アンチのすゝめ - (2014/01/26 (日) 20:49:07) の最新版との変更点
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*はじめに
SAOアンチの宿命として、私たちはSAO信者と戦わなければなりません。という事で、私が[[ソードアート・オンライン SAO Extra Edition>http://tvanimedouga.blog93.fc2.com/blog-entry-18671.html]]のコメント欄で、理想的ともいえる、アンチを見つけて、分析しました。二期に備え、いかに上手にSAOを叩くか、参考にしてください。
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**特徴
今回、引用した物事の本質さんのコメントには特徴的な点があります。まず、文章が丁寧です。多分、これはアンチのイメージを良くする、イメージ戦略の一つだと思います。あと、とても、論理的です。自分の考えにいつも、説明を加えて、わかりやすくて、否定しにくいようにしている、と思います。
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*主張編
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***イ―①
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茅場晶彦はなぜ、HPが0でも動くキリトを不具合だと思わなかったのか
まず、茅場晶彦の心情について押さえておこう
SAOを作ったのは「現実世界を越える世界を作りたい」から
つまり「システムを超越するもの」は追求していない
故に、茅場晶彦はあの事象と不意に出くわしたのではないだろうか
(ここについては作中でほとんど言及がないので、議論の余地あり)
もし、そうならば例え本当に「システムを超越するもの」であっても、不具合と判断されてしまう確率が高いのではないか?
また、「システムを超越するもの」は茅場晶彦の従う科学法則に否定する物ではなくても、少なくとも相反する存在ではないだろうか
大前提として人は自らの法則に従わぬ物事を極端に嫌い、排除する性質がある(わかりやすく言えば、“SAOは面白いという法則”に従う支持者と“SAOは面白くないという法則”に従うアンチの抗争がその最たる例であろう)
つまり、科学者の茅場晶彦はこの事象を「システムを超越するもの」と認める確率は低いことが考えられる
2014/01/08 | 物事の本質 #-
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***イ―②
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自分が気に入らないからってそんな風に理論的におかしいとか言ってたら、学園ものとかしか成り立つ作品がなくなるぞ。そういうことちゃんと考えろw
↑それについてだがSAOは非常に特異である
例として「逆襲のシャア」を挙げよう
最後、アムロがアクシズを持ち上げるわけだが、これはなかなかトンデモな展開に見える
しかし、ガンダムには根源にニュータイプ思想が存在し、あのサイコフレームの光はその延長上にあり、それ以前の作中の展開や法則と何ら矛盾するものではない
(同様な例として最後まで驚くほど律儀に等価交換の法則を守った「鋼の錬金術師」もある)
反対にSAOでHPが0でも動いたキリトの行動は全くもって脈絡のない展開である
ニュータイプ思想のような解説的なものも存在しなければ、事前にそのような事象の前兆もない
上で述べたように全くの不意打ちの展開であった
そして、それ以前の展開、法則に反するものではないだろうか
つまり、この世界の物理法則と反する法則が支配する世界の作品であるならば
作中ではその法則に従った展開が行われるべきではないだろうか
追記
これがアンチ発生の原因の一つであることは疑いようのない事実であろう
2014/01/09 | 物事の本質 #-
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***イ―③
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こうゆう批判ならどこが悪くて嫌いとわかるので納得できるがクソだの何だの罵るのはただアンチが騒いでるのに乗っかって作品を見らずに言ってるみたいで不愉快でならない
だからそうゆう批判の仕方はやめてほしい
↑森のリアルぷーさん氏のこの主張は的を射たものであり、われわれアンチは猛省しなければならない
しかし、これほどアンチが生じたのは、一部の信者に因るのではないだろうか
アンチのコメントに対する反応から判断するに、SAO信者には大まかに二種類存在する
①穏健派ともいうべき“SAOの欠点を容認”し、なおかつSAOを支持する信者
②SAOを無条件に支持し、“いかなる欠点も容認しない”原理主義者ともいうべき信者
そして、この②の原理主義者がこれほどアンチが生じた原因である“一部の信者”だ
まず、彼ら、原理主義者のアンチへの反論は以下の4通りしかない
「文句あるなら、見るな」
「コメントするな」
「SAO以上のものを作れないならば、批判の権利なし」
「無視」
これらの封建的で、民主主義的価値観から鑑みれば、非常に危険な論理(主語に“政治”を据えてみればわかる)を彼らは、まるで“バカの一つ覚え”のように繰り返す
例え、アンチが正当な批評をしていたとしても、このような低次元な反論ばかりであれば、誹謗中傷に走るのも理解はできる(だからと言って許されないが)
また、これはSAO信者全般に言えることだが、SAOを支持する理由が良い点よりも、悪い点が目立つことを考慮しても明確ではない事である
これは、ただSAOについて、あまり深く考えていないからであろう
確かにSAOは考えれば考えるほどアンチになっていく傾向がある
つまり、コアな信者である、SAO原理主義者がおおむね無思考的であることが予見できる
しかし、原理主義者がSAOを無思考的に鑑賞することは容認すべきではない
単に表層的な面白さを求めるのならば、最早そのアニメはSAOである必要はなく、代替可能となる
それはSAOをテレビに出ては消えゆく芸人のように“消費”していることになってしまう
よって、アンチの批判に対して、的確な反論をした上で、議論することが原理主義者にできないのは、皮肉にもアンチの方が原理主義者よりもちゃんとSAOを鑑賞しているからではないだろうか
それは、誤ったアンチの批判が正される機会の喪失を意味し、ネット上に不当な評価をのさばらせる事になる
以上より、原理主義者がこれほど多くのアンチが生じた原因の一つであることは明らかだろう
また、その空虚な評価やアンチの助長によって、SAOの評価をその適当なものから、不当に貶めているのはSAO原理主義者である
最後に、われわれアンチのすべきことは、原理主義者と同次元で信者の人格を否定したりするのではなく、 穏健派信者とともに、原理主義者によるSAOの汚名をそそぎ、SAO本来の評価を議論すること、ではないだろうか
2014/01/12 | 物事の本質 #-
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**分析
***イ―①について
ここでは、「キリトがHPOで動いた」のはあり得ない、と言っているんじゃなくて、「キリトがHPOで動いた」と「茅場の発言」が正しいとしたら、矛盾するよね、と言っています。要は、アニメの中の出来事で、前後関係がおかしいところを指摘しています。
もし、「SAOは実現できない」みたいに、基本的なことを否定すると、フィクション作品全般を否定してしまうことになります。しかし、アニメの中の「出来事A」と、それに続く「出来事B」が、お互いに矛盾する事から、否定するなら、そのようにならずに、効果的にSAOを否定できる、と思います。
***イ―②について
ここでは、ほかの権威ある、作品と比べることで、イ―①で言った、おかしなところが、SAOに特有なもので、ほかの作品より、SAOがダメなことを強調しています。
あと、ヘタに、これに反論すると、例に出した作品を否定してしまう、可能性があるので、信者も反論が、しにくいと思います。
***イ―③について
正直に言って、同じアンチでも、このコメントはエグイと思います。極端に、言いますと信者が間違っていて、アンチが正しい、というような、事が書いてあります。
まず、「SAO原理主義者」というものを作って、解りやすい敵を作り出しています。また、信者の反論を「非常に危険な論理」として、効率的な釘を打っています。
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*反論編
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(工事中)
[[トップへ>http://www53.atwiki.jp/antisao/pages/45.html]]
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*はじめに
SAOアンチの宿命として、私たちはSAO信者と戦わなければなりません。という事で、私が[[ソードアート・オンライン SAO Extra Edition>http://tvanimedouga.blog93.fc2.com/blog-entry-18671.html]]のコメント欄で、理想的ともいえる、アンチを見つけて、分析しました。二期に備え、いかに上手にSAOを叩くか、参考にしてください。
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**特徴
今回、引用した物事の本質さんのコメントには特徴的な点があります。まず、文章が丁寧です。多分、これはアンチのイメージを良くする、イメージ戦略の一つだと思います。あと、とても、論理的です。自分の考えにいつも、説明を加えて、わかりやすくて、否定しにくいようにしている、と思います。
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*主張編
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***イ―①
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茅場晶彦はなぜ、HPが0でも動くキリトを不具合だと思わなかったのか
まず、茅場晶彦の心情について押さえておこう
SAOを作ったのは「現実世界を越える世界を作りたい」から
つまり「システムを超越するもの」は追求していない
故に、茅場晶彦はあの事象と不意に出くわしたのではないだろうか
(ここについては作中でほとんど言及がないので、議論の余地あり)
もし、そうならば例え本当に「システムを超越するもの」であっても、不具合と判断されてしまう確率が高いのではないか?
また、「システムを超越するもの」は茅場晶彦の従う科学法則に否定する物ではなくても、少なくとも相反する存在ではないだろうか
大前提として人は自らの法則に従わぬ物事を極端に嫌い、排除する性質がある(わかりやすく言えば、“SAOは面白いという法則”に従う支持者と“SAOは面白くないという法則”に従うアンチの抗争がその最たる例であろう)
つまり、科学者の茅場晶彦はこの事象を「システムを超越するもの」と認める確率は低いことが考えられる
2014/01/08 | 物事の本質 #-
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***イ―②
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自分が気に入らないからってそんな風に理論的におかしいとか言ってたら、学園ものとかしか成り立つ作品がなくなるぞ。そういうことちゃんと考えろw
↑それについてだがSAOは非常に特異である
例として「逆襲のシャア」を挙げよう
最後、アムロがアクシズを持ち上げるわけだが、これはなかなかトンデモな展開に見える
しかし、ガンダムには根源にニュータイプ思想が存在し、あのサイコフレームの光はその延長上にあり、それ以前の作中の展開や法則と何ら矛盾するものではない
(同様な例として最後まで驚くほど律儀に等価交換の法則を守った「鋼の錬金術師」もある)
反対にSAOでHPが0でも動いたキリトの行動は全くもって脈絡のない展開である
ニュータイプ思想のような解説的なものも存在しなければ、事前にそのような事象の前兆もない
上で述べたように全くの不意打ちの展開であった
そして、それ以前の展開、法則に反するものではないだろうか
つまり、この世界の物理法則と反する法則が支配する世界の作品であるならば
作中ではその法則に従った展開が行われるべきではないだろうか
追記
これがアンチ発生の原因の一つであることは疑いようのない事実であろう
2014/01/09 | 物事の本質 #-
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***イ―③
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こうゆう批判ならどこが悪くて嫌いとわかるので納得できるがクソだの何だの罵るのはただアンチが騒いでるのに乗っかって作品を見らずに言ってるみたいで不愉快でならない
だからそうゆう批判の仕方はやめてほしい
↑森のリアルぷーさん氏のこの主張は的を射たものであり、われわれアンチは猛省しなければならない
しかし、これほどアンチが生じたのは、一部の信者に因るのではないだろうか
アンチのコメントに対する反応から判断するに、SAO信者には大まかに二種類存在する
①穏健派ともいうべき“SAOの欠点を容認”し、なおかつSAOを支持する信者
②SAOを無条件に支持し、“いかなる欠点も容認しない”原理主義者ともいうべき信者
そして、この②の原理主義者がこれほどアンチが生じた原因である“一部の信者”だ
まず、彼ら、原理主義者のアンチへの反論は以下の4通りしかない
「文句あるなら、見るな」
「コメントするな」
「SAO以上のものを作れないならば、批判の権利なし」
「無視」
これらの封建的で、民主主義的価値観から鑑みれば、非常に危険な論理(主語に“政治”を据えてみればわかる)を彼らは、まるで“バカの一つ覚え”のように繰り返す
例え、アンチが正当な批評をしていたとしても、このような低次元な反論ばかりであれば、誹謗中傷に走るのも理解はできる(だからと言って許されないが)
また、これはSAO信者全般に言えることだが、SAOを支持する理由が良い点よりも、悪い点が目立つことを考慮しても明確ではない事である
これは、ただSAOについて、あまり深く考えていないからであろう
確かにSAOは考えれば考えるほどアンチになっていく傾向がある
つまり、コアな信者である、SAO原理主義者がおおむね無思考的であることが予見できる
しかし、原理主義者がSAOを無思考的に鑑賞することは容認すべきではない
単に表層的な面白さを求めるのならば、最早そのアニメはSAOである必要はなく、代替可能となる
それはSAOをテレビに出ては消えゆく芸人のように“消費”していることになってしまう
よって、アンチの批判に対して、的確な反論をした上で、議論することが原理主義者にできないのは、皮肉にもアンチの方が原理主義者よりもちゃんとSAOを鑑賞しているからではないだろうか
それは、誤ったアンチの批判が正される機会の喪失を意味し、ネット上に不当な評価をのさばらせる事になる
以上より、原理主義者がこれほど多くのアンチが生じた原因の一つであることは明らかだろう
また、その空虚な評価やアンチの助長によって、SAOの評価をその適当なものから、不当に貶めているのはSAO原理主義者である
最後に、われわれアンチのすべきことは、原理主義者と同次元で信者の人格を否定したりするのではなく、 穏健派信者とともに、原理主義者によるSAOの汚名をそそぎ、SAO本来の評価を議論すること、ではないだろうか
2014/01/12 | 物事の本質 #-
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**分析
***イ―①について
ここでは、「キリトがHPOで動いた」のはあり得ない、と言っているんじゃなくて、「キリトがHPOで動いた」と「茅場の発言」が正しいとしたら、矛盾するよね、と言っています。要は、アニメの中の出来事で、前後関係がおかしいところを指摘しています。
もし、「SAOは実現できない」みたいに、基本的なことを否定すると、フィクション作品全般を否定してしまうことになります。しかし、アニメの中の「出来事A」と、それに続く「出来事B」が、お互いに矛盾する事から、否定するなら、そのようにならずに、効果的にSAOを否定できる、と思います。
***イ―②について
ここでは、ほかの権威ある、作品と比べることで、イ―①で言った、おかしなところが、SAOに特有なもので、ほかの作品より、SAOがダメなことを強調しています。
あと、ヘタに、これに反論すると、例に出した作品を否定してしまう、可能性があるので、信者も反論が、しにくいと思います。
***イ―③について
正直に言って、同じアンチでも、このコメントはエグイと思います。極端に言いますと,アンチがした、誹謗中傷の責任を信者に、擦り付けて、あと、信者が間違っていて、アンチが正しい、というような、ことを言ってます。
まず、「SAO原理主義者」というものを作って、解りやすい敵を作り上げた上で、その「SAO原理主義者」の「アンチへの反論」の仕方から、彼らがバカというレッテルを張っています(これは同時に、信者の「アンチへの反論」を「非常に危険な論理」として、そのような、信者の反論に、効率的に釘を打っています)。また、彼らのSAOの観方まで悪く、アンチの方が信者よりも、内容をちゃんと理解している、としています。あと、信者サイドは「穏健派信者」「SAO原理主義者」か、決断を迫られているとも、思えます。
そして、一番のミソは「われわれアンチのすべきことは、(中略)SAO本来の評価を議論すること」と、言っていることです。あくまでも、議論という形ですから、無理には否定できませんし、それでいて、確実に、アンチの意見を直接、信者にぶつけることができるのではないか、と思います。
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*反論編
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しかしアンチの長い文章はただ長いだけでほんと中身がないなw
何が面白くないのかまったく伝わらない
ただのわがままだろw
公の場でこのアンチ対信者のコメをだした場合
100%信者の勝利だろ
アンチのコメは世間で認められていない内容なんだがwwwww
2014/01/13 | - #-
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まずアンチサイドに一言いいたい
わざわざ批判するようだったら、ほっといてほしい。それは2chとかでやってくればいいこと。
あと、そんなに作品が嫌いなら、見なくて結構。
人の価値観なんてそれぞれだから。
次は、アンチのコメントに対抗してコメントしてる人にいいたい
アンチが沸く理由の一つとして、批判コメに対抗する人がいるからだ。
批判的なコメントとかは相手にしなかったらいい
それだけで労力の無駄だし、アンチを増やす引き金になってしまう。
奴らはただ反応を見て楽しんでるにしかすぎないのだから
といって、自分もこんなこと書いてたら元も子もないんだがな・・・
2014/01/14 | - #-
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(略 イ―③)
↑
え?
これのこともしかして
いやいやだって
SAOの本来の評価っていうなら、
売上、2期
という評価がすでにでているわけで、それを正当に評価しているか?アンチはw
>「文句あるなら、見るな」
「コメントするな」
「SAO以上のものを作れないならば、批判の権利なし」
「無視」
これらの封建的で、民主主義的価値観から鑑みれば、非常に危険な論理
↑
wwwwww民主主義ってわかってる?
「文句あるなら、見るな」
「コメントするな」
「SAO以上のものを作れないならば、批判の権利なし」
「無視」
って意見をあなたの民主主義では、最初から否定すんの?wwwwwwwww
>確かにSAOは考えれば考えるほどアンチになっていく傾向がある
?????何で?????
SAO原理主義者ってレッテル貼りまくってるけどもw
いや1無量大数歩譲って、SAO原理主義者だとして、
そもそも、SAO原理主義者を一切受け入れず、最初から全否定の独裁者君こそが、民主主義を否定しているじゃねーかwwwwwwww
>アンチの批判に対して、的確な反論をした上
そんなめんどくさいこと押し付けるならwwww、まず
アンチの批判っていうの箇条書にしてから出直しておいでwwwww
2014/01/14 | - #-
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既に他の人が書いてくれてることだと思うんだが、一応。
1/8のコメから
・茅場晶彦はなぜ、HPが0でも動くキリトを不具合だと思わなかったのか
(中略)科学者の茅場晶彦はこの事象を「システムを超越するもの」と
認める確率は低いことが考えられる
↑
作中で茅場が「私にシステムを上回る人間の意志の力を知らしめ、
未来の可能性をさとらせた」的な発言してるんだったら、作中での
茅場はHP0キリトら辺の現象(以下「HP0キリト」)を、不具合ではなく
「システムを超越するもの」と認めたってこと。不具合として対処
しなかったのは、不具合としないだけの理由が茅場にはあった、
と考えられる。作中で茅場は自分の見解(上の茅場の発言)を
述べてる(という結果がある)から、コメの考察は茅場の考えの
考察ではなく、あくまで物事の本質さんがHP0キリトを
認められないだけ。
・(中略部分の抜粋)
まず、茅場晶彦の心情について押さえておこう
SAOを作ったのは「現実世界を越える世界を作りたい」から
つまり「システムを超越するもの」は追求していない
↑
茅場がHP0キリトを不具合とせず認めたってことは、HP0キリトは
想定範囲外のことではなく、起こる可能性のあった事象と受け取れる。
なので、少なくとも「現実世界を越える世界(を作りたい)」=
「システムを超越するもの(HP0キリト)は追求していない」って
ことにはならない。
1/9のコメから
・この世界の物理法則と反する法則が支配する世界の作品であるならば
作中ではその法則に従った展開が行われるべきではないだろうか
↑
キリトがSAO・ALOでのストーリー中で語られてない力を使ったと
しても、作中の法則に従ってないってことにはならない。
現状(ALOまで)ではまだ明かされていない何らかの秘密があると
考えるのが普通。
2014/01/21 | - #-
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言葉尻の取り合いだなこりゃ
物事の本質氏に、
あなたは自論で自分への批判を説き伏せたい意識ばかり強くなってる、
と自分は推測しても、突っぱねられるだけだろうな。
だけどそれが少しでもあるのなら、これはもうお話にならない。
彼の言わんとする部分のいくらかは理解できるし、
そうだったらおそらく作品として良くなるだろうな、とは思う。
だけど明らかに自己の理想を作品へ要求した部分が見られる。
そして作品はこうあるべきだ、との姿勢を貫き、他者には耳を貸さない。
彼の他者への食いつき方は個人の自由を否定する、逸脱したものに近い。
正直ログを漁るのも億劫だ、と言うと、自分は話す価値もない相手、
となってしまうんだが。
しかしこちらからすると、再度ログを見る価値もないのです。
非常に分かりやすく、段々とブレてきている。
自己理想を要求した点について、これもその一つで、
>しかし、作者は、金を取る以上はプロである
>果たして、そのような不完全な作品で良いのだろうか
>どんな展開や事象でも、それには伏線や基本設定に代表される、説明が必要であるという事だ
↑
SAOが不完全かどうかはともかく、
これはもちろん、そうであれば良い。
しかしただの一個人の理想。
大勢はそこまで考えない、考える必要もない。
それと、個人によっては完成への欲求は尽きない。
他者が作品に対し、完成してる、してないと思うラインは様々。
とどのつまり、ただのワガママと言える。
そして、今はそういう趣味の延長で作品を描いたようなエセプロが上の人間に利用され、
プロとしてゴロゴロ使い捨てされる時代。
センス、芸術性等、長所があまりなくても、
何かの拍子に囃し立てられれば、そのまま売れる。
そして世に出る作品のレベルが下がり、視聴者の見る目のレベルも下がる。
SAOが、というわけじゃないけど、全体的に。感じてるでしょ?
そんな時代を嘆くだけならともかく、
こうであるべきだ!との主張をこんなところでして、何になるのでしょう。
あなたのお眼鏡に適わない作品なら、散々言われている通り、見なければいい。
人は「見る」「切る」を選び、
「見る」ことを選んだ者は、評価をすることは出来るが、要求はできない。
彼は結局、
第三者視点での正当な評価をしたいのか
それとも、自己の理想を高らかに伝え広めたいのか
どちらなんだろうね。
後になるにつれごちゃ混ぜになってきてると感じる、というか確信してるが。
自分はここをブレだと推す。
少なからず、前者であるなら書き込みの意識の改善を求めるし、
後者であるのなら、他者の意見を説き伏せようとするのではなく、
聞き入れるだけのスタンスであって欲しいものです。
まあ俺の言ってることは、一例だと
A氏「作品の評価は視聴率や売り上げ」
B氏「完成度の高いものだ」
どちらも肯定する、どっちつかずなスタンスになるってことだがw
A氏の主張にはバックの強弱による上下という不確定要素が入り、
B氏の主張には、個人の感覚のバラつきがある。
議論するには穴があって、不毛な戦いになるだろう。
自分個人としては数字の確定要素のあるA氏側が強いとは思うけど。
その場合、作品あってのバックなのか、バックがあってこその作品なのか、
で、これまた答えの出ない不毛な争いに発展するんだが。
結局、意識しないで楽しんだもの勝ちでしょ。
批評、批判をするために見るのなら、自分の領分をはみ出さないこと。
意見を引き出すために、わざとやってるなら知らん。
まあ追求すること、議論すること自体に楽しみを見出してるんだろうけどね、俺もだけど。
2014/01/23 | - #-
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(工事中)
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