東京でも指折りの高級住宅地として知られる、元麻布――
その中でもひときわ広い敷地を持つ邸宅があった。

高い塀と立派な門に囲まれているが、その向こうはまるで森林公園の如き深い緑に包まれている。
古くからの邸宅が次々と高級マンションへと姿を変えていく今、まるで時間に取り残されたかのような佇まい。

母屋は平屋の日本家屋。そこに洋風の二階建ての建物や、石造りの倉が繋がっている。
異質なものを繋ぎ合わせた和洋折衷の建物だが、木々に囲まれたそれらは不思議な調和を保っていた。
小ぶりながらもセンスのいい日本庭園には、錦鯉がゆったりと泳ぐ池すらある。

そんな邸宅の一室。
広々とした畳敷きの部屋、どこかから微かに上品な香りの香の漂う室内で、向き合う人物がいた。
両者の傍には、ちょっとした荷物が山を成している。

「……というわけで、ご注文の品は一通り用意できたかと思いますねぇ」

どこかのんびりした口調で口を開いたのは、やや恰幅のいい中年女性。40代かそこらといった風情。
大雑把にスリーサイズが全て同じくらいの体型で、ふくよかな頬肉の上には鋭く縁が尖った眼鏡が乗る。

個人輸入代行業者、『サーベントトレード有限会社』社長。
水池 魅鳥(みずち・みどり)。

もっとも裏社会では、カネさえ惜しまなければ何でも仕入れてくる調達屋としてその名を知られていた。
魔術に関わる者たちにとっても、頼れる女商人である。

「カナダ産、海獣イッカクの角、3本。同じくカナダ産、セイウチの脂 100kg。
 南アフリカ『シェンノンファーム』産のアロエベラ、100kg。
 そして、インドネシア産の最高級沈香、天然の原木で26kgの大物ひとつ。なるほど、注文通りだ」

そんなやり手の女社長と向き合っていたのは、総白髪を長く伸ばして肩にかける老人。
といっても首から下は筋骨隆々で、まるで年齢の程が分からない。巨体を包むのは皺ひとつない灰色のスーツ。
この屋敷の主人にして、『蛇杖堂記念病院』の名誉院長。蛇杖堂寂句だった。

「ジャック先生にはいつも贔屓にしてもらってますのでねぇ。
 ところで、言われるままに用意しましたが……差支えなければ、後学のためにも、これらの使い道をお聞きしても?」
「なんだ、商品の用途も知らずに仕入れていたのか、この無能め。
 だが、無知を自覚し、教えを乞うことができている時点で、無能としては上等だ」

揉み手をしながら問う中年女に、老人は見下す視線も隠さずに、しかしわずかに微笑む。
誰に対しても傲岸不遜な態度を隠さぬ寂句にとって、それは口調とは裏腹に、最大限の誉め言葉でもあった。

「まずイッカクの角は分かりやすかろう。幻獣ユニコーンの角の代用品だ。
 治癒術に関する用途であれば、まあ何にでも使えるな」
「代用品、ですか」
「むしろ『本物』は、効能が『強すぎる』ことがある。用途によってはイッカクの方が扱いやすい」

まるで『本物のユニコーンの角』を当たり前のように持っている前提で、老人は語る。
女は手帳にメモを取りながら頷く。

「セイウチの脂は、これは分からなくても仕方ない。
 中世の指南書では獣脂であれば何でも構わないとされているが、私は試行錯誤の末にこれに辿り着いた。
 この脂を改めて念入りに精製した上で、『武器軟膏』の材料とする」
「ぶきなんこう……ですか」
「傷口ではなく、その傷をつけた武器に塗ることで効果を発揮する治療薬だ。
 現代医学では迷信だったとされる技術だが、魔術師が使うとなれば今でも現役よ。
 受傷後に相手の武器に触れる必要があるのだが、その機会さえ得られるのであれば、私ならほぼ傷跡ひとつ残さず癒せる」

現代医学に『なることの出来なかった』治癒術の系譜。
当然のように、蛇杖堂の家の手札には入っている。

「アロエは、ちょっと『厄介な奴』とやりあう可能性があるのでな。余裕をもって仕入れておいた。
 用途としては、民間療法でもよく使われるように、火傷の治療に向いている」
「それは聞いたことがありますねぇ。
 火傷した所に果肉を押し当てるんでしたっけ」
「それではいささか使いづらいので、水薬(ポーション)にしておいて傷口にかけて用いる予定だ。
 むしろ重要なのは『シェンノンファーム』製、という所でな。
 中国系の専門の農場で、Shennong という名は隠す気もなく古代中国の医神『神農』の英語表記そのものだ。
 最初から魔術の材料にするために育成してくれている所でな。
 健康食品として食すのであれば市販品と何も変わらぬが、魔術的な治療薬の材料としては効能が桁違いだ」

いつになく饒舌に、懇切丁寧な講義をする寂句。聞き入る女商人。
そして寂句は、その大きな手を、木のままの形を残す見事な香木の上に乗せた。

「最後に香木は――
 これも用途は多彩なのだが、ここ最近、多用を強いられていてな。
 急ぎ補充する必要が出てきた。誰かさんのおかげでな」
「はあ」

「今も焚いている。この部屋の中に。貴様という存在に対抗するために」


 ★


瞬間、2人の間に静かな緊張が張りつめる。
女商人が入ってきた時から、微かに屋敷の中に漂っていた、どこか奥深いお香の匂い。
改めて鼻ひとつ鳴らすと、女は悪びれもせずに老人に問う。

「そのお香の効用をお聞きしても?」
「心配せずとも、積極的に悪さをするものではない。
 むしろ逆だ。
 解呪をもたらす香だよ。『認識阻害』の、解呪だ」
「……っ」

ある種の状態異常、精神操作に対する解呪、影響力の除去。
それもまた、治癒術を極めた蛇杖堂の技のひとつである。
気付くことができれば、そして準備を整える余地があれば、おおむね破れる。

「高浜総合病院院長、高浜公示」
「…………」

唐突に、寂句がとある人名を挙げる。
女商人は、沈黙する。

「静寂美容整形外科院長、静寂暁美」
「…………」
「警視庁公安部捜査一課長、根室清」
「…………」
「そして、サーペントトレード有限会社社長、水池魅鳥」
「…………」
「どうせこれ以外にも複数の身分を持っているのだろうが、私が掴めたのはここまでになるな」
「…………」
「3週間。
 違和感を感じてから確信を得るまでに、この私ですら3週間もの時間を浪費させられた。
 いずれも、やや無理をしてまで私の、蛇杖堂の家に探りを入れてきた者たち。
 そして」
「…………」
「これら4名、同時にこの東京に存在していた瞬間がない。
 誰かが明らかに居る時には、他の3名は人目につく場所に存在していない」
「…………いやあ、凄いですねぇ、ジャック先生。感服しましたよ。
 切れ者だとは思っていましたが、想像以上だ」

老人の詰問に、女商人は沈黙を破って顔を上げる――否。
顔を上げた時には、性別すらも異なる、別の人物となっていた。
白衣に身を包んだ、真面目そうな、しかし口元にだけはいやらしい笑みを浮かべた男性。
高浜公示。
その名で知られ、同じく病院を経営する側にいる蛇杖堂寂句とも顔見知りの、同業者の姿だった。

「ずいぶんと久しぶりですねぇ、ここまで辿り着かれるのは。
 それにひと月も掛からなかったというのは、僕の覚えてる限りじゃ、たぶん新記録じゃないかなぁ」
「小器用なものだな。
 いや、意識して磨いた才でもないか。
 そんな小賢しいものであれば、互いに院長として会っていた頃に既に見抜いておるわ」
「まあ、こちらもちょっと調べを急ぎましたからねぇ。雑になっちゃってたかな。
 流石に蛇杖堂の暴君の目は誤魔化しきれなかったかぁ」

照れたように頭を掻く男の姿が、いつの間にかまた変わっている。
スーツ姿の公僕。根室清。
穏やかな雰囲気の中にも剣呑な目の光、そして、相も変らぬニヤニヤ笑い。

「良ければ後学のためにも、どうして気づいたか教えて頂けませんかねぇ」
「その図々しさはいっそ尊敬するぞ、無能な〈詐称者(プリテンダー)〉め。
 まあいいだろう。
 ひとつには貴様が言う通り、そちらが探りを焦ったからだろうな。攻撃の瞬間はいつでも無防備なものだ。
 もうひとつは――『静寂暁美』。貴様が『本家』の命令を、のらりくらりと逃がれようとしたことだ」
「あらぁ。やっぱりあれはまずかったですかぁ」
「当たり前だろう」

仰々しく嘆いて見せる人物は、さらに姿を変えている。
おおよそ30歳前後の、鋭利な雰囲気をまとった黒髪の美人である。
美容整形を専門とする凄腕の形成外科医、静寂暁美。
ただ口元に浮かぶ笑みだけが、ここまですべての姿で一貫している。

「静寂家は元々、蛇杖堂の一族の分家筋のひとつ。
 さらにその末席にしれっと紛れ込んでいたのが貴様だ。
 貴様の擬態と認識阻害は大したものだったぞ、無能なりに誇ってもいい」
「はははっ、お墨付きを頂いてしまいましたねぇ」
「だが、私は一族全員に命令を出しておいたよな。
 『東京から去れ』と。『速やかに他の拠点に移れ』と。
 一週間程度の遅延であれば、引継ぎ等の都合として許した。
 だが貴様だけだった。この期に及んでまだ東京に居残ろうとしたのは。
 全て分かった後から見れば、貴様は退去したくても出来なかったという訳だ」
「バレちゃった後だからこそ、聞くんですけどねぇ。
 あの命令、何で出したんです?
 蛇杖堂の一族を『兵隊』として使った方が、そちらにとっても良かったのでは?」
「普通に考えればその通りだが、『以前』にそれで痛い目に遭ったことがあってな。
 末端がうっかり〈詐欺師〉に持ち掛けられた『契約』に縛られて、最終的に全て乗っ取られたよ。
 あれは面倒だった。同じ失敗を繰り返すくらいなら、無能な味方は遠ざけておくに限る」

どこか穏やかですらある口調で、互いに答え合わせを進める二人。
だが互いに目元は笑っていない。
そしてそれぞれの背後に、いつの間にか立っている人影がある。

蛇杖堂寂句の後ろには、赤い甲冑を身にまとった小柄な少女。手には赤い槍。
腰のあたりからは3対の、蜘蛛か昆虫を思わせる異質な長い脚が生えている。

刻々と姿を変える怪人の背後には、弓矢を手にした黒髪の少女。
和風とも言い難い独特の衣装の上に、無数の札が貼られて揺れる。

サーヴァント。
真名を探るまでもなく一目で分かるクラスは、それぞれランサーとアーチャー。
そんなものを身近に従えるのは、聖杯戦争のマスターくらいしかいない。


 ★


双方の英霊が油断なく身構える中。
再び肥満体の中年女性の姿に戻っていた人物が、のんびりと口を開いた。

「それで、ジャック先生。この私に何をやらせたいのですかな?」

複数の姿を使い分ける暗躍者の尻尾を掴んだにしては、悠長な構え。
殺すにせよ捕まえるにせよ、どう見ても本気の構えではない。
女社長は首を捻る。

「それを話す前に、まずは確認だ。
 こちらも貴様を探る中で、だいたい見当がついているのだが……
 貴様の動機は、『趣味』ということでいいのだな」
「趣味。
 そう言われてしまえばそうですねぇ」
「世間一般にありがちな、カネ目当てではない。権力目当てでもない。
 そんな陳腐な動機であれば、既に誰かが貴様を捕えていたことだろう。
 結果としてカネも権力も手にしたようだが、貴様は殺しそのものを目的としている」

蛇杖堂寂句は淡々と語る。
そこに怒りはない。ありがちな嫌悪の情はない。
いったいどうやってそこまでの調査をしたものか。
目の前の、ヒトの姿をしているだけの怪物の所業をおおむね見抜いた上で、本当にただ確認をしている。

「見当はついているが、貴様の口から改めて聞きたい。
 貴様のターゲットになりうる存在は、『子供』ということでいいのか」
「そうですねぇ。必要とあらば大人もやるけどねぇ。
 あと、少年よりは少女の方が好みだなぁ」
「『17歳』は、貴様の守備範囲のうちか」
「んー、ギリギリかな。その子の性格にもよるな。実際に見てみないと断言はできないねぇ」

怪物の無邪気な答えを受けて、寂句は懐から取り出した封筒をひとつ、投げて渡す。
怪人は中身を確認する。
写真。住所。東京で通っている高校。それらの情報を含む簡潔なレポート。
いずれも過去のある時点での情報でしかなかったが、蛇にとっては相手に辿り着くのに十分過ぎるほどの糸口。

楪依里朱(ゆずりは・いりす)。
 九州の山奥から出てきた、魔術師の一族の若き当主だ。
 一族の中での実権は持っていないようだが、本人の実力だけであれば本物と言っていいだろう」
「なんだい、結局、僕を分かりやすく厄介な相手にぶつけようって言うのかい」
「それもあるが。
 『前回』を知る者のうちで、貴様が『喰える』相手がいるとしたら、おそらくその小娘だけだ」
「…………」
「知りたいのだろう、いったい何があったのかということを。
 見通したいのだろう、この箱庭で何が起きているのかを。
 ならば『権利』を強奪して、『我ら六人』と同じ高さまで上がってこい。
 それが出来たのなら、改めて貴様に『殺意』を向けてやる」
「へぇ……。
 『曾孫』の仇、というだけでは、『殺意』にすら値しないってことかい」
「暁美は頭も良く手先も器用で、医師としてなら大成しそうだったが、魔術の才はなかった。
 我が跡を継ぐには足りなかった。
 貴様が見せてくれた姿を見ても、母胎としての性能も期待できなかったようだしな。そう惜しくもない」

静寂暁美、失踪時には8歳。
姓は変わり分家に位置付けられていたが、蛇杖堂寂句の血を引く人物の一人だった。
蛇の後ろに立つアーチャーが、あまりにおぞましい会話に少しだけ眉を寄せる。
一方の赤いランサーは全く感情を感じさせない鉄面皮を崩さず、何の反応もしなかった。


 ★


「サーペントトレード社には代金を振り込んでおこう。今後もまた何か頼むかもしれん」
「ありがとうございます。今後とも御贔屓に」
「静寂暁美と蛇杖堂の家の連絡ルートは残しておく。もし万が一、何かあればそれを使え」

蛇杖堂邸の玄関口で。
邸宅の主は、女商人を見送りに来ていた。滅多にない破格の待遇である。
それぞれの英霊は霊体化して、今は姿もない。
出入りの商人が商品を持ってきて、当たり前のようにただ帰るという構図。
〈暴君〉と〈蛇〉の最初の会合は、こうして終わる。

ふと、老人が、去ろうとしていた中年女の背に声をかける。

「そうだ、〈詐称者〉よ。
 今後貴様のことは何と呼べばいい? いくつも名前があるのは面倒でかなわん」
「ああ――そうですねぇ。
 貴方になら、教えてしまってもいいかもしれませんねぇ」

にたり、と。
首だけで振り返った蛇は、これまでで最大にいやらしい笑みを浮かべて、そして言った。
あまりにもあっさりと、己の最大の秘密を開示した。

神寂縁

「……カムサビ…………エニシ……?!」

「はははっ、いい表情が見れましたねぇ。
 いやあ胸がすくようだ。流石にこれは御老公にも予想外でしたかな。
 では、またいつか…………」

数多の顔を持つ怪人は、振り返りもせずに屋敷を立ち去る。
その背を、〈はじまりの六人〉の一角は、声もなくいつまでも見つめていた。


 ★


「いやあ、生きた心地がしなかったねぇ。
 猛獣のあぎとに頭を突っ込んだら、あんな気分なのかねぇ」
「良かったの? 隠しておくべき話だったんでしょう?」

元麻布の街には坂が多い。
長い下り坂をてくてくと歩く蛇に向けて、彼に従う英霊は少しだけ心配そうに問いかける。
天津甕星
戦闘ともなれば絶大なる力を振るう彼女も、怪物同士の化かし合いにおいては、外見通りの少女でしかない。
こうして無事に屋敷を出れたこと自体が、蛇の振るう『支配』の技術、その一端であることに思い至れない。

「どうやらあの人は、誰かに言いふらしたりはしないタイプのようだからねぇ。
 ならば今はこれでいい。
 じっくりと、機会を伺わせてもらうとするよ」
「…………」
「僕もこういうのは初めてじゃないんだ。過去にも何度かあったんだ」
「その時は、どうしてきたの」
「全て殺したよ」

当たり前のように、蛇は過去形で語る。
彼の趣味には合致しない、大人殺し。
その多くはこういった必要に駆られてのものだった。
いつだって最低限で、そして、決して不足のないものだった。

あの暴君はいつか必ず始末する。
それは蛇にとって、既に確定した方針だった。
それがどれほど険しい道で、どれほど時間がかかろうとも、必ず行われると決まったことだった。

「あそこで命を狙われたとしても、その場を凌ぐ手はいくつか用意していたけどねぇ。
 どうもこっちも向こうを殺しきれる気がしなかったんだよねぇ。
 ……そうだ、アーチャー。
 君の見立てとして、あちらのランサーはどうだった?」
「悔しいけど近い感想ね。
 戦ったとして、あの場で倒される気はなかったけれど、倒しきれる気もしなかったわ。
 日本ではないようだけども、どこかの神に非常に近い存在。
 こちらの矢はたぶん深く刺さる……
 けど、その上で、向こうの底が知れない。それだけで倒しきれるなら苦労しない」
「なるほどねぇ」

古代日本の技術の粋を集めて祀り上げられた対神決戦兵器は、そこまで言ってちょっとした違和感に気付く。
相手のランサーは少女の姿をしていた。なのに。

「ところであんた、変態のくせに、珍しく発情してなかったわね、あの赤い兵隊に」
「うーん、たぶんアレは『違う』んだよなぁ。
 たぶん君と違って『人間であった頃』を持ってない存在だ。カタチだけ少女を模した存在だ。
 ああいうのって、そそられないんだよねぇ」

駅に向けて緩やかな下り坂を歩きながら、蛇はぼやく。
どうやらヒトであることを辞めた怪物にも、好き嫌いというものはあるらしい。

「それよりも、楪依里朱、イリスかぁ……。なんでまだ調べていなかったんだっけ?」
「もう忘れたの?
 その住所は、例の〈蝗害〉に巻き込まれる恐れがあったから、後回しにしていた場所と相手でしょう?」
「ああ、そうだった、そうだった。
 困ったねぇ、本格的に貧乏籤を押し付けられた格好かぁ。困ったねぇ。
 それにしてもどんな子なんだろうねぇ……楽しみだなぁ……」

都内ののんびりとした昼下がり。
蛇はぬるりと、街の中に溶け込んでいく。


 ★


「ランサーよ。
 貴様は向こうのアーチャーを、どう見た」
「ある種の技術の集大成の産物、と見ました。
 すなわち、あれ以上の伸びしろはなく、槍を届かせ刺すことができれば倒せます。
 ただ――足元をすくえるだけの、慢心がありませんでした」
「ほう」
「英霊の座にありながら、己の技にも、己の業績にも誇りを抱いていない存在。
 まずありえないほどの自己評価の低さです。
 今後対立するようであれば、何らかの策を御用意下さい」
「なるほどな、考えておこう」

同時刻。
屋敷の片隅、書斎に場を移した蛇杖堂寂句の主従もまた、相手陣営の評価をしていた。
何事にも動じないはずの英霊が、少しだけ声に不審を滲ませて首を捻る。

「それよりも、あちらのマスターは何なのでしょうか。
 当機構が見た限り、既にヒトを超えた『なにか』のように見えましたが」
「たまにいるのだ、ああいう逸脱者が。
 おそらくは起源覚醒者。
 大抵は己の衝動ゆえにすぐに自滅するものだが、なかなかどうして、長々と生き延びてきたようだ」

寂句は嘆息する。
主従ともに、流石の寂句にとっても容易くはない相手。
そうと思えばこそ、確信が持てた後はすぐに手を打った。
相手の持つ姿のひとつを利用して、直接会える場を用意した。

四方から探られていた情報から逆算して、向こうがこの聖杯戦争の真相に興味津々であることは見て取れた。
細部はともかく、大まかな概要は掴めているのだろうとの推測もできた。
そうであるならば、方向性の誘導はできる。

あの大蛇が色彩の魔女に倒されるようならそれでも良し。
魔女すらも飲み込むというのなら、改めて対等の敵として叩き潰す。

寂句は、蛇に対して何一つ偽ることなく、己の本音のままにぶつかってみせた。
それがこの場は最善と判断した。
この剛腕を選択できる胆力こそ、寂句が暴君とまで呼ばれる理由のひとつであった。

「〈蛇使い座(アスクレピオス)〉の末裔としても、あれは扱いづらい〈蛇(サーペント)〉だな。
 だが、まだ足りぬ。
 『その名前』だけではまだ認めぬ。
 自負があるなら、傀儡の枠を超えて、『ここ』まで上がってこい、支配者気取りめ。
 そうすればその時に――改めて殺してやる」

暴君はまだ動かない。
今はまだ、屋敷に座して、駒を動かす。
必然として再来するはずの、大破壊の結末を知っているがゆえに。


 ★


【港区・麻布十番駅付近/一日目・午後】

【神寂縁】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:様々(偽る身分による)
[道具]:様々(偽る身分による)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:この聖杯戦争を堪能する。
1:楪依里朱に興味。調べて趣味に合致するようなら、飲み込む。
2:蛇杖堂寂句とは当面はゆるい協力体制をとりつつ、いつか必ず始末する。
[備考]
奪った身分を演じる際、無意識のうちに、認識阻害の魔術に近い能力を行使していることが確認されました。
とはいえ本来であれは察知も対策も困難です。

神寂縁の化けの皮として、個人輸入代行業者、サーペントトレード有限会社社長・水池魅鳥(みずち・みどり)が追加されました。
裏社会ではカネ次第で銃器や麻薬、魔術関連の品々などなんでも用意する調達屋として知られています。

楪依里朱について基本的な情報(名前、顔写真、高校名、住所等)を入手しました。
蛇杖堂寂句との間には、蛇杖堂一族に属する静寂暁美として、緊急連絡が可能なホットラインが結ばれています。



【アーチャー(天津甕星)】
[状態]:健康
[装備]:弓と矢
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:優勝を目指す。
1:当面は神寂縁に従う。



【港区元麻布・蛇杖堂邸/一日目・午後】

【蛇杖堂寂句】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:灰色のスーツ
[道具]:各種の治療薬、治癒魔術のための触媒(潤沢)、「偽りの霊薬」1本。
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:他全ての参加者を蹴散らし、神寂祓葉と決着をつける。
1:神寂縁とは当面ゆるい協力体制を維持する。仮に彼が楪依里朱を倒した場合、本気で倒すべき脅威に格上げする。
2:当面は不適切な参加者を順次排除していく。
[備考]
神寂縁、高浜公示、静寂暁美、根室清、水池魅鳥が同一人物であることを知りました。
神寂縁との間に、蛇杖堂一族のホットラインが結ばれています。

蛇杖堂の一族(のNPC)は、本来であればちょっとした規模の兵隊として機能するだけの能力がありますが。
敵に悪用される可能性を嫌った寂句によって、ほぼ全て東京都内から(=この舞台から)退去させられています。
屋敷にいるのは事情を知らない一般人の使用人や警備担当者のみ。
病院にいるのは事情を知らない一般人の医療従事者のみです。
事実上、蛇杖堂の一族に連なるNPCは、今後この聖杯戦争に関与してきません。



【ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)】
[状態]:健康
[装備]:赤い槍
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉を刺してヒトより上の段階に放逐する。
1:蛇杖堂寂句に従う。
2:ヒマがあれば人間社会についての好奇心を満たす。


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最終更新:2024年08月26日 23:58