ロマリアとガリアの間に開かれた戦端は、ジョゼフの死亡によって終焉を迎えた。トリステインは
両者の戦争の間、ガリアの牙がこちらに向いたらと震え上がっていたので、戦争の終結の報が届いた
時には誰もが胸をなで下ろしたものだった。そして戦争の勝利及び早期終結に貢献したオンディーヌと
ルイズ、ティファニアにはその恩賞が与えられた。いや別に才人以外のオンディーヌがこれと言って
何かした訳ではないのだが、対外的な理由によって隊長のギーシュはシュヴァリエに叙され、隊員たち
には一人ずつに勲章が与えられたのであった。
そして戦勝を祝う魔法学院の宴の中で、才人とルイズは二人でバルコニーに出ていた。
才人はホールから聞こえてくるオンディーヌの起こす喧騒に耳を傾けながらため息を吐く。
「全く……みんなのんきなもんだぜ」
「いいじゃない。ジョゼフ王は死んで、その裏の黒幕もやっつけた。当分は平和になるわ。
少しぐらいの羽目外しは大目に見てあげなさいよ」
「けどな……タバサがここからいなくなっちゃったってのに」
ロマリアのたくらみを見抜き、その罠を回避したタバサであったが――結局、ガリアの
王位を継承すること自体は受け入れた。何故なら、継承権を失ったジョゼフの子を除いた
ガリア王家の生き残りは彼女とその母親の二人のみ。タバサの母は長きに亘る心神喪失の
影響でとても戦後の混乱を収める体力はなく、自分が王座に就かなければガリアは指導者
不在になってしまう。そうなったらロマリアの格好の的だ。聖戦のために陰謀を張り巡らす
ロマリアを牽制する意味で、タバサはシャルロット女王として即位。ロマリアからの干渉を
遮断する方向に政治の舵を切っているところだという。
「まぁ確かに、キュルケじゃないけれど、あの子がいなかったらいないで寂しいわよね」
「それだけじゃない。ロマリアからしたら、タバサを新しい女王にするということ自体は
叶ってるんだ。当然そこで終わりじゃないだろう、タバサを利用する何かしらの算段が
あるはず……。そこが俺、心配でさ……」
今は遠く離れたタバサの身を案ずる才人に、ルイズが気を紛らわさせるように説く。
「大丈夫よ。聖地を取り返すためには四の四が必要なはず。でも、ガリアの担い手のジョゼフ
王は死んじゃった。続けようがないじゃない。ロマリアの陰謀もこれでストップよ」
「でもな……。あいつらは、それでも遂行できる自信があると思うんだ」
才人はずっと気になっていたことをルイズに言った。
「だって……絶対ジョゼフは味方にならない。あいつらそう考えて行動してたんじゃないか。
つまり、別にそろわなくても出来るんじゃないか?」
不安に思う才人だったが、ルイズは次のように指摘する。
「わたしたちが、ガリアの担い手はジョゼフ王だって知ったのは、最後の最後じゃない」
「あ」
得心する才人。自分たちが、ジョゼフが虚無の担い手だという情報を最初に入手したのは、
カステルモールの手紙から。その内容を知らないロマリアは、事前にジョゼフが担い手だと
知るすべなどなかったはずだ。
「ロマリアもジョゼフ王じゃない、別の担い手がいると思ってた。ジョゼフ王を打倒した後、
そいつを味方にするつもりだったんでしょ。でもガリアの担い手はジョゼフ王でした。教皇
聖下の計画は頓挫したのよ。四の四がそろわないと、真の虚無とやらは目覚めないんだから。
だからもう案ずる必要なんてないのよ」
「なるほど……」
才人はルイズの唱える理屈に納得したものの……。
『いや、俺はそうは思わねぇな』
ゼロは異議を挟んだ。
「え? 何でよ。さっきも言ったけど、ロマリアはジョゼフ王が担い手だと事前に知ることは
出来なかったはずなのよ」
『いいや。確信はなくとも、予測は立てられたはずだぜ。虚無の担い手は、覚醒する前は
傍目から見りゃメイジの家系なのに魔法の才能が全くないって風に映るんだろ?』
ゼロの言う通り。ルイズもかつては、どの系統の魔法も扱えない劣等生のレッテルを貼られて
いたものだ。
『聞いた話じゃ、ジョゼフもその条件には当てはまってた。あいつが担い手だと、十分に
予測はつけられたはずだ。それでも敵対したってことは、才人の言う通り、何か他のアテが
あるんだろうよ。それに俺の経験的に、悪いこと考えてる奴は真の狙いや思惑を隠してる
もんだ。予断は出来ないんじゃねぇかって思うぜ』
才人は、今度はゼロの論理に感心させられる。しかしルイズはまたまた反論。
「でも、聖下もロマリア軍も既にガリアから撤退したのよ。タバサに何かするつもりなら、
理由をつけてガリアに留まろうとするんじゃないかしら?」
『何を狙ってるのかまでは分からねぇさ。ただ、まだしばらくは警戒を続けとくべきだろう。
ミラーナイトにも見張っててもらおうか』
まだロマリアの陰謀が終わっていない可能性を示され、才人とルイズの不安が大きくなった。
才人は一つため息を吐く。
「あのタバサのことだから、そう簡単には大事にはならないとは思うけど……一つの大きな
戦いが終わったのに不安要素が残るってのは、気分がいいもんじゃないんだな……」
短い時間でもいいから、心の底から安堵したいもんだ……と顔をしかめる才人。ガリアの
件が落着してすぐに、今度はロマリアを敵に回さなければならないと考えたら、さすがに嫌に
なってくる。こんな戦いの連続に、いつ終わりがやって来るのだろうか……。
(……戦いの、終わりか……)
才人はふと、その時を想像して複雑な気持ちを抱いた。このハルケギニアでの全ての戦いを
終えて、真の平和が戻った時は……自分がゼロと一体化している理由はなくなり、地球に帰る
こととなる。いつになるかは全然分からないが……その時はハルケギニアで出会った仲間たちと、
そしてルイズと、どのような別れを迎えるのだろうか。そして、その先の未来はどうなるのか……。
ここで、主を失ったミョズニトニルンのことを思い返した。
両者の戦争の間、ガリアの牙がこちらに向いたらと震え上がっていたので、戦争の終結の報が届いた
時には誰もが胸をなで下ろしたものだった。そして戦争の勝利及び早期終結に貢献したオンディーヌと
ルイズ、ティファニアにはその恩賞が与えられた。いや別に才人以外のオンディーヌがこれと言って
何かした訳ではないのだが、対外的な理由によって隊長のギーシュはシュヴァリエに叙され、隊員たち
には一人ずつに勲章が与えられたのであった。
そして戦勝を祝う魔法学院の宴の中で、才人とルイズは二人でバルコニーに出ていた。
才人はホールから聞こえてくるオンディーヌの起こす喧騒に耳を傾けながらため息を吐く。
「全く……みんなのんきなもんだぜ」
「いいじゃない。ジョゼフ王は死んで、その裏の黒幕もやっつけた。当分は平和になるわ。
少しぐらいの羽目外しは大目に見てあげなさいよ」
「けどな……タバサがここからいなくなっちゃったってのに」
ロマリアのたくらみを見抜き、その罠を回避したタバサであったが――結局、ガリアの
王位を継承すること自体は受け入れた。何故なら、継承権を失ったジョゼフの子を除いた
ガリア王家の生き残りは彼女とその母親の二人のみ。タバサの母は長きに亘る心神喪失の
影響でとても戦後の混乱を収める体力はなく、自分が王座に就かなければガリアは指導者
不在になってしまう。そうなったらロマリアの格好の的だ。聖戦のために陰謀を張り巡らす
ロマリアを牽制する意味で、タバサはシャルロット女王として即位。ロマリアからの干渉を
遮断する方向に政治の舵を切っているところだという。
「まぁ確かに、キュルケじゃないけれど、あの子がいなかったらいないで寂しいわよね」
「それだけじゃない。ロマリアからしたら、タバサを新しい女王にするということ自体は
叶ってるんだ。当然そこで終わりじゃないだろう、タバサを利用する何かしらの算段が
あるはず……。そこが俺、心配でさ……」
今は遠く離れたタバサの身を案ずる才人に、ルイズが気を紛らわさせるように説く。
「大丈夫よ。聖地を取り返すためには四の四が必要なはず。でも、ガリアの担い手のジョゼフ
王は死んじゃった。続けようがないじゃない。ロマリアの陰謀もこれでストップよ」
「でもな……。あいつらは、それでも遂行できる自信があると思うんだ」
才人はずっと気になっていたことをルイズに言った。
「だって……絶対ジョゼフは味方にならない。あいつらそう考えて行動してたんじゃないか。
つまり、別にそろわなくても出来るんじゃないか?」
不安に思う才人だったが、ルイズは次のように指摘する。
「わたしたちが、ガリアの担い手はジョゼフ王だって知ったのは、最後の最後じゃない」
「あ」
得心する才人。自分たちが、ジョゼフが虚無の担い手だという情報を最初に入手したのは、
カステルモールの手紙から。その内容を知らないロマリアは、事前にジョゼフが担い手だと
知るすべなどなかったはずだ。
「ロマリアもジョゼフ王じゃない、別の担い手がいると思ってた。ジョゼフ王を打倒した後、
そいつを味方にするつもりだったんでしょ。でもガリアの担い手はジョゼフ王でした。教皇
聖下の計画は頓挫したのよ。四の四がそろわないと、真の虚無とやらは目覚めないんだから。
だからもう案ずる必要なんてないのよ」
「なるほど……」
才人はルイズの唱える理屈に納得したものの……。
『いや、俺はそうは思わねぇな』
ゼロは異議を挟んだ。
「え? 何でよ。さっきも言ったけど、ロマリアはジョゼフ王が担い手だと事前に知ることは
出来なかったはずなのよ」
『いいや。確信はなくとも、予測は立てられたはずだぜ。虚無の担い手は、覚醒する前は
傍目から見りゃメイジの家系なのに魔法の才能が全くないって風に映るんだろ?』
ゼロの言う通り。ルイズもかつては、どの系統の魔法も扱えない劣等生のレッテルを貼られて
いたものだ。
『聞いた話じゃ、ジョゼフもその条件には当てはまってた。あいつが担い手だと、十分に
予測はつけられたはずだ。それでも敵対したってことは、才人の言う通り、何か他のアテが
あるんだろうよ。それに俺の経験的に、悪いこと考えてる奴は真の狙いや思惑を隠してる
もんだ。予断は出来ないんじゃねぇかって思うぜ』
才人は、今度はゼロの論理に感心させられる。しかしルイズはまたまた反論。
「でも、聖下もロマリア軍も既にガリアから撤退したのよ。タバサに何かするつもりなら、
理由をつけてガリアに留まろうとするんじゃないかしら?」
『何を狙ってるのかまでは分からねぇさ。ただ、まだしばらくは警戒を続けとくべきだろう。
ミラーナイトにも見張っててもらおうか』
まだロマリアの陰謀が終わっていない可能性を示され、才人とルイズの不安が大きくなった。
才人は一つため息を吐く。
「あのタバサのことだから、そう簡単には大事にはならないとは思うけど……一つの大きな
戦いが終わったのに不安要素が残るってのは、気分がいいもんじゃないんだな……」
短い時間でもいいから、心の底から安堵したいもんだ……と顔をしかめる才人。ガリアの
件が落着してすぐに、今度はロマリアを敵に回さなければならないと考えたら、さすがに嫌に
なってくる。こんな戦いの連続に、いつ終わりがやって来るのだろうか……。
(……戦いの、終わりか……)
才人はふと、その時を想像して複雑な気持ちを抱いた。このハルケギニアでの全ての戦いを
終えて、真の平和が戻った時は……自分がゼロと一体化している理由はなくなり、地球に帰る
こととなる。いつになるかは全然分からないが……その時はハルケギニアで出会った仲間たちと、
そしてルイズと、どのような別れを迎えるのだろうか。そして、その先の未来はどうなるのか……。
ここで、主を失ったミョズニトニルンのことを思い返した。
ミョズニトニルンは才人のパラライザーの影響で、ジョゼフが才人に敗れ、死神に殺害
されるまでの出来事を、見ていることしか出来なかった。フリゲート艦からはロマリア騎士
たちに助けられ、麻痺が抜けたのは、全てが終わってからであった。
ミョズニトニルンはその後、魂どころか何もかもが身体から抜け落ちてしまったかのように、
虚ろな状態に陥っていた。その様子は、ジョゼフとともに彼女に苦しめられた才人たちが憐れんで
しまうほどであった。
『ミョズニトニルン……あなた、もしかしてジョゼフ王のことを……』
ルイズが女として何かに気がついて問いかけようとしたが、ミョズニトニルンはそれを
さえぎって言った。
『たとえあのお方が、私のことを何とも思って下さらなかったとしても、私にとってあのお方は
全てだった……。それを失った今、私にこの土地での居場所はないわ……』
ミョズニトニルンはふらふらとどこかへ歩み去っていく。主の死により虚無の使い魔でなくなり、
元々生活していた土地に帰るつもりなのであろうか。
才人たちはそれを止めなかった。止めたところで、どうなるというのか。
『……一つだけ教えてくれ! 本名は何て言うんだ!?』
それだけ聞くと、彼女はこう答えた。
『もう私に、名前なんてない。愛した主人の死に何も出来なかった、ただの一人のちっぽけな女。
それだけよ……』
そうして本当の名前すらも分からない、哀れな女はどこかへと消えていった。ロマリアも、
使い魔のルーンを失った彼女にはもう興味も価値も見出さないのか、なすがままにした。
かつてミョズニトニルンだった女が、無事に故郷へ帰れるのか、それとも途中で
どこかで斃れてしまうのか。それはもう彼女自身にしか分からないことであろう。
されるまでの出来事を、見ていることしか出来なかった。フリゲート艦からはロマリア騎士
たちに助けられ、麻痺が抜けたのは、全てが終わってからであった。
ミョズニトニルンはその後、魂どころか何もかもが身体から抜け落ちてしまったかのように、
虚ろな状態に陥っていた。その様子は、ジョゼフとともに彼女に苦しめられた才人たちが憐れんで
しまうほどであった。
『ミョズニトニルン……あなた、もしかしてジョゼフ王のことを……』
ルイズが女として何かに気がついて問いかけようとしたが、ミョズニトニルンはそれを
さえぎって言った。
『たとえあのお方が、私のことを何とも思って下さらなかったとしても、私にとってあのお方は
全てだった……。それを失った今、私にこの土地での居場所はないわ……』
ミョズニトニルンはふらふらとどこかへ歩み去っていく。主の死により虚無の使い魔でなくなり、
元々生活していた土地に帰るつもりなのであろうか。
才人たちはそれを止めなかった。止めたところで、どうなるというのか。
『……一つだけ教えてくれ! 本名は何て言うんだ!?』
それだけ聞くと、彼女はこう答えた。
『もう私に、名前なんてない。愛した主人の死に何も出来なかった、ただの一人のちっぽけな女。
それだけよ……』
そうして本当の名前すらも分からない、哀れな女はどこかへと消えていった。ロマリアも、
使い魔のルーンを失った彼女にはもう興味も価値も見出さないのか、なすがままにした。
かつてミョズニトニルンだった女が、無事に故郷へ帰れるのか、それとも途中で
どこかで斃れてしまうのか。それはもう彼女自身にしか分からないことであろう。
――たとえ世界にどんなことが起ころうとも、時間は変わりなく流れ続ける。才人たちも
意識を切り換えて、変わっていく日常の中に戻っていった。
ルイズは今年で最高学年である。魔法学院に在籍している日数も少なくなってきた。そこで
少し気は早いが、卒業後に生活する屋敷を探すこととなった。卒業してからは寮塔からそこを
ウルティメイトフォースゼロの活動の拠点とするつもりだ。
が、しかし……。
「結局、どこも見つからなかったって訳ぇ?」
『魅惑の妖精』亭の店長スカロンが、屋敷探し後に憮然とした調子で立ち寄ったルイズたちの
報告に呆れ返った。
ルイズと才人が暮らす屋敷は、一件も見つけることが出来ず仕舞いだった。何故なら、
シエスタが同行していたからである。シエスタは才人つきのメイドであり、新しい屋敷を
探すなら当然彼女の意見も重要となるのだが、シエスタが何か言う度にルイズが感情的に
強固に反対するのだから、それは屋敷が決まらないのも当然であった。
ルイズの本心としては、才人を男として狙うシエスタを、というかメイドそのものを屋敷に
入れたくないのである。しかしそれは全く現実的ではない。貴族として使用人を雇わない訳には
いかないし、男には任せられない仕事もある。メイドは必要なのだし、今更シエスタを個人的な
理由で解雇する訳にはいかない。でもやはりシエスタを近辺に置いといたら安心が……と、
ルイズは矛盾に陥っていた。
そこにスカロンが解決策を提示した。
「サイトくんはお屋敷を買う。ルイズちゃんと暮らす。シエちゃんも雇う。これで万事解決」
「どうしてそうなるのよ!」
顔を輝かせるシエスタとは反対に怒鳴るルイズを、スカロンは極めて冷静に諭す。
「あのね、ルイズちゃん。サイトくんは今や平民の英雄なのよ」
「え?」
「あれをご覧なさいな」
スカロンが指差した食堂の壁に目を向けるルイズたち。そこには歌劇の公演ポスターが
貼られていた。
トリスタニアは何度もウルティメイトフォースゼロに救われているので、市民からのゼロたち
への人気は非常に高い。劇場でも、ゼロたちの演劇が毎日のように公演されているのだが……
今あるポスターの演目はそれではなかった。
剣を持った男が、恐らくジョゼフのつもりなのだろう恐ろしい格好の王様に立ち向かう様が
描かれている。ルイズが唖然と演目名を読み上げた。
「勇者ヒリーギル?」
「サイトくんのことよ」
どうして才人が歌劇の主役になっているのか。その理由を語るスカロン。
「元々アルビオンでの活躍から、サイトくんの名前は平民の間で有名だったわ。そこにガリア
との戦争で、見たこともない兵器で怪獣に一人立ち向かい、貴族を何人も決闘で負かして、
挙句には敵国の王様を破ったって話が届けば、そりゃあ爆発的に人気が出るのも当然だわ」
人の噂は吹き抜ける風のように伝わっていくもの。才人が事実上ジョゼフを打ち負かした
ところは、ロマリア騎士たちも目撃していたので、そこから話が広まったようだ。
「特にサイトくんは元平民。それが貴族の位を授かって、悪い王様をやっつけたなんて話、
まるでお伽話か叙事詩のよう。今では平民の希望の星として、場所によってはウルトラマン
ゼロ以上の支持があるってことよ」
「ま、マジかぁ……」
予想外のところで自分が持ち上げられている事実に、才人は喜びではなく戸惑いを覚えた。
これでもしも自分がウルトラマンゼロでもあるなんてことが知れ渡ったら、ショック死して
しまう人まで出るのではないだろうか。
しかし、一方で問題も発生しているという。
「人気が出れば、面白く思わない人たちだって出てくる。ルイズちゃん、誰だと思う?」
「貴族……」
ポツリとつぶやくルイズ。破竹の勢いで成り上がる者を、元々の特権階級が疎ましく思わない
はずがない。それが人間というものだ。ゼロたちは完全に生きる世界の違う者たちなのでその
悪感情の矛先が向くことはないが、才人はそうではないのだ。
「正解。うっかり知らない人間なんかを雇った日には、食事に何を混ぜられるのか知れたもん
じゃない。サイトくんには、シエちゃんみたいに絶対に信頼できる召使が必要なの」
ルイズは、先ほどのスカロンの意見の真意を理解した。最早シエスタは、自分たちの元に
いなければならない人間なのだ。つまらない嫉妬でどうこう言っている場合ではない。
「サイトくんも、今後は素顔を晒してトリスタニアを歩き回らないことね。すぐにもみくちゃに
されるわよ。きっと今も噂になってるかも……」
スカロンの忠告の途中で、『魅惑の妖精』亭の羽扉が外から開かれた。
「失礼する。ここにミス・ヴァリエールとサイトが……来ているな」
「アニエスさん!」
入ってきたのはアニエスだった。軽く驚くサイトたち。
「俺たちを捜してたんですか?」
「ああ。学院に向かうところだったのだが、街でお前たちが来ているという話を耳にしてな。
お前たちが立ち寄るならここだろうと覗きに来たのだ。しかしサイト、お前の人気ぶりは
すさまじいものになったな。あちこちでお前を称える声を聞くぞ」
スカロンの言う通り、噂になっていたようだ。才人は何だか照れくさいような、そこまで
人気が白熱して怖いような気分になった。
そんな才人は置いて、ルイズがアニエスに尋ねる。
「それより、わたしたちに何の用? また姫さまがわたしたちをお呼びとか……」
「察しがいいな。その通りだ」
アニエスは、トリステイン王家の花押が押された手紙を差し出した。
「陛下のお召しだ。直ちに宮廷に参内しろ」
意識を切り換えて、変わっていく日常の中に戻っていった。
ルイズは今年で最高学年である。魔法学院に在籍している日数も少なくなってきた。そこで
少し気は早いが、卒業後に生活する屋敷を探すこととなった。卒業してからは寮塔からそこを
ウルティメイトフォースゼロの活動の拠点とするつもりだ。
が、しかし……。
「結局、どこも見つからなかったって訳ぇ?」
『魅惑の妖精』亭の店長スカロンが、屋敷探し後に憮然とした調子で立ち寄ったルイズたちの
報告に呆れ返った。
ルイズと才人が暮らす屋敷は、一件も見つけることが出来ず仕舞いだった。何故なら、
シエスタが同行していたからである。シエスタは才人つきのメイドであり、新しい屋敷を
探すなら当然彼女の意見も重要となるのだが、シエスタが何か言う度にルイズが感情的に
強固に反対するのだから、それは屋敷が決まらないのも当然であった。
ルイズの本心としては、才人を男として狙うシエスタを、というかメイドそのものを屋敷に
入れたくないのである。しかしそれは全く現実的ではない。貴族として使用人を雇わない訳には
いかないし、男には任せられない仕事もある。メイドは必要なのだし、今更シエスタを個人的な
理由で解雇する訳にはいかない。でもやはりシエスタを近辺に置いといたら安心が……と、
ルイズは矛盾に陥っていた。
そこにスカロンが解決策を提示した。
「サイトくんはお屋敷を買う。ルイズちゃんと暮らす。シエちゃんも雇う。これで万事解決」
「どうしてそうなるのよ!」
顔を輝かせるシエスタとは反対に怒鳴るルイズを、スカロンは極めて冷静に諭す。
「あのね、ルイズちゃん。サイトくんは今や平民の英雄なのよ」
「え?」
「あれをご覧なさいな」
スカロンが指差した食堂の壁に目を向けるルイズたち。そこには歌劇の公演ポスターが
貼られていた。
トリスタニアは何度もウルティメイトフォースゼロに救われているので、市民からのゼロたち
への人気は非常に高い。劇場でも、ゼロたちの演劇が毎日のように公演されているのだが……
今あるポスターの演目はそれではなかった。
剣を持った男が、恐らくジョゼフのつもりなのだろう恐ろしい格好の王様に立ち向かう様が
描かれている。ルイズが唖然と演目名を読み上げた。
「勇者ヒリーギル?」
「サイトくんのことよ」
どうして才人が歌劇の主役になっているのか。その理由を語るスカロン。
「元々アルビオンでの活躍から、サイトくんの名前は平民の間で有名だったわ。そこにガリア
との戦争で、見たこともない兵器で怪獣に一人立ち向かい、貴族を何人も決闘で負かして、
挙句には敵国の王様を破ったって話が届けば、そりゃあ爆発的に人気が出るのも当然だわ」
人の噂は吹き抜ける風のように伝わっていくもの。才人が事実上ジョゼフを打ち負かした
ところは、ロマリア騎士たちも目撃していたので、そこから話が広まったようだ。
「特にサイトくんは元平民。それが貴族の位を授かって、悪い王様をやっつけたなんて話、
まるでお伽話か叙事詩のよう。今では平民の希望の星として、場所によってはウルトラマン
ゼロ以上の支持があるってことよ」
「ま、マジかぁ……」
予想外のところで自分が持ち上げられている事実に、才人は喜びではなく戸惑いを覚えた。
これでもしも自分がウルトラマンゼロでもあるなんてことが知れ渡ったら、ショック死して
しまう人まで出るのではないだろうか。
しかし、一方で問題も発生しているという。
「人気が出れば、面白く思わない人たちだって出てくる。ルイズちゃん、誰だと思う?」
「貴族……」
ポツリとつぶやくルイズ。破竹の勢いで成り上がる者を、元々の特権階級が疎ましく思わない
はずがない。それが人間というものだ。ゼロたちは完全に生きる世界の違う者たちなのでその
悪感情の矛先が向くことはないが、才人はそうではないのだ。
「正解。うっかり知らない人間なんかを雇った日には、食事に何を混ぜられるのか知れたもん
じゃない。サイトくんには、シエちゃんみたいに絶対に信頼できる召使が必要なの」
ルイズは、先ほどのスカロンの意見の真意を理解した。最早シエスタは、自分たちの元に
いなければならない人間なのだ。つまらない嫉妬でどうこう言っている場合ではない。
「サイトくんも、今後は素顔を晒してトリスタニアを歩き回らないことね。すぐにもみくちゃに
されるわよ。きっと今も噂になってるかも……」
スカロンの忠告の途中で、『魅惑の妖精』亭の羽扉が外から開かれた。
「失礼する。ここにミス・ヴァリエールとサイトが……来ているな」
「アニエスさん!」
入ってきたのはアニエスだった。軽く驚くサイトたち。
「俺たちを捜してたんですか?」
「ああ。学院に向かうところだったのだが、街でお前たちが来ているという話を耳にしてな。
お前たちが立ち寄るならここだろうと覗きに来たのだ。しかしサイト、お前の人気ぶりは
すさまじいものになったな。あちこちでお前を称える声を聞くぞ」
スカロンの言う通り、噂になっていたようだ。才人は何だか照れくさいような、そこまで
人気が白熱して怖いような気分になった。
そんな才人は置いて、ルイズがアニエスに尋ねる。
「それより、わたしたちに何の用? また姫さまがわたしたちをお呼びとか……」
「察しがいいな。その通りだ」
アニエスは、トリステイン王家の花押が押された手紙を差し出した。
「陛下のお召しだ。直ちに宮廷に参内しろ」
アンリエッタからの召集とあって、ロマリアが何か行動を起こしたのかと緊張したルイズたちで
あったが、それは杞憂であった。アンリエッタは私的にルイズたちに今度の戦の礼を述べるために
呼んだだけであった。
そしてルイズと才人、アンリエッタの三人だけの食事の席で、彼女はルイズたちをガリアとの
交渉官に任命した。ガリアとのパイプを太くして、聖戦に向かおうとするロマリアの動きを制する
ためだ。そのパイプ役に適任なのは、タバサと強いつながりがあるルイズたち以外にいない。
それを踏まえて、アンリエッタは言った。
「ルイズはともかく……サイト殿は一国の大使としては、お名前が短すぎるように思えるのです」
「サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガでしたっけ? 十分だと思いますけど」
「サイトは元平民ですから」
日本人の才人の感覚からすればそうだが、貴族の間ではそうではないようだ。
「ですから、わたくしとしてはそのお名前を、多少長くさせていただきたいのです」
才人にはアンリエッタの言わんとするところがピンと来なかったが、ルイズは目を丸くして
口をパクパクさせていた。
「ひ、姫さま? それは、つまりその……。それは、つまり、あの、その……」
「ええ。彼に領地を与えたいのです」
何でもないようなひと言だったが、さすがの才人も噴き出した。
「領地って! 土地ですか!?」
「トリスタニアの西に、ド・オルニエールという領主不在で持て余している土地があります。
あなた方も住むところを探していると聞きましたし、ちょうど良いと思いますが」
「姫さま、その、領地などサイトにはちょっと分不相応なのでは……!」
ルイズが控えめながらに反対した。領地を与えるということは、才人が領主、日本的に
言うなら殿様になるということだ。悪い冗談にしか思えない。
「分不相応な訳がありませぬ。サイト殿の貢献に報いるには、本当ならこれでも少ないと
言えましょう」
そう。オンディーヌやルイズ、ティファニアには学院でそれぞれ恩賞が与えられていたが、
一番活躍したはずの才人にだけ何もなかった。少し不可解ではあったが……この席で伝える
ために残しておいたという訳か。
「敵国の王を討ち取ったとあれば、爵位でもおかしくはないくらいですが、多忙である
サイト殿に宮仕えはさせられません」
「確かに……」
ルイズには、宮廷で政治に関わる才人の姿なんて想像できなかった。
「貴族の間にはサイト殿を妬む声もあると聞きます。これ以上いらぬ嫉妬を買ってはいけませんが、
救国の英雄、平民の希望の星に何の褒賞もなしではわたくしが平民から吊るし上げられてしまいます。
これが落としどころということで、どうかお受け取り下さいな」
「そういうことでしたら……。でも、いいのかなぁ……」
話を受けながらも、才人は今一つ釈然としていない様子だった。ルイズも、胸の奥に漠然と
した不安が残る。
アンリエッタは落としどころといったものの、才人を妬む者には通用しない論理だ。嫉妬心と
いうものには理屈が通らない。誰か憎む相手がいるのなら、その対象が着ている袈裟まで憎い。
理不尽な話だが、負の感情に割り切りがある出来た人間は少数なのだ。
スカロンの言うような、食事に毒を混ぜられるような、そんな事態が才人に降りかからないか……
そこが心配であった。
あったが、それは杞憂であった。アンリエッタは私的にルイズたちに今度の戦の礼を述べるために
呼んだだけであった。
そしてルイズと才人、アンリエッタの三人だけの食事の席で、彼女はルイズたちをガリアとの
交渉官に任命した。ガリアとのパイプを太くして、聖戦に向かおうとするロマリアの動きを制する
ためだ。そのパイプ役に適任なのは、タバサと強いつながりがあるルイズたち以外にいない。
それを踏まえて、アンリエッタは言った。
「ルイズはともかく……サイト殿は一国の大使としては、お名前が短すぎるように思えるのです」
「サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガでしたっけ? 十分だと思いますけど」
「サイトは元平民ですから」
日本人の才人の感覚からすればそうだが、貴族の間ではそうではないようだ。
「ですから、わたくしとしてはそのお名前を、多少長くさせていただきたいのです」
才人にはアンリエッタの言わんとするところがピンと来なかったが、ルイズは目を丸くして
口をパクパクさせていた。
「ひ、姫さま? それは、つまりその……。それは、つまり、あの、その……」
「ええ。彼に領地を与えたいのです」
何でもないようなひと言だったが、さすがの才人も噴き出した。
「領地って! 土地ですか!?」
「トリスタニアの西に、ド・オルニエールという領主不在で持て余している土地があります。
あなた方も住むところを探していると聞きましたし、ちょうど良いと思いますが」
「姫さま、その、領地などサイトにはちょっと分不相応なのでは……!」
ルイズが控えめながらに反対した。領地を与えるということは、才人が領主、日本的に
言うなら殿様になるということだ。悪い冗談にしか思えない。
「分不相応な訳がありませぬ。サイト殿の貢献に報いるには、本当ならこれでも少ないと
言えましょう」
そう。オンディーヌやルイズ、ティファニアには学院でそれぞれ恩賞が与えられていたが、
一番活躍したはずの才人にだけ何もなかった。少し不可解ではあったが……この席で伝える
ために残しておいたという訳か。
「敵国の王を討ち取ったとあれば、爵位でもおかしくはないくらいですが、多忙である
サイト殿に宮仕えはさせられません」
「確かに……」
ルイズには、宮廷で政治に関わる才人の姿なんて想像できなかった。
「貴族の間にはサイト殿を妬む声もあると聞きます。これ以上いらぬ嫉妬を買ってはいけませんが、
救国の英雄、平民の希望の星に何の褒賞もなしではわたくしが平民から吊るし上げられてしまいます。
これが落としどころということで、どうかお受け取り下さいな」
「そういうことでしたら……。でも、いいのかなぁ……」
話を受けながらも、才人は今一つ釈然としていない様子だった。ルイズも、胸の奥に漠然と
した不安が残る。
アンリエッタは落としどころといったものの、才人を妬む者には通用しない論理だ。嫉妬心と
いうものには理屈が通らない。誰か憎む相手がいるのなら、その対象が着ている袈裟まで憎い。
理不尽な話だが、負の感情に割り切りがある出来た人間は少数なのだ。
スカロンの言うような、食事に毒を混ぜられるような、そんな事態が才人に降りかからないか……
そこが心配であった。
夏休みが始まる直前の週、ルイズたちは下賜された土地、ド・オルニエールを検分しに
行くことにした。初めはルイズと才人の二人だけのはずだったが、シエスタが当然のように
ついてきて、そこに話を聞きつけたオンディーヌが加わり、あっという間に大名行列のように
なってしまった。
ギーシュたちは、ド・オルニエールの年収が一万二千エキューと聞いて、早くも才人に
たかる気満々であったが……実際に到着して目の当たりにしたド・オルニエールの光景に、
失望を覚えることとなった。
「見渡す限りの荒野が続いてるんだけど」
田舎道の左右には、どこまでも荒涼とした更地が続くばかり……。どう見ても、一万エキュー
以上の収入が出るような土地ではない。
ルイズが呆れたようにつぶやく。
「持て余しているというのは本当だった訳ね」
年収一万二千というのはもう過去の話なのだろう。ド・オルニエールは領主の血筋が途絶えて
管理するものがいなくなって久しいとも聞いた。若い働き手はここを離れて、すっかり荒れ果てて
しまったという訳だ。
肝心の屋敷も、長年手入れされていないのが丸分かりの、幽霊屋敷もかくやというボロボロっぷり
であった。
「これは掃除のし甲斐がありますわね……」
シエスタがそんな皮肉を言うくらいであった。
そして何より、一行を一番呆れ果てさせたのは……。
「ここの領民たち、皆老人ばかりのようだが……随分怠け者ではないか? あちらこちらで
昼寝ばっかりして」
ギーシュがそう口にした。彼らがド・オルニエールで目にした領民たちは皆、土地のそこ
かしこで太陽の出ている内からぐっすり寝こけているありさまなのだ。これで呆れない人間が
いるだろうか。
しかしルイズはその様子に疑念を抱いた。
「さすがにおかしくないかしら? いくらお年寄りばかりと言っても……道端で寝転んでる
なんて。全員が示し合わせたように眠ってるのも変よ」
「言われてみれば、何人かは直前までお仕事をされていたように見えますね」
シエスタも同意した。寝ている人の周りには、畑仕事の道具が散乱していることもあったのだ。
怠けているというよりは、仕事中に突然意識を失ったかのような感じである。
「まさか、何者かに眠りの魔法を掛けられたんじゃ……」
「まさか。こんな実入りのなさそうな土地に貴族崩れの賊が来るとは思えないよ。特に荒らされた
様子もないし。確かにいささか不可解ではあるが……」
ルイズの推理にギーシュが異を唱えていると、その隣のマリコルヌがふあぁ、と大きな
あくびをした。
「おいおいきみまでどうした。ご老人たちの眠気に当てられたか?」
「いや……今、変な音が聞こえなかった? それを聞いた途端、急に眠気に襲われて……」
「変な音?」
ギーシュたちが首を傾げていると……ズシン、ズシンという鈍い地響きがゆっくりと近づいて
くるのを感じ取った。
「この感じ……まさかッ!」
一行がバッと振り返ると……背後の風景の中に、小山ほどの大きさの見慣れない巨大生物が
闊歩していた!
「か、怪獣だぁ!」
「でも何か間抜け面だな……。豚みたいじゃないか」
「おまけに眠そう」
ギーシュは悲鳴を上げたが、レイナールたちは怪獣から遠くからでも分かるほど覇気が
ないのを感じて落ち着いていた。もう散々怪獣を見てきたので、それくらいは分かる。
彼らの前に現れた怪獣は、大きく口を開いて息を吐き出した。
「バオ――――――――ン!」
怪獣の鳴き声が耳に入った途端、
「えッ……?」
才人たちは全員くらりと身体が傾き……その場に倒れ込んでしまった。何が起こったと
いうのか!?
「……ぐぅ」
……全員眠っていた。
ド・オルニエールに出現した怪獣――催眠怪獣バオーンは、才人たちに気がついた様子も
なく、ドスドスとのんきに荒野を横切っていった。
行くことにした。初めはルイズと才人の二人だけのはずだったが、シエスタが当然のように
ついてきて、そこに話を聞きつけたオンディーヌが加わり、あっという間に大名行列のように
なってしまった。
ギーシュたちは、ド・オルニエールの年収が一万二千エキューと聞いて、早くも才人に
たかる気満々であったが……実際に到着して目の当たりにしたド・オルニエールの光景に、
失望を覚えることとなった。
「見渡す限りの荒野が続いてるんだけど」
田舎道の左右には、どこまでも荒涼とした更地が続くばかり……。どう見ても、一万エキュー
以上の収入が出るような土地ではない。
ルイズが呆れたようにつぶやく。
「持て余しているというのは本当だった訳ね」
年収一万二千というのはもう過去の話なのだろう。ド・オルニエールは領主の血筋が途絶えて
管理するものがいなくなって久しいとも聞いた。若い働き手はここを離れて、すっかり荒れ果てて
しまったという訳だ。
肝心の屋敷も、長年手入れされていないのが丸分かりの、幽霊屋敷もかくやというボロボロっぷり
であった。
「これは掃除のし甲斐がありますわね……」
シエスタがそんな皮肉を言うくらいであった。
そして何より、一行を一番呆れ果てさせたのは……。
「ここの領民たち、皆老人ばかりのようだが……随分怠け者ではないか? あちらこちらで
昼寝ばっかりして」
ギーシュがそう口にした。彼らがド・オルニエールで目にした領民たちは皆、土地のそこ
かしこで太陽の出ている内からぐっすり寝こけているありさまなのだ。これで呆れない人間が
いるだろうか。
しかしルイズはその様子に疑念を抱いた。
「さすがにおかしくないかしら? いくらお年寄りばかりと言っても……道端で寝転んでる
なんて。全員が示し合わせたように眠ってるのも変よ」
「言われてみれば、何人かは直前までお仕事をされていたように見えますね」
シエスタも同意した。寝ている人の周りには、畑仕事の道具が散乱していることもあったのだ。
怠けているというよりは、仕事中に突然意識を失ったかのような感じである。
「まさか、何者かに眠りの魔法を掛けられたんじゃ……」
「まさか。こんな実入りのなさそうな土地に貴族崩れの賊が来るとは思えないよ。特に荒らされた
様子もないし。確かにいささか不可解ではあるが……」
ルイズの推理にギーシュが異を唱えていると、その隣のマリコルヌがふあぁ、と大きな
あくびをした。
「おいおいきみまでどうした。ご老人たちの眠気に当てられたか?」
「いや……今、変な音が聞こえなかった? それを聞いた途端、急に眠気に襲われて……」
「変な音?」
ギーシュたちが首を傾げていると……ズシン、ズシンという鈍い地響きがゆっくりと近づいて
くるのを感じ取った。
「この感じ……まさかッ!」
一行がバッと振り返ると……背後の風景の中に、小山ほどの大きさの見慣れない巨大生物が
闊歩していた!
「か、怪獣だぁ!」
「でも何か間抜け面だな……。豚みたいじゃないか」
「おまけに眠そう」
ギーシュは悲鳴を上げたが、レイナールたちは怪獣から遠くからでも分かるほど覇気が
ないのを感じて落ち着いていた。もう散々怪獣を見てきたので、それくらいは分かる。
彼らの前に現れた怪獣は、大きく口を開いて息を吐き出した。
「バオ――――――――ン!」
怪獣の鳴き声が耳に入った途端、
「えッ……?」
才人たちは全員くらりと身体が傾き……その場に倒れ込んでしまった。何が起こったと
いうのか!?
「……ぐぅ」
……全員眠っていた。
ド・オルニエールに出現した怪獣――催眠怪獣バオーンは、才人たちに気がついた様子も
なく、ドスドスとのんきに荒野を横切っていった。