私の目の前を、色とりどりの魚が横切っていく。
くわえていたパンを細かくちぎって、手のひらにのせると、小魚たちがよってきて、ツンツンとつつく。
私たちの住む街、アナスイ。
外の人からは水没都市アナスイ。あるいは≪静かならる湖郡≫サイレントヒルと呼ばれていることを、私は最近知った。
手のひらのパンくずを放り投げると、そのまま地面に落ちてまた魚たちがつつき始める。
私がそれをまたごうと脚を動かすと、魚たちはふいっと避ける。
そして誰もいなくなったあとでゆっくりとつついていた。
街は高密度のマナに包まれ、街そのものが水没しているかのようになっている。
それ故の水没都市であることを、私は最近ヨソ者から聞いた。
「ヨソ者とはずいぶんな言いぐさではないか、テトラ」
テトラ、と私を呼ぶ声が一帯に大きく響き渡った。
その声に驚いた魚たちが、一斉に逃げた。
私が知る限り、この町に外から人間は入ってこない。
高密度のマナが外の人間の生存を許さないのだ。
それにも関わらず、こいつは、何事もないかのように平然と、カフェでゆったりとお茶とを飲みながら、魚の天ぷらを頬張っている。
メノウ男爵と名乗っていた。
外の世界の名前のルールがわからなかったのだけれど、どうやらメノウが名前で、男爵は称号と言うらしかった。
称号がなんなのかわからなかったので聞いたら、集団をとりまとめるリーダーを区別するための呼び名と言った。
この街で言う「センター」と同じ意味らしかった。
何か用、と私が男爵に伝えると、男爵は笑って答えた。
「大した用はない、ただ私はお茶と天ぷらを食べているだけだよ」
男爵は、たまにこうやって街にやってきては、食い荒らしていくのだ。
そして、男爵は私たちの基準からすると、とても煩い。
なぜならば、高密度のマナが常に街全体を包んでいるため、街には音というものがほとんど無いのだ。
声や歌が無いわけではない、実際に定期的に街のリーダーである「センター」を決める大会が開かれて、歌を披露する機会があるのだから。
しかし、日頃から馴染みがないと、耐性が備わってないため、男爵が言う普通の発言でもかなり大きな音に聞こえてしまうのだ。
それは、暗闇の中で自分の心臓の音だけがやけに大きく聞こえるのと同じ事だと、男爵が言った。
しかし、男爵はそれを改めるつもりはないらしかった。
そして、街の住民も、それを咎めることはしない。
諦めているわけではなく、容認しているのだ。
「この町の魚は絶品でね。私の知る限りこれより美味い魚料理はお目にかかったことがない」
男爵が天ぷらを私に差し出す。
これは男爵が私に向かってやる行為で、餌付けみたいで私は好きじゃない。
けど食べるしかないのだ。ぱくっと。もぐもぐ。
男爵の言うとおり、美味いのだろう。私に言わせると外のものと比較しようがないからわからないのだけれども。
以前、男爵の餌付けを頑なに拒んだことがある。
すると男爵は、とてもうれしそうに私の全身の自由を奪い、白身魚の香草焼きを無理矢理口の中につっこんできたのだ。
「こんなに美味いものを食べないなんて何かの間違いだろう。ほらほら、遠慮しないで食べたまえ」
男爵とはそれほど付き合いが深いわけではないが、数度の遭遇でその性格はある程度把握した。
それは「自信」と「好意」だ。
そう、驚くべき事に、男爵が私に向ける感情は単なる好意なのだ、それは十二分に理解できる。
どうやら、私くらいの年齢の少女を、男爵は自らの屋敷で保護、育成しているらしい。
ちなみに私も誘われているが、丁重にお断りしている。
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