――絵画館。
地域の特定なしに、その名前が何処の美術館を指しているのか? と問えば、十人十色の答えが出よう。
地元の美術館を答える者もいれば、常識のレベルで知って居るべき美術館の名前を答える者も、いるであろう。
だが、この<新宿>に於いて、美術館と問われれば、その名前さえ知っているのであれば、誰もが聖徳記念絵画館と答えるであろう。

 <魔震>と言う現象が、神代も過ぎ去り神秘も失せ、神も悪魔も遠くに行ってしまった現代に於いて、何故神秘の彩を纏って語られるのか。
<新宿>のみを特定して襲ったと言う事も勿論ある。他区と他区との境界線をなぞるように刻まれた亀裂だって、ミステリーの対象である。
だがそれらと同じ位置にまで並び立つ謎が、建物の破壊の度合いが、建造物によって違うと言う所である。
<魔震>前の新宿区の中では最も堅牢な構造を誇っていた筈の市ヶ谷駐屯地ですら、半崩壊に等しいレベルの損害を負ったにも関わらず、
この聖徳記念絵画館は、建物の外部に大小の亀裂が走った程度の軽微な損害で済んでいたのだ。
被害の程度が建物の構造的に小さいと言った事態は何もこの絵画館に限った話ではなく、<魔震>直後の新宿ではよくあった話である。
耐震構造がシッカリとしていた隣の一軒家は瓦礫の堆積になってしまっていたにもかかわらず、隣の築四十年のぼろアパートがほぼ無傷、
と言ったケースもあった程。この伝説は今でも語り継がれ、あの<魔震>にあって壊れなかった建物のあった土地は、パワースポット扱いされており、
その土地に建てられたアパートやマンションに住む事が出来ればそのパワーを住民も与る事が出来、幸運が約束されるとまことしやかに囁かれている程だった。

 そんな話が今も流れているせいか、聖徳記念絵画館は、お堅い展示物を主に目玉にしているのに反して客足が絶えない。
明治天皇の聖徳、つまり生前の様々な事績を描いた絵画を多数展示されている事から、聖徳記念絵画館。
堅い施設だ。少なくとも、今時の若人の人気となる所ではない。しかし絵画館の維持・運営を担当する明治神宮の上部も、
使える要素は使うと決めているらしい。このパワースポットであると言う噂を上手く扱った商品や展示を新しく産みだし、
<魔震>以前の収益を大きく超える程の黒字をここ数年叩き出している所からも、運営の辣腕さが窺い知れると言うものだった。

 平日であっても客足が多いこの施設にはしかし、現在人が全く見えない。
開館時間よりも大分前の、早朝の時間よりも人の気配を感じない。それも、当たり前の事であった。
今日の午後二時に起こった、<新宿>どころか世界中を震撼させた、新国立競技場での一大事件。
競技場内での大量虐殺もそうであるが、其処から迸った黄金光によって爆発的に跳ね上がった被害者数、そして、事件の舞台となった競技場その物の消失。
息を吐く間もなく、目まぐるしく事態が展開されてゆき、何が起こったのかを把握するよりも早く、全てが一切合財消えてなくなってしまった。
それはまるで、史書をパラパラと流し読みさせて行くかの如くに似ていた。

 足を運ぶ客もなく、聖徳記念絵画館及び、その周辺施設には現在、其処に勤務するスタッフ位しか今はいない。
元々此処を警備する為に存在した警察官達も現在、余りにも人手が足りないと言う事で、新国立競技場の捜査要請を受けそっちに向かってしまっている。
喧騒とサイレン音から取り残されたように、その地帯だけぽつねんとして静かなのは、そう言った事情があるからだった。

 そして、そう言う事情があるからこそ、隠れるには打って付けであった。

「……」

 遠坂凛にとってそれは、遅めの昼食だった。
場所は、絵画館から近い所にある、某球団のホームグラウンドであるところの神宮球場。
その、球場の外周に設置された観客向けのスタジアム売店の壁に寄りかかりながら、所謂球場飯と呼ばれる物を凛は口にしていた。
食べているものは、一個八九〇円の、シューマイ弁当。味の方は、まぁ悪くない。例え冷凍した物をレンジで解凍し、盛りつけただけのそれだとしても、
それまで口にしていたカップラーメンとか塩水に比べれば余程人間味のある味だった。栄養を摂取し、胃の中を質量のあるものが満たして行くと言う感覚だけでも、今の凛には有り難かった。

 勿論、対外的には国際的な指名手配犯同然の遠坂凛が、売り子に気付かれずに弁当を購入出来る筈がない。
今は、新国立競技場にいたアイドルの誰かの制服を着て変装しているとは言え、顔自体は依然として遠坂凛のままである。気付かれる可能性の方が高い。
まともに物品を購入しようとすれば、その時点でアウト。故に、購入の際には魔術による簡易的な催眠を用い、此方と気付かれない処置を取った。
これを用いれば、本来なら料金の支払い無しで商品を受けとる事も可能ではあったが、それだけは、最後に残ったプライドが許さなかった。
なけなしの所持金を叩いて、噛みしめるように。彼女はシューマイや白米を何度も噛んでいた。下手をすればこれが、最後の食事になりかねない。空腹感は、この場において殺しておきたかった。

【ははぁ、美味しそうですなぁ凛さん。私、シューマイ何て食べた回数が片手で数えられる位しかないんですよ】

【あげないから】

 シューマイを頬張りながら、霊体化した黒贄の言葉に対してそう返す。
残念そうな雰囲気が、回路を通じて伝わってくる。シューマイを一口、と言い出しそうな雰囲気を事前に出していれば、即答したくもなる。と言うよりサーヴァントに食事の必要性はない。

 <新宿>において、ブランクの地帯が出来る事は先ずあり得ない。
それはそうだ。如何に亀裂によって他区と隔絶された場所とは言え、此処は東京都の真ん中、都心も都心なのである。
経済規模も、流通するモノやカネの量も、日本全国は愚かアジア全土を見渡してもトップクラスである。この規模の都市で、人が全くいない地域の存在は、絶無に近い。
況して今凛がいる場所は、夕方に差し掛かった頃合いの球場である。もうすぐ試合も始まる時間。人がいない筈がない。
それなのに現在、閑古鳥が鳴いていると言うレベルではない程、この球場に人がいないのは即ち、すぐ近くの新国立競技場で起こった大事件のせいに他ならない。
あの事件には凛……と言うより、彼女の従えるバーサーカーであるところの、黒贄礼太郎が一枚大きく噛んでいる。事情は解る。
あんな事件が起きてしまえば、この人通りの少なさも納得と言うものだった。球場及び、絵画館側としては堪った物ではなかろうが、凛としては有り難い。
簡単に身を潜めさせられるのだから。今は、無為な戦いをするフェーズではない。サーヴァントの数が減りつつあるのを、静観する時期であった。

「――失礼するよ」

 神の振う賽子は、何処までも、遠坂凛に対して安息の時間は約束してくれないようであった。静観すると決めていても、状況がそれを許さないのである。
香の物を一緒に箸で挟んだ白米を口元に持って行きながら、ジロリと凛は、自身の眼前に聳え立つように現れた大男を見上げだす。
果たして其処には、黒贄のそれとは似ても似つかない程キチンとした黒礼服を身に纏う、アングロサクソン系の男が立っているではないか。

【あ、凛さん。サーヴァントの気配ですよ】

 本当にこの男は、と呆れる他ない。
黒贄が今更ながらに、凛にサーヴァントの気配の事を報告して来た。そんな物、聞かれるまでもなかった。
黒髪のアングロサクソン……ジョナサン・ジョースターの背後数mに、高次の霊的存在――即ちサーヴァントと思しき存在が、指先を此方に向けて構えているのが見えない、凛ではなかった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 【黒贄、霊体化を解除しなさい】、そう凛が命令する頃には、シューマイ弁当はメインであるシューマイを二つ残す所の段階であった。
凛の指令を受け、黒贄は霊体化を解除。多くのサーヴァントに、恐るべき殺人鬼として認識されているその姿を露にさせる。
殺気が強まる。「おや」、と口にするのは黒贄である。ジョナサンと、ジョニィ。どちらも並外れた量の殺意を醸し出している。
だが、殺人鬼としての殺意ではない。どちらかと言えば二名の放つ殺意は、殺人鬼の物と言うよりは、殺し屋の物と見て間違いない。
特に、ジョニィの場合が顕著だ。黒贄ですら瞠目する程の量の殺意でありながら、その殺意の純粋(ピュア)さたるや、どうだ。
確実に凛と黒贄を葬ると言う気概に、限界値まで達している程の殺意だ。殺人鬼共の王は、ジョニィの放つそんな殺意に、漆黒のプラズマを見た。
マスターである筈のジョナサンの体格よりも小柄なその身体を押し包む、スパークを迸らせる黒曜石の色の火花を。

「こうして、実際に姿を見るのは初めてだな」

 ジョナサンの言葉に、誰も反応を示さない。
聖杯戦争が開催されてから、半日以上経過した現在であっても、黒贄礼太郎の姿を実際目の当たりにした主従は、そう多くはないであろう。 
大半が、うるさい位にテレビやSNSで拡散されている、あの有名な『衝撃映像』の中でしか見れていないに相違あるまい。

 実際にその姿を見る事と、映像資料でその姿を見るのとでは、全く違う。その姿を見た瞬間、ジョナサンは身の毛がよだつような恐怖を感じた。
体格は、自分と同じ程。ジョナサンも黒贄も、現代の価値観から言えば大柄、人によっては巨漢と見られてもおかしくない程、恵まれた身体つきをしていた。
どちらも共に身体つきはガッシリとしており、だからこそ礼服が良く似合う。二人は共に、アイロンをかけてるか否かとか、略礼服か否かと言う違いこそあれど、同じ色合いをした礼服を身に纏っていた。

 違うのは――その目だ。
ジョナサンの目は如何だ。とても感情的で、直情的。そして、人間的な目をしている。
それは即ち、極めて生命的な目であると同時に、人として当たり前の目だと言う事だ。非道に怒り、悲惨な出来事に哀しみ、目出度き事には喜びを湛える。
とても人間的な事であり、しかし、人間及びそれに準ずる知的生命体にしか確かに出来ない事が、当たり前のように出来る。そんな瞳をジョナサンは持っている。
黒贄の目は、違う。感情が、余りにもなさ過ぎる。製氷皿で作られた氷の粒をはめ込んだ方が、まだ温かみがあると感じるであろう程、温もりがない。
凍土で固まった、泥のような瞳だった。濁ったガラスの球のような瞳であった。宇宙の昏黒を丸めて眼球の形にした様な、怖い目であった。
この目を見続けていれば、気が触れる。そう思わせるに足る程の、負の威力を黒贄の瞳は有していた。表情は薄い微笑みであると言うのに、瞳の方には一切の感情が宿らないと言う点も、その威力に拍車をかけていた。

「……どちら様?」

 咀嚼する白米を呑み込み終えてから、凛が訊ねた。

「遠坂凛、で間違いないかな?」

「契約者の鍵を見る余裕もなかった程、慌てんぼうなのかしら? よく今まで生きて来れたわね」

 見れば解るだろ、と暗に言う凛。勿論、ジョナサンは馬鹿ではない。
服装こそテレビで流れている凛の服装とは違うが、顔を見れば一目で遠坂凛だと理解出来る。
だが、心なしか……テレビで流れた中学時代の卒業アルバムの写真等の参考映像のものとは違い、顔付きがややスれている。
きっと黒贄の大立ち回りや、聖杯戦争開始からの半日で、さぞ多大なストレスと気苦労を背負い込んだのであろう。尤もそれは、自業自得と言うものなのだが。

「其方の名前を一方的に知っていると言うのはフェアじゃあないが、生憎戦いの渦中だ。僕の名を明かせない非礼を許して欲しい」

 オブラートに包んだ非常に丁寧な言い方で、遠回しに『お前に明かす名などない』と言う旨をジョナサンは告げる。
清々しい程に、自分と貴方とでは相いれないと言う事が伝わってくる。だが、それで良いと凛は思う。
元より聖杯戦争は、サーヴァントの真名は勿論の事、マスターの名前が知れ渡る事だって後の禍根に繋がりかねないのだ。
戦の理から考えて、マスター自身の名を秘匿するべきと言うのは、極めて理に適っている。ジョナサンの態度を、非礼とは凛は思っていない。寧ろ常識的な判断だと思っている程だった。

「貴方は、死ぬわね」

 ジョナサンを瞳だけで見上げながら、凛が言った。
その瞳にジョナサンは、凛の様々な感情を感じ取った。虚無、鬱屈、卑屈、そして……怒りと羨望。

「アーチャーのサーヴァントを引いて置きながら、賞金首のお尋ね者の私を遠方から狙撃しないなんて、甘く見られたものよね。ミスターの目からは、私は相当無力な少女に見えたのかしら?」

 聖杯戦争に参戦しているマスターである凛には当然、ジョナサンの引き当てたサーヴァントである、ジョニィ・ジョースターのクラスが見えている。
アーチャー。何を飛び道具にするのかは解らないが、遠方からの攻撃に長けたクラスである事は凛にとっては常識中の常識である。
そんなクラスを引いていながら、ロングレンジからの攻撃を仕掛けて来ないばかりか、剰え直接近付いて会話すら交わそうとしているのだ。
ナメている。凛はジョナサンのこの行いを、一種の挑発行為と受け取った。此方が無力で、放っておいても自滅・自壊する。
そんな主従と解っているからこそ彼は、アーチャーを引いていながらこんな迂闊極まりない作戦に出たのであろう。凛が面白くないと感じるのも、むべなるかなと言うものだった。

「……君に話しかけたのは、僕の中に残った最後の良心の故だ」

「貴方の、良心?」

「僕の心の中で今、獣が暴れている。女の子に暴力を振う事を由とする、残虐な獣が」

 「しかし――」とジョナサンは言葉を続ける。

「可能なら僕は、その獣を解き放ちたくない。こんな危険な性根は押し留めたいんだ。だが、今の僕の理性では、それも難しい」

「……」

「だから、君の釈明と弁解が必要なんだ。君のサーヴァントによって起こされた虐殺は、君の手を離れたバーサーカーの暴走によるものだった。君は本当は無実で、君を『新国立競技場の大事件の犯人』だと思い込んでいるのは僕の酷い誤解だった。そんな君の、真心の言葉によってのみ、僕の心の中に巣食う兇悪な獣は鎮まる。答えて欲しい、遠坂凛」

 息を吸ってから、ジョナサンは言った。

「君が、やったのか? 君の……漆黒の意思がそうさせたのか?」

 遠坂凛が此処にいると言う情報を提供した塞に対して、ジョナサンは極めて強い語気と言葉で、凛を葬ると言う旨を表明して見せた。
だがしかし、本心ではまだ迷いがあった。遠坂凛はまだ、バーサーカー黒贄礼太郎に振り回されている、哀れな少女だと言う考えが心の片隅に存在するのだ。
その可能性がある限り、ジョナサンは凛に対して、蛮勇を奮えない。ロベルタの時は、彼女が言葉の通じない狂犬だと解っていたから、本気で殺しに掛かれた。
この少女の場合、まだその線引きがグレーなのだ。ジョナサンにとって凛は、普通の少女と、殺人鬼の相棒の中間に位置する少女。
疑わしきは、罰せない。だがそれは逆に、決定的な一言と行為さえあれば、針はどちらかに振れると言う事でもある。針を振れさせる決定的なもの、それこそが、今のジョナサンの欲するものだった。

 凛は、ジョナサン・ジョースターと言う男が、お人好しである事を見抜いた。
この男は未だに、自分の事をか弱くて、力に振り回されるだけの哀れな少女だと思っているのだ。思っていて、くれているのだ。
自分の事を被害者だと心の片隅で思ってくれる人間。凛は、感激した。まだ自分の事を、そう思ってくれる人間がこの地にいただなんて!!

 だからこそ、遠坂凛の答えは、決まっていた。
最後に残った一個のシューマイを口に運び、それを咀嚼し、呑みこんでから、凛は、ジョナサンに捧げる答えを口にした。

「――そうよ」

 人差し指をジョナサンの眉間に向ける凛。 
指先に収束する、赤黒い色味の魔力。ジョナサンが驚愕に目を見開かせたと同時に、指先からガンドが放たれる――『よりも早く』。
ジョナサンの背後数m地点に控えていたジョニィが、人差し指と中指の爪先を凛に合わせ、その指の爪を彼女目掛けて発射。
凛がガンドを放つ速度よりも、遥かに速い。ガンマンの抜き打ちの如き、爪弾の発射速度!!

 ――そしてそれらを凌駕して、黒贄が早く動いていた。
ジョニィの放った爪弾の射線上に、凄まじい速度で立ちはだかった黒礼服の殺人鬼。
本来ならば凛の心臓を体内で飛散させる筈だった、爪の弾丸二発は、黒贄の胸部に没入、体内に留まるだけに終わった。
凛が、いつの間にか己の近くに黒贄が高速移動していたと気付いたのは、ガンドを放ち終えた直後だった。
放たれたガンドをジョナサンは、弾く波紋を身体に纏わせ、己の右上腕をガンドの弾道上に配置、その魔力弾を見当違いの方向に弾く事で、何とか防ぎ切った。

「大道芸も極めれば人を殺せるんですなぁ、私には出来ない器用な真似です」

 爪弾を受けたにもかかわらず、いつもの薄い笑みを浮かべる黒贄。
態度はいつものように、何と言う風もないそれであるが、実際は違う。
爪弾を受けた所からは血が流れているし、事実痛みも感じている。ダメージを受けて尚、黒贄は笑うのだ。それがまるで、流儀でもあるかのように。

「それが……君の、答えなんだな……。遠坂、凛ッ!!」

 ジョナサンの顔に、怒りが彩られる。大きな刷毛で、顔に怒気を溶いた水を一塗りしたかのようであった。

「少しはサーヴァントとしてマシになったわね、黒贄」

 対照的に、凛の表情は落ち着いている。微かに口角を吊り上げて、凛はそう言った。
ジョニィの攻撃から、黒贄はその不死性を利用して身を挺して自分を守った事を、彼女は理解していた。

「探偵は、依頼人を守る事も仕事の内ですから」

 そう口にする黒贄の言葉に裏は感じ取る事は出来ないが、きっとこの男の事だ。
過去に、依頼人に対して『やらかしている』のは想像に難くない。それも一度二度の話では、ないだろう。

 後方に跳躍し、遠坂凛から距離を取るジョナサン。
【傷の方は大丈夫か】、と、ジョニィは凛の放ったガンドのダメージの有無を問う。問題ない、とジョナサンは返す。軽い流血程度に収まっている。
ガンドには面喰ったが、流石に一流の波紋使い。遠坂凛と会話を交わす前の段階から既に、不測の事態に備えて弾く波紋を身体に纏わせていた。
拳銃の弾丸すら通さない程の防御力を発揮する、ジョナサンの波紋だ。凛のガンドでも、そうそう貫ける事は出来ない。

 それより問題なのは、遠坂凛が魔術――ジョナサンは彼自身が使う波紋法とは別体系の特殊能力と認識している――を行使出来る少女だったと言う事だ。
……否、魔術を使える事自体は問題ではない。ジョナサンだって、常人から見たら魔術や奇術としか思われぬ波紋法を会得、使用出来る。これについては言いっこなし。
焦点となるのは、凛が明白にその魔術を、彼を殺傷する目的で行使したと言う点である。今の今までジョナサンは、凛の事を無力な少女だと思っていた。
実態は、違った。実はジョナサン同様、聖杯戦争を円滑に勝ち残る為の戦闘技術を予め会得していた女性であり、それを明白に、敵対する相手に行使する事の出来る精神性を持った女性であったのだ。

 認識が、転向する。左右に振れていた針が、一方に大きく傾く。
葬り去ろうとする事が、自分への対応だと言うのならば。あの国立競技場での一件について、「そうだ」と肯定したのであれば。
ジョナサンがこれからする事は、一つ。これから何を行うのか? それは、心胆を震え上がらせる程大きい、まるで蒸気機関の唸りを思わせるようなジョナサンの独特な呼吸法を聞けば、説明するべくもなかった。

「紳士は、女の子に手を上げない事を基本とする。……いや、基本なんてものじゃない。誰かに教わるまでもなく。英国に産まれた紳士は、認識しなければならないんだ。女性に、粗暴を振う事の罪と愚かさを」

 呼吸を終えた後、皮膚が粟立つ程恐ろしげなものを宿した低い声音で、ジョナサンは語る。
そして、その黒瞳には焔が灯っていた。見る者の心を寒からしめる、冷たい焔が。メラメラと、メラメラと!!

「……僕を紳士たらんとするべく尽瘁してきた、父ジョージは、天国で僕を許してくれるだろうか。――遠坂凛。君を殺した後の、僕の罪をだッ!!」

「黒贄、くじ」

「はい」

 言って黒贄はくじ箱をアポート。凛の方へと差出し、急いで其処に凛は手を突き入れ、適当に一枚くじを引く。
その様子を指を加えて見ているジョニィではない。タスクを発射した側ではない手の指から一発、爪弾を放つ――が。
凛へと向かって放たれた爪弾を、黒贄は左腕を動かして弾道上に重ね合わせる。相談が、肘に命中した。黒贄が纏う黒礼服の袖が、血を吸って重くなる。

「ミスター。私を殺す事が、連綿と続いた紳士の家名に泥を塗る行為だと思っているのであれば、その心配は杞憂ね」

 引いたくじの紙片を人差し指と中指で摘まみ、その状態でビッと黒贄の方に見せ付けながら、凛は言葉を続ける。

「私を殺す前に、貴方が殺されるのだもの。女殺しの汚名を被る事も、私を殺した咎で地獄に堕ちる事もないわよ」

 引いたくじには46番と書かれていた。それを見た黒贄は虚空を歪ませ、目当ての武器を手に取り始めた。
一m半ば程もある、黄金色に光り輝く錫杖だった。学生時代に考古学を学ぶ傍らに読んだ、東洋で強い勢力を持っている宗教である仏教、
其処から分かたれた一派である密教の歴史を綴った本に、密教の僧(モンク)があのような物を持つと書いてあった事をジョナサンは思い出す。
シャン、と音を鳴り響かせながら、黒贄はその錫杖を軽く縦に一閃させる。綺麗な黄金色をこそしているが、輝きがやや鈍い事から、純金ではないなと思うジョナサン。
事実その通りであった。黒贄の財産で純金製の代物等買える筈がない。彼の持つこの錫杖は、真鍮製だった。

「――あ」

 と、気の抜けるような、何かに気付いた声を上げた黒贄。
これと同時に、再び彼の姿が掻き消えた。移動したのではない。吹っ飛ばされたのである。
吹っ飛んだ方向に身体がくの字に折れ曲がり、殆ど水平に、高速度で。その速度たるや、『黒贄が吹っ飛ばされた』と凛が認識出来ない程だった。

 黒贄の素っ飛んで行った方向に目線を送ろうとする凛だったが、直に止めた。
このバーサーカーを吹っ飛ばした――いや。殴り飛ばした張本人が、目の前に佇んでいたからだ。
この男から。そして、ジョニィから目線を外したら、死ぬ。だから、黒贄の方に目線を送りたくても送れない。
目線を外したその瞬間に、この男達は自分を殺す。殺せる力を持っている。余所見出来る、筈がなかった。

「……」

 黒贄を吹っ飛ばした男は、凄まじいプレッシャーを見る者に与える人物だった。
背丈も体格も、魁偉と称される程大きくない。角や翼、鋭い爪と言う、本来人類には備わっていない特徴が見られる訳でもない。
だが、特異な特徴が、ない訳ではない。顔に刻まれた、黒いラインに緑色の縁取りが成されている、特徴的な刺青(タトゥー)である。
それこそが、目の前に現れた、正体不明のサーヴァントの唯一にして最大の特徴。背丈も普通、髪の色も一般的なそれ、顔付きですらありふれたもの。
平均的が服を着て歩いているような男の中で、その刺青だけが異彩を放っていた。この刺青は、何なのだろう? 気圧される何かを孕んでいる事は解る。
それを、言語化出来ない。ただただ、恐ろしい物、得体の知れないもの、と言う事だけが、凛には伝わる。

「コイツの処遇は決まったのか、アーチャーと、そのマスター」

 黒贄の横っ腹を殴るのに用いた右拳を引きながら、件の魔人・アレックスが問う。

「これから殺すつもりだ。君も、そのつもりで此処まで来たんだろう、モデルマン」

 答えたのは、ジョナサンだった。

「手柄は譲ってやる。アーチャーに振れば良いのか?」

「いや、僕がやる」

「いえ、困ります。私、報酬をまだ貰っていませんから」

 声のした方向にバッと顔を向けるジョナサン、ジョニィ。そして、アレックス。
魔人になった事で獲得した悪魔の腕力に加え、強化された魔術スキルによって会得した補助魔法――カジャと言うらしい――を重ね掛け、
更にこれまた魔人になった影響で会得した魔力放出スキルを乗せて、アレックスは黒贄を殴ったのである。大抵のサーヴァントなら、殴られた時点で、
特殊な防御スキルを持っていないのであれば即死。上位英霊であっても、当たり所と状況によっては戦闘の続行が困難に陥る程の威力が、アレックスの右拳にはあった。

 しかし、黒贄は生きていた。
無傷ではない。アレックスによって殴られた胴体。其処が、アレックスの拳が命中した所から円形に、三~四割程も消滅していた。
流れ落ちる血。千切れて垂れ下がった腸。露出する血濡れた骨。悪魔の膂力から放たれる、アレックスの右ストレートの威力を雄弁に語っている。
その状態でなお、黒贄は平然と立ち尽くしている。アレックスの殴打によって、優に四十~五十m程も殴り飛ばされた黒贄だったが、いつの間にか、
話せる距離にまで接近していた。その程度の距離など、タスクのスタンドを持つジョニィや、魔人となったアレックスにとって離した内にもならない。
しかし、近い方がその人物の姿をよく観察しやすいと言うのも、また事実。だからこそよく解る。
黒贄は現状の肉体的損傷でなお、あの何が面白いのか解らない微笑みを浮かべている。しかも、強がりではない。
痛みから来る冷や汗も脂汗も、そして体の震えも見られない。黒贄は本当に、これだけのダメージを受けておいて、平気でいるのだ。

 黒贄に目を奪われている間、魔術で己の身体能力を強化させる凛。
そしてそのまま、カウンターを乗り越え、シューマイ弁当を買った売店内部へと跳躍。
異変に気付いたジョニィがそのままACT2を放つが、すんでの所で凛はこれを回避。凶悪無比な速度の爪弾は、店内の業務用冷蔵庫に直撃するだけに終わる。

「よせ、店員に当たる!!」

 ジョナサンがジョニィを制止する。予想通りの反応だった。
ジョナサンの性格を極めて善良な物であるとこれまでの会話から予測した凛は、其処から、余計な被害を拡大させる事を甚く嫌う人種であるとも考えた。
結論から言えばジョナサンの性格は正しくその通りなもので、現にジョナサンは、凛の魔術によって催眠状態にあるNPCの店員の、火の粉が降りかかる事をよしとしなかった。
人間性としては出来ているが、聖杯戦争を勝ち抜くには適さない性格だろう。店員に累が及ぶ事を覚悟で攻撃を仕掛けていれば、また違った未来もあったろうに。

 凛は、売店のカウンター向こう側から、球場内部へと繋がるドアを開け、その場から離脱。
これを追おうとするジョナサンだったが――これを許さぬ者がいた。黒贄礼太郎、遠坂凛が引き当てた最強最悪の殺人鬼だ。

「キエー悪霊退散だー」

 その、気の抜けるような声音から放たれる攻撃は、冠絶的な殺意に溢れていた。
錫杖を、乱雑な軌道、それこそ技術の欠片も感じられない程適当に横薙ぎにジョナサン目掛けて振るう。それが、黒贄の放った攻撃だ。
だが――その速度たるや、余人の見切れるものでは断じてなかった。ジョナサンは、マスターとしては破格の強さを誇る。
会得した波紋法と、波紋を行使する為の鍛錬によって獲得した筋肉と反射神経と言った、肉体的なスペックは、生半なサーヴァントを凌駕して余りある。
現にジョナサンは、スタンドと言う能力を用いない素の戦いであるのなら、ジョニィを軽快に上回る強さを誇る。それ程まで、ジョナサンの強さと言うものは達しているのだ。

 ――そのジョナサンが、黒贄の攻撃を見切る事が出来なかった。
技巧もへったくれもない、黒贄の放ったその一撃は、ジョナサンの動体視力で視認出来る現界の速度を軽快に超越。
それどころか、この恐るべき殺人鬼が、自身の下へと接近してきたその瞬間ですら、ジョナサンは認識が困難な程であった。
唯一の幸いは、黒贄の姿が消えたと同時に、防御の体勢をジョナサンが反射的に取れたと言う事。逆に言えば、それだけ。
防御の構えを取ったジョナサンに、錫杖の一撃が叩き込まれる。

 痛い、と言う事実を感じるよりも速く、杖の振われた方向にジョナサンが、弾丸もかくやと言う速度で吹っ飛ばされる。
肉体の頑健さも、纏わせたはじく波紋も、何らの意味も有さない。黒贄の膂力は、ジョナサンの取った防御手段の全てを嘲笑うように貫通。
そのまま球場の外壁に衝突、それをぶち破り、彼は内部へと消えて行った。外壁はクッション代わりにもなっていなかった。
頑丈そうな外壁にぶつかってなお、当初の勢いは全く減退していない。何処まで、ジョナサンは吹っ飛ばされてしまうのか。

 ジョニィが黒贄目掛けてACT2の爪弾を射出させる。
避ける気のない黒贄。爪弾が眉間に命中、後頭部から爪の弾丸が抜けて行くが、彼はのけぞりすらしない。どころか、表情を歪ませもしない。
それ以外の表情が浮かべられないとすら言われても納得しかねない程だ。薄い笑みを浮かべたまま、黒贄は口を開く。

「成仏、成仏、成仏~」

 黒贄が地面を蹴った。アスファルトに靴底の形の陥没を残す程の、恐るべき踏込の強さ。
向かった先は、ジョニィの方であった。弾丸の速度に限りなく等しいスピードで移動した黒贄は、致命の一撃を爪弾のアーチャーに叩き込まんと目論む。
が、魔人と化したアレックスが、それを許さない。同盟を結んだアーチャーの下まで即座に移動を行う。黒贄とジョニィの間。其処が、今アレックスのいる場所だ。

 錫杖を上段から、音の速度で振り下ろす黒贄。引き抜いたドラゴンソードで、これを防御するアレックス。
衝突の際に生じた、爆音にも似た衝撃音と、発生する衝撃波で、ジョニィの身体が吹っ飛ぶ。受け身を取り損ね、数m先で尻もちをついてしまう。
其処で漸くジョニィは、自分が危機的な状況に陥っていた上に、それに自分が気付けなかった事を知る。アレックスのフォローがなければ、今頃即死だっただろう。

「援護する」

 正直アレックス自身について、未だに疑いの目を向けているジョニィであるが、今は協力体制を結ばねば拙い。
黒贄と呼ばれたこのバーサーカー、半端な強さではない。退場させられる手段がない訳ではないが、そのお膳立てを整える前に殺されてしまう蓋然性の方が今は高い。
それ程までに、黒贄とジョニィの強さには、埋め難い差があった。しかし、それはあくまでも黒贄とジョニィが一対一で戦った時の場合。
アレックスと言う強力なサーヴァントが手を貸してくれるのであれば、差もグッと埋まるし、縮まる。今だけは、この体制に甘える事にジョニィはした。

 アレックスに備わる悪魔の膂力で、黒贄の怪物的膂力と、互いの武器を使った押し合い圧し合いを演じているその間に。
まだ爪の生えている指二本を己のこめかみに当てたジョニィは、そのまま自らに弾丸を射出。
瞬間、ジョニィの身体が螺旋状に変形、何処かに吸い込まれて行き、一秒と掛からず消え失せてしまう。
いや、何処かと言う言い方は正確ではない。地面に刻まれた、不自然その物としか思えない、謎の『渦』。ジョニィはこれに吸い込まれたのだ。
タスクACT3。黄金の回転を適用させた爪弾を自身に撃つ事で、根源にも近しい空間に潜航、あらゆる攻撃をやり過ごす極めて強力な回避手段である。

「成仏は『じょうぶつ』と読むのであって、『せいぶつ』とは読まない~」

 聞くに、如何やら黒贄は歌を歌っているらしかった。
余りにも下手くそで、リズム感も何もない、脳内に浮かんだフレーズをそのまま適当に口ずさんでいるだけのようだが。
しかし、胴体の半分近くを消し飛ばされ、眉間に血色の弾痕を空けさせた状態で、この気の抜ける歌を口にしている。
その光景が、心臓を凍て付かせるような恐怖を見る者に想起させるのだ。

「ちなみに私の名前は『くらに』であって『くろにえ』ではないんですよ~」

 いつまでも、鍔迫り合いに付き合って等いられない。
魔力放出を瞬間的に発動させ、背中から無色の魔力のバーナーを噴出させたアレックス。この勢いを利用した力尽くで、彼は黒贄の錫杖を押し切った。力尽くで杖を押し切られ、殺人鬼が体勢を崩す。

「ジャッ!!」

 生まれた隙は逃さない。
裂帛の気魄を込めた掛け声と同時に、ドラゴンソードを持たない側の左手に、意識を集中。
すると、空いた左手に凄いスピードで魔力が収束し始め、それは直に、辛うじて剣である事が窺える武骨な形状をした、紫色の魔力剣としての形を取り始める。
ルイ・サイファーを名乗る男から与えられたマガタマによって、魔人と化した事で学習・会得した、新しい力の使い方。
練習した訳でもないのに、アレックスは完璧に物にしていた。その実感に酔い痴れる事もなく、アレックスは即座に、魔力剣を振い、黒贄の胴体を袈裟懸けに切り裂いた。
主要な内臓にまで、アメジスト色の魔力剣は達している。生命維持に必要な臓器の殆どは、これで破壊出来た筈だ。
間髪入れず、アレックスは黒贄の腹部を前蹴り。魔力剣を生み出してから、この前蹴りを行うまでにかかった時間は、半秒にも満たなかった。
矢のような勢いで吹っ飛ばされた黒贄は、五十m程先にある信号機のポール部分に激突。その勢いに耐え切れず、直撃した所から信号機のポールはくの字に折れ曲がり、圧し折れ、そのままアスファルトの上に音を立てて倒れ込んでしまった。

「あ~除霊成仏悪霊退散~」

 これでなお、平気な顔で歌を口ずさめると言うのだから、アレックスも戦慄する。
サーヴァントであっても、戦闘の続行所か生命活動の維持すら最早不可能な程の損傷を負っている筈なのに、平然と黒贄は立ち上がり始めたのだ。
しかも、ノーダメージではない。黒贄は明白にダメージを負っているのだ。それなのに、平然とした様子で立ち上がり、意気軒昂と戦いを続けようとする。
痩せ我慢している様子を見せてくれたら、アレックスもどれだけ救われていたか。自分の攻撃が本当に、黒贄に痛痒を与えているのか? それにすら、彼は最早疑問を憶えていた。

 黒贄が動こうと――するよりも速く、アレックスの背後から、何かが高速で放たれ、黒贄の両太ももに命中する。
ライフル弾ですらが最早スローモーに見える程の、魔性の動体視力を会得したアレックスには、その飛来物が、高加速を得た人の生爪である事を確信。
ジョニィである。ACT3の渦から腕だけを露出させ、其処からACT2を放ったのである。一瞬ではあるが、ACT2の弾丸を受けて黒贄の動きが止まる。
その刹那を、好機と捉えるアレックス。己の宝具を用い、自身のクラスをキャスターに変更させるアレックス。
“魔人”となった現在でも、彼は、モデルマン時代の宝具を十全の状態で扱う事が出来る。
つまり、『クラス変更の恩恵を、魔人状態のステータスで受ける事が可能』なのだ。補正の掛かった魔術を、黒贄に叩き込まんと、意識を集中させるアレックス。
自身が今まで見た事も聞いた事もなかった、未知なる様々な魔術の名とその使い方が、アレックスの頭蓋の中に無数に浮かび上がって行く。
これもまた、魔人・アレックスとなった影響の一つなのだろう。どれを叩き込もうかと悩んでしまう程、魔術の選択肢が多い。
しかし、浮かび上がる魔術の数々の中に、見知った魔術があったのをアレックスは発見。これを黒贄に対して叩き込もうとする。

「セイントⅢ」

 アレックスとしては未だに、元々自分が生きていた世界の記憶と経験の方が未だに、自身の霊基に強く残っている。
だからこそ、元の世界で使われていた魔術名を口にしてしまったのだ。だが、彼は知らない。
ルイ・サイファーによってマガタマを埋め込まれ、悪魔となったその影響で、今アレックスが使っている『セイントⅢ』と呼ばれる魔術が、『ハマオン』と呼ばれる魔術に変性してしまった事に。

 光が、黒贄を包み込もうとする――よりも速く。
黒贄は恐ろしい速度で、アレックスの下へと肉薄。今度と言う今度こそ、アレックスは驚きに目を見開いた。ハマオンを回避したと言う事実にではない。
先程ジョニィを葬ろうと高速で移動をした、あの時に見せた速度が、黒贄の出せる最高の速度なのだろうとアレックスは勝手に思っていた。
違った。今の黒贄が叩き出した速度は、明らかにあの時に見せたものよりも上昇している。まだ、本気を見せていなかったのか。

「でも幽霊は殴れないから嫌いです~」

 錫杖を、滅茶苦茶な速度で振いまくる黒贄と、これを巧みにドラゴンソードと魔力剣を振って防いで行くアレックス。
黒贄のその乱雑な一撃には、低ランクサーヴァントならば一撃で葬り去れる程の威力が平気で内包されている。
現にアレックスの足元に、攻撃を防御しているその影響で、凄いスピードで亀裂が生じ、無数に伸びて行っているのだ。黒贄の腕力の程が、窺える。
そしてこれを、平気な顔で受け止め続けるアレックスもアレックスだ。しかし、こんな拮抗は何時までも演じていられない。
言うまでもなく、アレックスの方に余裕がないのだ。事此処に至って確信に変わったが、黒贄の放つ攻撃の威力も速度も、時間が経つ毎に跳ね上がっている。
天井知らずに各種ステータスが上昇し続けると言うのであれば、持久戦に持ち込むのは愚策と言う他ない。
電撃戦だ。この場は早急に、黒贄を跡形もなく消滅させる必要がある。それが無理なら、マスターの方を葬るかだ。

 黒贄の、錫杖による連続攻撃の威力が、まだアレックスでも対処出来る内に、ケリを付けねばならない。
右上段から、左下段へと振り降ろされた錫杖を、剣で弾くアレックス。黒贄が体勢を崩した所で、魔力剣による刺突を魔人が放つ。
剣先が、喉仏に没入。黒贄のうなじまで突き抜ける。黒贄の顔から、笑みが消えない。そのまま飛び退き、無理やり身体から剣を引き抜かせる。
ゴポッ、と。コップ一杯分のそれを大幅に上回る量の血液を口から吐き出す黒贄。スープを食べるのが下手な子供のように、黒礼服の前面を紅く濡らした。
間髪入れずに、渦から露出したジョニィの右手から放たれ、黒贄に叩き込まれる爪弾。心臓の位置を的確に貫くが、防ぐ事すらしない。急所の概念すら、この男にとっては希薄か、意味を成さない物であるらしい。

 この男を消滅させる手段は、アレックスもジョニィも、実を言うと持っている。
ジョニィの場合は、タスクの神髄であるACT4を放てば良い。アレックスの場合は、悪魔としての力を解き放てば良い。
だが、どちらも黒贄相手にはリスクが大きい。ジョニィの場合、ACT4を放つには馬に騎乗する必要がある。黒贄の機動力では、馬に乗った瞬間に葬り去られる可能性がある。
一方アレックスの場合、悪魔の力を解放すると、広範囲に渡り破壊を振り撒いてしまう可能性がある。発動する速度については、問題ない。
ただ、黒贄程のサーヴァントを滅ぼす手段ともなると、威力も範囲も相当の物を選ばねばならない。
つまり、黒贄と言う指名手配サーヴァントを葬る為に、『自らも指名手配のリスクを負わねばならない』と言う事なのだ。これ程馬鹿らしい話もない。
加えて、巻き添えと言う問題もある。アレックスのマスターである北上は、彼とそう離れていない場所で、鈴仙と塞達と共に待機している。
下手をすると北上も塞も鈴仙も、ジョニィやジョナサンも仲よく消滅させてしまうかも知れないのだ。それを考えると、おいそれと放てる攻撃ではない。
もう少し、此処が広いフィールドであったのなら。“魔人”となった影響で使えるようになったニュークリアⅢ――悪魔は『メギドラオン』と言うらしい――や、
アレックスの生きた世界では見られなかった奥義――『死亡遊戯』とか、『地母の晩餐』と言うらしい――を放てば良いのだ。
出来ぬのであれば、超高威力の技を、当てまくるしかない。しかもまだアレックスは、魔人の力を振るい慣れていない。
今も急速に、悪魔の力の使い方については成長してはいるが、まだまだ本調子ではない。もう少し、粘る必要があった。

「そーりゃ南無阿弥陀打つ~」

 黒贄の姿が、霞む。攻撃の速度は元より、移動速度もまた、上昇が著しい。
二十m程の距離が一瞬で、ゼロになる。アレックスの下へと肉薄した黒贄は、音が明白に遅れて聞こえる程の速度で錫杖を振い、
魔人の首を圧し折ろうと試みるが、これをアレックスは屈む事で回避。避けながら、高速で思考する。
黒贄相手には、痛みやダメージを与えさせ、行動不能に陥らせたり、攻撃の威力や速度を低下させると言う行為が意味を成さない。
ダメージや痛みに怯まないからだ。だから、下がりようがない。骨を折る程度では、黒贄の動きは止まるまい。

「……ありゃ」

 だからアレックスは、攻撃自体を不可能にさせるべく、錫杖を持った黒贄の右腕を、切断すると言う手法を取った。
魔力剣を超高速で振るい、黒贄の右腕の肘から先を斬り飛ばす。血液が迸るより早く、アレックスは黒贄の顔面にドラゴンソードを縦に叩き込む。
熟れたザクロのように、黒贄の頭部が半ばまで縦に割れる。裂け目から、断ち割られた頭蓋骨や大脳が視認出来る程だった。

 此処で一気に殺す、とアレックスが思考したその時。
強烈な覇気と敵意を撒き散らせながら、この場に向かって高速で飛来する何者かの存在を、アレックスが内包する優れた知覚能力が捉える。
見間違える筈がない。この気配は、サーヴァントの――そう思った瞬間、黒贄が恐るべき瞬発力で地面を蹴って飛び退いた。
黒贄が距離を取ったのと殆ど同じタイミングで、アレックスも後方宙返りを素早く行い、距離を取る。
その瞬間、先程まで両者がいた地点目掛けて、白い光の柱が天から地上へと伸びて行く!! 円周は、飛び退いていなければ黒贄とアレックスを容易に巻き込む程大きく、両名の判断がもう少し遅れていれば、二人はこの、高い熱エネルギーを内包した光柱に巻き込まれ大ダメージを負っていた事だろう。

「無粋な蠅共だ。目障りなんだよ」

 アレックスは、上空を飛んでいる、正体不明のサーヴァントの存在を視認。
確認するなり、彼は“魔人”となった影響で新たに使えるようになった技の一つを、上空から不意打ちを仕掛けて来た粗忽者に試し打ちをする。
身体にヒマワリの花みたいに鮮やかな黄色をした魔力が収束し始め、そのチャージされた魔力を、両腕を勢いよく水平に広げると言う行為を持って、射出。
瞬間、身体全体から、黄金色の光条が幾百本と、上空百m地点を飛ぶ謎の存在目掛けて向って行くではないか。
『ゼロス・ビート』、と呼ばれるこの技は、直撃した相手の生体パルスを著しく低下させる振動波を放つ事を神髄とした技であり、
掠っただけで竜種、魔獣に神獣に、果ては魔王や神霊と言った上位存在ですら麻痺させ、行動の不能に陥らせてしまう恐るべき奥義である。
尤も、それはあくまでこの振動波に直撃しても『耐えられる』だけの力を持った存在の場合、だ。
アレックス、もとい、人修羅と化したモデルマンが放つこの技の威力は、異常な値にまで達している。
本来的にはこの技は、攻撃の威力が低いのであるが、アレックスの自力で放たれれば、生体パルスを停止させるどころか生命活動を死と言う形で停止させる程の威力に昇華される。勿論それは、サーヴァントとて、例外ではない。

 複雑怪奇な軌道を描きながら、縦横無尽に四方八方から迫り来るゼロス・ビートの光線を、それは、凄まじく変則的な機動で尽く回避。
馬鹿な、とアレックスが呟く。回避すると言うのは、解る。出来なくはないだろうし、実際アレックスも、同じ技を放たれたとて、対応出来る自信がある。
だが、音の数倍に等しいゼロス・ビートの光条に対して、時速数百㎞の速度で向かって行きながら回避を行う、ともなれば話は別だ。
目で見て反応は出来ても、身体が反応して回避出来るか如何かと言うのは別問題。であるのに、平然と、光線を物ともせず回避しながら、それは地上へと急降下。そして、着地。その姿を一同に見せ始めた。

「おお見ろ、虹の道化師、アイアン・メイデン!! 望外の事態だ、このサーヴァントは強そうだな!!」

 ウキウキとした声音で、くすんだブロンドの髪をしたアーチャーは言った。
アーチャーの周りを浮遊する、シートベルト付きの黒一色のシートのような物に足を組んで座っている、カッチリとした服装の女性も、嬉しそうな顔だ。
――だだ一人。まるで猫のようにアーチャーに襟元を掴まれたままブランブランとしている、虹色のコーディネートの服を着た少女だけが。
心底面倒くさそうで、この世の終わりのような表情を浮かべているのであった。

 レイン・ポゥは兎に角気を揉んだ。黒贄の下にレイン・ポゥや純恋子が向かうまでの時間稼ぎ。それに腐心したのである。
当然の事だがベストは戦わない事である。当たり前だ、黒贄とレイン・ポゥとの相性は、最悪と言う言葉でも尚足りぬ程悪すぎるのだから。
レイン・ポゥの宝具は極めて否定的な言葉を用いるのなら、凄い切れ味と耐久力の虹を伸ばすだけに過ぎない。つまり、相手を斬る以外に目立った付随効果を持たない。
レイン・ポゥもそれを重々承知している。だからこそ彼女は暗殺と言う手段を磨き続けたし、自分の本性を悟らせない仕草や立ち回りを研究し続けた。
その暗殺の練度や、本性を隠す挙措の完成度の高さは、この虹の魔法少女が英霊として昇華されていると言う事実からも鑑みる事が出来よう。指折り、と言う奴だ。

 黒贄には、暗殺も演技もまるで通用しない。
ただ斬った殴った程度では問題にならない程の戦闘続行力もそうであるが、何より恐ろしいのはその性格だ。
此方をただの、殺し甲斐のある獲物としか思っていないような、あの性格。つまり黒贄礼太郎と言うサーヴァントは、イッているのだ。
こんな性格の持ち主に、演技を持ちかけた所で意味がない。何せ端から此方を殺すつもりでいるのだ。
自分は無力だとアピールしたとて、虫を潰すような感覚で殺しに来る。か弱い少女をアピールする事は、時間の無駄である。

 自身の宝具が通用しない、泣き落としも演技も無意味。では単純な戦闘で抑え込めるか、と言われれば絶対的にNO。
人智を逸した身体能力を誇る魔法少女となったレイン・ポゥだが、その魔法少女としての常識から考えても、黒贄の身体能力は常軌を逸していた。
二度と戦いたくない手合いなのだが、現状最大に内憂であるパムと純恋子は戦いたくてウッキウキなのが始末に負えない。
しかも純恋子に至っては、遠坂凛と黒贄に煮え湯を飲まされてから半日も経過していないのだ。学習能力がないのだろうかないのだろうな。だってあったら此処まで胃が痛くないもん。

 とは言え、最初に香砂会で黒贄と戦った時とは、事情が決定的に異なるのもまた事実だった。
最大のポイントは、魔王パムが自分の仲間である事。パムはハッキリ言ってレイン・ポゥの同盟相手としては、最悪の部類だ。
その性格もそうだが、生前の確執――尤もこれについてはパム自身がチャラにすると言っている為ノーカウントだろうが――もある。
レイン・ポゥとしては直ちに手を切りたかったが、その強さについては申し分がない程、パムの強さは極まっている。
彼女をぶつければ、黒贄とて或いは? そう言う展望も、確かにレイン・ポゥにはある。
黒贄を倒せれば美味しいのは今更説明するべくもない。何せこの男は、倒せる事が出来れば令呪一画がルーラーから貰えるのだ。もしも倒せれば万々歳だ。
そして、パムが倒れてもレイン・ポゥにとって美味しい。自分の行動範囲を著しく縛る疫病神の存在が消えてなくなるのだ。こっちもこっちでメリットがある。
どちらが倒れても、レイン・ポゥにはメリットがある。仮に痛み分けでも、パムにダメージが蓄積する。つまり、暗殺の可能性がグンと高まる。

 とは言えベストな選択はやはり、黒贄と戦わない事である。
が、既にパムと純恋子の間ではこの最強最悪のバーサーカーと戦う事は既定路線なのだ。
早い話、地獄の業火、荒れ狂う海原に飛びこまねばならないと言う事は既に確約している。胃が痛い事実ではあるが、これに反論するパワーはレイン・ポゥにない。
ないのであれば、自分が望むべく方向に事が進むよう事前に努力しなければならない。先ず彼女が行ったのは、黒贄の下に向かうまでの時間稼ぎ。
新国立競技場の一件にかなり深いレベルにまで関わった彼女ら三人は、あの事件の影響でかなり疲労困憊……の筈なのだが、
パムや純恋子は、何処か別時空に無限大に等しいエネルギーのプールがあって其処から活力を引っ張って来ているのでは? と思う程のエネルギッシュさだ。
すぐに黒贄の下まで向かおうとしたのだが、流石にそれは駄目だ。何と言ってもレイン・ポゥも、そして純恋子も魔力が不安だ。
レイン・ポゥはそう熱弁した。パムがこれを受けて、どう反応したのか。確かに、と肯じたのだ。
これで意を曲げてくれれば良かったのだが、レイン・ポゥは何処までもパムと言う魔法少女の……いや、パムの魔法の底の深さを甘く見ていた。
パムはレイン・ポゥの意見を聞いて、何をしたのか? 黒い羽を『魔力』に変えて、レイン・ポゥと純恋子に補填させたのだ。
その結果、レイン・ポゥが召喚されてから新国立競技場での一件までの間に消費した全ての魔力は元通り……それどころか。
全力で後数回戦っても御釣が来る程の魔力をチャージされてしまったのである。

 ――これで私も全力で貴女に見せ場を提供出来ますわね、アサシン!!――

 嬉しそうな純恋子の顔が脳裏を過る。過る度に、顔面に斧を叩き込む妄想をセットでする事をレイン・ポゥは忘れない。

 一番時間を稼げる、と思った方法が数秒で駄目になった物であるから、レイン・ポゥも慌てる他ない。
持てる全てのアドリブ力、機転を駆使し、徹底的にパムらを拠点となるホテルに縫いとめた。
まだ確認してない情報があるかも知れない、腹ごしらえは大事だ、純恋子だとバレない服装を今の内に見繕え等々。
ありとあらゆる屁理屈を捏ね、ゴネを口にし、猪どころかロケットにすら例えられる程の猪突猛進さの純恋子とパムを相手に、
結果として三十分程も時間を稼ぐ事が出来た。レイン・ポゥの戦闘以外の、コミュニケーション能力が如何に高いかを示す証左であろう。

 これだけ経てば、流石に遠坂凛達も河岸を変えている事だろう。レイン・ポゥはそんな予測を立てていた。それですらも、甘かった。
実際は凛達は、当初純恋子達が特定していた場所を移動していたどころか、剰え交戦中。しかも黒贄と戦っていたサーヴァントの一人に至っては、
控えめに見てもパムと同等程の強さはあろうかと言う、恐るべき強さの魔人であった。
当然、こんな存在を見て、パムが滾らぬ筈がない。レイン・ポゥですら強者の気配を感じ取れているのだ、魔王が感じぬ筈がない。
黒贄だけを絞るつもりが、予期せぬ幸運に出くわしてしまった。今のパムからは、そんな雰囲気が嫌でも感じ取れてしまうのだった。

「野次馬に用はない。失せろ」

 吐き捨てるように、アレックス。彼は、パムとレイン・ポゥを互いに見比べ、その強さを大方推察し終えていた。
パムに関しては、恐ろしく強い。アレックスの身体を人修羅へと叩き落す遠因になった、美しいインバネスの男と、同等の力があろう。
それに比べて、彼女に襟を掴まれているサーヴァントの、何たるか弱い事か。比較する事自体が問題な程、パムとレイン・ポゥの強さには差があった。
そして事もあろうにパムは、この実力を持っていながら、野次馬根性が恐ろしく強いと言う最悪の性質を持ったサーヴァントだとも、アレックスは見抜いていた。
しかも発せられた言葉から考えるに、戦闘狂の気すらあるとも思われるのだから、頭が痛くなる話だった。今この場で、このような手合いのサーヴァントに絡まれる事が、特に困るのだ。

「ただの野次馬に終わっても良かったのだがな、聖杯戦争と言う催しの都合上、見て見ぬ振りは出来まい。お前は私を、無視しても良い障害に見えるのか?」

 いや、見えない。ジョニィとて同じ事を思っているだろう。
無視を決め込むには、パムと言うサーヴァントの実力は、余りにも、埒外のもの過ぎた。

「聖杯戦争とは素晴らしいものだな。飽きる程強者と戦える上に、おまけに勝ち残れば聖杯がくれるのだからな。私にとっては、Winしかない」

 そして、今この瞬間、魔王パムは相互理解の余地も必要もないサーヴァントだとアレックスもジョニィも認定。
聖杯戦争に臨むにあたってのスタンスが聖杯狙いだと確定した上に、今の言動から、聖杯は『戦闘に勝利し続けた後のおまけ』であると認識しているのだ。
解りやすい程の、戦闘狂(バトルジャンキー)。戦場の中でのみ自己を確立出来る、狂った者。それがパムなのだと、アレックスもジョニィも思った。
況してアレックスの強さがなまじ高すぎる為に、パムは完全にやる気だった。強さが完全に裏目に出てしまっていた。
このような手合いに、話し合いは端から意味を成さない。戦う事自体にカタルシスを感じるのだから、そんな物はまだるっこしいだけだろう。
尤も、戦うしかない、殺すしかない。これにカロリーと意識を傾ければ良いと言う意味では、ある意味楽なのかも知れないが。

 最初にパムを殺そうと動いたのは、ジョニィであった。
それまで発動させていたACT3の効果時間が切れ、渦から全身を現す事になるジョニィ。気配の方向に、パムがバッと振り向いた。
ジョニィの気配を感じていなかったのだ。無理もない。この瞬間に至るまでジョニィは、根源に限りなく近い所に潜航していたのである。
其処に潜った瞬間、サーヴァントとしてのものを含めた、ありとあらゆるジョニィの気配が遮断されるのだ。
ジョニィの姿を見つけられなかったこの失態は、サーヴァントの姿を確認する術を、高高度からの目視のみで終わらせていたパムの選択の故でもあった。

 渦の中でハーブを食み終えていたジョニィ。爪は全て生え揃っていた。
十全の状態の爪の生え揃い、これを以てジョニィは、左人差し指からACT2を二発、音の壁を突き抜ける程の速度で発射。
レイン・ポゥと純恋子を空中に放り上げると同時に、黒羽に自動防御機構を搭載させ、これでジョニィの攻撃を迎え撃つ。
音速程度、パムの反射神経なら反応出来ぬ速度ではない。羽を用いたのは、身体に染みついた、初撃に対する警戒癖のせいであった。
そしてそれが、パムの命運を正の方向に別った。黒羽に刻まれた、爪弾による弾痕。それが勝手に動き始め、自身の方に迫ってくる事に気付くパム。
蓄積された戦闘の経験値の賜物、パムは即座に、ジョニィの放った爪の弾による弾痕は、生きているように動きそして対象に近付いて行き、それと肉体が重なるや、
爪の弾丸で直接貫かれたのと同じようなダメージを与えるのだと看破。この推察は、何処までも正しかった。

 パムの取った行動は迅速だった。爪弾による弾痕が刻まれた黒羽を、穂先から柄の端に至るまで真っ黒な、一本の槍へと変形させる。
勿論ただの槍ではない。柄の太さは二m程、長さに至っては十m近くもある巨大な槍である。これでは持つと言うよりは、両腕で抱えなければ保持して振う事も出来まい。
これをパムは、此方目掛けて信じ難い程の速度で接近するアレックス目掛けて、射出。初速の段階で、音を超過した加速を得たそれに対応するアレックス。
アレックスの行った事は、単純明快。槍の穂先目掛けて、思いっきり右拳を突き出すと言う物。正気の判断ではない。
パムの槍が得ている速度もそうだが、その貫通性能もパムは著しく上昇させている。厚さ十mにも達する鉄板ですら、この槍の前では紙同然。
こんな物を拳で止めようものなら、腕は拉げ、その身体を槍の穂先が穿っていた事だろう。そう――普通の拳で対応したのであれば。

 魔人の右拳と、槍の穂先が激突。
勢いが勝った。槍ではなく、人修羅の拳がである。拳面が穂先に触れた瞬間、槍は柄の中頃から音もなく圧し折れ、激突の際に生じた凄まじい強さの衝撃波が、
拳と穂先の衝突部から荒れ狂う。破壊するか、と内心でパムは唸る。驚愕し、戦慄した訳ではない。十分に予測出来た事だ。
それに、当初の目標はパムは達成した。先程放った槍は、ジョニィの放った爪弾によって刻まれた弾痕が残っていた黒羽を、変形させたもの。
それを破壊されてしまえば必然、ジョニィの宝具(スタンド)による弾痕もまた、同じ命運を辿る。パムは、ジョニィが放った初見では対処困難な一撃に、見事対応して見せたのだ。

 ジョニィが爪弾を放ってから、アレックスが黒槍を破壊するまでにかかった時間は、一秒を遥かに下回る。
それ程までの短時間で、これらのやり取りは行われていた。ジョナサンですら、認識不能なスピードで。

「球場の中に行くよ」

 未だ空中に舞っていた状態のレイン・ポゥと純恋子。
純恋子の従者たる虹の魔法少女は、何もない虚空から虹の橋を延長させ、其処に、純恋子を抱えたまま着地。
振えば人体など簡単に真っ二つにする程鋭い縁を持ったその虹の橋(ビフレスト)は、かなり急なアーチを描いて、球場内のグラウンドにまで伸びていた。
そしてレイン・ポゥは、そのアーチが伸びる方向へと、凄い速度で駆けだして行った。「私もあっちに混ざりたかったのですが」、と純恋子が呟いたのを、果たして何人が聞き取れたのか。

「仕方のない奴だ」

 苦笑いを浮かべ、小さくなって行くレイン・ポゥの背中を見送るパム。見事なまでの、保護者、引率者面だった。
この見送っている隙を狙って、アレックスが接近、岩など豆腐の如くに粉砕する修羅の拳をパムの顔面に叩き込もうとする。
しかし、黒羽の一枚を神業のような速度で、両腕両脚を覆う籠手(ガントレット)と具足(グリーヴ)に変形させ、これを鎧わせた左拳で、アレックスの拳を迎撃。
硬い、と思ったのはアレックスだ。一方的に籠手を粉砕し、そのまま拳を腕ごと破壊するかと思っていたのに、予想が外れた。想像以上の堅牢さだ。
凄まじい攻撃力だ、と思ったのはパムだ。籠手の内部には衝撃を吸収する為の緩衝材を幾重にも、レイヤーを重ねるように配置していたと言うのに、それらを貫いて、パムに衝撃を与えて来た。重ねた緩衝材の層があと数枚足りていなければ、腕が痺れていただろう。無論、緩衝材を一切抜きにしていたら、腕自体が麻痺したように動かせなくなっていたかも知れない。恐るべき、アレックスの拳の威力!!

「逸るな、しっかりと責任もって遊んでやる」

「遊ばなくて良い。とっとと死ね」

 地を蹴りアレックスから距離を取るパム。それは距離の調整の他、攻撃の回避をも兼ねていた。
パムが先程まで、アレックスと拳を合せていた所を、正しく目にも留まらぬ速度で人の爪が行き過ぎる。
ジョニィがパム目掛けて放ったACT2、それは結局、偏在した空気を貫くだけの結果に終わる。有体に言えば、スカを食う形になった。

 次にパムが行うとすれば、地味ではあるが厄介な能力を持っているジョニィへの攻撃だろう。アレックスはそう考えた。
パムとジョニィは同じアーチャーのクラスではあるが、ステータスの面ではパムの方に軍配が上がる。
いや、軍配を上がると言う言葉を用いる事が憚られる程、ステータスの面で水を空けられている。凡そ何一つとして、ジョニィはパムにステータスで勝っていなかった。
しかもそのステータス上の強さと、実際そのステータスから発揮出来る強さに、何一つとして乖離がないと来ている。
本気でパムに対処されたら、ジョニィは成す術もなく殺されるだろう。折角の同盟相手だ。友好な関係を、築かねばならない。

 アレックスの判断は当たっていた。ブーメラン状に黒羽を、パムは変形させているのだ。
大きさは約三m程。そのブーメランの縁部分が刃のように鋭くなっている事から、どのような用途でこれを用いるのかなど即座に判断が出来る。
地を蹴り、弾丸の如き勢いでパムに――ではなく、ブーメランに向かって斜め四十五度の鋭い角度で跳躍。
近付くや、変形させたブーメランに対して、空中に浮いたままソバットを叩き込み、黒羽のブーメランを蹴り飛ばす。
しかも、ただ蹴り飛ばしただけではない。明白な意図を以て、アレックスは蹴る方向を選んでいた。
――黒贄である。最悪のバーサーカー、黒贄礼太郎の下へと、この魔人は黒羽を蹴飛ばしていたのである。
時速数百㎞を超過する程の速度で迫るブーメランに対し、右腕を斬り飛ばされた黒贄は、何をしたか。

「あ、思い出しました。あの競技場でみた美人さんじゃないですか」

 あっと気付いたような呟きをしながら、凄まじい速度で迫り来る、刃を携える黒いブーメランを、思いっきり右足の爪先で蹴り飛ばす。
黒塗りのブーメランが、黒贄のこの迎撃の影響で、中頃から圧し折れ、破壊される。そればかりか、黒贄の蹴りの勢いが余りにも強すぎたせいか。
真っ二つになったブーメランが、アレックスが蹴り飛ばした時の速度に音の数倍の速度をプラスさせたスピードで、遥か上空へと消え失せて行く。
冗談のような、その膂力。アレックスも流石に目を見開く。ジョニィもまた、同じ。パムだけが、冷静な表情で黒贄の事を見据えている。
レイン・ポゥと純恋子から、黒贄礼太郎を名乗るこのバーサーカーの異常な筋力を聞かされているばかりか、実際にその異常さを新国立競技場で目の当たりにしていたからだ。黒羽を破壊してみせたところで、今更驚くには値しなかった。

 それよりも、今の今まで黒贄がずっと――即ち、パムがこの場に現れてから今に至るまでの時間を、棒立ちの状態で過ごしていたのは、
パムが何者であったのかを思い出そうとしていたからだったらしい。信じられない程の暢気さである。いや、暢気と言うよりは最早痴呆とでも言うべき愚鈍さだ。
たっぷり数十秒の時間を使い、漸く黒贄は、この場に現れた高露出の女性の正体を思い出したらしい。そう、黒贄とパムは、言葉こそ交わさなかったが過去に出会っている。
尤も、過去、と言う言葉を用いる程昔ではない。数える事数時間前、まだ虚無に呑まれる前の新国立競技場での乱戦で、彼らは戦っていたのである。

 黒贄ですら覚えているのだ、勿論、パムも黒贄の事は憶えている。それも、鮮明に、だ。だからこそ、内心では唸っている。黒贄のその姿に、だ。
確かにパムは黒贄の姿を見知っている。だが、最後に彼女が、この希代の殺人鬼の姿を目の当たりにした時には――黒贄の姿は、凡そ戦えるに適さない程の、
『ズタボロ』の状態であった筈なのだ。機能している内臓が存在しない所か殆どを体外に掻き出され、脳を破壊され、四肢すら破壊され……。
それが、新国立競技場での黒贄礼太郎のコンディションであった筈。最早説明の余地がない程馬鹿馬鹿しい事であるが、そんな状態で戦える人間は存在しない。
魔法少女やサーヴァントであってすら、あの時の黒贄礼太郎と同等の状態で戦える存在など、片手の指で数える程しか存在するまい。
しかし、存在しないと言う訳ではない。常軌を逸したタフネス、プラナリアに例えられる程の高再生力。それがあれば、あの状態で戦う事も可能であったろう。

 それよりも問題なのは――あの状態から黒贄が『回復』したと言う点だ。
あの時、新国立競技場に集っていたサーヴァント達は、揃いも揃って英霊の座全体から見てもトップクラスの実力を誇るサーヴァント達だった。
それらの攻撃を受けておいて、しかも、最後に出会ってから半日すら経過していないこの短時間で、黒贄はその際に負ったダメージの殆どを『回復させていた』。
今現在の黒贄の姿を改めて眺めるパム。頭蓋骨が外部からでも見える程深く、縦に割られた顔面。刃状の得物で断たれた事は明白だ。
胴体も同等の物で斬り裂かれた事が窺える斬傷が袈裟懸けに走っており、右腕もまた、同様の物で切断されたのだろう。肘の辺りから消失している。
今の黒贄の状態も酷いには酷いが、如何考えても競技場の時に比べたらマシになっている。回復、したのであろう。
競技場から脱出した時から、アレックス達と戦うまでの、短い時間の間に。

 アレックスが右足で地面を踏み抜く。彼を中心として直径十m圏内の地面に亀裂が生じ出し、其処から、橙色の光が噴き上がる。
ただの光ではない。それ自体が高い熱エネルギーを内包しており、対魔力を持たないサーヴァントが触れようものなら瞬く間に、大ダメージを負う程の力を持っている。
が、戦闘の経験値についてこの場にいるどのサーヴァントよりも上を行くパムには、この程度の攻撃を対処する等簡単な話だったらしい。
弾丸を想起させる程の速度で後ろに飛び退く事で、噴き上がるエネルギーの範囲外まで退避、いともたやすく避ける事に成功する。

 一呼吸置いてから、体内のリズムをパムは調整。そしてこの間に、ジョニィはACT3を発動させ、渦の中に潜行を始めた。
まだ秘密を隠しているらしい、パムはそう考えた。今しがた渦に潜ったジョニィを含め、この場にいる三体のサーヴァントを相手取って倒せる自信はパムにはある。
凄まじ過ぎる増上慢であるが、実際それに見合うだけの、そして行える程の実力と宝具を持っている。
但し、余裕綽々でそれが出来るのかとなると話は別だ。ジョニィなら兎も角、アレックスと黒贄は、パムの黒羽をそれこそ破壊に特化したそれに変形させねば無理だ。
それどころか、破壊や戦闘に著しく尖らせたそれに変形させたとしても、余裕で勝つのは不可能事だろう。
アレックスは単純に、技量や身体能力、そして有する能力面が凄まじく高いレベルで纏まっている為、鎧袖一触とは行かない。
一方黒贄の方は、度を越したタフネスに加え、恐らくは備わっているだろう超高水準の再生能力が厄介だ。
戦闘続行能力の高さに自己再生能力……王道でありきたりではあるが、戦闘での有用性は計り知れない。
これに加えて黒贄には、魔法少女の中でも最高スペックの身体能力を誇るパムの運動能力を超越する程の肉体的なスペックがあるのだ。厄介でない筈がない。

「やりがいがあるな」

 そう言う悪条件については、やりがいを感じる方の女。それがパムだった。
理想は全力で戦える環境だが、縛りのある戦いについて理解がない訳ではない。そう言う状況においても最大限のパフォーマンスを発揮するのが、パムの能力だ。
構え直し、再び戦いに赴こうかと思った、刹那。黒贄の姿が掻き消え、パムの下へと、百分の一秒を大幅に下回る速度で走って接近。
ワープでもなければ、魔術的な補助を借りた移動でもない。自前の筋力のみによる移動だと、サーヴァントであっても思うまい。それ程までの、スピードだった。

 空手の左腕をパム目掛けて乱雑に振り下ろす黒贄。新国立競技場で、高速で飛来する重さ二十t超の巨剣を弾き飛ばす程の腕力だ。
ただ勢いよく振るわれるだけで、致命傷の威力を内包しているのは最早言うまでもない。
定石通り、残った二枚の羽の内一枚に、自動防御の機能を付与させ、黒贄の攻撃に対応。凄い速度で羽が、振るわれた黒贄の腕の軌道上に配置。
腕の形に、黒羽が凹んだ。この地球上に存在するあらゆる物質の堅牢性を超越する硬度だったと言うのに、信じられぬ腕力だった。

 黒贄に追随するような形で、アレックスがパムの方へと接近してくる。武器は持っていない、空手だ……が。
このサーヴァントが徒手空拳でですら、並のサーヴァントを容易く屠り、葬る力がある事はパム自身も理解している。
寧ろ攻撃の選択肢が豊富な分、下手をすれば剣やらの得物を持った状態の時よりも厄介な可能性すらあった。

「テェッ!!」

 パム達まで残り数mと言う段になって、突如、両の腕を左右に勢いよく交差させるアレックス。
何かを感じ取ったのだろう、黒贄の攻撃を防いだ自動防御機能搭載の黒羽が、パムの前に移動、その大きさを四倍程に拡大され、彼女の前面を覆うバリケードとなる。
――瞬間、バリケードがまるで風船か何かのように体積を膨張させた。殆ど限度一杯までの膨らみ具合だ。ところどころに膨らみすぎから来るヒビが生じている。
後ほんの少し力を加えられていたら、破裂させられていた事だろう。恐るべしはアレックス……いや、アレックスの宿す人修羅の力が放てる『烈風波』だ。
攻撃に付随して発生する衝撃波、これを攻撃に転用する手段は珍しくない。悪魔は勿論、人間だとて武に覚えのある者なら行使する事が出来る。
但し、人修羅の男の放つその烈風波は、悪魔達の括りから見ても異常な威力を誇る。正面からの攻撃なら、艦砲の一撃ですら無傷で乗り切るパムの黒羽の防壁があのザマなのだ。威力は用意に想像がつく。そして、直撃した時に己の身体に舞い込む、未来でさえも。

 腕の交差を解き、片腕を振るい、再びあの烈風波をバリケードとして展開させた黒羽に放ち、それが激突。した、瞬間だった。
ある種の火薬の炸裂音に似たような大音が羽の辺りから生じ始めたのだ。そしてこれと同時に、羽そのものが、破裂した。
驚きに似た光を瞳の奥で煌かせたのは、アレックスの方であった。勿論、パムの黒羽を突破すべく、壊せるレベルの出力で攻撃を加えた。
確かにアレックスの攻撃で、黒羽のバリアは砕かれた。問題は、『簡単に砕かれてしまった』と言うこの事実である。
余りにも、呆気なさ過ぎる。アレックスの見立てでは、もっと持ち応える物だと思っていたのに――其処まで彼が考えて、気付く。
この黒羽の破壊は、パムが意図して設定した『攻撃』であると。この事実を認識するのに要した時間、千分の一秒。羽が破壊された瞬間から、ラグが殆どない。

 アレックスは知る由もないが、これは戦車の装甲に装着される反応装甲に原理は近い。衝撃を受ける事で、その装甲の内側の火薬が炸裂、そして、装甲が破裂。
こうする事で、戦車本体にとって致命となる損傷を受けても、表面の反応装甲が浮き上がり、敵の攻撃の威力が分散、結果として軽微なダメージで済むと言う訳だ。
欠点は、戦車の近くを哨戒している味方の兵士が、破裂した装甲の直撃を受けて死にかねないと言う点だが……この場に於いて、
巻き添えを食らう心配のある味方のいないパムにとってこの欠点は欠点足りえない。攻防一体となった特性もそうだが、例え砕かれて破壊されても、
羽が一つ残っていれば破壊された分をリカバリー出来るパムにとって、爆発反応装甲を模倣した性質のこの羽は、極めて利便性の高いそれとなっているのだった。

 炸裂した黒羽の破片が、超音速を軽々に上回る速度でアレックスと、接近していた黒贄の方へと飛来する。
反応装甲由来の性質の黒羽があった場所からアレックスがいる所の距離は、四m程。破片の速度を考えるに、見てからの回避行動など、出来るべくもない。
何が起こったのかを理解するよりも前に、掠っただけで肉体が粉々になる威力を内包した黒片の衝突を受けて即死する未来しか有り得ない。
しかし――これを回避出来るだけの反射神経が、アレックスには与えられていた。アレックスの両腕が、消えた。消えた、としか見えない速度で動かしている。
音と言う従者がついて来れない程のスピードで両腕を動かし、こちらに害を成そうとする破片を次々弾き飛ばし、対応する。
一方黒贄の方は、破片の直撃を受け、胴体の四割近くを吹き飛ばされた状態となっていた。左わき腹が殆ど存在せず、左胸部まで、筋肉も骨格も消し飛んでいる。
これで黒贄を仕留めた、などと最早この場にいる誰もが思っていない。特にパムだ。新国立競技場で見た時よりも、まだ黒贄が今負っているダメージは、軽い。動けて当たり前とすら思っていた。

 アレックスの方へとステップインするパム。アレだけ埒外の身体能力を見せ付けられていながら、パムは彼とインファイトを行おうと考えていた。
その方が範囲攻撃を行わないので周囲への被害を考えなくても済むし、彼女自身肉弾戦にも絶対の自信がある事もそうなのだが、何よりも、
肉弾戦の方がアレックスと楽しめると彼女自身が判断した事が一番大きい。つくづくの、戦闘狂であった。

 黒羽を変形させて生み出した黒一色の篭手、それを纏わせた右拳を、間合いに入った途端アレックスの顔面目掛けて突き出す。
アレックスは避けない。避けられないのではない、避けないのである。出来る、とパムは内心で唸る。この一撃が疑似餌である事を、アレックスは見抜いている。
先程行った、爆発反応装甲の原理。それをたった今、パムが装着している篭手と具足にも応用したのである。
迎撃の為に篭手を攻撃すれば、それが超速で飛散する。回避しても、攻撃を放ち終えた瞬間にそれらを砕いて飛散させ、攻撃後の隙を解消出来る。こんな寸法であった。
故に、アレックスの反射神経で、この右拳の一撃を見の姿勢に回られるのが一番不味い。フェイントだと解っているフェイントは、脆いのである。
アレックスが何かをする前に、篭手を爆発させようとした、刹那。自身の体重が全部消失したみたいな感覚。それが、パムの身体に舞い込んで行く。
身体の全て……それこそ内臓や骨に至るまでが、自分の意思を超越して勝手に宙へと浮かび上がるような、全身の毛が逆立つような不気味な浮遊感。
それが、パムの身体を包み込む。自分の身体は今、浮いている。自分の意思で空を飛んでいるのではない。浮かされている。視界の上下が、反転した。凄い速度で、仰向けになった自分が地面へと堕ちて行き、空が遠ざかる。自分は今投げられて――。

 パムの背面と後頭部に、衝撃が爆発した。自分は、合気に近い要領で投げられたのだと、理解したのはこの瞬間だった。掴まれた事すら悟らせない、圧倒的な技量だ。
地面の感触が硬い。コンクリートだ、当たり前である。明瞭だった視界が一瞬で、油のプールの中から外を見るようにグニャリと歪み始めた。
脳が、頭蓋の中でピンボールのように揺れているのが良く解る。脳震盪。誰が何処にいるのかすら解らない程、視界が混濁している。
絵の具を何色か適当にぶちまけ、水を含ませた筆か刷毛でなぞった見せたようなマーブル模様。それが今の、パムの視界だった。
アレックスや黒贄、ジョニィは何処に? などと、認識出来る筈もない。だが、確かな事は一つ、動かねば、死ぬ。それだけだ。

 咆哮を上げるパム。雷鳴のような大音声だった。
自分を奮い立たせる為、そして、相手を怯ませる意図を込めたこの雄たけびを上げながら、パムは、脳震盪の真っ只中であると言うのに、
信じれない程の速度で立ち上がり、姿勢を整えた。左肩を、何かが突き抜ける。炎とはまた違う、高温度の光だかレーザーだかで貫かれたような、
灼熱の痛みが肩甲骨ごと彼女の肩を貫いた。アレックスの魔力剣だ。もっと致命になりうる急所を狙ったのだろうが、パムがアグレッシブに動くせいで、
狙いが逸れて肩を攻撃する形になってしまったのだろう。恐らくアレックスの事だ、雄たけびで怯んではいるまい。
明瞭な痛みが、濁った視界をクリアなものにする。幻覚に囚われた時、視界が自分の意思とは違う何かにジャックされた時。痛みと言うのは、覚醒の特効薬となる。
混沌した視界の問題をクリアするやパムは、自分とアレックスを繋ぐ魔力剣を手刀で叩き壊し、自由の身となる。壊された魔力剣は無害な魔力へと昇華される。
パムに刺さっていた剣の残滓にしても、同じ事だった。この昇華と同時に、アレックスは編んでいた魔術をパムの身体に叩き込もうとする。
ハマオン……つまり、アレックスのいた世界でセイントⅢと呼ばれる魔術が変異した術だ。浄化の白光がパムを昇天させんと包み込もうとした瞬間、
凄まじい速度でパムは後方宙返りを行い、これを回避。そして、宙返りから着地するよりも前に、最後に残った一つの羽を三つに分割。
そして体積を、元の羽と同じサイズにまで拡大させる。これで、黒羽の枚数は元に戻った。足りない分の残り一枚は、篭手と具足に変形させたそれである。

 着地し、拳を構えるパム。魔力剣で貫かれた左肩が気になるが、問題にならない。
骨を破壊されたとしても、黒羽の破片をカルシウムに変質させ、それを砕かれた所と癒着させ回復させれば良いだけの話だ。動きが鈍くなるのは、数瞬の事。我慢せねばなるまい。

「おや、良い笑みですな。美人はそうでなくてはなりません」

 呑気も呑気に、黒贄が言った。何処がだよ、とアレックスは思わず心中で突っ込む。
今パムの浮かべてる笑みこそが、戦闘狂のテンションが最高潮に達した時に浮かび上がるそれなのだ。
なまじ元となるパムの顔つきが美女のカテゴリーの中でも最高位に相当する程の美しいそれである為、笑みは凄愴と言うよりも凄艶の域に達しており、
獰猛さと美しさが同居するその笑みに睨まれれば、如何なる男も女も、二重の意味で立ち竦む事であろう。その笑みの恐ろしさに。そして、美しさにも。

 痛みに屈する肉体も精神も、パムは持ち合わせていない。同様に、衝撃を加えられても折れて萎える心でも最早ない。
痛みや衝撃を受ければ、寧ろ肉体も心も活性化する。それが、戦いによって齎されたものとなれば猶更だ。
私だって負けられないし、強いんだぞ。その思いで乗り越えられる。今のパムが、正しくそれだ。
何故ならば、自分に痛みを与えられ、膝を屈させる程の存在は、その時点で強者である。その強者との戦いこそが、パムにとって最も楽しいコミュニケーションなのだ。
魔法少女の世界では、その強者が――パムと真の意味で語り合える存在は、全くと言って良いほどいなかった。
クラムベリーはもしかしたらその域にまで育ち得たやも知れないが、彼女は自制する術をパム以上に育ててなかったが故に、自滅してしまった。

 自分が今、どんな顔を浮かべているのか。鏡を見るまでもなくパムは理解している。
嗤っているのだろう。アレックスが繰り出してくる未知の攻撃。黒贄礼太郎が振るう圧倒的かつプリミティヴな暴力。それらを、期待して、笑っている。
色気なんて欠片もなく、明るさなんて何処にも見当たらない、泥臭く熱の篭った、獰猛な笑みでも浮かべているのだろう。
しかたないじゃないか。だって、お前達が強すぎるのが悪いんだ。いや、悪くはないな。お前達はそのままで良い。そのままで良いから――。

「まだ、戦おう」

 ともすれば、懇願するような声音でそう口にした、その瞬間だった。
パムから十数m離れた所に存在した、ACT3の渦。其処からジョニィが、トビウオの様に勢い良く飛び出て、潜行を解除したのである。
ACT2を放つぐらいであれば、パムならば対処出来る。放たれた位置と相手のいる距離さえ解れば、死角から放たれた銃弾ですらパムは対応出来る。
だから、ジョニィの方は見る必要性すらない。……筈だったのだが。魔法少女としての嗅覚が、人間のそれとは違う、獣の臭いを感じ取ったとあれば、話は別。
ジョニィが現れた方角、つまり、パムの背後である。その方角を振り返ると――彼は、『馬』に乗っていた。
くすんだ白色の獣毛に、黒の斑点模様。その馬の特徴だ。見た所特別な力を感じない。実際問題、黒羽でアナライズしてみても、何の力も持っていない。
ギリシャ神話に語られる翼を持つ天馬ペガサスであるとか、聖なる角を持つユニコーンであるだとか、一日に千里を走るという赤兎馬だとか、
オーディンが騎乗する戦車を引くスレイプニルだとか。彼らが持っている――パムは実物を見た事がない為持っていそうな、が正解か――力強さや神韻、聖なるオーラやカリスマと言う物をその馬からは感じない。本当にただの、何の変哲もない馬であるらしい。

「畏れるに足りんぞッ!!」

 こんなもので何をしようと言うのか、魔法少女は馬より速く、そして長く走り続ける事が出来る。ただの馬など駄馬にしかならない。
黒羽を変形させ、迎撃しようとしたその瞬間にジョニィは――『馬に乗った状態で、爪をパム目掛けて放っていた』。これを、爆発反応装甲で、パムは対応しようとしたのであった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




     お前は馬に力を与え、その首をたてがみで装うことができるか

     馬をいなごのように跳ねさせることができるか

     そのいななきには恐るべき威力があり、谷間で砂をけって喜び勇み、武器を怖じることなく進む

     恐れを笑い、ひるむことなく、剣に背を向けて逃げることもない

     その上に箙が音をたて、槍と投げ槍がきらめくとき、角笛の音に、じっとしてはいられない

     角笛の合図があればいななき、戦いも、隊長の怒号も、鬨の声も、遠くにいながら、かぎつけている

                                                  ――ヨブ記39:19-25



.

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 ジョニィが放った爪弾は、彼の人差し指から剥がれて飛んで行ってから、一m。その軌道上でメタモルフォーゼをし始めた。
一切の脈絡もなく、まるでパラパラマンガのあるコマ以降を、それまでのコマとは全く別の絵に差し替えて見せたような、急な変身であった。

 大柄な人型のヴィジョンであった。赤味の強い紫色が、その体色の九割半ばを占めた、異様な姿である。
竦めさせたように首の存在が見えないのだが、もしかしたら初めから、首に類する部分はその存在にはないのかも知れない。
それに、非常に大柄だ。星の意匠を凝らした肩パッドと脚部プロテクターだけを見るなら、ラガーメンを思わせる。
一方で、無数の鱗を繋ぎ止めたような帷子を纏うその様子は、戦士の様にも見受けられる。全体的に、チグハグで、統一感がなく、不気味な印象を見る者に与える姿だった。
顔つきもまた異様で、目の部分に星のマークがペイントされ、額に相当する部分には馬の蹄に打ち付ける蹄鉄のような形をした、Uの字の飾りを着けていた。兎にも角にも、気味の悪い存在だ。

 そんな、帷子を纏った人型のヴィジョンが、宙を滑るようにパムの方へと向かって行く。
このヴィジョン――『タスク』の真正面に、パムの黒羽が変形した、反応装甲が立ち塞がる。厚さにして二十cm、縦横の幅が五mオーバー。
装甲と言うより、これでは最早壁だ。そんな物が、タスクの目の前に現れたのだ。この速度でぶつかっても壁は爆発するし、殴ったり斬ったりしても、同じ事である。
タスクは、その身体にタックルをぶちかました。無論、勢いを乗せた体当たりで突破する事も出来よう。だがそれをやれば待っているのは装甲の爆発だ。
跳ね返されるなどと言う甘い未来はない。胴体の骨が何本も圧し折られる事ですらまだ手緩い。ほぼ確実に、高速で飛来する破片に衝突し、全身がグチャグチャに潰され即死する。どちらにしても、タスクの――ジョニィの運命はこれで決まったも同然……の、筈だった。

 ショルダーパッドに覆われたタスクの肩が、反応装甲の壁にぶち当たる。……壁は爆発反応を起こさない。凪すら起きない海のように、何も起きない。
そう見えたのは、ほんの半秒の事だった。異変はすぐさま、誰の目にも明らかな形で生じだした。
黒羽が変じた反応壁、其処から、青白く光り輝くリング状の何かが音もなく、滲み出るように現れ始めたのだ。
それも、一つや二つと言う数ではない、百を容易く超えており、千個にも達するかと言う程の数だ。
リングは総じて、同じ方向目掛けて回転を続けており――その回転に従うかのように。……否。抗えないとでも言わんばかりに、その黒羽自体も、歪に回転をし始めた。

「!?」

 パムの瞳の奥底で、明白な驚きの感情が瞬いた。確かにその反応壁は回っている。しかしその『壁自体』が、回転しているのではないのだ。
その黒羽が変形して出来上がった壁、その一部分一部分が、音もなく回転をしているのである。
角が回転している事もあれば、角から離れた中央部まで。兎に角、物理的に回転する事は愚か、回転するギミックを仕込む事など不可能な部分まで回り始めている。
無論その壁に回転するギミックなどパムは仕掛けていない。となれば、思い当たる節は一つ。あの謎のヴィジョンによる攻撃で、今の現象は齎されているのだ。

 リングが回転している所から、白色の煙めいたものが上がり始める。リングと黒羽自体との摩擦、その熱で煙が生じているのだろうか。
真実は誰にも――それこそ、タスクの発動者足るジョニィにすら解らないが、確かな事は一つある。異常なスピードで、黒羽の壁が崩れ、雲散霧消して行っているのだ。
戯画や銀幕の中で見られるような、聖なる陽光を浴びて灰になり、光に実体が溶けて行く吸血鬼の表現宛らに、黒羽は崩れ、滅び、縮小し。やがて完全に消滅した。掛かった時間は、一秒と半ば。凄まじいスピードであった。

「何をした……!!」

 黒羽が破壊される。これ自体は珍しい事じゃない。
無論、枕詞に卓越した実力者と言う言葉が付随するが、一部の魔法少女やサーヴァントならやってやれない事じゃない。
ジョニィは明らかに、その卓越した実力の部分を見出す事が出来ない。身体つきは、戦士として闘争や戦闘に向けて磨き上げられたそれではなく、
どちらかと言えばある種の『競技』に向けて絞られた風な物であり、とてもじゃないが、この場にいる怪物三名。
パム、アレックス、黒贄の三人の三つ巴の戦いに、何か気の利いたフォローを入れられる風な実力には全く見えない。
そんな人物が、黒羽をいとも簡単に破壊して見せた。この事実に、パムは明白な驚きを見せているのだ。それは即ち、今この瞬間まで、心のどこかでジョニィを侮っていた事の証左に他ならない。

 パムの問いかけに、ジョニィは何も答えない。いや、答える気は更々ないのだろう。
――パムはこの時、見た。見てしまった。ジョニィの瞳の中で、黒曜石の様に冷たく光り輝く、純度の高い殺意を。
憎いから、妬いているから、因縁があるから。そう言った感情論を超越、一切廃して、ただただ自分を目標の為だけに殺す。
そんな意思が如実に感じられるのだ。彼の何の変哲もない目の中で光り輝く、漆黒のプラズマ。それは恐らく、ジョニィ・ジョースターと言う男が、パムという魔法少女に対して抱いている、殺すと意思が結晶化した物であるのだろう。

「――上等だぞ貴様ッ!!」

 犬歯を見せ付けるような獰猛な笑みを浮かべ、パムが叫んだ。稲妻のような、声量だった。

「ほっりゃさっさー」

 痺れを切らしたかのように、黒贄がパムの元へと接近。反応装甲の破片の直撃で吹っ飛んだ脇腹から血を流しながら、元気に左腕を乱雑に振るう。
自分の背後から迫るその攻撃を、後頭部に目でもついていると言われねば納得が出来ない程の正確さで、ダッキングする事で回避。
台風を束ねて塊にしたような風圧が、頭上を行過ぎて行くのをパムは感じる。直撃していれば、パムと言えども即死だった。それほどまでの威力に、もうなっていた。
羽の一枚をサーベルの剣身の如き形状に変化させるパム。ただの剣ではなし。幅数m、長さ十mにも達する巨剣である。
これを猛速で振るい、黒贄と、拳の一撃を真横から側頭部に叩き込もうとするアレックスを一纏めに斬り殺そうとする。
アレックスは何とこれを、魔力を纏わせた右の手刀一本で、逆に剣身の方を斬り返してしまった。アレックスの手刀を受けて、黒塗りの巨剣の刀身が中頃から宙を舞う。
そして、手刀を振り下ろし終えたのと同時に、彼は刻まれた刺青から、数百万Vを超過する青白い放電現象を生じさせた。その高電圧の触手は凄い速度でパムと黒贄に迫る。
パムも、そして黒贄も。放電が迫り始めたそのタイミングで、地を蹴って大きく飛びのいて距離を離す事で回避する。放電の一部が地面に当たる。パァンッ、と言う破裂音と同時に、転がっていたコンクリートの大塊が消滅する。信じられない威力だった。

 剣身に変形させた黒羽を自らの意思で、空気に溶け込ませるように消滅させたパム。
飛び退きを終え、着地したと同時に、自分の手元にある黒羽の一つをパムは三等分にし、元の枚数に戻し始めた。
その分割する前の黒羽の大きさは、ピッタリと三等分出来る程度の大きさであったらしい。切り分けられたそれは皆同じ大きさをしていた。
その内の二つは、確かに、元通りの大きさに戻ったのであるが……一つだけ、様子がおかしかった。
大きさが元通りにならないばかりか――先程ジョニィのタスクの体当たりを受けた黒羽の同じように、青白く光るリングが滲み出るように現れ始め、消滅を始めているのだ!!

「馬鹿なッ!!」

 余りにも不可解な現象に、パムが今度こそ驚きの声を上げる。
それと、全く同時であった。ジョニィが再び、馬に乗った状態で、爪弾を放ってきたのは。右の薬指から。
爪は先程と同じく、放たれてから一m程の所で、唐突にあの人型のヴィジョンに変貌を遂げ、その状態のまま凄い速度でパムの方へと向かって行くのだ。
何の原理で、自身が絶対の信頼を置く黒羽、その内の一枚が使用不能になっているのか。パムにはとんと解らない。だが、確かな事が一つある。
それは、あの人型に触れると言う事が、計り知れない程危険であるという事だった。さりとて、黒羽で防御する訳にも行かない。

 迷った末にパムは、地面に拳を打ち込み、其処からすぐに、地面に突き刺さった拳を引き上げさせる。
すると、それまで地面を舗装していたが、戦闘の余波で割れてしまったコンクリートの一枚岩が、つられて立ち上がって行く。
パムの拳に刺さったものの正体が、このコンクリートで出来た巨片であった。これを意図も簡単に引き上げさせたパムは、このコンクリの壁を文字通り、
タスクから身を守る為の壁として身体の前面に配置。それをし終えてからゼロカンマ二秒程後に、タスクがコンクリ壁に衝突。
凄い速度でコンクリからリングが滲み出始め、そのまま、早送りでもして見せたかのように、壁が消滅していた。役目を果たした為か、タスクもまた消えていた。

 このタイミングで、パムが動いた。
スタンディングスタートから一気に、騎乗しているジョニィの所へ、猛どころか、超がつく程のスピードでダッシュする。
魔法少女、その中にあっても最高位の身体能力を誇るパムの移動速度は、助走距離次第では、何の補助も借りない素の身体能力だけで、
新幹線のそれを容易く超える程のスピードとなる。彼女とジョニィの距離は、二十m程。それだけで、十分だった。その程度の距離で、パムは、時速三百オーバーの加速を得ていた。

 ジョニィの放ったあの攻撃、秘密は彼が騎乗している馬にあるとパムは推理。
馬を、素手で殴り飛ばそうとするが、それを許さぬ者がいた。アレックスと、黒贄である。アレックスは、同盟者を守る為。
そして黒贄は、纏めて三人を殺す為。新幹線のスピードを上回る速度で移動しているパムの元へと集い始めた。

 ジョニィが、スローダンサーの鐙を蹴って宙を舞い、それと同時にこの愛馬の展開を止めて姿を消させるのと。
黒贄の左拳と、黒羽で出来た篭手を装備したパムの一撃が衝突したのは、殆ど同時だった。衝突によって生じた、荒れ狂わんばかりの衝撃波。
まるでダイナマイトの炸裂だ。それが、ジョニィの身体にも叩き込まれる。

「うぁぐっ……!!」

 攻撃と攻撃の衝突、その余波に過ぎない衝撃波。
攻撃その物の直撃ではないにしろ、身体能力が普通人の延長線上のそれしかないジョニィにとっては、それは致命傷に平気でなりかねない。
現に、今の衝撃波の影響で、肋骨にヒビが入った。インパクトに煽られたジョニィは、鐙を蹴った事で到達した高度から、また更に十数m上空を舞い飛ぶ事になった。
このまま地面へと落ちるのか? 落ちればそのままダメージを負うだろうし、落下途中でパムの攻撃が飛んでくる可能性もゼロじゃない。
ジョニィの状況はかなり不味かったが、これを救ったものがいた。アレックスである。彼はジョニィが吹っ飛ばされた高度二十mを超える所まで一気に跳躍。
そのまま彼を抱きかかえるや、上向きに魔力放出を行う事で、一気に地上に急降下。そのまま着地し、ジョニィを救出する。

「無事か」

 訊ねるアレックス。

「何とか……」

 言いながら、口から少量の血を零れさせるジョニィ。決して、無事ではない事が解る。

 アレックスが目線を、黒贄とパムの方へと送る。
有り得ない速度で、左腕を振るう黒贄。攻撃が、アレックスの目から見て、滅茶苦茶過ぎる。
ただ単に、腕を力任せに振るう。やってる事はそれだけだ。それだけなのに、速度も、其処に内包された威力も、桁違いのもの。
黒贄の攻撃に、技術の粋なんて欠片ほども見られない。攻撃に、技術がない。
それは即ち、自分の戦闘は無計画かつ無秩序な場当たり的なものである、と宣言しているのに等しい。つまり、すぐに息切れする上、疲れ易くなるという訳だ。
そんなものは、黒贄にはない。乱雑な攻撃を継ぎ目なく、流れるような連続性と、音を超過するスピード、そして、鉄塊すら容易く砕く腕力で叩き込み続けるのだ。
そしてこれをパムは、アレックスどころかジョニィから見ても、明白な技術力の高さで対応し続ける。
アレックスの当て推量だが、黒贄の身体能力はとっくにパムのそれを追い抜いているのだろう。単純な一撃の威力、移動する速度や反射神経。
それは黒贄の方に分があろう。だが、パムはその足りない部分を、凄まじいまでの戦闘技術で補っている。
篭手で防ぐ、防いだ傍からカウンターを行う、それを避ける黒贄。避けつつも攻撃を繰り出し、それをパムが膝蹴りを行う。
直撃する黒贄、きっと、胴の骨は粉々だ。それでもまだ、あの薄ら笑いを浮かべている。そして、痛みにも屈しない。その笑みのまままた攻撃を繰り出し、
パムが、再びこれに対応し、その時最も適した反撃を行う。武の理想だ。肉体的に然程優れていないのなら、技でそれをカバーする。
無論、肉体が強いに越した事はないだろう。現にパムの肉体のスペックは、ひ弱なそれどころか、屈強と言う言葉でも尚足りない程達している。
そのパムですら、技に頼らざるを得ない程、黒贄は強いのである。……と言っても、そんな状況に陥って尚、パムは嗤っているのであるが。

 黒贄の攻撃を、ステップを刻んで回避するのと同時に、パムは、飛翔。
高度十数m地点で、腕を組みながら停滞、浮遊。三名を見下ろす形で、彼らを睥睨する。浮かべるのは、不敵な笑み。

 ――きっと、の話になる。
確証を得た訳じゃない。だから、これが正鵠を射ているのかもパムには解らない。当てずっぽうの可能性も多分にある。しかし、パムの勘が告げている。
間違いなく、『この聖杯戦争において四枚の黒羽の内一枚は使い物にならなくなった』。つまり今この瞬間から、パムは、『三枚の黒羽で戦いを続けて行かざるを得ない』。
今羽を四枚に増やしても、先程見たいに青白く光るリングが湧いて出て、黒羽を消滅させてしまうだろう。やって見ない事には何とも言えないが、きっとそうなる。

 ジョニィの放ったあの、人型のヴィジョン。アレはパムですら初めて見る能力だった。しかし、流石に最強の魔法少女と称されるパムだけある。
培ってきた戦闘経験、そして、数多見てきた魔法少女達と、彼女らが使っていた固有の魔法の詳細データの蓄積。それらから、ジョニィの能力はある程度導き出せる。
先ずあの能力は、『馬に乗っていなければ発動出来ない』のだろう。それはそうだ。あんな恐ろしい力、素で放てるのならとっくに自分に放っている筈なのだ、と。
パムは考えていた。パムレベルの身体能力と反射神経の持ち主では、並大抵の馬に騎乗した程度では何の役にも立たない。
寧ろ判断のある程度を馬に委ねてしまう分、反応が遅れてしまい不利とすら言えるだろう。つまり、能力の発動条件は、厳しいと言う事になる。
では、その厳しい発動条件を満たした上で行ったあの爪弾には、どんな能力が付与されていると言うのか? これもまだ、推測の域を出ない。
が、確実に当たっているとパムは睨んでた。恐らくあの爪弾――と言うよりは、あの人型のヴィジョンか――に触れたものは、『死ぬ』。
一切の例外は、其処には無い。アレはきっと死神(ハーデス)を放つ力だ。次に繋ぐ機会、傷を癒す再生力、無限大の防御力。
それらの全てを、あの一撃は知らぬとばかりに叩き壊す。粉砕する。引き裂く。問答無用なのだ。
触れれば、機会を奪う。再生する力を焼き尽くす。果て無き防御も砕いて見せる。あの死神には、それが許されているのだ。
死を遠ざける手段が理不尽であればある程、あの死神はより上位の理不尽を叩きつけ死を齎して来る。アレはきっと、そう言う能力なのだろう。そしてそれは、人だけじゃない。物質にも等しく機能するに相違ない。だからこそ、黒羽は再生しないのである。

 初め、黒羽の一枚を再生不可能なまでに破壊された時、パムは、頭蓋の中が焼き尽くされる程の怒りを一瞬覚えた。
それも無理はない。何せ自分のアイデンティティである能力の一部を、完全に封印されてしまったのだ。そんな感情を覚えるのも当然の事だ。
だが即座に、その怒りは、ジョニィ・ジョースターと言う男への畏敬と敬服に変わった。そして、あの男を侮っていた自分への、憤りにも。

 骨の髄まで戦闘の美酒に漬かされきったパムには、戦闘と言う行為についてはある種の美学のようなものを持っている。その内の一つに、攻撃についての美学がある。
例えば、世界一つ――それこそ宇宙の全てだとか、銀河一つだとか、惑星一つだとかでも良い。それを破壊出来る威力と規模の攻撃があったとする。
その攻撃は、攻撃と言う概念の一つの完成系、究極の姿の一つと言えるだろう。言ってしまえば、強さなるものの極限とすら換言出来る。
それはそうだ、世界を一つ完膚なきまでに壊し尽くせるのだ。究極、なる言葉を冠するに相応しい事は間違いない。
しかし、それだけの規模と威力の攻撃を放っていながら、本命を殺せなかったら如何言う評価が下されるのか? 攻撃とは相手を倒し、殺す為のもの。
世界を破壊出来る力を有していながら、本当に倒すべき相手を倒せなかったのなら、それは範囲だけが徒に広く、無駄に多くの命を巻き添えにするだけの、
傍迷惑な代物以外の何物でもない。そんな攻撃を攻撃として評価した場合、パムは下の下の評価を下す。
だが――範囲や、一時に殺せる人間の数は拳銃の弾丸一つ分しかないが、『必ず一人の相手を殺せる攻撃』があったと仮定して。
その攻撃に対してパムはどんな評価を下すのかと言えば、それは――『究極』である。
目当ての相手を絶対に、何があっても、どんな手段・どんな能力を有していても、問答無用で殺せる攻撃。これを攻撃と言う物の完成系と呼ばずして、何と呼ぶ。
攻撃と言う物が、相手を倒し、殺す為の物であると言うのなら。如何なる能力や不条理、体質を抉じ開けて相手を殺せる攻撃は、至高の形の一つである。

 ――スマートな力であると、パムは思った。自分には出来ない芸当、だとも思っていた。
パムの能力は、本気を出せば出す程、殺せる蓋然性が高い攻撃をやろうとすればする程。それに比例して破壊範囲も極大の物となる。
大量破壊が可能な魔法少女。そうパムは呼ばれていた。一方で、市街地などの密集地帯では、その大量破壊が可能な力が枷となる。いらぬ破壊を招くからだ。
そんなものだから、魔王パムの本気を拝める場所は、この世界に於いては大気圏外しかないと揶揄された事もあった。そしてその揶揄は事実その通りであった。
いろいろ試行錯誤を繰り返して見たが、結局、破壊範囲と反比例するかのように威力が上がって行く攻撃は開発出来なかった。
パムは、破壊範囲と威力と言う究極は掴む事は出来たものの、絶対の殺害性能と言うもう一方の究極までは手中に収める事は出来なかった。

 ジョニィは、これを持つ。
自分が望んで已まなかったもう一方の完成系、至高にして極限のカタチの一つを手にしている。
ステータス上は自分の遥か格下、その上、超越性の欠片も感じられない平凡な風貌で、これを持つ。その事実に、パムは震えた。――嗤みを隠せない。
触れれば自分は死ぬのだぞ。レイン・ポゥはきっとそう突っ込む事であろう。確かにそうだろう。だがそれは、自分に恐怖を芽生えさせる要素に何ら育ち得ない。
掠った時点で、アウト。次はない。そんな攻撃を放ってくるのだ。スリリングで、面白かろう。パムは本気でそう考える女だった。

 あのアーチャーは、あの攻撃を得る為に。
どれだけの時間を犠牲にしたのだろう。どんな誘惑を断ち切ったのだろう。どれ程の可能性を剪定したのだろう。
辛い事のみを選び続け、楽になれる機会を捨てる事を繰り返す。それこそ、自己のメリットに繋がる全てを捨てて初めて得られる、『真の全て』。
それがあの能力なのだとパムは解釈した。戦いを司る神とは、酷くケチだ。あれ、これ、それ、どれ。全部捨てねば究極は与えない。
ジョニィはきっと、捨てたのだ。或いは、本人の意思とは裏腹に捨ててしまったのだ。後者の結果得られた強さでも、構わない。
ジョニィは、強い。アレックスも、強い。黒贄なぞ、言わずもがなだ。三名が三名とも、方向性の異なる道を極めている。つまり――三通りの遊び方が、この場で出来ると言う訳だ。

 黒羽の一つに周辺の状況を走査する機能を付与させる。少なくとも、神宮球場周辺に至るまで、まだ人は集まっていない。
今の内だった。人が集まるまでの短い時間内に、全力を出すのは――今の内であった。

「――死冬(ニヴルヘイム)」

 その一言と同時に、黒羽の一つに霜が纏わりついて行き――――――――。



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最終更新:2021年03月31日 18:23