ヴィヴィ「見飽きた黄昏」

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「天におられるわたしたちの父よ、
 み名が聖とされますように。
 み国が来ますように。
 みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
 わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。
 わたしたちの罪をおゆるしください。
 わたしたちも人をゆるします。
 わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。」




天の父など詐称もいいところだ
み名が聖など欺瞞もいいところだ

父は実在する、私を嵐に捨て置いた
世は悪意に満ち溢れている、その背徳から儀式めいた言葉を紡ぎ傷を舐め合う

私は拾い上げられてここに置かれた
ここはそんな掃き溜めだ

事実を正しく認識し夢を見ない、戯言に耳を貸さない、理想を語らない
これが私という個体を肉体という安全な容れ物に正しく封し、
心という腫れ物を腐らせないようしまっておく最良の手だと考えた

見積もりが甘かった
それが出来るほど私は賢人ではなかった
すぐにガタがきた
程なくして忍耐は事切れた

神は死んだ! 声高らかに叫んだ これが断末魔の悲鳴だと確信を以って




「神は死んだ? それは違うね。死ねばいいとは思うんだけど残念ながら形なき水を壊す術はない
 ああ沸騰させてみたら?って顔してるね。いい考えだけど回り回って降り注ぐのがオチさ
 君が毛嫌いしている神は一人殺してもまだまだ湧いてくる。ご覧、皆神に支えながら神を飼っている

「背徳感を罰して心を楽にしてくれる調停者?
 ただひたすらに命を肯定し無限に甘やかしてくれる天の父?
 まあ、形はどうあれなんでもいいのさ」

「実在する神はさておき、頭の中にいる以上はモデルがいようが空想上の生き物なんだから、
 結局いいように解釈されてしまう。神が彼彼女らを救わないんじゃない、
 そもそも神に救いなんて求めちゃいないんだ。宛名のないSOSを今日も送っている」


 快活な黒猫は、ずっと前から私の隣人であったかのような口ぶりで面倒な屁理屈を並べた
 あまりにも当たり前に目の前で人の言の葉を解するので、それこそ私の目が猫のように丸くなっていた


「こんばんは、小さな檻に大きな心を持ったお姫様
 僕はエリアス。ご覧の通り無害な喋る猫だ」


 第一印象:最悪
 私の嫌悪の対象を初対面で会話せずして見抜き、
それを私自身がわかりやすく整理し言語化させた悟り妖怪
と、認識するや考えるよりも早く手にした箒が唸りを上げて彼の頭部に襲い掛かった

 人の言葉を扱うがやはりそこは猫
 『ひらり』と本人が加えた濁音の通りの軽い身のこなしでいなされてしまう

「ふーっ」とそれこそ私自身が猫であるかのように息を荒くし威嚇したが、
猫は何処吹く風と言わんばかりにふいと顔を逸らす


「いやごめんごめん!
 なんだかわからないが怒らせるつもりはなかったんだ!ほんとなんだかわからないけど!
 嫌味の一つや二つ言ってやりたいなぁとは思っているとも生き物だからね!
 でも君にじゃない、誓って君にそんな事は考えちゃいないんだがちょっと棘のある物言いにはなったかもだね!」


 これでもかと箒を振り回していると、まるで当たる予感がない事に対する苛立ちがある事を察したのか、
白々しくあわてふためいた道化のような風に弁明を求めてきた
ただ、不思議と彼の言葉そのものには嘘偽りがないように感ぜられて、
ちょうど疲れたのも相まって箒の矛先を収めてみる


「いやごめん、一つだけ君に一言ぶちまけたいことがあった。『君に対して嘘はない』
 今後のためにもここで吐き散らかしちゃおう」

「ひっっっっどい格好だな君!!」

「なにそれ修道服?何の拷問だ、馬鹿げてる、冗談抜きに吐きそうだ!
 これが僕の体じゃないのが心底残念だ、物理的に吐くね、それぐらい見ていて不愉快、きもちわるい!!
 だめだめだめ、なんだって『君自身が嫌ってる連中』と同じ格好なんかしてるんだ
 この場所に限ってそいつを着るという事は『正しい行い』だ
 間違いを正しく公正に犯すという意思表明に他ならないんだ
 さっさとドレスに着替えて舞踏会にでも行っちゃいなさい、魔法が解けたならどこにでも消えちまえ!
 少なくともここじゃない場所に!」


 ああ、そうか
 これは私の児玉だ、声なき叫びの反響音だ
 猫はこれでもかと私を通して私が見た『きもちわるい』全てを遮断した、
私がそれを口にしてしまえば『でもどうしようもないんだよ』と、
私という子供自身に大人の私が言い聞かせるような、そんな虚しい結論に帰結してしまう
だから蓋をしてきた、だから思わないようにしてた
そんな嗚咽を、この猫は悉くつまびらかにしてしまう

 『でもどうしたらいいの?』
 弱さをさらけ出す術は子供の内に知ることができませんでした
 一番それを知る機会に恵まれた時代を棒に振りました
 私は大人です、大人のように振る舞わないといけません
 大人というのは『本音を一切閉ざした、誰でもない何か』でなければいけません
 『都合のいい何者か』でなければいけません
 『名前も感情も尊厳ある私』はいつだってクローゼットの隅で、
膝を抱いて声を立てず啜り泣いているしかないんです
人間の社会ってそんな場所です


「ふざけんな、ぶち壊しちまえよ」


 そんな『私』の言葉をひた隠しにした、『でもどうしたらいいの』という、
どうしようもない問いに逃げ道を要した卑怯な感情の吐瀉を並べてると、
彼は結局一番言いたかったことを引き出しから引っ張り上げて、
『お前の本当の台本はこれだろう? 失くしちゃいけないよ、逃げちゃいけないよ』と、
残酷に、無慈悲に見せつけるのです


「とまあ、勝手なことをずかずか言い過ぎたね。泣かないでおくれ
 事実『君一人』ではどうしようもないかもだ
 だって世界は広い、ここではないどこかという無限の選択肢に居場所を求めたところで、
 たどり着く前に疲れ果てて動けなくなってしまうかもしれない
 昔は星灯りを頼りに歩いたものだけど、今じゃそれも文明の利器で詐欺られたからねぇ」


加えてダメ出しだ
本音を引きずり出した上でくしゃくしゃにした後丁寧に元の場所にぶちこんでおく
なんて悪辣な趣味の猫なんだろう
何で喋るんだろうとか、そんな事はもう瑣末なぐらいこいつに私の心はかき乱されていた
正直凹みます、体育すわりをしたくもなるものです


「泣くなってば
 大丈夫、心配ないさ。存在しない神は何もしてくれないが、今ここにいる僕にできることは結構ある
 どれぐらいあるかと聞かれるとまあ限りある程度としか答えられないけど、
 少なくとも君をここから、少しだけマシな場所に移してあげられる
 そう言ったら君どうする?」



 ……そんなの決まってる
 とっくに部屋に縄を用意していた、詰んでるなら死んじゃえというありきたりな動機だが実行に移せなかった

 うん、死ぬよりマシそうだ。そうしちゃおう



「よし決まりだ。改めて自己紹介をしよう
 僕はエリアス。ちょっとした事故で身体を失くしたけど、
 こうしてお節介する程度の余力を残せる一流の ”魔法使い” だ
 君に『魔法』は早いから…… 馬鹿野郎達を軽くちょろまかす程度の『ズル』
 つまり『魔術』を教えてあげる先生になってあげよう」

ヴィクター……ヴィクター・ヴァレンタインです……」

「響き的に天運に恵まれそうにないな、少なくとも『精霊』の嫌う音だ
 彼らは文字数が多い名前を嫌うからね……
 うんよし、君はこれから僕の前では『ヴィヴィ』と名乗りなさい
 ああもちろん、ここを出たなら以降はずっと『ヴィヴィ』だ
 別に名前に愛着はないんだろ?」






 エリアスの教える魔術は文字通りインチキだった
 私が考えていた魔法……いや魔術は、神に背く悪しき力、即ち悪魔の力で、
なんか理不尽に人を魚に変えたり、緑の光が迸って目の前の人間がばったばった死んだりそんな感じだ


「やあ、三日ぶりだねヴィヴィ。エリアス魔術教室の案内だよ
 明日は教会の食料を買い出しに行くんだろう?
 追加でこのリストにあるものを買ってきなさい
 ああ、お金はこの小包の中だ。少し多めに入ってるから何か好きなものでも買い食いするといい
 それと、本来のお使い以外のものを買うとシスターに怪しまれるから、この住所にある金庫に閉まっておくんだ
 鍵番号は買い物リストに書いてあるからね」


 手取り足取りだ
三日でここまで精密に『背信行為』のお使いプランを用意できるものだろうか、
仮にも猫の体を借りてるろくでなし……そうなんかろくでなしっぽい何かに
 そして同時に拍子抜けだった
リストに載っているものは別段特別な道具ではない
見慣れない種類ではあったがキノコであるには違いなかったり、
普通に食卓に並ぶ野菜だったり、老齢のシスターが服用する薬だったり、
不良修道女達がこっそり吸ってるヤクだったり……まあとにかく魔術的な(というイメージ)なものは一つもないのだ
そしてもう一つ……『今日からできる!山小屋建築』という書籍
これが異質だ、現代の書籍だ。なんだろう……これは騙されたのでは?と勘ぐった

ダメ元でマジで騙されたと思い込んで指定された金庫の前に到着
なんというか……なんでもない空き地に金庫がぶっ刺さっているという印象だ
書いてある通りにダイヤルを回すと、空の金庫にはメモが貼り付けてあった


『お疲れ様。君のことだから遊びがない買い物をしたんだろう
 これは独り言なんだけど向かいの一軒家で『フォルクマール』っていうお爺さんがシュークリームを売っているんだ
 あれ、ほっぺたが落ちるほど美味しいから買ってみるといい。僕は嫌いだけどね!

 さて本題だけど、次回の魔術教室は■月■日だよ
 場所はこの地図に書いてある通りだ。君以外の隣人には念入りにふかいふかーーーーい眠りに着くよう贈り物をしておくから、
 安心してみんなが寝静まった頃に遊びにおいで

 君の家庭教師のトライ エリアスより』


最後の一文が鼻につくので破いてやろうかと思ったが地図とかもろもろが書いてあるので、
本人を直接ぶん殴ることにして今日は任務完了としよう
いや待った、お節介とはいえ『シュークリーム』がこの街に売ってるとは知らなかった
確かに向かい側ではちょうどお爺さんが庭の花に水をやって……
前言撤回、かっさかさに枯れた死体の山と言わんばかりの花壇に水を垂れ流している
何があったのだろう? まあいいや


「あのすみません? シュークリームって扱ってたり……しま……せん……かね……あはは」


どうしたものか
私の顔を見るなりころっと眼球が落ちそうなぐらい目をひん剥いて開いていた
それこそ魔法にでも掛からないとこんな開かないだろ!ってツッコミをいれたくなるぐらいだ
フォルクマールさんと思しき老人は化石したように動かなかったが、
やっと私の声が耳から脳に届いたのか痙攣でも起こしたように身震いし、首を横に振ってうな垂れた


「ああ……あ、ああ……シュー、クリームか……
 趣味でな、他にすることもないから……。……欲しいのかね」

「ええ!美味しいってえりあっ……友達が言ってたので」

「ふん……。世辞が変に広がった結果でなければいいのだがな……
 そこで待っていなさい、持ってくる」


悪態をついてお爺さんは家の奥の暗がりへ引っ込んだ
最初は気にも留めなかったが酷い有様のボロ屋だ
修繕しようという気がまるでない、穴だらけ虫食いだらけ、馬小屋よりも酷い
こんなところから美味しいシュークリームが出てくるだなんてどんな間違いだ———————


「律儀に待ってるとはな…… まあ、年寄りの趣味だ
 拙かろうが文句は言うなよ」


とっても丁寧に飾り立てられたシュークリームが几帳面に箱に揃えられて出てきたんですが!?
そんな魂の叫びがもろ顔に出ていたのか、お爺さんはぶきっちょに笑うとふんと鼻を鳴らします
でもどこか、虫のように背を丸め悲しそうに俯いているのです








「やあ、無事来られて何よりだよ
 酷いいびきだったろうあの婆さん。そのまま鼻に石でも突っ込めば窒息したろうにねぇ」


冗談ではなく本気でそうしたかったのが伺える声色、仕草だ
ただ間違いなく私の置かれている状況がより一層悪くなると承知の上で実行しなかっただけだ
ああ、このエリアスという黒猫の向こうにいる何かは『ひとでなし』なのだな、そう理解した
でもまあ今更だ。人間が高尚な生き物でないことも、言うほど悪辣でない生き物であることも、
そもそも一動物の域を出ない生体であることも承知の上だ
人でない=悪でないことを私は理解していた


「さて、まずは『拠点』を作ろう
 魔術師というのは学者であり職人だ
 見聞を広め知を深めるにせよ、技を磨き道を極めるにせよ、
 集中できる環境造りから全ては始まるといって過言ではない」

「が、これはなんというか……初心者の魔術師にできるようなことじゃないんだよね
 この辺の歴史は君にとって必要の無い雑学なんだけど、
 魔術師の『魔術』は人が扱う道具、生活の歴史同様『一代』では成し得なかった物だ
 新米魔術師は親、或いは師の魔術工房で魔術を継承するものでね、
 0から万全な環境を整えるのは無理難題もいいとこなんだよ
 生憎と私は工房を必要としないタイプの魔術師だ君に残せる工房はどこにも持っていないし……」

「わぁさっそく詰んだね。帰っていい?」

「待て待て待ちなさい
 大丈夫だよ、そんなことは目に見えた課題だ
 だから君には『工房』をもう買ってもらったんだ」

「……なんです?」

「ロッカーに必要な材料を入れておいたろう
 順番に取り出して行こうか。 まずはトランクから—————」


最初に床にトランクを床に開いた状態で空き地の床に設置
次にチョークでエリアスが示した図の通りに『魔法陣』を描く
なんども記号とか細かいところを間違えたが、嫌味一つ言わず完成するまで待ってくれた
次に要所要所に『オロシャヒカリダケ』をトランクの周りに囲むように植えていく
現代魔術ではまだ殆どに知られていないが、どうやらこれは『マナ』を多く蓄積しているらしい(マナってなんだろう)
続いて細かく均等に切り分けた木材、粉々に砕いた釘、粘土……そして『山小屋建築の本』をトランクに詰める
なんというか、怪しげな魔女の鍋のトランク版という印象だった
仕上げにはマッチに火を灯してトランクの中に放り込み、蓋を閉め『3分』待つ


魔術というより儀式のようだった
それも子供のごっこ遊びでやるような、お小遣いの無駄遣い的な……
けれどエリアスは至って大真面目に手順を説明した、
根気強くその通りにできない私を待ってくれた
よくわからないが、その誠意は本物のような気がしたので信じてあげることにしたのです

そして————————


『出来上がり! まずは君の『家』の基盤が用意できたね
 おめでとう、これで一代からひとっ飛びで三代級の魔術師に肩を並べられたわけだ!』


——————信じるものは救われた
それはおとぎ話に登場する『ドールハウス』のよう
信じがたい光景だが、再び開かれたトランクの中には、
屋根を蓋のようにこじ開けて俯瞰した山小屋の中ような光景が広がっていた
簡潔に結論を述べれば『トランクの中に家ができた』のだ


「術式は僕が構築したものだからね
 多少ズルをしてどれだけ物を詰め込んでも一定以上重くならないように仕上げておいた
 どうだい? これであの悪辣な神の家以外に、君という一人の女の子の為の家ができた気分は」

「えっと…………ぶっ飛んでる?」

「ははは、まあ驚くだろうね!普通の女の子でもその歳で家を持つことはないのだろうから
 でも子供の時間を取り上げられて大人のように振舞ってきたんだ、
 これぐらいの大人の特権はズルしてでも手に入れないとそれこそインチキだろう?」







それから毎日が驚きと疑問と、何より初めての連続だった
エリアスが魔術を『教える』と言った時には当初嫌な予測しか立たなかった
『教える』側の人間はいつだってこっちの都合なんておかまいなし、
私は一人の生き物として必要なものを教わるのだが、
何が必要になるかという提案、どうやってそれを獲得したいかという相談、
相互の対話はなく一方的力の流れ、暴力的手段による詰め込み、拷問でしかなかった

その点エリアスは魔術工房以降はとにかく此方、つまり生徒への質問が多かった
最初に聞く『何がしたいか』『どうやってそれを果たしたいか』の二つは必須事項のようだ
いつだって、そこにあるのは対話だった、そしていつだって遠慮しがちな大人の私を叱り、
原初的な欲求である子供……いや、『素』の私を引き出そうとした


「じゃあちょっと仕返ししたいかも。修道院のみんなには育てて貰った手前悪いけど嫌な思いしかしなかったし
 エリアスの言葉を借りたら『それこそインチキ』でしょ? やられっぱなしなんて」

「はははは!よしっいいとも!うまい手を考えようか……
 といっても僕がそれをやるとしたら最終的にみんなヒキガエルに変身して高速道路にぽい、
 からの最高時速を出したランボルギーニの車輪でプチ!だからなぁ……
 君はどんな形で仕返ししたい?」

「うーん……いっそ神様に罰を下してもらうっていうのはどう?」

「あっははははその手があったか!君もなかなか意地悪になってきたね!
 うん、そういう背徳さがあってこその悪戯だ、盛大に吠え面かかしてやろう!」


 とりわけ、私が悪い子になる時はとても楽しそうだった
その日は室温が上がると水を吹き出す『コケ』と『赤ペンキの塊』を聖母像の目の奥に念入りにねじ込んでおいた
ミサの時間になると西日が顔に当たるので、そこからグズグズと『血の涙』が流れるという演出だ
と、ここまではエリアスのプラン
私はさらにそこに『熱で溶ける接着剤』に、若い修道女達がこっそり吸ってるヤクとか、
くそばばぁシスターがこっそり付き合ってる若い男のブロマイドとかを聖母像の頭上天井に貼り付けて、
血の涙の後に、神の逆鱗に触れる悪徳の証拠を突きつける!というシナリオを提案した

さていざ実行に移されるとその日のシスター達の慌てっぷりときたらもう……傑作もいいところだった
何せ、エリアスが仕上げに加えたのは『大主教様が監督に来る当日』にそれをやるという極上の嫌がらせなのだ
いやもう……ここまで来ると嫌がらせの域を超えていた
当の罪人達は禁錮三ヶ月、修道院の掃除全般を『監督付き』、つまり私に押し付けられるのだ
何せ、これを告発したのは『何もやましいことのない善良な女の子』つまり私だ


「私にお姉様方の不行き届きを咎める資格はありませんわ
 ただ事実のみを大主教様にお伝えするだけですもの」


おほほほほほと嫌味ったらしい笑いを加えて、大真面目に年上の修道女やくそばばあを働かせてやるのはもう
……さいっっっっこうに痛快だった。流石に癖になったらまずい悪癖なのは自覚できたので、
これはこの場限りの仕返しと戒めた上で短い期間に可能な限り彼女らの尊厳を踏みにじった
毎晩、『巻貝電話』でエリアスにそれを伝えるとそれはもう床にげらげら笑っていた
猫だというのに人間のように咳き込む仕草が伝わって来る程だ
確かに愉快だ、痛快だ、めでたしめでたしだ そう、めでたしめでたしで締めくくられるべきだ


「でもねエリアス。悪戯はもういいかな……
 やっぱりこんなところに居続けるのはよくないなって改めてわかった
 私、これからは此処を出るためだけに頑張るから」

「そうか…… 君にはもう少しだけ『子供』で居て欲しかったな……残念だよ」


エリアスは嘘を付かないことを約定に私と接触した
だから、これもまた彼の本心なのだろう
子供の時間がほとんどなかったというのはそれ程までに人として悲しいことなのだろうか
私にはわからなかった


「よし、君の気持ちはわかった。もちろん尊重するとも
 明日からは本格的に『役立つ』インチキを教えよう
 内容も日増しに難しくなるけど……まあ君と僕の仲だ、
 他に競争する生徒もいないんだし慌てず騒がず、ゆっくり学んでいけばいいさ」






アルカノス魔法学校』へ留学する
これが『次』への具体的なステップアップだ
ただしあの場所には才能と英気、そして目標を馬力に突っ走る若者もいれば、
この修道院のシスター以上に悪辣な大人達がひしめいた『魔境』なのだそうだ
そこを『卒業』する必要はないらしい
時間をかけて『図書館』から必要な『魔本』を盗み出すこと、
その魔本にかけられた『封呪』を解除する術式を編み出すこと、
そして周りの魔術師から技を『盗む』ことだ


「連中はここより僅かに悪辣だが、ここより遥かに、比べようもなく賢く巧妙だ
 今の君では魔本を盗むどころか図書館に踏み込む前に、まず環境に潰されるだろう」

「だから、まずこれだけは心得ておくんだ
 あの場所にいる限りは『全てが仲間のふりをした敵』であり、君もそのように振る舞うのだと」



 その心得を軸に私は身を守るインチキを学んだ
 トランクを家にするなんて不思議なものじゃない、
明確に魔術に関連する道具を扱い、人並みの魔力を最大限且つ効率よく『敵』を陥れる術を学んだ
時には惑わし、必要とあらば『武器』を用いてこれを『殺す』術だ
いやだなぁ……真っ先に考えたのはこれだ。殺すなんてやったことないしやりたくもない、
その後の人生とか考えると本当に正直しんどい
でも此処で腐るよりはいいのか、それに自衛は最終手段だ
いざそれが必要になったら逃げちゃおう







「その魔本はなぜ必要なの?」

「うーん…………そうだな、頃合いだし隠し通すにも限界がある
 アルカノスに入る前に知っておくべきだろう」

ヴィヴィ……いやヴィクター
 君は生まれながらに……いや『使命』の為に生まれたことを知っているのだろう」

「…………」

「僕はずっと前から君のような女の子が現れるのを知っていた
 そしてその使命のために『また』誰かが命を投げ打つのだと
 そんなふざけた話があってたまるか。そんなふざけた理由で人一人の人生が確定されなきゃいけない世界なんて、
 いっそのこと無くなった方が後腐れなくハッピーエンドだ、そう結論づけたがそううまく行かない」

「だから、『使命そのもの』をぶち壊すとびっきりの『魔法』を君は手に入れるんだ
 『こんなことやってられるか!!ふざけんな!!ぶっ壊れちゃえ!!後は知らない!さよなら!!』
 そんな人間らしい我儘を通せるぐらいの力を手にいれて、さっさと『望む自分』になってくれればいい


 ああ、おかしいと思った
『どうしてそんなに親切にしてくれるの?』
寒い冬の番、下町でも滅多にお目にかかれない高級毛布を差し入れてきた時に問いただした事があった。キツめに
笑ってはぐらかしてばかりだ
『守護者』という存在を何故か私は知っている
私自身がそうなわけではないが、エリアス、恐らくあなたは『使い捨ての道具を育てる為の守護者』なのだろう



「うんざりだよ
 救っても救っても人間は自戒の因果を生み出す
 祈りなんて許しを求める様は滑稽だ
 どうしてあんな連中の犠牲になる理由があるんだい?
 僕も、他の子達も……だからヴィヴィ。僕はとっくの昔に決めて居たんだ
 『もうこれが最後』だ。これで救えないなら、次の『選ばれし子供』には身を引いて好きに生きてもらおう
 『人生』という個人規模の世界をより輝かしく尊いものに飾り立てて送り出す
 それが僕自身の意思で決定した『使命』だ」


エリアス、あなたに私の幸福が見定められる?
私の幸福をどんな物差しで測るの?
幸せって何? それすら自分で尺測れない私にあなたの願いは叶えられるの?






黄昏が死に帰る
修道院を抜ける日に、
そしてアルカノスから『魔本』を盗み出した日の朝に何度も見た夜明け
日向(自由)のものにも夜(使命)のものにもなれない、
中途半端な黄昏の時間に彷徨う蝙蝠のような在り方の『成り損ない』はどこへゆくのか

好きに生きてみよう
せめて形だけでも好きに……みんなが楽しそうにしてることから真似てみよう
嘘もいつかは本当になるかもしれない、ごっこ遊びもいつか真に迫るかもしれない

そう言い聞かせて歩み続ける
使命がなんなのかはわからない、それだけはエリアスは答えない
それを知るということは結末を確定させるということ
未来はいつだって、白紙でなければ何も思い描けない
そんな悲しいことがあるかい? 悲しげに問い返すばかり

歩く、歩く、足跡を刻みつけて西へ、そして東へ



ヴィヴィと呼んでください。しがない魔道具屋です
 ちょっとした便利な『インチキ』を売っています」



微笑んで、微笑んで、仮面に弱さを隠す
自分をさらけ出せば外の色に惑わされ色褪せてしまう
大事に大事に、道具で身を守り、大事に大事に両手いっぱいに抱きかかえる
北の風が吹けば凍てついて砕けそうな、か弱い女の子をどうか守らせてください
どうか、何者にもあれ無いくせして面倒ばかりを世界に押し付けられた哀れな私を知らないでいてください
勝ち気で負けず嫌い、そんな作られた私だけ覚えていてくださいね






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最終更新:2021年08月17日 00:10