「金の酒樽」亭
ラ・ロシェールにある酒場の一つである。
金とは誇大もいいところで実のところただの廃屋にしか見えないような小汚い酒場である。
しかし客はそれなりにいる。
その客の一人として角の席で土くれのフーケはカップを傾け、久しぶりにまともと思えるような酒を楽しんでいた。
実のところかなり質が悪い酒ではあるが、野宿で飲む革袋に入れた酒に比べれば何倍もましだ。
「まったく、やってらんないよ」
誰に聞かせるでもない独り言をつぶやき、何杯目かをあける。
フーケがここにいるのはアルビオンに上がるためである。
ベール・ゼファーの命令を渋々ながら引き受けて既に2週間そこそこ。
成果は上々と言ってもいい。
「こっちのほうでもやっていけるかもねえ」
盗賊をやっていた頃、あるいはそれより前のツテを頼りにちょっとつついてみただけなのだが、これが面白いほどに情報が集まる。
中には調べているとわかっただけで手が後ろに回りそうなやばい物もあるが、今のところ追っ手がかかった様子はない。
次はアルビオンにでも行こうかとラ・ロシェールに来たはいいがフネの出る日は限られている。
アルビオンが最もラ・ロシェールに接近する「スヴェル」の月夜の翌日までは待たねばならない。
そんなわけで空いた日を使って船乗りや傭兵達の話をいくらか聞いてみたのだが、そこでも面白い話をいくらか聞けた。
「のんびりやるしかないさね」
──それにあいつのいるトリステインから離れられるのが一番だね
杯を傾けもう一口。
少しばかり強い酒が嫌な思いと一緒に喉の奥に落ちていった。
「あら、ご機嫌ね」
そう言いながら、誰かが勝手に向かいの席に座ろうとする。
今日は一人で飲みたい気分のフーケはギロリとそいつをにらみつけた。
「そこは空いてないよ。ほかに行きな」
「そんなこと言わないで。いいでしょ?知らない仲じゃないんだから」
睨みつけたのはフーケだが、酒で焼けた喉ごと体が凍るような冷たさを感じたのもフーケだ。
フーケを、それだけでなくすべてを見下す瞳を持つ少女、ベール・ゼファーがそこにいた。
「あんた……何でこんなところに」
破壊の杖を盗んだときの事が頭の中をよぎる。
酔いは一瞬にして覚めた。
「もちろんアルビオンに行くためよ。あなたもそうなんでしょ?」
こんな事なら別の日にするべきだった、とも思うが今更だ。
会わなかったことにできるはずもない。
「よぉ、そこのお嬢さん達」
酒がなみなみついだジョッキを片手に、なにも考えていそうにない男の声が降ってくる。
この男がベルとフーケの間にある空気に気づかないのは酒のためか、元々考えが足りない男なのか。
なんの証拠もないがフーケは後者だと確信した。女のカンである。
「こんなところで女二人たぁ、あぶねえな。どうだい、俺が守ってやろうか?」
赤い鼻の男はベルの隣に無遠慮に座り、ついでに酒臭い息がかかるほどに口を近づけた上にベルの小さい肩に手を回した。
「うっとうしいわね」
ベルが半分だけ瞼を閉じたとき、フーケは飛び上がり、杖を男の鼻先に突きつけた。
「き、貴族?」
マントを着けていない今のフーケは貴族には見えない。
ベルにしたって風変わりな格好としか思われないだろう。
「ちがうね。だけどあんたをのしてやる程度の魔法なら使えるよ」
フーケの杖が男の持っているジョッキを軽く叩く。
それだけでジョッキは土くれに変わり、中につがれていた酒は床にこぼれ落ちた。
「お、俺の酒が……」
男は怒りで赤くなったのか、酒で赤くなったのかわからない顔をフーケに向けようとするがその前に魔法の杖が鼻先に戻っていた。
「次はジョッキじゃすまないよ。足下を泥に変えて生き埋めにしてやろうか?それとも、ゴーレムで踏みつぶした方がいいのかい?」
「ひっ」
男の顔から血の気が引いていく。
血の気と一緒に酒まで頭から引いていったのか、男はふらつきもせずに店から走り出ていった。
「助けてくれるなんて、やさしいのね」
ラ・ロシェールにある酒場の一つである。
金とは誇大もいいところで実のところただの廃屋にしか見えないような小汚い酒場である。
しかし客はそれなりにいる。
その客の一人として角の席で土くれのフーケはカップを傾け、久しぶりにまともと思えるような酒を楽しんでいた。
実のところかなり質が悪い酒ではあるが、野宿で飲む革袋に入れた酒に比べれば何倍もましだ。
「まったく、やってらんないよ」
誰に聞かせるでもない独り言をつぶやき、何杯目かをあける。
フーケがここにいるのはアルビオンに上がるためである。
ベール・ゼファーの命令を渋々ながら引き受けて既に2週間そこそこ。
成果は上々と言ってもいい。
「こっちのほうでもやっていけるかもねえ」
盗賊をやっていた頃、あるいはそれより前のツテを頼りにちょっとつついてみただけなのだが、これが面白いほどに情報が集まる。
中には調べているとわかっただけで手が後ろに回りそうなやばい物もあるが、今のところ追っ手がかかった様子はない。
次はアルビオンにでも行こうかとラ・ロシェールに来たはいいがフネの出る日は限られている。
アルビオンが最もラ・ロシェールに接近する「スヴェル」の月夜の翌日までは待たねばならない。
そんなわけで空いた日を使って船乗りや傭兵達の話をいくらか聞いてみたのだが、そこでも面白い話をいくらか聞けた。
「のんびりやるしかないさね」
──それにあいつのいるトリステインから離れられるのが一番だね
杯を傾けもう一口。
少しばかり強い酒が嫌な思いと一緒に喉の奥に落ちていった。
「あら、ご機嫌ね」
そう言いながら、誰かが勝手に向かいの席に座ろうとする。
今日は一人で飲みたい気分のフーケはギロリとそいつをにらみつけた。
「そこは空いてないよ。ほかに行きな」
「そんなこと言わないで。いいでしょ?知らない仲じゃないんだから」
睨みつけたのはフーケだが、酒で焼けた喉ごと体が凍るような冷たさを感じたのもフーケだ。
フーケを、それだけでなくすべてを見下す瞳を持つ少女、ベール・ゼファーがそこにいた。
「あんた……何でこんなところに」
破壊の杖を盗んだときの事が頭の中をよぎる。
酔いは一瞬にして覚めた。
「もちろんアルビオンに行くためよ。あなたもそうなんでしょ?」
こんな事なら別の日にするべきだった、とも思うが今更だ。
会わなかったことにできるはずもない。
「よぉ、そこのお嬢さん達」
酒がなみなみついだジョッキを片手に、なにも考えていそうにない男の声が降ってくる。
この男がベルとフーケの間にある空気に気づかないのは酒のためか、元々考えが足りない男なのか。
なんの証拠もないがフーケは後者だと確信した。女のカンである。
「こんなところで女二人たぁ、あぶねえな。どうだい、俺が守ってやろうか?」
赤い鼻の男はベルの隣に無遠慮に座り、ついでに酒臭い息がかかるほどに口を近づけた上にベルの小さい肩に手を回した。
「うっとうしいわね」
ベルが半分だけ瞼を閉じたとき、フーケは飛び上がり、杖を男の鼻先に突きつけた。
「き、貴族?」
マントを着けていない今のフーケは貴族には見えない。
ベルにしたって風変わりな格好としか思われないだろう。
「ちがうね。だけどあんたをのしてやる程度の魔法なら使えるよ」
フーケの杖が男の持っているジョッキを軽く叩く。
それだけでジョッキは土くれに変わり、中につがれていた酒は床にこぼれ落ちた。
「お、俺の酒が……」
男は怒りで赤くなったのか、酒で赤くなったのかわからない顔をフーケに向けようとするがその前に魔法の杖が鼻先に戻っていた。
「次はジョッキじゃすまないよ。足下を泥に変えて生き埋めにしてやろうか?それとも、ゴーレムで踏みつぶした方がいいのかい?」
「ひっ」
男の顔から血の気が引いていく。
血の気と一緒に酒まで頭から引いていったのか、男はふらつきもせずに店から走り出ていった。
「助けてくれるなんて、やさしいのね」
「冗談言うんじゃないよ」
周りの恐怖や好奇心の視線を無視してフーケは元いたところに座り、飲みかけの酒をあおった。
「あんたがその光であの酔っぱらいを酒場ごと焼き払ったらたまったもんじゃないからね」
ベルの手のひらには白い光を放つ球体が浮かんでいる。
それはゴーレムごとフーケを焼き払ったあの光と同じ物だ。
「ああ、これ」
ベルは手のひらを傾ける。
光は手のひらからこぼれ落ち、テーブルの上へ。
「あっ───」
フーケは逃げようとするが、奥の席を陣取っていたのが災いした。
どうやってもあの光球が店と自分を焼き尽くす前に逃げれそうにない。
意味はないとわかっていたが、フーケは両手で顔をかばった。
だが、なにも怒らない。
1秒
2秒
3秒
4秒
5秒
そして、10秒
やなりなにも起こらない。
代わりに、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
フーケはおそるおそる、それこそ震えながら両手をおろす。
なにも起こっていない。
強いて何が起こっているかと言えば、笑っているベルとテーブルの上で光球が輝き続けているだけだ。
「なにしてるのよ。ただ灯りをともすだけの魔法よ」
ぽかんと大口を開けたフーケの視線は吸い寄せられるように光球に集まり、そして人でも殺せそうなそれをベルに向けた。
「なかなか面白かったわよ。あなたの驚いた顔」
もっとも視線で人を殺せるはずがない。
仮に殺せる視線をあったところでこの女の息の根を止めることなどできないだろう。
「あ、あんたってやつは!!」
ひとしきり笑った後、ベルは組んだ手に顔を乗せて酒のおかわりを二桁ほど注文したフーケに話しかけた。
「聞かせてもらえるかしら。あなたに頼んだこと。その成果を全部」
周りの恐怖や好奇心の視線を無視してフーケは元いたところに座り、飲みかけの酒をあおった。
「あんたがその光であの酔っぱらいを酒場ごと焼き払ったらたまったもんじゃないからね」
ベルの手のひらには白い光を放つ球体が浮かんでいる。
それはゴーレムごとフーケを焼き払ったあの光と同じ物だ。
「ああ、これ」
ベルは手のひらを傾ける。
光は手のひらからこぼれ落ち、テーブルの上へ。
「あっ───」
フーケは逃げようとするが、奥の席を陣取っていたのが災いした。
どうやってもあの光球が店と自分を焼き尽くす前に逃げれそうにない。
意味はないとわかっていたが、フーケは両手で顔をかばった。
だが、なにも怒らない。
1秒
2秒
3秒
4秒
5秒
そして、10秒
やなりなにも起こらない。
代わりに、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
フーケはおそるおそる、それこそ震えながら両手をおろす。
なにも起こっていない。
強いて何が起こっているかと言えば、笑っているベルとテーブルの上で光球が輝き続けているだけだ。
「なにしてるのよ。ただ灯りをともすだけの魔法よ」
ぽかんと大口を開けたフーケの視線は吸い寄せられるように光球に集まり、そして人でも殺せそうなそれをベルに向けた。
「なかなか面白かったわよ。あなたの驚いた顔」
もっとも視線で人を殺せるはずがない。
仮に殺せる視線をあったところでこの女の息の根を止めることなどできないだろう。
「あ、あんたってやつは!!」
ひとしきり笑った後、ベルは組んだ手に顔を乗せて酒のおかわりを二桁ほど注文したフーケに話しかけた。
「聞かせてもらえるかしら。あなたに頼んだこと。その成果を全部」
フーケの話を小さくうなずきながら聞いていたベルは、話に一区切り終わると
「なかなかよく調べたじゃない」
と、口を開いた。
「ロマリア、ガリア、ゲルマニアいずれも牙を研ぎ続けているわね。それに面白いこともしてるみたいだし」
「なら、そっちの方からかい?アルビオンは後にして」
そうさせて欲しかった。
同じアルビオンに行くなんて冗談じゃない。
「そうね……」
ベルはフーケの顔をちらりと見た後、宙を見上げる。
そこを飛ぶ茶色い蛾の羽に手を伸ばし捕まえた。
「アルビオンのレコンキスタからにしましょう」
フーケは小さく舌を打った。
一度は自分を殺した相手と同じところに行くというのはあまり気持ちのいい物ではない。
「そうそう、もうちょっと教えてくれないかしら」
「なんだい?」
「アルビオンに行く途中で出るって言う海賊。それが一番狙いそうな積み荷って何かしら?」
「そうだね……」
フーケが考える間、ベルは摘んだ蛾を自分が作り出した光に近づけ、離し、それを繰り返す。
蛾は光に近づくたびに足を動かしてもがいた。
「なかなかよく調べたじゃない」
と、口を開いた。
「ロマリア、ガリア、ゲルマニアいずれも牙を研ぎ続けているわね。それに面白いこともしてるみたいだし」
「なら、そっちの方からかい?アルビオンは後にして」
そうさせて欲しかった。
同じアルビオンに行くなんて冗談じゃない。
「そうね……」
ベルはフーケの顔をちらりと見た後、宙を見上げる。
そこを飛ぶ茶色い蛾の羽に手を伸ばし捕まえた。
「アルビオンのレコンキスタからにしましょう」
フーケは小さく舌を打った。
一度は自分を殺した相手と同じところに行くというのはあまり気持ちのいい物ではない。
「そうそう、もうちょっと教えてくれないかしら」
「なんだい?」
「アルビオンに行く途中で出るって言う海賊。それが一番狙いそうな積み荷って何かしら?」
「そうだね……」
フーケが考える間、ベルは摘んだ蛾を自分が作り出した光に近づけ、離し、それを繰り返す。
蛾は光に近づくたびに足を動かしてもがいた。
「硫黄、だろうね。戦争のおかげで値段は馬鹿上がりさ。今の時期だと下手すりゃレコンキスタに手を出したってことで追われるかもしれないのに、度胸があるもんだよ」
「じゃあ、その硫黄を積んだ船で海賊が出そうなとこを通りそうな船は?」
「そんなのいないさ……いや、ちょっと航路は外れているけどマリー・ガラントが近いところを通りそうだね」
「ふぅん……ならそれにしましょう。それから」
ベルが指を開くと、蛾は羽をはばたかせてよたよたと飛び上がる。
どこかに逃げればいいのに蛾は光球に引き寄せられてしまう。
ベルは蛾のいなくなった指でフーケを招き寄せ、耳に口を近づけ、何事かをささやいた。
「……な!!そんなことにつきあえってのかい?それに、その話だって裏のとれてない噂からの推測じゃないかい!冗談じゃない、つきあえないよ!」
「あら」
フーケの怒鳴り声を聞き終えたベルは光球の周りを飛ぶ蛾を手のひらで包み込む。
次に手を開いたとき、蛾はばらばらの残骸となって床に落ちていった。
「拒否していいと思っているの?」
フーケは時々思う。
この女は本当に人間なのか、と。
もっと違う何かではないのか、と。
だがそれを知るすべはない。知りたくもなかった。
「じゃあ、その硫黄を積んだ船で海賊が出そうなとこを通りそうな船は?」
「そんなのいないさ……いや、ちょっと航路は外れているけどマリー・ガラントが近いところを通りそうだね」
「ふぅん……ならそれにしましょう。それから」
ベルが指を開くと、蛾は羽をはばたかせてよたよたと飛び上がる。
どこかに逃げればいいのに蛾は光球に引き寄せられてしまう。
ベルは蛾のいなくなった指でフーケを招き寄せ、耳に口を近づけ、何事かをささやいた。
「……な!!そんなことにつきあえってのかい?それに、その話だって裏のとれてない噂からの推測じゃないかい!冗談じゃない、つきあえないよ!」
「あら」
フーケの怒鳴り声を聞き終えたベルは光球の周りを飛ぶ蛾を手のひらで包み込む。
次に手を開いたとき、蛾はばらばらの残骸となって床に落ちていった。
「拒否していいと思っているの?」
フーケは時々思う。
この女は本当に人間なのか、と。
もっと違う何かではないのか、と。
だがそれを知るすべはない。知りたくもなかった。