101号室から話し声が聞こえた。
好奇心に駆られたドイルは、わずかに空いているドアの開き口から中を覗いてみた。
「お願いしますよォ~絶対受けますって!」
「いやしかしね、困るよ君」
「大丈夫ですって! ギャラもはずみますから!」
「私は別に報酬を求めているのではなく……む」目ざとくドイルの気配を感じ取ったオリ
バ。「悪いが来客だ。今日のところは引き取ってくれたまえ」
これでしつこくオリバを誘っていた男も大人しく引き下がった。ドイルも入り口で一瞥
したが、大人しそうでそれでいて粘着質な印象を持たせる男であった。
「ふぅ、助かったよドイル。なかなか帰ってくれなくてね」
「なんだったんですか、彼は」
「どうやらテレビ番組の制作者らしくてね。今度局でやるソムリエ特集に私を出したかっ
たらしい」
オリバはソムリエの資格を所持しており、技量も抜群である。知る人ぞ知る事実である
が、さすがはマスコミ、並外れた嗅覚でこの世にも珍しいマッスルソムリエを探り当てた
のだろう。
だがドイルにとって、そんなことはどうでもよかった。
テレビ番組。一流の手品師を目指す彼にとって、テレビ出演は一つの目標である。テレ
ビどころかそれに準ずる舞台にも立てていない彼にとって、テレビという華やかなステー
ジはまだまだ雲上にある。
「ど、どうして断ったんですか? ちょっと聞こえましたけど、ギャラもたっぷり出るっ
て……」
「ハハ……私はソムリエを趣味としてやっている。わざわざひけらかす気にはなれんよ」
「そうですか……」
「だがあの様子だとまた来るだろうな。私は今夜から用事でしばらくアパートを空けるか
ら、もしまた来たら当分帰らないと伝えておいてくれるかね」
「分かりました」
従順にうなずくドイル。しかし、すでに艶やかな光を求める渇望と野望は、ドイルの中
で確実に蠢き始めていた。
夕方、満身創痍でアパートに戻ったシコルスキーを待っていたのは、ドイルだった。
「ハローシコルスキー。……ってすごい傷だな」
「今、寂先生から空拳道を習っていてな。おかげで七倍も強くなれたよ」
「だったら試してやろう」
ドイルの胸から高熱の炎が噴き出した。
こんがりハンバーグとなったシコルスキーを自室に運ぶと、いきなりドイルは話を持ち
かけた。
「どうだシコルスキー、テレビに出たくないか」
「テレビ……?」
「以前、私と一緒にコンテストに出てくれたことがあったろう。あいにく優勝はできなか
ったが、なかなかの成果を上げることができた。私は君を買っている。どうだ、また私と
組んで、今度はテレビ出演をしてみないか」
珍しく他人から頼られ、シコルスキーもまんざらではない様子である。
「実は今、大家さんにテレビ出演の依頼が来ている。大家さんは断るつもりだが、私は代
わりにテレビに出てしまおうと考えている」
「一体どんな番組なんだ?」
「なんでもソムリエ特集らしい」
「ソムリエ?! ドイル、おまえにソムリエの知識なんてあるのか」
「なァに、ワインに口をつけてそれっぽいことを話せば何とかなる。向こうもプロだ、た
とえ素人だとバレても上手くやってくれるさ。それに……」
「それに?」
「今回の目的は私の手品をテレビカメラを通じて世に知らしめることだ。飲んだワインを
耳や鼻から出したりすれば、これは絶対にウケる!」
シコルスキーも大きくうなずいた。ドイルが稼げれば、当然自分もおこぼれがもらえる。
そうなれば今度こそ、もっと条件がよく平和なアパートに引っ越すことができる。
「オーケーだ。話に乗らせてもらうぜドイル」
「……決まりだな」
二人の西洋人が狭い一室にてニヤリと笑った。
意気揚々と201号室から飛び出したシコルスキーを、計算外の要素が待ち構えていた。
スペックである。
「ヨウ、スイブン楽シソウジャネェカ」
「ス、スペック……」
シコルスキーを見下ろす、アパート一身勝手な怪人。失恋後しばらく大人しくしていた
が、最近になってまた勢力を盛り返している。
「ドイルトナニ話シテタンダヨ。食イ物ノ話ダッタラ、俺モ混ゼテクレヨ」
「いや、食い物は特に関係ない」
「チッ、ナンダツマラネェ」
立ち去ろうとするスペックの背中に安心し、シコルスキーはつい口を滑らせてしまう。
「食い物じゃないんだが、ワインの話なんだ」
「ワインダトッ?!」
しまった。シコルスキーは慌てて口を塞いだが、スペックの右ストレートで簡単に全て
を吐いてしまった。
「ヘェ……ソムリエトシテテレビニ出ヨウッテカ。ヨシ、俺モアンタラト一緒ニヤラセテ
モラウゼ」
さっそくスペックに命じられ、練習用のワインを買いに行かされるはめになったシコル
スキー。自腹なのはいうまでもない。
「くそっ、なにが練習用だ! あいつがソムリエの練習なんかするわけないッ! どうせ
ラッパ飲みするに決まってんだ!」
怒りの独りごとは思いのほか大きく、偶然近くを通りがかったドリアンに聞かれていた。
「ソムリエがどうしたんだね」
「え、いや、あの……」
「殴られるのと、素直に喋るのと、どっちがいい」
喋っても殴られるんだろう、と思いながらシコルスキーは全てを白状した。やはり殴ら
れた。
「君たちだけでは心許ないな。私も大家さんほどではないが、ワインの知識はあるつもり
だ。是非協力させてくれ」
「はい」
断れるはずがなかった。
その夜、ドイルたち四人は会社から帰宅した柳を、日本酒もワインも同じ酒だから大丈
夫だと無理矢理説き伏せた。
かくしてわずか半日で、大家を除くしけい荘の五名による『ソムリエ五人衆』が誕生し
てしまったのである。
好奇心に駆られたドイルは、わずかに空いているドアの開き口から中を覗いてみた。
「お願いしますよォ~絶対受けますって!」
「いやしかしね、困るよ君」
「大丈夫ですって! ギャラもはずみますから!」
「私は別に報酬を求めているのではなく……む」目ざとくドイルの気配を感じ取ったオリ
バ。「悪いが来客だ。今日のところは引き取ってくれたまえ」
これでしつこくオリバを誘っていた男も大人しく引き下がった。ドイルも入り口で一瞥
したが、大人しそうでそれでいて粘着質な印象を持たせる男であった。
「ふぅ、助かったよドイル。なかなか帰ってくれなくてね」
「なんだったんですか、彼は」
「どうやらテレビ番組の制作者らしくてね。今度局でやるソムリエ特集に私を出したかっ
たらしい」
オリバはソムリエの資格を所持しており、技量も抜群である。知る人ぞ知る事実である
が、さすがはマスコミ、並外れた嗅覚でこの世にも珍しいマッスルソムリエを探り当てた
のだろう。
だがドイルにとって、そんなことはどうでもよかった。
テレビ番組。一流の手品師を目指す彼にとって、テレビ出演は一つの目標である。テレ
ビどころかそれに準ずる舞台にも立てていない彼にとって、テレビという華やかなステー
ジはまだまだ雲上にある。
「ど、どうして断ったんですか? ちょっと聞こえましたけど、ギャラもたっぷり出るっ
て……」
「ハハ……私はソムリエを趣味としてやっている。わざわざひけらかす気にはなれんよ」
「そうですか……」
「だがあの様子だとまた来るだろうな。私は今夜から用事でしばらくアパートを空けるか
ら、もしまた来たら当分帰らないと伝えておいてくれるかね」
「分かりました」
従順にうなずくドイル。しかし、すでに艶やかな光を求める渇望と野望は、ドイルの中
で確実に蠢き始めていた。
夕方、満身創痍でアパートに戻ったシコルスキーを待っていたのは、ドイルだった。
「ハローシコルスキー。……ってすごい傷だな」
「今、寂先生から空拳道を習っていてな。おかげで七倍も強くなれたよ」
「だったら試してやろう」
ドイルの胸から高熱の炎が噴き出した。
こんがりハンバーグとなったシコルスキーを自室に運ぶと、いきなりドイルは話を持ち
かけた。
「どうだシコルスキー、テレビに出たくないか」
「テレビ……?」
「以前、私と一緒にコンテストに出てくれたことがあったろう。あいにく優勝はできなか
ったが、なかなかの成果を上げることができた。私は君を買っている。どうだ、また私と
組んで、今度はテレビ出演をしてみないか」
珍しく他人から頼られ、シコルスキーもまんざらではない様子である。
「実は今、大家さんにテレビ出演の依頼が来ている。大家さんは断るつもりだが、私は代
わりにテレビに出てしまおうと考えている」
「一体どんな番組なんだ?」
「なんでもソムリエ特集らしい」
「ソムリエ?! ドイル、おまえにソムリエの知識なんてあるのか」
「なァに、ワインに口をつけてそれっぽいことを話せば何とかなる。向こうもプロだ、た
とえ素人だとバレても上手くやってくれるさ。それに……」
「それに?」
「今回の目的は私の手品をテレビカメラを通じて世に知らしめることだ。飲んだワインを
耳や鼻から出したりすれば、これは絶対にウケる!」
シコルスキーも大きくうなずいた。ドイルが稼げれば、当然自分もおこぼれがもらえる。
そうなれば今度こそ、もっと条件がよく平和なアパートに引っ越すことができる。
「オーケーだ。話に乗らせてもらうぜドイル」
「……決まりだな」
二人の西洋人が狭い一室にてニヤリと笑った。
意気揚々と201号室から飛び出したシコルスキーを、計算外の要素が待ち構えていた。
スペックである。
「ヨウ、スイブン楽シソウジャネェカ」
「ス、スペック……」
シコルスキーを見下ろす、アパート一身勝手な怪人。失恋後しばらく大人しくしていた
が、最近になってまた勢力を盛り返している。
「ドイルトナニ話シテタンダヨ。食イ物ノ話ダッタラ、俺モ混ゼテクレヨ」
「いや、食い物は特に関係ない」
「チッ、ナンダツマラネェ」
立ち去ろうとするスペックの背中に安心し、シコルスキーはつい口を滑らせてしまう。
「食い物じゃないんだが、ワインの話なんだ」
「ワインダトッ?!」
しまった。シコルスキーは慌てて口を塞いだが、スペックの右ストレートで簡単に全て
を吐いてしまった。
「ヘェ……ソムリエトシテテレビニ出ヨウッテカ。ヨシ、俺モアンタラト一緒ニヤラセテ
モラウゼ」
さっそくスペックに命じられ、練習用のワインを買いに行かされるはめになったシコル
スキー。自腹なのはいうまでもない。
「くそっ、なにが練習用だ! あいつがソムリエの練習なんかするわけないッ! どうせ
ラッパ飲みするに決まってんだ!」
怒りの独りごとは思いのほか大きく、偶然近くを通りがかったドリアンに聞かれていた。
「ソムリエがどうしたんだね」
「え、いや、あの……」
「殴られるのと、素直に喋るのと、どっちがいい」
喋っても殴られるんだろう、と思いながらシコルスキーは全てを白状した。やはり殴ら
れた。
「君たちだけでは心許ないな。私も大家さんほどではないが、ワインの知識はあるつもり
だ。是非協力させてくれ」
「はい」
断れるはずがなかった。
その夜、ドイルたち四人は会社から帰宅した柳を、日本酒もワインも同じ酒だから大丈
夫だと無理矢理説き伏せた。
かくしてわずか半日で、大家を除くしけい荘の五名による『ソムリエ五人衆』が誕生し
てしまったのである。