ゆうしゃフールのぼうけん
勇者フールの冒険




かえらずの森、と呼ばれる場所がある。
人里から少し行った先の森だ。木々が生い茂り少し標高がある。
かえらずの森と呼ばれるようになったのは割と最近の話だ。
数カ月前、町のギルドに登録していた冒険者たちが、山へゴブリンを狩りに行って戻ってこなかったのだ。
ゴブリンと言えばかけだし冒険者が相手にするようなモンスターだ。
どんな山にでも生息し、繁殖力が強い。
ゴブリン討伐の依頼は定期的にギルドに出されている、彼らが受けたのもそんな依頼の1つだ。
ある程度活動をしていれば、なんの問題もない仕事のはずだった。
しかし彼らは帰ってこなかった。
別の冒険者が調査に行ったところ、ずたずたになった彼らの装備がやまのあちこちで発見された。
そして、山にゴブリンは存在しなかった。

ある日山からゴブリンたちが下りてきた。
大声を上げて、甲高い声を上げて、腕を前につきだして人里に迫ろうとしていた。
突然の事態に里の人達は驚いたが、見張りの術士が魔術を放った打ち込まれた。
その術士の攻撃の前に、“人里を襲おうとしたゴブリン”は1匹残らず駆逐された。


ゴブリンは本当に人里を襲おうとしたのだろうか』


それからまたしばらく経ったある日のこと。
季節は春、時は午後、日差しの辛い時刻は越え、夕暮れに向けて気温も落ちてくるころ、冒険者のフールは調査に訪れた。
かえらずの森にゴブリンはいない。
それどころか大型の魔獣はほぼ存在しない、狩りに行っても見返りはない、それゆえにかえらずの森、なんて揶揄する声も出始めた。
最近では元気な子ども達の遊び場として使われ始めているらしいとも聞いた。
だからフールは、視界の端でごそごそと動く金色の頭髪を見ても、里の子どもが遊びに来ているのだと判断した。
フールは、遊びに来ている子ども達がいたら危ないから帰るように伝えるよう里から頼まれていたので、その後ろ姿に声をかけた。
「ちょっと君」
「ん?」
くるりと振り向いたその顔にフールはぎょっとした。
「なぁにぃ?」
口の周りを、果汁たっぷりの野いちごでべたべたと、鮮血の如く真っ赤に染めたその女の子の表情は、フールに不思議な感覚を覚えさせた。
フールは一瞬、自分が何を見ているのかがわからなくなった。
「どうしたのぉ?」
女の子が立ち上がり、体ごとフールに向き直る。
口の周りはすでに拭われている。その代わりに女の子の来ている古びたマントの袖口が赤く染まっている。
女の子が言葉を発する度に、野いちごの甘い香りがただよってくる。
ぺろりと女の子が舌なめずりをした。フールはその視線を真っ直ぐに返す。
フールはその子はを見て、単純に非常に美しい子だと思った。
その髪はまるで黄金を太陽で溶かして編んだかのように。
肌は浮き雲を風で撫でたかのように。
瞳は闇夜をねんどのように丸めてはめ込んだかのように。
フールは、この子はどこの子だろうかと思った。
フールは里に来て日が浅い。里の住人を全て知っているわけではないが、こんなにも目立つ子が里にいただろうかと思った。
フールが首をかしげると、女の子もそれをまねをするかのように首をかしげた。
さらによく見ると、女の子の来ている衣服も里の子ども達が着るような服ではない。
何か動物の皮を丹念になめし、何枚もつなぎ合わせたようなツギハギのマントだ。
縫い目はお世辞にも上手とは言えず、その縫い目の数から質も大きさもばらばらな多くの皮が使われていることがフールにはわかった。
フールは、非常に手間がかかっているマントだろうと思ったが、目の前のこの美しい女の子が着るにはいささか無骨だとも思った。
縫い合わせている黒い糸がなんなのか気になったが、その程度だ。
フールの首が逆にかしげられると、女の子はそれを鏡映しにするがごとくまねた。
楽しいのだろうか、女の子は笑みを浮かべている。

「君は何故こんなところに」
「きみはなぜこんなところに」
「危ないから村へ帰りなさい」
「あぶないからむらえかえりなさい」
「遊ぶならもっと安全なところで」
「あそぶならもっとあんぜんなところで」
まるで山彦のように幼女は発言を繰り返す。さすがにフールは怪訝そうに眉を顰める。
「ふふっ」
まさか、と思ったその時だった。幼女は笑いながらぴょんっと地面を蹴ってフールに肉薄し、その手を鋭く振り払った。
とっさにフールは頭を後ろに引いて回避する。指に触れられたフールの前髪が数本地面に落ちた。
フールは全てを察した。
ゴブリン達は人里を襲おうとしたんじゃない、こいつから逃げてきたのだ。
「君が……バケモノなのか?」
「んふっ……そだよぉ、やーさんはねーぇ。ヤカっていうんだよぉ。ふだんはねぇ、あちこち歩き回ってるんだけどぉ。最近はここにいるんだよぉ」
「ヤカ……」
フールはヤカの名乗りに、顔には出さなかったが心の中で驚愕していた。
フール自身も魔獣は幾つも狩ったことがある。驚異度から特定の名で呼ばれる魔獣も存在する。
言葉を解する魔獣は非常に珍しい。だが決していないわけではないし、フールも相対したことはある。
だがヤカのように知性と言葉を用い、己の存在としての名を持つ存在は初めてだった。
「すごいでしょぉ。んふっ、このかっこうしてるとねぇー。食べ物にあまりこまらないんだぁー」
ヤカはそう言ってにっこり笑った。それはさながら無邪気な幼い女の子だが、フールは薄ら寒さを覚えた。
笑顔の唇から、うるんだ唇から覗くすらりとした犬歯が空気に触れる。
「それでぇー、あなたが今日のごはんなのぉー? 人間はぁー、ひさびさだねぇー」
「!? 人を……!?」
ヤカの発言にフールは驚愕する。予想はしていたものの、ヤカが言うことが正しければ、帰らなかった冒険者たちは彼女に喰われたということになる。
ヤカは首を傾げながら動きを止める。そして頷き、笑いながら肯定する。
「そうだよぉ。うん、けっこういけるかなぁ。一人当たりの肉の量はぁ、わりと少なめだけどねぇ」
「何故!」
フールがその大剣をヤカに振るう、当てるつもりはなかった。
ヤカは剣をかるく後ろに飛び退いてよけた。
「なぜって、なにがぁ?」
「何故人を喰らう!」
「なぜってぇ……いわれても……人間だって牛とか羊とかぁ。食べるでしょぉ?」
それと同じ事だよ、と言いたげな目で不思議そうにフールを見る。
じっとヤカとフールはその瞳を見つめ合う。

「違う……」
「んんん。ちがうって?なにがぁ?」
「君の瞳には……僕は映らない……君は僕を見ていない。人間を見ていない……」
そう言いながら、フールはその手の大剣の刃を返す。
「伝説は、人と人が争うようになった、だから神は魔獣を生み出した、そう言われている。この世界には魔獣が溢れ、力無き人々はその脅威に常に怯え暮らしていかなければならない」
「やーさん、難しい話はよくわかんないよぉ? あなた食べていいひとわるいひと?どっちぃ?」
「人は牛や羊を喰らう、ぼくだって喰らう。だから君がしていること、人を喰うことが悪いことだとは言えない」
けれど。
「牛にとっては、人間は自分たちを殺して食う悪者にしか映らないのだろう。けれど、そんなことを言ったら何も食べることができなくなる。動物だって植物だって生きて居るんだから。その命を奪って生きていくしかないんだ」
フールの発言を遮るように、ヤカは両手を開いてフールに向けた。その指は10本。
「ながいよぉ。十文字で」
「人を喰うなら敵だ」
「ぴったりだねぇ」
ヤカは指を折り曲げつつ言い、フールは剣を握る両手に力を込めて、ヤカに肉薄する。



ヤカは振るわれた剣を雲のように軽やかに回避する。
フールの振るう剣が、右、左、袈裟、逆袈裟とヤカを狙うが、ヤカは後退しながら危なげなく回避する。
フールの一撃必殺の剣閃は鋭く速いものだったが、当てる気がないことが武術の心得がないヤカにも10回ほど避けて察せられた。
当てる気がないなら怖くないと思い、ヤカは軽やかに跳躍、フールの頭上に跳び上がる。
ヤカは完全にフールを侮っており、あろうことかフールの頭にその素足でぺたんと乗ってしまった。
その瞬間、フールは剣から片手を離し、頭の上のヤカの足を掴んだ。
「らぁっ!」
「あうっ」
小柄なヤカの身体を大きく振り回し、フールはそのまま地面に叩きつける。
ズドンという重厚な音、小さな体にはひとたまりもない、まさしく必殺の一撃だった。
しかし、フールは叩きつけと同時に手を離したため、解放されたヤカはごろごろと地面を5転して、衝撃などなかったかのように立ち上がった。
「つかんで、投げるんだねぇ……びっくり」
ぽんぽんとマントについた土を払いながら瞳をまん丸にしたヤカはてっきり剣を振り回すだけだと思っていたのだ。突然捕まれて投げて驚愕を隠せなかった。
「……剣だけに頼っては魔獣には勝てないからね」
フールは手に残る感触を忘れようとするかのように、手を握りしめた。
その感触はあまりにも華奢ではかなげで、足首の感覚は餅のように柔らく。投げたときの重さは雲のように軽かった。
フールは剣を改めて両手で持ち上げる。
「ふぅん……あなた、強いねぇ……」
にんまり笑うヤカ。
鬼気迫る表情で睨み付けるフールの気概がそがれるほど、本当に、本当に無邪気に笑う。

「君は……本当に人を喰うのか」
「わりとおいしいよ。ってぇ、さっきも言ったよね。ん? またお話しする?でもどちらかというとやーさんおなか空いたよぉ?」
あっけらかんとしたヤカの返答。その表情にウソは見えない。
信じたくないが、ウソはない。そう言うウソをつく理由は思いつかない。
フールは非常にやりにくさを感じていた。
今まで討伐してきた魔獣は、硬い甲殻を持つ土竜だったり、素早い狼だったり巨大な竜だったりした。
しかし、それよりも目の前のこの幼い女の子は遥かに異形だった。
異形で異状で。けれど、彼女にとってはそれが普通なのだ。
フールにとって人を殺めたことがないわけではなかったが。それでもフールは思わざるを得なかった。やりにくい。
けれどやらなければ。こいつは、このバケモノは、人を喰う。

ならば
「君は人の敵だ」
「やーさんは人の敵。10文字。わかりやすくてそういうの好きだよぉ」
ヤカは先ほどは折り曲げた指を、今度は開いて、ぱちぱちと拍手する。
「ならば。殺す」
迷いをおさえ、再び大剣を構え、フールは殺意を胸にヤカに敵対した。


そして、かえらずの森はその名を違えなかった。

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最終更新:2020年06月23日 15:11