SF百科図鑑
アーシュラ・K・ルグィン『風の十二方位』ハヤカワ文庫SF
最終更新:
匿名ユーザー
2000年
9/21
さて、「所有せざる」を読んだからには、「革命前夜」を読むのは今しかないというので、「風の十二方位」中の「革命前夜」再読。正直いって前読んだ時は、なぜこれがネビュラ賞をとったのか全く分からなかったのだが、分からなくて当たり前、これは「所有せざる人々」を読んでいなければ分かるわけがない話である。「革命前夜」のオドーの心理の動き、その人間臭さを描述したこの短編のインパクトは、先に「所有せざる人々」を読んでいなければ理解できるわけがない。この作品でオドーは、オドー主義の創始者であるにもかかわらず、オドー主義のシンパたちが起こそうとしている革命の動きとの間に齟齬を感じている。周りは今しも戦いを起こし、世界を変えようとしているただなかで、オドーは既に疲れて、過去を振り返り、先立った<パートナー>の思い出に耽り、<パートナー>に先立たれて老境に差しかかりながらも、若い男性に欲望を感じる自己への罪悪感に葛藤し、革命演説を依頼されて「明日はいないのよ、あたし」などと口走る。この、創始者オドーの「革命前夜」の疎外感は、そのまま数百年後のシェヴェックの孤独感にオーヴァーラップする。真のユートピアは制度による強制によっては成り立ち得ない、総てを許容し欲するままに任せ、何ものをも排除しない、あらゆる<壁>を排除する、絆ある者との間で誠実であり、いかなる「旅」にあっても必ず「帰還」すること--これがオドーの「真の旅は帰還である」の真意であるという「所有せざる人々」のユートピア観とすると、オドーの葛藤、疎外感は当然だし、アナレスがああなったのも当然だし、なぜ作者がこの短編を書いたかの真意も垣間見えるというものだ。
ところで、フェラクティの「ODOO」って、もしかしてここからとったのかな?
更に、何と何と、前に読んで、なぜこれがヒューゴー賞を取ったのかわからなかった「オメラスから歩み去る人々」も、「所有せざる人々」を読んだ後では非常によく分かった。これは要するに「ウラス」(またオドーの意図とは裏腹にディストピアと化した「アナレス」もか)である。人が幸福であるためには、必ず誰かの不幸が必要であるということを具象化してみせたのが「オメラス」とすると、そこから「歩み去る」人々というのは、例えばアナーキストであるオドーであり、シェヴェックのことだ。この<心の神話>でルグィンが辿り着いたユートピア観をより科学的に緻密に構築して展開したのが「所有せざる人々」というわけだ。
しかし、評判は聞いていたけど、確かに一度読んだら圧倒される作家だねえ。いくらでも深読みしようと思えば深読みできる豊穣さは、やはり他の作家とは別格という感じがする。重いので気軽に読み飛ばせず体力を使うという難点はあるけど(笑)。そして、一度はまると、デビュー作から最新作まで全部読んで分析したいという気持ちにさせられてしまう。何にしても、今年出た「The Telling」、ペーパーバック出る前にでも入手して読みたくなってきたぞ。書評を見ると「闇」「所有」に比べて地味目だそうだが、早く読みたい。またその他の本も全部。
さて、ここでハインもの一気読みしたいところだが、読書傾向を偏らないようにするという今回の年代順読破計画の趣旨に反するので、「鳥の歌今は絶え」に入る。しかし、ウィルヘルムもまた、何となく暗くて重そうなイメージからして、暗いの大好きな私としては(笑)、「カインの市」「クルーイストン実験」「杜松の時」といった作品も全部読みたくなってしまうんだよね。あと、「計画する人」「200マイルの宇宙船」とかいろいろ短編でも有名なのがあるし。しかし当分は我慢して、受賞作のみを年代順に読むぞ。