ふたば系ゆっくりいじめSS@ WIKIミラー
anko1608 鳴いては落ちる蝉のように
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それは真夏の日のことだった。
まりさは親を亡くして孤児になった。
死因はまったくつまらないものだった。
その日、母親まりさは突風にさらわれた黒帽子を追って、棲家にしていた公園から飛び出し、車に轢き潰された。
母を殺した空舞う帽子は、公園に吹きもどされ静かに着陸した。
まりさはその帽子を家に運び入れて毛布代わりとした。
帽子のなかに入ると、熱がこもって温かかった。
そのぬくもりを母親に見立てて、まりさは寂しさと戦った。
夏はいよいよその勢力を張り、人もけものも、血液のなかを泳いでいるかのように粘り気のある熱気に悩まされている。
樫の大樹が植わっているその公園も、例外ではない。
放棄されて久しい公園の一隅に、襤褸同然のダンボール箱が日光に浴している。その中には、もちぬしを喪った黒帽子が安置されていた。
朝の訪れとともに、黒帽子のつばがひとりでに動きだす。
「うんしょ……うんしょっ……」
持ちあげられた帽子のつばの下からは、そんな掛声が聞こえてくる。
やがて、隙間から幼いまりさが這い出てきた。
帽子の漆黒は色褪せ、肌は埃で薄汚れ、屎尿器のまわりは赤く腫れあがっていた。
まりさは、峨々として聳え立つ黒帽子に振り向いた。
「おきゃーしゃん。ゆっくち、いっちきまちゅ……」
物言わぬ黒帽子に挨拶し、約束の棲家を後にする。
はじめての、母のいない朝だった。
小さな黒帽子が陽光のもとに露出した。太陽は青空深くに没入し、冷え滾る光を地上に投げかけていた。
風は凪ぎ、蝉どものむせび泣きが公園に跳梁していた。
「おにゃか……すいちゃ。……みゅーちゃみゅーちゃしにゃいと。ごはんしゃん……」
まりさの目は、ダンボールの周りに茂っている雑草にむかう。まりさの口が、背丈の低い草に開かれた。
「ゆっ」
草を口にふくむと、たちどころに苦みが口内に充満し、少しあんよが震えた。
「ゆんっ」
掛声とともに、草をひきちぎった。仮借のない苦みが、幼い舌をさかんに鞭打つ。
しばらく、草を頬張ったまま涙をうかべて震えていた。目をつむって吐き気をこらえている。
「むーちゃ……むーちゃ……」
やがて、意を決して咀嚼をはじめた。
草を噛み切ると、そこから汁が染み出して、目を剥くような苦みとなった。
口の端からしたたる緑色の汁が、まりさの顎に線を引く。
「むーちゃ……むーちゃ……。むーちゃ……」
たびたび、呼吸をとめてまでにがみに抗わなくてはならなかった。
雑草は肉質が堅かった。呑み下せる柔らかさを与えるまでに、随分と時を要した。
「ゆぐっ……んっ、んごっ」
唾液と草の練りあわせを、まりさは胃の腑に流し入れる。
苦みはおさまった。だが、体内餡子が苦みと攪拌され、ひどい吐き気に襲われた。
嘔吐感に打ち克つまで、痙攣を余儀なくされた。
歯を食いしばって、餡子の放出をおさえこむ。眩暈がするほどの吐き気に、まりさはよく耐えた。
すると、入れ替わるように、堪えがたい空腹感が再発した。
草を食んでは耐えがたきを耐え、拷問を勝ち抜かなくてはならない。
むろん、成長すれば草から苦みがとれるだろう。
しかしそれまでの道程は果てしなく長く、かつ路上には茨が生えている。
まりさの肛門から、一滴の汁が噴射された。
公園の入口に、人間が立っている。
人間は鎖をまたぎ、黙して公園に侵入した。
その手には、ビニール袋が持たれている。かれはその中を探ってチョコレートを取りだし、細かく砕き、公園の中央にぶちまけた。
黒い雨を見て、まりさの目が潤んだ。
「ゆゆん……あみゃあみゃ……ごちしょうがふっちぇきちゃよ……」
チョコレートなど食べたことはない。だが、人間の撒いたあの黒い破片が至福の源泉であるとは、母から聞かされていた。
口もとからは涎がしたたり、あんよの下で尿と混じった。
「あみゃあみゃ……たべちゃい……」
まりさが、いままさに駆けだそうとした、直後だった。
「むほぉ」
そんな奇声が聞こえてきた。
そして、背後から突進してきた何かに吹き飛ばされた。まりさは衝撃を満身で受け止めざるをえず、草むらの上で回転をくりかえした。
堅い草は幼いまりさにとっては刃物にひとしく、何本もの切り傷がその身にきざまれる。
ようやく回転が止まろうとしたそのとき、
「れいむのむーしゃむーしゃたいむだよっ」
という叫びとともに、また轢かれた。まりさの体が宙に浮き、重力が地面に叩きつけてくる。
目も眩む痛みに打ちひしがれ、痙攣したまま空を仰いだ。
「ゅ……ゅゆ。おぼーち……?」
痛みが引いてくると、まりさは黒帽子の不在に気づく。
「ゆぐっ」
体を起こそうとしたが、ふらついて転倒した。もう一度こころみて、今度は成功した。
あたりを見渡して帽子を探した。すこし離れたところに、それを発見した。
「おぼーちっ、おぼーちっ」
あらん限りの力をあんよに籠めて、まりさは黒帽子に突進した。
帽子を回収し、頭に載せたとき、細く長い溜息をついた。安堵のあまり、肛門から汁が噴き出していた。
ようやく、人間が恵んだあまあまの存在を思い出す。
「あ。あみゃあみゃさん」
まりさは焦り切っていた。
しかし、その必要はなかった。
しあわせぇ。
そんな声が、砂漠の広がっている公園の中心部から轟いてきたからだ。まりさにとっては、夢のように現実感のとぼしい響きだった。
まりさは公園を徘徊した。
草は食べたくなかった。虫を捕まえることは至難だった。花は文字通り高嶺にあった。
やがて草から得た体力も枯渇しはじめ、空腹はいよいよ吼え猛りだした。
まりさは草むらをかきわけ、食べものを探した。
「ゆぅ……」
それを発見したとき、とんがり帽子が垂れ下がった。
まりさの眼前には、汚臭をはなつ黒い物体が鎮座している。
その存在感は、まるで自己主張しているかのようだ。
「ゆぅ……ごはんしゃん……」
まりさは、その物体から視線を切った。
すぐに戻った。
ゆっくりの糞は、体内餡子の古い部分だ。先に入ったものが先に出されるというだけにすぎない。
だから、成分は餡子にひとしい。
だが、それはゆっくりの五官でしか観測されない匂いを醸す。
「ゅん……ごはんしゃんだよ……」
まりさの左目から、一滴の涙が頬を伝った。
その涙には、水と砂糖以外のなにかがふくまれていたらしい。
舌を伸ばして、その先端で餡子糞を舐め取った。
「ひぎっ……」
おもわず、目をつむった。口の中に臭みが荒れ狂っている。
しかし、その一方で甘みがあった。名も知らない草などとは、比較にならない旨さだった。
喉を鳴らして、まりさは胃にそれを流し込む。呑みすぎた空気がげっぷとなって外に出た。
その息には悪臭が宿っており、ひとつ悲鳴を上げてのけぞった。
呼吸を調えると、あらためて黒い物体を見つめた。
水気があり、粘り気もしぶとく残っており、なによりも温かかった。
まりさの脳裏に、解放感に感激しながら排泄を済ませる、みずしらずのゆっくりの顔が浮かんできた。
「ごはんしゃん……」
これ以上歩きまわったところで、ご馳走を見つけられる自信はなかった。
母が生きていたころならば、草の葉は唾液で薄められ、その苦みは除かれていた。
ときどき、虫や木の実も持ってきてくれた。一度だけ、どこから手に入れたのだろう、苺を味わう奇跡も得た。
「おきゃーしゃん……」
かぶりを振って涙を払い、まりさは再び口をあけた。
半分を、一度に口にふくんだ。
失神しそうな甘みと、昇天しそうな臭みとが、渾然一体となってまりさの餡子脳を揺すった。
まりさはのたうちまわり、痙攣を繰りかえした。
しかし、口はかたく閉ざされており、その中身を吐き捨てようとはしなかった。
「むーちゃ……」
歯を突き立てた。
粘り気がじかに伝わってくる。臭みも増した。気を失いそうになった。
それでも、すこしずつ体内に落とし入れてゆく。
まりさは摂取に成功した。
忘却の彼方にあった満腹感が、腹の底から湧出してきた。
だが、そのために流された涙は、喜びのみを源泉とするものではなかった。
日が傾きかけたころ、またも人間が侵入してきた。
そして、やはりチョコレートを砕いて公園に撒いた。
同時に、錆びついた滑り台の下から、樫の樹のふもとに寝そべっている青ビニールの下から、ゆっくりたちが飛び出してきた。
この公園には、複数の家族が棲みついている。しかし群れは形成していない、協力もしていない。独立して毎日を立てている。
あまあまに向かうゆっかりたちは、みな一様に鬼の形相をうかべている。
その殺到ぶりをみて、まりさは足が竦んだ。
「ぎょわい……」
震えるまりさの肛門が、雫をひとつ嘔吐した。
人間は立ちつくしたまま、足もとで饗宴に明け暮れているゆっくりたちを、無表情で見下ろしている。
その手には、ひと振りのバットが持たれていた。
おもむろにかれは金属をふりかざり、感涙にむせび泣いていたゆっくりありすの脳天に、一撃をみまった。
饅頭は衝撃に耐えきれない。眼窩、口、肛門、性器、頭上から、餡子が飛び出して砂を汚した。
「ゆ……」
まりさは、彼方に見えた惨劇に底冷えした。
何匹かは。どろりと崩れる饅頭を見せつけられて、餡子を吐いた。何匹かは失神した。何匹かは逃げた。何匹かは食欲を優先している。
男はありすから金属を引き抜くと、手近に転がっているゆっくりから、その脳漿に金属を叩きこんでいった。
その手つきに淀みはない。すこぶる事務的であり、ひどく機械的だった。
「……にんげんしゃん、わらっちぇりゅ……」
嗤っていた。
「どうちちぇ……?」
疑問を口にするが、答えてくれる存在はもはやいない。
哄笑を上げてゆっくりを撲殺できる存在など、まりさの想像の及ぶところではなかった。
ほどなく、まっさきに逃げだした数匹をのぞき、餌に釣られたゆっくりたちはみな撲殺された。
人間は水道におもむいて武装の汚れを洗い落とすと、ぐるりと公園を見渡し、立ち去った。
まりさは初めて、純粋たる悪意がこの世に存在していることを知る。
震えるあんよを叱咤して、逃げるように家に帰った。
我が家に戻ったとき、まりさの肌は粟立った。
安住の地は、だれのものとも知れない汚物によって包囲されていた。
匂いは、住み慣れた家のなかにまで土足で入ってきて恥じるところを知らなかった。
まりさは、ひとつひとつ汚物をのけなければいけなかった。
処理が済むと、まりさは母の形見である黒帽子に分け入った。
この時だけ、繭に包まるような安らぎを覚えた。
しかしその真綿の中には、針が仕込まれている。ときおり、その針が肌に刺さる。
「……ゅ……おきゃーしゃん……にゃんで……。いにゃくにゃっちゃたの……」
まりさは帽子の中でうつ伏せになり、喪われた包容力に想いを馳せた。
「おきゃー……ゅぐ……?」
母への想いは、有無を言わさず掻き立てられた焦燥によって上塗りされた。
死臭がした。
うちすてられた屍から薫り立つ死臭は、いまや公園全体に広がりつつあった。
噎せかえるような死臭は、ゆっくりたちを問答無用で脅かす。実害がなくても、かれらはかならずそれを嫌う。
この日、ダンボールは風下にあった。
腥風が風穴から流れこみ、這いずりまわって幼いまりさにまとわりつく。
「あめしゃん……」
まりさは雨を望んだ。
それは必ずしもゆっくりできない代物ではあったが、すべてを洗い流してくれる。
「あめしゃん……。ゆっきゅりしにゃいで、いっぱいふっちぇね……?」
望めば、与えられる。
その夜、公園は暴風雨にさらされた。
夕刻、遊具という遊具は西日に濡れて血を流すかのようだった。
しかし、日が完全に沈み切る前に、東の果てから暗雲が隊伍を組んで来襲し、たちまち天蓋を我がものとした。
粘土のような雲は、風をも同伴していた。
夜とともに、水が降りてきた。
やがて雨風は嵐と化した。
まりさは慄然とするしかない。
「ゅ……ぎょわぃ……」
吹きすさぶ風が、崩れるはずのない我が家をもてあそんでいる。
「だいじょぶ、だいじょぶだよ……おきゃーしゃんが、まりしゃをまもりゅよ……」
この家は、まりさにとっては母の庇護の宿る城だ。
だから、崩れるはずはない。
だが、事実として、ダンボールはきしんでいた。
「ぴっ」
またひとつ、暴風が金切り声をあげた。
まったく生きた心地がしなかった。
煉獄が終焉するそのときまで、ひたすら耐え忍ぶしかない。
「おきゃぁしゃん……」
嵐の経験は初めてではない。一度だけ、ある。
しかし、本格的な体験ではなかった。嵐が来るや、その口のなかに避難させてくれたので、まりさは安心と安眠を得た。
目を覚ましたら、空は晴れ渡っていた。嘘のような出来事だった。
「ゆんっ……」
母の帽子のなかに隠れているまりさは、その内側から、形見を口にくわえた。
「……あめしゃん……。かぜしゃん……。はやきゅ……、どきょか、いっちぇね……?」
まりさは祈りを上げた。
直後、突風が吹いて、ダンボールごとまりさをさらった。まりさは浮遊感をおぼえる。
「おしょりゃ――――」
口から、帽子が離される。
この時、まりさは確かに飛んでいた。
大抵のゆっくりが、わずかなりとも地上から引き離されただけで口走るのとはちがい、空を飛ぶと言えるだけの滞空時間があった。
「――――とんでっ」
最後まで言いきることはできなかった。
また、できても無意味だった。
もてあそばれた安らぎの地は、公園を外界から隔離している金網に激突して、その滑空をやめ、墜落した。
まりさの餡子は、数度の衝撃と轟音に耐えられるだけの強度をもっていなかった。
意識が、亀裂から流出する餡子のように、こぼれおちていった。
意識が泥沼から這いあがってくる。まりさは気絶から快復した。すでに轟音も振動もなく、まりさは胸をなで下ろす。
外に出てみた。
悦びと哀しみが転がっていた。
「……いきちぇりゅよぉ……。まりさ、いきちぇりゅよ……」
絞り出すような声とともに、まりさが歓喜にむせびなく。
死骸も綺麗に洗い流されていた。
ただ、暴風の爪痕が痛々しい。
樫の樹はその枝のひとつがへし折られていて、先端が大地をえぐっている。
ステンレスが剥げ落ちた滑り台は、転倒して降り口が空を穿っていた。
緑の葉が群がり落ちているさまは、さながら秋の到来だ。
「ゅぅ……」
まりさの目は、ダンボール箱に注がれていた。
倒れてしまっている。
「ぺーりょ……ぺーりょ……。おうちしゃん……にゃおっちぇね……?」
何度も舐めてみても、無駄だった。
母の遺産をなくしたまりさは、もうひとつの残し物である、黒帽子を求めた。
「おぼーちぃ」
儚い声とともに、潰れたダンボールの中にもぐりこんでゆく、一匹の小饅頭。
廃屋のなかから、悲鳴が漏れた。
やがて這い出てきたまりさの目は、潤み切っていた。
「おきゃーしゃん……。ゆっきゅりしちぇりゅ……」
嵐のために気づいていなかったが、母のぬくもりの宿る黒帽子には、死臭が沁みこんでいた。
それは、死臭が付着しているときに水に濡れてしまったがゆえの現象だった。
温もりに母の庇護を実感する日々は終わりを告げていた。
母の形見は、その不在を主張するだけの存在に成り果てていた。
それを知ったとき、まりさは母を呼んでいた。
「おきゃぁしゃぁん……!」
震えが来た。
涙が出た。
尿が漏れた。
そして、まりさは犬のように空に鳴いた。
ゆっくりの慟哭に耳を澄ませる天空は、憎らしいほどに高く、その青みはきらめきを封じている。
嵐は去っても、飢えは去らない。
朝食は昨日とおなじく、苦みの塊のような雑草だった。
「むーちゃ……。むぅちゃ……。ゅべ……」
何も変わらない。
苦みの艱難は、またしてもまりさを痛めつける。
ただ、水気をふくんだ雑草は、常よりは食みやすく、その苦みはいくぶんか薄められていた。
「むーちゃ……むーちゃ……。にぎゃぃ……」
その感想を口に出すと、余計に苦くなるような気がした。
「むー……ゅぴっ」
まりさが、ゆっくりの気配を感じて顔を上げた。
眼前に、成体のゆっくりれいむがたたずんでいる。巌のような威圧感だった。
爛々と輝くその瞳に、まりさは射すくめられた。
「おぼーち、おぼーちっ」
甲高い声が聞こえた。
成体れいむの足もとには、目を潤ませる赤子まりさがいた。
その頭上には帽子がない。
そして、つぶらな瞳は、物欲しそうに、孤児のまりさの頭上を見つめていた。
だが、まりさには赤子を気にかけている余裕など、針を刺すほども存在していなかった。
「ゅ、ゅ、ゆっきゅり、しちぇいっちぇね……」
噛みならされる歯の隙間から、震える声がしぼりだされた。
「ゆっくりしていってね!」
成体の怒声は、まりさにとって暴力でしかなかった。
まりさは声にならぬ悲鳴とともに、肛門から砂糖水を発し、れいむのあんよを汚した。
れいむはそれに一瞥をくれると、またまりさに視線をもどした。
「……ふん。あやまってね」
「ご、ごべんなざい、ゆりゅしちぇね……わざとじゃ、にゃい……」
「ゆるせないよ」
断ち切るように、れいむは告げた。
「ばつとして おぼうしをいただいていくよ」
反応する暇さえなかった。
まりさの頭上から、黒帽子が強奪される。
「まりちゃのおぼーち、かえしちぇねっ」
悲痛な叫びとともに、成体れいむにとびかかった。本能と焦燥に突き動かされたがゆえの行動だ。彼我の戦力差など、眼中にもなかった。
「ゆん!」
もみあげが一閃した。
飛びかかったまりさに回避する術はなく、横殴りの一撃がまりさの顔面に直撃した。
まりさの口から餡子が飛び、転がる軌道に線をつくる。
「ゅ……ゅげぇ……」
その痛みと衝撃は、のたうちまわる余裕さえ与えてくれなかった。
「……ゅ……っ」
まりさの擦れる視界には、一対の親子が映りこんでいた。
成体れいむは、奪った帽子を、そのまま足もとで震える赤ゆまりさの頭上に戴せていた。
すると、赤ゆまりさの震えはぴたりと止まり、その顔には燦然たる輝きが蘇った。
二匹は揚々とその場を後にする。
「おぼーち……」
まりさはがらくたと化しつつあるあんよに意識を集中させ、這うようにしてれいむを追った。
「おぼーち……かえしちぇね……」
その願いが通じたのだろうか。
見る間に小さくなってゆく親子の後ろ姿が、縮小をやめた。
なにやら物の交換をしている。
二言三言、言葉を交わすと、親子は別れた。
成体れいむだけが、嘔吐物を吐き散らすまりさのもとに戻ってきた。
その口には、黒帽子がくわえられている。
そして、ぱさりと、まりさの眼前に置いた。
「ごめんね! おちびちゃんが きのうの かぜさんで おぼうしを なくしちゃってね! おもわず うばっちゃった。ごめんね!
でもね、おちびちゃんの おぼうしが みつかったの! これは しーしーひっかけたげすに かえしてあげるね!」
まりさにとってはどうでもよかった。無傷で戻ってきた自分の証を、我が子のように見つめている。
「ところでね。まりさは うんうんさんを しゅしょくに しているんだったね! おれいをしてあげるね!」
まりさは顔を上げ、戦慄した。
成体れいむの笑顔は、後光に黒く染まっていた。
すーぱー。うんうん。たいむ。
目のまえで、帽子が生き埋めにされてゆく。
死に物狂いで、まりさは帽子の救出にあたった。口でうんうんを切り崩してゆく。
この日は雲ひとつない青空で、まりさの肌は暴力的な直射日光にさらされた。
今日も今日とて微風さえなく、公園の景色は絵を切り抜いたように止まっている。
やがて、帽子のつばが見えた。一瞬、まりさの瞳に希望が走る。はしと、これを咥えこんだ。
突然、日光が遮られた。
「おにいさん。このゆっくりはなにをしているのかしら?」
まりさは帽子を離した。
諦めたわけではない。
頭上から注がれる声に反応したのでもない。
ただ、帽子をおしつぶしている質量が依然としておおきく、発掘が困難だっただけだった。
だから、口から帽子を離したときに、ようやく自分を見下げる人間の存在に気づいたのだった。
「ふむ。まりさだね。まだ赤子だ」
人間は顎に手をあてて、まりさに観察眼を向けていた。
もう片方の腕のなかには、黄金を梳いたような髪を流す、ゆっくりありすの姿があった。
「まりさ? ぼうしがないわ」
「野良にはよくあることさ。天災、略奪、事故。不幸でお飾りを失くすゆっくりは珍しくない」
「なにそれ。……こわいわ」
と、ありすは声をひそませる。
一方、人間はその恐怖を一笑に伏した。
「はは。ありすは心配性だな。人間の家に住んでいたら、そんなことはまず起こらないよ」
「そうなよ。よかった。それにしても、このゆっくりは……さっきからなにをしているの?」
まりさは、帽子の発掘を再開した。
「……うんうんに顔をつっこんでいるけどねえ」
「うんうん? うそ」
信じがたい、といったふうに目を見開いて訊き返す。
「ほんとうだよ」
「なんで……そんなことするの?」
「恐らくは、食べているんだろうね」
「たべ……」
今度は絶句する。
「どうして?」
「おなかが空いているからさ」
「でも、そんな」
「ありす。食べものはそのあたりに転がっているわけじゃないんだよ。
特に、自然の乏しい都会ではなおさらだ。食料に困り果てて、うんうんに……。これも稀な話じゃない」
ありすは目を伏せた。
「さっき、潰れたダンボールを見つけて喜んでいた親子がいただろう?」
まりさは発掘作業に集中している。
「そうね。そのなかにあったぼうしはすてちゃってたけど」
「家を探すのだって、野良にとっては一苦労さ。ダンボールなんて、野良の中では最高の建材になるんだよ」
「あんなものが?」
「まあね。それに、そうだね、確かに、ダンボールの中で見つかった帽子は排水溝に捨てられちゃったけど、
あれだって本当だったら立派な毛布代わりになっていたはずだよ」
「どうしてすてたのかしら」
「どうやら、死んだゆっくりの匂いが染みついていたみたいだね。捨てて当然さ」
「そんなことって、あるの?」
「稀にね。珍しいことだから彼らも驚いていたね。公園の外の排水溝にまで持っていったのも、それだけ腹に据えかねていたのさ」
「のらって、たいへんなのね」
男は苦笑する。
「安心して。ありすは捨てないよ。君を飼う時に、死ぬまで見守るって決めたんだからね」
「ありがとう。おにいさん」
「普通のことだよ」
「おにいさん、もういいわ。のらのゆっくりがどんなものかみたかったけど……きぶんがわるくなっちゃった」
人間は軽く笑い、夕食にあまあまを出すことを約し、公園から消えていった。
日差しが柔らかくなってきたころに、まりさは帽子の救出に成功した。
その喜びと安堵はひとしおで、滂沱の涙を流すに到った。
しかしほどなく、随喜の声は怨嗟に取って代られた。
「……にゃんで……おうち、にゃいの……?」
まりさは、我が家の不在を知り、困惑した。
崩れ去ったとはいえ、ダンボールは母の遺産の一つだった。
死が薫るとはいえ、母の黒帽子は形見には違いなかった。
影が闇に溶けこみ世界が月光に浸されたそのときまで、まりさは茫然と立ちつくしていた。
夜とはいえ、夏は暑い。まりさを満足させるだけの涼は、ついに得られなかった。
ろくなまどろみを得られぬまま、暁天を迎えた。
「きゃぜしゃん……ふいちぇね……いっぱいふいちぇね……」
草を食み朝露を呑んで当座の体力を得ると、まりさは活動をはじめた。
おうちさがしを、せねばならない。
新居探しは難航した。
先の嵐で住居を喪ったゆっくりが多かった。
とりわけ、ジャングルジムを覆っていたビニールシートが引き剥がされたことは大量の難民を産んだ。
まりさには血で血を洗う過当競争を勝ち抜くだけの知恵も体力もなかった。
家が残った数少ないゆっくりは、希少価値の増した住居を護るのに血眼になっており、
「おうち……」
と、発声しただけでまりさは数度殴打された。
それでも、樫の樹のふもとに行ったときは目を輝かせざるをえなかった。
そこには、喪ったはずの家が蘇っていた。側壁を樹の枝で支えている。
まりさは入口におもむいた。中には、成体のゆっくりれいむとゆっくりまりさ、それと二匹の子供とおぼしき、ちびれいむが入っていた。
「ゆゆ? なんのようなんだぜ」
親まりさは小さな闖入者をねめつけた。震えあがるまりさだったが、勇を振るって口を開いた。
「きょりぇ……まりちゃのおうち……」
涙声で所有権を訴えてみるものの、親れいむの罵声がかぶさってきた。
「これはれいむたちがみつけたんだよ、れいむたちのおうちだよ、おうちせんげんはやめてね!」
親れいむが一気呵成にまくしたてた。ちびれいむは頬を膨らませて闖入者を威圧している。
三方向からの砲火にさらされるまりさだったが、家を諦める気にはなれなかった。
「で、でみょ……」
「うるさいんだぜ!」
親まりさは一足でまりさとの距離をつめて、これを蹴り飛ばした。宙に餡子が舞った。
「おとといきやがれ、なんだぜ」
まりさの頭に、唾が飛んだ。親まりさは悠々と家に引きさがった。
まりさは起きあがった。這いつくばって占領者のところへゆき、再挑戦した。
何も言いきることができぬまま、またも殴られた。
みたび、訪問した。
「おうち……」
「しつこいんだぜ! これはまりさとれいむと、おちびちゃんのものなんだぜ。おまえみたいな うすぎたない ざっしゅのものじゃ ないんだぜ」
そう言うと、まりさから帽子を奪いとった。
「ゆ! おぼーち、まりしゃのおぼーちっ、おぼーちかえちてね、ゆっきゅりしにゃいでかえちてね、まりちゃのおぼーちかえちてね」
親まりさは、ツガイに一瞥をくれた。親れいむが飛んできて、帽子のつばを咥えこむ。
そのまま、両者は黒帽子で綱引きをはじめた。
「やめてね、やめてあげちぇね、おぼーち、いたがっちぇりゅよっ」
まりさは親れいむの横っ腹に突撃を食らわせた。しかし跳ね返されてしまい、痛みを蒙ったのはむしろまりさのほうだった。
繊維が引き裂かれる音がした。
かと思ったら、次の瞬間には、真っ二つに引き裂かれた。
親まりさはそれを回収してダンボールの外に放出する。
「ゅ、ゆゆぅっ」
慌てて追いすがる、まりさ。
「にどとこないでね!」
後ろ姿に、母れいむの罵声が追い打ちをかけた。
「ぺーりょ……ぺーりょ……おぼーちしゃん、おぼーちしゃん、にゃおっちぇね、ゆっきゅりしにゃいでなおっちぇね」
ゆっくりが「ぺーろぺーろ」と呼ぶ行為は、かれらにとって万能の治癒力を秘めている。
実際、母に舐めてもらうといつも痛みが引いていった。だが、このときはその魔力が発揮されることはなかった。
唾液を塗りつけるたびに、帽子の破片は原型をとどめぬいびつな何かへと転じてゆく。
そのとき、風が吹いた。
「ゆゆっ!」
まりさは球体と化した帽子をあんよで留めた。
「ぁ……」
しかし、かたわれは風に流されて空に舞い、やがて青みに溶けていった。
まりさは視線を切り、残された黒帽子を戴冠した。
そして、四度目の訪問と相成った。
「しつこいんだぜ……ぷっ」
親まりさはあきれ顔とともに振り返ったが、まりさの姿を見るなり、噴き出した。
その頭上に載せられている黒帽子は、いまや球体となっていた。
「きゃはは。まりしゃ、きゃっこいい!」
赤ゆのれいむは、遠慮なくまりさの冠を笑い飛ばした。母れいむも震えている。
「なるほど! すきなたべものをあたまにのせてるってわけなんだぜ、けっさくなんだぜ」
「あ、あの、おきゃーしゃんのおぼーち!」
まりさは遮るように叫んだ。
「んん? ぼうしはみてのとおり……おかあさんのおぼうし?」
まりさの目的は、母親の形見へと入れ替わっていた。
「あ、あにょ、おうちに、おぼーち、おきゃーしゃんの、おぼーち、はいっちぇちぇ、そりぇ、きゃえしちぇ」
焦りに満ちた声に、親まりさは顔をしかめる。
「おまえのおかーさんのぼうし……このだんぼーるにはいっていた……?」
親まりさは中空を見つめて記憶を辿った。
やがて、まりさの言い分に思い当たったとき、その目は化け物を見るかのように、恐怖と戦慄の色に染まっていた。
それは、親れいむも同じだった。
「あれ……いるの?」
親れいむは震える声でそう訊いた。まりさの顔が、希望に輝く。
「どきょにありゅにょ、おしぇーちぇ」
両親が、顔を見合わせた。母れいむが怒鳴った。
「やだよ。このゆっくりはゆっくりできないよ! しんでね、きえてね、にどとこないでね!」
親れいむは吐き捨てるように言い放ち、ダンボールの暗がりへと引っこんだ。
「あのおぼうしはすてたんだぜ。ゆっくりできないゆっくりのにおいがしたんだぜ。そんなものをほしがるゆっくりなんて、きみがわるいんだぜ!」
親まりさは本気の打撃を見舞った。
一瞬、まりさの視界に閃光が満ちる。まりさは、樫の樹冠が下ろす影から飛び出るほど、せいだいに転げまわっていた。
陽光の照りつける白い砂のただなかで行動不能に陥っていた。
「いちゃぃ……あちゅぃ……いぢゃぃ……」
訴えても、涙を流しても、体は動いてくれなかった。
「いぢゃぃっ」
あんよが降り上げられた。が、すぐに大地に叩きつけられた。それを何度か繰り返した。
その行動が、ある特定のゆっくりにとっては、誘っているように見えることなど、まりさには思いもよらぬことだった。
「ゆぴっ」
突然、下腹部に壮絶な異物感を覚えた。
あんよから湿り気のある熱が伝導される。
「こんなところに こんなきれいな まむまむがおちてるなんて、ぼーとくよォ」
ありすがいた。
体格はほぼ同じだ。
赤子にも等しいありすが、目を欲望に滾らせて、まりさの幼い性器に己の肉を突き立てていた。
「ありすのあいをそそいであげるわァ」
まりさは悲鳴を上げた。抵抗しようにも力が出ない。体力が枯渇している。
侵略者は、持てる力のすべてを腰振りに注ぎこんだ。
その威力は赤ゆながらにすさまじく、肌が打ちつけられるつど、まりさは前進を強制させられた。
ありすの汗、唾液、精液が、まりさの体に降りそそぐ。打たれた痛みが再発した。熱砂の摩擦が、痛みをとめどもなく殖やしてゆく。
やがてまりさの頭部から、するすると茎が生えていった。しかし、子は成らない。暗黒の種だけが、茎に連なった。
ありすが獣声を発して果てた。
もともと子の成すべき行為ではない。その理由は体力の消耗にある。
精力を使い果たしたありすは、恍惚とした表情をたもったまま、地面に溶けていった。
この赤ゆありすは、嵐のときに散々に揺さぶられ、中途半端にれいぱー化現象を起こした個体だった。
いわば、災害のようなものだった。
まりさは、白熱する沙漠のうえで、残り滓のようになっていた。
足音が聞こえた。
足音が止まった。
人間の声がした。
「ん? ゆっくりがへばってるなぁ……。これは帽子か?
変な帽子……こんなゆっくりいたかな? 茎も生えているし……でも赤子か。なんだこりゃ」
何か、物を探るような音が、まりさの頭上に降り注ぐ。
「これくらいしかないな。ま、なんとかなるか。おい、顔を上げてみな」
言われたとおり、まりさは顔を上げた。
茫然とするしかない。
目のまえに、舌を伸ばせば触れられそうなところに、チョコレートケーキが立っていた。
その光沢は宝石よりもまばゆく、気品さえ感じられる。
「ぁ……あみゃあみゃ……ごちしょう……ごひゃんしゃん……」
「食っていいぞ」
肛門が開き、砂糖水が砂を濡らした。
流れる涙が傷に沁みる。まりさは歯を食いしばって、生ける喜びを噛みしめていた。
「おきゃーしゃん……まりしゃ、あみゃあみゃ、たべりゃれりゅよ……」
人間は腕組みしながら、嗚咽混じりの喜悦の声に耳を澄ませていた。
「まりしゃ、いきちぇりゅよ……」
日光に濡れて、大地は白く輝いていた。
熱砂の舞台にたたずむまりさは、まことに眇たる小ささだ。
しかしいまは、全身全霊で己の存在を満天下に訴えていた。
「おうちしゃん、とりゃれちゃったきぇど、でみょ、いきちぇりゅよ……」
母の記憶が胸によぎる。
遺産は失くした。しかし、母の声、姿、温もりは依然としてまりさの胸に息づき、その鮮烈さは色褪せることがない。
まりさは改めて極上の甘味を見つめた。
「あみゃあみゃしゃん……」
宝物のように、嘘のように幽玄と立ち尽くしている、一切れのチョコレートケーキ。
まりさは、胸の高鳴りを必死で抑えつけつつ、口を開いた。
「あーん」
しかし、すぐに閉じた。
しばし凝然とケーキを見つめた。
「れんしゅう、しにゃいちょ……」
と、言う。
そして、自信なさげに声を出した。
「ち、ちあわちぇ……?」
ぎこちない発音だった。
「えっと……」
まだ何か忘れている気がする。
熟考し、逡巡し、言葉を探り、やがて思い到る。
いただきます、に近い言葉だった。
「まりしゃの。しゅーぴゃー。みゅーしゃみゅーしゃ。ちゃいみゅ。はじみゃりゅよ……ゆぶっ!」
感謝の祈りを捧げ終えたとき、まりさは何者かに突き飛ばされていた。
すでに体力が払底しているまりさにとり、その衝撃は立ち上がれないほどの痛みをもたらした。
擦れる意識は、むさぼりの鳴動によって明瞭となった。
しかし力はもどらない。
はやく、とりかえさないと。
まりしゃのあみゃーみゃをとりかえさにゃいと。
そう想い希い、しかしあんよはまりさの意思に叛逆しつづける。
「れいむはしあわせだよぉ」
結局、まりさを躍動させたのは、自身の意志ではなく、他者の幸福だった。
まりさは跳ねあがって、掠奪者に突撃した。
「まりしゃの、まりしゃの……まりしゃのあみゃーみゃぁっ、まりしゃのあみゃあみゃ、かえちてねっ」
涙ながらの突撃は、
「ふんっ!」
軽々しく跳ね返された。体上がりの瞬間、れいむが体を強張らせただけだった。
「おちびちゃんには どくになる あまさだよ」
れいむは勝ち誇っていた。その口もとは汚らしくチョコレートソースが付着している。
「ゅ……ゅ……」
痙攣するまりさの頭から、茎をもぎとり、吐き捨てた。
「これでも くっててね! できそこないでも くっててね! あっ、じじい! もっとあまあまよこしてね!」
この命令は、れいむにとって今わの際の言葉となった。人間はれいむを蹴りとばしている。
まりさは目のまえに転がっている茎を、舌を伸ばしてこれを掴み、口にはこんだ。
「みゅーちゃ……みゅーちゃ……」
茎にはチョコレートがついていた。そのため、まりさはわずかながらに快復した。
すくなくとも、立ち上がれるほどには。
だから、体を起こした。
人間はまだいる。
まりさを蔑んだ目で見下げていた。
「さっさと食わねえから、そんなことになるんだぞ」
そんなことは言われなくても分かっていた。
「にんげんしゃん……。もっちょ……あみゃあみゃ……」
「食べたいか?」
まりさは顔を輝かせた。
人間は手提げ袋を探り、そのなかから、一かけらのチョコレートを取りだした。
「あみゃあみゃ」
まりさが咆哮する。その視線は、人間の指に挟まれている一かけらに注がれていた。
「ほら!」
人間はそれを、道路に向けて、放り投げた。
ご馳走が放物線を描いて陽炎の中に消えてゆく。
「あみゃあみゃしゃん、あみゃあみゃしゃんっ、まっちぇ!」
走り出した。
公園の外に出た。
アスファルトは焼けるような熱さだった。表面はなめらかではなく、まりさのあんよを間断なく刺激する。
まりさは絶叫し、苦行を選択した。道路に飛び出す。
やがて、まりさは道路の中心へと辿りついた。
あたりを見渡してあまあまを探索する。だが、どこにもみえない。
食欲はいよいよ獰猛さを増し、空腹に鞭をふるって猛らせていた。
しかしその食欲も、急速に接近する軽トラックを前にしては、その手を休めるほかはない。
「あ、ありぇ……?」
逃走をはかったまりさだったが、あんよが動かなかった。
饅頭の皮が、アスファルトの熱を浴びて溶け、張りついてしまっていた。
力を入れても、返されるのは激痛だけだった。
猛獣のような機械が、まりさに飛びかかってくる。
「すぃーしゃん。ゆっきゅりしちぇいっちぇね……?」
哀願が通じたのか。
車輪は、まりさのかたわらを通過した。
と同時に、熱風がまりさを襲う。地面と接合していたあんよが引き千切られる。
激痛は、まりさから意識をえぐりとった。
だが、それも一瞬のこと。
すぐにまりさは認識能力を奪還し、故郷の手前で寝転がっている自分を発見した。
そしてまた、あんよの切断部分とアスファルトがふたたび癒着しているのを知った。
それゆえに、もうすこしだけ、露命は続きそうだった。
人間の姿は、輪郭のみが認められた。
まりさは、口をなんども開閉させていたが、言葉をつむぐには到らなかった。
それを見た人間は、軽く肩をすくめると、公園から踵を返した。
それは真夏の日のことだった。
まりさは永遠にゆっくりした。
死因はまったくつまらないものだった。
(終わり)
投稿作品
anko1603 グロテスクなれいむ(後)
anko1599 グロテスクなれいむ(前)
anko1577 トランクス現象
anko1568 突然変異種まりさ
anko1567 お口を開けると
anko1565 れいむの義務
まりさは親を亡くして孤児になった。
死因はまったくつまらないものだった。
その日、母親まりさは突風にさらわれた黒帽子を追って、棲家にしていた公園から飛び出し、車に轢き潰された。
母を殺した空舞う帽子は、公園に吹きもどされ静かに着陸した。
まりさはその帽子を家に運び入れて毛布代わりとした。
帽子のなかに入ると、熱がこもって温かかった。
そのぬくもりを母親に見立てて、まりさは寂しさと戦った。
夏はいよいよその勢力を張り、人もけものも、血液のなかを泳いでいるかのように粘り気のある熱気に悩まされている。
樫の大樹が植わっているその公園も、例外ではない。
放棄されて久しい公園の一隅に、襤褸同然のダンボール箱が日光に浴している。その中には、もちぬしを喪った黒帽子が安置されていた。
朝の訪れとともに、黒帽子のつばがひとりでに動きだす。
「うんしょ……うんしょっ……」
持ちあげられた帽子のつばの下からは、そんな掛声が聞こえてくる。
やがて、隙間から幼いまりさが這い出てきた。
帽子の漆黒は色褪せ、肌は埃で薄汚れ、屎尿器のまわりは赤く腫れあがっていた。
まりさは、峨々として聳え立つ黒帽子に振り向いた。
「おきゃーしゃん。ゆっくち、いっちきまちゅ……」
物言わぬ黒帽子に挨拶し、約束の棲家を後にする。
はじめての、母のいない朝だった。
小さな黒帽子が陽光のもとに露出した。太陽は青空深くに没入し、冷え滾る光を地上に投げかけていた。
風は凪ぎ、蝉どものむせび泣きが公園に跳梁していた。
「おにゃか……すいちゃ。……みゅーちゃみゅーちゃしにゃいと。ごはんしゃん……」
まりさの目は、ダンボールの周りに茂っている雑草にむかう。まりさの口が、背丈の低い草に開かれた。
「ゆっ」
草を口にふくむと、たちどころに苦みが口内に充満し、少しあんよが震えた。
「ゆんっ」
掛声とともに、草をひきちぎった。仮借のない苦みが、幼い舌をさかんに鞭打つ。
しばらく、草を頬張ったまま涙をうかべて震えていた。目をつむって吐き気をこらえている。
「むーちゃ……むーちゃ……」
やがて、意を決して咀嚼をはじめた。
草を噛み切ると、そこから汁が染み出して、目を剥くような苦みとなった。
口の端からしたたる緑色の汁が、まりさの顎に線を引く。
「むーちゃ……むーちゃ……。むーちゃ……」
たびたび、呼吸をとめてまでにがみに抗わなくてはならなかった。
雑草は肉質が堅かった。呑み下せる柔らかさを与えるまでに、随分と時を要した。
「ゆぐっ……んっ、んごっ」
唾液と草の練りあわせを、まりさは胃の腑に流し入れる。
苦みはおさまった。だが、体内餡子が苦みと攪拌され、ひどい吐き気に襲われた。
嘔吐感に打ち克つまで、痙攣を余儀なくされた。
歯を食いしばって、餡子の放出をおさえこむ。眩暈がするほどの吐き気に、まりさはよく耐えた。
すると、入れ替わるように、堪えがたい空腹感が再発した。
草を食んでは耐えがたきを耐え、拷問を勝ち抜かなくてはならない。
むろん、成長すれば草から苦みがとれるだろう。
しかしそれまでの道程は果てしなく長く、かつ路上には茨が生えている。
まりさの肛門から、一滴の汁が噴射された。
公園の入口に、人間が立っている。
人間は鎖をまたぎ、黙して公園に侵入した。
その手には、ビニール袋が持たれている。かれはその中を探ってチョコレートを取りだし、細かく砕き、公園の中央にぶちまけた。
黒い雨を見て、まりさの目が潤んだ。
「ゆゆん……あみゃあみゃ……ごちしょうがふっちぇきちゃよ……」
チョコレートなど食べたことはない。だが、人間の撒いたあの黒い破片が至福の源泉であるとは、母から聞かされていた。
口もとからは涎がしたたり、あんよの下で尿と混じった。
「あみゃあみゃ……たべちゃい……」
まりさが、いままさに駆けだそうとした、直後だった。
「むほぉ」
そんな奇声が聞こえてきた。
そして、背後から突進してきた何かに吹き飛ばされた。まりさは衝撃を満身で受け止めざるをえず、草むらの上で回転をくりかえした。
堅い草は幼いまりさにとっては刃物にひとしく、何本もの切り傷がその身にきざまれる。
ようやく回転が止まろうとしたそのとき、
「れいむのむーしゃむーしゃたいむだよっ」
という叫びとともに、また轢かれた。まりさの体が宙に浮き、重力が地面に叩きつけてくる。
目も眩む痛みに打ちひしがれ、痙攣したまま空を仰いだ。
「ゅ……ゅゆ。おぼーち……?」
痛みが引いてくると、まりさは黒帽子の不在に気づく。
「ゆぐっ」
体を起こそうとしたが、ふらついて転倒した。もう一度こころみて、今度は成功した。
あたりを見渡して帽子を探した。すこし離れたところに、それを発見した。
「おぼーちっ、おぼーちっ」
あらん限りの力をあんよに籠めて、まりさは黒帽子に突進した。
帽子を回収し、頭に載せたとき、細く長い溜息をついた。安堵のあまり、肛門から汁が噴き出していた。
ようやく、人間が恵んだあまあまの存在を思い出す。
「あ。あみゃあみゃさん」
まりさは焦り切っていた。
しかし、その必要はなかった。
しあわせぇ。
そんな声が、砂漠の広がっている公園の中心部から轟いてきたからだ。まりさにとっては、夢のように現実感のとぼしい響きだった。
まりさは公園を徘徊した。
草は食べたくなかった。虫を捕まえることは至難だった。花は文字通り高嶺にあった。
やがて草から得た体力も枯渇しはじめ、空腹はいよいよ吼え猛りだした。
まりさは草むらをかきわけ、食べものを探した。
「ゆぅ……」
それを発見したとき、とんがり帽子が垂れ下がった。
まりさの眼前には、汚臭をはなつ黒い物体が鎮座している。
その存在感は、まるで自己主張しているかのようだ。
「ゆぅ……ごはんしゃん……」
まりさは、その物体から視線を切った。
すぐに戻った。
ゆっくりの糞は、体内餡子の古い部分だ。先に入ったものが先に出されるというだけにすぎない。
だから、成分は餡子にひとしい。
だが、それはゆっくりの五官でしか観測されない匂いを醸す。
「ゅん……ごはんしゃんだよ……」
まりさの左目から、一滴の涙が頬を伝った。
その涙には、水と砂糖以外のなにかがふくまれていたらしい。
舌を伸ばして、その先端で餡子糞を舐め取った。
「ひぎっ……」
おもわず、目をつむった。口の中に臭みが荒れ狂っている。
しかし、その一方で甘みがあった。名も知らない草などとは、比較にならない旨さだった。
喉を鳴らして、まりさは胃にそれを流し込む。呑みすぎた空気がげっぷとなって外に出た。
その息には悪臭が宿っており、ひとつ悲鳴を上げてのけぞった。
呼吸を調えると、あらためて黒い物体を見つめた。
水気があり、粘り気もしぶとく残っており、なによりも温かかった。
まりさの脳裏に、解放感に感激しながら排泄を済ませる、みずしらずのゆっくりの顔が浮かんできた。
「ごはんしゃん……」
これ以上歩きまわったところで、ご馳走を見つけられる自信はなかった。
母が生きていたころならば、草の葉は唾液で薄められ、その苦みは除かれていた。
ときどき、虫や木の実も持ってきてくれた。一度だけ、どこから手に入れたのだろう、苺を味わう奇跡も得た。
「おきゃーしゃん……」
かぶりを振って涙を払い、まりさは再び口をあけた。
半分を、一度に口にふくんだ。
失神しそうな甘みと、昇天しそうな臭みとが、渾然一体となってまりさの餡子脳を揺すった。
まりさはのたうちまわり、痙攣を繰りかえした。
しかし、口はかたく閉ざされており、その中身を吐き捨てようとはしなかった。
「むーちゃ……」
歯を突き立てた。
粘り気がじかに伝わってくる。臭みも増した。気を失いそうになった。
それでも、すこしずつ体内に落とし入れてゆく。
まりさは摂取に成功した。
忘却の彼方にあった満腹感が、腹の底から湧出してきた。
だが、そのために流された涙は、喜びのみを源泉とするものではなかった。
日が傾きかけたころ、またも人間が侵入してきた。
そして、やはりチョコレートを砕いて公園に撒いた。
同時に、錆びついた滑り台の下から、樫の樹のふもとに寝そべっている青ビニールの下から、ゆっくりたちが飛び出してきた。
この公園には、複数の家族が棲みついている。しかし群れは形成していない、協力もしていない。独立して毎日を立てている。
あまあまに向かうゆっかりたちは、みな一様に鬼の形相をうかべている。
その殺到ぶりをみて、まりさは足が竦んだ。
「ぎょわい……」
震えるまりさの肛門が、雫をひとつ嘔吐した。
人間は立ちつくしたまま、足もとで饗宴に明け暮れているゆっくりたちを、無表情で見下ろしている。
その手には、ひと振りのバットが持たれていた。
おもむろにかれは金属をふりかざり、感涙にむせび泣いていたゆっくりありすの脳天に、一撃をみまった。
饅頭は衝撃に耐えきれない。眼窩、口、肛門、性器、頭上から、餡子が飛び出して砂を汚した。
「ゆ……」
まりさは、彼方に見えた惨劇に底冷えした。
何匹かは。どろりと崩れる饅頭を見せつけられて、餡子を吐いた。何匹かは失神した。何匹かは逃げた。何匹かは食欲を優先している。
男はありすから金属を引き抜くと、手近に転がっているゆっくりから、その脳漿に金属を叩きこんでいった。
その手つきに淀みはない。すこぶる事務的であり、ひどく機械的だった。
「……にんげんしゃん、わらっちぇりゅ……」
嗤っていた。
「どうちちぇ……?」
疑問を口にするが、答えてくれる存在はもはやいない。
哄笑を上げてゆっくりを撲殺できる存在など、まりさの想像の及ぶところではなかった。
ほどなく、まっさきに逃げだした数匹をのぞき、餌に釣られたゆっくりたちはみな撲殺された。
人間は水道におもむいて武装の汚れを洗い落とすと、ぐるりと公園を見渡し、立ち去った。
まりさは初めて、純粋たる悪意がこの世に存在していることを知る。
震えるあんよを叱咤して、逃げるように家に帰った。
我が家に戻ったとき、まりさの肌は粟立った。
安住の地は、だれのものとも知れない汚物によって包囲されていた。
匂いは、住み慣れた家のなかにまで土足で入ってきて恥じるところを知らなかった。
まりさは、ひとつひとつ汚物をのけなければいけなかった。
処理が済むと、まりさは母の形見である黒帽子に分け入った。
この時だけ、繭に包まるような安らぎを覚えた。
しかしその真綿の中には、針が仕込まれている。ときおり、その針が肌に刺さる。
「……ゅ……おきゃーしゃん……にゃんで……。いにゃくにゃっちゃたの……」
まりさは帽子の中でうつ伏せになり、喪われた包容力に想いを馳せた。
「おきゃー……ゅぐ……?」
母への想いは、有無を言わさず掻き立てられた焦燥によって上塗りされた。
死臭がした。
うちすてられた屍から薫り立つ死臭は、いまや公園全体に広がりつつあった。
噎せかえるような死臭は、ゆっくりたちを問答無用で脅かす。実害がなくても、かれらはかならずそれを嫌う。
この日、ダンボールは風下にあった。
腥風が風穴から流れこみ、這いずりまわって幼いまりさにまとわりつく。
「あめしゃん……」
まりさは雨を望んだ。
それは必ずしもゆっくりできない代物ではあったが、すべてを洗い流してくれる。
「あめしゃん……。ゆっきゅりしにゃいで、いっぱいふっちぇね……?」
望めば、与えられる。
その夜、公園は暴風雨にさらされた。
夕刻、遊具という遊具は西日に濡れて血を流すかのようだった。
しかし、日が完全に沈み切る前に、東の果てから暗雲が隊伍を組んで来襲し、たちまち天蓋を我がものとした。
粘土のような雲は、風をも同伴していた。
夜とともに、水が降りてきた。
やがて雨風は嵐と化した。
まりさは慄然とするしかない。
「ゅ……ぎょわぃ……」
吹きすさぶ風が、崩れるはずのない我が家をもてあそんでいる。
「だいじょぶ、だいじょぶだよ……おきゃーしゃんが、まりしゃをまもりゅよ……」
この家は、まりさにとっては母の庇護の宿る城だ。
だから、崩れるはずはない。
だが、事実として、ダンボールはきしんでいた。
「ぴっ」
またひとつ、暴風が金切り声をあげた。
まったく生きた心地がしなかった。
煉獄が終焉するそのときまで、ひたすら耐え忍ぶしかない。
「おきゃぁしゃん……」
嵐の経験は初めてではない。一度だけ、ある。
しかし、本格的な体験ではなかった。嵐が来るや、その口のなかに避難させてくれたので、まりさは安心と安眠を得た。
目を覚ましたら、空は晴れ渡っていた。嘘のような出来事だった。
「ゆんっ……」
母の帽子のなかに隠れているまりさは、その内側から、形見を口にくわえた。
「……あめしゃん……。かぜしゃん……。はやきゅ……、どきょか、いっちぇね……?」
まりさは祈りを上げた。
直後、突風が吹いて、ダンボールごとまりさをさらった。まりさは浮遊感をおぼえる。
「おしょりゃ――――」
口から、帽子が離される。
この時、まりさは確かに飛んでいた。
大抵のゆっくりが、わずかなりとも地上から引き離されただけで口走るのとはちがい、空を飛ぶと言えるだけの滞空時間があった。
「――――とんでっ」
最後まで言いきることはできなかった。
また、できても無意味だった。
もてあそばれた安らぎの地は、公園を外界から隔離している金網に激突して、その滑空をやめ、墜落した。
まりさの餡子は、数度の衝撃と轟音に耐えられるだけの強度をもっていなかった。
意識が、亀裂から流出する餡子のように、こぼれおちていった。
意識が泥沼から這いあがってくる。まりさは気絶から快復した。すでに轟音も振動もなく、まりさは胸をなで下ろす。
外に出てみた。
悦びと哀しみが転がっていた。
「……いきちぇりゅよぉ……。まりさ、いきちぇりゅよ……」
絞り出すような声とともに、まりさが歓喜にむせびなく。
死骸も綺麗に洗い流されていた。
ただ、暴風の爪痕が痛々しい。
樫の樹はその枝のひとつがへし折られていて、先端が大地をえぐっている。
ステンレスが剥げ落ちた滑り台は、転倒して降り口が空を穿っていた。
緑の葉が群がり落ちているさまは、さながら秋の到来だ。
「ゅぅ……」
まりさの目は、ダンボール箱に注がれていた。
倒れてしまっている。
「ぺーりょ……ぺーりょ……。おうちしゃん……にゃおっちぇね……?」
何度も舐めてみても、無駄だった。
母の遺産をなくしたまりさは、もうひとつの残し物である、黒帽子を求めた。
「おぼーちぃ」
儚い声とともに、潰れたダンボールの中にもぐりこんでゆく、一匹の小饅頭。
廃屋のなかから、悲鳴が漏れた。
やがて這い出てきたまりさの目は、潤み切っていた。
「おきゃーしゃん……。ゆっきゅりしちぇりゅ……」
嵐のために気づいていなかったが、母のぬくもりの宿る黒帽子には、死臭が沁みこんでいた。
それは、死臭が付着しているときに水に濡れてしまったがゆえの現象だった。
温もりに母の庇護を実感する日々は終わりを告げていた。
母の形見は、その不在を主張するだけの存在に成り果てていた。
それを知ったとき、まりさは母を呼んでいた。
「おきゃぁしゃぁん……!」
震えが来た。
涙が出た。
尿が漏れた。
そして、まりさは犬のように空に鳴いた。
ゆっくりの慟哭に耳を澄ませる天空は、憎らしいほどに高く、その青みはきらめきを封じている。
嵐は去っても、飢えは去らない。
朝食は昨日とおなじく、苦みの塊のような雑草だった。
「むーちゃ……。むぅちゃ……。ゅべ……」
何も変わらない。
苦みの艱難は、またしてもまりさを痛めつける。
ただ、水気をふくんだ雑草は、常よりは食みやすく、その苦みはいくぶんか薄められていた。
「むーちゃ……むーちゃ……。にぎゃぃ……」
その感想を口に出すと、余計に苦くなるような気がした。
「むー……ゅぴっ」
まりさが、ゆっくりの気配を感じて顔を上げた。
眼前に、成体のゆっくりれいむがたたずんでいる。巌のような威圧感だった。
爛々と輝くその瞳に、まりさは射すくめられた。
「おぼーち、おぼーちっ」
甲高い声が聞こえた。
成体れいむの足もとには、目を潤ませる赤子まりさがいた。
その頭上には帽子がない。
そして、つぶらな瞳は、物欲しそうに、孤児のまりさの頭上を見つめていた。
だが、まりさには赤子を気にかけている余裕など、針を刺すほども存在していなかった。
「ゅ、ゅ、ゆっきゅり、しちぇいっちぇね……」
噛みならされる歯の隙間から、震える声がしぼりだされた。
「ゆっくりしていってね!」
成体の怒声は、まりさにとって暴力でしかなかった。
まりさは声にならぬ悲鳴とともに、肛門から砂糖水を発し、れいむのあんよを汚した。
れいむはそれに一瞥をくれると、またまりさに視線をもどした。
「……ふん。あやまってね」
「ご、ごべんなざい、ゆりゅしちぇね……わざとじゃ、にゃい……」
「ゆるせないよ」
断ち切るように、れいむは告げた。
「ばつとして おぼうしをいただいていくよ」
反応する暇さえなかった。
まりさの頭上から、黒帽子が強奪される。
「まりちゃのおぼーち、かえしちぇねっ」
悲痛な叫びとともに、成体れいむにとびかかった。本能と焦燥に突き動かされたがゆえの行動だ。彼我の戦力差など、眼中にもなかった。
「ゆん!」
もみあげが一閃した。
飛びかかったまりさに回避する術はなく、横殴りの一撃がまりさの顔面に直撃した。
まりさの口から餡子が飛び、転がる軌道に線をつくる。
「ゅ……ゅげぇ……」
その痛みと衝撃は、のたうちまわる余裕さえ与えてくれなかった。
「……ゅ……っ」
まりさの擦れる視界には、一対の親子が映りこんでいた。
成体れいむは、奪った帽子を、そのまま足もとで震える赤ゆまりさの頭上に戴せていた。
すると、赤ゆまりさの震えはぴたりと止まり、その顔には燦然たる輝きが蘇った。
二匹は揚々とその場を後にする。
「おぼーち……」
まりさはがらくたと化しつつあるあんよに意識を集中させ、這うようにしてれいむを追った。
「おぼーち……かえしちぇね……」
その願いが通じたのだろうか。
見る間に小さくなってゆく親子の後ろ姿が、縮小をやめた。
なにやら物の交換をしている。
二言三言、言葉を交わすと、親子は別れた。
成体れいむだけが、嘔吐物を吐き散らすまりさのもとに戻ってきた。
その口には、黒帽子がくわえられている。
そして、ぱさりと、まりさの眼前に置いた。
「ごめんね! おちびちゃんが きのうの かぜさんで おぼうしを なくしちゃってね! おもわず うばっちゃった。ごめんね!
でもね、おちびちゃんの おぼうしが みつかったの! これは しーしーひっかけたげすに かえしてあげるね!」
まりさにとってはどうでもよかった。無傷で戻ってきた自分の証を、我が子のように見つめている。
「ところでね。まりさは うんうんさんを しゅしょくに しているんだったね! おれいをしてあげるね!」
まりさは顔を上げ、戦慄した。
成体れいむの笑顔は、後光に黒く染まっていた。
すーぱー。うんうん。たいむ。
目のまえで、帽子が生き埋めにされてゆく。
死に物狂いで、まりさは帽子の救出にあたった。口でうんうんを切り崩してゆく。
この日は雲ひとつない青空で、まりさの肌は暴力的な直射日光にさらされた。
今日も今日とて微風さえなく、公園の景色は絵を切り抜いたように止まっている。
やがて、帽子のつばが見えた。一瞬、まりさの瞳に希望が走る。はしと、これを咥えこんだ。
突然、日光が遮られた。
「おにいさん。このゆっくりはなにをしているのかしら?」
まりさは帽子を離した。
諦めたわけではない。
頭上から注がれる声に反応したのでもない。
ただ、帽子をおしつぶしている質量が依然としておおきく、発掘が困難だっただけだった。
だから、口から帽子を離したときに、ようやく自分を見下げる人間の存在に気づいたのだった。
「ふむ。まりさだね。まだ赤子だ」
人間は顎に手をあてて、まりさに観察眼を向けていた。
もう片方の腕のなかには、黄金を梳いたような髪を流す、ゆっくりありすの姿があった。
「まりさ? ぼうしがないわ」
「野良にはよくあることさ。天災、略奪、事故。不幸でお飾りを失くすゆっくりは珍しくない」
「なにそれ。……こわいわ」
と、ありすは声をひそませる。
一方、人間はその恐怖を一笑に伏した。
「はは。ありすは心配性だな。人間の家に住んでいたら、そんなことはまず起こらないよ」
「そうなよ。よかった。それにしても、このゆっくりは……さっきからなにをしているの?」
まりさは、帽子の発掘を再開した。
「……うんうんに顔をつっこんでいるけどねえ」
「うんうん? うそ」
信じがたい、といったふうに目を見開いて訊き返す。
「ほんとうだよ」
「なんで……そんなことするの?」
「恐らくは、食べているんだろうね」
「たべ……」
今度は絶句する。
「どうして?」
「おなかが空いているからさ」
「でも、そんな」
「ありす。食べものはそのあたりに転がっているわけじゃないんだよ。
特に、自然の乏しい都会ではなおさらだ。食料に困り果てて、うんうんに……。これも稀な話じゃない」
ありすは目を伏せた。
「さっき、潰れたダンボールを見つけて喜んでいた親子がいただろう?」
まりさは発掘作業に集中している。
「そうね。そのなかにあったぼうしはすてちゃってたけど」
「家を探すのだって、野良にとっては一苦労さ。ダンボールなんて、野良の中では最高の建材になるんだよ」
「あんなものが?」
「まあね。それに、そうだね、確かに、ダンボールの中で見つかった帽子は排水溝に捨てられちゃったけど、
あれだって本当だったら立派な毛布代わりになっていたはずだよ」
「どうしてすてたのかしら」
「どうやら、死んだゆっくりの匂いが染みついていたみたいだね。捨てて当然さ」
「そんなことって、あるの?」
「稀にね。珍しいことだから彼らも驚いていたね。公園の外の排水溝にまで持っていったのも、それだけ腹に据えかねていたのさ」
「のらって、たいへんなのね」
男は苦笑する。
「安心して。ありすは捨てないよ。君を飼う時に、死ぬまで見守るって決めたんだからね」
「ありがとう。おにいさん」
「普通のことだよ」
「おにいさん、もういいわ。のらのゆっくりがどんなものかみたかったけど……きぶんがわるくなっちゃった」
人間は軽く笑い、夕食にあまあまを出すことを約し、公園から消えていった。
日差しが柔らかくなってきたころに、まりさは帽子の救出に成功した。
その喜びと安堵はひとしおで、滂沱の涙を流すに到った。
しかしほどなく、随喜の声は怨嗟に取って代られた。
「……にゃんで……おうち、にゃいの……?」
まりさは、我が家の不在を知り、困惑した。
崩れ去ったとはいえ、ダンボールは母の遺産の一つだった。
死が薫るとはいえ、母の黒帽子は形見には違いなかった。
影が闇に溶けこみ世界が月光に浸されたそのときまで、まりさは茫然と立ちつくしていた。
夜とはいえ、夏は暑い。まりさを満足させるだけの涼は、ついに得られなかった。
ろくなまどろみを得られぬまま、暁天を迎えた。
「きゃぜしゃん……ふいちぇね……いっぱいふいちぇね……」
草を食み朝露を呑んで当座の体力を得ると、まりさは活動をはじめた。
おうちさがしを、せねばならない。
新居探しは難航した。
先の嵐で住居を喪ったゆっくりが多かった。
とりわけ、ジャングルジムを覆っていたビニールシートが引き剥がされたことは大量の難民を産んだ。
まりさには血で血を洗う過当競争を勝ち抜くだけの知恵も体力もなかった。
家が残った数少ないゆっくりは、希少価値の増した住居を護るのに血眼になっており、
「おうち……」
と、発声しただけでまりさは数度殴打された。
それでも、樫の樹のふもとに行ったときは目を輝かせざるをえなかった。
そこには、喪ったはずの家が蘇っていた。側壁を樹の枝で支えている。
まりさは入口におもむいた。中には、成体のゆっくりれいむとゆっくりまりさ、それと二匹の子供とおぼしき、ちびれいむが入っていた。
「ゆゆ? なんのようなんだぜ」
親まりさは小さな闖入者をねめつけた。震えあがるまりさだったが、勇を振るって口を開いた。
「きょりぇ……まりちゃのおうち……」
涙声で所有権を訴えてみるものの、親れいむの罵声がかぶさってきた。
「これはれいむたちがみつけたんだよ、れいむたちのおうちだよ、おうちせんげんはやめてね!」
親れいむが一気呵成にまくしたてた。ちびれいむは頬を膨らませて闖入者を威圧している。
三方向からの砲火にさらされるまりさだったが、家を諦める気にはなれなかった。
「で、でみょ……」
「うるさいんだぜ!」
親まりさは一足でまりさとの距離をつめて、これを蹴り飛ばした。宙に餡子が舞った。
「おとといきやがれ、なんだぜ」
まりさの頭に、唾が飛んだ。親まりさは悠々と家に引きさがった。
まりさは起きあがった。這いつくばって占領者のところへゆき、再挑戦した。
何も言いきることができぬまま、またも殴られた。
みたび、訪問した。
「おうち……」
「しつこいんだぜ! これはまりさとれいむと、おちびちゃんのものなんだぜ。おまえみたいな うすぎたない ざっしゅのものじゃ ないんだぜ」
そう言うと、まりさから帽子を奪いとった。
「ゆ! おぼーち、まりしゃのおぼーちっ、おぼーちかえちてね、ゆっきゅりしにゃいでかえちてね、まりちゃのおぼーちかえちてね」
親まりさは、ツガイに一瞥をくれた。親れいむが飛んできて、帽子のつばを咥えこむ。
そのまま、両者は黒帽子で綱引きをはじめた。
「やめてね、やめてあげちぇね、おぼーち、いたがっちぇりゅよっ」
まりさは親れいむの横っ腹に突撃を食らわせた。しかし跳ね返されてしまい、痛みを蒙ったのはむしろまりさのほうだった。
繊維が引き裂かれる音がした。
かと思ったら、次の瞬間には、真っ二つに引き裂かれた。
親まりさはそれを回収してダンボールの外に放出する。
「ゅ、ゆゆぅっ」
慌てて追いすがる、まりさ。
「にどとこないでね!」
後ろ姿に、母れいむの罵声が追い打ちをかけた。
「ぺーりょ……ぺーりょ……おぼーちしゃん、おぼーちしゃん、にゃおっちぇね、ゆっきゅりしにゃいでなおっちぇね」
ゆっくりが「ぺーろぺーろ」と呼ぶ行為は、かれらにとって万能の治癒力を秘めている。
実際、母に舐めてもらうといつも痛みが引いていった。だが、このときはその魔力が発揮されることはなかった。
唾液を塗りつけるたびに、帽子の破片は原型をとどめぬいびつな何かへと転じてゆく。
そのとき、風が吹いた。
「ゆゆっ!」
まりさは球体と化した帽子をあんよで留めた。
「ぁ……」
しかし、かたわれは風に流されて空に舞い、やがて青みに溶けていった。
まりさは視線を切り、残された黒帽子を戴冠した。
そして、四度目の訪問と相成った。
「しつこいんだぜ……ぷっ」
親まりさはあきれ顔とともに振り返ったが、まりさの姿を見るなり、噴き出した。
その頭上に載せられている黒帽子は、いまや球体となっていた。
「きゃはは。まりしゃ、きゃっこいい!」
赤ゆのれいむは、遠慮なくまりさの冠を笑い飛ばした。母れいむも震えている。
「なるほど! すきなたべものをあたまにのせてるってわけなんだぜ、けっさくなんだぜ」
「あ、あの、おきゃーしゃんのおぼーち!」
まりさは遮るように叫んだ。
「んん? ぼうしはみてのとおり……おかあさんのおぼうし?」
まりさの目的は、母親の形見へと入れ替わっていた。
「あ、あにょ、おうちに、おぼーち、おきゃーしゃんの、おぼーち、はいっちぇちぇ、そりぇ、きゃえしちぇ」
焦りに満ちた声に、親まりさは顔をしかめる。
「おまえのおかーさんのぼうし……このだんぼーるにはいっていた……?」
親まりさは中空を見つめて記憶を辿った。
やがて、まりさの言い分に思い当たったとき、その目は化け物を見るかのように、恐怖と戦慄の色に染まっていた。
それは、親れいむも同じだった。
「あれ……いるの?」
親れいむは震える声でそう訊いた。まりさの顔が、希望に輝く。
「どきょにありゅにょ、おしぇーちぇ」
両親が、顔を見合わせた。母れいむが怒鳴った。
「やだよ。このゆっくりはゆっくりできないよ! しんでね、きえてね、にどとこないでね!」
親れいむは吐き捨てるように言い放ち、ダンボールの暗がりへと引っこんだ。
「あのおぼうしはすてたんだぜ。ゆっくりできないゆっくりのにおいがしたんだぜ。そんなものをほしがるゆっくりなんて、きみがわるいんだぜ!」
親まりさは本気の打撃を見舞った。
一瞬、まりさの視界に閃光が満ちる。まりさは、樫の樹冠が下ろす影から飛び出るほど、せいだいに転げまわっていた。
陽光の照りつける白い砂のただなかで行動不能に陥っていた。
「いちゃぃ……あちゅぃ……いぢゃぃ……」
訴えても、涙を流しても、体は動いてくれなかった。
「いぢゃぃっ」
あんよが降り上げられた。が、すぐに大地に叩きつけられた。それを何度か繰り返した。
その行動が、ある特定のゆっくりにとっては、誘っているように見えることなど、まりさには思いもよらぬことだった。
「ゆぴっ」
突然、下腹部に壮絶な異物感を覚えた。
あんよから湿り気のある熱が伝導される。
「こんなところに こんなきれいな まむまむがおちてるなんて、ぼーとくよォ」
ありすがいた。
体格はほぼ同じだ。
赤子にも等しいありすが、目を欲望に滾らせて、まりさの幼い性器に己の肉を突き立てていた。
「ありすのあいをそそいであげるわァ」
まりさは悲鳴を上げた。抵抗しようにも力が出ない。体力が枯渇している。
侵略者は、持てる力のすべてを腰振りに注ぎこんだ。
その威力は赤ゆながらにすさまじく、肌が打ちつけられるつど、まりさは前進を強制させられた。
ありすの汗、唾液、精液が、まりさの体に降りそそぐ。打たれた痛みが再発した。熱砂の摩擦が、痛みをとめどもなく殖やしてゆく。
やがてまりさの頭部から、するすると茎が生えていった。しかし、子は成らない。暗黒の種だけが、茎に連なった。
ありすが獣声を発して果てた。
もともと子の成すべき行為ではない。その理由は体力の消耗にある。
精力を使い果たしたありすは、恍惚とした表情をたもったまま、地面に溶けていった。
この赤ゆありすは、嵐のときに散々に揺さぶられ、中途半端にれいぱー化現象を起こした個体だった。
いわば、災害のようなものだった。
まりさは、白熱する沙漠のうえで、残り滓のようになっていた。
足音が聞こえた。
足音が止まった。
人間の声がした。
「ん? ゆっくりがへばってるなぁ……。これは帽子か?
変な帽子……こんなゆっくりいたかな? 茎も生えているし……でも赤子か。なんだこりゃ」
何か、物を探るような音が、まりさの頭上に降り注ぐ。
「これくらいしかないな。ま、なんとかなるか。おい、顔を上げてみな」
言われたとおり、まりさは顔を上げた。
茫然とするしかない。
目のまえに、舌を伸ばせば触れられそうなところに、チョコレートケーキが立っていた。
その光沢は宝石よりもまばゆく、気品さえ感じられる。
「ぁ……あみゃあみゃ……ごちしょう……ごひゃんしゃん……」
「食っていいぞ」
肛門が開き、砂糖水が砂を濡らした。
流れる涙が傷に沁みる。まりさは歯を食いしばって、生ける喜びを噛みしめていた。
「おきゃーしゃん……まりしゃ、あみゃあみゃ、たべりゃれりゅよ……」
人間は腕組みしながら、嗚咽混じりの喜悦の声に耳を澄ませていた。
「まりしゃ、いきちぇりゅよ……」
日光に濡れて、大地は白く輝いていた。
熱砂の舞台にたたずむまりさは、まことに眇たる小ささだ。
しかしいまは、全身全霊で己の存在を満天下に訴えていた。
「おうちしゃん、とりゃれちゃったきぇど、でみょ、いきちぇりゅよ……」
母の記憶が胸によぎる。
遺産は失くした。しかし、母の声、姿、温もりは依然としてまりさの胸に息づき、その鮮烈さは色褪せることがない。
まりさは改めて極上の甘味を見つめた。
「あみゃあみゃしゃん……」
宝物のように、嘘のように幽玄と立ち尽くしている、一切れのチョコレートケーキ。
まりさは、胸の高鳴りを必死で抑えつけつつ、口を開いた。
「あーん」
しかし、すぐに閉じた。
しばし凝然とケーキを見つめた。
「れんしゅう、しにゃいちょ……」
と、言う。
そして、自信なさげに声を出した。
「ち、ちあわちぇ……?」
ぎこちない発音だった。
「えっと……」
まだ何か忘れている気がする。
熟考し、逡巡し、言葉を探り、やがて思い到る。
いただきます、に近い言葉だった。
「まりしゃの。しゅーぴゃー。みゅーしゃみゅーしゃ。ちゃいみゅ。はじみゃりゅよ……ゆぶっ!」
感謝の祈りを捧げ終えたとき、まりさは何者かに突き飛ばされていた。
すでに体力が払底しているまりさにとり、その衝撃は立ち上がれないほどの痛みをもたらした。
擦れる意識は、むさぼりの鳴動によって明瞭となった。
しかし力はもどらない。
はやく、とりかえさないと。
まりしゃのあみゃーみゃをとりかえさにゃいと。
そう想い希い、しかしあんよはまりさの意思に叛逆しつづける。
「れいむはしあわせだよぉ」
結局、まりさを躍動させたのは、自身の意志ではなく、他者の幸福だった。
まりさは跳ねあがって、掠奪者に突撃した。
「まりしゃの、まりしゃの……まりしゃのあみゃーみゃぁっ、まりしゃのあみゃあみゃ、かえちてねっ」
涙ながらの突撃は、
「ふんっ!」
軽々しく跳ね返された。体上がりの瞬間、れいむが体を強張らせただけだった。
「おちびちゃんには どくになる あまさだよ」
れいむは勝ち誇っていた。その口もとは汚らしくチョコレートソースが付着している。
「ゅ……ゅ……」
痙攣するまりさの頭から、茎をもぎとり、吐き捨てた。
「これでも くっててね! できそこないでも くっててね! あっ、じじい! もっとあまあまよこしてね!」
この命令は、れいむにとって今わの際の言葉となった。人間はれいむを蹴りとばしている。
まりさは目のまえに転がっている茎を、舌を伸ばしてこれを掴み、口にはこんだ。
「みゅーちゃ……みゅーちゃ……」
茎にはチョコレートがついていた。そのため、まりさはわずかながらに快復した。
すくなくとも、立ち上がれるほどには。
だから、体を起こした。
人間はまだいる。
まりさを蔑んだ目で見下げていた。
「さっさと食わねえから、そんなことになるんだぞ」
そんなことは言われなくても分かっていた。
「にんげんしゃん……。もっちょ……あみゃあみゃ……」
「食べたいか?」
まりさは顔を輝かせた。
人間は手提げ袋を探り、そのなかから、一かけらのチョコレートを取りだした。
「あみゃあみゃ」
まりさが咆哮する。その視線は、人間の指に挟まれている一かけらに注がれていた。
「ほら!」
人間はそれを、道路に向けて、放り投げた。
ご馳走が放物線を描いて陽炎の中に消えてゆく。
「あみゃあみゃしゃん、あみゃあみゃしゃんっ、まっちぇ!」
走り出した。
公園の外に出た。
アスファルトは焼けるような熱さだった。表面はなめらかではなく、まりさのあんよを間断なく刺激する。
まりさは絶叫し、苦行を選択した。道路に飛び出す。
やがて、まりさは道路の中心へと辿りついた。
あたりを見渡してあまあまを探索する。だが、どこにもみえない。
食欲はいよいよ獰猛さを増し、空腹に鞭をふるって猛らせていた。
しかしその食欲も、急速に接近する軽トラックを前にしては、その手を休めるほかはない。
「あ、ありぇ……?」
逃走をはかったまりさだったが、あんよが動かなかった。
饅頭の皮が、アスファルトの熱を浴びて溶け、張りついてしまっていた。
力を入れても、返されるのは激痛だけだった。
猛獣のような機械が、まりさに飛びかかってくる。
「すぃーしゃん。ゆっきゅりしちぇいっちぇね……?」
哀願が通じたのか。
車輪は、まりさのかたわらを通過した。
と同時に、熱風がまりさを襲う。地面と接合していたあんよが引き千切られる。
激痛は、まりさから意識をえぐりとった。
だが、それも一瞬のこと。
すぐにまりさは認識能力を奪還し、故郷の手前で寝転がっている自分を発見した。
そしてまた、あんよの切断部分とアスファルトがふたたび癒着しているのを知った。
それゆえに、もうすこしだけ、露命は続きそうだった。
人間の姿は、輪郭のみが認められた。
まりさは、口をなんども開閉させていたが、言葉をつむぐには到らなかった。
それを見た人間は、軽く肩をすくめると、公園から踵を返した。
それは真夏の日のことだった。
まりさは永遠にゆっくりした。
死因はまったくつまらないものだった。
(終わり)
投稿作品
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anko1599 グロテスクなれいむ(前)
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anko1567 お口を開けると
anko1565 れいむの義務