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「悪魔の歌 53-1」(2008/01/08 (火) 21:50:15) の最新版変更点
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幕之内一歩は落ち込んでいた。がっくりと肩を落として、街をとぼとぼ歩いていた。
そんな時、歌が聞こえてきた。若い男性の声。特に聞き入る気はなかったのだが、
『……ん……』
小さくて軽い、まんまるい玉が転がってくるように、その声は自然に自然に耳の中に
流れ込んできた。そしてゆっくりと、一歩の中に染み込んでいく。
優しくて暖かい歌声が、沈んでいた一歩の心を少しずつ浮かび上がらせていった。
『あ……この歌……何だか、気持ちいい……』
悲しみに沈んだ顔でとぼとぼ歩いていた一歩が、和らいだ表情でふらふらと歩き出した。
まるで天使のような、男性だけど女神のような、そんな歌声に向かって。
歌っていたのは、ギターを抱いた青年だった。一歩より少しだけ年上のようだ。服装といい
髪型といい体格といい「どこにでもいるような」というより、むしろ今時珍しいぐらい
洒落っ気のない、地味な外見をしている。
そんな彼を、一歩以外の通行人たちは特に気に留めることもなくスタスタ歩いていく。いや、
むしろ積極的に避けて歩いているようでさえある。
確かに、自作らしいこの青年の歌の歌詞は、普通なら「ヤバくね~くねくね~」とか、
「キモっ、レバっ、タン塩っ」とか、そのテの言葉を吐きつけられる類のものというか。古臭くて
ベタ甘過ぎで、何とも言い難い内容ではある。
が、それが逆に、傷ついた一歩の心にはよく合った。一歩自身のセンスも彼に近かったのか、
誰もが見向きも聞き入りもしないその青年の歌に、一歩は完全に吸い込まれていた。
やがて曲が終わり、青年が一礼した。ただ一人真正面に立って聴いてくれた、一歩に向かって。
すると一歩は人目も憚らず、涙を浮かべて力いっぱいの拍手拍手。青年は照れて頭を掻いた。
「どうもありがとう。そんなに喜んで貰ったの、初めてだよ」
「ボクの方こそ! 歌を聴いてこんなに感動したの、生まれて初めてです! あの、ボクは
普段あんまり歌番組とか観ないんですけど、もしかして有名な方なんですか?」
「そんな、とんでもない。そうなりたいなと思って、こうして修行してるんだけどね。道は遠くて」
「そうなんですか。でも、絶対そうなれますよ。今、ボクはあなたの歌で
すごく元気づけられましたから。こんなの本当に初めてです」
などと、あまりにも一歩が絶賛するものだから、褒められ慣れてない青年は嬉し恥ずかしで。
「そ、その、えっと……そういえば君、なんだか悲しそうな顔で歩いてたよね。もし良かったら、
僕に話してみない?」
「え」
「もちろん話したくないならいいけど、人に話すことで少しは気が楽になることもあるし」
と言われた一歩は、少し考えて。
「う~ん……そうか、もしかしたら、あなたみたいな人にこそ聞いて貰うべき話かもしれない、
かも。じゃあ……」
と前置きして語り始めた。
毎度おなじみ鴨川ボクシングジム、の前。一歩はいつものように元気良くやってきたのだが、
「あ。そういえば今日からしばらく、会長も八木さんも篠田さんも、みんな留守にするん
だっけ。ということは、鷹村さんたちが何かロクでもないことをしでかすかもしれない」
一点の迷いもなくスムーズに流れる一歩の思考。前科あり過ぎなので当然のことだが。
「とはいっても、どうせボクに止められるはずはないしな。覚悟だけはしておこう。
腹を括って肝を据えて、多少のことでは動じないように、と。よしっ、いくぞ」
ひとつ深呼吸をして気を落ち着かせてから、一歩は戸を開けてジムに入っ……
♪殺害せよ殺害せよ! サツガイせよサツガイせよ! SATSUGAIせよSATSUGAIせよ!
殺害せよ殺害せよ! サツガイせよサツガイせよ! SATSUGAIせよSATSUGAI……♪
「おう一歩! 入ってくるなり何やってんだ? もしかしてそれは48のポリ殺しのひとつ、
『大地に眠る精霊をスライディングヘッドバッドで撲殺』か?」
「イヤ鷹村さん、それ肝心のポリが死んでねえっス」
「む、それもそうか。じゃあ何やってんだ一歩」
とか何とか言われながら、一歩は懸命に体を起こした。そうしてる間にも、窓ガラスを
振動で砕きそうな轟音が襲ってくる。耳から脳まで貫かれそうだ。
「な、な、何なんですかこれはっ!」
「ん? 知らねえのか? 今大人気のインディーズバンドの曲なんだが」
「そういう意味じゃなくて! みんな何やってんですかっ!?」
「前に木村が教えただろ。フットワークのリズム感を養う為に音楽を聴きながら、」
「だ、だからって、こんなやかましい物騒な曲にしなくても……」
「一歩っ!」
どん、と一歩の両肩に鷹村の手が置かれた。
「お前、今までの試合で手ぇ抜いてたか? 違うだろ。常に全力で戦ってたはずだ」
「? そんなの当然じゃないですか」
「ならば、だ。最強を目指すボクサーたるもの、常に相手をぶっ殺す気で挑むべきだ。
会長だって言ってるだろ、ボクシングはヘタすれば命に関わる危険なスポーツだと。
それが当たり前の世界なんだよ。戦う双方、互いに殺気を纏うことこそが正常、正道」
「そ、そう……かなぁ?」
「それにお前、テレビや映画で海兵隊の訓練とか見たことないか? 『殺せっ! 殺せっ!
殺せっ!』『ガンホー! ガンホー! ガンホー!』ってやつ。生死を賭ける気で真剣に
戦う者を育成するには、そうやって暗示をかけることで気迫を養うのが大切なんだよ」
「う~……」
なんか違うような気がするのだが、結局一歩は勢いと屁理屈に押されてしまって。
鷹村たちと一緒に、この練習に参加させられていた。
「次、一秒間に十発シャドーいくぞ! しっかり声出してな! 曲はもちろん、アレだ!」
「おら一歩! 声が出てねえぞ声が! 原曲のレベルに達しないのは当然としても、
全力を尽くせ全力を! 練習といえど、試合と同じく気ぃ抜くな!」
「は、はいっ!」
根が素直で努力家な一歩は、先輩たちの叱責に対して素直に反応、それに従った。気を
抜くことなく、全力で頑張った。ひとたびボクシングに打ち込みだしたら真剣そのものが
一歩の取り得、だから一心不乱に拳を振るい、声を出し続けた。
たまたまジムの近くを通りかかった意中の女性が、一歩を応援するつもりで
やってきたとしても、それに気付かないぐらい一生懸命に。
「あの~、幕之内さ……」
「会ったその場でレイプ! レイプ! レイプ! レイプ! レイプ!
手っ取り早いぜレイプ! レイプ! レイプ! レイプ! レイプ!」
その女性が呆然と自分を見つめていることにも気付かず、曲が変わればその曲調に
合わせてシャドーの相手を変え、いろんなタイプのボクサーとイメージの中で戦っていく。
もともと一歩は頭も悪くないので、真剣に歌ってる内に(やはり好きにはなれないのだが、
それでも)歌詞はすぐ覚えきった。だから淀みなく全力で大声で、気迫に満ちた目で
拳をブン回して、みんな並んでリキ入れて、歌う叫ぶ吠える怒鳴る。
「メス豚どもを売り飛ばせ! 犯し放題オレは魔王! 女は全てオレの奴隷!
やりたいときにオレは殺る! そう犯し放題オレは魔…………っっっっ!?」
「で、気がついた時にはもう、クミさんがとんでもない顔して逃げていくところだったんです」
「そ、そ、それはまた、さ、災難だった、ね」
天使のような女神のような歌声で一歩を励ましてくれた青年が、顔を引きつらせている。
対して一歩は、思い出しように少し微笑んで言った。
「そんな時だったから、救われたんです。あの何とかいうバンドの曲とは天と地、
人の優しさや暖かさが感じられた素敵な歌声に。あなたの……あ、ボクは
幕之内一歩っていうんですけど、あなたは?」
「ぼ、僕の名は……ね……根岸、崇一(そういち)……」
そう、彼の名は根岸崇一。
金色ロングのヅラをかぶり、覇獣の鎧を身に纏い、濃ゆいメイクを施して、
レイプ・ミ~犯し殺して~なんて声を浴び、ステージに立つ時の名はクラウザーⅡ世。
大人気インディーズバンド、『デトロイト・メタル・シティ』のギター兼ボーカルである。
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