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ゼロのおかあさん-4 - (2007/10/11 (木) 21:07:34) のソース
▽ ▽ ▽ アルヴィーズの食堂と呼ばれる場所は、昨夜とは違い活気に満ち溢れていた。 割合で多いのは、揃いの色のマントを纏った少年少女達。おそらく生徒だろう。 三色のマントと纏った者の雰囲気から、荒垣は学年を意味しているのだと理解する。 ふと隣に居るルイズのマントを確認すると、背中のマントは余す事無く黒一色で染まっていた。 最初はルイズのマントが一番低学年なのかと思ったが、先程出会ったキュルケと言う少女を思い出す。 去り際だったので絶対とは言い切れないが、彼女も黒いマントを付けていた気がする。 (飛び級……ってやつか) 再び隣を見下ろすが、視線に気付いたのかルイズに睨み返される。 今にも噛みつきそうになっている姿から視線を外し、再び歩みを進めそうになって気付く。 腹立たし気に踏み鳴らしていた足音が、突然聞こえなくなった事に。 何かあったのかと思い振り返ってみると、ルイズは複雑な表情を荒垣に送っていた。 「座らねぇのか」 「なんでアンタ私の座る場所を知っているのよ」 「……あそこの嬢ちゃんに聞いた」 荒垣が顎を動かすと、その先ではシエスタが真剣な表情で給仕をしている姿があった。 一応世話になったルイズだが、気を失っていた時の事なので覚えていない。 と、こちらの視線気付いたのか、シエスタはこちらに気付くと遠慮がちに頭を下げた。 そして素早く頭を上げると、また元の仕事へと戻っていく。 肩を震わせながらルイズは口を震わせた。 「ず、随分親しげね。ななな、何があったのかしら」 (原因はテメェだけどな) 「何か言った!?」 「……いいから早く座れ」 面倒臭そうに促し席の前に到着したものの、背を向けたルイズは腹の虫が治まらないのか腕を組んで立ち止まる。 が、勢いよく頭を振ると、即座に眉の位置を正して後ろに居た荒垣と向き合う。 呆れた表情を浮かべる荒垣など気に掛けずに、背筋をピンと伸ばしたルイズは自信満々に鼻を鳴らす。 「椅子を引いて頂戴。ご主人様からの命令よ」 「……」 完全に上からものを申すその態度に、荒垣は拒否の意思を瞳に乗せて叩き返す。 二人は数秒間動こうとせず、ただひたすらに視線だけを交錯させ続けた。 その間に座っていた小太りの少年は、青い顔をしつつも迷惑そうに座っている。 その空気に伝染したのか、騒がしかった周囲が少しずつ静まり返っていく。 「聞こえなかったのかしら。椅子を引いて頂戴」 何も言わない荒垣を見て、ルイズは心の中でガッツポーズをとる。 沈黙を守るその態度を、ルイズは萎縮したのだと勝手に思い込んでいた。 しかも、これぞ好機と言わんばかりに、今までの鬱憤を言葉にして荒垣に浴びせる。 周りが自分に注目しつつあるというのを知らず、意識を荒垣だけに向け続けて。 ある程度吐き出し終えると、どうだと言わんばかりに胸を張る。 が、その渦中の一人だった荒垣は、一度だけ視線を床に落とすと、何も発言する事無く踵を返した。 「あ、あれ?」 「小言は済んだみてぇだな。俺は外に居る」 「あぅ、あ、いや、ちょっと! 待ちなさいよ!」 罵声や他に居た生徒達の視線をものともせず、荒垣は一人食堂を退出して行く。 残されたルイズの足元には、ひび割れた小皿が寂しそうに置かれていた。 ▽ ▽ ▽ 腹は減っているものの、すぐに何か詰め込まねばならないほど切羽詰っていない。 ルイズから開放されたのもあってか、静かに息を吐き出し空気を入れ替える。 そして、壁に背を預けたままゆっくり首を捻って肩の張りをほぐす。 (これから毎回こうだと面倒だな) ルイズから提供される衣食住のうち、しっかりと提供されたものは今の所一つも無い。 寝床は、学園の最高権力者にでも掛け合って、馬小屋あたりを借りればクリアだろう。 衣類や身の回りのものに関しては、着の身着のままで問題はない。 そして唯一頼らざるを得ない食だったが、去り際の皿を見てその考えを改めた。 ルイズの席のすぐ傍に置かれていたひび割れた皿は、おそらく荒垣の為に用意されたもの。 食堂の光景を思い出すが、彼女の左右も正面も既に埋まっており、自分に用意された椅子など見当たらなかった。 もともと、まともな扱いを受けられるとは思っていなかったが、この処遇は予想の遥か斜め上である。 (陽がくれる前までには、どうにかするか) 突然に暇になったものの、特にする事が無いため荒垣は空を眺めていた。 寂しくなった手が、自身の上着のポケットを這いずり回る。 と、使用頻度の少ないポケットまで手が伸びた所で、妙なふくらみを感じる。 その正体を確認しようとした時、食堂の扉が突然開いた。 出てきたのは、ルイズよりもさらに小さな、青い髪の少女だ。 少女は荒垣など居ないような顔で、目の前を通り過ぎていく。 が、お互い声が届くか届かないかの位置で立ち止まると、少女は振り向かずに呟いた。 「昨晩シルフィードと寝たのは貴方?」 その問いかけに、荒垣は淡々と言葉を返す。 「悪ィが、そんな奴は知らねぇ」 「竜の幼子」 その単語に、世話になった生き物を思い出す。 「ああ。あの小屋に居た竜の事か。そいつになら確かに世話になった」 「そう」 それだけ聞くと、少女は何事もなかったかのように足を踏み出した。 特に感慨もなく見送ろうとした荒垣だったが、何かを思い出したのか壁から背中を離す。 「あの竜に言っといてくれや。助かったってな」 振り返らず頭だけを小さく下げる。おそらく頷いたのであろう。 今度こそ、少女は廊下の奥へと消えていった。 それが合図だったかのように、食堂から次々と生徒達が退室してくる。 先程の少女と違い、出る生徒の殆どが荒垣を嘲笑うかのように立ち去っていく。 うち何名かは、「[[ゼロのルイズ]]の使い魔が……」と同じような事を吐いて。 どれだけ居たのか分からなかった生徒達も、数分後には途切れ途切れになっていた。 その最後尾の方に、未だ怒りの表情を浮かべるルイズの姿があった。 荒垣を見つけた途端、ルイズは小走りで近寄ってくる。 そして、周囲の目も忘れて荒垣目掛けて容赦なく文句を飛ばし続けた。 それを無視して、荒垣は黒マントの生徒達の後に続く。 「授業なんだろ。早くしろ」 「だから、ご主人様の話を聞きなさぁぁぁぁぁああああああいい!!」 いつの間にか二人きりとなっていた廊下に、ルイズの叫びだけが響いた。 ▽ ▽ ▽ 教室に入った二人を出迎えたのは、明らかに嘲笑と理解できる生徒の声だった。 荒垣は気にするでもなく部屋の隅に背を預けると沈黙を守ったのだが、 一方のルイズはその言葉一つ一つに対して、丁寧にも反撃を行っていた。 部屋の中に居た生徒もルイズも、お互いばかりに意識が向いている。 それを尻目に、後ろで控えていた使い魔達は荒垣の周りに集まると構って欲しそうに彼を見上げた。 この面白い光景に気付いたのは、先程の青い髪の少女だけである。 他の生徒はみな、先生らしき女性が来るまでルイズをからかい続けていた。 恰幅のいい女性は、使い魔と生徒達を見比べると、柔らかな笑みを浮べながら口を開いた。 「おはようございます皆さん、春の使い魔召喚は大成功のようですね。 このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に様々な使い魔を見るのが、とても楽しみなのですよ」 着席していた生徒達の殆どが誇らしげに顔を上げるが、ルイズだけは顔を俯かせていた。 使い魔を順番に見ていたシュヴルーズは、荒垣の存在を確認してやや困惑の表情を浮かべる。 「これはまた、変わった使い魔を召喚しましたね。これは確か」 「ゼロのルイズの呼び出した平民です!」 どこかから飛び出した野次を皮切りに、ルイズ目掛けて嫌味や嘲笑が飛び掛る。 そして、食堂で隣に居た小太りの少年は、仕返しとばかりに先程の恨みを込め大声で野次を放つ。 「ゼロの[[ルイズ!]] 召喚もろくに出来ないくせに、メイジなんて名乗るなよ! どうせあの平民も、何処かを歩いていた所を買収でもして連れて来たんだろ!」 あまりにも失礼な物言いに、ルイズは敵意を剥き出しにして反論する。 「違うわよ! 成功したからアイツが出てきちゃったのよ!」 「見え透いた嘘を! やっぱり『サモン・[[サーヴァント]]』に失敗したんだろう?」 面白くなってきたのか、周囲に居た生徒達の笑い声も大きくなっていく。 「ッ! ミセス・シュヴルーズ! あのかぜっぴきのマリコヌルが私を侮辱しました!」 「かぜっぴきじゃない風上だ! ゼロと違って立派な二つ名なんだぞ!」 おどけていた顔を真っ赤にさせ、マリコヌルは席から立ち上がる。 一方のルイズも、負けてなるものかと立ち上がって睨み返した。 座っていた周囲の生徒達も、見世物が始まったとばかりに声援を送る。 が、その生徒達の口に次々と赤い粘土の様な物体が張り付いていく。 最後残ったルイズとマルコヌルは、上から何かに押されるように席に着いた。 部屋の隅からそれを眺めていた荒垣は、何かを見て納得している。 視線の先では、シュヴルーズが杖を指揮棒のように振っていた。 (こういった事も出来るのか) そのシュヴルーズが何か喋っているが、荒垣はそれを目を閉じて聞き流していた。 自分の居た世界では、札付きとして覚えられていたためか、そういった処世術は上手い。 小言を向けられたのが自分で無いにしろ、そういった話題は聞いていて楽しいものではない。 ようやくして授業が始まると、荒垣は話の要所を頭に叩き込む。 仮にこの世界で生きていく場合、常識というものはかなり重要となる。 この世界の他の人間が普通にする事を、荒垣は今から覚えないといけないのだ。 四つの属性や失われたもう一つの属性。 魔法がどういったものであるか。 互いが何に強くて何に弱いのか。 魔法を使うためには何が必要なのか。 とにかく必要な単語を覚えようと、頭の中で反芻していた荒垣の耳に聞きなれてきた単語が飛び込む。 それと同時に、周囲が授業が始まる前ぐらい騒がしくなっていく。 何事かと目を開いた途端、閃光と煙幕が教室中を一気に包み込んだ。 パニックになる生徒達と同様に、使い魔達も興奮状態になる。 その一匹一匹の頭を撫でながら、荒垣は爆発の中心に目を向ける。 そこには、肩から白い肌を覗かせたルイズの姿だけがあった。 スカートがボロボロになっており、やや大人びた下着には煤が付着している。 未だ気絶しているシュヴルーズを見ないようにして、ルイズは小さく漏らす。 「ちょっと失敗したみたいね」 その言葉が聞こえた他の生徒達が、今までと違う怒りの声をルイズに向けて叫ぶ。 (これをあのガキがやったってのか) 隅で静観していた荒垣は、何か考えながら教室の外へと出て行く。 結局、他のクラスから応援が来るまで、混乱は止む事はなかった。 ▽ ▽ ▽ 爆発で酷い状態になった教室を、荒垣とルイズは黙々と掃除していた。 最初は荒垣一人に全て任せて、他の生徒と合流しようとしていたルイズだったが、 荒垣が抑えていた苛立ちも爆発させてしまい、初日と同じような怒気を浴びるはめとなった。 もっとも、ルイズも負けてはおらず、着替えをする事だけはしっかり認めさせた。 着替えが済んで逃げ出そうかと考えたルイズだったが、荒垣の目を思い出しそれをやめる。 結局、すでに掃除を始めていた荒垣のもとへ帰ってくる事となった。 戻ってきたルイズを確認する事無く、荒垣は掃除を手早くこなす。 最初こそ怒鳴ったものの、それ以降口を閉じて視線を合わせない荒垣。 いつ馬鹿にされるかと警戒していたルイズだが、その時は未だやって来ない。 (もしかしてこいつ、心の中で馬鹿にしてるんじゃ) そう思った途端、背中を向けている男が今、見えないように笑っているのではと思い始める。 事実を確認すべく、ルイズは大股で荒垣に近付き顔を覗き込む。 だが、その顔はルイズを馬鹿にする笑みも、理不尽にも掃除を任せられた怒りすらない。 あるのは、ただひたすら壁を磨く無機質な顔だけしかなかった。 ルイズが接近した事など気に掛けず、黙々と掃除を続ける荒垣。 耐え切れなくなったルイズは、不安を誤魔化すために、張り付いた唇を無理矢理動かした。 「アンタも、私を馬鹿にしてるんでしょう」 「……」 「ねぇ、何か言いなさいよ!」 「……」 「私は魔法が使えないの! だからみんな私をゼロって呼ぶのよ!」 「……」 「アンタもどうせ「魔法が使えないのに貴族なのか?」って思ってるんでしょ! 言ってみなさいよ!」 「……」 「私は、私はッ……ぅぅ」 二人居るはずなのに、ルイズは自分一人しか居ないような錯覚に陥った。 目の前に居る男は、自分の存在など無いような態度をとる。 返ってこない言葉を待ちきれず、ルイズの目から透明な雫が零れ落ちていく。 静かな教室に、ポタリポタリという音だけが響き渡った。 そんな中、荒垣は動かしていた手を休めて、掃除用具入れに手を掛ける。 「オメェは……魔法が使えるようになったら何がしたいんだ」 「え?」 「自分は貴族だって宣言するためか? 馬鹿にした奴を見返すためか? プライドか? 金銭目的か? 将来のためか? 力を誇示したいだけか?」 「それは……」 馬鹿にした人を見返したい気持ちもある。だが、それが全ての理由ではない。 貴族である事を証明するだなんてもってのほかだ。 その考え方は、ルイズの目指す貴族の生き方ではないから。 他に挙げられた理由も、彼女を突き動かすほどの理由ではない。 荒垣の突然の問い掛けに、ルイズは答えを出せないでいた。 「何を期待してるか知らんが、俺にテメェの気持ちなんざ解からねぇ。 それ以前に、テメェ自身が自分の気持ちを掴めてないんじゃあなおさらだ」 「あ……」 侮蔑でも怒りでもない、嘲笑でも哀れみでもない。 特別期待するでも、全てに失望したのでもない。 ただ淡々と、荒垣は背を向けたまま窓の外に向かって言葉を吐き出す。 「まずはテメェがどうしたいのか考えろ」 それだけ呟くと、荒垣はルイズと顔を合わせる事無く立ち去っていく。 残ったのは、いつの間にか綺麗になった教室とルイズだけだった。 ▽ ▽ ▽ すでに昼食の時間らしく、食堂は生徒達で一杯になっている。 その食堂の中で、荒垣は黙々とデザートの配膳作業にあたっていた。 こうなった理由は簡単で、起こった事を簡潔に述べるとこうだ。 昼食の準備をしていたシエスタは、偶然にも荒垣を発見。捕獲。 朝の出来事を聞いていたシエスタが、荒垣を心配して賄いを提供。 本人はいらないと拒否するが、あの手この手で交換条件までこぎつける。 交換条件とは、荒垣に賄いを食べさせる代わりに配膳を手伝わせる。以上。 このやりとりにより、荒垣は配膳作業を任される事となった。 一度は渋ったものの、先に賄いを食べた以上仕事を放棄する訳にもいかない。 てきぱきと音を立てないように皿を並べていくと、話に夢中な集団が近付いてきた。 中心に居る金髪の少年が、耳障りな言葉を並べているが無視する。 そして特に気にする事無く配膳を続けていたのだが、集団の中心だった少年から何かが落ちるのに気付いてしまう。 無視しても良かったのだが、少し考えた末、仕事中という事もあり声を掛ける事にした。 落ちた小瓶を拾いつつ、集団へと足を向ける。 「おい、そこの金髪のガキ」 「なんだと? 僕にはギ――」 「落し物だ。受け取れ」 言うより先に、拾った小瓶を少年に投げつけた。 「な、何を言ってるのかな君は。これは僕の香水なんかじゃ――」 「おいギーシュ。なんでこの小瓶が香水だって判ったんだ?」 「あれ、この香水……確かモンモランシーが同じものを持っていた気がするぞ」 「い、いや、これは偶然同じものを――」 「そう言えば、モンモランシーは自分のためだけに香水を作るって言ってたな」 「やっぱりギーシュが付き合っているのはモンモランシーで確定か!」 「違う違う。いいかいみんな、彼女の名誉のために言っておくが……」 髪をかき上げ、薔薇をあしらった杖を高々に掲げた所で、ギーシュと呼ばれた少年は固まった。 視線の先には、茶色のマントを纏った少女。その目には、溢れそうなくらいの涙が溜まっている。 「ギーシュ様……やはりミス・モンモランシーと……そうなんですね」 「違うんだよケティ! どうかその美しい瞳に浮かぶ悲しい輝きを消しておくれ! そう……これは試練なんだ! 僕達の愛が、今ここで試されようとしているのさ!」 「ぐすっ、ううっ」 「ほら、迷わず僕の胸の中へ飛び込んでおいで。そしてあの森の時と同じ様に一緒に愛を語り合おう」 「……へえ、なら私もその胸へ飛び込んでみても良いかしら。それと、森って何かしら」 「ももももも、モンモランシー! いや、これはそのっ! 誤解なんだ僕だけのモンモランシー! 彼女はあれだ、その、たまたま森で出会ったから、一人の紳士として馬で送ってあげただけなんだよ!」 「ギーシュ様の嘘つきぃ!」 「あ! いや! 待ってくれケティィィィィィィィィィィィィィ!」 と、いちいち芝居がかった発言を続けていたギーシュの頭に、赤黒い液体が垂れていく。 「ぎゃぁぁぁぁああああ! 痛い! 痛いよモンモランスィィィィィィイイ!!」 「さっき厨房で借りてきた調味料だけど、貴方には刺激が強すぎたかしらね」 「み、水を! モンモランシーの得意な水で僕を助けておくれ!」 「良いわ……ただし、水じゃなくて濃い目の食塩水だけれど……ね!」 「アッー!!」 慌しいやり取りが終わり、その場に残っていたのはびしょ濡れのまま股間を押さえ痙攣するギーシュと、 痙攣こそしないものの、同じように股間を押さえる仲間の姿だけであった。 ケティと呼ばれた少女も、モンモランシーと呼ばれた少女も、いつの間にか食堂から姿を消していた。 ちなみに小瓶を投げて返した荒垣は、その騒動の最中黙々とデザートの配膳を続けている。 そうこうしている内に配膳が全て終り、厨房へ帰ろうとしていた荒垣の身体を一本の腕が遮った。 腕の主は、まだ若干湿っているギーシュである。 「君の軽率な行動のせいで、二人のレディの名誉が傷付けられた。どう責任を取るつもりだい?」 「責任も何も、全部テメェのしでかした事だろうが」 「そうだぞギーシュ! 男の敵め!」 「そうだそうだ! このモテない男の敵が!」 「ああ、なんて野郎だ! このモテないブ男の敵ィィ!」 「というか、本音を言えば俺達にも紹介して下さいよコンチクショォォォォォォウ!」 涙を流しながら走り去っていく仲間たちに唖然としつつも、次の瞬間には冷静さを取り戻したギーシュ。 「と、とにかく、給仕ならば給仕らしく……ん、君は確かゼロの」 一瞬だけ荒垣のこめかみが痙攣するが、ギーシュはそれに気付かず話を続ける。 「やれやれ。飛んだ礼儀知らずだと思いきや、ゼロのルイズの使い魔だったとはね。 主人が主人なら、使い魔もしょせん使い魔って事か。もういい、さっさと消え去りたまえ」 馬鹿にした表情を浮かべながら、ギーシュは荒垣を追い払うように手を振るった。 そんなギーシュの手首を掴んだ荒垣は、敵にしか見せた事無い目でギーシュを睨み付けた。 「テメェのケツも満足に拭けない奴が、他の奴をどうこう言うんじゃねぇ……このバカ野郎がッ!」 「うぁッ」 腰が抜けそうになるのを堪えつつ、目を逸らしたギーシュだったが、相手が平民だったと思い出して怒りを露にする。 「平民の癖によくも……いいだろう。ここは貴族らしく、決闘を申し込もうじゃないかッ!」 その言葉に周囲がどよめく、ギーシュはマントを翻すと、荒垣を外へと促す。 言わんとすることを理解した荒垣は、周囲の騒音を無視して食堂の外へと足を向けた。 ただ食堂から出る途中で出会ったシエスタは、泣きながら表情を曇らせ呟く。 「逃げて下さいアラガキさん。あなた、殺されちゃいます」 だが、荒垣はその申告を無視して食堂の扉を潜る。 廊下には、物言いたそうなルイズの姿があった。 「どうするつもり? ギーシュ、相当怒ってたわよ!」 「なんでそんな事聞く」 「なんでって、私はアンタのご主人様よ! 使い魔が怪我するのを黙ってみてられないわ!」 「……」 「聞いて。あれでもギーシュは一応メイジなの。アンタは平民なんだからメイジに勝てないの!」 「……」 「ちょっと、こんな時ぐらいちゃんと返事しなさい……よ」 何を思ったのか、荒垣はルイズの顔をジッと見る。 いつもとは違う視線に、感情の行き場を持て余したルイズは視線を逸らしてしまう。 「さっきの答えは出たか」 「え?」 「……魔法が使えたらってやつだ」 ほんの少しだけだが、ルイズには荒垣が纏っていた空気が柔らかくなった気がしていた。 見た目も表情もいつも通りなのに、今までの様な排他的な雰囲気が薄らいでいる。 だが、そんな事は決闘には何の関係も無い。 「まだだけど、今はそんな事より決闘をどうにかする方が先よ! ギーシュに謝りましょう! 私も口を添えるわ。だから謝っちゃいましょうよ!」 その答えを聞いて、大きな息を吐いて肩を竦める荒垣。 「……」 「何で言う事聞かないのよ馬鹿!」 気付いたら普段と同じような空気を纏った荒垣は、無言で去っていく。 またも残されたルイズは、やりきれない気持ちでそれを見送っていた。 ▽ ▽ ▽ ギーシュが残した案内を辿り、荒垣は広場に立っていた。 いつのまに聞きつけたのか、周囲には大勢の生徒達が並んでいる。 そんな中で、ギーシュは観客の心を掴むのに必死になっていた。 だが、一見優雅そうに振舞っているが、瞳の中で燻る怒りは隠しきれていない。 「僕はメイジだ。だから魔法で戦う。まさか文句などあるまいね」 「……」 無視を肯定と受け取ったのか、ギーシュは持っていた薔薇の花びらを宙に散らす。 そして、再びギーシュが薔薇を振るうと、そこには甲冑を着た女騎士が姿を現していた。 幅はともかく、身長は荒垣よりもやや大きい。 女騎士はギーシュの前に立つと、向かい側で立っている荒垣目掛けて突撃する。 「いけ! ワルキューレ!」 「!」 ワレキューレは右腕を突き出すと、荒垣の腹部目掛けて潜り込ませる。 線上に並んでいたギーシュは、その光景を見ながら髪をかき上げると、薔薇を咥えて身をよじった。 「自己紹介が遅れたね。僕の名はギーシュ・ド・グラモン。 二つ名は『青銅』さ青銅のギーシュ。ご覧の通り、このワルキューレが君の相手……を?」 言葉を続けようとして唖然とする。 筋書き通りでは、地に伏した荒垣の悔しそうな視線を背に名を名乗る予定だった。 それなのに、ワルキューレが全力で殴った相手は、地に伏せる事無くこちらへ歩いてくるのだ。 おそらく命令を間違えたのだろうと無理矢理納得するギーシュ。 薔薇の杖を振るい、再びワルキューレに突撃の命令を下す。 もう一度ワルキューレの拳が荒垣の腹部にめり込むが、意に介した様子もなく足を進ていく。 周囲の観客達も、さすがにおかしいと気付いたのか騒然となる。 「わ、ワルキューレ!」 気味が悪いその光景を払拭するため、合計七体のワルキューレも呼び出す。 うち一体だけを脇に控えさせると、残りの六体に突撃させる。 「ど、どうやら平民にしては頑丈なようだが、この数には勝てまい。 さあ行けワルキューレ達よ! その美しい拳であの平民を地に沈めるんだ!」 号令と共に、ワルキューレ達が荒垣を囲む。そして、全方向から一斉に突撃を開始した。 周囲から「おいおいやりすぎだぞー」と声が掛かるが、耳を貸したりはしない。 手を緩めたら危険であると、ギーシュの本能が必死で告げていたからだ。 荒垣がこちらに接近しようとするたびに、青銅の拳が足や腹部にめり込む。 右足が出れば懇親の一撃を振り下ろし、左足が出れば鋭い一撃を見舞う。 そうしてしばらく殴りつけていたためか、砂埃が巻き上がっていった。 視界が不明瞭になるのを恐れたためか、全ての攻撃を停止させ砂埃がおさまるのを待つ。 そこへ、今までのやり取りを見ていたルイズが飛び出してきた。 ずっと握っていたのか、掌には爪の後がしっかりと残っている。 「もう良いでしょうギーシュ! もう十分よ!」 「邪魔だぞルイズ! そこをどいてくれ!」 「なんでそんなにムキになってるの? アンタおかしいわよ!?」 「うるさい! 退かないなら君ごと潰れてもらう!」 「な――」 恐怖に心が支配されつつあるギーシュには、ルイズの諌める声は届かない。 信じられないと言った表情を浮かべるルイズ目掛けて、ギーシュは杖を振るう。 杖の動きに合わせる様に、残っていたワルキューレが動き出した。 「ルイズ!」 どこからか悲鳴が上がるが、ルイズは動けずにワルキューレの接近を許してしまう。 あまりの出来事に腰が抜けてしまったのか、視界が下がり身動きが取れなくなる。 (あっ……) 殴られると思った瞬間、思わず目を閉じた。 だが、いつまで経ってもルイズの身体に痛みは走らない。 「何やってんだバカ野郎が!」 聞きたかった声が耳元で響いて驚く。 ルイズの視界一杯に、無事とは言えないが生きている荒垣の姿が映る。 ルイズとワルキューレの間に入ったのは、囲まれて地に伏したと思われていた荒垣だったのだ。 絶対に立っている筈が無いと人物を見て、そこに居た全員が愕然とした。 口の端から血を垂らしながらも、二本の足でしっかり立っている荒垣の姿に。 「あ……」 「危ないから出てくるんじゃねぇ。下がってろ」 背中に受けた青銅の拳など気にする様子もなく、荒垣はルイズの腕を取った。 駆け足の様な展開にようやく感情が追いついたルイズは、思わず泣きそうになる。 「もぉ、やめなさいよぉ。アンタ、死んじゃうわよ」 「……」 「駄目なの。アラガキが死んじゃったら……またゼロになっちゃう。 せっかく召喚が成功したのに、死んじゃったら無くなっちゃうのよ」 その言葉を受けて、荒垣はルイズを近くに居た生徒に預ける。 「初めて……いや、二度目か」 「え?」 「テメェは……ルイズが俺の名前を呼んだのがだ。 もっとも、そっちは姓だ。俺の事を呼ぶなら……シンジにしろ」 「シンジ……」 「心配するな。すぐ済む」 「べ、別に、心配してるんじゃ、ないん、だから」 ルイズの呟きを背に、荒垣は広場へと足を戻す。 ちなみにルイズを預けた生徒は何処かで見た気がするが、荒垣にとってはどうでも良い事だった。 思考を完全に戻した荒垣は、ギーシュに冷たい視線を送る。 その瞳には、心なしか怒りの色も混ざっているようにみえた。 「こないなら、こっちから行くぞ」 しっかりとした足取りで、視線をギーシュから外す事無く歩き出す。 「く、来るなぁ!」 突然の出来事に意識が飛びかけていたものの、ギーシュはすぐに持ち直した。 先程と同じように、ワルキューレで荒垣の進行を食い止める。 だが、それを障害ともせず荒垣はギーシュの耳に届くように呟く。 「もう終わりか」 抑揚のない言葉を投げかける荒垣。 それを切っ掛けに、ギーシュは乱暴に薔薇の杖を振るった。 「わ、わ、ワレキューレェェェェッ! あいつを止めろぉぉぉ!!」 命令と共に、機械的な動作で荒垣を殴りつけるワレキューレ達。 その拳は腹部だけでなく、脇腹や背中、足や腕を容赦なく襲う。だが…… 「もう終わりか」 先程と変わらない口調で、荒垣は歩みを止めず接近する。 死んでもおかしくないほど殴っているのに、倒れる気配を感じさせない。 「もう終わりか」 周囲もその一挙一動に固唾を呑んで見守っている。 ギーシュの耳に聞こえてくるのは、先程から一言一句変わることの無い言葉。 しかもその音は、着実に大きくなっている。 否、声の音量は同じ。違うのは、二人の間の距離。 「もう終わりか」 気付けば、ワルキューレが荒垣を殴る音が聞こえなくなっている。 ゆっくりと視線を動かすと、どのワルキューレの身体も大きくへこんでいた。 酷いものでは、動けないくらいボロボロになっている。 その事実が、ギーシュをさらに混乱させた。 (なんで、僕はあの男をずっと見てたんだぞ!?) ワルキューレのへこみ具合は、丁度ワルキューレの拳と同じ大きさだ。 だが、荒垣の拳は握った気配すらない。 「もう終わりか」 「ひぃ」 お互いの細かい表情の変化が分かるくらいまで、距離は縮んでいた。 何かされた訳でも無いのに、膝が笑って足に力が入らない。 そのままあっけなく、二人の距離は手の届く距離までとなっていく。 殴られる覚悟をしたギーシュだったが、飛んできたのは暴力のかけらも無い言葉だった。 「もう終わりだな」 「あ、ぁあ……」 肉体を攻撃されたのでも無いのに、ギーシュは大量の汗をかいていた。 手に握っていた筈の薔薇の杖は、いつの間にか地面へと放り出されている。 数十分前に平民と罵った男は、現在鋭い視線を向けたまま自分を睨み続けている。 視線に耐えられなくなったギーシュが地面に座ろうとするが、荒垣に腕を捕まれ無理矢理立たされた。 「な、なにを」 「テメェのケツぐらい拭け」 そう言って身体をずらした向こう側では、不安げな表情を浮かべる三人の少女がこちらを見ていた。 ケティとモンモランシー、それに腰を抜かしたままのルイズ。 「わ、分かった。彼女達にはきっちり謝る。約束する……で、頼みが」 真剣な表情で、荒垣の耳元で小さく呟く。 「あ?」 「ここは引き分けと言う事に――」 言い終わる前に、腕を持ち上げていた手が離れる。 その拍子に、ギーシュは地面に尻餅をついてしまう。 見上げた荒垣の視線には、明らかに怒りの色が滲み出ていた。 「いい加減にしろこのバカ野郎がッ! 仕舞いにゃぶん殴るぞ!」 「ひぃぃぃぃぃぃ!」 ギーシュが悲鳴を挙げて気絶したと同時に、周囲に居た人々が一斉に歓声をあげた。 突然行われた決闘に、幕が下ろされた瞬間である。