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台湾からの6曲(日本語) - (2008/09/16 (火) 11:24:56) の1つ前との変更点

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*第四回三国合同ねとらじ 台灣の6曲 #setmenu(第4回3国合同ねとらじメニュー) *台灣からの6曲 &bold(){日本語ページ:[[日本の6曲>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/483.html]] / [[ハンガリーの6曲>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/485.html]] / [[台湾の6曲>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/487.html]]} English Page:[[Japan 6 songs>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/484.html]] / [[Hungary 6 songs>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/486.html]] / [[Taiwan 6 songs>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/488.html]] +[[如果還有明天(もし明日がまだあるのなら) / 薛岳(シュエ・ユエ)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/487.html#J01]] +[[萍聚(ピンジュイ) / 李翊君(リー・イーチュン)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/487.html#J02]] +[[流浪到淡水(淡水への旅路) / 作曲・陳明章(チェン・ミンジャン) 歌・金門王(ジン・メンワン)と李炳輝(リ・ヒンホイ)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/487.html#J03]] +[[月亮代表我的心(あの月が私の心)/ 作曲・翁清溪 歌・鄧麗君(テレサテン)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/487.html#J04]] +[[月光(布農族語版) / 王宏恩(ワン・ホンエン)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/487.html#J05]] +[[帶我去月球(私を月へ連れて行って) / 張雨生(チャン・ユーシェン)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/487.html#J06]] #aname(J01) ***如果還有明天(もし明日がまだあるのなら) / 薛岳(シュエ・ユエ) #center{#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha6428.jpg)} 台湾のロックシンガー兼プロデューサーの薛岳は1990年にがんで亡くなりました。薛岳は死の前に5thアルバム「生老病死(Life)」を企画・制作しました。彼は自身の生老病死の経験を総括し、自分とその全人生をアルバムの中ではっきりと表現しました。薛岳が己の最終的な人生を見つめ直し、彼の音楽キャリアと夢に忘れがたいエンディングを築き上げたことは疑いようがありません。 このアルバムに収録されているヒットソング「如果還有明天(もし明日がまだあるのなら)」は薛岳の晩年の代表的な作品です。曲の終盤は全力と全感情を込めて歌われています。「もし明日がまだあるのなら、あなたはどんな風に着飾りますか? もし明日がもうないのなら、あなたはどんな風にさよならを言いますか?」 この曲をあなたたち友と共有できれば幸いです。 #aname(J02) ***萍聚(ピンジュイ) / 李翊君(リー・イーチュン) #center{#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha6429.jpg)} 萍聚 (ピンジュイ):浮草が集まるさま。「萍水相逢」とも言う。見知らぬ者同士が偶然出会うことを表す言葉。 人生とは出会いと別れの繰り返しです。その経験は毎回異なる感情、異なる喜びや悲しみに彩られています。たっ た今逢ったばかりの人から去らねばならない時などには、人はこの別離と邂逅のサイクルに心乱されるのです。 人が出会い別れるさまは、浮草が近づいては離れる姿によく似ています。 #aname(J03) ***流浪到淡水(淡水への旅路) / 作曲・陳明章(チェン・ミンジャン) 歌・金門王(ジン・メンワン)と李炳輝(リ・ヒンホイ) #center{#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha6430.jpg)} 「淡水への旅路」は陳明章が1995年にビールのCMソングとして作曲し、金門王と李炳輝という二人の盲目のシンガーによって歌われています。この曲と歌手はたちまち台湾全土に知られるようになりました。 冒頭の歌詞は「縁があろうとなかろうと我らは仲間だ。飲もう、乾杯!」と言っています。 この曲は第9回ゴールデン・メロディ・アワード・ポップス部門の最優秀作曲家賞を受賞しました。 2003年11月29日には、台北県はこの曲を淡水を象徴する曲として、淡水埠頭のラヴァー・ブリッジにある石碑に刻みました。 惜しいことに2002年5月4日の晩に金門王はラジオ放送局に向かう途中で倒れ、49歳にして亡くなりました。 「淡水への旅路」を聞いて、濃厚で素朴な郷土音楽を堪能して下さい。 #aname(J04) ***月亮代表我的心(あの月が私の心)/ 作曲・翁清溪 歌・鄧麗君(テレサテン) #center{#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha6431.jpg)} 「あの月が私の心」ほど長い間人々の心に生き続けている歌はそうありません。この歌は中華系のコミュニティで35年間も歌われ続けています。 多くの中国人はこの歌はテレサテンが歌っていることを知っています。しかし彼らのほとんどはオリジナルの歌手がテレサではなく陳芬蘭であることを知りません。 作曲者の翁清溪はこの曲について、「これは私がヒューストンに留学していた頃に孤独を感じた経験を元にしている」と語っています。彼は当時38歳でした。彼は近くの公園によく散歩に出かけていたのですが、幸せそうな恋人たちを目にすると、見知らぬ土地に一人でいることに寂しさを覚えたといいます。。このような背景があったために、この曲は濃厚な愛ではなく旅人の寂しさや移り行く年月について歌われています。 彼が台湾に帰国したあと、この曲はLeico Record社に提供され、陳芬蘭のアルバム「夢郷」に収録されました。その後テレサがこの曲を聴き、自分にぴったりだと考えました。これ以前にこれほど有名になる曲があると想像した人はいなかったと思います。そして、台湾、香港、日本やそれ以外から少なくとも80人のアーティストがこの曲を歌ったとされています。また、30曲以上のインストアレンジが存在しています。 >あなたは私がどんなに深くあなたを愛しているか、 >どんなに私の愛情が強いかを尋ねる > >私の想いは真実です >私の愛は変わりません >あの月が私の心 > >あなたは私がどんなに深くあなたを愛しているか、 >どんなに私の愛情が強いかを尋ねる > >私の情熱は本物です >私の愛は確かです >あの月が私の心 > >優しいキスで天国にも行ける >あなたと私のラブストーリー >今でもはっきり思い出せる > >よく考えて >見上げてみて >あの月が私の心 参考リンク: http://baike.baidu.com/view/339037.htm#4 http://baike.baidu.com/view/339037.htm#5 #aname(J05) ***月光(布農族語版) / 王宏恩(ワン・ホンエン) #center{#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha6432.jpg)} 王宏恩は台東の布農族出身、創造的な歌手である。彼は布農族の言葉や中国語を用いて、数多くの歌を書いた。一本のギターと生来の透き通った歌声だけを使って、彼は私たちに真なる歌を聞かせてくれる。 音楽の道をすすむため彼が家を去る前夜、彼の祖母は彼を裏庭に呼び出して告げた。「孫よ、おまえにプレゼントがある」。祖母は空の月を指差してこう言った。「おまえにあの月をあげよう。おまえがどこにいたって、月はあそこにある。もしおまえが困難に直面したら思い出すんだ。ただ月を見上げればいい。月の光を通じて、私たちの祈りはおまえとともにあるんだよ」。 この愛すべき祖母のために、王宏恩はこの曲『月光(Ana tupa tu)』を布農語で書いた。祖母からの特別な贈り物と祝福を分かち合うために。“たとえ道に迷ったとしても、幸せを感じよう いつも月の光が私たちとともにあるのだから” #aname(J06) ***帶我去月球(私を月へ連れて行って) / 張雨生(チャン・ユーシェン) #center{#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha6433.jpg)} この曲「私を月へ連れて行って」は、Tom Chang(張雨生)が兵役を終えたときのアルバムに収録され、彼の3rdアルバムです。このプロモーション・クリップは、1992年のAmerican Video Awardsでアジア代表に選ばれました。歌詞には中国の李白による有名な詩「將進酒」が入っています。歌詞はまた、兵役の辛い想いからどれほど逃れたかったかについて歌っています。この曲は、ロックとクラシックな交響曲を織り交ぜ、クラシックと現代音楽にまたがる最高の作品となっています。さあお聴きください。「私を月へ連れて行って」 ----
*第四回三国合同ねとらじ 台灣の6曲 #setmenu(第4回3国合同ねとらじメニュー) *台灣からの6曲 &bold(){日本語ページ:[[日本の6曲>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/483.html]] / [[ハンガリーの6曲>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/485.html]] / [[台湾の6曲>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/487.html]]} English Page:[[Japan 6 songs>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/484.html]] / [[Hungary 6 songs>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/486.html]] / [[Taiwan 6 songs>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/488.html]] +[[如果還有明天(もし明日がまだあるのなら) / 薛岳(シュエ・ユエ)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/487.html#J01]] +[[萍聚(ピンジュイ) / 李翊君(リー・イーチュン)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/487.html#J02]] +[[流浪到淡水(淡水への旅路) / 作曲・陳明章(チェン・ミンジャン) 歌・金門王(ジン・メンワン)と李炳輝(リ・ヒンホイ)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/487.html#J03]] +[[月亮代表我的心(あの月が私の心)/ 作曲・翁清溪 歌・鄧麗君(テレサテン)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/487.html#J04]] +[[月光(布農族語版) / 王宏恩(ワン・ホンエン)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/487.html#J05]] +[[帶我去月球(私を月へ連れて行って) / 張雨生(チャン・ユーシェン)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/487.html#J06]] #aname(J01) ***如果還有明天(もし明日がまだあるのなら) / 薛岳(シュエ・ユエ) #center{#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha6428.jpg)} 台湾のロックシンガー兼プロデューサーの薛岳は1990年にがんで亡くなりました。薛岳は死の前に5thアルバム「生老病死(Life)」を企画・制作しました。彼は自身の生老病死の経験を総括し、自分とその全人生をアルバムの中ではっきりと表現しました。薛岳が己の最終的な人生を見つめ直し、彼の音楽キャリアと夢に忘れがたいエンディングを築き上げたことは疑いようがありません。 このアルバムに収録されているヒットソング「如果還有明天(もし明日がまだあるのなら)」は薛岳の晩年の代表的な作品です。曲の終盤は全力と全感情を込めて歌われています。「もし明日がまだあるのなら、あなたはどんな風に着飾りますか? もし明日がもうないのなら、あなたはどんな風にさよならを言いますか?」 この曲をあなたたち友と共有できれば幸いです。 #aname(J02) ***萍聚(ピンジュイ) / 李翊君(リー・イーチュン) #center{#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha6429.jpg)} 萍聚 (ピンジュイ):浮草が集まるさま。「萍水相逢」とも言う。見知らぬ者同士が偶然出会うことを表す言葉。 人生とは出会いと別れの繰り返しです。その経験は毎回異なる感情、異なる喜びや悲しみに彩られています。たっ た今逢ったばかりの人から去らねばならない時などには、人はこの別離と邂逅のサイクルに心乱されるのです。 人が出会い別れるさまは、浮草が近づいては離れる姿によく似ています。 #aname(J03) ***流浪到淡水(淡水への旅路) / 作曲・陳明章(チェン・ミンジャン) 歌・金門王(ジン・メンワン)と李炳輝(リ・ヒンホイ) #center{#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha6430.jpg)} 「淡水への旅路」は陳明章が1995年にキリンビールのCMソングとして作曲し、金門王と李炳輝という二人の盲目のシンガーによって歌われています。この曲と歌手はたちまち台湾全土に知られるようになりました。 冒頭の歌詞は「縁があろうとなかろうと我らは仲間だ。飲もう、乾杯!」と言っています。 この曲は第9回ゴールデン・メロディ・アワード・ポップス部門の最優秀作曲家賞を受賞しました。 2003年11月29日には、台北県はこの曲を淡水を象徴する曲として、淡水埠頭のラヴァー・ブリッジにある石碑に刻みました。 惜しいことに2002年5月4日の晩に金門王はラジオ放送局に向かう途中で倒れ、49歳にして亡くなりました。 「淡水への旅路」を聞いて、濃厚で素朴な郷土音楽を堪能して下さい。 #aname(J04) ***月亮代表我的心(あの月が私の心)/ 作曲・翁清溪 歌・鄧麗君(テレサテン) #center{#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha6431.jpg)} 「あの月が私の心」ほど長い間人々の心に生き続けている歌はそうありません。この歌は中華系のコミュニティで35年間も歌われ続けています。 多くの中国人はこの歌はテレサテンが歌っていることを知っています。しかし彼らのほとんどはオリジナルの歌手がテレサではなく陳芬蘭であることを知りません。 作曲者の翁清溪はこの曲について、「これは私がヒューストンに留学していた頃に孤独を感じた経験を元にしている」と語っています。彼は当時38歳でした。彼は近くの公園によく散歩に出かけていたのですが、幸せそうな恋人たちを目にすると、見知らぬ土地に一人でいることに寂しさを覚えたといいます。。このような背景があったために、この曲は濃厚な愛ではなく旅人の寂しさや移り行く年月について歌われています。 彼が台湾に帰国したあと、この曲はLeico Record社に提供され、陳芬蘭のアルバム「夢郷」に収録されました。その後テレサがこの曲を聴き、自分にぴったりだと考えました。これ以前にこれほど有名になる曲があると想像した人はいなかったと思います。そして、台湾、香港、日本やそれ以外から少なくとも80人のアーティストがこの曲を歌ったとされています。また、30曲以上のインストアレンジが存在しています。 >あなたは私がどんなに深くあなたを愛しているか、 >どんなに私の愛情が強いかを尋ねる > >私の想いは真実です >私の愛は変わりません >あの月が私の心 > >あなたは私がどんなに深くあなたを愛しているか、 >どんなに私の愛情が強いかを尋ねる > >私の情熱は本物です >私の愛は確かです >あの月が私の心 > >優しいキスで天国にも行ける >あなたと私のラブストーリー >今でもはっきり思い出せる > >よく考えて >見上げてみて >あの月が私の心 参考リンク: http://baike.baidu.com/view/339037.htm#4 http://baike.baidu.com/view/339037.htm#5 #aname(J05) ***月光(布農族語版) / 王宏恩(ワン・ホンエン) #center{#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha6432.jpg)} 王宏恩は台東の布農族出身、創造的な歌手である。彼は布農族の言葉や中国語を用いて、数多くの歌を書いた。一本のギターと生来の透き通った歌声だけを使って、彼は私たちに真なる歌を聞かせてくれる。 音楽の道をすすむため彼が家を去る前夜、彼の祖母は彼を裏庭に呼び出して告げた。「孫よ、おまえにプレゼントがある」。祖母は空の月を指差してこう言った。「おまえにあの月をあげよう。おまえがどこにいたって、月はあそこにある。もしおまえが困難に直面したら思い出すんだ。ただ月を見上げればいい。月の光を通じて、私たちの祈りはおまえとともにあるんだよ」。 この愛すべき祖母のために、王宏恩はこの曲『月光(Ana tupa tu)』を布農語で書いた。祖母からの特別な贈り物と祝福を分かち合うために。“たとえ道に迷ったとしても、幸せを感じよう いつも月の光が私たちとともにあるのだから” #aname(J06) ***帶我去月球(私を月へ連れて行って) / 張雨生(チャン・ユーシェン) #center{#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha6433.jpg)} この曲「私を月へ連れて行って」は、Tom Chang(張雨生)が兵役を終えたときのアルバムに収録され、彼の3rdアルバムです。このプロモーション・クリップは、1992年のAmerican Video Awardsでアジア代表に選ばれました。歌詞には中国の李白による有名な詩「將進酒」が入っています。歌詞はまた、兵役の辛い想いからどれほど逃れたかったかについて歌っています。この曲は、ロックとクラシックな交響曲を織り交ぜ、クラシックと現代音楽にまたがる最高の作品となっています。さあお聴きください。「私を月へ連れて行って」 ----

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