SF百科図鑑
ディーン・R・クーンツ「ベストセラー小説の書き方」
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匿名ユーザー
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October 20, 2004
ディーン・R・クーンツ「ベストセラー小説の書き方」
実を言うと、未だにこの著者のクーンツの本を読んだことはない。数冊持ってはいるのだが、いずれも冒頭10ページほどで挫折して、押入れの隅に眠っている状態である(題名は「バッド・プレース」「ウォッチャーズ」「ウィスパーズ」あたりだったと記憶している)。読了したことがあるのは、数編のホラー短編だけだし、その内容もほとんど記憶に残っていない。私の持っていたイメージは、「そこそこの作品を大量に書いているが、ホームラン級の代表作のない、そこそこ人気のあるホラー作家」という感じだった。
で、本書も正直、半信半疑で読み始めた。題名からして、レジに持っていくのをためらわせるような、PHP文庫並みの下世話さだし&&(結局、書店で見つからずに、通販で購入したので、問題なかったが)。
ところが&&面白いのだ。この人の書く小説よりも、絶対に面白い。
途中、第4章「ストーリー・ラインを組み立てる」というところだけ、自作の大量の引用が入り、冗長で説得力がなく、一部飛ばしてしまったのを除くと、他の部分は文字通り読みふけってしまった。
その面白さの理由は、何といっても、作者自身の経験の欲望を正直に赤裸々につづり、自らの努力と苦渋の観点から、結論を強引に断定してしまっている、その書きぶりのユニークさであろう。通常は、教科書のごとく淡々と形式的に書き連ねられるのが、同種の本の特徴と思われるが、本書は、そのようなかしこまった形式主義を一切排し、著者の主観の赴くままに、あまり整理せずに書きなぐられている。この粗削りさが、異様に扇情的な迫力を生んでいるのだ。それは章立てと各章にさかれたページ数のアンバランスさを見れば一目瞭然だ。著者は、第三章、「移り変わる出版市場」75ページまでは、「売れるものを書け」「何でも書け」という扇情的なスローガンと、米国の80年当時の出版状況以外には、何らの実用的ノウハウを提示せず、第4章になって唐突に「ストーリー・ラインを組み立てる」という本論に入る。この章は、なんと178ページまで約100頁に及んでいる。しかも、その半分は自作の引用である上、正直なところ、成功作として引用されている自作自体が、お世辞にも面白いと思えるものでない(もちろん、書かれた年代から20年以上経っているから陳腐化したというだけかもしれないが&&)。そこで開陳されるノウハウは一つの見解であるかもしれないが、具体例として挙げられている自作を見る限り、あまり説得力のないものが多い。&&しかし、それにもかかわらず面白いのである。
で、次に第5章「アクション、アクション、アクション」以下、数章を立てて、アクション描写、人物設定や描写、動機、背景描写、文体にも若干のページを割いている。書かれている内容はむしろこちらのほうが説得力があるのだが、割かれているページ数は異常に少ない。
この、ページ配分の極端なアンバランスさ、及び、項目立ての場当たりさが異様に目を引く。
要するに、今気づいたのだが、著者が最も書きたかったのは、第4章の自作を引用して大展開したストーリーライン論(しかもその内容は何らストーリーライン論ではなく、単なる文体論や場面転換論になってしまっている)の部分であり、その他の部分は体裁を整えるための付け足しに過ぎないのではないか。それをここまで露骨にやるのは、凄いことだ。
つまり、本書は、早い話が、クーンツの主観的欲望全開の、愚痴と自慢の書である。だからこそ、この本は面白いのである。つまり、ハウツー物としての実用としてよりも、純粋に一つの読み物として、面白いのだ。
そういう本書の特異性からいって、本書で伝授されるノウハウの数々には、頷けるものもあれば、首を傾げたくなるものもある。「売れる本を書くことが作家の目標だ」という価値観を是認した上で、その方法として考えてみても、「本当にそうだろうか?」といいたくなる部分も多々ある。また、悪い例として挙げられている文章に、「そんな風に書く奴、いねーよ」といいたくなるような極端なものが多いという点も問題だろう。更に、作者自身が出版状況の変化によって主張を変えたと自認しているように、25年ほど前のしかも米国の出版状況を前提とした記述であるところ、米国の出版状況はその後も激変していること、ましてや日本は米国の出版状況と全く別物であることを考慮すると、ここでクーンツが主張しているノウハウに完全準拠して書いた小説が、日本で(それどころか米国でも)売れるとは限らない。例えばSFに関する記述は既に古くなっている。今時、クーンツがここで批判の槍玉に挙げている「信憑性のないエイリアン」などを書くSF作家はほとんどいないだろう(もちろんクーンツはアマチュアレベルの人の原稿を念頭においているのだろうが、それを考慮に入れても、クーンツの記述がやや時代遅れになっている感は否めない)。
したがって、本書をハウツー物として利用する場合は、一つ一つのクーンツの主張をよく吟味し取捨する作業が必要なのはもちろんである。
しかし細かい技術的な指摘の適否はともかくとして、中には興味深い分析や指摘も多々ある。以下の点を挙げておく。
27ページ 平均的な読者が求める大衆小説の8要素
105ページ 古典的プロットのパターン(1)~(4)(困難に立ち向かう主人公)
175ページ ストーリーを構成する8要素
193ページ 主人公の5つの資質
209ページ 登場人物の身上書の要素
217ページ 主人公の動機
263~ 視点・人称についての考察
285~ 近未来の推測すべき要素(内容には一部疑義あり)
291~ ミステリーの注意事項(同上)
なお、第14章で挙げられている作家の読んでる度をチェックしてみた。
(割とよく読んでる作家)16人
オールディス、アシモフ、ベスター、ブラッドベリ、ブラナー、ディレイニー、ディック、エリスン、ハインライン、キング、ライバー、ニーヴン、シルヴァーバーグ、シマック、スタージョン、ゼラズニイ
(ちょっとだけ読んでいる作家)21人
アンダースン、クリスティ、ディッシュ、ファーマー、ハリスン、ハーバート、アーヴィング、ジャクスン、コーンブルース、ローマー、マクリーン、マシスン、ムーア、ポール、セイヤーズ、コードウェイナー・スミス、トールキン、ヴァンス、ヴォークト、ヴォネガット、ウィルスン
(読んでない作家)45人
アダムス、エアード、アンブラー、エイミス、バグレー、ケイン、チャンドラー、クラベル、コンドン、クライトン、エリン、アードマン、ファーバー、フランシス、ゴールドマン、ヘイリー、ホール、ハメット、ヒギンズ、ハンター、イネス、ジェイクス。ケメルマン、レアード、レヴィン、(グレゴリー、ジョン、ロス)マクドナルド、ラドラム、マッキネス、マクベイン、メルル、ブーヅォ、ノートン、ランド、サンダース、ショー、シュート、シューヴァル&ヴァールー、スターク、スタウト、ヴィダル、ウォンボー、ウェストレイク、ウォーク
だめぽ(笑)。
で、本書も正直、半信半疑で読み始めた。題名からして、レジに持っていくのをためらわせるような、PHP文庫並みの下世話さだし&&(結局、書店で見つからずに、通販で購入したので、問題なかったが)。
ところが&&面白いのだ。この人の書く小説よりも、絶対に面白い。
途中、第4章「ストーリー・ラインを組み立てる」というところだけ、自作の大量の引用が入り、冗長で説得力がなく、一部飛ばしてしまったのを除くと、他の部分は文字通り読みふけってしまった。
その面白さの理由は、何といっても、作者自身の経験の欲望を正直に赤裸々につづり、自らの努力と苦渋の観点から、結論を強引に断定してしまっている、その書きぶりのユニークさであろう。通常は、教科書のごとく淡々と形式的に書き連ねられるのが、同種の本の特徴と思われるが、本書は、そのようなかしこまった形式主義を一切排し、著者の主観の赴くままに、あまり整理せずに書きなぐられている。この粗削りさが、異様に扇情的な迫力を生んでいるのだ。それは章立てと各章にさかれたページ数のアンバランスさを見れば一目瞭然だ。著者は、第三章、「移り変わる出版市場」75ページまでは、「売れるものを書け」「何でも書け」という扇情的なスローガンと、米国の80年当時の出版状況以外には、何らの実用的ノウハウを提示せず、第4章になって唐突に「ストーリー・ラインを組み立てる」という本論に入る。この章は、なんと178ページまで約100頁に及んでいる。しかも、その半分は自作の引用である上、正直なところ、成功作として引用されている自作自体が、お世辞にも面白いと思えるものでない(もちろん、書かれた年代から20年以上経っているから陳腐化したというだけかもしれないが&&)。そこで開陳されるノウハウは一つの見解であるかもしれないが、具体例として挙げられている自作を見る限り、あまり説得力のないものが多い。&&しかし、それにもかかわらず面白いのである。
で、次に第5章「アクション、アクション、アクション」以下、数章を立てて、アクション描写、人物設定や描写、動機、背景描写、文体にも若干のページを割いている。書かれている内容はむしろこちらのほうが説得力があるのだが、割かれているページ数は異常に少ない。
この、ページ配分の極端なアンバランスさ、及び、項目立ての場当たりさが異様に目を引く。
要するに、今気づいたのだが、著者が最も書きたかったのは、第4章の自作を引用して大展開したストーリーライン論(しかもその内容は何らストーリーライン論ではなく、単なる文体論や場面転換論になってしまっている)の部分であり、その他の部分は体裁を整えるための付け足しに過ぎないのではないか。それをここまで露骨にやるのは、凄いことだ。
つまり、本書は、早い話が、クーンツの主観的欲望全開の、愚痴と自慢の書である。だからこそ、この本は面白いのである。つまり、ハウツー物としての実用としてよりも、純粋に一つの読み物として、面白いのだ。
そういう本書の特異性からいって、本書で伝授されるノウハウの数々には、頷けるものもあれば、首を傾げたくなるものもある。「売れる本を書くことが作家の目標だ」という価値観を是認した上で、その方法として考えてみても、「本当にそうだろうか?」といいたくなる部分も多々ある。また、悪い例として挙げられている文章に、「そんな風に書く奴、いねーよ」といいたくなるような極端なものが多いという点も問題だろう。更に、作者自身が出版状況の変化によって主張を変えたと自認しているように、25年ほど前のしかも米国の出版状況を前提とした記述であるところ、米国の出版状況はその後も激変していること、ましてや日本は米国の出版状況と全く別物であることを考慮すると、ここでクーンツが主張しているノウハウに完全準拠して書いた小説が、日本で(それどころか米国でも)売れるとは限らない。例えばSFに関する記述は既に古くなっている。今時、クーンツがここで批判の槍玉に挙げている「信憑性のないエイリアン」などを書くSF作家はほとんどいないだろう(もちろんクーンツはアマチュアレベルの人の原稿を念頭においているのだろうが、それを考慮に入れても、クーンツの記述がやや時代遅れになっている感は否めない)。
したがって、本書をハウツー物として利用する場合は、一つ一つのクーンツの主張をよく吟味し取捨する作業が必要なのはもちろんである。
しかし細かい技術的な指摘の適否はともかくとして、中には興味深い分析や指摘も多々ある。以下の点を挙げておく。
27ページ 平均的な読者が求める大衆小説の8要素
105ページ 古典的プロットのパターン(1)~(4)(困難に立ち向かう主人公)
175ページ ストーリーを構成する8要素
193ページ 主人公の5つの資質
209ページ 登場人物の身上書の要素
217ページ 主人公の動機
263~ 視点・人称についての考察
285~ 近未来の推測すべき要素(内容には一部疑義あり)
291~ ミステリーの注意事項(同上)
なお、第14章で挙げられている作家の読んでる度をチェックしてみた。
(割とよく読んでる作家)16人
オールディス、アシモフ、ベスター、ブラッドベリ、ブラナー、ディレイニー、ディック、エリスン、ハインライン、キング、ライバー、ニーヴン、シルヴァーバーグ、シマック、スタージョン、ゼラズニイ
(ちょっとだけ読んでいる作家)21人
アンダースン、クリスティ、ディッシュ、ファーマー、ハリスン、ハーバート、アーヴィング、ジャクスン、コーンブルース、ローマー、マクリーン、マシスン、ムーア、ポール、セイヤーズ、コードウェイナー・スミス、トールキン、ヴァンス、ヴォークト、ヴォネガット、ウィルスン
(読んでない作家)45人
アダムス、エアード、アンブラー、エイミス、バグレー、ケイン、チャンドラー、クラベル、コンドン、クライトン、エリン、アードマン、ファーバー、フランシス、ゴールドマン、ヘイリー、ホール、ハメット、ヒギンズ、ハンター、イネス、ジェイクス。ケメルマン、レアード、レヴィン、(グレゴリー、ジョン、ロス)マクドナルド、ラドラム、マッキネス、マクベイン、メルル、ブーヅォ、ノートン、ランド、サンダース、ショー、シュート、シューヴァル&ヴァールー、スターク、スタウト、ヴィダル、ウォンボー、ウェストレイク、ウォーク
だめぽ(笑)。
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この記事へのコメント
1. Posted by silvering October 20, 2004
02:24
追記。
SFに関する記述で「センス・オブ・ワンダー」を「不思議な感じ」と訳していたのは限りなく誤訳に近いと思う。普通は英語のままか、無理に訳すにしてもせいぜい「驚異の感覚」ぐらいだろうが、訳者はSFに関する知識がなさそうだから仕方がないだろう。
が、それはそれで、新鮮な感じがして、面白く読めたから不思議である。
SFに関する記述で「センス・オブ・ワンダー」を「不思議な感じ」と訳していたのは限りなく誤訳に近いと思う。普通は英語のままか、無理に訳すにしてもせいぜい「驚異の感覚」ぐらいだろうが、訳者はSFに関する知識がなさそうだから仕方がないだろう。
が、それはそれで、新鮮な感じがして、面白く読めたから不思議である。
2. Posted by 手下X22 October 22, 2004
00:32
この本一冊でモノが書けるわけがないというのは貴兄もご指摘の通りで、また、本人が本文で述べているから間違いあるまい。
これは「書き方」を指導する書ではなく、クーンツがどうやって書いているかの一端をまとめた「How To Write(オレの書き方)」の開陳の書なのだろう。身の回りには未だにHow To本が散見される。「○○になるには」「~の使い方」などと同列に読者側の誤解として「仕方」とついていれば全て教本と思いこむケースは多々あるような気がするが、仮にそうだとしても、その手の本は眉につばをつけて読むべきである。その意味でこの本は唾液臭プンプンたる本である。
事態への対処方法をまとめたマニュアル(標準化基準)は、身近な状況と過去の事例の一致状況からいかに戦うべきかを示すヒント集である。標準化示準と造語してもいいだろう。役に立つ部分だけが存在価値を持ち、いかに類似行動を取り自己の問題を解決するかの道を示すのがマニュアルである。
小説を書く、モノを書く事に関しては上記のマニュアルは存在し得ない。大枠の基本作法は存在するが、それは文書を作成し意思伝達をするという観点で構築された言語文法である。読者のハートをガッチリつかみ滂沱の涙に暮れさせる方法は作家個人によって編み出された秘伝の技であり、それは他者に継承は出来ない。
理論上の一致で同一と見なされる問題解決と、ことのはを物するのは全く別物である。
幸いにしてこの本は「アメリカ出版界の状況」等多くの日本では何の役にも立たないご託宣が一章まるまる使って述べられているので、出版社も「ノウハウ本」とうたえなかったようで「好読み物」という扱いで紹介されている。
個人的にはコレはそんな意味不明な煽りで表される「軽いエッセイ」ではないと思う。むしろ、自信満々のアメ公がオレ様の作品はここがグレイト、参ったかという「成功者大いに吼えるの書」という受け取り方をした。
とはいえ、読むだけ無駄かというとそうではない。そもそも探して買い求めた本なので興味あることが書かれていないとおかしい訳で、その点では十分に用をなしたと言える。
大きく二点あり、まずは、こいつの小説執筆動機である。これは第二・三章小見出しで全てが語られていて大いに満足した。
曰く、(一章)「多数の人に読まれなければ無意味だ」(二章)「書いた物が売れなければ無意味だ」(二章)「野心的な一般大衆小説を目指せ」(一章)「作品に不滅の生命を与えるのは読者だ」
素晴らしい。こいつが三六〇ページかけて言ったことは「売れたらよし」の一言に集約できる。
続いて、こいつの物語論は何だという点だが、集約するとハリウッド映画的面白さの構成イズベストと言うことらしい。「目的」「動機付け」「転回点」「クライマックス」という25%按分(言い過ぎ?)がサイコーにファンタスティックだぜ、ファッキンメーンと四章から十章まで綴られる。非常に分かりやすく、内容も薄く、引用で水増しし、しかも思いつきで並べ立てたような章立てで。
結局の所、こうすれば売れたというノウハウが分かって書いているのではなく、ミーはコレがオモシローイと思いマース、アンダスターン? という奇言妄言の宝庫であるという期待通りの出来だった。
言い換えると、似而非作家にとっては何となく小説の書き方が分かるような気にさせられる「読み物」だが、実際の所は内容が薄い。真面目に読むと馬鹿を見るが、好事家の気分転換には最適な本と言える。
類似書籍に岡田斗司夫の「オタク学入門」があり、これも必携の一冊。新潮OH!文庫で発売中。本人のサイトでもテキスト公開されているが、それだと情報量が五割ほど間引かれているので(図版がないため)、本の形で読んだ方がいい。でかい本屋しかおいてないと思うし、重版になったか不明なのでまめに探そう。
これは「書き方」を指導する書ではなく、クーンツがどうやって書いているかの一端をまとめた「How To Write(オレの書き方)」の開陳の書なのだろう。身の回りには未だにHow To本が散見される。「○○になるには」「~の使い方」などと同列に読者側の誤解として「仕方」とついていれば全て教本と思いこむケースは多々あるような気がするが、仮にそうだとしても、その手の本は眉につばをつけて読むべきである。その意味でこの本は唾液臭プンプンたる本である。
事態への対処方法をまとめたマニュアル(標準化基準)は、身近な状況と過去の事例の一致状況からいかに戦うべきかを示すヒント集である。標準化示準と造語してもいいだろう。役に立つ部分だけが存在価値を持ち、いかに類似行動を取り自己の問題を解決するかの道を示すのがマニュアルである。
小説を書く、モノを書く事に関しては上記のマニュアルは存在し得ない。大枠の基本作法は存在するが、それは文書を作成し意思伝達をするという観点で構築された言語文法である。読者のハートをガッチリつかみ滂沱の涙に暮れさせる方法は作家個人によって編み出された秘伝の技であり、それは他者に継承は出来ない。
理論上の一致で同一と見なされる問題解決と、ことのはを物するのは全く別物である。
幸いにしてこの本は「アメリカ出版界の状況」等多くの日本では何の役にも立たないご託宣が一章まるまる使って述べられているので、出版社も「ノウハウ本」とうたえなかったようで「好読み物」という扱いで紹介されている。
個人的にはコレはそんな意味不明な煽りで表される「軽いエッセイ」ではないと思う。むしろ、自信満々のアメ公がオレ様の作品はここがグレイト、参ったかという「成功者大いに吼えるの書」という受け取り方をした。
とはいえ、読むだけ無駄かというとそうではない。そもそも探して買い求めた本なので興味あることが書かれていないとおかしい訳で、その点では十分に用をなしたと言える。
大きく二点あり、まずは、こいつの小説執筆動機である。これは第二・三章小見出しで全てが語られていて大いに満足した。
曰く、(一章)「多数の人に読まれなければ無意味だ」(二章)「書いた物が売れなければ無意味だ」(二章)「野心的な一般大衆小説を目指せ」(一章)「作品に不滅の生命を与えるのは読者だ」
素晴らしい。こいつが三六〇ページかけて言ったことは「売れたらよし」の一言に集約できる。
続いて、こいつの物語論は何だという点だが、集約するとハリウッド映画的面白さの構成イズベストと言うことらしい。「目的」「動機付け」「転回点」「クライマックス」という25%按分(言い過ぎ?)がサイコーにファンタスティックだぜ、ファッキンメーンと四章から十章まで綴られる。非常に分かりやすく、内容も薄く、引用で水増しし、しかも思いつきで並べ立てたような章立てで。
結局の所、こうすれば売れたというノウハウが分かって書いているのではなく、ミーはコレがオモシローイと思いマース、アンダスターン? という奇言妄言の宝庫であるという期待通りの出来だった。
言い換えると、似而非作家にとっては何となく小説の書き方が分かるような気にさせられる「読み物」だが、実際の所は内容が薄い。真面目に読むと馬鹿を見るが、好事家の気分転換には最適な本と言える。
類似書籍に岡田斗司夫の「オタク学入門」があり、これも必携の一冊。新潮OH!文庫で発売中。本人のサイトでもテキスト公開されているが、それだと情報量が五割ほど間引かれているので(図版がないため)、本の形で読んだ方がいい。でかい本屋しかおいてないと思うし、重版になったか不明なのでまめに探そう。
3. Posted by SILVERING October 22, 2004
09:24
> 結局の所、こうすれば売れたというノウハウが分かって書いているのではなく、
見事な指摘です(笑)。確かに本人もわかってないようだ。
岡田氏の本、気が向いたら店頭でのぞいてみます。
見事な指摘です(笑)。確かに本人もわかってないようだ。
岡田氏の本、気が向いたら店頭でのぞいてみます。