*
どうしてこんな事になったのか。
オルレアン公女シャルロット姫こと『雪風』のタバサは目の前の光景に呆然とした。眼鏡もずり落ちている。
いまいち現実味がないのだ。特に王宮の門に掲げられた大きな看板に。そこに書かれた文字に。
そして、かつては威容を誇ったガリアの王城、グラン・トロワに貴族平民の区別無く多くの人が集まって楽しげに練り歩いているという光景に。
オルレアン公女シャルロット姫こと『雪風』のタバサは目の前の光景に呆然とした。眼鏡もずり落ちている。
いまいち現実味がないのだ。特に王宮の門に掲げられた大きな看板に。そこに書かれた文字に。
そして、かつては威容を誇ったガリアの王城、グラン・トロワに貴族平民の区別無く多くの人が集まって楽しげに練り歩いているという光景に。
『日光ガリア村』
ガリアなのはいい。ここは間違いなくガリア王国なのだから。
だが、何故『村』なのか? なんで『日光』? 確かに太陽の光はめでたい感じだけど。
そして何より、どうしてジョゼフ王がルイズの使い魔と同じ髪型で、やたら布地の余る見た事も無い格好でバカ笑いしているのか?
事の起こりは、例によってイザベラの理不尽な指令からだ。
トリステインで評判になっているラ・ヴァリエールの使い魔を調査せよという物である。これはタバサにとってかつてない難題だった。
自分もまた興味を持っていたので、これまでもそれとなく観察していたのだが、アレが一体何なのかという結論は未だに出ていない。
だが指令とあっては報告しないわけにもいかない。苦心の挙句、取り敢えず判明している事を箇条書きにして纏めた。
それを持ってガリアのプチ・トロワを訪れたが、イザベラ王女は読んだ途端に激怒した。
タバサ的にも納得の激怒であったから不思議には思わなかった。
だが、何故『村』なのか? なんで『日光』? 確かに太陽の光はめでたい感じだけど。
そして何より、どうしてジョゼフ王がルイズの使い魔と同じ髪型で、やたら布地の余る見た事も無い格好でバカ笑いしているのか?
事の起こりは、例によってイザベラの理不尽な指令からだ。
トリステインで評判になっているラ・ヴァリエールの使い魔を調査せよという物である。これはタバサにとってかつてない難題だった。
自分もまた興味を持っていたので、これまでもそれとなく観察していたのだが、アレが一体何なのかという結論は未だに出ていない。
だが指令とあっては報告しないわけにもいかない。苦心の挙句、取り敢えず判明している事を箇条書きにして纏めた。
それを持ってガリアのプチ・トロワを訪れたが、イザベラ王女は読んだ途端に激怒した。
タバサ的にも納得の激怒であったから不思議には思わなかった。
- 猫っぽいようで猫っぽくない亜人。
- 性格は穏やか。見ているだけで和む。
- 後は良く分からない。
その3行しか書いていないのだ。
「良く分からないってなんなのさ!? だから調査を命じたんだろっ」
そう言われても。なんだ、その。困る。
ヒートアップして物を投げてきたイザベラに内心で溜息を吐いた。が、次の瞬間、目を見開いた。その様子に、当の王女も不審な顔付きになる。
「何だい? えぇ、ガーゴイル。その顔は。何がおかしいって言う……の、さ」
何らかの気配を感じたのか、王女がギギギと首を横に向ける。
そこに、彼は立っていた。いつものように変に澄ました顔で。ピンと背筋を伸ばし、力まず焦らず、静かに佇んでいたのだ。
そして片手を伸ばし、ポムとイザベラの頭に肉球がついた片手を乗せる。
「ちょいと七号。コレ、何?」
「例の使い魔」
「何でココにいるんだい?」
「……さあ」
「アンタが連れてきたのか?」
「ちがう。いつの間にか、そこにいた」
出来の悪いガーゴイルのような動きで、イザベラがギギギと正面を向く。そして顔を真っ赤にし、大声で叫んだ。
「で、出あえッ! じょ、城内に侵入者がッ!!」
それは確かにプチ・トロワに詰めていた騎士達の耳に届き、彼らはおっとり刀で王女の元に駆けつける事になった。
だが、そこで騎士が見たのは、闘争の現場などではなく、異様に愛らしい生物にポンポンと頭を撫でられ、幸せそうに目を細めているイザベラの姿であった。
「あ、うん。誤報だ。戻ってよし。シャルロットも帰っていいから」
ホンの僅かな間にすっかり毒を抜かれて和みまくってしまった王女は、その日から人が変わったように穏やかになった。
以来、トリステインのアンリエッタと並んで『癒し系王女』と呼ばれるようになる。
それはタバサにとって、アレに関して深く考えるのは止めようと決心させる出来事でもあった。
プチ・トロワで王女イザベラを和ませたニャンまげは、次の晩にはガリア王ジョゼフの部屋にいた。
例によっていつの間にかそこにいたのだから流石のジョゼフも驚いた。ポカンと口を開け、されるままに頭を撫でられる。
「な、何だ……お前は」
そのジョゼフに、ニャンまげは一束の紙を差し出した。何となく受け取ってしまったジョゼフは、流されるままにそれを捲り、首を傾げる。
「『てーまぱーく』? それを余に作れと言うのか?」
コクンと頷くニャンまげ。何も語らず、ただその黒い瞳はジョゼフを見つめるのみ。
「そうか。あ、あぁ……分かった。ふむ、面白そうだ」
そして出来たのが『日光ガリア村』だ。王城グラン・トロワを思い切って改装し、各種のアトラクションや舞台を設置して、貴族平民の区別無く招き入れたのだ。
お遊びも大概にせよとジョゼフを快く思わない貴族たちも、ニャンまげによって頭をポムポムと撫でられて篭絡された。
結果的に入場料で国庫が潤い、国内経済も活性化したのでジョゼフ1世は後に『賢王』などと呼ばれる事になる。
堪らんのはタバサだ。怨敵が妙に毒の無い性格になり、親子揃って「ごめん」と自分に頭を下げたのである。正直、どうして良いか分からなかった。
そしてヨロヨロと自分の家に帰ると、そこにアレがいた。
ニャンまげである。
執事のペルスランに「ところでお嬢様、そちらの御仁は?」と訪ねられ、横を向いたらそこにいたのだ。
思わず「ひゃうッ!」と、らしくない叫び声を上げてしまった。だが例によってポムと頭を撫でられて落ち着かされた。
「何か、よう?」
訪ねると亜人はコクンと頷く。そしてタバサの手を取り、トコトコと屋敷内を歩いた。連れられるままに進み、辿り着いたのは無人の客室である。
そこでニャンまげは首を捻った。およそ5秒ほどの沈黙の後、何事も無かったように部屋を出る。
わけが分からない。混乱するタバサ。
だがそんな彼女をニャンまげは手を引いて屋敷内を練り歩く。
そして一番奥の部屋へ、ごく自然に入った。誰あろうタバサママの部屋だ。
「おのれ、またやって来たかッ! この子は渡さな……あふ」
タバサがあっと思った時には遅かった。ニャンまげは当たり前のようにタバサママの前まで歩き、完全に取り乱している彼女の頭にポンと手を乗せる。
「シャル、ロット……は、渡しま、せん。あふ、んー」
母が、エルフの薬で心を壊されていた筈の母が、和んでいた。
ポカーンと呆気に取られるタバサ。彼女には何となく見えていた。母親の体から、何やら黒い瘴気がフシューと音を立てて出て行くのが。
そしてそれが完全に収まった時、母親はパチリと目を開いて自分を撫で回す白い亜人を見上げた。
「あら、何やらとっても可愛らしいですね」
眼鏡が口元までズリ落ちた。何それ。そんなので治っちゃうの? 私の苦労って何?
楽しそうにニャンまげに抱きつき、キャッキャとはしゃぐ母の姿に、タバサは唖然とした。
「あ、の……母さま?」
「あら。貴女、シャルロット?」
だが、何だかどうでも良くなってきた。色々な事がどうでも良くなってきた。父は帰らないが、母は帰って来たのだ。
痩せ細り、頬がこけて髪はバサバサなままだが、それも時が経てば癒えるだろう。澄んだ青い瞳には理性の輝きがあるのだから。
「母さまっ!」
杖を放り出して母に抱きつき、そのまま泣きじゃくって崩れ落ちるタバサ。それをニャンまげは、一仕事したと言わんばかりの顔で温かく見つめていた。
そして数日後。
オルレアン家の不名誉印は取り外され、ガリア王ジョゼフ1世は正式に己の非を認めた。
『日光ガリア村』の大舞台で、多くの国民が見守る中、オルレアン親子に土下座したのである。
かつ王位を娘のイザベラに譲り、自分は今後、ガリア発展に尽くすと宣言。
オルレアン公シャルル、及びかつての粛清で命を落としたオルレアン派の貴族に対しては、私財を全て注いだ慰霊碑を建立した。
それで手打ちである。
オルレアン親子としては心からジョゼフを許すとは流石にいかない。だが、帰らぬ人を帰せと言うのは無理な話である。
ジョゼフの首を落としてもシャルルが生き返るわけでなし。出来うる限りで最大の誠意を見せたのだから、それを持って落とし所とするしか無かった。
その晩、母が安らかな寝息を立てたのを確認したタバサは、そっと家を抜け出してラグドリアン湖畔の土手に座り、一人星を眺めた。
「……えーと」
胸に秘めた冷たい復讐心は、いつの間にか消え失せていた。
色々と考える事があった筈だったが、何も浮かばない。ただひたすらボーっと夜空を見上げた。
「あ……」
ふと横を見ると、ニャンまげがいた。自分を3秒ほど見つめ、そして片手をポムと頭に乗せる。
取り敢えず和んだ。そしてタバサは、考えるのを止めた。
ただ最後に、髪を伸ばしてみようか、と意味も無く思った。
「良く分からないってなんなのさ!? だから調査を命じたんだろっ」
そう言われても。なんだ、その。困る。
ヒートアップして物を投げてきたイザベラに内心で溜息を吐いた。が、次の瞬間、目を見開いた。その様子に、当の王女も不審な顔付きになる。
「何だい? えぇ、ガーゴイル。その顔は。何がおかしいって言う……の、さ」
何らかの気配を感じたのか、王女がギギギと首を横に向ける。
そこに、彼は立っていた。いつものように変に澄ました顔で。ピンと背筋を伸ばし、力まず焦らず、静かに佇んでいたのだ。
そして片手を伸ばし、ポムとイザベラの頭に肉球がついた片手を乗せる。
「ちょいと七号。コレ、何?」
「例の使い魔」
「何でココにいるんだい?」
「……さあ」
「アンタが連れてきたのか?」
「ちがう。いつの間にか、そこにいた」
出来の悪いガーゴイルのような動きで、イザベラがギギギと正面を向く。そして顔を真っ赤にし、大声で叫んだ。
「で、出あえッ! じょ、城内に侵入者がッ!!」
それは確かにプチ・トロワに詰めていた騎士達の耳に届き、彼らはおっとり刀で王女の元に駆けつける事になった。
だが、そこで騎士が見たのは、闘争の現場などではなく、異様に愛らしい生物にポンポンと頭を撫でられ、幸せそうに目を細めているイザベラの姿であった。
「あ、うん。誤報だ。戻ってよし。シャルロットも帰っていいから」
ホンの僅かな間にすっかり毒を抜かれて和みまくってしまった王女は、その日から人が変わったように穏やかになった。
以来、トリステインのアンリエッタと並んで『癒し系王女』と呼ばれるようになる。
それはタバサにとって、アレに関して深く考えるのは止めようと決心させる出来事でもあった。
プチ・トロワで王女イザベラを和ませたニャンまげは、次の晩にはガリア王ジョゼフの部屋にいた。
例によっていつの間にかそこにいたのだから流石のジョゼフも驚いた。ポカンと口を開け、されるままに頭を撫でられる。
「な、何だ……お前は」
そのジョゼフに、ニャンまげは一束の紙を差し出した。何となく受け取ってしまったジョゼフは、流されるままにそれを捲り、首を傾げる。
「『てーまぱーく』? それを余に作れと言うのか?」
コクンと頷くニャンまげ。何も語らず、ただその黒い瞳はジョゼフを見つめるのみ。
「そうか。あ、あぁ……分かった。ふむ、面白そうだ」
そして出来たのが『日光ガリア村』だ。王城グラン・トロワを思い切って改装し、各種のアトラクションや舞台を設置して、貴族平民の区別無く招き入れたのだ。
お遊びも大概にせよとジョゼフを快く思わない貴族たちも、ニャンまげによって頭をポムポムと撫でられて篭絡された。
結果的に入場料で国庫が潤い、国内経済も活性化したのでジョゼフ1世は後に『賢王』などと呼ばれる事になる。
堪らんのはタバサだ。怨敵が妙に毒の無い性格になり、親子揃って「ごめん」と自分に頭を下げたのである。正直、どうして良いか分からなかった。
そしてヨロヨロと自分の家に帰ると、そこにアレがいた。
ニャンまげである。
執事のペルスランに「ところでお嬢様、そちらの御仁は?」と訪ねられ、横を向いたらそこにいたのだ。
思わず「ひゃうッ!」と、らしくない叫び声を上げてしまった。だが例によってポムと頭を撫でられて落ち着かされた。
「何か、よう?」
訪ねると亜人はコクンと頷く。そしてタバサの手を取り、トコトコと屋敷内を歩いた。連れられるままに進み、辿り着いたのは無人の客室である。
そこでニャンまげは首を捻った。およそ5秒ほどの沈黙の後、何事も無かったように部屋を出る。
わけが分からない。混乱するタバサ。
だがそんな彼女をニャンまげは手を引いて屋敷内を練り歩く。
そして一番奥の部屋へ、ごく自然に入った。誰あろうタバサママの部屋だ。
「おのれ、またやって来たかッ! この子は渡さな……あふ」
タバサがあっと思った時には遅かった。ニャンまげは当たり前のようにタバサママの前まで歩き、完全に取り乱している彼女の頭にポンと手を乗せる。
「シャル、ロット……は、渡しま、せん。あふ、んー」
母が、エルフの薬で心を壊されていた筈の母が、和んでいた。
ポカーンと呆気に取られるタバサ。彼女には何となく見えていた。母親の体から、何やら黒い瘴気がフシューと音を立てて出て行くのが。
そしてそれが完全に収まった時、母親はパチリと目を開いて自分を撫で回す白い亜人を見上げた。
「あら、何やらとっても可愛らしいですね」
眼鏡が口元までズリ落ちた。何それ。そんなので治っちゃうの? 私の苦労って何?
楽しそうにニャンまげに抱きつき、キャッキャとはしゃぐ母の姿に、タバサは唖然とした。
「あ、の……母さま?」
「あら。貴女、シャルロット?」
だが、何だかどうでも良くなってきた。色々な事がどうでも良くなってきた。父は帰らないが、母は帰って来たのだ。
痩せ細り、頬がこけて髪はバサバサなままだが、それも時が経てば癒えるだろう。澄んだ青い瞳には理性の輝きがあるのだから。
「母さまっ!」
杖を放り出して母に抱きつき、そのまま泣きじゃくって崩れ落ちるタバサ。それをニャンまげは、一仕事したと言わんばかりの顔で温かく見つめていた。
そして数日後。
オルレアン家の不名誉印は取り外され、ガリア王ジョゼフ1世は正式に己の非を認めた。
『日光ガリア村』の大舞台で、多くの国民が見守る中、オルレアン親子に土下座したのである。
かつ王位を娘のイザベラに譲り、自分は今後、ガリア発展に尽くすと宣言。
オルレアン公シャルル、及びかつての粛清で命を落としたオルレアン派の貴族に対しては、私財を全て注いだ慰霊碑を建立した。
それで手打ちである。
オルレアン親子としては心からジョゼフを許すとは流石にいかない。だが、帰らぬ人を帰せと言うのは無理な話である。
ジョゼフの首を落としてもシャルルが生き返るわけでなし。出来うる限りで最大の誠意を見せたのだから、それを持って落とし所とするしか無かった。
その晩、母が安らかな寝息を立てたのを確認したタバサは、そっと家を抜け出してラグドリアン湖畔の土手に座り、一人星を眺めた。
「……えーと」
胸に秘めた冷たい復讐心は、いつの間にか消え失せていた。
色々と考える事があった筈だったが、何も浮かばない。ただひたすらボーっと夜空を見上げた。
「あ……」
ふと横を見ると、ニャンまげがいた。自分を3秒ほど見つめ、そして片手をポムと頭に乗せる。
取り敢えず和んだ。そしてタバサは、考えるのを止めた。
ただ最後に、髪を伸ばしてみようか、と意味も無く思った。
おわり