―――おとうさま、どうして泣いているのですか?

 少女がその背に問うことは結局、最期まで出来なかった。
 机に向かって丸めた小さな背中、老いさらばえ骨ばった腕、禿げ上がった頭を掻きむしる節くれだった指先。
 時折上がる、絞り出すような苦悶に満ちた呻き声が、男の哀絶を伝えてくる。

 ―――おとうさま、どうしてそんなにも、辛そうに泣いているのですか?

 少女に、声をかけることは許されていなかった。
 父の仕事の邪魔だけは、絶対にしてはならない。
 だから、言い付けの通りに、じっと黙って、震える背中を見つめている。

 老いた男は一心不乱に何かを書きなぐり、それを乱暴に横線で打ち消し、また書いて消して、紙を握りつぶし、遂には引き裂き投げ捨てた。
 ひらりと舞い上がった皺くちゃの用紙の一片が、少女の足元に滑り落ちる。
 拾い上げれば、そこにはいつもの父の字で、物語の結びが書かれてあった。
 悲劇に襲われた男女が、カミサマ救われて幸せな結末を迎える。素敵な素敵な大団円、なのに。

 ―――おお、神よ、神よ、何故。

 繰り返される、か細い、うめき声。父は苦しんでいる。
 仕事中の父はいつもそう嘆き、痛んでいる。
 苦しみながら、それでも再び筆を取って机に向かう。

 少女にとって、そんな父の姿を見るのは辛かった。
 何故、父はあんなにも辛そうに書くのだろう。
 まるで何かの罰のように、藻掻くように腕を動かし続けるのだろう。

 ―――こんな奇跡は起こらない。これは、これは冒涜だ。

 少女は父の描く物語が大好きだった。 
 初めて劇場で父の上演を見た日のことは、一生忘れないだろう。
 物語の中で悲劇に見舞われる人々、それでも強く懸命に生きる彼らは、最後は神の手によって報われる。
 感動して、高揚して、こんなにも素晴らしい物語を紡ぐ父を誇りに思った。

 窓の外からは絶えず人々の歓声が聞こえる。
 アテナイ国はいま、にわかに沸き立っている。戦争に勝ち、国全体が勝利の高揚に包まれている。
 大衆は次の物語を求めている。父の次作を、彼の描く悲喜劇を、更なる刺激を求めている。
 少女もまた、その一人、だけど。

 ―――神よ、神よ、どうして。

 父はずっと痛んでいる。
 一体何が、彼を苦しめているのだろう。

 ―――何故あなたは、このような悲劇を、お許しになるのだ。

 他ならぬカミサマが、人を救うはずのカミサマこそが、父を苦しませているのだろうか。
 父の描く物語に出てくるカミサマのように、この世界のカミサマは、父の苦しみを取り除いてくれないのだろうか。

 未来を想像して、少女は震えた。
 彼はこのまま苦しみ抜いた果てに、答えを得られず孤独に死に果てる。
 そんな報われない最後を想像するのが、ひどく恐ろしかった。

 まだ小さな少女は何も知らない。
 父の苦悩も、アテナイの国が行った戦争の実態も、真実なんて呼ばれるものは、何も知らなかった。
 だけど、一つだけ。何も知らない少女でも、一つだけ、確信できることがあった。

 人は救われるべきだ。
 物語のなかで、懸命に生きていた彼らのように、最後には報われてしかるべきだ。
 父もそう、父の苦悩も、痛みも、報われぬまま終わっていい筈がない。

 悲劇は、悲劇のままで、終わってはならない。
 父の描く物語のように、誰かが拾い上げてあげなきゃだめだ。
 大団円を迎えなきゃうそだ。

 ―――おとうさま、わたしは、おとうのさまの物語が、だいすきです。

 この世界に、父の物語に出てくるような、素敵なカミサマがいないなら。
 父を救ってくれる、悲劇を打ち破る最高のカミサマがいないなら。

 ―――わたしが、おとうさまを救ってあげられたら。

 それが、後に五番目の機神となる少女の、始まりの願いだった。






 率直に言って失敗だった。もっと慎重に考えて行動するべきだったのだ。
 雪村鉄志は深い溜め息を噛み殺しながら、取り出した財布の中身を確認する。
 レジに表示された金額は予算を遥かに超え、顔が引き攣るのを隠せている自信はない。
 正直、今からでも「やっぱりナシで」と言いたいところだが。

「とぉっても、よくお似合いですよ~」

 状況はもはや、それを言い出せる雰囲気ではなかった。
 満面の笑みで見つめてくる年若い女性店員。
 その視線の先、雪村の隣には西洋人形のような少女が立っている。

「娘さんですか?」
「そう、あー……いや、知り合いの子を預かってるというか、そんな感じで……」
「そうなんですか~いや~ホント可愛いですね。え、ハーフの子ですか?
 肌真っ白でお人形さんみたい。私もつい気合い入っちゃいまして、全力コーディネートしちゃいました!」
「はは……ヨーロッパの子みたいですよ……ははは……あの、ここカード使えます?」

 サーヴァント、マキナ。
 少女は数刻前までの白いドレスではなく、紺色のワンピースを身に纏っていた。

「いえす。ほめられました。ますたー」
「……ああ、良かったね」

 時間は30分ほど前まで遡る。
 魔力痕の調査と、付随した戦闘を何とか切り抜けた雪村は、かねてからの予定に間に合わせるべく、ここ中目黒に移動してきた。
 少し早く着いたので、ついでにマキナの見た目を誤魔化すための服を購入しようと、適当なショッピングモールに入った。
 と、そこまでは良かったのだが。

 雪村はレディースファッションに疎い。
 娘が小さい頃、数回は一緒に買いに行った経験があるものの、流石に一式を独断で揃えられる程の知識は無かった。
 よって仕方なく、試着室の中でマキナを実体化させ、適当な服を放り込んで試行錯誤していたところ、運悪くやる気に満ちた店員に見つかってしまい。
 「アレも似合います、これも合います、すごく可愛いです」と、勧められる間に、とんでもない予算オーバーと相成っていたのだった。

 長袖のロングワンピースは機械の手足を隠すために必要だった。
 手袋とニーソックス、あとブーツも同様に。
 しかし頭にちょこんと乗ったベレー帽子や、首から下げたロザリオのネックレスは確実に余計だ。
 子供の服だからと舐めてかかった結果がこれ。そも入る店を間違えた感が否めない、もっと無難なファストファッションの店を探せば良かった。
 してやられたと言いたいが、しかし勧めてきた店員の熱意にも嘘は感じられず、なにより、

「……? どうしましたか、ますたー?」

 小首をかしげ、こちらを見上げてくる少女の姿。
 つい先程までずっと無表情で、着せ替え人形と化していた彼女の、着飾った姿。
 まあ、確かに、似合っている。あの店員の言う通り、とても可愛らしい。

「いや、なんでもねえよ」

 確かに手痛い出費ではあった。反省こそあれど、しかし不思議と後悔する気にはならない。
 その理由を、雪村はあまり考えないことにした。

 二人でショッピングモールを歩きながら、雪村はふと思う。
 新しい服を買って、しかしマキナには特段テンションが上がった様子はない。
 これまで一緒に過ごした経験から、この一見無機質な少女が意外と素直な性格をしていることは把握していた。
 嬉しいときは喜色が現れ、先程の戦闘のように、哀しいときは目に見えて沈んでいた。

 少女はあまり認めたがらない様子だが、機械でありながら、神を目指すと宣言しながら、時折人間らしい感情が垣間見える。
 ということは、彼女はあまり服装には興味がなかったのだろうか。
 だとしたら空振りだったかもしれない。

 実際、気分転換も兼ねていたのだ。
 先刻の戦闘、高乃河二とそのサーヴァント、ランサーとの戦いにおいて、マキナは有用性を示せなかったと、そう考えている様子だった。
 要するに、明らかにへこんでいた。

 ならば、これはひょっとすると、わかりやすいご機嫌取りだったのか。
 いつだったか、娘がへそを曲げてしまったときに、やったような。

(……なんだそりゃ、馬鹿か俺は)

 内心で己に毒づいて、その愚かな思考を否定する。
 決して重ねまいと、決めたはずだ。この少女を、何かの代わりにはしてはならないと。
 なのに、つい無意識にそんなことを考えていたとしたら。
 それはきっと冒涜だろう。消えてしまった娘にとっても、目の前の純粋な少女にとっても。

「なあ、嬢ちゃん、このあと……」 

 振り払うように傍らの少女に声をかけようとして、ようやく雪村は気付いた。
 数歩後ろで、マキナは歩を止めていた。

「……い」 
「嬢ちゃん……?」

 少女は足を止めたまま、ある方角をじっと見つめている。

「……神は笑わない、神は怒らない、神は泣かない、神は怠けない」

 そしてなにやら、小さくもごもごと、自分を戒めるように繰り返し呟いていた。

「神は笑わない、神は怒らない、神は泣かない、神は怠けない」
「おーい、嬢ちゃん」
「神は笑わない、神は怒らな……ハッ……あ、ますたー、ええっと……あの、いえす、だいじょぶです! いきましょう!」
「なにを見てたんだ?」
「見てません、なにも見てません、神は怠けません」
「まてまてまて」

 機械的に首を動かし、ずんずんと先に行こうとする少女の肩に手を置き、先程まで彼女が見ていた方向を見る。
 そこにはCDショップと併設された書店があった。

「嬢ちゃん……本に興味あんのか?」
「い……のん、のんです、行きましょう」
「それか、音楽か?」
「…………」
「両方か?」
「……………………………い、いえす」

 消え入りそうな声で呟く少女が、再びその方角を見る。
 服屋に入ったときとは比べるべくもない、輝きがその眼には湛えられていた。

「なんか買ってほしいもんとか、あるか?」
「……そ、それはだいじょぶです。その、ただ、ちょっと近くで……ああ、えと、違います、行きましょう、ますたー」

 申し訳無さそうに、恥じ入るように、視線を落とす少女。
 なぜか、雪村もつい、目を逸らしてしまう。

 この場合、どうするのが正しいのだろう。
 どう振る舞うのが、正しいマスターの在り方なのだろう。
 どう振る舞うのが、正しい人の在り方なのだろう。

 そもそも自分はどう在りたいのだろう。
 分からない。ただ「重ねてはならない」と、それだけを心の何処かで思っている。
 迷うこと数秒、己の出した答えが、果たしてどの立場として正しいものだったのか、この時の雪村には結局分からないままだった。

「……そうだな、じゃあこうしようか、嬢ちゃん」




 陽気なBGMの響く店内を、少女は一人、歩いている。
 マキナと呼ばれる機巧の少女は、買ってもらったばかりのワンピースを翻しながら、書店の中をきょろきょろと見回していた。
 新書コーナーで足を止め、高く積まれた商品(ほん)、の一冊を手に取ってみる。

「…………」

 この時代の書物や音楽に興味があった事も、お店に入ってみたいと思っていた事も、マスターには見抜かれていた。
 実際、マキナは少し興奮している。理想の神様らしく、努めて冷静に、機械的に振る舞おうとしていたけれど、最新の文化に触れて高揚する心を抑えきれない。
 一方で、どこか落ち着かないような気持ちもあった。そわそわして、じっとしていられないような、焦燥に近いなにか。

 理由は、すぐに思い至った。
 いま、少女の傍にはマスターがいない。少しの間、別行動する事になっていた。
 マスターが食事をとっている間、マキナはここで自由に本や音楽を鑑賞して良いと。
 気になる物があれば買っても良いと、おこづかいまで貰ってしまった。

 勿論、念話が通じる距離は保っていて、マスターに何かあれば直ぐに駆けつけられる。
 一様の保険も掛けておいた。
 だけど、それでも、落ち着かない。

(……呆れられて、しまったのでしょうか)

 心に引っかかっていたのは、多分その事だった。
 先ほどの戦闘で、マキナはマスターに有用性を示すことが出来なかった。
 単純火力では敵を圧倒していた筈なのに、戦略によって上回られ、うろたえる失態すら見せてしまった。

 敵は本職の将、気に病むことはないと、マスターはフォローしてくれたけれど。
 それでも勝たなければならなかったのだ。どんな条件であろうと、襲い来る悲劇を迎撃し、勝利しなければならなかったのだ。
 マキナが理想とする神ならば、至るべき平和機構、完成された救済装置ならば、出来たはずだ。
 なのに、上手くできなかった。マキナはそれが悲しい。

 失望されてしまったかもしれない。
 だから今、置いて行かれてしまったのだろうか。
 そんな不安が、ちくちくと心を刺す。

 そもそも、この状況そのものが落ち着かない。
 マスターを傍で守護するのがサーヴァントの大事な役割の筈だ。もしもの時、先ほどの戦闘のように、マキナの判断が遅れてしまったら。
 想像するだけで、のんびり本を見ている気分ではなくなってしまう。早く、早く、挽回したい。

 こんな俗っぽいものに興味なんかない。
 神は、怠けないのだから。いつだって一生懸命に、人を救うために頑張らないといけないのだから。
 そう自分に言い聞かせ、マスターの元に戻ろうと本を置いて歩き出し、ああだけど、少しだけ音楽も聴いてみたいような。
 なんて思って、CDショップの方をチラリと見た、そのときだった。

「……あ」

「ん……おや、これは、これは」

 狼毛皮のロングコート。
 全身に身につけた金のアクセ。オールバックにした黒い長髪。
 そして、なによりその巨体。身長2メートルを超える長身の女性。

「かわいい同類がいたもんだね」

 CDショップの視聴コーナーで、ノリノリでロックを鑑賞する。
 なんとも俗っぽいカミサマと目が合った。






 そのワンフロア階下、ファミレスのテーブル席にて昼食を取りながら、雪村は依頼人を待っていた。
 探偵業、それが今日メインのスケジュールであり、彼が中目黒までやってきた理由だった。
 道中で発見した魔力痕跡の調査が二組の主従と遭遇させ、戦闘にまで発展したことは流石に計算に入ってはいなかったが。
 それでも幸い、待ち合わせの時間に遅れる事態にはならなかった。

 雪村が聖杯戦争開始以後も、探偵業を続けている理由は2つある。
 まず単純な資金源であるということだ。この一ヶ月、東京という限られたフィールドの中で生きていくために、彼は仕事を続ける必要があった。
 つい先程も予定外の出費があったばかり、口座の残高には常に余裕がない。
 もう一つは情報源だ。彼が聖杯戦争に臨む理由である、ニシキヘビの捜査。
 それだけでなく、多くの魔術師を内包するこの街は異変に包まれている。依頼を通して街の情勢を理解する、これは情報戦の一環なのだ。

 などと言えば聞こえは良いが、実際の所、調査が順調とは言いがたかった。
 蛇の尻尾は未だ掴めぬまま、過ぎていく時間と深まる街の混迷に、焦りが無いと言えば嘘になるだろう。

 時間がない。
 それは直感だった。

 今まで情報収集を行ってきた幾つかの怪異は全て、魔術師絡みと推定できる。
 蝗害、消える団地居住者、横行する若者の暴力抗争、各所で発生する火災。
 傍目には一ヶ月かけて、じわじわと進行してきた異常値の数々。

 だが、もう既に猶予がないような。
 もうすぐ致命的な事態が、決定的な何かが、この街に訪れるような。
 嫌な予感があった。そして雪村は、この手の勘を外したことがない。

 指定された時間まで、もう少し時間がある。
 待ち人を待つ間、彼は箸を動かしながら、先程出会った二組の主従を思い返す。

 高乃河二とそのサーヴァント、ランサー。
 琴峯教会の少女(シスター)とそのサーヴァント、アサシン。

 彼らと協力協定を結ぶことは、選択肢に入るだろうか。
 おそらく様々な事態が水面下で進行しているこの街で、一人でやれることには、どうしたって限界がある。
 雪村はこの一ヶ月の調査を通じて、それをよく理解していた。

 一時的でも、味方がいるに越したことはない。
 聖杯戦争という舞台が、いずれ争い合う定めを強制したとしても。
 彼らが本質的に悪人でないのなら、その順番を後ろ倒しできるだけでも、悪くない話だ。

(それに――)

 父の仇を追う少年。
 教会を守るシスター。

 それぞれ、別の意味で、思うところはある。 

(ああ、それにしても)

 箸を止め、雪村は思った。

(……落ち着かねえ)

 気がささくれだってしょうがない。
 その理由は、もうとっくに分かっている。
 気になるのだ、上階の様子が。具体的には、サーヴァントの様子が。

(……俺は何をやってんだろうな) 

 だったら離れなければ良かったのだ。
 一人にしなければ良かったのだ。一緒にいればよかったのだ。

 一人で頭の中を整理したい気分だったから。
 少し一人にしてやった方がいいと思ったから。
 マキナにとっても気分転換なるだろうと考えて。

 全部、後付の言い訳だ。
『この子を、一人にするのが心配だ』なんて、サーヴァントに向けるには馬鹿げた思考を否定したかっただけだ。
 本来、一人になって心配されるのは雪村の側だろう。護られるのはマスターの側だ。
 マキナもそう言っていたしそれが正しい。マスターとサーヴァント、その関係性を考えれば、感覚がおかしいのは雪村の側だ。
 それを雪村も十分に理解している。だからこそ、己の感覚を否定するための、あえての別行動。

 だが、結局自覚してしまっているなら、それは欺瞞でなくて何なのだろう。
 パスはしっかりと繋がっている。互いに念話を送らないだけで、いつでも会話出来る、駆けつけられる距離を保っている。
 なのに、少女を目の届かないところに、一人にしてしまっているという実態に、己の中の何かが異を唱えている。

(マスターとしては、これが正しいんだろ? 違うのか?)

 少女は人ではない。戦いの道具だ。
 マスターならばその認識が正しく、少女自身そのように運用されることを望んでいた。
 だが、割り切れない心が、どこかにある。
 マスターとして正しく振る舞うほど、人として必要な何かを取りこぼしてしまうような気がして。
 だけど、同時に、少女を何かの代わりにだけは、してはならないと思ってもいて。
 結局、どう接するのが正しいのだろう。分からない。

(――嬢ちゃん、聞こえるか?)

 気づけば、声をかけてしまっている。
 己は結局のところ、マスターとしては失格なのかもしれない。

(――そろそろ、合流するかい?)

 でも、まあ、それでもいいか、と思うことにした。
 少女を一人で放置して平気な感性が合格なら、別に落第でもかまわない。
 そんな、半ば開き直りの心境で、マキナを呼び戻そうとしたのだが。

(――のん、ますたー。それは出来ません)

 返答は意外かつ、異常の発生を伝えるものだった。

(――たった今、敵性サーヴァントと遭遇しました。当機はこれより対応に入ります)

 箸を投げ捨てる勢いで立ち上がる。
 周囲の客が驚いて雪村を見るが、気にしている場合ではない。
 最悪のタイミングだった。自分の迂闊さに目眩がする。

(――いや待て、嬢ちゃん! 俺もすぐそっちに――)  

「こんにちは」

 そして間の悪さとは連鎖するものだ。
 今になって、待ち人がやってきてしまった。

「くそ――ああ、悪いが、たったいま……」

 急用が、と続けようとした言葉が途切れる。
 煤の、匂いがした。

「あなたが探偵さん、ですか?」

 その男はよれたダークスーツを纏う、二十代前半くらいの温厚そうな青年だった。
 目の細い柔和な顔つきを補強するように、リムレスの眼鏡をかけている。

「……いや、すまん、依頼人だな。どうぞ、座ってくれ」

 若白髪の交じる頭髪は整えられていて、雪村のそれと違い怠惰な印象はない。
 スーツ姿と相まって寧ろ、厳かな行事に向かうような。
 草臥れた印象の中に、ある種の厳粛さを感じさせる装いだった。

「ええ、僕が依頼人の―――」

 だが雪村にとって、そんなことは全てどうでもよかった。
 重要なのは男が、微笑みながら翳した、手の甲。
 そこにある紋様。氷の結晶のような、あるいは炸裂する炎のような、樹枝状の六角。

「赤坂亜切と申します。今日は、よろしくお願いしますね」

 令呪と呼ばれる。
 それが、男の立場を、何より鮮明に物語っていたから。


 その直上、喫茶店のテーブルにて、彼女達は向かい合っていた。

 多数の金装飾に身を包んだ長身の女傑と、清楚な身なりをした小柄で可憐な少女。
 方向性こそ真逆なものの、どちらも欧州の気風を纏う、異国の美女二人――厳密には二柱の、組み合わせは非常に目立っている。
 しかし周囲から向けられる好奇の視線を気にすることもなく、彼女らは真っ直ぐ、互いを推し量るように視線を交錯させていた。

「何か飲むかい? 奢るよ」
「のん、当機に経口の補給は必要ありません。それに、お小遣いはちゃんと貰っています」
「そうかい、んじゃあアタシは遠慮なく」

 すごご、と音を立て、新作フラペチーノを一息に吸い上げる大女。
 対面に座る少女の前にはコップ一杯の水だけが置かれており、口を付けた形跡はない。

「ぷはぁ……美味いね、コレ。現世ってのは良いもんだ。なあ楽しんでるかい、お嬢ちゃん」
「のん、神は怠けません。当機は、果たすべき目標、至るべき神の器の完成に向かって邁進するのみです」
「硬いねえ。せっかくの機会だってのに勿体ないよ」
「むむ……当機に、あいすぶれいく、必要ありません。それにお嬢ちゃん、ではありません」

 表面上、世間話でも始めそうな気安いやり取り。

「クラス:アルターエゴ。機体銘:機密につき隠匿。製造記号:機密につき隠匿。当機には通称として『マキナ』が設定されています」

 しかし少なくとも少女――マキナにとって、これはただの英霊同士の交流ではない。

「その神性、召喚に際して多少の劣化は免れなかったようですが、当機の視覚はごまかせません。
 実に名のある女神の一柱とお見受けいたしました」

 目前の女性から立ち昇る、マキナよりも遥かに格上の神威。
 直接的な暴力は未だ振るわれていない。
 しかしこれは、戦いであった。そして、挑戦であった。

「当機は最新鋭の神として、旧代の神に問答を望みます」

 マキナが自らの神性を引き上げ、理想の救世神に到達する為に。
 超えねばならぬ、古き神という壁。
 神と神の、戦いである。

「いいよ、何でも聞きな、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんではありません」
「くっはは、悪い悪い、何でも聞きなよ、マキナ」

 マキナは思いつく限り真剣な言葉を選んで。
 しかし挑まれた側は依然、気安い調子のままで。

「では……当機の通称は先程提示した通りですが、これより開始する問答のため、貴女の通称を伺いたく。
 勿論、今が聖杯戦争の期中であることは承知しております。クラス名のみであっても構いません。当機も機体名と製造記号は秘匿し――」
「スカディだ。ヨロシク」
「―――へ?」

 これには流石に、マキナも一時停止せざるを得なかった。

「ああ悪い、クラスは"アーチャー"だ。そっちのが重要だったかい?」
「ええ……あの、その……いいのですか?」
「アンタが聞いたんだろ?」
「でも……真名……」
「それもそっか、やっちまったねえ。……まあ、なんでも聞きなって言っちまったしね」

 狙ってやったとするならば、それは凄まじい効力を発揮していた。
 聖杯戦争において、戦力の底や弱点の発露を避けるため、可能な限り秘すべしとされている真名をあっさり溢して置きながら、女にはまるで反省した様子はない。
 だが結果として、マキナは本題に入る前から出端を挫かれている。目の前の存在の真意が全く掴めない。
 何なんだこの女神は、天然なのか、豪胆なのか。
 他の奴らには内緒だよ、と悪戯っぽく笑いながらウィンクまで決めてくる。

 スカディ、あるいはスカジ、北欧神話に登場する『狩猟の女神』にして『霜の巨人』。
 出会ったときから感じていた欧州の気風、逞しい筋肉で覆われた長身。
 全てしっくりくる。一応、嘘をついている可能性も排除は出来ないけれど。
 何もかもイメージ通りすぎて、疑うほうがバカバカしくなるくらい明朗な女性だった。

「で、では、女神・スカディ。―――当機は貴女に問いましょう」

 なんとか気を取り直して、マキナは再びスカディと向き合った。
 そう、こんなところで躓いてはいられない。ここからが本題なのだ。
 マキナの大願、新しき神として完成に至り、無謬の平和機構を構築すること。

 心しか救済し得ない、旧世代の神々から人々が脱却するための知見。
 否定すべき古き神、その理解を深めることは不可欠なのだ。
 己が完成させるべき、『創神論』のパーツを集めるために。

「貴女は、なんのために、聖杯を求めますか?」

 だからいま、この奔放な女神と一対一で話し合う機会を得られたことを、マキナは僥倖だと捉えていた。
 単純に戦いに勝ち抜いて、聖杯を得られたところで、それはエネルギー問題の解決という性能面の改善に留まる可能性が否めない。
 マキナは自らの心で至る必要がある。その理想の完成に。

「聖杯? 理由? アタシの願望が何かって意味かい、そりゃ?」
「いえす。聖杯にかける貴女の、神としての望みを、当機は質しているのです」

 故に問おう。
 若輩ながら、同じ神として。
 答えてみせろ古き神。
 この現世に降り立ち叶えんとする、人のための大望を。

「そういや考えてなかったよ。いい男でもいりゃ紹介してもらおうかね」
「おとこ」
「ていうか聖杯なんかにゃ、あんま興味ないんだよね。アタシは」
「きょうみない」
「そ、言ってみりゃ旅行に来たようなもんさ。アタシはここで、思う存分狩りを楽しんで、好きにやるのが望みだよ」
「…………」

 マキナは、ふるふると機械の身体が震えるのを感じる。
 やはり、思った通り、いや思った以上だった。
 スカディの伝承は知っている。
 というより北欧神話全体の伝承を把握していたマキナは、正直に言って彼女の答えに大きな期待が在ったわけではなかった。

 女神・スカディ。巨人から神族の仲間入りを果たしたという経歴を持つ彼女。
 その物語に、人の救済を謳うモノは少ない。そも、北欧の神話全体として、人の救済を主題に置いてはいないのかもしれない。
 それは人が生きる前の、神たちの物語だ。だが、彼らに対する信仰は今も現世に生きている。
 目の前に存在する女神にだって、狩猟の女神としての信仰、山の女神としての信仰は、現代の人々に伝えられている。
 彼女に救いを求め、願う人達が居るはずなのだ。

 そんな彼らを、人を、彼女が愛しているならば、在るのではないかと考えた。
 彼女なりの、女神としての、人を救う為の理想。
 最新鋭の神として、否定すべき解であったとしても、マキナの至るべき理想の、パーツの一つになればと。

 だが、齎された答えは、否定するまでもない。
 この女神には、そもそも、人を救うつもりなどないのだから。

「貴女は―――」 

 だから、マキナは諦めとともに、確信だけを深めた。
 この女神から得られるモノはない。
 旧式の神からは、やはり早急に脱却せねばならない、その確信をより強く得ただけだと。
 そう思って、

「貴女は人を、愛していないのですか?」
「ぷ、はっ……くく」

 しかし、その時、空気が変わった。

「くっははははははッ! そう聞こえたかい?」

 冷たい風、欧州の北部、厳しい山岳の、それは凍土の風だった。

「いやはや、可愛いお嬢さんだ。純粋ってのは罪だねえ。そう真っ直ぐに聞かれちゃあ腹も立てられない」

 椅子を軋ませ、豪快に手を叩いて笑いながら、スカディは目元の涙を拭い。
 コップに残っていた氷を一口にあおった。
 ぼりぼりと口の中で結晶を砕きつつ、じゃあ次はアタシの番だが、と続けてみせる。

「察するに、アンタの望みは人を救うことかい、若いの」
「いえす。当機は完成された救済装置、全ての悲劇の迎撃者、無謬の平和の構築こそを、到達点と定めています」
「いいねえ。とっても可愛らしい理想だよ。じゃあもう一つ、だったらアンタは、人を愛しているんだね?」
「いえす。当機は人類には救う価値があると判断しております」
「そぉかい。だったら―――そりゃあ問題だよ」
「一体なにが―――」

 と、口を挟もうとした瞬間だった。
 女の巨体が身を乗り出し、覆いかぶさるように、マキナの顔を至近距離で見つめてくる。

「いいかいお嬢さん。こりゃ女神の先達からの忠告さ。よく聞きな」

 巨体に気圧されたつもりはない。
 だが女の発する強烈な神威が、少女に二の句を継がせない。
 何故、と。マキナは思う。
 何故こんな奔放な神が、ここまで純烈な神性を放つ。

「人を愛する神に、人は救えない。アンタの愛が、いつかアンタの道を阻むだろう」

 何を言っている。何を根拠に。幾つもの反論が瞬時に浮かんで、だけど言葉にして繰り出す前に。
 女神は離れ、再び椅子に深く腰掛けた。ぎじと、椅子が悲鳴のような軋みを上げる。

「ところでアタシの今の主人(マスター)はね。そりゃあ酷い奴でさ」

 そして急に、話を変えた。
 だがマキナには分かっている、きっと本質的な話題はズレていない。

「馬鹿で、愚かで、なんならちょっと気持ちの悪い、最低最悪の男さ」

 けどね、と続けて。
 スカディは笑った。それは一貫して、奔放なる彼女の、純粋な笑みに見えた。

「人を何人も殺して、何とも思わない。悪いとも思っちゃいない。
 この平和な国の常識で測りゃ、人間のクズの見本みたいな殺人鬼。
 けどね、アイツは愛のために生きている」

 沢山の人を不幸して、一人の幸福を追い求めている。
 それは一体、誰のためか。
 他でもない"自己"という、最も身近な人間のための愛。

「まるで喜劇の主人公さ」

 可愛いだろう、とスカディは笑う。
 それは本気の言葉に聞こえた。

「アンタの主人(マスター)はどうだい? 今どんな物語の渦中にいる?
 喜劇かい? それとも?」

 スカディが何を言いたいのか。
 マキナは少しだけ、分かった気がした。

「アタシは人を愛しているよ」

 あくまでスカディの理論であり、全ての神に共通するわけでは無いだろう。
 しかし、少なくとも彼女が人を救わない理由については、マキナは理解できる気がした。

「アタシはね、"人の全て"を、愛しているんだ」

 愛そうか、殺そうか。そんな二択は、そもそも彼女には無い。それらは一択に包括されている。
 だからスカディは、人類を救済しようなんて思わない。
 正すべき愚かさも、諌めるべき悪意も、殺人鬼の喜劇も、マキナが迎撃せんと挑む悲劇ですらも、彼女は愛してしまえるから。
 それほどまでに、人を愛でることが可能ならば。

「さて、もう一度、聞こうじゃないか。アンタは、アンタの愛(りそう)で、人の全てを救えるかい?」

 切り返されたのは行き詰まりの問答だ。
 人の愚かさを愛せないなら、人を愛していると言えるのか。
 愚かさすら愛すると飲み込むなら、人を救う大義はどこへいくのか。

 一転して追い詰められたマキナは答えを探る。
 この女神に返すべき解は今、マキナの心に在るのだろうか。

「当機は……」

 実に、有意義な問答だったと言わざるをえない。
 マキナが目指す理想への道で、きっとこれは、避けては通れぬ交錯だった。
 だからマキナはゆっくりと、その答えを音にしようとして。

「当機は―――」

「おっと残念、時間が来たみたいだ」

 突然立ち上がったスカディに対して、意識を切り替えざるを得なかった。
 先ほどまでと、状況は一変している。
 放たれる神威に、戦意が乗った。つまり問答の終わりと、そして、後に待ち受けるものの開幕を告げている。

「なあ、マキナ。アンタにアタシは認められないかもしれないが。アタシはアンタを気に入ってる。
 何故だか分かるかい? 人を救いたいなんて願うアンタは、実に人間らしくて可愛いからさ。
 アタシは、人間が好きだからね。だからアンタの事も好きさ」

 ともすれば喧嘩を売っているような。
 マキナにすれば、間接的に存在を否定されているような物言いだったが。
 スカディはあっけらかんと、悪意なく言い放つ。

「別に嫌味を言いたいわけじゃないよ。
 アタシの仲間にもアンタみたいに人を気にかける奴はいたし、アタシだって自分が神として上等なんて思っちゃいない。
 殊更、アンタの理想を、否定するつもりはないさ」

 それすら愛してしまえるからねえ、と。
 少しだけ冗談めかして頬を緩める。

「当機も、貴女という神を、少し理解できた気がします。その上で――」

 マキナもまた立ち上がり、その巨体と向き合った。
 眼前に在るは、美しき女神。
 巨人としての特性が強く現れていて尚、いまのマキナよりも数段上の神位に立つ彼女に。
 マキナはそれでも、告げなければならない。

「当機は、貴女を否定します。スカディ、旧き女神よ。
 貴女と貴女のマスターが繰り広げる喜劇の外周で、多くの人々に故なき悲劇が降りかかる」

「きっとそうなるだろうねえ。だったら? アンタはどうするって言うんだい?」

「無論、迎撃します。
 当機は全ての悲劇の迎撃者、人の手による理想の救世神。
 当機が―――これより貴女の敵となります」

「くっ……!」 

 瞬間、遂にその本性が開帳された。

「は――――はははははははははッ!! あはっはっはっはっはッ!!!」

 大笑する女神を中心に、凶暴な冷気が拡散する。

「いいねぇ、実に可愛い! よくぞ吠えた! 良い啖呵だよお嬢ちゃん!」

 マキナの機械腕とは対象的な、荘厳な筋肉に覆われた腕を撓らせ、伸ばした手に握られるのはイチイの大弓。

「だったら次に会うときは、ちゃんと敵として愛してやる。
 アンタも、その時までには、しっかり答えを用意しとくんだね」

 次いで発生した事象は、不幸な偶然の重なりだった。
 いや、もしかすると、全て敵の仕組んだ状況の結果だったのかもしれないが。

(―――嬢ちゃん、悪い。緊急事態だ、使うぞ―――!)

 動き出す敵と、突如、思考に割り込んだマスターからの念話。
 優先するべきものはどれか、選択を迫られたマキナは、混乱の中で正解を選び取る事ができた。
 マスターからのオーダーに応え、第2宝具発動のプロセスに同意する。
 何よりマスターの安全を最優先する。
 代わりに、目の前のサーヴァントに対する動きが僅かに遅れ―――

「それじゃ、生きて会えたらまた話そう。小さくて可愛いカミサマちゃん」

「―――ッ!」

 その剛弓の一射が、足元の床を貫く。
 爆散する冷気と吹き上がる霜に、一瞬塞がれた視界が戻ったときには、目の前の巨体は嘘のように消えていた。

『最後に、一言だけ置いていこうか。アタシはアンタを気に入ったからね』

 代わりに残されたのは、床に穿たれた大穴と、残響する言の葉だけ。

『アタシはね、カミサマに条件なんてもんは無いと思ってる。けどね―――』

 穴の底は果てしない。
 最下層のフロアまで、その一撃は及んでいた。
 離脱する為だけにしては、あまりにも大きい破壊痕、大きすぎる被害状況。

「―――ますたー!」

 その途方もない威力を計測するよりも、まずやるべきは階下にいた筈のマスターの安否確認。
 恐慌状態に陥った喫茶店を後にして、マキナは駆け出した。
 ぱたぱたと、空の右袖を振り乱しながら。


 少し時間は遡る。

 そのとき、雪村に配られたカードは3つの名前と2枚の写真だった。
 赤坂亜切と名乗った彼は、木製のテーブル上にその前提条件を提示する。

「身辺調査をお願いしたいのは、この3人です。
 最低限、潜伏している場所を特定していただけると助かります。日中の行動パターンが分かると、より嬉しいですが」

 淀みなく、すらすらと、目の前の優男は柔らかい調子で話し続ける。
 雪村の緊張を察することもなく、いやもしかすると全て分かった上で行っている行為かもしれない。
 全て、雪村を揺さぶるための所作なのかもしれない。

「一人目、蛇杖堂寂句。通称ジャック。この男については、居場所までは分かってる。あの『蛇杖堂記念病院』の名誉院長ですよ。
 だから彼を調べるならより深くお願いします。
 つまり具体的には、そうですね……契約しているサーヴァントのクラス……真名とまでは言いませんが、宝具……まあ姿形くらいは特定していただけると。
 いやもちろん、奴の病院や屋敷に仕掛けられた"備え"の情報を持ち帰って頂くだけでも、十分な成果と捉えます。
 この老獪と対面して、口がきける状態で帰ってこれるなんて、流石に高望みでしょうから」

 だが、揺さぶりにしてはあまりにも露骨すぎた。
 出会い頭に、まるで見せつけるように晒された令呪。
 マキナが上階で遭遇したサーヴァントのマスターこそ、十中八九この男だ。
 今のところサーヴァント戦には発展していないようだが、であれば尚のこと、雪村はここを動くことが出来ない。
 マスターとしての、敵の意思を見極めなければならない。

「次、二人目、ノクト・サムスタンプ。中年の外人傭兵です。この写真の映りは悪いですが、まあ目立つ奴だから問題ないでしょう。
 蛇杖堂とは逆に、日中の潜伏先さえ分かれば万々歳ですね。奴の行動に制限が在ることは把握してるので、場所の情報さえあれば後は僕が直接叩きます。
 ただしコイツの場合、寧ろ直接の接触こそを避けてください。間違っても、交渉によって情報を引き出そうなんて思わないことですね。
 電話越しの会話すら勧めません。これは絶対に控えるよう忠告します。僕も、敵の傀儡が増えるのは面倒くさいですから」

 熟考する雪村の心境を置き去りに。
 日常的な口ぶりで、朗らかに、ぺらぺらと、男は異常な言葉を垂れ流す。

「で、三人目、ホムンクルス36号。こいつがまた怠い奴でね。引きこもりのくせに、忘れた頃に肝心な所で刺しに来る、陰湿な生命体ですよ。
 コレに関しては写真を用意することが出来ませんでした。
 なので口頭で説明しますけど、いわゆる旧式のホムンクルスですよ。昔ながらの瓶詰めのやつ。
 僕はコイツ以外見たことないですけど、何十年も前はそういうのが主流だったそうですね。
 調査は工房の場所だけで問題ありません。それっぽい候補地を見つけても、入ろうなんて考えない方がいいですね。
 死にたいなら止めはしませんけど、潜入するなら僕に場所を伝えてから―――」

「おい、待て」

 そこで遂に耐えきれず、雪村は男を制した。

「お前、なんで知ってる?」

 何を前提にして話している。
 当たり前に語っていやがる。
 必要な説明が、段取りが抜けているだろうが。

「あ、そうか」

 そこで男はやっと気づいたのか。
 はたと表情を変え、ズレかけていた眼鏡を直し。

「そりゃそうか、説明が抜けてましたね。すみません」

 そしてぬけぬけと、ズレたことを言い放った。

「2回目なんですよ。僕も、コイツらも、だから顔と名前を知ってるって、それだけの事です」

「いや違えよ!」

 そんなことは聞いていない。
 というよりさっきからずっと聞いていない情報を流し込まれ続けている。
 それも事実なら特ダネ物の情報だ。

 今コイツはなんと言った? 2回目といったのか?
 それはどういう意味だ。なんて馬鹿でもわかる。
 2回目。それは1回目を前提に発せられる言葉以外にありえない。
 つまり今、雪村が巻き込まれているコレは―――

「俺が同業(マスター)ってことをだ。
 なんで知ってんだって聞いてんだよ!」
「あ、そっちか」
「お前なあ……」

 出会い頭に令呪を見せつけられたとしても。
 カマを掛けられている可能性が排除できない以上、自らボロを出さないように気を配っていたのがアホらしい。
 あまりにも、赤坂は雪村がマスターである前提で話をし過ぎている。

 だが、全くバレるような心当たりは無いのだ。
 この街で探偵として活動する以上、依頼人としてマスターが現れる可能性も考慮はしていた。
 とはいえ、出会う以前にバレているケースなんて想定していない。
 メールのやり取りも、今日ここに至る段取りも、ボロを出すような要素は無かったはず。
 一体いつ、どの段階で知られていたのか、それが問題だ。
 何か致命的なミスをしているとすれば、早急に修正しなければならない。

「僕も今日、探偵さんと会うまでは知りませんでした。
 つまり単純な話です。僕のサーヴァントは眼が良いんですよ。別にそちらが何か大きな失敗をしたわけじゃない。
 こんな方法で敵の位置を特定できるのは彼女くらいだろうし」

 それは余りに無体な回答。驚異的は視力。反則級の千里眼。
 魔力の気配、脅威への警戒、そういった諸々が思いつきもしないほどの長距離間で成立する索敵。
 一般的な魔術師やサーヴァントの魔力探知の範囲外、そこからでも敵を補足できる狙撃手が居たとすれば。
 この男のサーヴァントには、見られていたというのか、雪村とマキナのやりとり、その一部始終を。

「まさか、別に東京都内全域を一度に見渡してるわけじゃない。
 ただ今日は待ち合わせ場所が決まってましたからね。
 ちょっと早めに来て、この建物を中心に、接近してくる対象の中に、事前に聞いてた風体に集中して索敵させただけですよ」

 ここに来る途中、外でマキナを呼び出し、あるいは霊体化させた瞬間を見られていたのか。
 あるいは、そんな決定的瞬間で無かったとしても、魔術を知る者としての所作を捉えられたか。
 一体いつから補足されていたのだろう。確かに、聞いてみれば単純極まるカラクリだった。

「そんないい眼があるなら、探偵なんて雇わずに自分で探れって言いたいですか?
 でもね、目で見つけて殺す、なんて単純な方法で潰せるなら苦労はない。
 奴らは生かしちゃおけない紛い物だし、面倒くさくてたまらないけど、残念ながら実にしぶとい屑共だ」

 赤坂亜切は、実に忌々しいと言わんばかりに、吐き捨てるように、それを認める。

「眼が在ると分かっているなら誰だって警戒する。
 もっと上手いやつなら、分かってなくてもそうしてる。
 そもそも、街にある"眼"が、僕のアーチャーの両眼だけだと思いますか?」

 無垢なる忠誠は未だその所在を悟らせず。
 渇望を内包した数式は街中に生物を介した網(しかい)を放ち。
 畏怖の暴君に至っては、見つかること自体をそもそも問題と捉えていない。
 他二人の亡霊も皆そう、それぞれ剣呑で、厄介だ。

「お前さっき、二回目と言ったな」

 そして、この状況を飲み込んだ雪村は改めて、そこに踏み込んだ。

「ええ、"僕ら"にとって、この聖杯戦争は二度目です」
「根拠は?」
「はは、裏を取りたいならさっき話した3人にでも聞いてみればいい」
「……最初は、何人いた?」
「7人、つまり普遍的な聖杯戦争だったわけですよ。最初はね」
「やり直しにでもなったのかよ」
「いいえ、きちんと勝者が決まりましたよ。残念ながら、それは僕ではないですが」
「だったら……なんでお前は――――」

 それを聞くとき、雪村は総身を襲う不快感に耐えねばならなかった。

「なんでお前は、今、ここにいる」
「生き返ったから」

 案の定、強烈な目眩に襲われた。
 予想できた筈の、回答だったにも関わらず。

「なぜこの街が、未だに社会機能を維持できているか、あなたは理解していますか?」

 日常という綺羅びやかな装飾が取り払われ、内側からグロテスクな何かが覗き始めている。
 当たって欲しくない直感が、今まさに的中しようとしている。
 ずっと疑問だった。襲い来る蝗害、増え続ける行方不明者、頻発する暴力事件。
 混沌を極める街の情勢。なのになぜ、未だ決定的な事件が起こらない。最期の喇叭が吹かれない。

「それはね、僕らが"まだ、全員揃っているから"ですよ」

 彼らは互いを敵視している。
 いや、正確には、 互いしか敵視していないのだ。
 屑星共め、死ねばいい、厄介なと、鬱陶しく思い合い。
 己が実力の底を晒さないよう力を抑え、他の者たちの弱みを見逃すまいと、虎視眈々と牽制し合っている。

 だが、その拮抗こそが、最期の防波堤だったとすれば。
 崩れてしまえばどうなる。何が起こる。
 一度目を経験したという彼らが、互いという枷を外されてしまったら。
 無秩序な破壊を許されてしまったら。危うい均衡の、どれか一角でも欠けてしまったら。
 その時やっと、彼らにとっての本当の聖杯戦争が始まるのかもしれない。
 そして、その状況こそを、眼前の男は望んでいるのだ。 

 おそらく複雑に絡み合う相性が齎した、水面下の膠着状態。
 裏を返せば彼らは、雪村を含む"それ以外の存在"を、現段階では、おそらく敵とすら認識していない。 
 何故か、それは単純な話。敵ではないからだ。その気になればいつでも散らせる木端に過ぎないからだ。
 だからこの男は、雪村の正体を知ってなお気安く、当たり前のように、便利に活用しようと考えたのか。

「ナメやがって……」

 雪村鉄志の尺度で見て、少なくとも赤坂亜切は既に立派な脅威だった。
 使役するサーヴァントの性能の一旦と、彼の立ち振舞いを見て、それは十分な確信となっている。
 そして、なによりも、

「あはは、それは違いますよ。僕はなにも貴方がたを軽視しているわけじゃない。
 "彼女"が招いた新しき星を、侮るなんて真似はしません。僕以外の六人もきっと、そう考えているでしょう。
 それにホラ、僕はこう見えて、あいつらと違って、マトモな方で―――」

「―――通電(スパークル)」

 テーブルの下、雪村は左手に杖(ボールペン)を構えていた。
 体に直接触れなくとも、いま何が向けられているか、対面の男にも分かっているだろう。

「五月蝿えよ。妙な真似すれば撃ち抜く」

 だが、赤坂亜切はまるで怯む様子もなく、肩をすくめる余裕すら見せていた。

「酷いなあ。僕は純粋に、貴方に依頼がしたくてここに来たってだけなのに」 

「―――あのな、お前、煤くせえんだよ。葬儀屋」

「なんだ……思ったよりモノを知ってるのか」

 雪村の現役時代、特務隊がその実在こそ確認していたものの、上層部から『決して手を出すな』と言われていた魔術使いの犯罪者が3人いる。
 そのうちの一人。葬儀屋。協会関係者からは"禍炎"と呼称されていた、対魔術師専門の暗殺者。
 年齢、容姿、習性その殆どが不明であったが、手がかりが在るとすれば。

「阿呆が、カマかけたんだよ」

 実行されたと思わしき殺し数に対し、あまりに少ない目撃証言から得られた僅かな情報。
 煤の匂い残る殺害現場。犠牲者は全て、焼死体で発見されたという。
 この一ヶ月、仮想の街で散発した焼死事件は、現役時に見た資料と酷似していた。
 故にもしかすればという予感はあったのだ。
 しかし、それら全ての理屈を飛び超えて、なによりも雪村の感覚が、この男は危険だと訴えかけている。

「へぇ、いや悪いね、確かにちょっとナメてたよ、オッサン」

 赤坂亜切。
 彼は、雪村がこれまで対峙してきた魔術使い、犯罪者達。
 その共通項を同時に備えた男かつ、その何れとも比べ物にならない程の―――

「てめえ今まで何人殺した。マトモぶるなんざ100年遅えよ、殺人鬼」

「はは、確かに、今日はもうやっちゃった後だしなあ、流石に誤魔化しきれてないか」

 血の匂い、否、血の跡すら消し去るほどの、焦げ付いた悪意を以て笑う。
 現代に潜む、異能の鬼だった。

「で、どうする探偵さん? ここで僕を撃って殺すかい?」

 顔を傾けた男の眼鏡が、僅かにズレる。

「動くな。妙な真似すりゃそうなる。ついでだ、今ここで、残り3人の情報も話せ」

「<一回目>の? いやあそれは出来ないね。そいつは今回の依頼の報酬とさせてもらおう。
 一人の情報につき、一人の情報と交換だ。どうだい? 悪くないだろう。
 今回、僕から提供した三人の情報は、つまり前金ってとこさ」

「ふざけてんのか」

 この期に及んで交渉の体を崩そうとしない赤坂に、雪村の苛立ちが滲む。

「撃ちたきゃ撃てばいい。白昼堂々と殺し合いが始まるだけだ。
 でもあんたはそれをしない。何故か? やりたくないからさ。
 だから僕達はまだ話ができる、探偵さんと、依頼主としてね」

 どこまでもナメた態度に沸き立つ怒りを堪えながら、雪村は深く息を吸った。
 落ち着け。確かに、ここで殺し合いを始めるのは望んでいない。だがこの男の余裕はどこから来ている。
 雪村が周囲の人間を巻き込みたくないと読んでいる。果たしてそれだけなのか。

「だったら―――」

 魔術使い同士の戦闘は先手必勝。それが現役時代から変わらない雪村の基本方針だ。
 だが、いま何かを見落としてはいないか。
 今まで遭遇したどの主従よりも、目の前の相手が危険かつ脅威であることは明らかだ。
 直ぐ様マキナに行動を指示するべきか、いや上階の状況が見えない以上、迂闊には動けない。
 あれ以降、マキナからの念話は未だに無いが、パスに異常が無いということはあちらも膠着しているのか。

「―――蛇を、知ってるか?」
「……蛇?」

 思考を整理する時間を稼ぐため。
 雪村はそれを口にした。
 ニシキヘビ、雪村が追う仮想の大敵。

「蛇、蛇の如き魔術師ねぇ。イメージからしてジャックのことじゃないだろうけど。
 うーん心当たりがあるような、ないような。実は僕、人の名前を憶えるのが苦手でさ」
「そりゃ意外でもなんでもねえな」

 有益な情報は出てきそうに無かったが、そもそも大して期待などしていなかった。
 しかし、赤坂は止まらず、聞いてもいない話を続ける。

「あ、ところでさ、僕からも質問いいかい?」 
「俺からてめえに教えることなんざねえよ」
「不公平だろそんなの。ねえ、おっさんのサーヴァントを見せてくれよ。たぶん女の子だよね?」
「さあな、てめえのサーヴァントが見たんじゃねえのか?」
「アイツは気まぐれだし、たまに言うこと聞かないんだよ。でも黙ってるってことは女の子じゃないのかなあ。
 だったら会ってみたいんだ、ちょっと確認したいことがあってさ」
「……なにを、確認してえんだよ?」

 すると、赤坂は満面の笑みを浮かべた。
 ズルりと眼鏡がずり落ち、糸のような細目の右側が、僅か、裂けるように開かれる。
 紅蓮に染まる、凶の視線。

「いやあ、なに―――ちょっと僕のお姉(妹)ちゃんかどうかをね」

 瞬間、雪村鉄志は目の前の存在こそ、今すぐ排除せねばならぬと確信した。

「―――点火(シュート)!」
「おいおい!!」

 跳ね上がる赤坂の全身。
 座席ごと吹き飛びながらも大笑するその身体に一切のダメージは見られない。

「酷いじゃないか!!」

 爆裂する炎、拡散する悪意、隣のテーブルに着地した赤坂の全身が燃えている。
 あの炎が鎧となって、ガンドの一撃を防いだのか。

「化け物が……」

 一撃で決めれなかったことは、雪村にとって致命的な失態だった。
 撃ったこと自体に後悔はない。もはや話し合いは無意味。目の前の悪意は、今すぐ倒さなければならぬと確信して撃ったのだ。
 放置してしまえば、より大きな被害が約束されている。
 だが、こうして白昼の戦いが始まってしまった。もはやただでは終われない。沢山の人が死ぬ、雪村の力が及ばないばかりに。

「僕はただ、家族(きょうだい)に会いたいだけなんだ。
 オッサンにも家族はいるんだろう? 僕の気持ちがわからないかなあ」
「知るかよ。イカれた犯罪者の頭の中なんざ」
「そうかなあ。僕とオッサンに大した差なんか無いと思うけど。
 僕も眼が良いからね。分かるんだ。オッサンもきっと、家族思いのいい人なんだろ」

 だが、最悪の事態を想定していた雪村に対し、意外にも赤坂の態度は平坦なままだった。

「やりあってもいいけど、"約束"を破るとアーチャーの奴が煩いし。アイツ怒ると怖いんだよ。
 今日のところはここまでか。他に話すことも無さそうだし。
 ―――それじゃあ、依頼の進歩状況は、メールで連絡をお願いします」

「お前、どこまで人をナメてやがる」

 それどころか、あくまでも依頼人の立場を崩さず。
 歯牙にもかけぬと言わんばかりに去ろうとしている。

「情報、期待してますよ、探偵さん」
「待ちやが……」

 言葉を切ったのは、凄まじい凶兆を感じ取ったからだ。

「―――ああ、でもそうだな。
 さっきのはちょっと痛かったし、お返しだけしとくか」

 対応が間に合ったのは、恐らく雪村の魔術回路の特性があったからに過ぎない。

「撃て、アーチャー」

 背を向けて去っていく男を追撃する余裕など全くなかった。
 電光の如く魔力を走らせ。
 頭上から迫りくる壊滅の波濤に、袖を捲った右腕を突き上げる。

(―――嬢ちゃん、悪い。緊急事態だ、使うぞ―――!)

 刹那の後、落下する彗星の如き閃光に、雪村の全身は飲み込まれていた。



 ショッピングモール内部で発生したガス爆発。
 後にそのような理由付けが行われる破壊痕を後にして、赤坂亜切は歩いていた。
 大混乱の渦中を抜け、雑踏に紛れ込むようにして立ち去っていく。

「意外だねえ~。アンタ、我慢できたのかい?」

 その隣には、長身の弓兵が並んでいる。
 どこかしら上機嫌な女神は、殺人鬼の隣を軽やかに進む。

「君が煩いからだろ。こんなガラクタまで嵌めさせてさ」
「いいじゃないか、よく似合ってる」

 掛け慣れない眼鏡を外し、不服そうにため息をつく。
 日中、能動的な狩りは一回まで、それが今日、亜切に告げた弓兵の戒めだった。
 その一回は、すでに午前中に使ってしまっている。
 別に勝手な決まりを守る義理もなく、寧ろ平気で破ってばかりの亜切だが、戦闘行為をどこか神聖的に扱っているスカディはそこを蔑ろにすると、たいてい機嫌が悪くなる。
 そうなるといつも面倒な状況に陥るのだった。
 とはいえ亜切もまた、日の高いうちからの消耗を避けること自体に異論はない。

「……まあ、少なくとも、サムスタンプの奴が生きてる間はね」

 それは亜切が嫌悪し、同時に警戒せざるをえない敵の一人。
 夜になると奴が動き出す。ならば、備えを怠ってはならない。
 昼間から羽目を外しすぎて、遅れを取るなど言語道断。

 亡霊達が織りなす水面下の膠着は決して建前ではない。
 彼らは互いを無視できない。それは事実だ。
 どれだけ嫌悪し蔑もうと、どれも皆、同じ太陽に見出された星の一つと知っている。

「そうかいそうかい偉いねぇ~ヨシヨシ」
「やめろっての、今日はなんでそんなに機嫌いいんだよ」
「いやあ、可愛い子に会っちゃてさあ」
「なんだよそれ、女の子か? 詳しく聞かせろよ。妹力高かったのか?」
「ヤダね~。アンタには教えない」

 去りゆく彼は亡霊(レムナント)。
 この世界に影を落とす災厄の嚇炎。

 けれど、傍らの弓兵は微笑みを絶やさない。
 遍く全ての人類に向けた愛と同じ熱量で、男の悪意を包み込む。

「ほおら、夜に向けて準備するんだろ。楽しませてくれよ、マスター」

 天の日は未だ高く。燻っている。
 しかしそれが落ちたときにこそ、針音の街に、災禍の炎は放たれるだろう。




「ますたー……お怪我はありませんか?」

 瓦礫の散乱するファミレスの店内にて、雪村は再びマキナと向き合っていた。

「ま……なんとか……な……」

 コンクリートの欠片を押しのけ、ゆっくりと立ち上がった雪村の片腕は今、漆黒の装甲に覆われている。

「おかげで助かったよ、嬢ちゃん」

 マキナの第二宝具、『熱し、覚醒する戦闘機構(デア・エクス・チェンジ)』。
 防御特化型フォーム:アテネ。その限定展開。
 別行動に移る前、もしもの時のために、雪村の右腕に装着していた腕時計。
 それはマキナの右腕を媒体に、自己改造で変形させた物だった。

「あの……当機は……また」
「いや、謝るな」

 ぴしゃりと、なんとすれば今まで一番厳しい口調で発せられた静止に、マキナの声が途切れる。
 はっと顔を上げると、雪村の視線がマキナを見下ろしていた。
 真っ直ぐに、いつものように目を逸らすことなく。

「今回ばかりは俺が悪い。嬢ちゃんがなんと言おうが、俺の責任だ。すまん」

 マスターとして、立ち回りを誤った。
 その結果がこのザマだと、雪村は思う。

「色々考えなきゃならんことは多いが、まずは生き残らなきゃな」

 殺人鬼との邂逅は、雪村にって大きな意味があったのかもしれない。
 齎された多くの情報と一緒に、己がどれ程腑抜けていたかを理解させられた。
 3年のブランクはやはり、大きい。
 それに――

「だから今後は、なるべく一緒にいよう。
 俺達はチームだ。戦うための連携を見直して、出来るなら仲間を探して、生き残るために、お互いに考え続けよう」

 重ねないように、なんて。
 意識することは、考えてみれば重ねていることの証明でしかない。
 ならば、どうしようもなく、引きずられてしまうなら――

「これからも――」

 やはりいっそ、開き直ってしまえばいいか。
 そう、雪村は決断したのだった。

「頼りにしてるよ。嬢ちゃん……いや、マキナ」

 機巧の少女もまた、その声に応える。
 いつも通りの無表情に、ほんの僅かな弾みを乗せて。

「―――いえす。あい・こぴー。ますたー」 






 赤坂亜切とそのサーヴァント、スカディは既に去り。


 雪村鉄志とそのサーヴァント、デウス・エクス・マキナもまた、ショッピングモールを、そこに刻まれた破壊の痕跡を後にする。


 精密なる射撃技術によるものか、針の目を通すような奇跡が重なったのか、死傷者の一人も出なかったその場所から、役者たちが退場する。


 だが最後に、マスターの背を追う少女は、そこに残された声を聞いていた。



『一言だけ、置いていこうか。アタシはアンタを気に入ったからね―――』



『アタシはね、カミサマに条件なんてもんは無いと思ってる―――』



『人を救いがたがるカミサマがいたっていい。殺したがるカミサマもいたっていい。でもね―――』



『カミサマには一つだけ、絶対の前提があるんだよ。それが何か分かるかい? お嬢ちゃん―――』



『殺すにせよ、救うにせよ、愛でるにせよ、カミサマは、人がいなきゃ成り立たない―――』



『つまりカミサマってやつはみーんな、寂しがりやさんなんだろうね―――』



『アンタが本当に問うべきはきっと、アタシじゃない。アンタは多分、会うべきさ。そしてもう一度、問うべきさ―――』



『古き神じゃない、最新の神でもない。現の神―――"この世界のカミサマ"ってやつにさ』









【目黒区・中目黒/一日目・午後】

【赤坂亜切】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『嚇炎の魔眼』
[道具]:魔眼殺しの眼鏡(模造品)
[所持金]:潤沢。殺し屋として働いた報酬がほぼ手つかずで残っている。
[思考・状況]
基本方針:優勝する。お姉(妹)ちゃんを手に入れる。
1:適当に参加者を間引きながらお姉(妹)ちゃんを探す。
2:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
3:他の〈はじまりの六人〉を警戒しつつ、情報を集める。
[備考]
※彼の所持する魔眼殺しの眼鏡は質の低い模造品であり、力を抑えるに十全な代物ではありません。


【アーチャー(スカディ)】
[状態]:健康
[装備]:イチイの大弓、スキー板。
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩りを楽しむ。
1:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
2:マキナはかわいいね。生きて再会できたら、また話そうじゃないか。
[備考]


【雪村鉄志】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『杖』
[道具]:探偵として必要な各種小道具、ノートPC
[所持金]:社会人として考えるとあまり多くはない。良い服を買って更に減った。
[思考・状況]
基本方針:ニシキヘビを追い詰める。
1:ニシキヘビに繋がる情報を追う。
2:〈一回目〉の参加者とこの世界の成り立ちを調査する。
3:マキナとの連携を強化する。
[備考]
※赤坂亜切から、〈はじまりの六人〉の特に『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』の情報を重点的に得ています。

【アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)】
[状態]:健康
[装備]:スキルにより変動
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターと共に聖杯戦争を戦う。
1:マスターとの連携を強化する。
2:目指す神の在り方について、スカディに返すべき答えを考える。
[備考]
※紺色のワンピース(長袖)と諸々の私服を買ってもらいました。わーい。


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最終更新:2024年10月01日 15:42