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よく食べよく寝てよく遊ぶ
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異世界だからといって、全てが異なるとは限らない。
地面があれば大気もある、呼吸も必要だし、お腹がすいたらご飯も食べる必要がある。
君の目の前にあるその道具は、ナイフとフォークとスプーン。
多少造形が代わってたとしても、形状の用途は一目でわかる。
「どうした、食べないのかね」
手を動かさない君を怪訝に思った男爵が声を掛けてきた。
料理は美味しい。使ってる食材は君が見たことのないものばかりなのは、さすが異世界ということだろう。
まるでペンキをぶちまけたような毒々しい色の野菜は、その見た目と裏腹にドレスと相まって旨みと苦みが心地よく同居している。
白身魚の料理は、ナイフを軽く骨に当てるだけで音もせず折れる。口に運ぶとこりこりとして楽しい食感をしている。
男爵がスプーンですくってパンに載せている黒い粒はなんだろうとか。
あんかけっぽいソースがたっぷりかかっている白い肉はなんなんだろうとか。
君の目の前にある料理は、これまでの食事の量を遥かに超える分量が用意されていた。
これらの料理は全て君のために男爵が作らせたものだ。
「口に合わなかったのなら作り直させようか」
手を動かさない君に男爵はそう判断して、シェフの二人を呼んだ。
君は慌てて否定した、口に合わなかったわけではなく、食欲がないわけでもない。
「ふむ……ならばなぜ?」
手招きで呼び寄せていたシェフの二人を、同じ動作でしっしと追いやりつつ男爵は君に尋ねた。
男爵の問いに君はしばし沈黙していた、ちなみにその間も男爵は料理に舌鼓を打っていた。
なぜ、ここまでしてくれるのですか。
と君は尋ねた。
「ここまで、というと?」
君は今、自分が大したことのない人間だと思っている。
君が居た世界にとって、君のような人間はたくさんいたし、君でこそならないことなんて一切なかったからだ。
けれど、君は判らなかったのだ。なぜ自分がこの世界に飛ばされたのか。
君の元の世界では、現代日本から異世界にくるというフィクションの作品はいくらでもある。むしろ流行のジャンルと言えるかもしれない。
文明の利器というものは至極便利で、それ1つで世界中の情報データベースにアクセスが可能だ。
部屋にいながら異世界にトリップすることができる。それはなんと夢のような世界ではないだろうか。
君は、男爵がこのようにもてなしてくれるのは、あちらの世界から来た自分には何か得体の知れない物を感じているからと思っていた。
なぜならば、君が目にしたことのある異世界の物語でも、登場人物は誰もがたぐいまれなる能力を有していたからだ。
けれど君には何もない。
とるにたらない、どこにでもいるような、平凡な一般人だ。
君は男爵に訴えた、自分はそんな価値のある人間じゃない、あなたの役に立つことなどできるはずもない。
君はナパームの襲撃で
メイド達の能力を目の当たりにしたことで、自分が無力で無能であると強く自覚してしまったようだ。
まぁ当然とも言える。例えば
ロベルタならば100メートルを3秒で突っ走るし、100キロのダンバルを片手で振り上げるほどの身体機能を有するのだから。
多少運動に自信があったとしても、この世界では何の役にも立ちやしないのだ。
うなだれる君に、男爵はフォークに刺した鶏肉でびしっと指した。
「そう、それだ」
君は、オウムのように繰り返した。それって?
鶏肉をぱくりと頬張り、租借しながら男爵は言う。
「私が気になっているのはまさしくそれなのだよ。君の世界から来た人間はこれまでに100を超えるが、そのどれもが大したことのない力しか持っていなかった」
100という数字を聞いて君はびっくりした。自分より前にそれほどの人がこの世界にやってきていたなんて。
その人達は今どこに? と君は希望を抱いて聞いた。
すると男爵はすっと眼を細めて君を見据えた。
「大したことのない力だ。こうして見てるだけでも君の身体からにじみ出る魔力はこちらの世界の赤ん坊ほどの魔力しかない」
普段全ての生き物は魔力を取り込み、そして放出しながら生きている。それは大人も子供も、オケラだってアメンボだって同じ。
生きとし生けるもの全てから、命を持たない石や水、命無き死体ですらも呼吸のように吸収と放出を繰り返し続けるのだ。
「ならば何故、蝋燭による魔力の強制排出があれほどのものになるのか、私にとっては不思議で不可解でならないのだよ」
君は、男爵の言っている意味がよくわからなかった。
「これまでこの世界に来た旅人達は、私の知る限り一人残らず死んでいる。そしてその死因は全て同じものだ」
男爵はとても残念そうに言った。
君はベッドで横になっていた。天井から下がる照明は蝋燭の光を増幅し部屋全体を照らしている。
旅人は全て死んでしまった、君は男爵からその理由を聞いた。
仰向けで横になる君の目の前にあるのは、一本の蝋燭。君は男爵から渡されたこの蝋燭をじっと見つめていた。
館に有る蝋燭と同じものなのだが、男爵が渡したということはお察しの通りこれはただの蝋燭ではない。
対象の魔力を強制的に吸収し、燃焼し続ける『生命の蝋燭』という
魔道具だ。
点けたり消したりが子供でもできるため、夜間の照明としても重宝されている道具である。
もっとも、それはこの世界で魔力の扱いの才能がある者、という前提がつく。
さて、君にはその才能があるのだろうか。
男爵の話を聞いた上で、その蝋燭を使おうなどという気持ちは君にはおそらく無いはずだ。
男爵の保護した旅人は、全てこの蝋燭を使ったが故に跡形もなく消し飛んでしまったのだから。
部屋での会話を思い出してほしい。少し前の出来事だから記憶を掠うのはそう難しくはないはずだ。
男爵は、君の望むことをなんでも叶えてあげる、といったことを言っていたはずだ。
メイドを専属につけるとか、魔道具を進呈するだとかそういった話の中で、男爵はあからさまに口ごもっていた時があっただろう。
実はあの時男爵は、魔術を使えるようにしてあげてもよい、と言おうとしたのだ。
だが、これまでの経験上使えるようになる前に旅人が死んでしまうから、だから男爵は口を噤んだのだ。
結局、話の流れ上そういった事情を話すことになり。結果として君にその蝋燭を渡してしまうことになっているのだけれど。
男爵は君に期待しているのだ。
君の前に訪れた旅人は、これよりおよそ半年前の事で、年齢は20代の男性だった。
君にした話と同じような話を男爵はしたのだが、その男は「俺は選ばれた人間なんだ」などとよくわからない供述をして蝋燭を使い、死んだ。
その時の男爵の落胆ぶりは相当のものだったようだ。
それに比べて君はひかえめ慎重で、男爵はかなりの好感度を持っている。
君の目覚めの直後に、ナパームの襲来と天山大剣の飛来が重なった事を男爵は気にしているようだ。
ナパームを捕縛した鎖を、落雷が撃ち壊したということも気にしている。
あのとき、君は落雷はナパームが操っていたと思っていたようだが、男爵はそれを否定した。
曰く。ナパームに雷を操る力はない、周囲一体を燃やすことができる程度の能力がナパームの有する能力。
「ナパームについて全てを知っているわけではないから、雷を操れる亜種がいても何らおかしくないのだがね」
男爵は亜種という可能性を考慮しつつも他の何かの要因を考えていた。
というよりも男爵は確信していた。あの雷は天山大剣が放った物であると。
町に放たれた悪魔の輪を目の当たりにしたらそう考える方が自然らしい。
あれほどの破壊力を持つ攻撃を放てるのだから落雷程度落とせると考えたほうが自然だろうと男爵は言った。
だが、天山大剣がなんでそんなことをするのか男爵には判らなかった。
どうやら、考えるだけ無駄だ、と思っている節もあるようだった。それが一番賢明かもしれない。
君は身体を起こす、どうやら眠ってしまっていたようだ。
窓から見える外は黄昏の夕日が影を伸ばしていた。
そして天空に輝く二つの月は、ここが異世界であるということを語りかけていた。
まぁ、ナパームほどのドラゴンの襲撃を受けたその場に居合わせた君が、今更この世界を疑う考えなど持ち得ないはずだが。実は月は三つ存在する。
君は携帯を取った、着信履歴とメールとメッセージの受信履歴が相変わらず凄いことになっている。
時計を確認する、現在時刻は17時の表記。時計と外を君は見比べる、時間の経過はさほど違いはないようだった。
時差ボケの心配がなさそうで一安心といったところか。異世界だというのに時間の流れは同じであることに君は多少の疑問を浮かべる。
実は逆で、世界の環境にさほどの差異がないために生命の営みが同じような道を辿ってきている、と言うのが正しい。魔力密度の関係もあるし。
君は、浮かべた疑問を思考の彼方に放棄した。男爵に問うても意味がないだろうと思ってた。大正解である。
気にしたってしょうがない疑問の筆頭とも言える。
君が居た世界だって、君たちがその世界の環境に適用したからこその栄華を誇っているのだ。
環境の方が君たち生命に合わせることなど、そんなことはない。多分、おそらく。
君はするりとベッドから足を投げ出した。靴を履いて立ち上がる。
君の部屋も、あの食堂のように豪華な絨毯が一面に敷かれて、ふわふわとした感触は芝生のように心地よい。君が畳やフローリングでの生活を元の世界で行っていたとしたら、そのまま絨毯にゴロゴロと転がっても新鮮で楽しめることだろう。だが君はそれをせずに戸を開けた、静かな廊下が姿を現す。
光源は頭上の蝋燭しかないにもかかわらず、廊下は割りと明るかった。生命の蝋燭だ、君は思い出す。この館の全ての蝋燭は男爵の魔力によって賄われているらしかった。
君はその話を聞いてもぴんと来なかったが、千を越える蝋燭を同時に火を灯せているという時点で常軌を逸している。
燃え続けている限り、どれ程の距離を取っても蝋燭は男爵の魔力を吸い上げ続けるのだ
君は蝋燭を見渡す、同じような扉がいくつもある。君の部屋と同じような客室だと
ティシューから説明を既に受けている。
君の部屋の扉にはプレートが掛けられている、この世界の文字で何事か刻まれているのだが君にはあいにく読めなかった。
まぁ、ただ単に「使用中」と書かれているだけで特に気にするほどのことでもない。
似たような部屋が沢山あるこの区域で、君の使っている部屋が一目でわかるようにする用途以外に特に気にするほどでもない。
廊下はとても静かだった。蝋燭の光がゆらめいて、床に君の影をいくつも生み出している。
さすがに廊下まで絨毯は敷かれていないようだ、石造りの床は君が歩く度にこつこつと音を立てる。
君は少しわくわくした。積み木の城と男爵が称した館の外観は北欧の古城そのままだったからだ。
お城の中を探検するというその行為は、子供に戻ったみたいで心が弾む。
迷ったりしなければいいのだけれど。
最終更新:2015年12月16日 12:15