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M4シャーマン

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匿名ユーザー

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びぃえふに登場する数々の兵器が、現実ではとんなものだったのかなぁという疑問に解説をしていくコーナー。
好評を頂いて第四回。4が付く兵器は数あれど、リクエストに基き今回は当コーナー初となる乗り物兵器、M4中戦車シャーマンの解説とさせていただく。


生産国のアメリカは、意外に思われるかも知れないが軍需産業に関してはヨーロッパ諸国に対してかなりの遅れを取っていた。
第一次世界大戦においては参戦が遅く、また大きな戦いに参加することが無かったということと、その後の非干渉孤立主義によって戦争というものとは隔絶した立場にあったということが大きな理由として挙げられる。
とりわけ陸上戦力の主力たる戦車の保有数が少なく、1939年の開戦当時は歩兵の駆逐を主目的とした軽戦車が大多数を占めていた。
大型の旋回式砲塔と堅牢な装甲を備えた戦車(それまでは半固定式の中口径砲と機銃という装備の戦車しかなかったのだ)が必要として開発要求が出されたのは、実に開戦から一年近く過ぎてからのことになる。
さらに翌年、車体は開発途中にあったM3戦車から流用し、エンジンは航空機用のものを戦車向けに改造したものを搭載することで開発期間を短縮し、旋回砲塔を装備した新型戦車が誕生した。このM4戦車はアメリカ南北戦争・北軍の名将ウィリアム・T・シャーマンにちなんでシャーマンと名づけられた。
本格的な生産が始まるまでに3年、つまり1942年に配備されたということになる。BF1942の中ではピカピカの最新鋭というわけだ。
主武装は75mm(のちに76.6mm)砲で、装弾数は71発。副武装としてM1919型7.62mm同軸機銃2門(装弾数6250発!)、車長席にブローニングM2型12.7mm機関銃1門(装弾数600発)を装備。400馬力を発生するエンジンは32トンの車体を整地ならば38.6km/h、不整地でも19.3km/hという快速ぶりを見せた。
だがそれらのカタログスペック以上に、高い信頼性と生産性がこのM4シャーマン最大の強みだった。
軍需産業では後発だったとはいえ、世界で始めて自動車の大量生産に成功した工業力は伊達ではない。当時のアメリカは、世界でもトップクラスの工業力を備えていた。特に現代では当たり前のものになっている「共通規格」という考え方を最もよく実践していたのである。
このために工場ごとに別々のパーツを作っても、組み合わせる時に何ら障害が発生せず、分業化が効率よく進められた。前線においては各車両の間で部品の互換性が利くため、大破した車両から使える部品を回収して、軽い損害を受けた車両の修理に使うといったことも可能だった。
終戦までの三年間に改良型など全てを合わせれば、なんと4万輌近くが生産されたことになる。性能に勝るドイツの戦車を数に任せて撃破していった。
もっとも、この物量主義は時として裏目に出た。数を過信し、重戦車の開発が遅れてしまったのである。シャーマンの主砲ではドイツのⅤ号戦車パンターやⅥ号戦車ティーガーの装甲を貫けず、一方的に撃破されてしまうこともままあった。とはいえ、総合的に見ればやはり数の勝利であったのは歴史が示す通りである。

戦後も朝鮮戦争や中東戦争で活躍を見せ、最終生産型のM4A3E8型、通称「イージーエイト」というワクワクする名前のモデルは、61式戦車に替わられるまで陸上自衛隊の主力戦車ともなっていた。

ちょっと曲射気味な多感なお年頃の連合主力機甲兵器。実際の世界でも第二次大戦を代表するこの戦車は、「戦いは数だよ」を体現した、まさしく第二次世界大戦のGMなのである。ガンタンクではない。

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