにゆうかの後を付けてくる奴がいるのだ。
「よくそんなまずいくささんをたべられるわね。とかいはじゃないわ」
「ゆうかはえさをとるのがへたなんだねー、わかるよー」
「ちちち、ちんーぽ」
馬鹿にしたように他者を見下すのはゆっくりの習性。
相手にしていないと、妖精にも似て好奇心旺盛な癖に飽きっぽいゆっくりだ。
すぐに飽きると、口々に如何でもいい事を話しながら立ち去っていく。
「ゆゆっ、ゆうかはそこでまずいくささんをたべていてね」
「まりさたちは、これからさとにおりてにんげんのひとりじめしているやさいをたべてくるんだぜ」
「むきゅっ、にんげんさんはきけんよ」
「だいじょうぶだぜ、ぱちゅりー。つよいまりささまがにんげんをやっつけてやるんだぜ」
ゆっくりたちの後ろ姿を侮蔑の眼差しで見送ると、ゆうかはペッと草を吐き捨てた。
馬鹿なゆっくり共。人間は、どすや熊よりも遥かに強いのだ。
火を吹く鉄の棒を持てば、遠く離れた敵も殺せるし、何よりとても頭がいい。
ネズミやカラスに捕食されるゆっくりが、如何して人間に勝てると思えるのだろう。
人間の手下であるわんこやにゃんこのおやつ兼玩具になるのが関の山だ。
怒った人間たちがまた山狩りするような事態になれば、自分もどうなるか分からない。
畑に入る前に見つかって、叩き潰されてしまえばいいのだけど。
ゆっくりたちの愚かさに半分呆れ、半分不思議に思いながら、ゆうかは再び道を跳ね始めた。
紫陽花に近づくにつれて、ゆうかの心は躍っていく。
ゆうかには、ゆっくりたちが言葉として口にするゆっくりプレイスは理解できない。
そもそも普段からゆっくりしているとは言い難いゆうかである。
それでも土を耕し、水をやり、虫を捕り、成長を眺め、香りを楽しむその間だけは心がとても安らいだ。
紫陽花の群生を育てているのは、丘陵の中腹。きつい傾斜となっている岩場を抜けて、やや高台になっている場所だ。
ゆっくりや野生の小動物がよく水を飲みに来る小川に近いが、その先まで行くゆっくりは殆どいない。
きつい傾斜は尖った石があちこちに散らばり、狸や蛇などが徘徊し、絡まり合った木々の根はゆっくりが越えるには険しすぎた。
加えて、わずかな抜け道にもゆうかが根気よく配置した尖った石や木などの死の罠が要所要所に点在している。
動物には何の効果もないが、飛び跳ねるゆっくりの薄い底部にとっては致命的な罠。
現に其処此処に足を破られ、死んでいったゆっくりたちの皮が転がっていた。
だが此処の一本道を抜ければ、頂には青々と草木生い茂る美しい自然の庭園が広がっている。
紫陽花は育てやすい花だ。こんな所にも根を張り、茎を伸ばし、大きく咲き誇ってくれる。
元々、荒れ地だった所をゆうかが根気よく土を耕し、水をやり、肥料を撒き、手入れし続けた成果である。
そして今、季節は真夏。
紫陽花が満開となる、ゆうかが一年のうちでもっとも待ち望んでいた季節である。
此処の紫陽花はとても大きい。ゆっくりから見れば、人から見た樹木のように成長している。
元は、ゆうかの植えたものでは無い。花を育てるにいい場所がないかとゆうかが丘陵を散策していた時に、
偶々、此の場所に辿り着き、朽ち果てかけていた紫陽花の大きな株を見出したのだ。
紫陽花は刺し枝で増える。他の花のように鳥の糞から発芽したり、風に運ばれてくると云う事はない。
何故、此のような場所に紫陽花が咲いているのか。
ゆうかも不思議に思ったが、結局は気にしない事にした。
他のゆうかが世話をしていたのかも知れないし、山登りが趣味の人間が気まぐれに植えたのかも知れない。
兎に角、ゆうかは出会った紫陽花の世話を熱心にして、今は美しく咲き誇ってくれている。
それで充分だと、ゆうかは満足している。
庭園には、紫陽花以外にも薔薇や雛菊、秋桜(コスモス)など、他のゆうかに種を貰った花が植えてある。
今はまだ涼しい風の吹いている朝方。日差しのきつくなる真昼の前に水をやらなければならない。
途中の河で口一杯に水を含み、高台を登りきったゆうかは凍りついた。
鮮やかに咲き誇る紫陽花。その前に緑色の帽子を付けた、丸々とした物体が佇んでいたからだ。
間違いなくゆっくり。ゆっくりで在った。
肌色をしたバレーボール大の饅頭モドキなど、自然界に他に存在していない。
(……ゆっくりが……こんな所にまで……何故……どうやって……私の花に……無事か?……)
ゆうかの胸の内を様々な想いが錯綜する
『殺そう』
まず最初に思いついたのは、自分のささやかな庭園の脅威を排除する事であった。
花畑を見つけられた時、相手が大勢いる時は諦める。だが、少数なら抹殺してきた。
二匹や三匹ならば、それこそ逃げ出す暇も与えずに、葬り去れる。
繰り返すが、ゆうか種は捕食種に属している。(ゆっくり水準としては)相当な強さを持っていた。
幸い、見たところ一匹しかいないようだ。
地面を耕すのに使っている鋭い木の枝を咥えると、ゆうかは無言でじりじりと間合いを詰めていく。
そろーり、そろーりなどと間の抜けた言葉は漏らさない。
と、すぐに相手がめーりんで在る事に気がついた。
さもありなん。
めーりん種の分厚い皮ならば、ゆうかの配置した鋭い石や木を踏み抜いても、足が破れる事はないであろうから。
気付かないのか、動く気力もないのか。
忍び寄るゆうかに無防備に背中をさらしながら、めーりんは微かに体を上下させている。
ゆうかは、これまでに何十匹となくゆっくりを屠ってきた。
時に真正面から、時には奇襲で、時に不意打ちを受け、一対一で、時に大勢やれみりゃを相手に、
様々な状況で戦い、勝ち残ってきた。ゆっくりの急所は熟知している。
今までめーりんと戦った事はなかったが、間違いなく仕留められる筈だ。
近寄るにつれて、めーりんの体が傷だらけである事が分かる。
罠は無駄ではなかったのか、足の裏にも痣が出来ている上、帽子が所々、破けている。
帽子や上半身の擦り傷は、例によって他のゆっくりに虐められたのだろう。
(……どんくさい奴)
言葉を話せないめーりんは、他のゆっくりにとって格好の虐めの対象だ。
考えてみれば不憫な奴でもある。せめて苦しまないよう一息で殺してやる。
思いながら、枝を突き立てようとしてゆうかは気づいた。
めーりんは安らかな寝息を立てていた。紫陽花の前で、無防備に寝ている。
戸惑いながらよく見れば、紫陽花にも齧られた形跡などはない。
昨日立ち去った際のその時、そのままに鮮やかな紫の花弁が綺麗に咲き誇っている。
と、めーりんがぶるっと身震いした。ゆうかは思わず後ずさった。
「じゃおっ!」
パチリと目を見開き、一声鳴いて体を起こすと紫陽花へと向き直る。
そのまま、紫陽花に喰いつくでもなくじっと眺めている。
或いは……もしかしたら、このゆっくりは紫陽花に見とれているのだろうか。
自分たち以外に、花に見とれるような感性を持つゆっくりがいると云う事にゆうかは戸惑った。
やや躊躇してから、ゆうかは口に咥えた枝を下ろした。
その気配を感じたのか。
此処で、ようやくめーりんがゆうかに気づいた。
挨拶するように、じゃおっと元気よく鳴いた。
殺すべきだ。そう思いながらも、ゆうかはしばし躊躇った。
めーりんを推し量るようにまじまじと観察する。
「じゃお?」
めーりんは押し黙ったままのゆうかを見つめる。とゆうかが鋭い枝を加えているのに気がついた。
少し不安になってきたのか、甲高い声でゆうかを威嚇するようにめーりんは鳴き叫んだ。
「じゃおおおおん!!!」
やはり殺そうか。一瞬、そう考えるが、ゆうかの方がだいぶ体が大きいし、
めーりんは足まで傷ついている。殺すのは何時でも出来ると考え直した。
黙って枝を捨てると、めーりんの横を通り過ぎ、口鉄砲の要領で紫陽花に水吹きした。
それからめーりんに向き直った。まず話掛けてみる事にしたのだ。
「花が好きなの?」
「じゃお!じゃおお!じゃおおおおん!」
不安が払拭されたのか、話しかけられて嬉しいのか、めーりんが楽しげに跳ねた。
ゆうかには、何となくめーりんの訴えたい言葉が分かった。
多分、普段から声なき花の声を聞き取ろうと耳を傾けていたからだろう。
(単純な子……に見えるけど)
「じゃおお、じゃお?」
「そう、此れは私が育てているの」
「じゃおおおおん!」
「ええ、見てってもいいわ」
時間を忘れて紫陽花に見とれているめーりんを横目に、ゆうかは紫陽花と河と往復しながら中断していた日課の水運びを開始した。
「じゃお?」
めーりんが不思議そうに見ていたが、ゆうかは無視し、黙々と作業を続けた。
作業が終わった頃には、日差しが少しずつ強くなり始めていた。
「私は行くけれども、貴女は此処にいるの?」
「じゃお」
「そう、此の場所の事は、他のゆっくりには秘密にしてくれる?」
「じゃお!」
今逃がせば、他のゆっくりを案内して、この紫陽花を食べにくるかも知れない。
そんな考えが思い浮かぶが、如何やらめーりんは紫陽花の美しさに感動していた様子だ。
嫌な予感や邪なものも感じなかったし、結局、ゆうかはめーりんに手を出さなかった。
まだ夏。緑萌ゆる季節にも関わらず、丘陵に棲むゆっくりの群れの長であるどすまりさは頭を悩ませていた。
「ゆぅぅ、こまったよ。たべものがたりないよ」
丘陵全体でゆっくりの食べられる物が減ってきているのだ。
群れの十数年に渡る無計画なすっきりーと飽食の結果、生態系のバランスが崩れてきたのである。
此の侭では、遠からず群れが飢餓状態に陥るのは確実だった。
自業自得ではあったが、ゆっくりたちはそうは思わない。またそう思うようではゆっくりではない。
誰かに責任転嫁を行い、罵るのがゆっくりの常だ。
槍玉にあがっているのは、当然、長であるどすまりさであった。
「むきゅ、どうするの。どす?」
不安そうに側近のぱちゅりーが訊ねてくる。
「ゆっ、いざとなったらにんげんさんにたべものをわけてもらうよっ」
そう云い聞かせる事で自分も不安を鎮めてきたが、どすは人間と関わる事に気が進まなかった。
人間は手強い。戦って負けるとは思わないが、群れにも相当な犠牲が出るのは間違いない。
(此のどすはけして頭が悪い訳では無かったが、人間に関しての知識が色々と不足していた)
前々から食物の枯渇を見通して、どすはかなりの食糧を貯めこんできていた。
今はそれを切り崩す事で、辛うじて群れ全体は飢えずに済んでいる。
まだかろうじて余裕が在る。だが、その備蓄も喰い尽くした頃に、丁度冬がやって来るだろう。
どすは、迷っていた。
或いは、他所への移住を試みるべきだろうか。
考えながらも、気が進まなかった。
どすは、出来るなら移住などしたくなかった。ゆっくりにとって移動は常にかなりのリスクを伴うのだ。
れみりゃなどの捕食種と遭遇するかも知れないし、夕立に遭遇すればどす以外の群れが全滅しないとも限らない。
移住した先に、都合よく食べ物があるとも限らない。食べ物の豊富な場所なら、動物や他の群れの縄張りかも知れない。
だが此の侭では、いずれ群れは遠からず飢餓状態へと陥いる。
そうなれば、遅かれ早かれ人里へと押し掛けるしかなくなるだろう。
此のどすは、悪い意味で責任感が強かった。何とか群れの皆を助けたかった。
その為なら、他のゆっくりの群れや、ましてや人間が犠牲になっても仕方ないと考えていた。
だけど、なにが最善の道なのかどすにも分からないのだ。
今までは何とかなった。これからも何とかなるかも知れない。
都合よく近場で食べ物の豊富な場所が見つかるかも知れない。つい先日も、思わぬ所に大きな紫陽花が見つかった。
よく探せば、丘陵の中でまだ食べ物の取れる場所が在るのではないか。
か細い希望に望みを掛けながら、どすは残された日々を虚しく浪費していた。
東の空にようやく曙光が差し始める早朝。
ゆうかが高台に行くと、相も変わらずめーりんは其処にいた。
紫陽花に目をやってからホッとする。
もしやという不安もあったが、めーりんは紫陽花に口を付けなかったようだ。
この日はゆうかが紫陽花に水をやり始めると、めーりんも見よう見真似で作業を手伝い始めた。
二人掛かりの水やりはあっという間に終わり、まだ気持のいい風が吹いている高台の庭園で二匹は体を休める。
めーりんの傍らでゆうかも紫陽花を見上げた。
四方八方に枝を伸ばしたそれは、二匹の頭上に鮮やかな群青色の小宇宙を展開していた。
丁度、人間が満開の桜を見とれるように、二匹はしばし爽やかな風にそよぐ紫陽花の根元で時を過ごした。
ゆうかは、ふと疑問を抱いた。
それにしても、めーりんは随分と早起きだった。
ゆうかが家を出た頃には、まだ周囲は黎明前の薄闇に包まれていたと云うのに。
もしかして一晩中、此処にいたのだろうか?
「あなた家に戻らなかったの?」
「じゃおおーん」
鳴き声で返事をするめーりん。心なしか昨日よりやつれているように見えた。
「何か食べたの?」
不思議に思って辺りを見回すと、周囲の雑草などに齧られた跡が在った。
その辺をちょっと廻って、ゆうかは手早く木の実や柔らかな葉、虫などを集めて廻った。
緑豊かな庭園は、花以外にもゆっくりの食べられる物が豊富にあった。
むしゃ、じゃおん、むしゃ、じゃおおお、むしゃむしゃ、じゃおおーん
提供された御馳走を食べながら、めーりんが事情を話した。
先日まで木の根元に立派な家を持っていたが、突然やってきたまりさとれいむの番に追い出されてしまったらしい。
途方に暮れ、当て所もなく彷徨っていた所にこの紫陽花を見つけ、見とれているうちに眠ってしまった。
ゆうかは呆れて首を振った。
此の時期、急な夕立ちや台風などでゆっくりは特に命を落としやすい季節だ。
めーりんの皮がいくら頑丈と云っても、所詮はゆっくりだ。
耐水性に関しては、他よりややましという程度でしかない。
「……高台から降りた所に、小さな洞穴が在る」
「じゃお?」
めーりんが首を傾げる。
「右手にある松の木の根元。少し奥まった所よ。狭いと云っても風雨は凌げる」
「じゃおお」
「良ければ、使うといいわ」
「じゃお!」
何時までも紫陽花の下に佇んでいるめーりんをその場に残し、ゆうかは立ち去った。
道々、めーりんが高台へと入りやすいように一本道に配置した尖った石や木の枝を排除していく。
ゆうかから見ても、今年の紫陽花は特に会心の出来だ。
この美の荘厳さや貴重さを理解できる相手なら、感動を共有してもいいのではないか。そう思った。
基本、ゆうか種は孤独な存在だ。他のゆっくりには農耕などの概念が理解できず、
本当は、其処にいるゆうかが花や野菜を育てているにも関わらず、
『野菜や花の生えるゆっくりぷれいすをゆうかが独り占めしている』と誤解を受けやすい。
このゆうかも、友達は少ない。
命の危険も少なく、花を育てられる環境がある今の生活に不満が在る訳では無い。
それでも、時折、誰かと一緒に花を眺めたいなどと考える事も在った。
だが、誰と?
花を食料としか見なしていない一般的なゆっくりたちは論外だ。
きめぇ丸などは、人間並みの知性と高度な感受性を持ち合わせた種だが友にするには危険な存在だ。
知己である他のゆうかたちは、ゆっくりの足で二、三日の場所に住んでいる。
己の大切な花や野菜を放り出して見にくる事など在り得ない。
だから結局、今年も一人で眺めるのだろうとゆうかは思っていた。
あのめーりん。頭は悪そうだったが、性格は良さそうだった。
そもそも見返りもないのに他人を手伝うなど、ゆっくりとして極めて希少な存在だ。
もしかしたら友達になれるかも知れない。
ゆうかは珍しく鼻歌などハミングしながら、帰巣への途上へついた。
心なしか、洞窟へと帰るその足取りもやや軽かったかも知れない。
丘陵へ向かう森の獣道を、ずーり、ずーりと這いずっていく一匹の薄汚れたゆっくりがいた。
「ゆっ、にんげんがあんなにつよいとはけいさんがいだったんだぜ。ひきょうなんだぜ。ずるいんだぜ」
人間を倒すと大口叩いていたあのまりさだ。
あの後、畑を荒らしている所を案の定村人に見つかり、仲間が叩き潰されている合間に逃げて来たのだ。
「でもこのままじゃまりささまがむれにもどれないんだぜ」
狩り(畑荒らし)の言いだしっぺだったまりさが、他のゆっくりを見捨て一人だけ無事に逃げかえったのだ。
そのまま群れへと戻れば、家族を失ったゆっくりたちに糾弾され、制裁は必至である。
「それもこれもどすのせいなんだぜぇ!!」
「むのうなどすのせいでみながうえているからやさしいまりささまがみなにおやさいさんをくわせてやろうとかんがえたのぜ!!」
「ほかのれんちゅうがしんだのはじごうじとくなのぜ!!やつらのあしがおそいからぐずなにんげんなんかにつかまったのぜぇ!!!」
まりさはこの場にいないどすや死んだ仲間たちへと当たり散らすが、状況が好転するわけでもない。
「ゆぅぅ……まりささまはわるくないんだぜ」
力なく呟くと、再びまりさはずーりずーりと獣道を這いずり始めた。
めーりんと出会ってから三日目。
周囲はまだ薄暗い。黎明の陽光が微かに幻想境の山系の稜線を薄闇から浮かび上がらせていた。
他のゆっくりが間違っても起きてこない時間帯。
ゆうかは、昨日ゆっくりの群れに荒されたもう一つの株を調べにいっていた。
途中、栗鼠などの小動物と行きかったが、幸いゆうかには襲い掛かってこなかった。
紫陽花は酷い物だった。紫陽花は、完全に食い荒らされ、根こそぎほじくり返されていた。
その癖、まだ食べられそうな部分も踏みにじられて打ち捨てられている。
(……自分で踏んだものは、もう食べる気がしないのかしら。)
供養の代わりと云う訳ではないが黙祷を捧げていると、一本だけまだ綺麗な紫陽花の枝が落ちているのに気づいた。
「…………」
見つめているうちに、何気なく枝を咥えた。
「……受け取ってくれるかな?」
呟きながら、跳ねるようにしてめーりんの巣へと向かう。
ゆうかは、めーりんと会うのが楽しみになっている自分に気づいていた。
その頃、まりさはようやく丘陵に帰りついていた。足取りも遅くのそのそと登り坂を這いずっていく。
胃も存在しないのに、ぐぐーと顎(?)のあたりが鳴った。
「それにしてもはらがへったのぜ」
周囲を見回すが、此の辺りで取れる美味そうな虫や草などは、軒並みゆっくりたちが喰い尽くしてしまっていた。
地面には、苦い雑草が点々と生えているだけだった。
「こんなものよろこんでたべるのはあのゆうかだけなのぜっ」
文句を云いながらも空腹には勝てない。
まりさが雑草を口に運ぼんでいると、誰かの声が耳に入った。
「……気に入った?」
「……ゃお!」
「付けてあげる。動かないで」
「じゃ、じゃおっ?!」
声のするのは、あの変わり者のゆうかがよくうろついている大して餌の無い禿土の辺りだ。
特に理由が在る訳ではないが、まりさは以前から何となく変わり者のゆうかにゆっくり出来ないものを感じていた。
だから人数がいる時は兎も角、一人きりの時はこの辺りに近づかないようにしていた。
「……このあたりにくるのははじめてなんだぜ」
今も何となく落ち着かないながらも、声の主を探して何気なく岩の陰から覗き込んでみた。
日頃からまりさが馬鹿にしているめーりんが其処にいた。
めーりんが飾りにしている鮮やかな花弁で彩られた紫陽花の枝に、まりさの目は釘付けになる。
無論、美しさに心打たれたのではない。鮮やかな濃紺の花弁がまりさの食欲を激しく刺激する。
「くずのめーりんがうまそうなものもっているのぜ。なまいきなのぜ。まりささまがもらってやるのぜ」
涎を垂らしたまりさが飛び出そうとした時、照れたように頬を赤らめながらも嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねているめーりんに続いて、
ゆうかが物陰から姿を現した。慌ててまりさは岩陰に身を隠す。
「ゆっ、くずめーりんがえさとりのへたくそなゆうかといっしょにいるんだぜ。どういうことなんだぜ?」
何かあると感じたまりさは、二匹の後を尾けて見る事にした。
「これはなにかあるんだぜ……そろーり、そろーり」
ゆうかとめーりんが揃って高台の方向へと向かう。その後ろをまりさが尾けていた。
ゆうかの足は意外と遅いのでまりさが見失う恐れはなかった。
「ゆっ?ここはゆっくりできない『しのがけ』なんだぜ」
めーりんとゆうかは、傾斜となっている岩場の一番右端に在る奥まった箇所から山道へと昇っていく。
「ゆっへっへっ、こんなところからのぼれるみちをみつけるとはさすがまりささまなんだぜ!」
ゆうかは、軽率にも常日頃の慎重さを忘れて周囲の確認を怠っていた。
普段のゆうかなら、まりさのバレバレの尾行に気づかない筈はなかったが、めーりんとの逢瀬に浮かれていたのだ。
此の迂闊な行動に、二匹は高い代価を支払わされる事になる。
二匹の後を尾けて一本道を登っていくまりさは、頂に近づくにつれ植物が増えていくのに気づいた。
タンポポや雛菊、クローバーなど道端には鮮やかに草花が芽吹き、木々は柔らかな葉を青々と茂らせていた。
すぐ目の前のを蝶や羽虫がゆっくりと漂い、道を飛蝗が飛びはね、草の上で雌の蟷螂が捕えた蜻蛉を貪っている。
「ゆっ!こんなゆっくりぷれいすをかくしていたなんてくずめーりんのくせにゆるせないんだぜっ!」
「だけどこんなゆっくりぷれいすをはっけんしたまりささまはやっぱりてんさいなんだぜ。むれのえいゆうなんだぜ!!」
まりさは興奮しながら叫んでいた。
紫陽花を目前にして、ゆうかは微かな胸騒ぎを感じて立ち止まった。
誰か、他にいるような気がした。周囲を見回す。特に違和感は感じない。
「じゃお?」
「なんでもないわ」
「じゃお」
気のせいか。ゆうかは頭を振ってめーりんとの会話を楽しむ事にする。
めーりんが何時ものように紫陽花の前に鎮座した。
「ふふっ、守ってくれるの?」
「じゃお」
めーりんは、何かを守る事に生きがいを見出すと聞いたことが在った。
或いは、この紫陽花を守る対象に定めたのだろうか。
ゆうかはうっとりとした目で、大きく枝を広げた紫陽花を見上げた。
「もうすぐ満開になるわ。その時が一番、きれいに花が開くの」
高台の頂で昼御飯を一緒に済ませ、正午をやや過ぎた頃に二匹は別れた。
時刻は既に夕方。もう間もなく日が沈む。
大して夜目の効かないゆっくりが活動するには、かなり危険な時刻である。
ゆうかは必死で駆けていた。
満開の紫陽花を眺め終わってから、夕刻、家に戻ってもまだゆうかの胸のざわめきは収まらなかった。
胸のざわつきは収まるどころか、徐々に強くなっていく。何かが変だった。
考えてみれば、帰り道で誰一匹ゆっくりの姿を見かけなかった。余りにもゆっくりがいなかった。
いつもは、狩りをするゆっくりの三匹や四匹は必ず見掛けた。こんな事は初めてだった。
余りにも胸がどきどきするので新鮮な空気を吸おうと表に出て、ゆうかは凍りついた。
何匹ものゆっくり家族がゆうかの家の前と小川を通り過ぎていく。
疎らな隊列は、見間違いようもなく真っ直ぐ高台の方へと伸びていた。
「おきゃーしゃん。れいみゅおなきゃすいちゃよ!!」
「まりちゃもすいちゃよっ!!」
「ゆっゆっ、もうすぐだよ。みんな、すぐにおいしいごはんをおなかいっぱいたべられるからね」
駄々をこねる赤まりさと赤れいむを母れいむが叱り飛ばしていた。
間違いない。わたしの庭園が見つかったのだ。
ゆうかの全身から力が抜ける。あの時、やはり誰かに見られていたのか。
思えば、めーりんと会っていた頃から、微かな違和感を感じてはいたのだ。
だが、その虫の予感をゆうかは受け流していた。自業自得か。
「ゆっ、おきゃあしゃん。むきょうきゃらだれきゃくるよ!」
赤ゆの一匹が声を上げる。高台の方から転がるように駆けてきたのは、ゆっくりぱちゅりー。
れいむ一家の前で立ち止まった。
このぱちゅりーはぱちゅりー種にしては珍しく身体能力が高く、群れでの相談役も務めていた。
「むきゅー、むきゅー、れいむっ!まだいかないほうがいいわ!」
「ゆっ、どうしてそんなこというの、ぱちゅりー!ちびちゃんたちがおなかをすかせているのよっ!?」
「むきゅ!くずのめーりんがあばれているのよ!」
息を整えながら、れいむに事情を説明するぱちゅりー。すぐ傍らで真剣な眼になったゆうかが耳を欹てている事も気にしない。
「ゆっくりぷれいすをひとりじめしようとしてだれもちかづけないのっ!!」
「ゆっ、ゆるせないくずだね、めーりんは。ゆっくりぷれいすはみんなでゆっくりするばしょだよっ!」
まさに自分がめーりんをその家から追い出して乗っ取った事も忘れて、義憤に駆られたれいむはめーりんを罵った。
「むきゅ!こうしてはいられないわ!いまからどすをよびに…………」
ゆうかは二匹の会話を最後まで聞いていなかった。
めーりん!彼女はまだあそこにいるのか。しかも一人で戦っている。
紫陽花の庭園へ向かって、ゆうかは全速力で跳ね始める。
高台への抜け道から石や木を排除した事は裏目に出た。
それでも罠の全てを排除したわけでは無い。
其処此処に足の裏を怪我し、道端でゆーゆー呻いているゆっくりたちがいた。
それを全て無視してゆうかは高台の頂へと急ぐ。
途中で雛菊やヒナゲシを貪っているれいむやまりさなども全て無視した。
息を切らせ、汗だくになってゆうかは頂まで走り抜けた。
今の今まで紫陽花を必死で守っていたのだろう。
文字通り、襤褸雑巾のようになっためーりんが地面に倒れ伏し、その周囲を群れのゆっくりたちが取り囲んでいた。
「ゆっ、くずめーりんのくせにまりささまのきれいなかおにきずをつけてくれたんだぜ」
「くずのくせにてこずらせてくれたんだねー。ゆるさないよー」
「さすがとかいはね。いなかもののめーりんなんかわたしたちのてにかかればこのとおりよ」
「よくいうみょん。みょんがこなければおまえたちみんなこのめーりんにやられていたみょん」
めーりんの上で調子に乗ったまりさがぴょんぴょんと飛び跳ねた。ちぇんがめーりんに噛み付き、頬を引っ張る。
衝撃に揺れるめーりんは声一つ発しない。
ゆうかの居る場所からではめーりんが生きているのか、死んでいるのか。それさえ分からない。
こいつら……
ゆうかの頭に餡が昇った。
長い歳月を勝ち目の薄い戦いは避けてきた筈なのに、一瞬で分別も慎重さも何もかもが消しとんだ。
残ったのは、獰猛なまでの憤怒。
ゆうかが黒い疾風となってめーりんを取り囲んでいたゆっくりたちに襲いかかった。
こんな時までも、頭の片隅に冷静さは残していたのだろう。
まず最も手ごわいみょんに後ろから襲いかかる。
「むっ、なにやつ?」
襲撃に気づいたのはさすがに百戦錬磨のみょんだが、ゆうかに背を向けていた為、僅かに反応が遅れた。
その一瞬が致命的だった。背中を大きく食い破られ、次いで圧し掛かったゆうかによってチョコレートを噴出させる。
「びっぐまらぺにすっ!!??」
みょんの咥えていた軽く鋭い木の枝を口の端に咥えると、ゆうかはさらに跳躍した。
そこからのゆうかは、まさに獅子奮迅の働き。否、一方的な殺戮であった。
元々、ゆうか種は捕食種だ。他のゆっくりに比べて体格も力も大きく勝る。
ましてこのゆうかは独り立ちしてから三年。その間、殆ど休まず花の世話をしてきた。
膂力にしろ、咬筋力にしろ、普通のゆっくりなど比較にならないほど発達している。
栄養状態もよく、木の棒の使い方にも慣れ、動きも敏捷。そして怒り狂っていた。
傍で呆然と佇んでいるれいむに圧し掛かり、足を噛み破った。
「ゆぎゃあああああ、いぢゃいいいいいぃぃ!!」
戸惑いながらも戦おうとするまりさの顔面に齧り付き、顔の殆ど半分を抉り取った。
「ゆ゛っぐりでぎないぃぃぃ」
後ろから飛び掛かってきたちぇんを振り向きざまに棒で一撃し、左目を潰した。
「どぼじでごんなごどするのおおおぉぉぉぉ!!??」
襲いかかってきたありすに棒の一撃で切り裂いて、餡子をまき散らした。
「も゛う゛や゛へ゛て゛え゛え゛え゛!!」
逃げようとしたぱちゅりーに圧し掛かり、押し潰した。
「なんでゆうかがごんなにづよいのぉおおおおおおおおおおおおおお??!!」
ゆっくりたちにとっては悪夢だった。たった一匹のゆうかを前に、見知った顔が次々と命を落としていく。
普通のゆうかなら、手強いにしろ大人のゆっくりが五匹も一斉に掛かれば何とか撃退できない事もない。
だが、このゆうかは違った。戦い慣れしており、近寄った奴は、端から目や口を抉りとられた。
振り回す木の棒は、ゆっくりなど簡単に叩き潰し、当たり悪ければ一撃で致命傷を与えた。
過去何十回と戦い、勝ち残ってきた捕食種の戦闘能力は、普通のゆっくりなど比較にするのも馬鹿馬鹿しい。
だけど、それは結局、あくまでゆっくり水準での話でしかなかった。
「ゆがああああああああああああああ!!!」
憤怒を孕んだ絶叫と共に優香の体が大きく弾き飛ばされた。
地面をぽんぽんと転がっていく。
激しい衝撃と苦痛にゆうかの意識が飛びそうになる。
「なんなのごれええええええ!!」
だみ声で絶叫してるのは、黒い帽子の巨大饅頭。群れを統率するどすまりさだった。
「どすぅ、まりざが……ありずのまりざがぁ」
「でいむなんにもじてないのにぃぃぃ!」
泣き叫んでいるゆっくりたち。
紫陽花の庭園には子ゆっくりを含めて大小三十匹以上のゆっくりの死骸と餡が転がり、無傷のゆっくりは殆どいない。
「これはゆうかがやったの?!」
空気を震わせるようなどすの問いかけに気力を回復させ、口々に叫ぶゆっくりたち。
「そうだよ、ゆうかがやったんだよ!」
「どすぅっ!はやくゆっくりごろしをぜーざいじでぇ!」
自分の群れが、大切な仲間が。
食料も豊富なゆっくりぷれいすが見つかって、ようやくゆっくりさせてやれると思ったのに。
どすまりさの怒りは頂点に達した。
「ゆううう!ゆっくりごろしのゆうかはもうゆるさないよ!!」
「許さないのはこっちだぁッ!!」
どすの憤怒を真正面から吹き飛ばすようなゆうかのギラギラと光る激しく強い眼にどすは息を呑んだ。
なんでこいつはこんなめをするんだ。
どすは怯み掛けた自分に気がついて、己を奮起する為に歯を食い縛った。
ひるむひつようなんかない
ただしいのはじぶんだ わるいのはこいつだ
そうだ。おちつけ。じぶんにはどすすぱーくがある。まけるはずはない。
「みんな、ゆっくりさがってね。どすすぱーくでわるいゆうかをやっつけるよ」
ゆうかは歯軋りしながら、どすを睨み続けている。
「どす・すぱー……」
どすは茸を噛み砕こうと口を大きく開いて……
鋭い破裂音と共にどすの口から餡が噴き出した。
「……ゆっ……ぶっ?」
予期せぬ鋭い痛みにどすは反応できない。
ついで白光がどすの体に突き刺さり、その右半身を吹き飛ばす。
「ゆげええええええええ!!いたいよ!!なにがおこったのぉ?」
どすが泣き叫ぶ。
ゆっくりたちは、光線が飛んできたと思しき山道に目を向けて一斉に息を呑んだ。
其処には、何匹ものゆうかが……ゆうかたちが立ち並んでいた。
先頭に立ったゆうかの手にした鉄の棒から、煙が立ち昇っている。
大きなゆうかたちだった。
人間の子供のような手足をした胴付きもいた。猫耳のゆうかがいた。麦わら帽子を被り、手には鍬や猟銃を持っている。
(もっとも、ゆうかにはそれが猟銃だとは分からなかった)
中には成人した人間とそう大きさと体形の変わらないゆうかさえおり、妖怪並みの弾幕をライフルから放ってゆっくりたちを打ち抜いていく。
どすを吹き飛ばしたのは、彼女の一撃だろう。
そしてただ一人、日傘を持った女性。
夢にまで見た向日葵の主。ゆうかにとっての神が其処にいた。
ゆっくり如きには、己の手を煩わせるのも面倒くさいのか。
のうかりんやゆうか、ゆうかにゃんたちがゆっくりたちを一方的に蹂躙していく様を、目を細めて面白そうに眺めてから、
周囲を圧する破裂音と火薬の匂いの中、倒れ伏しているゆうかとめーりんの傍らへと歩み寄ってきた。
状況の変化にゆうかの精神はついていけない。ただ戸惑った表情で、日傘の主を見上げた。
日傘の女性は、この上ない酷薄さを漂わせた冷たい表情から、一転して優しげな笑みを浮かべる。
「紫陽花が私を呼んだわ」
ゆうかは呆然と呟く。
「紫陽花……が?」
「とても大きな声だったわ。此処から夢幻の館に届く位必死な叫びだった」
めーりんが何としても此処だけは必死に守り抜いたのだろう。
他の草花が見るも無惨に食い荒らされているのに比して、紫陽花は、紫陽花だけは奇跡的に美しい姿を保っていた。
「綺麗な紫陽花」
目の前には、ゆうかの恋い焦がれていた幻想境の四季の王。その声にはまぎれもなく賞賛の響きが込められていた。
「じゃ……お」
その時、めーりんが呻いた。生きてる。
死に物狂いの奮戦の代償に、深手を負って倒れ伏しているめーりんの傍にゆうかは慌てて蹲った。
「私の庭園に来ない?」
「……庭園?」
ゆうかはその人を見上げたまま固まった。
「そう……綺麗な花が沢山咲いているのよ」
「……私が」
頭が上手く働かない。ただ一つの言葉だけがぐるぐると頭の中を回っている。
「その子も一緒でもいいのよ?」
何でだろう。自分でも分からなかったけれども、ゆうかは首をふるふると横に振った。
「やめて、やめてね。ゆうかたちはむれのみんなにひどいことをしちゃだめだよ」
動けなくなったどすは、周囲で展開される凄絶な殺戮劇にうっすらと涙を浮かべながら、ゆうかたちに懇願していた。
「どすのおねがいだよ」
冷酷なゆうかたちはどすの声に耳を貸さず、まるで機械のように効率的な動きでゆっくりたちを殺害していく。
どすは相手にされていないにも拘らず、必死の懇願を繰り返していた。
言葉による無力な懇願だけが、今のどすに残された唯一の手段だったからだ。
「どすぅ……たすけてどすぅ」
「どすぅ!までぃざざまをざっざどだずけろおおお!!はやぐじろおおお ごのぐずぅうう!!」
麦わら帽子のゆうかがうっすらと薄笑いを浮かべると、どすの目の前で固まって震えていたゆっくりたちへ猟銃を発砲した。
「あああ!!!」
どすが大きく目を見開いた。
12ゲージの散弾の一撃は、ゆっくりの表皮も餡も全て吹き飛ばした。
其処には、微かな餡子以外、何も残っていない。
「どぼちでごんなごどずるのおおお!!!!ごめんねえええ!みんな……ごめんねええ!!」
だばだばと涙を零しながら絶叫しているどすのこめかみに、別の冷たい銃口が押しつけられた。
重たい衝撃音。どすの視界が永遠の闇へと包まれていく。
断るとは思わなかったのだろう。
周囲のゆうかたちが一瞬、目を見開き、当の本人、向日葵畑の主はおかしそうに微笑んでいた。
「あら。振られちゃった」
くすくすと笑うが怒ってはいないようだ。紫陽花へと近寄っていった。
「一本貰っていいかしら?」
ゆうかが頷くと、まるで紫陽花が自分からその手に抱かれることを望んだかのように、そっと茎がその手に収まった。
「野に咲く花の美しさも、手に塩掛けた花とまた一味違う趣があるものね」
白魚の指で紫陽花の感触を楽しみながら呟くと
「此れはお礼」
今度は何処からか出した向日葵を一つゆうかの頭にそっと付けてくれた。
「やめじぇえええ!!」
「ぐるじ、ぐるじいいい!!」
「だじゅげで、だじゅげぢぇえええ!!ごろじゃないじぇええ!!」
「みゃみゃ、みゃ……ぎゃおおおおお」
「……おが……ごろじで……ごろじでぐだじゃぎぐげぎゃああああ!!!!!!!!」
「やめろぉぉぉ!ぐぞゆうがぁああ!!あがぢゃんがらでをばなぜええ!!」
「……ぱっぴっぷっぺっぽぅ!……っぱっぴぃっぷぅっぺぇっぽぉっ!!!……」
今や丘陵の至る所からゆっくりたちの苦悶と苦痛、絶望と狂気の叫びが鳴り響き、恐怖が大気を満たしていた。
赤ゆたちが餡子を吹き出しながら親を罵り、生れて来た事を呪い、その光景を目の当たりにした親ゆっくりたちは、
泡を吹きながら意味のない命乞いや抵抗を繰り返し、最後にこの上ない苦痛を味わいながら絶望と共に擂り潰されていく。
「片付きました。ヘルコマンダー」
麦わら帽子のゆうかの報告に、大形ライフルのベレー帽のゆうかが頷いた。
紫陽花を左手に、嬉しそうに日傘をクルクルと回しながら彼女が踵を返した。
ゆうかが、無数のゆうかたちもまるで訓練された兵士のようにその後姿に付き従い、夕刻の黄昏の中へと消えていく。
後には何も残らなかった。
ただ押し潰され、破砕され、四散した無数のゆっくりたちの残骸がなければ、夢を見たかと錯覚したかも知れない。
「…………じゃお」
か細い呻き声に我に返ったゆうかは、慌ててめーりんを自分の家へと運び込んだ。
めーりんは食べるのを嫌がったが、栄養の在る餡子の食事に加えて、オオバコなど薬草を使った懸命の手当ての甲斐もあったのだろう。
一ヶ月後、そこには元気に走り回るめーりんの姿が。
あの日以来、丘陵からは二匹を除いた全てのゆっくりの姿が消えていた。
ゆっくりのいなくなった丘陵の生態系は徐々に回復し、本来の姿を取り戻しつつある。
そして今日もゆうかは紫陽花を世話し、めーりんはそんなゆうかの花畑を守っていた。
高台の頂の紫陽花の群生の傍らに身を佇みながら、めーりんは時折、ゆうかが東の方向をじっと眺める事に気づいていた。
そんな時のゆうかは、身動き一つせず、そのまま消えてしまうのではないかとめーりんが恐くなる位に
儚げな、その癖、狂おしい程の情熱を込めた眼差しで幻想境の地平線の果てに見入っているのだ。
その姿を見て、めーりんの心に恐れが湧きあがってくる。
本当は、ゆうかは何処か行きたい場所が在るのではないか。そして自分が邪魔してしまったのではないか。
でも、めーりんが恐る恐るそう訊ねると、ゆうかは優しい微笑みを浮かべて応えるのだった。
此処がわたしの花畑だと
十数匹のゆっくりたちが久しぶりに味わう御馳走に舌鼓をうっていた、
「むーしゃーむーしゃ、しっ、しあわせぇえええ!」
「おいしいんだねー!わかるよー!」
「ちちち、ちんーぽ!」
昨日まで愛情を注いで育てていた紫陽花。
その踏みにじられた花弁を見て、ゆうかは口の端を歪めて苦々しい笑みを浮かべる。
(……もう少しで満開だったのに)
見つからないように場所を工夫した。棘を持つ茨の茂みに囲まれた小さな空き地。
これ以上の隠し場所は思いつかなかった。
だけど、所詮はゆうかも餡子脳だったのか、隠し方が甘かったようだ。
紫陽花は大きくなりすぎた。成長した紫陽花は茨の背丈を越えてしまっていた。
そして真夏となれば、紫陽花の群生は色鮮やかに変化して咲き誇る。
花開いた紫の花弁は、如何しても周囲の目を惹きつけてしまう。
やがて体の小さい子ゆっくりが茨の隙間を潜り抜け、中から成ゆの通り抜けられる道も見出した。
今まで丹念に、丹誠に、精魂こめて世話をしてきた花々は、ゆっくりたちに踏みにじられ、喰い荒されていた。
他のゆうかだったら、怒りに駆られるままゆっくりたちに戦いを挑んだかも知れない。
辛かった。悲しかった。でも、此処で戦っても多勢に無勢。
気の強いまりさがいる。素早いちぇんがいる。棒を巧みに使うみょんがいる。
何匹かは殺せても、結局は、数に飲み込まれ押し潰される事になる。
友達だった別のゆうかのように。
だから、ゆうかは憎悪を飲み込み、憤怒を抑え、茂みに隠れたままそっとその場から立ち去った。
(見たかったなぁ、あの子が満開に咲き誇る姿……きっと綺麗だったろうなぁ)
このゆうかは今年で四歳。ゆっくりとしては結構な長命だった。
死に易い赤ゆ、子ゆっくりの時代を除けば、自然界のゆっくりの寿命は平均しておよそ三ヵ月
二度目の冬を経験する個体が滅多にいない事を鑑みれば、慎重で思慮分別に恵まれた性質が身を助けてきた事は否定できない。
歩きながらも、ゆうかは何とか気を取り直した。
(……今度から、もっと隠し場所を工夫しなくちゃ)
こんな事は今まで何度も在った。花を育ててはそれを失ってきた。
幾度もの喪失を経験して、多少はゆうかも学んでいた。
育んでいる紫陽花は一か所だけではない。常に分散し、数か所の隠れた株を育てるようにしている。
喪失は辛い。これからもこの痛みに慣れる事はけしてない。
だけどもゆうかは、明日も明後日も、戦って散るより苦悩を抱えて生きる方を選ぶだろう。
ああ、とゆっくりらしからぬ懊悩と苦悶を孕んだ吐息を洩らし、ゆうかは深く嘆息した。
たった一輪の花さえ守れないのなら、私は如何して生きてるのだろう、と。
まだゆうかが幼い頃に、一度だけ四季の花の主の姿を遠来から仰ぎ見た事が在った。
花を愛でる最強の妖怪。幻想境で唯一枯れない花。
彼女が育てたのだろう。麗人の足元に咲き誇る朝露に濡れた美しい花々は、鮮やかに色付き、主に似て凛とした輝きさえ放っていた。
そして、ゆうかが他のゆうかと紫陽花の苗木と薔薇の種を交換した際、何気なく耳にした噂話。
美しい花を咲かせた何匹かのゆうかは、彼女に選ばれ、永劫に咲き誇る花の楽園に住む事を許されたと云う。
真実か如何かは分からない。或いは、何処かのゆうかが何気なく口にした願望が無責任な噂になっただけなのかも知れない。
だけれども、何気なく耳にしたその伝説は、若いゆうかの心へと強く焼きついた。
焦がれた。一度で良い。向日葵の主の育てた花々に触れてみたい。近くで心行くまで鑑賞したい。
いいや、違う。あのような花をいつか自分も育てたいのだ。
それは憧憬。
ゆっくりの心のうちにある全てのゆっくり分を押し潰し、残らず焼き尽かさざるを得ないような、まるで地獄烏の核融合のように熱く激しい業火の如き渇望。
その日から、ゆうかはゆっくりできなくなった。
永劫に枯れない花の一つになりたかった。
だが、成長するにつれ、ゆうかは自分の限界を否応となく思い知らされていく。
ゆうかには無理だ。手入れの簡単な紫陽花を世話する事が精一杯の彼女には、到底、向日葵畑の主の目に適うような花を育てる腕などない。
けして手の届かない適わぬ願い。
今日も心の奥底に満たされる想いを燻らせながら、ゆうかはとぼとぼ自分の巣へと這いずっていく。
だから、他のゆっくりたちはそもそも近づいてくることさえ少ない
ゆうかの住処は、丘陵の中腹。石と盛り土に隠蔽された洞穴に在った。
付近一帯の土は剥き出しになっている。ゆっくりたちが元々少ない丘陵の草を蝗のように食いつくしたのだ。
此処には殆どゆっくりに食べられる物はない。
自然な傾斜となっており、ゆっくり出来る場所でもない。
だから、他のゆっくりたちは余り近づかない。
周辺は静まり返っている。
ゆうかは周囲を見回し、ゆっくりの影がない事を確認した。
力の無い通常種には動かすことも難しい入口の石を巧みに動かし、
狭い入口へと潜り込むと、這いずりながら奥へと進んでいく。
洞窟の奥は意外と広がっていた。
殺風景な部屋の四方の土壁を、色褪せた押花だけが彩っている。
部屋でくつろいでから、ゆうかは壁に並んでいる餡子袋の一つに近寄ると噛みついた。
中身を口に含むと、もしゃもしゃと咀嚼する。
餡子袋が微かに震えた。残された目に恐怖と脅えを孕んでゆうかを見上げる。
飾りは千切られ、足を破られ、もはや動くことも喋る事も出来ないそれは、ゆっくりだ。
この巣に近づいたり、あまつさえ巣に入り込んでおうち宣言した愚かなゆっくりは、ゆうかの餌食となる。
近くには、二m級のどすまりさを頂点とする二百匹ほどの群れが生息していた。
この二匹も其処に属していたのだろうが、元々、ゆっくりは死に易い生き物。命も安い。
単独行動していたゆっくりの二匹や三匹が消えた所で、探しにくるゆっくりはいない。
月に二匹か、三匹を狩った所で不審に思うゆっくりもおらず、群れを敵に廻す恐れもなかった。
孤独を好んでいるゆうかだが、別に群れと敵対したい訳では無い。
ゆうか種も一応、捕食種ではあるものの、れみりゃやふらん、れてぃやゆゆこと云った連中に比べれば、
残念ながら体格や力で大きく劣っている。
高度な知性の代償か、捕食種の中では多分、最弱に近い存在だ。
何匹ものゆっくりを敵に回して、無事でいられるほどの力はもたない。
故に、このゆうかも用心深く近くの群れと関わるのを避けていた。
今、ゆうかに生きながら中身を食われているのは、黒い帽子のゆっくりまりさ。隣にいるのは番のれいむ。
五日程前にゆうかの留守中に巣へと潜り込み、おうち宣言した若い二匹だった。
戻ったゆうかは無言で棒を咥えると、あっという間にまりさとれいむを叩きのめした。
適度に暴行を加え、弱らせてから右目を抉り、足を噛み破り、口を喰って、後はゆっくりとも言えない餡子袋へと変えてしまう。
今は、れいむと共にゆうかの食事となっている。
このゆうかには、獲物を痛めつけて喜ぶ習性はない。
生かしているのは苦しめた方が味が良くなるからと、長く保存する為でしかない。
向日葵畑を目にしたあの日以来、ゆうかの心からは花への情熱を除いた一切への興味が薄れていた。
「ゆ゛っ、ゆ゛っ、ゆ゛っ」
まりさは微かに呻き、寒天の瞳が抉られた空洞からも涙を零した。
なんでこんな苦しい目にあうのか。なんでこんな怖い目にあうのか。まりさには分からなかった。
まりさは独り立ちしたばかりの若いゆっくりだった。
幼馴染のれいむと共に実家から旅立ち、その日のうちに誰もいない洞窟を見つけておうちにした。
二人でこの幸運を喜んでいると、この恐ろしいゆうかがやってきた。
余りゆっくりしているとは言い難い雰囲気のゆうかだったけれども、折角おうちにやってきたお客さんだ。
だから、歓迎した。
ここはまりさとれいむのおうちだよ。ゆっくりしていってね。
なのに、ゆうかは襲いかかってきた。
どうしてこんなことをするの?
まりさは、涙に濡れた左目でゆうかを見上げた。
ゆうかは応えない。
ゆっくりとしては、きめぇ丸と並んで例外的に感受性と知性を有するゆうか種だ。
まりさの無言の問いを読みとってはいたが、理由などないのだ。
ゆうかは捕食種で、当たり前に食事をとっているだけ。
苦痛を与えて楽しむ趣味はないし、饅頭との対話ほど不毛なものはないと知っている。
腹八分目で止めておく。この二匹でまだしばらく食い繋げるだろう。
腹も膨れたゆうかは、近場で育てている紫陽花の様子を見に行こうと思い立った。
紫陽花を見に行く途中、五、六匹のゆっくりが近づいてくるのに気づいて、ゆうかは立ち止まった。
ゆうか種は捕食種ではあるが、ふらんやれみりゃなど他の捕食種と違って基本的に雑食性である。
ゆっくりも食べるが、草木や木の実、虫などの食事でも充分に生きていけるし、
ゆうかの中には、(賢い群れ限定だろうが)他のゆっくりに溶け込んで暮らしている個体もいる。
だから、丘陵に棲むゆっくりたちも、自分たちに襲いかかる訳でもなく、
独りで静かに暮らしているゆうかを特に脅威とは見做してなかった。
ゆうかは、その場で狩りの真似事として道端に生えていた雑草に近づいていく。
「ゆっくりしていってね!!」
れいむの挨拶を無視し、いかにも不味そうな草を噛み千切り、無言で咀嚼し続ける。
忌々しい事に、ゆっくりのうちにも花や野菜を育てるゆうか種の習性を知っている奴がいる。
こんな真似でもしないと、時々、御馳走目当てにゆうかの後を付けてくる奴がいるのだ。
「よくそんなまずいくささんをたべられるわね。とかいはじゃないわ」
「ゆうかはえさをとるのがへたなんだねー、わかるよー」
「ちちち、ちんーぽ」
馬鹿にしたように他者を見下すのはゆっくりの習性。
相手にしていないと、妖精にも似て好奇心旺盛な癖に飽きっぽいゆっくりだ。
すぐに飽きると、口々に如何でもいい事を話しながら立ち去っていく。
「ゆゆっ、ゆうかはそこでまずいくささんをたべていてね」
「まりさたちは、これからさとにおりてにんげんのひとりじめしているやさいをたべてくるんだぜ」
「むきゅっ、にんげんさんはきけんよ」
「だいじょうぶだぜ、ぱちゅりー。つよいまりささまがにんげんをやっつけてやるんだぜ」
ゆっくりたちの後ろ姿を侮蔑の眼差しで見送ると、ゆうかはペッと草を吐き捨てた。
馬鹿なゆっくり共。人間は、どすや熊よりも遥かに強いのだ。
火を吹く鉄の棒を持てば、遠く離れた敵も殺せるし、何よりとても頭がいい。
ネズミやカラスに捕食されるゆっくりが、如何して人間に勝てると思えるのだろう。
人間の手下であるわんこやにゃんこのおやつ兼玩具になるのが関の山だ。
怒った人間たちがまた山狩りするような事態になれば、自分もどうなるか分からない。
畑に入る前に見つかって、叩き潰されてしまえばいいのだけど。
ゆっくりたちの愚かさに半分呆れ、半分不思議に思いながら、ゆうかは再び道を跳ね始めた。
紫陽花に近づくにつれて、ゆうかの心は躍っていく。
ゆうかには、ゆっくりたちが言葉として口にするゆっくりプレイスは理解できない。
そもそも普段からゆっくりしているとは言い難いゆうかである。
それでも土を耕し、水をやり、虫を捕り、成長を眺め、香りを楽しむその間だけは心がとても安らいだ。
紫陽花の群生を育てているのは、丘陵の中腹。きつい傾斜となっている岩場を抜けて、やや高台になっている場所だ。
ゆっくりや野生の小動物がよく水を飲みに来る小川に近いが、その先まで行くゆっくりは殆どいない。
きつい傾斜は尖った石があちこちに散らばり、狸や蛇などが徘徊し、絡まり合った木々の根はゆっくりが越えるには険しすぎた。
加えて、わずかな抜け道にもゆうかが根気よく配置した尖った石や木などの死の罠が要所要所に点在している。
動物には何の効果もないが、飛び跳ねるゆっくりの薄い底部にとっては致命的な罠。
現に其処此処に足を破られ、死んでいったゆっくりたちの皮が転がっていた。
だが此処の一本道を抜ければ、頂には青々と草木生い茂る美しい自然の庭園が広がっている。
紫陽花は育てやすい花だ。こんな所にも根を張り、茎を伸ばし、大きく咲き誇ってくれる。
元々、荒れ地だった所をゆうかが根気よく土を耕し、水をやり、肥料を撒き、手入れし続けた成果である。
そして今、季節は真夏。
紫陽花が満開となる、ゆうかが一年のうちでもっとも待ち望んでいた季節である。
此処の紫陽花はとても大きい。ゆっくりから見れば、人から見た樹木のように成長している。
元は、ゆうかの植えたものでは無い。花を育てるにいい場所がないかとゆうかが丘陵を散策していた時に、
偶々、此の場所に辿り着き、朽ち果てかけていた紫陽花の大きな株を見出したのだ。
紫陽花は刺し枝で増える。他の花のように鳥の糞から発芽したり、風に運ばれてくると云う事はない。
何故、此のような場所に紫陽花が咲いているのか。
ゆうかも不思議に思ったが、結局は気にしない事にした。
他のゆうかが世話をしていたのかも知れないし、山登りが趣味の人間が気まぐれに植えたのかも知れない。
兎に角、ゆうかは出会った紫陽花の世話を熱心にして、今は美しく咲き誇ってくれている。
それで充分だと、ゆうかは満足している。
庭園には、紫陽花以外にも薔薇や雛菊、秋桜(コスモス)など、他のゆうかに種を貰った花が植えてある。
今はまだ涼しい風の吹いている朝方。日差しのきつくなる真昼の前に水をやらなければならない。
途中の河で口一杯に水を含み、高台を登りきったゆうかは凍りついた。
鮮やかに咲き誇る紫陽花。その前に緑色の帽子を付けた、丸々とした物体が佇んでいたからだ。
間違いなくゆっくり。ゆっくりで在った。
肌色をしたバレーボール大の饅頭モドキなど、自然界に他に存在していない。
(……ゆっくりが……こんな所にまで……何故……どうやって……私の花に……無事か?……)
ゆうかの胸の内を様々な想いが錯綜する
『殺そう』
まず最初に思いついたのは、自分のささやかな庭園の脅威を排除する事であった。
花畑を見つけられた時、相手が大勢いる時は諦める。だが、少数なら抹殺してきた。
二匹や三匹ならば、それこそ逃げ出す暇も与えずに、葬り去れる。
繰り返すが、ゆうか種は捕食種に属している。(ゆっくり水準としては)相当な強さを持っていた。
幸い、見たところ一匹しかいないようだ。
地面を耕すのに使っている鋭い木の枝を咥えると、ゆうかは無言でじりじりと間合いを詰めていく。
そろーり、そろーりなどと間の抜けた言葉は漏らさない。
と、すぐに相手がめーりんで在る事に気がついた。
さもありなん。
めーりん種の分厚い皮ならば、ゆうかの配置した鋭い石や木を踏み抜いても、足が破れる事はないであろうから。
気付かないのか、動く気力もないのか。
忍び寄るゆうかに無防備に背中をさらしながら、めーりんは微かに体を上下させている。
ゆうかは、これまでに何十匹となくゆっくりを屠ってきた。
時に真正面から、時には奇襲で、時に不意打ちを受け、一対一で、時に大勢やれみりゃを相手に、
様々な状況で戦い、勝ち残ってきた。ゆっくりの急所は熟知している。
今までめーりんと戦った事はなかったが、間違いなく仕留められる筈だ。
近寄るにつれて、めーりんの体が傷だらけである事が分かる。
罠は無駄ではなかったのか、足の裏にも痣が出来ている上、帽子が所々、破けている。
帽子や上半身の擦り傷は、例によって他のゆっくりに虐められたのだろう。
(……どんくさい奴)
言葉を話せないめーりんは、他のゆっくりにとって格好の虐めの対象だ。
考えてみれば不憫な奴でもある。せめて苦しまないよう一息で殺してやる。
思いながら、枝を突き立てようとしてゆうかは気づいた。
めーりんは安らかな寝息を立てていた。紫陽花の前で、無防備に寝ている。
戸惑いながらよく見れば、紫陽花にも齧られた形跡などはない。
昨日立ち去った際のその時、そのままに鮮やかな紫の花弁が綺麗に咲き誇っている。
と、めーりんがぶるっと身震いした。ゆうかは思わず後ずさった。
「じゃおっ!」
パチリと目を見開き、一声鳴いて体を起こすと紫陽花へと向き直る。
そのまま、紫陽花に喰いつくでもなくじっと眺めている。
或いは……もしかしたら、このゆっくりは紫陽花に見とれているのだろうか。
自分たち以外に、花に見とれるような感性を持つゆっくりがいると云う事にゆうかは戸惑った。
やや躊躇してから、ゆうかは口に咥えた枝を下ろした。
その気配を感じたのか。
此処で、ようやくめーりんがゆうかに気づいた。
挨拶するように、じゃおっと元気よく鳴いた。
殺すべきだ。そう思いながらも、ゆうかはしばし躊躇った。
めーりんを推し量るようにまじまじと観察する。
「じゃお?」
めーりんは押し黙ったままのゆうかを見つめる。とゆうかが鋭い枝を加えているのに気がついた。
少し不安になってきたのか、甲高い声でゆうかを威嚇するようにめーりんは鳴き叫んだ。
「じゃおおおおん!!!」
やはり殺そうか。一瞬、そう考えるが、ゆうかの方がだいぶ体が大きいし、
めーりんは足まで傷ついている。殺すのは何時でも出来ると考え直した。
黙って枝を捨てると、めーりんの横を通り過ぎ、口鉄砲の要領で紫陽花に水吹きした。
それからめーりんに向き直った。まず話掛けてみる事にしたのだ。
「花が好きなの?」
「じゃお!じゃおお!じゃおおおおん!」
不安が払拭されたのか、話しかけられて嬉しいのか、めーりんが楽しげに跳ねた。
ゆうかには、何となくめーりんの訴えたい言葉が分かった。
多分、普段から声なき花の声を聞き取ろうと耳を傾けていたからだろう。
(単純な子……に見えるけど)
「じゃおお、じゃお?」
「そう、此れは私が育てているの」
「じゃおおおおん!」
「ええ、見てってもいいわ」
時間を忘れて紫陽花に見とれているめーりんを横目に、ゆうかは紫陽花と河と往復しながら中断していた日課の水運びを開始した。
「じゃお?」
めーりんが不思議そうに見ていたが、ゆうかは無視し、黙々と作業を続けた。
作業が終わった頃には、日差しが少しずつ強くなり始めていた。
「私は行くけれども、貴女は此処にいるの?」
「じゃお」
「そう、此の場所の事は、他のゆっくりには秘密にしてくれる?」
「じゃお!」
今逃がせば、他のゆっくりを案内して、この紫陽花を食べにくるかも知れない。
そんな考えが思い浮かぶが、如何やらめーりんは紫陽花の美しさに感動していた様子だ。
嫌な予感や邪なものも感じなかったし、結局、ゆうかはめーりんに手を出さなかった。
まだ夏。緑萌ゆる季節にも関わらず、丘陵に棲むゆっくりの群れの長であるどすまりさは頭を悩ませていた。
「ゆぅぅ、こまったよ。たべものがたりないよ」
丘陵全体でゆっくりの食べられる物が減ってきているのだ。
群れの十数年に渡る無計画なすっきりーと飽食の結果、生態系のバランスが崩れてきたのである。
此の侭では、遠からず群れが飢餓状態に陥るのは確実だった。
自業自得ではあったが、ゆっくりたちはそうは思わない。またそう思うようではゆっくりではない。
誰かに責任転嫁を行い、罵るのがゆっくりの常だ。
槍玉にあがっているのは、当然、長であるどすまりさであった。
「むきゅ、どうするの。どす?」
不安そうに側近のぱちゅりーが訊ねてくる。
「ゆっ、いざとなったらにんげんさんにたべものをわけてもらうよっ」
そう云い聞かせる事で自分も不安を鎮めてきたが、どすは人間と関わる事に気が進まなかった。
人間は手強い。戦って負けるとは思わないが、群れにも相当な犠牲が出るのは間違いない。
(此のどすはけして頭が悪い訳では無かったが、人間に関しての知識が色々と不足していた)
前々から食物の枯渇を見通して、どすはかなりの食糧を貯めこんできていた。
今はそれを切り崩す事で、辛うじて群れ全体は飢えずに済んでいる。
まだかろうじて余裕が在る。だが、その備蓄も喰い尽くした頃に、丁度冬がやって来るだろう。
どすは、迷っていた。
或いは、他所への移住を試みるべきだろうか。
考えながらも、気が進まなかった。
どすは、出来るなら移住などしたくなかった。ゆっくりにとって移動は常にかなりのリスクを伴うのだ。
れみりゃなどの捕食種と遭遇するかも知れないし、夕立に遭遇すればどす以外の群れが全滅しないとも限らない。
移住した先に、都合よく食べ物があるとも限らない。食べ物の豊富な場所なら、動物や他の群れの縄張りかも知れない。
だが此の侭では、いずれ群れは遠からず飢餓状態へと陥いる。
そうなれば、遅かれ早かれ人里へと押し掛けるしかなくなるだろう。
此のどすは、悪い意味で責任感が強かった。何とか群れの皆を助けたかった。
その為なら、他のゆっくりの群れや、ましてや人間が犠牲になっても仕方ないと考えていた。
だけど、なにが最善の道なのかどすにも分からないのだ。
今までは何とかなった。これからも何とかなるかも知れない。
都合よく近場で食べ物の豊富な場所が見つかるかも知れない。つい先日も、思わぬ所に大きな紫陽花が見つかった。
よく探せば、丘陵の中でまだ食べ物の取れる場所が在るのではないか。
か細い希望に望みを掛けながら、どすは残された日々を虚しく浪費していた。
東の空にようやく曙光が差し始める早朝。
ゆうかが高台に行くと、相も変わらずめーりんは其処にいた。
紫陽花に目をやってからホッとする。
もしやという不安もあったが、めーりんは紫陽花に口を付けなかったようだ。
この日はゆうかが紫陽花に水をやり始めると、めーりんも見よう見真似で作業を手伝い始めた。
二人掛かりの水やりはあっという間に終わり、まだ気持のいい風が吹いている高台の庭園で二匹は体を休める。
めーりんの傍らでゆうかも紫陽花を見上げた。
四方八方に枝を伸ばしたそれは、二匹の頭上に鮮やかな群青色の小宇宙を展開していた。
丁度、人間が満開の桜を見とれるように、二匹はしばし爽やかな風にそよぐ紫陽花の根元で時を過ごした。
ゆうかは、ふと疑問を抱いた。
それにしても、めーりんは随分と早起きだった。
ゆうかが家を出た頃には、まだ周囲は黎明前の薄闇に包まれていたと云うのに。
もしかして一晩中、此処にいたのだろうか?
「あなた家に戻らなかったの?」
「じゃおおーん」
鳴き声で返事をするめーりん。心なしか昨日よりやつれているように見えた。
「何か食べたの?」
不思議に思って辺りを見回すと、周囲の雑草などに齧られた跡が在った。
その辺をちょっと廻って、ゆうかは手早く木の実や柔らかな葉、虫などを集めて廻った。
緑豊かな庭園は、花以外にもゆっくりの食べられる物が豊富にあった。
むしゃ、じゃおん、むしゃ、じゃおおお、むしゃむしゃ、じゃおおーん
提供された御馳走を食べながら、めーりんが事情を話した。
先日まで木の根元に立派な家を持っていたが、突然やってきたまりさとれいむの番に追い出されてしまったらしい。
途方に暮れ、当て所もなく彷徨っていた所にこの紫陽花を見つけ、見とれているうちに眠ってしまった。
ゆうかは呆れて首を振った。
此の時期、急な夕立ちや台風などでゆっくりは特に命を落としやすい季節だ。
めーりんの皮がいくら頑丈と云っても、所詮はゆっくりだ。
耐水性に関しては、他よりややましという程度でしかない。
「……高台から降りた所に、小さな洞穴が在る」
「じゃお?」
めーりんが首を傾げる。
「右手にある松の木の根元。少し奥まった所よ。狭いと云っても風雨は凌げる」
「じゃおお」
「良ければ、使うといいわ」
「じゃお!」
何時までも紫陽花の下に佇んでいるめーりんをその場に残し、ゆうかは立ち去った。
道々、めーりんが高台へと入りやすいように一本道に配置した尖った石や木の枝を排除していく。
ゆうかから見ても、今年の紫陽花は特に会心の出来だ。
この美の荘厳さや貴重さを理解できる相手なら、感動を共有してもいいのではないか。そう思った。
基本、ゆうか種は孤独な存在だ。他のゆっくりには農耕などの概念が理解できず、
本当は、其処にいるゆうかが花や野菜を育てているにも関わらず、
『野菜や花の生えるゆっくりぷれいすをゆうかが独り占めしている』と誤解を受けやすい。
このゆうかも、友達は少ない。
命の危険も少なく、花を育てられる環境がある今の生活に不満が在る訳では無い。
それでも、時折、誰かと一緒に花を眺めたいなどと考える事も在った。
だが、誰と?
花を食料としか見なしていない一般的なゆっくりたちは論外だ。
きめぇ丸などは、人間並みの知性と高度な感受性を持ち合わせた種だが友にするには危険な存在だ。
知己である他のゆうかたちは、ゆっくりの足で二、三日の場所に住んでいる。
己の大切な花や野菜を放り出して見にくる事など在り得ない。
だから結局、今年も一人で眺めるのだろうとゆうかは思っていた。
あのめーりん。頭は悪そうだったが、性格は良さそうだった。
そもそも見返りもないのに他人を手伝うなど、ゆっくりとして極めて希少な存在だ。
もしかしたら友達になれるかも知れない。
ゆうかは珍しく鼻歌などハミングしながら、帰巣への途上へついた。
心なしか、洞窟へと帰るその足取りもやや軽かったかも知れない。
丘陵へ向かう森の獣道を、ずーり、ずーりと這いずっていく一匹の薄汚れたゆっくりがいた。
「ゆっ、にんげんがあんなにつよいとはけいさんがいだったんだぜ。ひきょうなんだぜ。ずるいんだぜ」
人間を倒すと大口叩いていたあのまりさだ。
あの後、畑を荒らしている所を案の定村人に見つかり、仲間が叩き潰されている合間に逃げて来たのだ。
「でもこのままじゃまりささまがむれにもどれないんだぜ」
狩り(畑荒らし)の言いだしっぺだったまりさが、他のゆっくりを見捨て一人だけ無事に逃げかえったのだ。
そのまま群れへと戻れば、家族を失ったゆっくりたちに糾弾され、制裁は必至である。
「それもこれもどすのせいなんだぜぇ!!」
「むのうなどすのせいでみながうえているからやさしいまりささまがみなにおやさいさんをくわせてやろうとかんがえたのぜ!!」
「ほかのれんちゅうがしんだのはじごうじとくなのぜ!!やつらのあしがおそいからぐずなにんげんなんかにつかまったのぜぇ!!!」
まりさはこの場にいないどすや死んだ仲間たちへと当たり散らすが、状況が好転するわけでもない。
「ゆぅぅ……まりささまはわるくないんだぜ」
力なく呟くと、再びまりさはずーりずーりと獣道を這いずり始めた。
めーりんと出会ってから三日目。
周囲はまだ薄暗い。黎明の陽光が微かに幻想境の山系の稜線を薄闇から浮かび上がらせていた。
他のゆっくりが間違っても起きてこない時間帯。
ゆうかは、昨日ゆっくりの群れに荒されたもう一つの株を調べにいっていた。
途中、栗鼠などの小動物と行きかったが、幸いゆうかには襲い掛かってこなかった。
紫陽花は酷い物だった。紫陽花は、完全に食い荒らされ、根こそぎほじくり返されていた。
その癖、まだ食べられそうな部分も踏みにじられて打ち捨てられている。
(……自分で踏んだものは、もう食べる気がしないのかしら。)
供養の代わりと云う訳ではないが黙祷を捧げていると、一本だけまだ綺麗な紫陽花の枝が落ちているのに気づいた。
「…………」
見つめているうちに、何気なく枝を咥えた。
「……受け取ってくれるかな?」
呟きながら、跳ねるようにしてめーりんの巣へと向かう。
ゆうかは、めーりんと会うのが楽しみになっている自分に気づいていた。
その頃、まりさはようやく丘陵に帰りついていた。足取りも遅くのそのそと登り坂を這いずっていく。
胃も存在しないのに、ぐぐーと顎(?)のあたりが鳴った。
「それにしてもはらがへったのぜ」
周囲を見回すが、此の辺りで取れる美味そうな虫や草などは、軒並みゆっくりたちが喰い尽くしてしまっていた。
地面には、苦い雑草が点々と生えているだけだった。
「こんなものよろこんでたべるのはあのゆうかだけなのぜっ」
文句を云いながらも空腹には勝てない。
まりさが雑草を口に運ぼんでいると、誰かの声が耳に入った。
「……気に入った?」
「……ゃお!」
「付けてあげる。動かないで」
「じゃ、じゃおっ?!」
声のするのは、あの変わり者のゆうかがよくうろついている大して餌の無い禿土の辺りだ。
特に理由が在る訳ではないが、まりさは以前から何となく変わり者のゆうかにゆっくり出来ないものを感じていた。
だから人数がいる時は兎も角、一人きりの時はこの辺りに近づかないようにしていた。
「……このあたりにくるのははじめてなんだぜ」
今も何となく落ち着かないながらも、声の主を探して何気なく岩の陰から覗き込んでみた。
日頃からまりさが馬鹿にしているめーりんが其処にいた。
めーりんが飾りにしている鮮やかな花弁で彩られた紫陽花の枝に、まりさの目は釘付けになる。
無論、美しさに心打たれたのではない。鮮やかな濃紺の花弁がまりさの食欲を激しく刺激する。
「くずのめーりんがうまそうなものもっているのぜ。なまいきなのぜ。まりささまがもらってやるのぜ」
涎を垂らしたまりさが飛び出そうとした時、照れたように頬を赤らめながらも嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねているめーりんに続いて、
ゆうかが物陰から姿を現した。慌ててまりさは岩陰に身を隠す。
「ゆっ、くずめーりんがえさとりのへたくそなゆうかといっしょにいるんだぜ。どういうことなんだぜ?」
何かあると感じたまりさは、二匹の後を尾けて見る事にした。
「これはなにかあるんだぜ……そろーり、そろーり」
ゆうかとめーりんが揃って高台の方向へと向かう。その後ろをまりさが尾けていた。
ゆうかの足は意外と遅いのでまりさが見失う恐れはなかった。
「ゆっ?ここはゆっくりできない『しのがけ』なんだぜ」
めーりんとゆうかは、傾斜となっている岩場の一番右端に在る奥まった箇所から山道へと昇っていく。
「ゆっへっへっ、こんなところからのぼれるみちをみつけるとはさすがまりささまなんだぜ!」
ゆうかは、軽率にも常日頃の慎重さを忘れて周囲の確認を怠っていた。
普段のゆうかなら、まりさのバレバレの尾行に気づかない筈はなかったが、めーりんとの逢瀬に浮かれていたのだ。
此の迂闊な行動に、二匹は高い代価を支払わされる事になる。
二匹の後を尾けて一本道を登っていくまりさは、頂に近づくにつれ植物が増えていくのに気づいた。
タンポポや雛菊、クローバーなど道端には鮮やかに草花が芽吹き、木々は柔らかな葉を青々と茂らせていた。
すぐ目の前のを蝶や羽虫がゆっくりと漂い、道を飛蝗が飛びはね、草の上で雌の蟷螂が捕えた蜻蛉を貪っている。
「ゆっ!こんなゆっくりぷれいすをかくしていたなんてくずめーりんのくせにゆるせないんだぜっ!」
「だけどこんなゆっくりぷれいすをはっけんしたまりささまはやっぱりてんさいなんだぜ。むれのえいゆうなんだぜ!!」
まりさは興奮しながら叫んでいた。
紫陽花を目前にして、ゆうかは微かな胸騒ぎを感じて立ち止まった。
誰か、他にいるような気がした。周囲を見回す。特に違和感は感じない。
「じゃお?」
「なんでもないわ」
「じゃお」
気のせいか。ゆうかは頭を振ってめーりんとの会話を楽しむ事にする。
めーりんが何時ものように紫陽花の前に鎮座した。
「ふふっ、守ってくれるの?」
「じゃお」
めーりんは、何かを守る事に生きがいを見出すと聞いたことが在った。
或いは、この紫陽花を守る対象に定めたのだろうか。
ゆうかはうっとりとした目で、大きく枝を広げた紫陽花を見上げた。
「もうすぐ満開になるわ。その時が一番、きれいに花が開くの」
高台の頂で昼御飯を一緒に済ませ、正午をやや過ぎた頃に二匹は別れた。
時刻は既に夕方。もう間もなく日が沈む。
大して夜目の効かないゆっくりが活動するには、かなり危険な時刻である。
ゆうかは必死で駆けていた。
満開の紫陽花を眺め終わってから、夕刻、家に戻ってもまだゆうかの胸のざわめきは収まらなかった。
胸のざわつきは収まるどころか、徐々に強くなっていく。何かが変だった。
考えてみれば、帰り道で誰一匹ゆっくりの姿を見かけなかった。余りにもゆっくりがいなかった。
いつもは、狩りをするゆっくりの三匹や四匹は必ず見掛けた。こんな事は初めてだった。
余りにも胸がどきどきするので新鮮な空気を吸おうと表に出て、ゆうかは凍りついた。
何匹ものゆっくり家族がゆうかの家の前と小川を通り過ぎていく。
疎らな隊列は、見間違いようもなく真っ直ぐ高台の方へと伸びていた。
「おきゃーしゃん。れいみゅおなきゃすいちゃよ!!」
「まりちゃもすいちゃよっ!!」
「ゆっゆっ、もうすぐだよ。みんな、すぐにおいしいごはんをおなかいっぱいたべられるからね」
駄々をこねる赤まりさと赤れいむを母れいむが叱り飛ばしていた。
間違いない。わたしの庭園が見つかったのだ。
ゆうかの全身から力が抜ける。あの時、やはり誰かに見られていたのか。
思えば、めーりんと会っていた頃から、微かな違和感を感じてはいたのだ。
だが、その虫の予感をゆうかは受け流していた。自業自得か。
「ゆっ、おきゃあしゃん。むきょうきゃらだれきゃくるよ!」
赤ゆの一匹が声を上げる。高台の方から転がるように駆けてきたのは、ゆっくりぱちゅりー。
れいむ一家の前で立ち止まった。
このぱちゅりーはぱちゅりー種にしては珍しく身体能力が高く、群れでの相談役も務めていた。
「むきゅー、むきゅー、れいむっ!まだいかないほうがいいわ!」
「ゆっ、どうしてそんなこというの、ぱちゅりー!ちびちゃんたちがおなかをすかせているのよっ!?」
「むきゅ!くずのめーりんがあばれているのよ!」
息を整えながら、れいむに事情を説明するぱちゅりー。すぐ傍らで真剣な眼になったゆうかが耳を欹てている事も気にしない。
「ゆっくりぷれいすをひとりじめしようとしてだれもちかづけないのっ!!」
「ゆっ、ゆるせないくずだね、めーりんは。ゆっくりぷれいすはみんなでゆっくりするばしょだよっ!」
まさに自分がめーりんをその家から追い出して乗っ取った事も忘れて、義憤に駆られたれいむはめーりんを罵った。
「むきゅ!こうしてはいられないわ!いまからどすをよびに…………」
ゆうかは二匹の会話を最後まで聞いていなかった。
めーりん!彼女はまだあそこにいるのか。しかも一人で戦っている。
紫陽花の庭園へ向かって、ゆうかは全速力で跳ね始める。
高台への抜け道から石や木を排除した事は裏目に出た。
それでも罠の全てを排除したわけでは無い。
其処此処に足の裏を怪我し、道端でゆーゆー呻いているゆっくりたちがいた。
それを全て無視してゆうかは高台の頂へと急ぐ。
途中で雛菊やヒナゲシを貪っているれいむやまりさなども全て無視した。
息を切らせ、汗だくになってゆうかは頂まで走り抜けた。
今の今まで紫陽花を必死で守っていたのだろう。
文字通り、襤褸雑巾のようになっためーりんが地面に倒れ伏し、その周囲を群れのゆっくりたちが取り囲んでいた。
「ゆっ、くずめーりんのくせにまりささまのきれいなかおにきずをつけてくれたんだぜ」
「くずのくせにてこずらせてくれたんだねー。ゆるさないよー」
「さすがとかいはね。いなかもののめーりんなんかわたしたちのてにかかればこのとおりよ」
「よくいうみょん。みょんがこなければおまえたちみんなこのめーりんにやられていたみょん」
めーりんの上で調子に乗ったまりさがぴょんぴょんと飛び跳ねた。ちぇんがめーりんに噛み付き、頬を引っ張る。
衝撃に揺れるめーりんは声一つ発しない。
ゆうかの居る場所からではめーりんが生きているのか、死んでいるのか。それさえ分からない。
こいつら……
ゆうかの頭に餡が昇った。
長い歳月を勝ち目の薄い戦いは避けてきた筈なのに、一瞬で分別も慎重さも何もかもが消しとんだ。
残ったのは、獰猛なまでの憤怒。
ゆうかが黒い疾風となってめーりんを取り囲んでいたゆっくりたちに襲いかかった。
こんな時までも、頭の片隅に冷静さは残していたのだろう。
まず最も手ごわいみょんに後ろから襲いかかる。
「むっ、なにやつ?」
襲撃に気づいたのはさすがに百戦錬磨のみょんだが、ゆうかに背を向けていた為、僅かに反応が遅れた。
その一瞬が致命的だった。背中を大きく食い破られ、次いで圧し掛かったゆうかによってチョコレートを噴出させる。
「びっぐまらぺにすっ!!??」
みょんの咥えていた軽く鋭い木の枝を口の端に咥えると、ゆうかはさらに跳躍した。
そこからのゆうかは、まさに獅子奮迅の働き。否、一方的な殺戮であった。
元々、ゆうか種は捕食種だ。他のゆっくりに比べて体格も力も大きく勝る。
ましてこのゆうかは独り立ちしてから三年。その間、殆ど休まず花の世話をしてきた。
膂力にしろ、咬筋力にしろ、普通のゆっくりなど比較にならないほど発達している。
栄養状態もよく、木の棒の使い方にも慣れ、動きも敏捷。そして怒り狂っていた。
傍で呆然と佇んでいるれいむに圧し掛かり、足を噛み破った。
「ゆぎゃあああああ、いぢゃいいいいいぃぃ!!」
戸惑いながらも戦おうとするまりさの顔面に齧り付き、顔の殆ど半分を抉り取った。
「ゆ゛っぐりでぎないぃぃぃ」
後ろから飛び掛かってきたちぇんを振り向きざまに棒で一撃し、左目を潰した。
「どぼじでごんなごどするのおおおぉぉぉぉ!!??」
襲いかかってきたありすに棒の一撃で切り裂いて、餡子をまき散らした。
「も゛う゛や゛へ゛て゛え゛え゛え゛!!」
逃げようとしたぱちゅりーに圧し掛かり、押し潰した。
「なんでゆうかがごんなにづよいのぉおおおおおおおおおおおおおお??!!」
ゆっくりたちにとっては悪夢だった。たった一匹のゆうかを前に、見知った顔が次々と命を落としていく。
普通のゆうかなら、手強いにしろ大人のゆっくりが五匹も一斉に掛かれば何とか撃退できない事もない。
だが、このゆうかは違った。戦い慣れしており、近寄った奴は、端から目や口を抉りとられた。
振り回す木の棒は、ゆっくりなど簡単に叩き潰し、当たり悪ければ一撃で致命傷を与えた。
過去何十回と戦い、勝ち残ってきた捕食種の戦闘能力は、普通のゆっくりなど比較にするのも馬鹿馬鹿しい。
だけど、それは結局、あくまでゆっくり水準での話でしかなかった。
「ゆがああああああああああああああ!!!」
憤怒を孕んだ絶叫と共に優香の体が大きく弾き飛ばされた。
地面をぽんぽんと転がっていく。
激しい衝撃と苦痛にゆうかの意識が飛びそうになる。
「なんなのごれええええええ!!」
だみ声で絶叫してるのは、黒い帽子の巨大饅頭。群れを統率するどすまりさだった。
「どすぅ、まりざが……ありずのまりざがぁ」
「でいむなんにもじてないのにぃぃぃ!」
泣き叫んでいるゆっくりたち。
紫陽花の庭園には子ゆっくりを含めて大小三十匹以上のゆっくりの死骸と餡が転がり、無傷のゆっくりは殆どいない。
「これはゆうかがやったの?!」
空気を震わせるようなどすの問いかけに気力を回復させ、口々に叫ぶゆっくりたち。
「そうだよ、ゆうかがやったんだよ!」
「どすぅっ!はやくゆっくりごろしをぜーざいじでぇ!」
自分の群れが、大切な仲間が。
食料も豊富なゆっくりぷれいすが見つかって、ようやくゆっくりさせてやれると思ったのに。
どすまりさの怒りは頂点に達した。
「ゆううう!ゆっくりごろしのゆうかはもうゆるさないよ!!」
「許さないのはこっちだぁッ!!」
どすの憤怒を真正面から吹き飛ばすようなゆうかのギラギラと光る激しく強い眼にどすは息を呑んだ。
なんでこいつはこんなめをするんだ。
どすは怯み掛けた自分に気がついて、己を奮起する為に歯を食い縛った。
ひるむひつようなんかない
ただしいのはじぶんだ わるいのはこいつだ
そうだ。おちつけ。じぶんにはどすすぱーくがある。まけるはずはない。
「みんな、ゆっくりさがってね。どすすぱーくでわるいゆうかをやっつけるよ」
ゆうかは歯軋りしながら、どすを睨み続けている。
「どす・すぱー……」
どすは茸を噛み砕こうと口を大きく開いて……
鋭い破裂音と共にどすの口から餡が噴き出した。
「……ゆっ……ぶっ?」
予期せぬ鋭い痛みにどすは反応できない。
ついで白光がどすの体に突き刺さり、その右半身を吹き飛ばす。
「ゆげええええええええ!!いたいよ!!なにがおこったのぉ?」
どすが泣き叫ぶ。
ゆっくりたちは、光線が飛んできたと思しき山道に目を向けて一斉に息を呑んだ。
其処には、何匹ものゆうかが……ゆうかたちが立ち並んでいた。
先頭に立ったゆうかの手にした鉄の棒から、煙が立ち昇っている。
大きなゆうかたちだった。
人間の子供のような手足をした胴付きもいた。猫耳のゆうかがいた。麦わら帽子を被り、手には鍬や猟銃を持っている。
(もっとも、ゆうかにはそれが猟銃だとは分からなかった)
中には成人した人間とそう大きさと体形の変わらないゆうかさえおり、妖怪並みの弾幕をライフルから放ってゆっくりたちを打ち抜いていく。
どすを吹き飛ばしたのは、彼女の一撃だろう。
そしてただ一人、日傘を持った女性。
夢にまで見た向日葵の主。ゆうかにとっての神が其処にいた。
ゆっくり如きには、己の手を煩わせるのも面倒くさいのか。
のうかりんやゆうか、ゆうかにゃんたちがゆっくりたちを一方的に蹂躙していく様を、目を細めて面白そうに眺めてから、
周囲を圧する破裂音と火薬の匂いの中、倒れ伏しているゆうかとめーりんの傍らへと歩み寄ってきた。
状況の変化にゆうかの精神はついていけない。ただ戸惑った表情で、日傘の主を見上げた。
日傘の女性は、この上ない酷薄さを漂わせた冷たい表情から、一転して優しげな笑みを浮かべる。
「紫陽花が私を呼んだわ」
ゆうかは呆然と呟く。
「紫陽花……が?」
「とても大きな声だったわ。此処から夢幻の館に届く位必死な叫びだった」
めーりんが何としても此処だけは必死に守り抜いたのだろう。
他の草花が見るも無惨に食い荒らされているのに比して、紫陽花は、紫陽花だけは奇跡的に美しい姿を保っていた。
「綺麗な紫陽花」
目の前には、ゆうかの恋い焦がれていた幻想境の四季の王。その声にはまぎれもなく賞賛の響きが込められていた。
「じゃ……お」
その時、めーりんが呻いた。生きてる。
死に物狂いの奮戦の代償に、深手を負って倒れ伏しているめーりんの傍にゆうかは慌てて蹲った。
「私の庭園に来ない?」
「……庭園?」
ゆうかはその人を見上げたまま固まった。
「そう……綺麗な花が沢山咲いているのよ」
「……私が」
頭が上手く働かない。ただ一つの言葉だけがぐるぐると頭の中を回っている。
「その子も一緒でもいいのよ?」
何でだろう。自分でも分からなかったけれども、ゆうかは首をふるふると横に振った。
「やめて、やめてね。ゆうかたちはむれのみんなにひどいことをしちゃだめだよ」
動けなくなったどすは、周囲で展開される凄絶な殺戮劇にうっすらと涙を浮かべながら、ゆうかたちに懇願していた。
「どすのおねがいだよ」
冷酷なゆうかたちはどすの声に耳を貸さず、まるで機械のように効率的な動きでゆっくりたちを殺害していく。
どすは相手にされていないにも拘らず、必死の懇願を繰り返していた。
言葉による無力な懇願だけが、今のどすに残された唯一の手段だったからだ。
「どすぅ……たすけてどすぅ」
「どすぅ!までぃざざまをざっざどだずけろおおお!!はやぐじろおおお ごのぐずぅうう!!」
麦わら帽子のゆうかがうっすらと薄笑いを浮かべると、どすの目の前で固まって震えていたゆっくりたちへ猟銃を発砲した。
「あああ!!!」
どすが大きく目を見開いた。
12ゲージの散弾の一撃は、ゆっくりの表皮も餡も全て吹き飛ばした。
其処には、微かな餡子以外、何も残っていない。
「どぼちでごんなごどずるのおおお!!!!ごめんねえええ!みんな……ごめんねええ!!」
だばだばと涙を零しながら絶叫しているどすのこめかみに、別の冷たい銃口が押しつけられた。
重たい衝撃音。どすの視界が永遠の闇へと包まれていく。
断るとは思わなかったのだろう。
周囲のゆうかたちが一瞬、目を見開き、当の本人、向日葵畑の主はおかしそうに微笑んでいた。
「あら。振られちゃった」
くすくすと笑うが怒ってはいないようだ。紫陽花へと近寄っていった。
「一本貰っていいかしら?」
ゆうかが頷くと、まるで紫陽花が自分からその手に抱かれることを望んだかのように、そっと茎がその手に収まった。
「野に咲く花の美しさも、手に塩掛けた花とまた一味違う趣があるものね」
白魚の指で紫陽花の感触を楽しみながら呟くと
「此れはお礼」
今度は何処からか出した向日葵を一つゆうかの頭にそっと付けてくれた。
「やめじぇえええ!!」
「ぐるじ、ぐるじいいい!!」
「だじゅげで、だじゅげぢぇえええ!!ごろじゃないじぇええ!!」
「みゃみゃ、みゃ……ぎゃおおおおお」
「……おが……ごろじで……ごろじでぐだじゃぎぐげぎゃああああ!!!!!!!!」
「やめろぉぉぉ!ぐぞゆうがぁああ!!あがぢゃんがらでをばなぜええ!!」
「……ぱっぴっぷっぺっぽぅ!……っぱっぴぃっぷぅっぺぇっぽぉっ!!!……」
今や丘陵の至る所からゆっくりたちの苦悶と苦痛、絶望と狂気の叫びが鳴り響き、恐怖が大気を満たしていた。
赤ゆたちが餡子を吹き出しながら親を罵り、生れて来た事を呪い、その光景を目の当たりにした親ゆっくりたちは、
泡を吹きながら意味のない命乞いや抵抗を繰り返し、最後にこの上ない苦痛を味わいながら絶望と共に擂り潰されていく。
「片付きました。ヘルコマンダー」
麦わら帽子のゆうかの報告に、大形ライフルのベレー帽のゆうかが頷いた。
紫陽花を左手に、嬉しそうに日傘をクルクルと回しながら彼女が踵を返した。
ゆうかが、無数のゆうかたちもまるで訓練された兵士のようにその後姿に付き従い、夕刻の黄昏の中へと消えていく。
後には何も残らなかった。
ただ押し潰され、破砕され、四散した無数のゆっくりたちの残骸がなければ、夢を見たかと錯覚したかも知れない。
「…………じゃお」
か細い呻き声に我に返ったゆうかは、慌ててめーりんを自分の家へと運び込んだ。
めーりんは食べるのを嫌がったが、栄養の在る餡子の食事に加えて、オオバコなど薬草を使った懸命の手当ての甲斐もあったのだろう。
一ヶ月後、そこには元気に走り回るめーりんの姿が。
あの日以来、丘陵からは二匹を除いた全てのゆっくりの姿が消えていた。
ゆっくりのいなくなった丘陵の生態系は徐々に回復し、本来の姿を取り戻しつつある。
そして今日もゆうかは紫陽花を世話し、めーりんはそんなゆうかの花畑を守っていた。
高台の頂の紫陽花の群生の傍らに身を佇みながら、めーりんは時折、ゆうかが東の方向をじっと眺める事に気づいていた。
そんな時のゆうかは、身動き一つせず、そのまま消えてしまうのではないかとめーりんが恐くなる位に
儚げな、その癖、狂おしい程の情熱を込めた眼差しで幻想境の地平線の果てに見入っているのだ。
その姿を見て、めーりんの心に恐れが湧きあがってくる。
本当は、ゆうかは何処か行きたい場所が在るのではないか。そして自分が邪魔してしまったのではないか。
でも、めーりんが恐る恐るそう訊ねると、ゆうかは優しい微笑みを浮かべて応えるのだった。
此処がわたしの花畑だと