◆◇◆◇


 澄み切った空に、正午の日が昇る。
 青々とした天井の下で、市街地が広がる。
 鉄とコンクリートで覆われた世界に、遍く光が射す。 
 大都市、東京都――渋谷区近辺。
 時刻は正午過ぎ、空は雲一つない快晴。

 街の情景を見渡せる位置に建つ、一軒のビル。
 その屋上に、鎮座する男が一人。
 男は、静かなる威厳に満ちていた。
 瞼を閉じ、皺を刻んだ顔で沈黙し。
 神妙な面持ちで、“何か”を感じ取っている。
 瞑想する僧のように、彼はその場に佇む。

 まるで、“座する雄牛(シッティング・ブル)”のようだった。
 その男は、祈祷師であり。大戦士であり。
 かつて、広大なる“西部の荒野”を生きた英霊だった。

 その男は、霊的な資質に長けていた。
 “大いなる神秘”――“大自然”の精霊からの啓示を受け取る力を持っていた。
 瞑想を行い、偉大な精霊達と接続することで、彼は幻視を得ることが出来る。
 来たるべき運命。待ち受ける未来の予知。

 ――それは、必ずしも決まりきったものではない。
 全てを見通す万能の力ではなく、あくまで“導線の一つ”を見出すのみ。
 数々の神秘が跋扈するこの地においては、幾らでも不確定要素が存在する。

 されど、彼はかつて預言してみせた男だ。
 “第7騎兵連隊”の壊滅を、彼は見通したのだ。
 この男もまた、一人の英傑なのである。

 そうして、彼はゆっくりと、目を開く。
 何かを悟ったように、空を見上げる。

 そんな男の様子を、一人の少女が傍で見守っていた。
 金色の髪を靡かせ、口には火を付けた煙草を咥えている。
 微かな煙が昇る中で、男が口を開く。

「……天より遣われし、鷲が告げた」

 男は授かった啓示を、言葉として紡ぐ。

「“宿縁”が、待ち受けている」

 待ち受ける運命を、少女に語るように。

「それだけではない」

 そして、彼は目を細めながら、視線を落とす。

「我々と同じ、“奪われし者”がいる」

 まるで、そのことの意味を噛み締めるように。
 そうして彼は淡々と、その場から立ち上がる。

「――往くぞ、悠灯よ」


◆◇◆◇


 栄誉を求めて。
 救いを渇望して。
 未来に焦がれて。
 希望を探して。
 人は、星を見上げる。
 人は、星に手を伸ばす。

 星を見失ったとき。
 人は、堕天へと向かう。


◆◇◆◇


 この日は、久々に昼間から予定が空いていた。
 通っている学校も、休校になって久しかった。
 だから、こうして外に出ることにした。
 目的なんてものは、特にありはしない。
 ただ何となく、街中でもほっつき歩きたくなっただけだった。

 家でゆっくりと過ごす気にはなれなかった。
 どうせ、いつもの癖でスマートフォンでも眺めてしまうから。
 普段の習慣でSNSをチェックして、また負の感情を見つめることになると思ったから。

 姿形の見えない誰かが、“私”について噂をしている。
 反論も弁明も無視して、“私”の根も葉もない話を垂れ流している。
 実態のない“私”の罪を糾弾して、誹謗中傷に明け暮れている。

 そんなものを目の当たりにし続けるくらいなら、外に出た方がましだと思った。
 少なくとも顔の見えない誰かよりも、生身の人間の方がまだ優しい。
 パパラッチの目も怖かったけれど、気晴らしを優先した。
 背後を気にしていようが、気にしていまいが、どうせ勝手に何か書かれるからだ。

 アイドル、輪堂天梨。
 〈Angel March〉のセンター。
 そして、聖杯戦争のマスター。
 彼女はいま、憂鬱と葛藤のはざまにいる。

 自らの従者であるアヴェンジャーは、傍にはいない。
 何か気になることがあって、偵察しに行くとか。
 そんなことを言っていたのは天梨も覚えている。

 誰も殺さないように――彼はきっと、約束を守り続けるだろう。
 例え自分が見張っていなくても、あの悪意の塊は“楽しみ”を最後まで持ち越すことを望む。
 だから彼を野放しにしても、不用意な殺戮は行わないと。
 天梨は、そう思うことにしていた。
 そんな理屈をつけて、あの復讐者と距離を置く口実を作っていた。

 彼が、あの哀しい悪魔がずっと傍にいたら。
 きっと自分は、何もかも耐えられなくなる。
 憎悪と怨嗟に引き摺り込まれて、真っ黒に染め上げられる。
 だから、せめて今だけでも一人になりたい。
 世間の悪意からも距離を置いて、一人で過ごしたい。

 大衆の目線を集める偶像は、ほんの僅かな間だけ、孤独になった。
 それは彼女にとって、ひとときの安らぎだった。

 大規模な繁華街から離れた、静かな商店街を歩く。
 都内屈指の大都市である渋谷区の中にも、こういった場所は幾つも存在する。
 すれ違う人は疎らで、自分の顔を見ても素通りするだけ。
 帽子やサングラスなんかを使っての“軽い変装”だったけれど。
 “主役”として天性の素質を持つ天梨は、今だけ大衆に埋もれる“端役”に成り済ましていた。

 先も述べたように、何かやる予定とか、目的地とか。
 そういったものは、特にはなかった。
 ただ適当に青い空でも見上げて、陽の光を浴びながら、ふらふらと歩く。
 外の空気を吸って、気分転換をする。それだけで十分だった。

 ――アヴェンジャーによれば、今は例の“蝗害”も目に見えて沈静化しているらしい。
 だから、突発的な襲来とかに見舞われる心配も薄い、と思う。
 そんなふうに天梨は、可能な限りの希望的観測を行う。
 とにかく今は、せめて今だけでも、しがらみを忘れて一人になりたかった。

 街の雑踏に紛れて、ぽつぽつと歩いて。
 苦悩を棚の奥底にしまって、束の間の自由を噛み締める。
 スポットライトも、世間の目も、今だけは浴びることはない。
 今だけは、天使でも、堕天使でもなく、ほんとうにただの人間。
 何も考えずに、静かに過ごしたい。

 だからこそ、こんな些細なミスをしてしまったのだろう。
 天梨は、改めてそんなことを思った。




「落としましたよ」

 唐突に、背後からの呼び声。
 透き通るような、きれいな声だった。
 ぼんやりとしていた天梨は、思わずぎょっとしてしまう。

「――あれ」

 背後の誰かが、何かに気づいたように呟く。
 天梨が振り返ってみると、そこにいたのは“きれいな人”だった。
 ボーイッシュな黒髪のショートヘアに、アイドル顔負けのルックス。
 一瞬“男の人”と誤解しそうになり――その相手が、すぐに女性であることに気づく。
 まるで王子様か何かのような美貌の持ち主だった。

「〈天使〉さん……ですよね?」

 その秀麗な女性――伊原薊美は、天梨の顔を見つめながら呟いた。
 彼女がその手から差し出していたのは、天使を模したキャラクターのキーホルダー。
 天梨が鞄に付けていた飾りが、いつの間にか解けて落ちていたらしい。
 それを偶々拾って、天梨を追いかけて、という形だった。

「え」
「私の後輩に〈Angel March〉が好きな娘がいて……」

 薊美は、まじまじと天梨の顔を見つめながら言う。
 天梨は思わず、呆気に取られてしまった。
 ここまで誰にも気づかれなかった中で、思わぬ方向からの不意打ちだった。

「あ……どうもです」

 ――我ながら、素人みたいな返事をしてしまった。
 ぼんやりとお礼を告げてから数秒後にはもう、天梨はそんなことを思っていた。

 ファンや業界の人達からは、未だに持て囃されているけれど。
 “見知らぬ人”から面と向かってこういうことを言ってもらえるのは、随分と久しぶりだった気がした。
 最近はずっと――“画面の向こう側”の悪意にばかり触れていたから。




 その後輩はユニットの初期メンが推しで、例の炎上騒動で強いショックを受けていて。
 そして、後から入ってきたのにユニットの顔役になっていた輪堂天梨に、言い知れぬ不快感を抱いていた。
 ハッキリとは口に出さなくとも、その後輩も輪堂天梨こそが“不祥事の火元”であると信じている様子だった。
 アイドルに疎い薊美だが、それに関しては妙に記憶に残っていた。

 数多の才能を踏み潰してきた薊美にも、そのことを当の本人に伝えないだけの情けはあった。
 それは優しさというより、単なる一般的な良識だった。

 偶像の天使、輪堂天梨。
 茨の王子、伊原薊美。
 二人の少女は、互いに朧げな興味と好感を抱いていた。

 “他者を魅了し、認識や思考を誘導する魔術”。
 その方向性、その規模に差異はあれど。
 少女達は奇しくも同じ系統の異能を備えていた。

 天梨の場合は、常時における無意識の発動として。
 薊美の場合は、それに触発された反射的な行使として。
 彼女達は互いにごく小規模の“魅了”を使い、結果として警戒心を解き合うことになった。

 この都市の片隅で、二人のマスターは邂逅を果たす。
 それはほんのささやかで、何てことのない出会いだった。


◆◇◆◇


 そこは、巨大な灰色の空に覆われていた。
 吊り屋根の天井によって遮られ、陽の光は届かず。
 顔を上げても、澄んだ青色のひとつも見えやしない。
 その場を照らすのは、無数の照明だった。
 人の手で作られた光が、閉ざされた空間に明かりを齎していた。

 周囲には、無数の座椅子が並ぶ。
 広大な敷地をぐるりと囲うように、観客席が揃えられている。
 一階と二階。二段式の座席。大規模収容が可能な会場である。
 その中央には、広々とした競技用のアリーナ空間。
 全国的なスポーツの競技会からアーティストのライブまで、様々な催しで使われる。

 国立代々木競技場、第一体育館。
 この大規模なアリーナも、今はもぬけの殻となっていた。

 箱庭の東京で巻き起こっているのは、度重なる“蝗害”。
 突如として現れた飛蝗の群れが各所を襲い、甚大な被害を与えているという事態。
 それにより都内各所で多くの催事が縮小、または中止を余儀なくされている。
 出処も原因も分からない“蝗害”は、社会に確かな混乱を齎し続けている。 

 その余波は当然、この国立競技場にも及んでいた。
 都内屈指の大規模施設であるが故に、多くのイベントが予定されていた。
 今となっては、大半の催しが再開の見通しが立たぬまま白紙となっている。
 結果として残されたものは、伽藍堂となった競技場である。

 無人となったアリーナの中央。
 其処に、一人の青年が立ち尽くす。

 橙色の長髪を、後ろ髪で一本に纏めて。
 整った美貌に、すらりとした体躯を持ち。
 その身を、北方の民族衣装で包み込んでいる。
 それは――妖しげな色香を持つ、美青年だった。

 その気になれば、異性を誑かすことも容易いであろう。
 それほどに眉目秀麗な面持ちであるにも関わらず。
 忽然と立つ姿からは、まるで陽炎の如く“熱”が揺らいでいた。

 主人たる偶像の少女は、彼に“地獄”を見た。
 おぞましく燃え滾る、憎悪の毒を感じ取った。
 この麗しき青年は、怨嗟の亡霊だった。
 その柔和な顔の裏側に、負の情動を孕んでいた。

 彼は、怨恨に駆られた復讐者だった。
 悪意によって非業の死を遂げ、呪いへと成り果てた。
 その怒りは、恨みは、無尽蔵の毒素として溢れ出す。
 ――英傑ではなく、穢れし神として堕ちるほどに。

 アヴェンジャーのサーヴァント。
 その名を、シャクシャインと呼ぶ。
 北の大地で反抗の戦いに臨んだ、偉大な戦士だった男。
 卑劣な謀略によって陥れられ、怨霊へと堕落した怪物。

 彼は、“気配”を追跡していた。
 この辺りから漂う、魔力の匂いを辿っていた。
 ただの使い魔か。あるいは、英霊か。
 答えは明確ではないが――その“気配”が特に色濃くなった地点で、待ち構えていた。
 この近くに存在する“何者か”を誘い出すべく。

 シャクシャインは、その気配を追わざるを得なかった。
 その匂いは、何よりも忌まわしく、煩わしかったから。
 見過ごすには、余りにも悪臭に満ちていたから。
 それが何なのか、何故鼻に付くのか、彼には分からない。
 だからこそ、気配を辿ることを選ぶほか無かった。

 気配は、近い。
 匂いは、すぐ傍にある。
 奇妙な感覚が、怨霊の思考を刺激する。
 ああ、近い。近い、近い、近い。
 やってくる。この匂いの主が。
 すぐ其処に、やってくる――。


「いやはや――これは、匂うな!!」


 何処からか、声が響いた。
 威風堂々とした、勇ましき声だった。


「“気高き野生”の匂いだ!!」


 ――そうら、高らかなる登場だ。
 ――“西部の英雄(ジョン・ウェイン)”が、やってきたぞ。

 そう言わんばかりに、声を張り上げて。
 “騎兵の英霊”――ライダーが、客席から悠々と姿を現した。

「あの“口笛”の気配を辿って、この辺りを探っていたものだが――」

 鍔広のハットが目を引く青色の軍服。
 カールの掛かった金髪に、きっちりと整えられた口髭。
 首元には赤いスカーフを巻き、軍服の各所に刺繍による装飾が施されている。
 がっしりとした体格の、堂々たる白人男性だった。

 騎兵隊のライダー。
 米国軍人。星条旗の使徒。
 その名を、ジョージ・A・カスター。

「懐かしい感覚だ!!黄色人種の国にも、このような者共が居たとは!!」

 現れた英霊を、目を細めて睨むシャクシャイン。
 訝しむような感情を、その瞳に宿している。
 背筋を伸ばし、誇らしげに立ち、不敵に笑う騎兵。
 そんな眼前の相手を、シャクシャインは不快感と共に見据える。

 カスターはシャクシャインを前に、わざとらしく驚いた様子を見せる。
 舞台俳優のように大袈裟な素振りと言動を取って、相対した英霊を見定める。
 自信に満ちて、何処か傲岸にも見える、得意げな眼差しだった。

 シャクシャインは、ぴくりと笑いもしない。
 悪意と憎悪に満ちた笑みを、浮かべやしない。
 無表情。真顔のまま、騎兵を見つめる。

 その騎兵は、白い肌の異人――即ち、忌まわしき和人(シャモ)ではない。
 憎むべき犬畜生どころか、ただの足元に転がる端役の石ころでしかない。
 和人死滅。聖杯に託す願いの過程に立ちはだかる、煩わしい虫螻に過ぎない。

 だというのに、この感情は何なのだ。
 神経を掻き乱すような違和感の正体は、一体何なのか。
 シャクシャインの胸中に、吐き気のような感覚が渦巻く。
 喉奥から何かを吐き出しそうになる、そんな異物感を覚える。

「さて、そこの君!ひとつ断っておくが――」

 その疑問は、すぐに晴れることになる。
 騎兵の態度が、全ての答えを解き明かす。

「私は“狩り”には慣れているのだよ。
 それも、君のような者を狩ることにはな」

 騎兵は、飄々とした様子で語る。
 分かり切ったような態度で、不敵に言葉を並べ立てる。

 青き騎兵は、まるで“見知ったもの”を見るように復讐者を眺める。
 君のような輩はよく知っているし、何度も見ている――そう言わんばかりだった。
 騎兵は顎に手を当て、目を細めたり丸くしたりしながらシャクシャインを観察していた。

 侮蔑のような、嘲りのような。
 あるいは、警戒のような。
 蔑みと慄きという、相反する感情。
 それらの入り混じった視線が、シャクシャインへと向けられている。

 ――忌まわしい過去が、脳裏で何度も反響する。
 ――忌まわしい最期が、脳髄を幾度も刺激する。

 かつても同じように、あんな眼差しを向けられた。
 忌避と軽蔑を吐き捨てられ、欺かれたことがあった。
 思い返すだけでも、腑が煮え繰り返るような衝動に駆られる。

 血潮にも似た殺意の濁流が、理性に堰き止められている。
 今か、今かと、その時を待ち侘びている。
 未だだ。未だ、愉しみはこれからだ。
 全てを塵芥の肉塊へと変えるのは、未だ先のことだ。
 あの〈天使〉が堕ちる日に、馳走として味わうのだ。

「君、“先住民”だろう?その出で立ち、それに匂いで分かる」

 ――ああ、それでも。
 澱んだ狂気は、微かにでも溢れ出している。
 眼前の敵を前に、禍々しく迸っている。
 シャクシャインの怨嗟に、火が燈されていく。

「私は君達のような人種を憐れむ。
 されど、情けを掛ける気はない。
 慈悲にはさして意味など無いからな」

 かつて英雄だった、穢れし復讐者。
 彼の口元に、次第に笑みが零れる。
 したり顔で語る騎兵を前に、濁った嗤いが漏れ出す。

「人間は分かり合えたとしても、理念は決して相容れない。
 ただ異なる大義が激突し、勝った側が最後に神の威光へと触れるのみだ。
 それが“歴史”というもの。感傷とは実に麗しいが、文明が繰り返してきた営みに比べれば矮小と言っていい」

 騎兵は語る。己の思う理念を。
 人間が繰り返してきた業と摂理を。
 ――されど、そんなものは“穢れし神”には関係ない。
 シャクシャインに、彼の理屈は届かない。
 興味もなければ、共感もしない。

「……御託を並べて、満足したかい?」

 若々しく、端正な顔が、けたけたと歪む。
 シャクシャインの表情に、蔑むような嘲笑が張り付く。

「口八丁で虚勢を張り、勇んだ面構えの裏側では蔑みばかりを考え――」

 シャクシャインは、よく見知っている。

「挙句の果てに、欺く為なら己の誇りさえも捨てられる」

 そういった傲慢さを、よく覚えている。

「俺はそういう糞袋共をよく知っているんだ。
 幾ら悟った口で語ろうが、畜生の腐臭は決して拭えない」

 憎しみを抱き、殺意を研ぎ澄まし、自らを死毒で蝕むまでに。
 彼という英霊は、怨讐によって雁字搦めになっている。

「君からも酷く匂うね。反吐が出そうな程だよ」

 だからこそ、シャクシャインは吐き捨てる。
 未だ碌に血肉を喰らわせていない“妖刀”を握り締めて。
 眼前の騎兵を、確固たる“敵”として捉える。

 そしてカスターもまた、相手の殺意を悟り。
 高慢に胸を張りながら、腰の拳銃へと手を掛ける。
 さあ、ダンスの始まりだ。舞踏会の時間だ。


「なぁ――“侵略者(ウェンペクル)”」
「“開拓者(パイオニア)”と呼び給え」


 どちらも、同じように。
 荒々しく踊ることには、慣れている。
 特に、“狼との舞踏(ダンス・ウィズ・ウルブズ)”には。


◆◇◆◇


 古びた遊具が置かれた、小さな公園。
 屋根代わりのような樹々の下には、小さなベンチが置かれており。
 そこに二人の少女が、横並びに腰掛けていた。
 近場にあった自販機の飲み物――薊美がカフェオレを買った流れで、天梨も流れでカフェオレを買った――を一緒に嗜みながら、談笑の一時を過ごす。

 輪堂天梨。伊原薊美。
 二人は、この街の片隅で語らう。

 お話しませんか。そう提案したのは、天梨の方だった。
 大した理由はなかった。ただ何となく、特に予定も目的もなかったから。
 ふいに話し掛けてくれた相手に、ぼんやりと興味を抱いたから。
 誘った動機は、さして深い意味のない、ちょっとした気まぐれだった。

 そうして薊美はすんなりと、快く誘いを受け入れたのだ。
 可愛らしいお嬢様からの誘いから、喜んで――そんな王子様みたいな台詞を吐きながら、天梨と一時を過ごすことを選んだ。

 ファーストコンタクトでお互いへの朧げな好感を抱いていた二人は、それぞれ円滑に自己紹介を済ませてた。
 アイドルになったきっかけ。演劇に目覚めたきっかけ。
 当たり障りのない程度の身の上話。趣味の話、ささやかな世間話、エトセトラ――。
 何気ない会話を交わし合い、二人は緩やかに打ち解けていった。
 何となくだけれど。ちょっとした出会いから話が弾んで、気を許している部分があった。

「私が今けっこうアレなことって、知ってます?」
「うん。後輩の子も言ってた」

 だから天梨は何気なく、そんな話を振ってみた。
 薊美はなんてこともなしに、微笑みと共に応える。
 ――まあ、そりゃそうだよね。
 天梨はそんなことを思う。
 〈Angel March〉のファンなら最早知ってて当然だし、そんな後輩を持つ彼女なら把握してても不思議じゃない。
 何とも言えぬ思いを抱きつつ、天梨は虚空を見つめる。

 ほんの僅かな沈黙。
 ほんの少しだけ、微妙な空気。
 そんな僅かな合間の中で。
 偶像の天使は、一息をつく。

「……私、アイドルが好きです」

 そして、天梨はぽつりぽつりと呟き始める。
 自らの胸の内の想いを、静かに吐き出す。
 初対面の人に、こんな話をするのも変だと思ったけれど。
 寧ろ自分と距離のある相手だからこそ、天梨は何処か気負わずに言葉を紡ぐことができた。

「みんなのために歌って踊るのって、すごく楽しくて」

 輪堂天梨は、いつだって誰かに好かれていた。
 人に優しくして、自然体に振る舞うだけで、彼女は周囲からの好意を得ていた。

「ファンの声援とか、サイリウムの光とか。
 そういうのが返ってくると、気持ちが満たされて」

 そんな彼女にとって――アイドルとの出会いは、運命に等しかった。
 誰かのために舞台の上に立って、笑顔を振りまいて、優しい幸せを届けていく。
 自分が頑張ることで、ファンの皆を幸せにすることができる。
 そうしてファンもまた、自分の頑張りに暖かな声援で応えてくれる。

「なんていうか、こう、すっごく――キラキラしてるんです」

 天梨は、この仕事が好きだった。
 誰かを笑顔で繋ぐ、アイドルが好きだった。
 だから彼女は束の間、目を輝かせて語る。

「ずっと頑張っていたいし、ずっと笑顔でステージに立ちたい。
 私はそう思って、アイドルやってきました」

 他人のために、歌い踊って。
 他人のために、笑顔を見せて。
 舞台の上で、偶像として立ち続ける。
 その意味で、彼女は間違いなくアイドルだった。

「けれど……」

 ――それでも。
 彼女は、万人に光を届けられる“星”ではなく。
 全てを照らすような、眩い“天使”でもない。
 故に、その瞳の輝きに、陰りが現れる。

 周囲から、どれだけ持て囃されようと。
 輪堂天梨は、ひとりの人間だった。
 可憐さと才能を持ち合わせただけの、17歳の少女だった。

 天梨は、それ以上は語らなかった。
 胸の内に抱える葛藤は、言葉にしなかった。
 ――相手もきっと、既に分かっているから。

 〈Angel March〉のスキャンダル。
 メンバー複数名がファンの男性と個人的に交流し、その噂は天梨にまで飛び火した。
 彗星の如く現れた天梨への嫉妬や嫌悪から、根も葉もない虚言が垂れ流された。

 どれだけ否定しようと、どれだけ弁明しようと、風評は一人歩きしていく。
 何一つ覚えのない白眼視が、天梨へと向けられる。
 悪意の眼差しと、不信の追及が、少女をじわりじわりと苛んでいく。
 そして――あの復讐者(アヴェンジャー)もまた、彼女を地獄へと手招きし続ける。

 どうして、こんなことになってしまったんだろう。
 天梨は、そう思い続ける。
 どうして、取り返しがつかなくなってしまったんだろう。
 天梨は、苦悩と葛藤を背負う。

 ただ、アイドルでいたかっただけなのに。
 その想いに応えてくれる者は、何処にもいなくて。
 それが辛くて、苦しくて――。

「伊原さんは、こういうとき」

 だからこそ、会話の流れで。

「どうするのかな――って」

 そんなことを、ふいに問い掛けてしまったのだろう。
 天梨は、誰かの“答え”が欲しかった。。
 自分の苦悩に対する道標を、ささやかに打ち解けた少女に求めた。
 薊美は、天梨の問い掛けに少しだけ考えた素振りを見せてから――微笑みと共に口を開く。

「私なら、みんな黙らせるかな」
「めっちゃ率直だ」

 ――思いのほか素直な意見に、思わず天梨はぼやいてしまった。
 薊美は、相変わらず涼しげな顔を見せている。

「だって、ずっと足を引っ張られてたら――」

 けれど、そんな表情から吐き出される言葉には。
 確かな矜持のようなものと、闘志にも似た“自己”が垣間見えた。

「歩けないままだからね」

 そうして薊美は、さらりと語り続ける。

「だから振り払うよ。それで、みんなプチっと潰す」

 笑顔のままに――我を突き通す、暴君のような“答え”を。
 そんな薊美の言葉に、思わず天梨は目を丸くする。
 ぽかんとしたように。それでいて、思うところがあるように。
 天梨は、薊美の整った顔を、まじまじと見つめる。

「ねえ、伊原さん」
「うん?」
「爽やかに見えて、けっこう武闘派?」
「いやいや、自分らしく生きているだけ」

 どこか冗談めかしく言う薊美。
 その一言に、天梨は何となく笑いが溢れてしまった。
 自分らしく――色んな意味で率直な姿勢に、思わず笑ってしまう。
 そんな天梨の笑みに釣られるように、薊美も軽く笑いを見せていた。

 束の間の談笑。束の間の語らい。
 お互いに、何だか不思議な気持ちだった。
 見知ったばかりの相手と、こうして奇妙な一時を過ごしている。

 そのことを改めて自覚したのか。
 薊美もまた、笑みを見せた後に、自らの思いを呟き始めた。

「私は……誰かに、自分を枯らされたくない」

 薊美は、ふいに空を見上げた。

「枯れる花で、終わりたくない」

 此処ではない、何処か遠くを見つめるように。

「星になって、皆の心に焼き付けたい」

 自らの意志の断片を、側にいる少女へと語る。

「目が眩むくらいの光を」

 天梨が偶像であるように。
 薊美もまた、舞台に立つ者だった。
 だからこそ、“輝くこと”への想いを抱いていた。
 その感情は――あの“脱出王”との出会いを経て、更に強くなっている。

「……届くかなぁ」

 そんなふうに、ぽつりと呟いて。
 薊美は空へと向かって、右手を伸ばした。

 青い景色。その彼方――眩い太陽。 
 燦々と輝く光に目を細めながらも、まるで憧れを抱くように。
 そして、いつか“それ”を掴むことを望むように。
 彼女は、じっと遠い空の向こう側を見据えていた。

 そんな薊美の横顔を、天梨は何も言わずに見つめていた。
 空を見上げる眼差しは、まるで星空を眺めているかのように無垢なものに見えて。
 そして、その瞳の奥に――静かな激情のようなものが、垣間見えた。


◆◇◆◇


《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 ――ラッパの旋律が木霊する。

《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 ――けたたましい合唱が重なる。

《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 ――青き騎兵たちが、荒れ狂う。

《Oh we can dare and we can do(我々は挑み、戦うことが出来る)!!!》

 騎兵隊(ギャリーオーウェン)が、弾丸の如く行き交う。
 逞しき軍馬(クォーターホース)達が、機敏に駆け回る。
 彼らは歌う。自らの栄誉を華々しく称える。

《United men and brothers too(そう、団結した我々は)!!!》

 蹄の音が、止め処なく地を揺らす。
 騎馬達が大地を蹴り――壮烈なる突撃を、目まぐるしく繰り返す。

《Their gallant footsteps do pursue(勇敢なる軌跡を辿り)――》

 響き渡る“歌”に鼓舞されながら、騎兵隊は“敵”へと次々に殺到していく。

《――And change our country's story(この国の歴史を変えていくのだ)!!!》

 迫りくる騎兵隊を、“敵”は俊敏に躱す。
 憎悪の怨霊(アヴェンジャー)――シャクシャインは跳躍して、空中ですれ違いざまに“妖刀”を振るう。
 瞬時に間合いの伸びた刀身が、騎兵達の首を刈り取る。
 血飛沫が宙を舞う。首が宙を舞う。穢神が宙を舞う。

《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 そのまま空中で回転。馬に乗ったままの亡骸を蹴って、更なる跳躍を繰り返しながら妖刀を縦横無尽に振るう。
 踊るような斬撃が、他の騎兵達の首を斬り飛ばし――再び亡骸や馬を蹴って跳躍。
 そして再び刃を振るって、次なる敵の首を撥ね、先程の動作を繰り返すように躍動。

《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 この騎兵どもは、ただの“幻霊”。サーヴァントの使い魔として呼び出された、実態なき駒に過ぎない。
 “誰も殺してはならない”。天使の如しマスターの命令は、此処では当て嵌まらない。
 彼らは所詮、亡霊ですらない木偶人形でしかないのだから。
 そして古今東西の英霊同士の戦いにおいて、己に枷を嵌める暇などない。
 故にシャクシャインは、眼前の敵に対して躊躇なく“殺し”を行う。

 そうして穢神は、迷いなく跳ぶ。
 斬撃。跳躍。斬撃。跳躍。斬撃。跳躍――その連続。
 まるで黒き飛蝗のように、飛び続ける。
 超人的な動作と共に首を狩り、舞い散る血潮の中で躍動する。 
 “復讐者”と化した英雄は、余りにも鋭敏に、余りにも機械的に、殺戮を遂行していく。

 憎悪と怨嗟に囚われた英傑は、まさに妖刀と一つになっていた。
 向けられる敵意――負の感情は、全てシャクシャインの力へと変わる。
 アヴェンジャーとしてのクラススキルによって、その恩恵が得られる。
 更には使用する武具の対人攻撃力を上昇させるスキルによって、その刃の切れ味は冴えを増している。

「くはッ」

 そしてシャクシャインの操る妖刀『血啜喰牙(イペタム)』は、血の匂いに昂り、血を喰らう。
 斬った血肉の分だけ所有者に力を与える、文字通りの怪物。
 詰まるところ、殺戮を重ねれば重ねるほどに糧となるのだ。

「ははは――」

 例え実態なき幻霊、仮初の幻想に過ぎなくとも、それが再現された存在である以上は血肉が通う。
 故に襲い来る騎兵を切り裂くたびに、妖刀と穢神は徐々に力を取り込んでいく。
 それまで殺人を抑え込まれていた刃は、ようやく有り付いた血の味に猛り狂う。
 真紅に染まった人食い刀の凶気が、穢れし英傑の血潮に流れ込んでいく。

「っははははははは――!!!」

 それはまさに、嵐の様相だった。
 戦士を喰らい、血を喰らい、銀色の閃光と化す暴風だった。
 “大地の蹂躙者たち”を飲み込み、捻り潰していく。
 狂喜を浮かべる穢神は、血風を作り出していく。
 堂々たる騎兵の軍勢を、塵芥の如く八つ裂きにしていく。

 その姿は、阿修羅の如し。
 並の戦士ならば、その舞踏を目の当たりにするだけでも恐れ慄くだろう。
 シャクシャインは剣士ではない――狩人であり、殺戮者だ。
 彼は血の旋風の中で、舞い踊る。
 ――だが。

《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 それでも、歌は鳴り止まない。

《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 それでも、騎兵隊は次々に出現する。

《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 蹄の音が轟く。熾烈な行進は続く。

《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 その脅威、実に単純明快。
 兵が多ければ、それだけ攻撃が続く。

 繰り返される突撃、その刹那。
 跳躍の軌道を読む形で、雷撃の如く2発の銃弾がシャクシャイン目掛けて飛来。 
 シャクシャインは騎兵達を切り裂きながら、返す刃で刀を振り上げて銃弾を弾き飛ばす。
 そのまま狩人は地面へと素早く着地し、妖刀を片手に敵の軍勢を見据える。

「はっはっはっはっは!!ふはははははは!!
 ダンスが上手いなぁ山犬(コヨーテ)め!!
 舞踏会に出て淑女達の前で披露してはどうかね!?」

 撃ったのは、軍馬に跨るライダーのサーヴァント。
 騎兵隊をけしかけ、その隙を縫うように六連装拳銃(リボルバー)での射撃を行ったのだ。

「ではッ、存分に踊らせてやろう!!喜ぶが良い!!」

 そして――地面に降り立ったシャクシャインへと目掛け、再び騎兵隊が迫り来る。
 束となった青き旋風が、熾烈に疾走していく。

「『駆けよ、壮烈なる騎兵隊(グロリアス・ギャリーオーウェン)』!!!
 これが我が宝具!!我が象徴!!誉れ高き“我が部隊”である!!!」

 歓喜する騎兵(ライダー)、カスター将軍。
 幾ら復讐者が舞い踊ろうと、青き軍人(ソルジャー・ブルー)は高らかに部下達を進撃させる。 
 騎兵隊は異常な熱気に包まれて、将軍の指揮と共に戦闘を続行する――。

《Our hearts so stout have got us fame(我々の勇敢な魂が名声を齎した)!!!》

 進撃する騎兵隊。高らかに歌われる軍歌。
 将軍の名の下に突撃する、無数の群れ。

《For soon ’tis known from whence we came(我々が何者であるかをすぐに思い知るだろう)!!!》

 ――復讐者もまた、地を駆け抜ける。
 疾風の如く“突撃”したシャクシャイン。
 疾走する騎兵達とのすれ違いざまに、妖刀の形状を“変化”させる。

「邪魔だよ、虫螻ども」

 刀身が鞭のように伸び、蛇のように唸り。
 そして風のように、縦横無尽に暴れ狂う。
 妖刀は、刀身の間合いと形状を自在に変化させる。

 刹那の合間に地面が次々に抉られ、削られ。
 騎兵達の四肢が、瞬きの間に切り刻まれていく。
 血潮が舞い散り、肉の部位が弾け飛ぶ。
 青き軍服は、淀んだ真紅へと染め上げられていく。

《Where’er we go they fear the name(我々が何処へ行こうと、彼らはこの名を畏れる)――》

 崩れ落ちていく騎兵隊の後方から、矢継ぎ早に無数の銃弾が飛来する。
 ライフルを構えた歩兵達が横一列に並び、シャクシャイン目掛けて一斉射撃を仕掛けたのだ。
 先程突撃した複数の騎兵は初めから捨て石。彼らを壁にして視界を遮り、敵が切り抜けると同時に銃撃を行った。

 鞭と化して唸る数度の斬撃が、迫る弾丸を次々に切り刻んだ。
 切り落とされていく鉛玉。幾つかの銃撃が隙間を掻い潜り、シャクシャインの腕や脚へと命中する。
 吹き出る血液――されど穢神は、決して怯まない。
 滾る憎悪の炎を体現するスキルによって、彼のあらゆる痛覚は遮断されている。
 数発の弾丸程度では、復讐に燃える荒神を止めることなどできない。

 そのままシャクシャインは、歩兵達の背後で控えるカスターを視界に捉えた。
 元の刀剣の形状へと戻った妖刀を構えて、視線の先の大将首へと斬り込むべく、勢いよく地を蹴る。
 凄まじい瞬発力と共に、ライフルを構えた歩兵の列へと突撃していく――。

《――Of Garry Owen in glory(栄光の第7騎兵隊である)!!!》

 その瞬間。駆け抜ける殺気が、復讐者の背後から唐突に姿を現す。
 シャクシャインは瞬時に方向転換――疾走を維持したまま、回転して薙ぎ払うように後方へ妖刀を振るう。
 疾走したシャクシャインを追い掛けるように、突如として死角から現れた四騎の騎兵達。
 先鋒として迫った二騎をシャクシャインは馬ごと刃で断ち切り、横転させた。

《“我らが魂よ、勇ましく進め”――!!》
《“その時、軍馬の蹄が轟くのだ”――!!》

 しかし魔力として霧散した彼らに続いて迫った残りの二騎が、挟み撃ちをする形でサーベルを振るった。
 不意打ちからの波状攻撃。その動きの機敏さは、明らかに先程までの騎兵達を上回っている。
 それでもシャクシャインは妖刀の刃を伸ばし、返す刀で両側からの二撃を弾く。
 そしてサーベルを弾いた斬撃で、そのまま騎兵二騎の胴体も両断した。

「恐れることは無い!!神の御心は我らと共にあるぞ!!」

 “第7騎兵連隊”――それは英霊・カスター将軍の象徴たる部隊。
 彼という存在と一体化した、一種の概念的な軍勢である。
 西部開拓神話に刻まれたカリスマ的英雄の指揮と鼓舞によって、騎兵隊はその士気を高めていく。
 カスター将軍が英傑として堂々と立ち続ける限り、騎兵隊は能力を向上させていくのだ。
 それが彼のスキルの恩恵。“誉れ高き勇士”としての、彼の能力。

《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 シャクシャインが再び前方へと方向転換しようとした矢先。
 正面の歩兵隊が一斉にライフルの引き金を弾き、銃弾の嵐が殺到する。
 迫る無数の弾丸。目を見開く復讐者。
 将軍も、穢神も、口の両端を吊り上げる。

 ――シャクシャインは防御を捨て、構わず突撃を敢行。
 致命傷を躱しつつも、その身に数多の銃弾の雨を浴びていく。
 無論、足止めにはならない。痛みさえも感じない。
 猪突猛進。姿勢を低くして、獣の如き俊敏さで歩兵隊の列へと肉薄。

 そして――放たれる一閃。
 次弾を放とうとした歩兵達を、横薙ぎの斬撃で真正面から突破。
 血飛沫と共に隊列を切り拓き、突破し、その背後に控える大将へと迫る。

「ふははははは!!諸君のような敵は私も望むところだ!!
 恐るべき敵ほど良い!!勇ましき敵ほど良い!!」

 大将――カスターは高笑いと共に、装飾過多なサーベルを構える。
 そして騎乗した馬へと合図を送り、猛進の突撃を行う。

「それこそが“英雄の敵”に相応しいのだから!!!」

 瞬間。すれ違う二騎の英霊。
 一対の閃光が、駆け抜けるように激突する。
 掬うように振り上げられた妖刀。
 袈裟を切るように薙ぎ払われたサーベル。
 刃と刃が激突し、轟くような金属音が響き渡る。

「くはッ――ははは……」

 交錯を経てからも疾走を続けるアヴェンジャーとライダー。
 復讐者の口元からは、渇いた笑みが溢れる。

「随分とお喋り好きみたいだな、阿呆面(エパタイ)!!
 そんなに口を開きたいのなら!!もっと愉しませてやるよ!!」

 両者は振り返り、再び視線の先の敵へと突撃を行う。
 風の如く走り抜ける、二人の英傑。
 “奪われし復讐者”と“開拓神話の騎士”。
 相容れぬ。決して歩み寄れぬ。
 両者が背負う過去は、生き様は、平行線を辿る。

「その口先!!ざっくりと引き裂いてなァ!!二度と閉ざせないようにしてやる!!」
「やってみたまえ――私は手強いぞ!!はっはっはっは!!」 

 そして、二度目の剣戟が衝突する。
 高速の残光が、尾を引くように迸る。
 二人は駆け抜けて、再びすれ違う。

 両者、未だ斬撃を負わず――否。
 青き将軍が馬上から跳んで、地面へと転がるように受け身を取った。
 間髪入れず、先程の交錯によって斬撃を叩き込まれたカスターの軍馬が横転。
 魔力と化して霧散していく馬の亡骸をよそに、シャクシャインは即座に地を蹴る。
 方向転換と共に躍動し、猛スピードでカスターへと接近。

 カスターはすぐさま立ち上がり、態勢を整えていた。
 そのまま即座にサーベルを縦に構え、シャクシャインが横一文字に振るった妖刀を防ぐ。
 ほんの刹那、人喰らいの刃を受け止めるものの――膂力と勢いの差により、カスターの防御は弾かれる。

 その隙を逃さずに、シャクシャインは返す刀で逆手に妖刀を振るう。
 カスターは崩された体勢から咄嗟にサーベルを振るい、ギリギリで刃を凌ぐ。

 火花が散る。剣閃が迸る。――そして、シャクシャインが猛攻を繰り返す。
 暴れ狂う剣先が、青き騎兵を激しく攻め立てる。
 カスターは握り締めたサーベルを必死に操り、これらの攻撃を何とか防いでいく。

 剣戟が巻き起こり、銀色の閃光が幾度となく走り抜ける。
 繰り広げられる打ち合いの中で、シャクシャインはすぐさま悟る。

 ――剣技も、体術も、そう大したものじゃない。
 ――この一ヶ月で交戦した英傑共に比べれば。
 ――明らかに一歩も二歩も劣っている。

 余裕を気取っているが、実際は“こちらの剣戟を凌ぐことで限界”なのだと、シャクシャインは察知する。
 ある程度は腕が立つ。決して素人などではない。しかし、この騎兵(ライダー)は結局それだけだ。
 笑みを浮かべながら大物の如く振る舞っているが、白兵戦能力においては明確な差がある。

 大口を叩いているが、蓋を開けてみれば“多少は剣技に長ける”程度の輩。
 有象無象の雑兵よりは格上であっても、超人にはあまりにも程遠い。
 凡百。凡夫。二流。所詮はその枠組を超えない、ただの人間だ。
 これしきの手前で“伝説”や“英傑”を気取るなど――笑わせてくれる。

「その程度の技で“英雄”かよ、三下(チャナンペ)」

 熾烈な打ち合いを、一筋の斬撃が切り開く。
 妖刀は長剣へと姿を変え、刃の間合いが瞬時に変化。
 その一撃によってカスターは防御を崩される。
 それまでの剣戟とは異なる刀身のリーチと重みへの対処が間に合わなかったのだ。

 妖刀の斬撃を防ぎきれなかったサーベルが、弾き飛ばされる。
 カスターの手を離れ、刀剣は宙を舞い、そのまま地面へと落下。
 吹き飛ばされた勢いのまま、サーベルは回転するように滑っていく。
 最早カスターが即座に手を伸ばせる距離からは遠く離れている。魔力で新たなサーベルを形成しようとも、妖刀の斬撃が先に襲い来るだろう。

「声を張り上げて、したり顔で勇んで!!
 そして“張りぼて”の幻影どもに囲まれて!!さぞ楽しいだろうなァ!!
 そうでもしないと――お前は何者にもなれないってことだ!!」

 悪しき穢神は、虚勢を張る騎兵を嘲る。
 残忍な猟犬のように、けたけたと嗤う。
 その右手に握られた妖刀を振り翳し、カスターの首を一太刀で刎ねんとする――。

「はっはっはっは!!痛いところを突くなぁ!!」

 ――カスター将軍、開き直る。
 何の恥じらいもなく、堂々と。
 咄嗟に腰から抜いた拳銃の銃身を盾にし、寸前で妖刀の斬撃を弾いた。
 追い詰められているにも関わらず、その表情からは不敵な笑みが消えない。

「――だからこそッ、私は求めるのだ!!」

 そして、次の瞬間。
 カスターがまさにシャクシャインと至近距離の戦闘を繰り広げているにも関わらず。

《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 既に召喚されていた騎兵達が、周囲を縦横無尽に駆け回りながら――馬上から一斉にライフルを連射。
 狙いは無論、シャクシャイン。されど、今はまさに将軍がその敵と白兵戦をしている最中だ。
 下手をすればカスターにまで流れ弾が飛びかねない、無謀な一斉攻撃である。

「そう!!真なる栄光を!!聖杯という頂を!!」

 しかし、騎兵達は構わない。カスターもまた、構いはしない。
 何故ならば、自信に満ちたカスター将軍は“無敵”だからだ。
 すなわち――“当たらない”のだ。

「“夢想家(スターゲイザー)”になど甘んじるものか!!」

 四方八方より、銃弾が飛び交う。
 張り巡らされる巣のように、無数の弾丸が硝煙の軌跡を作る。
 それらはカスターを仕留めんとするシャクシャインへと次々に襲い掛かる。

 シャクシャインは、すぐさま攻撃を中断。
 その場から瞬時に跳躍せんとしたが、回避が遅れた。
 騎兵隊は、カスターを同士討ちする可能性すら厭わずに射撃してきたのだ。
 それ故に行動と思考が一瞬遅れ、跳ぶ寸前に数発の弾丸が復讐者の身体を抉る。
 それでも構わず跳躍し、宙を回転するシャクシャイン――銃創から、鮮血が溢れ出す。

 人は刃を防ぎ、避けねばならない。
 ならば銃弾もまた、躱さねばならないのだ。
 何故ならそれは、神秘を超越した暴力なのだから。
 万人に“人殺しの術”を与えるという点において、この黒鉄の凶器に勝る道具は存在しない。

「私は“歴史の極星”でありたい!!!」

 渦中に立つカスターは――流れ弾述べ十数発、その全てを回避。
 彼は堂々たる姿で腕を組み、胸を張って立ち尽くしているだけだった。
 被弾を避けるべく、瞬発力や敏捷性に安全を委ねたりなどしない。
 ただ多少首を動かしたり、軽く屈んだりするのみ――されど、一発たりとも弾丸は当たらない。掠りもしないのだ。 

 無謀。無鉄砲。命知らず。若き日のカスターは南北戦争の最中、向こう見ずな作戦を繰り返した。
 自らの手傷や自軍の損害を顧みない猛攻を繰り返し、その度に軍功を重ねていった。
 それほどの無茶を繰り返しながら、カスターは負傷とはほぼ無縁の男だった。彼は類まれなる強運の持ち主だった。
 サーヴァントとなった今、その強運はスキルへと昇華されている。
 カスターはあらゆる被弾を回避し続け、致命傷からも高確率で逃れるという幸運に恵まれていた。

 見栄っ張りで、自信過剰で、自惚れ屋。
 この鼻持ちならない伊達男は、ほんの刹那の合間だけ、星(ヒーロー)と化すのだ。

 軍勢を率い、威風堂々と佇む騎兵(カスター)。
 傷を負いながら、宙を舞った復讐者(シャクシャイン)。
 地上に立ち、見上げる者は傷を負わず。
 虚空に跳び、見下ろす者が血を背負う。

 されど、紅く穢れた英傑は獰猛に笑う。
 その眼差しは、未だに漆黒の殺意を燃やし続ける。
 その眼光は、最早地の底のみを睨み続ける。
 見上げる必要などない。旭の昇る空など、最早要らない。

「“星”なんか、俺はとうに見失ってるよ」

 復讐者に、星は捉えられない。
 その双眸は、憎悪によって曇っている。
 空の果てを見通すには、余りにも淀み過ぎていた。
 輝きをその目に捉える必要すら、ありはしない。

 夜は、要らない。
 星は、要らない。
 この眼は、殺意のみを映す。
 和人への憎悪のみを宿す。
 眩き栄光など、必要ない。 
 この醜い世界の何処に、光が在る。

「――俺は、奴らを呪う“穢れ”でいい」

 瞬間――周囲を駆け回っていた騎兵達が、突如として斬り裂かれていく。
 両腕を切り飛ばされる者。首を撥ねられる者。胴体を両断される者。全身を引き裂かれる者。
 間髪入れず、次々に、騎兵達が血飛沫の雨の中へと沈んでいく。

 復讐者(シャクシャイン)は、決して刀など振るっていない。
 腕を動かしてもいないし、斬撃を放ってすらいない。
 にも関わらず、間合いから離れていた筈の騎兵達が一斉に斬り倒されたのだ。
 刃の伸縮によるものではない。攻撃の動作さえも存在しなかったのだから。

 鎌鼬にも似た奇怪な現象を前に、カスターも目を見開く。
 そしてシャクシャインはカスターと一定の距離を取りつつ、地面へと着地する。
 右手に握られた妖刀からは、“刃”が失われていた。

 『血啜喰牙(イペタム)』――人の血肉を喰らう妖刀は、まさしく悪食だった。
 アイヌの伝承曰く、“その刃はひとりでに動き出す”。
 所有者を介さずとも妖刀自体が自律行動し、空を飛んで人間を襲うのである。
 一度抜けば血を見るまで決して収まらず、人間を次々に斬殺していく。
 所有者が妖刀を川や山に捨て去ろうとしても、自らの意思で戻ってくる。
 現地の伝説において、その剣は畏怖と悪名を背負っていた。

 シャクシャインが跳躍し、滞空をした直後。
 妖刀から切り離された刀身が、超高速で飛び回ったのだ。
 そうして周囲に存在する騎兵隊を、飛来する刃が瞬く間に斬り裂いた。
 やがてシャクシャインの手元へと戻った刃が柄と同化し、元の刀剣の形状へと変わる。

 舞い上がった血煙。
 噴き上がる真紅の幔幕。
 騎兵隊の亡骸が、魔力と血風の中に沈む。
 命なき死を迎えた無数の幻影が、やがて塵の如く消え失せる。

 舞台に立つのは、再び英霊二騎のみとなる。
 憎悪に飲まれし雪原の復讐者、アヴェンジャー。
 星条旗の使徒である青き騎兵、ライダー。
 両者は、一定の距離を保ったまま対峙する。

 アヴェンジャー――シャクシャインの肉体には、幾つもの銃創が刻まれている。
 魔力による急拵えの止血を行えども、血の滲む負傷の痕跡は残り続けている。
 されど、シャクシャインはまるで動じない。
 強靭な耐久力と痛覚の遮断によって、復讐者は平然と立ち続ける。

 ライダー――ジョージ・A・カスターは、未だ傷を負っていない。
 騎兵隊の波状攻撃と類まれなる強運によって、自身の負傷を回避し続けた。
 しかし、それは彼がシャクシャインよりも優位に立っていることを意味する訳ではない。
 寧ろ手傷を許容しながら戦う余地のあるシャクシャインに対し、基礎能力値で劣るカスターは一撃を受けるだけでも命取りとなる。

 ましてやシャクシャインは、文明の悪意によって蹂躙された復讐者だ。
 文明の尖兵として大地を踏み荒らしたカスターは、まさに“狩るべき獲物”に等しい。
 同時にカスターにとっても、シャクシャインは“格好の餌食”だった。
 開拓には慣れている――先住民への侵略と浄化には、誰よりも長けている。

 “文明”の犠牲となり、怨嗟に囚われた者。
 “文明”の化身となり、荒野を蹂躙した者。
 この二人の英霊は、互いに互いを刺し合う存在だった。

 両者は互いの武器を手に取り、対峙し合う。
 カスターはピンと背筋を伸ばし、右手に握った六連装拳銃を前方の敵へと向ける。
 シャクシャインは血肉を喰らった妖刀を右手に握り、獣のように低い姿勢で構える。
 沈黙と静寂――無音の中で、睨み合いが続く。

 騎兵と穢神。渦巻く意思は、決して相容れぬ。
 されど戦場で相対する者として、二人の認識は重なり合っていた。

 ――此処が分岐点。此処が最後の引き際。
 ――このまま続けば、互いに死力を絞り出すことになる。
 ――そうなれば、どちらも無事では済まない。

 伸るか、反るか。
 さあ、選ぶべし。
 英霊二人は、迫られる。
 如何に出て、如何に動くか。
 吹き抜ける数秒間の最中。
 両者は、思考する――。

 そして、その直後。
 静かな風に運ばれるように。
 笛の音色が、何処からか聞こえた。

 先に気が付いたのは、青き騎兵だった。
 忘れるはずのない、忌むべき調べだった。




 “ねえ、ソルジャー・ブルー”。
 “この国の鼓動はまだ始まったばかり”。
 “それが解らないの?”。
 “大地は私達の中に生きている”。
 “私達を導くために此処にいると告げている”。

 “ソルジャー・ブルー”。
 “ソルジャー・ブルー”。
 “この国を愛する方法は他にもある”。
 “それが解らないの?”。

 “ソルジャー・ブルー”。
 “ソルジャー・ブルー”。
 “この国を愛する方法は他にもある”。
 “それが解らないの?”。




「気のせいかと疑ったが」

 ぼそりと、言葉を零す。
 何とも言えぬ表情で、カスターが呟く。

「やっぱり、いるなあ」

 先程までの自信に満ちた笑みは無く。
 そのまま物思いに耽るように、彼は真顔でぼやく。
 切り揃えられた口元の髭を、もそもそと撫でていた。

「リベンジしたいのは山々だが」

 “カスターズ・リベンジと呼ぶべきか”、“いやこの言葉は不吉で卑猥だな”――などと、彼はぼそぼそと呟いている。
 ごく小さな声量のぼやきは、シャクシャインの耳には何を言っているのかが伝わらない。

「“リトルビッグホーン”の二の舞いは避けるとしよう」

 されど、シャクシャインもまた察していた。
 この戦場に――新たな“英霊”が迫っている。
 遠い彼方からの笛の音色と共に、この場へと向かっている。

 そして、その者は何処か。
 “己と近い存在”であることを。
 復讐者は、気配で感じ取っていた――。

「ようし帰るか!!!撤退だ!!!」

 その矢先、カスターが高らかに宣言。
 間もなくして、蹄鉄の音が激しく繰り返される。
 騎兵隊、再び出現――そして一斉突撃。

「予備の軍馬を用意せよ!!!」

 シャクシャインは迷わず地を蹴り、雷鳴の如く躍動。
 眼前より迫りし騎兵隊を妖刀によって次々に斬り捨てていく。
 その合間にカスターは後方へと跳躍。指示からコンマ数秒程度で姿を現した“予備の軍馬”へと華麗に跳び乗る。

「足止めは任せたぞ、親愛なる“紳士諸君(ソルジャー・ブルー)”!!!」

 騎兵隊が猛攻を仕掛け、それらをシャクシャインが瞬く間に仕留めていく――。
 所詮は闇雲な一斉突撃。されど、無数の兵士による波状攻撃は“足止め”としては問題なく機能する。
 ほんの数秒。ほんの十数秒。それだけ稼げればカスターには十分なのだ。

「The Great Escape(これぞ英雄の逃走である)!!!
 YeeeeeeeeeeHaaaaw!!!!!!」

 軍馬を操って踵を返し、カスターは全力逃走。
 シャクシャインは騎兵達を切り倒しながら、妖刀を分離させてカスターを追撃せんとしたが――青き将軍の姿はあっという間にいなくなり。
 その場に残っていた騎兵隊も、役目を終えたと言わんばかりに魔力と化して霧散した。

 ――自軍に多数の損害を出しながらも、見事な生還を成し遂げる。
 それが南北戦争における“少年将校”、カスターだったのである。


◆◇◆◇


「伊原さん。お話してくれて、ありがとうございます」
「こちらこそ、楽しかったよ。輪堂さん」

「ちょっと、気分が晴れたっていうか……えへへ」
「それなら良かった。いつか曲、聴くね」
「ありがとうございます!」
「いえいえ。私の方こそ、話相手になってくれてありがとう」

「――それじゃ、お元気で!」
「――うん。さようなら」


◆◇◆◇


 青き騎兵は去り、シャクシャインは取り残される。
 敵は消え失せ、その場は静寂に包まれる。
 そうして彼は、忽然と立ち尽くす。

 後方より現れた“気配”に、彼は既に気付いていた。
 次なる英霊の存在を、感じ取っていた。
 シャクシャインは警戒し、身構えようとして。
 されど間も無く、その右手に握る妖刀を、だらりと下ろした。

 大地の匂いがした。
 風が運ぶ、自然の匂いだった。
 ひどく、懐かしい感覚があった。

 呆然として、復讐者は目を僅かに見開く。
 奇妙な感傷が、胸の内に込み上げる。
 登りゆく朝日のように、暖かで、寂しげな。
 郷愁のような感情が、何処からか訪れる。

 傲岸な笑みも失せたまま。
 復讐者は、ゆっくりと振り返った。
 己の後方に立つ“来訪者”を、視界に捉えた。

「……“あの男”は、去ったか」

 ――それは、野生の民だった。
 ――それは、朽ちし賢者だった。
 ――その男は、インディアンだった。

 荒野のように厳めしく、皺を刻んだ顔立ち。
 老いた樹木のように、枯れ果てた佇まい。
 その姿からは、神秘的な風格と同時に。
 何処か悲壮のような、見窄らしさのような。
 哀愁にも似た雰囲気が、滲み出ていた。

 キャスターのサーヴァント。
 先住民のキャスター。赤き大地の祈祷師。
 その真名、シッティング・ブル。

 シャクシャインは、ただ沈黙する。
 眼前の英霊を、じっと見つめる。
 何処か呆気に取られたように。
 茫然と、何かを悟ったかのように。

 そしてシッティング・ブルもまた、シャクシャインを見据える。
 その眼差しに、敵意や悪意は宿っていない。
 ただ目の前の英霊に対する、同情と憐憫にも似た“共感”を湛えていた。
 神妙な眼差しが、相対する復讐者を見つめ続ける。
 何も告げることはなく、ただ静寂の中で佇む。

 雪原の民(アイヌ)。
 荒野の民(インディアン)。
 大地と共に生きた、二騎の英霊。
 彼らはこの和人の国で相対する。

 刹那の静けさが、永劫の如く感じられる。
 二騎の英霊は対峙し、ただ無音の中で視線を交錯させる。
 戦火の後、風なき舞台の上で、大地の使徒達は向かい合う。

 互いに、感じ取っていた。
 互いに、悟っていた。
 目の前に立つ英霊が、如何なる存在であるのかを。
 直感や共鳴のような、奇妙な結び付きだった。
 この二人の英霊は、眼前の敵を前にし、感傷を抱いていた。

 “復讐者”の脳裏に、かつての情景が過ぎった。
 ほんの微かで、朧げで。されど、酷く鮮明な記憶。

 雪が降り頻る、白銀の大地。
 暖かな茅葺の集落。神々の住まう大自然。
 山へと赴き、日々の糧となる生命を授かる。
 祭事の折には、儀式によって神秘を奉る。
 過酷でありながらも、確固たる誇りと風習のある日々だった。
 世界が“我々”と共にあった頃の、過ぎ去りし光景だった。

 ――されど、そんなものは既に喪われた。
 そう。“我々”の世界は、蝕まれたのだ。
 和人が支配へと向かい、踏み躙られた。
 そして己が散った後の未来で、文明さえも奪われた。
 同化によって、同胞達は和人へと飲み込まれた。
 彼にとって、それが全てだった。

 シャクシャインは、息を吐く。
 感傷も、情緒も、塵芥へと変わっていく。
 そんなもの――復讐には“必要ない”のだ。
 故にそれらは遠い過去へと変わり、彼方へと消え失せていく。
 遺されたものは、最早怨念のみだった。

「なあ、老いぼれ(エカシ)」

 そして、“復讐者”は口を開く。

「哀れみは要らないさ」

 シャクシャインは、淡々と言葉を紡ぐ。

「今の俺は、悪霊だ」

 虚ろな瞳の奥底に、滾る炎が再び灯される。

「この和人の地を呪い、全てを蝕み滅ぼす厄災。
 紅き旭を喰らい尽くす――“穢れたる神(パコロカムイ)”」

 己が何者で在るのか。
 己が何故ここに居るのか。
 英霊“シャクシャイン”は、如何なる存在なのか。
 復讐者は、自らの在り方を規定する。

「ただ、それでいい」

 己自信に、業の烙印を刻むように――彼は再び嗤う。
 憎悪と怨嗟。猛毒を喰らい、噛み締め、飲み下していく。
 取り返しなど、付くものか。この意志を、忘れるものか。

 この身を苛む業病の苦痛は、今もなお暴れ狂っている。
 己が迎えた無念の最期は、未だ鮮明な情景として繰り返される。
 故にシャクシャインは、落陽を齎す死毒で在り続けるのだ。

 そうして彼は、自らの肉体を霊体化して。
 その場から、忽然と姿を消した。

 シッティング・ブルは、何も言わず。
 ただ去っていく復讐者の姿を見届けていた。
 復讐者を見つめていた眼差しは、複雑な想いを湛える。
 遣る瀬無さを胸に抱きながら、大戦士は静かに瞼を閉ざした。

 あの男が何を背負い、何を思い、この地に立っているのか。
 鋭い慧眼と霊的資質を備えるシッティング・ブルには、それを察することが出来た。
 ましてや、復讐者が宿す感情には“覚え”があったのだ。
 忘れる筈もない。あれは、癒えることのない“怨嗟”だった。

 かつて、何度も目の当たりにしてきた。
 あの荒野での戦いの中で、幾度となく抱き続けた。
 同胞たちも、そして己自身も――憤怒の篝火を、灯し続けた。
 精霊の生きる土地を守るために、部族の文化を守るために。
 白人が開拓へと向かう激動の中で、インディアンは戦い抜いていた。

 忘れやしない。忘れる訳がない。
 あの復讐者は、かつての“我々”と同じだった。
 そのことに、シッティング・ブルは深い哀しみを抱く。

「……悠灯よ」

 そして、大戦士は語り掛ける。
 彼の背後――物陰から、少女が顔を覗かせる。
 彼の依代としてこの場に付き添ったマスター。
 華村 悠灯が、神妙な面持ちでキャスターを見つめる。

「よく覚えておけ」

 朽ちた喉から、言葉が紡がれる。
 過去を噛み締めるように、少女へと伝える。

「枯れゆくことが、“哀しみ”から始まるように」

 シッティング・ブルは、知っている。
 生き様を奪われた者は、知っている。

「燃え盛る焔もまた、時に“哀しみ”を宿すのだ」

 踏み躙られし者達は、哀しみを背負う。
 絶望と喪失の前に、怒りへと駆られる。
 そして、其処から後戻りが出来なくなった者は。
 絶え間ない呪いを振り撒く、“禍い”と化す。

「焔は……容易くは消えぬ」

 シッティング・ブルは、それをよく知っている。
 誰よりも、それを悟っている。
 故に、だからこそ、憐憫の念に駆られるのだ。

 彼の言葉を、悠灯は無言で聞き届ける。
 何も答えず。何も言葉を返さず。
 されどその眼差しには、悲哀のようなものを宿す。
 虐げられし賢者が紡いだ言葉を、ただ静かに噛み締める。
 そして悠灯は、思いを馳せた。

 ――哀しみに、目が眩んでしまえば。
 ――きっと、“星”すらも見失ってしまう。
 ――だから、孤独に彷徨うことしか出来ない。
 ――それは、何よりも救われないことで。

「……難しいよな」

 真っ当に救われて、幸せになることは。
 “私達”みたいな人間にとって、何よりも難しい。
 だからこそ、焦がれてしまう。
 奇跡という器の前で。



【渋谷区(中心地よりも外れ)/1日目・午後】
【伊原 薊美】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:騎兵隊の六連装拳銃
[所持金]:学生としてはかなりの余裕がある
[思考・状況]
基本方針:全てを踏み潰してでも、生き残る。
1:話せて良かった。
2:あの脱出王が告げた“太陽”の意味を、今も追い続けている。
[備考]
※マンションで一人暮らしをしています。裕福な実家からの仕送りもあり、金銭的には相応の余裕があります。

【ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)】
[状態]:疲労(小)
[装備]:華美な六連装拳銃
[道具]:派手なサーベル、ライフル、軍馬(呼べばすぐに来る)
[所持金]:マスターから幾らか貰っている(淑女に金銭面で依存するのは恥ずべきことだが、文化的生活のためには仕方のないことだと開き直っている)
[思考・状況]
基本方針:勝利の栄光を我が手に。
1:やはり、“奴ら”も居るなあ。
2:“先住民”か。この国にもいたとはな。
[備考]
※魔力さえあれば予備の武器や軍馬は呼び出せるようです。
※シッティング・ブルの存在を確信しました。


【輪堂 天梨】
[状態]:精神疲労(小)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:たくさん(体質の恩恵でお仕事が順調)
[思考・状況]
基本方針:〈天使〉のままでいたい。
1:少しだけ、気が晴れた。
2:アヴェンジャーは恐ろしい。けど、哀しい。
[備考]
※午後以降に仕事が入っているかどうかは後のリレーにお任せします。

【アヴェンジャー(シャクシャイン)】
[状態]:疲労(小)、全身に被弾(行動に支障なし)
[装備]:「血啜喰牙」
[道具]:弓矢などの武装
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死に絶えろ、“和人”ども。
1:憐れみは要らない。厄災として、全てを喰らい尽くす。
2:愉しもうぜ、輪堂天梨。堕ちていく時まで。
3:青き騎兵(カスター)もいずれ殺す。
[備考]
※マスターである天梨から殺人を禁じられています。
 最後の“楽しみ”のために敢えて受け入れています。


【渋谷区・国立代々木競技場/1日目・午後】
【華村 悠灯】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:煙草(アメスピのライトと周鳳狩魔から貰ったウィンストン・キャスター)
[所持金]:ささやか
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたい。
1:あたしは、星を見失いたくない。
[備考]

【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:健康
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
1:復讐者(シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
2:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
[備考]
※ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。


【共通備考】
カスター将軍が戦死した『リトルビッグホーンの戦い』において、シッティング・ブルはその顛末を予言しただけで直接参加していないとする説が有力です。
本企画においてもその解釈を採用していますが、少なくとも両者は互いの存在を生前から認識し合っています。


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最終更新:2024年08月30日 01:53