Alvis「––14––」

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もしも生まれたその瞬間を、写真のように鮮明に記憶していたなら
アナタは母の顔を直視していた事を思い出せるかな

“その日”のコトだ
それは恐らく、何処とも繋がっていない僕だけが見た空だったに違いない

生まれ落ちたその刹那、視界に初めて飛び込んできた色は白銀だった

空だ

何処へ繋がるコトも、誰とも共有するコトのない孤空

終着点の無い旅の道筋を観たような気がした
それはなんと皮肉で、残酷な未来なのだろう








     –No. 14 –





–––––––夢を見た
何処へも繫がることの無い空を眺めている
その内”また”この空も暗くなってしまう



 いつの日からかこの街の住民は星を見なくなった
 言い換えるならば、星空は地に堕ち、人は時の支配から解き放たれたと錯覚していた
 眠ることを忘れたネオン街、今日日のソレは常日頃より増してけたたましく、
ボルダーガイストの叫び、或いは女性の金切り声のように甲高いサイレンが夜想曲には場違いなビートを利かせていた



 “彼女”、或いは“彼”は流水が岸壁の隙間を掻い潜るかのように人の海をかき分け、高層ビルが壁のように立ちふさがるとモニュメントなる女神像の慈悲の手を掴んだかと思えば、
瞬きする間もなく頭蓋を踏み台にし、パイプや窓枠を駆使して人並み外れた身体能力を活かし屋上へと駆け上がる

 やがては地上に咲く大型二輪や街灯の明かりやナイトクラブの賑わい、黄色い声がドッジボールのように飛び交う怒号などから逃れ、
身を切るような夜風を意に介さず、華美に彩られた一階と相反し粗暴な作りの屋上階へ降り立った
鼻から下まで覆い隠すウィンドブレイカーを羽織ってはいるが地上23階の高層ビルの屋上で迎える真冬の疾風はこたえる

 “彼女”、或いは“彼”が靴底でタイルを打ち鳴らし着地するのに合わせて猫の髭ですでにその接近を察知してかのように、
もはや現代社会では一種の毛皮ともいうべき、大衆に溶け込むにはうてつけなフォーマルなスーツに身を包んだ男達がぞろりと雁首を揃え、
さながらユダヤ迫害を訴えるヒトラーの演説の場に降り立ったユダヤ人を見るような目を向け、
地上23階、56mの風俗店ビル屋上は殺気立ち、空気張り詰めていた。冷凍庫にしまい置いたヴァイオリンの弦のように

 その黒い肉の防衛壁の向こう側には、唯一純白のワンピース一枚に黒いコートを夜風の黒に溶かすように靡かせ、
隙間風で揺らめく上質なカーテン生地を彷彿とさせる深い青の頭髪の女性が佇む
 シトのように、或いは鏡のごとく透き通った冷たい瞳を讃え言葉はいらずと”彼女”或いは”彼”を見据えていた

 不思議とその他の男達の表情はモヤのように霞んで見えない、いいや……見ようという気概は湧いてこなかった
 紫と深紅の入り乱れる瞳に映るのはただ一点、再奥の女、屠るべき”的”の更に向こう––––––常にその先を赴く


 鈴の音によく似た鍔鳴りが児玉した
 右腕の服の袖から一振りの銃剣が滑り落ちそれを手に取って、全身を微かに前後に揺らしながらそれを手放しくるりと、一と半回転させ坂田持ちに切り替える
 心はここにあらず既においてきたと言わんばかりに、地を蹴り 滑空するかのように黒スーツが織りなす竹林へ踏み込んでいく


      「掃除<シゴト>だ 」 


 高く今日日の空から降り注ぐ粉雪のように白くて透明な声色で短い口上が紡がれる頃には、
滑空の勢いに任せ二人の男の両脇を掻い潜り前進しながらの一回転という動きを一瞬で終え着地し……
––––––既に彼女、或いは彼の背後で脇腹から鮮血を咲かせ地に転がり伏せていた

 ふわりとした生暖かい熱風を受けた時のような浮遊感が襲い、同時に自分を囲う空気、
水滴、粉雪、風、殺気、微かな歯ぎしりの音、全方位から銃口を突きつけられる、冷たい感触、そして時の流動
それら全てがそれぞれ識別でき、時の流れに至っては酷くなだらかに錯覚する程、
言い得て妙だが、感覚はある種の快感を感じるほどにまで研ぎ澄まされていた

 それぞれがハジキで武装した男達の群れに突っ込み、微かな隙を生んだ彼女、或いは彼は鉄柵に囚われた猛獣も同じ、
着地の反動で屈んだまま隙が生じた一瞬を見逃さず、マカロフが火を吹いて鉛玉を浴びせようとした刹那、
囚われた猛獣は北狐のように俊敏に跳ね、男達の視界には頭部を地に向けながら螺旋状に回転しつつ舞って、
斬光と狼のように鋭い眼光で軌跡を描きつつ腕を真横に振り抜く姿だった

 三日月状に迸る鋭利な閃光、輪を描くようにして並び立っていた男達が首筋から赤を捲き散らしながら一斉に散る

 すかさず前方に構える三人のうち中央に対し、回転の勢いに更に加速を加えて下半身を捻って回転蹴りを前頭葉に浴びせ踏み潰し、
両サイドの二人が日本刀を抜刀するよりも早く、着地と同時に上半身を捻って広範囲の横薙ぎを振るい首筋に一閃を刻み込んでみせた


「1、7,12,14」


 秒読みをするよりも遥かに早く敵影は潰えて行く、そうしている間にも背後から男が馬鹿正直な殺気を纏い雄叫びを上げ日本刀で大降りの一閃を刻もうとするが、
これもまた逆手持ちに切り替えた刃をノールックでバックサイドへ着き立てるだけで心臓を抉り抜き、鼓動がピタリを止む手応えを確かめると、
それを投げ捨て更に前へ前へと進む

 拳銃の吐き出す弾丸などピッチャーのゴロを受け止めるよりも容易く剣をさながらジャグリングのポールの如く回転させるだけで弾き返せる
横並び二列の黒塗りの男達の群衆に真っ向から突っ込むと、逆手持ちの幹竹割り、真上への振り上げ、 順手持ちの横一線を、三振りの軌跡が同時に瞬く程の速度で振るい、水のようにすり抜ける
 後には8人分の鮮血の花で飾られた足跡が残り、彼女、或いは彼は銃剣にこびり付いた赤を払い捨てる

 後に残されたのは再奥に構える死徒のように生気の無い女ただ一人
 自身の取り巻きが一人残さず屍と成り果てた事をようやく認識すると、流石の死仮面<デスマスク>を被ったような無表情も崩れ目を丸くし、
一歩後ずさって域を飲む、喪服のようなドレスは小刻みに震えていた


「おこがましいのね」

「神様、あなたは生み落とす子を間違えた」

「過ちから生まれる全てはすべからず悪である、ようこそ業深き踏み外したものの世界へ」


 女は耳までナイフで裂いたかのような笑みを浮かべると、北風のただよう夜の中空へ、
貼り付けられた聖者のように腕を広げ、何処までも続く静粛に向け身を投げた

 彼女、或いは彼は時待たずして訪れるであろう女の死を追うかのように、
脇目も振らず駆け出し高層ビルの床を蹴り、地上に広がるネオンの夜空へ羽ばたくように重力へ身を任せ、
腕を広げ、片手に銃剣を添え、ためらい一つなく降下する

 案の定であった

 先に落下した女の背には青白く冷たい光彩を放つ魔法陣が浮かび上がり、
ニュートンの唱えた法則に異議を唱えるかの如くゆるやかに降下していた
 無論、その跡をあの生まれ間違えた者が追ってくるなど想像する筈もない、
完全に予想の外だったのか、女はここで初めて恐怖に染まり、思考は今日の日の空のように、黒へ沈んだ

 頬を割く真空が無数の刃のように冷たく鋭く、それでいて熱く痛む、
コートは蝙蝠の翼のようにはためくが羽ばたく術はない、さすれば今この瞬間に意味は一つしか有らず

 ––––––ただ、屠るだけだ




 真紅が冬の宙空で弾けた、
それは尾を引きながら地へと堕ち……そして死んだ








 例えば白
 聖なる色が存在するとしたならばそれはこの世で最も光に近い色の事を指すに違い無い

 さすれば
 付いなる色は赤であろう、死に没する太陽の色は人の思い描く赤とよく似ている

 しんしんと雪が降り注ぐある真冬の夜
 女は棺の蓋のように冷たい床の上で腕を天高く翳し、それが赤に染まっている事に気付いた

 救いには程遠い
 その筈の女に、そうやって全てを諦め始めた女の前に
 女の望まない天使が降り立ったのを見た

 雪のように白い頭髪、まるでこの世に生ける者全ての死を悼んでいるかのような黒いコート


「送って」

「地獄でもいいから」

「ここではない何処か遠く……どこまでも……どこまでも……」

 天使はそれを受諾するかのように、十字架を心臓に突き立てこう告げる



「せめて、安らかに––––– さようなら、美しい人」



 女は微かな驚きと、それを包み隠すにあまりある喜びを湛えた笑みを浮かべ、静かに眠りについた
 きっとそれは永遠だろう、きっとまた目覚めるであろう
 心に潜む吸血鬼は永遠に、心に残した女はまた、再び–––––––––









「レート、B。吸血鬼と便宜上は呼ばれているがその実は生物兵器の試験隊
 身よりも都跡も無い、いわゆる我々大人の都合に身を委ねるしか無い儚いマリオネット––––」

「もう少し単調に、それで結果は」

「駆逐しました」

「ご苦労、だがそれは報告済みなんだ。他に何か」


 ここは開かれることのない繭のように息苦しいと、ある軍人は愚痴を零したらしい
 政府軍本部に存在する軍将校にそれぞれ与えられる事務室
 要するに上司という主神へ報告する際の祭壇だ、憎むべきは神と違い上司には口があるところか
 最も、彼女或いは彼にとっては、尻に敷かれても苦しくは無い程度に優秀な女神であったので何とも感じなかった

 女神、アヤメ・イツルギ中尉は常に機嫌が悪そうに見えるだけの温厚な人物だ
 子供の頃は少々境遇に恵まれず、本人もまた直情的な人物であったため眉間のシワが深く刻まれたまま残ってしまったらしい
 彼女が本気で機嫌が悪いとするならば、ボールペンを鷲掴みにしている時だけだ


「それでガードナー伍長、他に遺体から気付いた点は」

「微笑んでいました、とても幸せそうに」

「それはさぞ上等な人生だったのであろうな、終わりよければ全てよしとも言うだろう」

「そんなまた極端な」

「思考は0と1に割った方が幾らか効率的だ、問答に割く時間を削り、思考する時だけにその分をつぎ込め」

「はい」


 対し、何を思っているのか困り果てたように弱々しく微笑むこの彼女、いや”彼”ことレイス・ガードナー伍長は、
このようにキツく合理的な性格の上司の尻に敷かれ、対照的な感受性が豊かで繊細な人柄のせいか、
返す言葉など思い浮かぶ筈もなくそれこそ意味があるのかわからない問答を交わしていた


「まぁいい、対象『ベラ・キス』の取り巻きにいた精鋭はギガンテスと関連性があると思うか。キミの意見を聞きたい、当事者としての目線で」

「『灰色』ですね。関連性があってもギガンテスそのものとは管轄が違う別の組織、或いはただのビジネスパートナーなのかも」

「根拠は」


 簡易式の長テーブルにを組んで頬杖をつき状態を乗り出してくるアヤメの視線はこれでもかと眼球の奥側抉ってくるかのように鋭く突きつけられていて
本人に故意があってなのかそれとも普段からこうなのか何にせよとても恐ろしく感じている事に違いは無い


「手際の悪さですね。政府軍内部の何者かによる干渉がなされているという中尉の推測が正しければ、よりスムーズに逃走経路を確保できた筈」

「ふむ」

「構成員はこれといって本部の者を思わせるようなその道のプロという感はありませんでした、チンピラといいますかね」

「正解だ、身元を調べたがギガンテスとの関連性は極めて薄い。大方寄せ集めの囚人、或いはどこぞの軍人崩れといったところか」

「近頃は若い将校のクーデター未遂もよく頻繁にありますからね、軍の統率力が落ちているのでは無いかと懸念するところはあります」


 何気なく口から出た考えなしの入れ知恵であった
 しかしアヤメはそれを聞くと口を噤み何を考えているのか、簡易テーブルのシミに視線を落とす


「もしも–––––
  それが意図的であるとしたら?」

「と、言いますと」


「違う将校から人づてに聞いた話だが世界政府加盟国の大統領、或いは総理大臣が選出された際、
 その国家に属する軍人が謀反を企てるというケースは珍しく無いのが現状だ」

「その動機は様々で『属国家する政府への懸念』『軍部の政治権力獲得』『歴史背景から成る不満』などなど、
 単ににクーデター勢力だけに責任があると言えるケースばかりではない、そういった原因を作り出す国家である限りテロは失われない」

「それを駆逐する、そうしてまたさらに不満や政府への不信感を倍増させることで鼠算式にテロリストは増える
 これは個々の国家、或いは世界政府という『不完全なグローバル化』が生み出した温床なのかもしれない」

「ただこの現象には『意図的にそれを発生させる』に値する思惑があると私は見ている、それが何か想像がつくか伍長」


「直感の域を出ませんが––––––利益、でしょうか」


「ガードナー、お前は私と似て勘がいい、十中八九その通りだ」

「戦争の発端を暴力でで生み出すための兵器が必要になる、その需要が広まる
 世界政府という枠組みにある国家を支配下に置き尚且つ飼い慣らすには小規模な内乱で民衆の不安を煽り軍に依存した政治を支持するように誘導するのが効率的だろう」

「そうすることで各国の首脳は世界政府お抱えの企業や、最悪『武器密輸組織』が提供する兵器を喜んで受け入れる、単純なロジックだが実に根深い、
 大衆が与えられた現実に左右され易い能無しであれば尚更の事、マスメディアを操作し、さも世論が暴力を必要としているような『演出』をすることで、
 大衆と同調化しようとする傾向のある一般人は社会的一般論であると『刷り込まれた』意見を己のものと勘違いし、政策を後押ししてしまうのは最早道理と言える」


「なるほど、『理解なんてものは概ね願望に基づくものだ』とは荒巻大輔の談でしたね。自分たちに非は無い、自分はあくまでマジョリティの中心である、そう思い込みたい民衆は、確かに惑わすには格好の餌である可能性は十二分にありますね」


「『個体が造りあげたものもまた、その個体同様に遺伝子の表現型』とも言う、人類という種が今日まで存続してきたのは分裂と結合を繰り返してきた『多様性』遺伝子の表現型によって助けられたものだとしならば、
 このまま『同一化』が着実に進めば、何かの拍子に全て死に絶える未来が待ち受けているであろうことは想像るに容易い」


「広い目で見れば生命というもの自体がそうなのかも……っと、議論に熱が入ると歯止めが利きませんね」


「『神は永遠に幾何学する』とは言ったものだが、やれやれ悲しいかな。私もお前もまたただの人、仮にここで結論を導き出せたとて、世を変えられはしまいさ」






–––––変えられはしない

 わかってはいた、理屈で理解していたつもりだったがその言葉が深く心に抉りこみ、さながら等のパーツのように、
心の一部として早くも同化しようとしているかのようであった
 アヤメ中尉の執務室を後にしガラス張りの壁から差し込む陽光が微かにただよう埃を粉雪のように照らす
 外の空は春を彷彿とさせる晴天だというのに、軍本部内は、いやレイス自身の心が投影する景色はつい此間の一夜のように、
しんしんと雪が降り注ぎ今だに身を裂く北風の痛みが、その余韻が残って離れようとはしなかった


「もし、何も変えられないなら」


 ふと足を止め、さながら深層心理、或いは彼自身の前に立ちはだかった高い壁を見上げるかのように天井を仰ぎ見る


–––––僕達は何のためにいるのだろう






「時に明日はお前の定休日だったか」


 たまたま今日一日の間で二度目の会合を果たしたアヤメはスープで乳発色に染まったスプーンを指に挟んで振り子のように揺らしながら、
こころなしか25歳の女性らしききょとんとおどけたような顔を向けて問いかけてきた


「ええ一応、何かするというワケじゃないんですけどそうなってますねーー」


 と、いつものように考えなしに浮かべる愛想笑いで首をかしげ気味に答えると、
なんとも珍妙な話ではあるがアヤメは氷の女王がメルトダウンしそうな菩薩のごとき暖かい微笑を浮かべた……気がした


「それはよかった、近頃のお前はほうっておくと根を詰めすぎるからな」

「お母さんみたいなことを仰いますねぇ、そのセリフはお子さんにとっておいてあげた方がいいですよー。少し羨ましいですケド」

「まぁそう言うな、保護者のようなものになってしまっているのはお前も薄々そう思っているんじゃないのか」

「そんな、先生をお母さんって呼んじゃうキッズじゃないんだし…‥」

「まだまだキッズだよお前は、私も言えたクチじゃないか。それで?休暇はいつもどう過ごしているんだ」

「んーそうですねー。家族がそうしてくれたっていう思いでもありますし図書館で読み聞かせのボランティアですかねー。人手が足りないんだそうですよ、中尉も一緒にどうです」

「冗談、お子様の足が遠のきそうだから遠慮しておくよ  –––––しかし、親がね」

「おや、どうかしました?」

「…‥いや……–––––––なんでもない」

 この時彼は忘れていた
 アヤメの言うなんでもないとは大概『意図がある』という事で、レイスはそれを周囲に悟られぬよう探らねばならないサインなのだ、と



◆ 



 図書館……と偏に言ってもレイスが休暇に向かう場所は二つある
 その日彼はまず早朝に起床すると軍部の管理する閲覧規制が掛けられていない資料や事件のファイルが収められている軍部図書館へ真っ先に足を運ぶ

 アヤメはかなり頭のキレる女性だ、自慢の上司であると自信をもって断言できるほどレイスは信頼している、何か意図があってレイスに『伏線』を見せびらかすということは大概、
『その対象が軍部にある』というコトを意味するのであろうと推測した、あそこは食堂だ、周囲の将校に聞かれてはいけない何かを伝えたかったに違い無い

 ともあれば、彼女は大概決まってこの図書館に何か『くだらない資料』とカムフラージュさせた物を忍ばせている筈なのだ
 クリームシチューは白、それに染まったスプーン、微笑み。 【白いフォルダ】【カテゴリは食事】【スマイルくんのシールが貼ってある】といったとこか
 流石に誰もあの氷の女王がスマイルくんのシールを料理に関する資料がファイリングされたフォルダを所持しているとは思うまい、そして幸いレイスは料理や家事全般が得意である、
こういったジャンルに手を伸ばしても別段不振がられたりはするまい


「あった」


 ご丁寧に『毎日使えるお料理ハンドブック』と記された乳褐色のクリアファイルを発見できた
 著者は『アヤメ・イツルギ』、偶然なのか必然なのか『見知った名前』だが、これもまた上司が書いた資料を読むという自然な流れを取り繕うためのカモフラージュと判断していいだろう 







*

【調査報告 (分類:現場検証)】

2014/02/16 : 識別不明生物兵器の襲来について
        我々調査班は目撃証言に従いファイル【1261474】が発生した現場の調査を開始
        現場には不特定多数の遺体が残されており、回収及び身元の調査をしたところ、『未確認の遺伝子情報』を確認した
        現場の情報はあまりに少なく調査が必要だが、異界の生物による襲撃の可能性も視野に入れ【ゲート対策局】と協力し等事件の調査を続行する方針とした

*


 窓から差し込む昼下がりの陽光が少し眩しく思える時間帯
 行きつけのハイカラなカフェで日課をこなすかのように珈琲を口に含みながら『いつものレイス・ガードナー』を演じ、
いつものように書籍を読むかのように資料に目を通す
 まるで雑誌の切り抜きのように、恐らくこれを作った本人が必要分だけかき集めた資料が束なっているというものだったので、
それをあたかも印刷された書籍のようにカムフラージュさせるのは手間取った
 最もミシンもあるし趣味で集めた製本グッズがあったのでそこまで苦労はしなかったが、こうするといつものように読書する感覚で情報を頭に入れられる

 最初のページで視界に入ったのは事件ファイル【1261474】について
 見覚えのある番号だった。まだレイスが退院して間もなく、記憶喪失によって精鋭としての彼も失われていたため、リハビリとインターンも兼ねて調査に無かかった事案だ
 これに関してはまだ未解決で、その後これといった動きもなくその生物は既に有志の実力者に駆逐されたという説が強まっているので危険度は低く設定されており、
初心者の研修には丁度いいと思われていたのだろう。 最もその日は生物兵器でもなんでもなく『頭が割れるような激痛』によって直ぐ様病院送りにされたのだが

 しかし何故このような事件の調査ファイルが? 黒歴史を見せて反応を楽しむというのだろうか、
これから先に恐らくはなにかしらの答えがあるのだろう、彼はこの時点ではなんの躊躇いもなくページをめくっていた


*

【調査報告 キシジマ中尉へ直送】


2014/01/16 人身取引団体について
近年件数が激増している『人権対象者』(意思疎通可能である種も含む)をターゲットにした誘拐について我々対策課7班は、これを調査
いくらか捜査を続けている内に幾つかの疑問点に着眼したのでこれを以下に纏めた

  • 一組織の生存率の高さ
  • 相次ぐ目撃証言者の失踪
  • 被害者には男児が含まれるケースが急増した事

性別見境なくこうした被害が増えた件に関しては市場にそういった需要がないこtからして、あくまで実行犯の個人的な『性癖』によるものと判断
代表的な例としては【風間 司】のケースである。またその母【風間 華聯】も行方が知れずこの事件の関係者と見ているが、これは対策4班に引き継ぐ

最も注視すべきは生存率である。上記の風間家の件もそうだが、一組織の生存確率、そし【てオークション】や【風俗店】など、
違法組織が関与した商業施設が今なお存在し、違法性にも関わらず安穏としておりこれの掃討が完了する頃には経営を担っていた者が逃亡、殺害などの理由で情報を聞き出せない状態にある事
更には近日疾走した目撃者の遺体が相次いで発見された事、そしてそれが殺害されたものであるという事
これは言うまでもなく『口封じ』であり、また政府の聞き込みに応じ有力な情報を提供して下さった方に限られる事から、
我々政府軍内にこれに関与した者が存在する可能性を今後の調査の指針の決定の判断材料にする必要があると結論付けた


対策課7班長 イズミ・ナギサメ 曹長特筆事項

ただし、仮に内部の者による犯行であった場合ある程度の権限を有する高官であるとも推測できます
班員の身の安全を考慮し、この報告書はキシジマ対策課7指揮であるキシジマ中尉にのみ託す事を我々班員全員の意見の一致の元決定致しました
つきましては中尉殿も既にこの対策課の指揮を執り行われている時点でご自身が危うい立場にある事をご理解いただいた上で慎重な行動をお願い申し上げたく存じます


*


 これに目を通している間、特に最後のイズミ曹長の特筆を視界に入れた瞬間胸を透かして心臓を鷲掴みされるかのように、心をしめつける痛みが走った
 無意識にレポートを持つ手が小刻みに震えた、やり場の無い感情が鬱積している。自分自身がまだリハビリをしながら安穏していた頃に彼女らはこうして葛藤していたのだ

 ––––––キシジマ中尉は殉職していた。アヤメ中尉の同期で、ひたむきで、堅物ではあったものの芯を持って職務に取り組むお方であったという

 なぜ、キシジマ中尉に当てたレポートが手元にあるのかはわからない、ただこのレポートはキシジマ中尉に直接渡したものであれば、
彼はきっとこれを託された時点で何かに感づいていた、そして身の危険も悟っていた彼は部下の身の危険を避ける為これをまた信頼出来る誰かに託したのだ
 きっと、これをレイスに託したアヤメ中尉なのだろう

 【オークション】はレイス自身もこれの調査及び掃討を任されたメンバーでもある、あの雪の日の任務もまた、これの一環であった
 現在の当事者としては今ある自分の立ち位置の土に、部下かから慕われ、そして部下の人命のため孤独に戦ったのであろう男の屍が埋まっている
 もはやこれは自分だけが解決する問題では無い、レイスにとってはこの時点でアヤメがこのファイルを託してくれた事に充分な意義を見いだせていた


「それにしても–––––」


 彼の目にはある苗字が止まった
 ただ止まったというだけなのだが、それに視線を落としている間は周囲の賑わいは消え、吹き抜ける風の音だけが不気味に響いていた
 最も、その風でページがコマ送りのアニメーションのようにめくれ、そこに記された情報が彼を凍りつかせた事は言うまでもなかったのだが


*


【調査報告】 09/30/2013。月見浜町にて発生した『Avenger』関連の殺人事件を調査。これの成果は別紙に纏める(資料C3の項を参照)

【任務報告】10/05/2013。複数体のソロモンが聖風学園を襲撃、これの討伐へ向かう。先行体の兵士2名が負傷、現場へ急行したデイヴィッド・マイヤーズ(大尉)、セコンダ・シリアート(大尉)クレメンティーネ(軍曹)が討伐、駆逐した

《特筆事項》大型ソロモンを学園生徒一名が単独で討伐。重傷を負っていたため保護。当人に相応の戦闘力が潜在していた自覚は無くこれを『戦力』と理解した上で確保するが逃亡される

【報告】10/09/2013。住居から逃亡した双葉麗奈を槭三等兵が保護、当時は事件との因果関係を既知していなかったためその場に居合わせていた一般住民が任意で同行

事情聴取していたところ月見浜町旧校舎の生徒である事が判明、また本件の被疑者と【面識がある】可能性有り。月岡冬記が本件の主犯である可能性が極めて高くなるが彼女曰く既に死亡しているとされている。直後ヘンリーワグナーが襲撃、これを森ノ宮甲三の協力を得て撃退、行動不能に追い込むが体内の毒物によって死亡。自害であると推測

【報告】12/23/2013。【09/30/2013】の調査にて発見された日記の切れ端と同一のものと思われる物品が、本件の被害者の自宅から発見されこれを回収に向かう。輸送中ルーシー・ヒルダカルデ(二等兵)が意識を失う

【定期会議報告】01/07/2014。各班の調査記録に基づき本件の主犯、及びそれと堕天使との関連性の考察。本会議にて出題された事項は以下の通りである

①【09/30/2013】の調査書から抜粋。⑴ 2003年度の月見浜高等学校卒業アルバムを入手。集合写真の生徒の顔の殆どが黒塗りされており、その人数は『Avenger』の被害者と一致する。これはソロモンの体内から発見されている ②【09/30/2014】の調査書から抜粋。⑵ 同じくソロモンの遺体から発見される。日記の切れ端と推測されるが不特定多数の文弼で殆ど黒塗りされており、文脈も噛み合わず解読不可能な暗号であると判断

③【10/05/2014】の報告書《特筆事項》を参考。 月見浜町とは無関係である聖風学園が襲撃された理由と『Alvis』の因果関係について調査。本会議では結論に至らなかった 【05/16/2015追記】2003年当時の月岡冬記と酷似している事が判明、引き続きこれを調査していく必要性有り

④【10/09/2013】の報告書を参考。 双葉麗奈の因果関係について。本人は否認しているが彼女が被疑者の候補である事も踏まえ身柄を確保。しかしこれはあくまで『仮定』とし、仮に実行犯であった場合『Avenger』との関連性の有無を調査。また、ヘンリー・ワグナーは月見浜高等学校の教壇に立っていた経験もあり彼が『Avenger』である可能性が示唆されている

⑤【12/23/2013】の調査報告を参考。 ルーシー・ヒルダカルデはアヤメ・イツルギの監視の元一時脱退とする。これは『彼女』と本件の因果関係を調査するためでもある

【調査報告】05/05/2014。現在時空軸より約10年前の世界に一定距離の空間が上書きされる現象が各地で発見されている問題について。政府軍本部、及び14小隊はこれの調査を開始する事を決定した



*






 青い、何処までも青い
 だのに空は蒼白、さながらその色が落ち、地上を塗り立てたかのような風景が広がっていた
 背の高い芝生、それは淡い青で染まっており、こころなしか輝きをもっているように見えて、氷のように冷たい

 そこに訳も分からず佇む僕はふと空を見上げた、まるで遠く遠くへ離れていく故郷を飛行機から眺めるかのような視線を送った
 何も無い白地のキャンパスのような空だというのに、僕はあそこから落ちてきたのだな、或いはアレが僕なのだなと、
 己の目を塞いで、視界に映るそれが自分の手だと認識できるように、或いは己の体温を肌で感じるかのように簡単に理解できた

 ––––––––それじゃぁ、この芝生は誰なのだろう

 ふと、今自分が羽織っている白地のシャツの袖を引かれ腕が前後に揺れた
 弱々しい力だ、赤子が精一杯呼びかけているのに、届かないかもしれないというような恐ろしく弱々しい手だ、そして僕はそれを『とても醜い』と思った


「キミは‥…」


 金髪の子供だった。黄昏の日の太陽を浴びた麦畑のような美しい頭髪、そしてこの草原のような青い瞳を伏せた、4歳か5歳ぐらいの小さな子供が、
禍々しい拷問器具が幾つも背後で構えている椅子に腰を下ろしていて、そして

 –––––ひどく うらめしそうな め を ぼくに むけて いた

 その子はおもむろに口を開き……歌をつむいだ


–––––水はあなたの瞳
          草木は温もり
      砂は記憶       
          空は強さ
    雪は愛おしさ

  僕はとキミは虚像
          空の棺桶には右目が残り

       そして殺した
        だん死てしそ


 ––––––きっとその少年は泣いていた
        涙は流さなかったが、きっと既に枯れていた

  『何も救えはしなかった キミが救われたいだけだ ボクは殺されたかっただけだ』








「人事異動、ですか?」

「ですです、レイスくんも伍長相当官となった今では”精鋭なりに”先輩として若い兵士の教育を任される立場にあるんですよー」


 アヤメから託された資料に一通り目を通したその日から一週間近く経過した頃の事だった。
 レイスは本部一階フロアにあるラウンジで自分を呼び出した人物と待ち合わせ、二杯のコーヒーから立つ湯気と丸テーブルを挟んで、
その人物の告げた事柄に対しどういった感情を抱けばいいのか、そもそもイマイチその意味飲み込めていないのか目を丸くしきょとんとしていた


「それが上の判断というのでしたら私は依存ありませんが……」

「んんんー……やっぱり初めての事だし不安ですかねぇ」

「それもあります。けれど僕も他院して軍に復帰してから、実質殆ど0の状態からスタートして日も浅いのに、その資格があるのかどうか」

「あのね、上司になる経験事態まず最初はみんな0なんだからそればっかりは誰しも等しく同じ悩みを抱えてきた筈ですよー」

「いやぁ、中尉はどうなんでしょ」

「ア”ッ、いやあの人はうん特別ですから……」


 相手はジャスバー、アリスメンディ曹長。一応上官にあたる人物で自分と同じく”精鋭”だった本部勤務の兵士、
のっぺりとした黒髪に冴えない人相の優男といった印象だが、当たり障りのなくそれでいて軽いのに安心する微笑みが印象的な人物だった
 身振り手振り、一挙一動がオーバー気味のクセして立場も実力も弱いため大概、ネガティブなアクションがほとんどなのだが


「けどまっ、その手の事で御悩みなら今回レイス君の班に配属される子達はある意味相性いいかもしれないですよー」


 ジャスバーが人差し指を立て軽くウィンクしてみせる
 “相性が良い”それも自分のように記憶の大半を欠落し仕事慣れしていない軍人に相性の良いというのはいったい何を意味するのだろうか


「『スクール』っていう軍人養成施設名前ぐらいは聞いた事ありますよね あそこ責任者が変わってから軍内部でもその意義を疑問視するようなカリキュラムが組まれてるんですね
 まぁあまり声を大にして話せたコトじゃないんですけどね、あのへん結構事情が複雑ですし」


 後手を組んでソファチェアの背もたれに上体を預け軽い吐息を零している、様子から察するに彼にとってはあまり芳しい状況にある場所ではなさそうだ
心なしか瞳を泳がせ周囲に聞き耳を立てている何者かがいないか警戒しているようにも見える


「結構予算も嵩みますし、『現段階でその実用性を試し結果を出せ』っていうお達しが上からあったんですね
 ただま……あそこの子達は皆『あの女』の息がかかってますから誰も嫌がって相手したがらないんですねー、要は保護者がご不在なんですよ」 


 だいたい察した
 先ほどまで首を縦に振って相槌を打ち真摯に聞いていたつもりであったが、唐突に苦虫を潰したような顔になり、
肩をがっくりと落として首は垂らしたままで止まり恨めしそうな上目遣いを向ける


「つまり厄介ごとを押し付けられたと?」

「御気の毒で。 ただま、それでも安心して良いんじゃ無いかな、何せ結果を出さないと評判も落ちちゃうし向こうは向こうで、
 優秀だったり、従順だったり、そこそこ適正のある子を寄越してくると思うよ。使えるかはさておきね」

「使えればいいという物でもないでしょう、なにせ一上官として部下の命に責任を持たないといけませんし何より」

「キミの担当する獲物は決まって手強い……か、なるほど難儀だね」









 【覚醒能力者】【ギガンテス】【グラナートファミリエ】そして……【堕天使】
 レイスの請け負う担当は広く存在を危険視されるものが多い、とりわけ【堕天使】は情報も少なくレーティングをするには材料が少ない未知数の勢力、
果たして実戦経験の乏しい兵士を抱えてこれらの担当に配属された自分が、今まで通り戦い抜く事はできるのだろうか

 レイスは己に新たに与えられた執務室の真新しいテーブルの上で最初にした仕事は顔写真付きのスクール生の詳細情報、
氏名。クラス、ランク、その他留意事項など事細かに記されており中には優秀な者がいるのも頷けるが、あくまでこれはスクールという枠組みの中で測ればこそ、
実戦でその能力を役立てる事ができるとは限らず、導き出した結論は、今まで通りに戦う事はまず『できない』だった

 中には己の才能を過信する者も、己の力を過小評価する者も、何れもその力を100%発揮でいるとは思えない、実戦という死と隣り合わせの現場で、
体験した事のない窮地や、不測の事態においても対応できるようになる程の経験を積んでる事はまずないはずなのだから

 ともなれば、必然的にこれは『護る』戦いになってしまう
 元々厄介な相手ばかりだというのに、状況はより不利になるばかりだった

 けれどそれでも
 スクールという監獄以外に、居場所を得られるとするなら、そのチャンスが”ここに”あるのなら–––––



「初めまして、スクール生試験導入に伴い今日付けで皆さんの監修を任されましたレイス・ガードナーです」



 春の足音が小窓の隙間から響いてくる



「どうぞよろしくね、みんな」



––––––そのチャンスがここにあるなら、この子達がせめて、その力を正しく使えるように導いていかなければ……
    こうして冬は死に絶えていく、また新たなに白雪が降り注ぐ夜を待ちわびながら…… 

                       側に遠く見える、澄んだ明かりを惜しむかのように、霞ませて……––––––––













End



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最終更新:2024年04月11日 03:02