「子ども時代」を守ることから始まる人間の安全保障 その4: ヒューマニゼーションと人間の安全保障

<ヒューマニゼーションと人間の安全保障>
 ブラジルの社会では、ヒューマニゼーションという言葉がキーワードになっていて、医療関係だけでなく、子育ての分野でも使われるようになってきましたし、私は教育の分野でそのことを主張しました。きちんと教育ができない学校もひどいけれど、詰め込み教育ばかりやるのも、こっち側に落っこちたアーリマン。そういう意味で教育のヒューマニゼーションということを、自分は主張してきました。ヒューマニゼーションをめぐる私の仕事の、その原点になったのが、モンチアズールとの出会いでした。1988年から1993年にかけて、ボランティアとして働いたときのことです。
 2003年には、再びこのコミュニティに戻って、今度はJICAとサンパウロ市の共同プロジェクトとして2年と少しの間「子育てのヒューマニゼーション」というプロジェクトをしました。このプロジェクトは短い期間しかできなかったので、それを終えて帰ってくるときに、いろんな国連機関と話し合って「ヒューマニゼーション」を「人間の安全保障」という新しいコンセプトに置きかえて、サンパウロ市全体に広げる事業を作りました。
 ヒューマニゼーションって、まさに「人間の安全保障」だと思ったんです。ブラジルの人は安全保障という言葉が嫌いらしくて、当初、国連の言う「人間の安全保障」というコンセプトにあまり反応しませんでした。ぼくは、安全保障じゃなくて「平和文化構築」って言い換えればいいと思った。この写真のようなファベーラで育った子どもが、平和な子どもに育つためには何が必要ですかという「平和文化構築」のプロジェクト。それを、「子ども時代のヒューマニゼーション」を通じてやりましょうと言ったのです。


 つまり、人間の安全保障、「ヒューマン・セキュリティー」という言葉を、長い言葉に直して「ヒューマニゼーションを通じて平和文化を構築する」と言いかえたら、ブラジルの人たちの中にストンと落ちた。サンパウロの市の教育局と保健局と社会保障局と環境局が関わって、国連機関も、ユニセフとユネスコとWHOと、UNFPAが関わってくれてプロジェクトが立ち上がり、2年ぐらい前から実際に動き始めています。
 先ほどから言っているように、ブラジルの場合は、子どもが死ななきゃいいっていう段階じゃないわけです。死ななかった子どもたちがどんなふうに育つかということが、社会を左右するんだと、はっきり分かっているわけです。子どもが死ななくなるんだから、その死ななくなる子どもたちが生きる子ども時代が、平和な文化をもたらすような子ども次代でなければいけない。そういうことを目的にしたプロジェクトを作りました。その下準備をしてから、私はJICAの任期を終えて日本に帰ってきました。

<モンチアズールの現在>
 最近のモンチアズールの写真をご覧に入れましょう。


 これは、最近の「モンチアズール」の景色です。ここは、昔どぶ川が流れていたところに蓋をして、新しい道を作った場所です。こういうところを直すのに、どぶ川のふちまで家が建っているからブルドーザーが入れない。で、住民たちが日曜日に共同作業をくりかえして、セメント担いで、長靴はいてどぶ川の中に入っていってやった作業だった。それはそれでまた、有名なテレビ番組の平和シリーズか何かの賞をもらうような出来事でした。サンパウロ市も、ここまでこうやって住民の人たちが自力で街をきれいにすることに成功したら、すごく喜んで、どぶ川の残りの部分も全部蓋ができるように資金を出してくれたんです。市の看板事業みたいに取り上げられました。住民が頑張ればできるんだ!みたいな一つの例として。



 これは、国連の人たちに集まってもらって、サンパウロ市のスタッフと一緒に、人間の安全保障プロジェクトについて話し合うワークショップをやっていたときのシーンです。「じゃ、皆さん今日は会が始まる前に、一度日本のあいさつを体験してみましょう」と言って、おじぎをしてもらっているアイスブレイクのワークのシーンです。
 「モンチアズール」というのは、ファベーラとしては小さなところで、人口でいうと8千人ぐらいの小さなコミュニティです。シュタイナー教育の考え方に基づいて、ルシファーでもない、アーリマンでもない教育をしようという試みです。創設当初は軍事政権と戦って、自分たちの保育園を運営する権利を勝ち取ってきた。保育園への助成金がもらえるようになると、コミュニティのなかに住民の福祉を目的とした、一つの善意の集団が継続的に存続できるようになる。コミュニティの核みたいなものができて、やがてそれに加えていろいろなプロジェクト、助産の活動だとか、住民劇団の演劇活動だとか、木工の工房だとか、いろんなことができるようになります。魅力的なプログラムを打ち出していくことで、支援してくれる人も増えていきます。保育園を核として、ゆとりの生れたグループは、それぞれに自分たちの得意な分野にも手をつけていきます。職業訓練の活動だとかね。
 そういったコミュニティ活動のうまくいっているファベーラは次第に発展していきます。とは言っても、犯罪の問題は、なかなか解決できない難しい問題です。モンチアズールですら、犯罪や麻薬の売買をめぐる問題をたくさん抱えています。世の中が安全じゃない社会になっていく波って、すごく大きいんです。モンチアズールの活動がどんなに良い活動をしていると言っても、まだまだもっといろんなことをやんなきゃいけない。まだまだ全然足りない。
 今、私のゼミの学生が6人、半年間ブラジルにボランティアで行っています。モンチアズールにはいつも世界各国のボランティアが来ていますが、いざ自分の学生が行くとなると心配なものですね。今年は、危ないんです。モンチアズールの状況が。麻薬をめぐる事件があって、警察が手入れをしたりとか、発砲事件が起こったりとか、そういうことが続いていて。
 モンチアズールについての、自分として足りないことだと思うのは、それがとても女性に向いた活動だという点です。働くお母さんのために保育園を開き、土地の女性を保母さんとして雇って、彼女たちを教育してきました。女性をエンパワーする活動なんです。他方、男の子たち、男の人たちへの取り組みが、次にとても重要な課題なんじゃないかと思っています。モンチアズールで育った青年たちが麻薬問題に手を出したりとかして、ちょっと状況が悪い年です。
 子ども時代を改善することが何しろ大切なんだよね。子ども時代こそが、人間の進化の大切な要因だよねということを書いたのが、この二つ目の資料です。これは私の渾身(こんしん)の文章で、短い記事なのでぜひ読んでください。「赤ちゃん時代と人類の進化と」というやつです。これが言いたくてずっと仕事をしていると思うぐらいです。
 人生の始まりのところを、出産、赤ちゃん、そして小さいときの教育というか子育てということをきちんとやってないと、小学校に上がってからの教育にどんな取り組みをしても、全部治療行為になっちゃうんです。
 人間が進化する、人間がより人間らしくなる、ということは、生まれてからの取り組み、そこのところが良くなるということです。人間はDNA的にはもうこれ以上進化しないので、つまり過去5万年の間は遺伝子的には何も変わっていないので、何が変わり得るかといったら、生まれる生まれ方と、生まれてからの最初の時期の育て方です。そこが変わるときに、その変わり方がルシファーの側からこういうふうに上がってきたのが、アーリマンの側に落ち込んでもいけないわけです。「真ん中の高み」みたいな微妙なバランスを実現できれば、人類はよりよい人類になっていくと思うんです。人類がそういう進化をとげることが、貧困の解決を生むんだと思います。また、そういう進化をとげることなく、貧困だけが解決されてしまったら、つまり世界中がルシファーから解放されてもアーリマンに囚われてしまったのなら、意味がないし、破滅への道だと思っています。
 以上です。今日はどうもありがとうございました。

最終更新:2010年05月25日 19:19
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