◇給料の半分が税、保険料 高齢者、主婦も就労
アムステルダムから車で約1時間、国会議事堂や官公庁が集まるハーグはオランダの政治の中心である。歴史的な建造物が建ち並ぶ政治の街でも、平日の昼間から小さな子を自転車の前かごに乗せて走っている男性を何人も見た。17世紀の画家フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が壁に大きく描かれたマウリッツハウス王立美術館近くのカフェは午後5時前からビールを飲む客で埋まっていった。
雇用の柔軟性と保障を両立させるフレキシキュリティー政策によって、オランダではパートタイム勤務が増えた。警察官や教師のパートタイマーを紹介した動画をユーチューブで見たことがある。「確かにいるが、警察官はそんなに多くはない。それよりも学校の先生や行政職員の方がパートタイムは多い。引き継ぎができる職種はパートタイム勤務になじむのだ」と社会問題・雇用省の職員は笑う。
ワークシェアリング、ワーク・ライフ・バランスなどが日本で紹介されるようになって久しい。働き過ぎをやめて一つの仕事を何人かで分け合い、仕事以外の時間も大切にしよう。そんな考え方に共鳴する人は多いが、正社員の過重労働、パートや派遣など非正規雇用労働者の不安定な雇用、高い失業率--というアンバランスを日本社会は克服できないでいる。
オランダに進出している日本企業の中で、富士フイルム・オランダ工場(ティルバーグ市)は正社員のパートタイム化が進んでいる会社の一つである。ペーター・ストライク社長によると、社員795人のうち128人(16%)がパートタイムだ。「女性の割合が多いが、若い男性などもパートタイム希望者が増えてきている」という。子どもの教育費や医療費がほとんどかからず、フルタイム社員と同じ年金制度に加入するため、老後に対する安心感もパートタイム労働者が増える要因になっている。
ただし税や社会保険料は高い。「年金などの社会保障費と税金を合わせて給料の52%(上限)が取られる。付加価値税(VAT)も19%だ。最近は住宅ローンを抱えている人がオランダでも多いのだけれど」とストライク社長は苦笑する。
「社会に対する信頼感、フェアな社会を目指そうという共通認識があります。日本のワーキングプアなんてオランダでは真っ先に解決されなければならない課題と思われるでしょうね」。同社の経営企画担当の木村佳哉さん(48)は4年前に妻子を連れて赴任した。日本のように24時間コンビニが開いている便利さはないが、医療や年金など社会保障への信頼が厚いことを強調する。「パート勤務になった男性社員は休みの日にボランティアで子どもたちにサッカーを教えたりしている。遊んでいるわけではないのです。練習場もあちこちにあってお金もかからない」
70~80年代にオランダは経済が停滞し失業者が増えていた。早期に定年退職した人々に対する社会保障費が国家財政に重くのしかかってもいた。フレキシキュリティー政策では早期退職した高齢者や専業主婦、障害者らを労働市場に巻き込むことを図った。パート化を進めて流動性を高めるとともに、「福祉から就労へ」と転換することで社会保障費の軽減化に努めたのである。【野沢和弘】
◇フレキシキュリティー政策を支える4要点
フレキシキュリティーという政策は労働力の流動性によって成り立っている。企業は市場動向に合わせて必要な人材を採用し、必要のない労働者を解雇できる。労働者も別の仕事に移ることができる機会を高める。そのためには次の4点が重要だ。
(1)パートタイム労働者や派遣労働者にフルタイム社員と同等の勤務条件を保障する労働協約(2)労働者が知識や技術を身につけ別の仕事に就けるようにするための生涯学習(3)長期間失業者や高齢者・障害者などに仕事への参加を促す積極的な労働市場政策(4)失業した人が次の仕事を安心して見つけられるまでの十分な給付。
終身雇用の慣習が根強い日本では賃金や福利厚生が比較的手厚い正社員の流動性は低い。その一方、派遣労働者をはじめ非正規雇用労働者は社会保障が極端に手薄で解雇も容易に行われる。それがますます正社員の労働市場を硬直化させる要因にもなっている。
毎日新聞 2010年8月14日 東京朝刊