率直に言うと、悪国征蹂郎は己の"過去"へさしたる執着はない。
 何故ならそれは、もう過ぎてしまったことだから。
 終わった何かを振り返るよりも、今此処にあるものを考えたい。その方が有意義だし、正しいことだと彼は考えていた。
 征蹂郎はこの今を愛している。孤独だった自分にできた初めての居場所、こんなつまらない男を慕ってくれる仲間達の存在を何より尊く感じている。
 だからこそ征蹂郎は、自分の宝である今この瞬間を穢す者を決して許さないのだ。

 その彼が"今"、らしくもなく終わったことを述懐していた。
 所属していた暗殺者養成施設の最終試験。渡った先は、かれこれ数年に渡り内戦が繰り返されている火薬庫の国だった。
 当時の征蹂郎は何も思うことはなかったが、改めて思い返すとアレはまさしく地獄絵図であったと断言できる。
 死体が多すぎて墓が足りず、泣きながら娘の死体をゴミ焼却炉に投げ入れる母親がいた。
 全身枯れ枝のように痩せ細っているのに、腹だけが餓鬼のようにぷっくりと膨れた子ども達がいた。
 清潔な水が飲めないので汚れた川の水を飲み、視神経を寄生虫に冒されて住人のほとんどが視力に問題を来している集落があった。
 射撃練習と称して捕虜を撃ち殺し、その日のおかずを賭けてスコアを競い合うゲームに興じる政府の部隊があった。
 そんな地獄の中でさえ、征蹂郎は一度たりとも過たなかったし足を止めなかった。
 彼は、ただ殺した。標的に迫る上で必要な要所の人間を殺し、降った火の粉を払うために命を奪った。何人殺したのかなんてさっぱり覚えていないが、少なくとも両手足の指の数を全部足しても足りないだけの数であることだけは確かだ。

 ――"彼女"を見たのは、そんな無数の殺人履歴(メモリー)のひとつ。

 外界との関わりを断ち、独自の文化習俗を受け継いで細々と暮らしていたとある集落が、その日の舞台になった。
 集落の人間はその断絶性から、件の内戦に表立って関与することはなく各々の暮らしを続けていたと聞く。
 だからこそ、征蹂郎の標的が逃げ込むにはうってつけの場所だったのだろう。
 半ば人狩りの暴徒化した政府軍の突入。それに対する住民の恐慌。そして悪国征蹂郎の介入。
 地獄が生まれる条件は、奇しくもすべて揃っていた。

 征蹂郎は暗殺者ではあったが、殺人鬼ではなかった。
 だからこそ彼が殺す主立った相手は話の通じない政府軍の兵士となったのだったが、正直なところ、いちいち区別して殺していたわけではない。
 仕事を遂行する障害であるなら殺す。道を塞ぐ石を退けるように摘み取り、命を奪う。
 それを思えばきっと、自分もまた彼女にとっては忌まわしい記憶の、封じ込めたいつかの日の象徴のひとつなのだろうと征蹂郎は思う。
 あの日――、少女は泣いていた。
 何がなんだかも分からず、返り血と泥にまみれてしゃくりあげていた。
 かの国ではありふれた景色のひとつでしかなかったそれが、今は因果となって征蹂郎の対面の椅子に座っている。
 背丈は大して伸びていない。肉付きは、以前よりもいくらか健康的に見える。
 ただ。その幼い両目に宿る光はどこまでも暗く、人形の眼窩に填まったガラス玉のように無機質だった。

「……すまないな。こんな場所で」
「別に、構いません」

 邂逅した当時、少女――アルマナは傍目にも分かるほど自分に対して動揺を示していた。
 だが今は気もだいぶ落ち着いたのか、人形めいた雰囲気にそぐう物静かさでちょこんと征蹂郎の前にいる。
 今、征蹂郎達がいるのは〈刀凶聯合〉が所有するアジトの内のひとつだった。
 この部屋からは出払わせているが、隣室には数人の仲間が今も臨戦態勢で待機している。アルマナに対しての備えではなく、現状の最大の敵であるチーム〈デュラハン〉の襲撃を警戒しての迎撃体制だ。
 聯合のメンバーには既に聖杯戦争についての話を共有してある。最初はだいぶ驚かれもしたし、冗談とも疑われた。が、征蹂郎がその手のジョークとは無縁の性格をしていることがその時ばかりは幸いした。

 いい仲間を持った、と改めてそう思う。
 誰ひとり、人外魔境に身を投じることを怖じるものはいなかった。
 嫌だと、死ぬのは御免だと、背を向けて去る者がいたとしても自分は決して責めなかったのに、誰もが征蹂郎のために戦うと言ってくれた。
 刀凶聯合は一蓮托生。ひとりが皆のために、皆がひとりのために戦う。
 その"皆"には、征蹂郎(じぶん)も例外でなく入っていたのだ。それを知った時は、柄にもなく胸が熱くなる感覚を覚えたものだ。
 そう、まったくもって柄でもない。
 自分の本質は今も変わらず、あの国で業を揮った時のそれのままだというのに。

「それで、あなたは私に何を求めるのでしょうか」

 少女が口を開く。
 本当なら友人と外を駆け回ったり、流行りのアニメの感想に花を咲かせているべき年齢であるにも関わらず、その声はひどく平坦だった。

「……聞きたいことは色々あるが、オレの用向きはさっき語った通りだ。
 交渉。情報交換。キミの方からオレに求めることがあれば、条件次第にはなるが応えても構わない。
 あまり肩肘を張らずに……あくまで対等な間柄で、オレはキミと話がしたいと思っている」
「……、対等。ですか」

 自分で口にしておいて何だが、これほど空寒い言葉もないなと思った。
 結局のところ、最後に生き残れるのはただひとりなのだ。
 聖杯を、〈熾天の冠〉なる聖遺物を戴冠できる人間はひとりだけ。
 であれば道を異にする他人/敵の言う"対等"という言葉の重みなど、文字通り毛ほどもないのは自明なのに。

「情報交換についてはともかく、協力関係については双方の信頼関係が築けるかどうかに依るかと思います。
 それに少なくとも今の段階では、お互いに相手の語る情報へ完全に信を置くことはできないのではないでしょうか」
「む……」
「私達も無為にこの一ヶ月を過ごしてきたわけではありません。敵と交戦したこともあれば、掴んでいる未確定の情報もあります。
 あなた方の握る情報に興味はありますが、現状私はあなたのことを信用できていません。対等に関わり合う相手としては、些か不適と感じています」
「それは……言われてみれば、そうか……」

 実のところ征蹂郎は決して、戦争に精通しているわけではない。
 何故なら彼は一軍を背負って勝利に邁進する将ではなく、それに使われて仕事をこなすべく育てられた"兵器"だったからだ。
 まだ銃だの砲だのが幅を利かせる前から開発され、現代の戦場に至っても一定の価値を認められる恐るべき凶器――暗殺者。
 故に征蹂郎は、少女・アルマナの言葉に素直に舌を巻かされた。
 まさか十歳そこらの幼女に言い負かされる日が来るとはついぞ思わなかったが、聯合を背負う者としては笑えない体たらくだろうと自らの不明を恥じる。
 ましてや自分は彼女にとって、日常の崩壊の一端を担った存在なのだ。
 それが真摯な言葉とやらだけで同じ道を歩けると考えたのは、成程確かに血の通わない道具の思考であったと言う他ないだろう。

「……オレは」

 征蹂郎は考える。
 彼は道具だったが、今はそうではない。
 役目を、行き場を、価値を失った自分に居場所をくれた仲間達を守りたいと自分の頭で考え、背負って行動するひとりの王だ。
 王は考えなければならない。常に頭を回し、不格好にでも成長と進歩を重ね続けなければならない。
 未だ手探りながら、人の温かい部分と向き合い続けている悪国征蹂郎。荒くれ者達の王さまは、たどたどしく少女に問うていた。

「オレは……キミに、謝るべきなのだろうか」
「……質問の意味が分かりません」
「オレはかつて、キミの世界に戦乱を運んだ。
 言い訳ではなく事実として、あの日のことはオレが仕組んだ悲劇ではなかったが……それでも、崩壊の一因を担った自覚はある」

 征蹂郎は考える。
 自分があの時、あの路地で彼女に声を掛けたわけ。
 その場で別れても良かったにも関わらず、手を差し伸べたわけ。
 合理の産物だと言ってしまえばそれまでだ。あの時、征蹂郎には手を差し伸べる理由があった。
 忌まわしき首無しの騎士共と渡り合うに辺り、少しでも多くの情報を手に入れることは急務だった。だが今思えば、それだけではなかったと征蹂郎は思う。

「オレが言っても、嘘臭い台詞かもしれないが……」

 自分という死の、悲劇の象徴を前にして。
 アルマナはあの時、明らかに平静を乱していた。
 そうなった他の理由にも心当たりはあったが、恐らく彼女の素は"あれ"なのだろう。
 彼女は理性を用いて、自分を歯車たれと戒めている。
 その生き方を、心を殺しながら選び取っている。

 何故? ――決まっている。
 すべての根源は、あの日だ。あの日の、あの集落。鏖殺の二文字にあらゆる尊厳を凌辱された、哀れな心優しき人々の村。
 そうだ、彼処で。征蹂郎の見ている前で、アルマナ・ラフィーは失ったのだ。

「……居場所を失うことの恐ろしさは、今のオレなら分かるつもりだ」

 自分の生きる場所を。
 自分が、偽りなく自分であれる場所を。
 いついかなる時でも、自分を受け入れてくれる――そんな、居場所を。

 悪国征蹂郎は"居場所"に縛られている。
 何もない自分というものを知っているからこそ、自分をそうでなくしてくれた"彼ら"に感謝の念が尽きることはない。
 刀凶聯合。居場所と呼ぶには少しばかり剣呑な場所かもしれないが、それでも征蹂郎にとって聯合は帰るべき場所であり、心の柱であった。
 アルマナにとってはそれが、あの集落だった。
 彼女だけが知る物語があったろう。
 彼女だけが知る絆が、あったろう。
 されどそのすべては今や血と薬莢にまみれ瓦礫の下。
 誰がやった? 全員だ。あの日あの場所にいた、アルマナ達以外の全員だ。
 全員が、彼女達の居場所を壊しながら戦った。

「謝れ、というのなら……敵味方の垣根を越えて、頭を下げよう。キミには……オレにそれを要求する権利がある筈だ」

 ……謝るべきかどうかをその対象に聞くというのは、世間一般的には神経を逆撫でする行為であろう。
 しかし征蹂郎は、何も自分の人間的未熟さに胡座を掻いて決定権をアルマナに委ねたわけではない。
 彼女がもしも、再会した時のような取り乱しぶりを今も見せていたのなら征蹂郎は頭を下げた。
 だが今のアルマナは感情のシャッターを下ろしてしまったかのように落ち着いていて、どこか機械的にさえ見えた。

 だから、どちらを選ぶかをその幼い身体に委ねることにした。
 征蹂郎なりに相手の心というものに歩み寄った結果の判断だった。
 それを受けてアルマナは少し黙り、それからまた口を開く。

「不要です。過ぎたことに固執するつもりはありません」
「……過ぎた、こと?」
「はい。私がこの場であなたにどんな感情を向けようと、それであの日の犠牲がなかったことになるわけでもありませんから。
 でしたらそのような不毛なことについて時間を割くことには意味がないのではないかと、アルマナはそう思います」
「……そうか、キミは……」

 問いかけようとして……やめた。
 自分にその権利はないと思ったからだ。
 人というものは、道具として生きれば生きるほど人間味を失っていくことを征蹂郎は知っている。
 あの施設でもそういう同胞を山ほど見てきたし、征蹂郎自身もそのきらいは少なからずあった。
 今の言葉を受けて、悪国征蹂郎はアルマナ・ラフィーという少女がどうやって自分の心を守ってきたかを理解したのだ。

 感情のシャットダウン。
 意識的な情動の抑制。
 自分の内情ではなく、自分という存在の持つ役割だけを重視する。
 悲しみや憎しみ、不安や恐怖。そうした感情を直視して自分で自分の心を削るのは無駄なことだと断じて。
 幼い心を冷たく鈍く哀しい合理性の鎧で最適化することで、地獄を見た少女は歩み続けてきたのだろう。
 足に障害を持った人が、移動のために車椅子や義足を用いるように。
 アルマナは自分の足で歩くために、自分の心に鎧を拵えた。
 そうして生きる姿はまるで、物言わぬひとつの歯車のよう。

「先ほどはああ言いましたが、私としても同盟相手を確保したい気持ちはあります」
「……対等ではない関係ならば良い、ということか」
「少しだけ語弊があります」

 アルマナは、征蹂郎に対し感情の籠もらない顔でそう言った。
 征蹂郎も一軍の将だ。彼女に対し個人的に思うところはあれど、不平等な同盟を結ばされ搾取されるとなれば話は別である。
 しかしアルマナが言わんとすることは、彼の想像とはやや違っていた。

「さっきの発言は、あくまでアルマナの私見を述べたまでのことでした。
 正しくは、あなたがどんな話を私にしていただいたところで、私はそれに対する回答権を持ちません」
「それは……どういう?」
「私は契約者であると同時に、従者です。
 "私達"と盟を結ぶ、ないし何かしらの取引をしたいということであれば、必然アルマナの仕える御方の許可を得なければなりません」
「そうか……。そういう関係性も、あるのか」

 征蹂郎は、サーヴァントだの魔術だのそういう世界には然程精通していない。
 魔術師の存在は知っていたし、それを考慮して仕事をこなすパターンについても施設である程度叩き込まれてはいる。
 だが実際のところ彼は暗殺者として実戦に出る前に終わってしまったなり損ないに過ぎず、結局最後まで直接お目にかかることはできずじまいだった。

 征蹂郎のサーヴァントはとりわけ特殊だ。
 バーサーカークラスでもないというのに、意思の疎通が全くできない。
 そんなサーヴァントをあてがわれたものだから、征蹂郎はサーヴァントというものは皆おしなべてこうなのだと思い込んでいた。
 が、どうやらアルマナの話を聞くに彼女の英霊は自分のとは全く質の違った存在であるらしい。
 考えてみれば確かにそうだ。サーヴァントが皆あのような話の通じないモノであるのなら、念話などはじめから不要ではないか。
 よもや今までオレは勘違いをしていたのか……と内心軽い衝撃を受けながらも、征蹂郎は返す。

「では……キミが仕える英霊に、話を通して貰うことは可能だろうか」

 ともすれば彼女達主従の関係性は、あの〈赤き騎士〉を従えていく上でも役立つ資料になるかもしれない。
 半ば道具と割り切って扱えばいいことは承知していたが、蝗害の進行に伴い不安定な兆候が見え隠れし始めたのは不安要素だった。
 その意味でも、此処でアルマナ陣営には一歩踏み込んでおきたい。
 そう考えた征蹂郎が申し入れるのと、応える声が響くまでに間断はなかった。



『――――その必要はない』



 ゾ――、と。
 瞬間、悪国征蹂郎は全身の毛が逆立つような悪寒に硬直した。
 暖かな晩春の午後が、途端に真冬の野外に塗り替えられたような感覚だった。

「……驚いた、な……」

 征蹂郎は、自分を客観視することができている。
 己は、所謂普通の人間とはまったく縁遠い存在であると知っている。
 物心ついた頃から殺し殺されの世界で生き、それだけを極めてきた人間。
 その実感は愛する仲間達と過ごす時間の中でさえ幾度となく感じ取ってきた。
 しかし今この瞬間を以ってそれがただの自己陶酔じみた思い上がりでしかなかったのだと理解する。
 自分など、所詮どこまで行ってもひとりの人間でしかない。決して、それ以上でも以下でもないのだと。
 全身を支配する悪寒と、すぐにでも平伏したくなるような圧力の前に心底思い知っていた。

「はじめからずっと、そこにいたのか……」

 声の主は、アルマナの護衛役とばかり思っていた物言わぬ骨の兵士だった。
 それが竜牙兵という名を持つことを征蹂郎は知らなかったが、支障はない。
 何故ならそれはもはや、竜牙兵などという木偶ではなくなっていたからだ。

『頭が高いな。王の御前であるぞ――平伏しろ』
「ッ……」

 佇む姿形は、決して恐るるに足らない骨の人形。
 されどそこから放たれる気配存在感は圧倒的の一言。
 存在するだけで空間を支配し。
 声を放てば骨身を揺らし。
 その命令には、重力にも似た威圧が伴う。

 そんな、恐るべき――人智などとうに超えた"王"がそこにいた。

「悪いが……、……それは、できない」

 ともすればすぐにでも跪いて、傅きたくなる。
 それはもはや、生物としての本能に似た衝動だった。
 恐ろしい。殺しを極め、戦地を歩き、命を屠った悪国征蹂郎をしてそう思う。
 だが、それでも征蹂郎は膝を屈さぬまま王の声に逆らった。

「此処は……オレ達の居場所だ。少なくともこの場においては、王は……おまえじゃない」
『この儂を前にして王を名乗るか。玉座も持たぬ童の分際で』

 刀凶聯合は、征蹂郎を寄る辺にして成り立っている集団だ。
 はぐれ者達の集う場所、血縁でない絆と言えば聞こえはいいが、その存在は征蹂郎なくして維持できない。
 例えば忌まわしきデュラハンならば、構成員が一人二人殺された程度で全軍が向かってくることはないだろう。
 しかし聯合は違う。彼らにとって一事は万事、ひとりの痛みは全員の痛みなのだ。
 どこまでも前向きに歪。赤信号を皆で渡れば怖くないと、大真面目に言い張っている童(ガキ)の集団。
 ――故に征蹂郎は、悟っていた。自分という王/頭を失えば、刀凶聯合は必ずやその自重を保てずに空中分解すると。

 だから、征蹂郎は人の身にありながら王として立つことを選んだ。
 英霊の王に、あくまでも対等の立場として対峙する。
 玉座なき王。その姿に、もうひとりの〈王〉は冷たく鼻を鳴らした。

「王さま、何故……」
『至らぬ従者への叱責は後に回す。まずは貴様だ、ならず者の頭目よ』

 驚いているのは悪国征蹂郎だけではなく、アルマナ・ラフィーもそうだった。
 あくまで護衛用兼裁量で動かせる戦力として貸与されていた竜牙兵が、何故王の声で喋り君臨しているのか。
 分からないが、王が語ろうとしないのならばアルマナにそれを問い質す権利はない。
 事実、彼女の王はアルマナへの対応は一言で済ませ、征蹂郎に意識のすべてを割いていた。

『確認する。貴様は今、己はこの場の王であると吹いた。相違ないか?』
「……ああ。撤回するつもりはない」
『笑止。単なるゴロツキの放言であった方がまだ救いがあったな』
「……ずいぶんな言われようだが。その心を問うてもいいか?」
『良いぞ。一言で事足りるからな』

 見下されている――。
 征蹂郎はあまり自分個人の体面を気にする質ではなかったが、それでも分かるほどにその声色には諦念が渦巻いていた。
 人外と人間の間に存在する力の差を持ち出してそう言っているのではない。それも分かる。
 では何故。その答えは、宣言通りただの一言で征蹂郎にぶつけられた。

『貴様は王の器ではない。そうも卑小では、統治者の任は務まらん』

 いつから聞いていたのかは知らないが、この短時間で何を偉そうにと。
 そんな小手先の反論を挟む余地を許さない重みがその言葉にはあった。
 理由など今度は問うまでもない。
 この王が、征蹂郎が生まれるよりも遥か以前から玉座を恣にしていたであろうこの偉大なるものが。
 彼がそう言うのであれば、それは疑う余地なく真理なのだとまたしても本能がそう理解させてくる。
 そして事実、続く言葉は悪国征蹂郎というゴミ山の王を痛烈ながら正確に捉えた指摘だった。

『王とは君臨し、統べる者。正道であれ悪道であれ、己の意思決定でひとつの国を導く者。
 民があるから王なのではない。王があるからこそ、人は民たり得るのだ。
 国を己の居場所などと呼ぶならそれは王として卑小に過ぎる。
 逆だ――己こそが民の居場所で、国なのだと思わねば話にもならぬ。その点、貴様は論外だ』

 悪国征蹂郎は、威張り散らすことに興味はない。
 刀凶聯合という名前にだって、殊更の執着はきっとない。
 征蹂郎にとって大切なのは、それを構成する仲間(たみ)だからだ。
 自分を受け入れてくれた、存在することを認めてくれた居場所こそが大切なのであって。
 征蹂郎は一度として自分を誇ったことはないし、ひけらかしたこともない。

 玉座など要らないのだ、征蹂郎には。
 王権など要らないのだ、征蹂郎には。
 彼はただ、自分が自分であれる場所があればいい。
 自分と共に居てくれる仲間がいればいい。
 それさえあればそこがゴミ山だろうが地獄だろうが――構わない。
 征蹂郎はそれで良いと考え。
 彼の前に立つ古の王は、だからおまえは駄目なのだと批判する。

『玉座を守り、王権を揮う先達として見るに堪えん。疾く跪き、常人として生きることを儂に誓うがいい。
 性根の下らぬ屑どもが連れ合って遊ぶ惨めに目くじらを立てるほど狭量でもないが、面と向かって侮辱されたなら儂の沽券にも関わる』

 社会の裏側に蔓延るならず者達も、由緒正しきどこかの王も、面子を大切にするという点では共通している。
 舐められたのでは顔が立たない。顔を潰されたままでは、面子が立たない。
 卑小なならず者に面と向かってオレとおまえは同格だと表明されたまま、なあなあにして引き下がっては言われた側の名に傷が付くのだ。
 だからこそアルマナの王は、征蹂郎に屈服と屈辱を求めた。
 名乗った偽りの王権を自ら捨て、己に跪いて非礼を詫びろとそう言っている。
 そのことを理解した上で、征蹂郎は口を開いた。

「……あんたの指摘は、確かにもっともだ。
 自分で言っておいて何だが……柄ではないな、と思った。
 オレが王だなんて何かの冗談としか思えない。オレは……そんな肩書きに見合うような人間じゃない」
『……それで?』
「その証拠に……大層な矜持も、持っていない。
 跪いて靴を舐めて命を繋げるのなら、オレは迷わずにそうすることができる。
 だから……正直な話、あんたの命令に従ってもいいんだ。オレは」

 ――、一瞬の沈黙を挟んで。
 だが、と、征蹂郎が言う。
 その眼光は鋭く尖り、鈍い殺意を湛えていた。

「だが……オレの仲間を屑と侮辱するのなら、侮辱に見合うだけの反抗はさせてもらう」

 王の自覚はないし自負もない。
 ただ、居場所を守れるモノであればいい。
 それが征蹂郎という人間だったが、しかし。いやだからこそか。
 愛する居場所を、仲間を、屑と侮蔑されて黙っていられる道理はなかった。
 君臨するばかりで民が浴びせられた泥を見過ごすようなら、そんな王は糞だろうと断ずるように。
 征蹂郎は正真の王に震えなく、臆することなく反目する。

 その不敬に対して、アルマナの王は静かに言った。

『良かろう。大人しく服従するようであれば手間も省けたが、ならず者に利口さなど求めてもいない』

 そして同時に、ゆらり……と、骨の躯体(からだ)を揺らめかせる。
 陽炎のようにどこか不確かで、されど巌のように頑然とした存在感。
 どんな形であれ一度でも武というものに触れた者なら一発で分かる、圧倒的な完成度がそこにはあった。

 確信する。
 この先一瞬でも気を抜けば、自分などの命は芥のように消し飛ぶと。
 その上で征蹂郎は、気付けば骨の髄まで染み付いた臨戦の構えを取っていた。
 それは生物としての防衛本能であると同時に、曲がりなりにも王を名乗った者としての意地のようでもあった。

『打ち込んでみよ。この儂が、これより貴様を推し測ってやる』
「穏やかではないな……。そのか細い躯体で、オレのサーヴァントに勝てるとでも思っているのか……?」
『その答えは、貴様が誰より知っているだろう』
「……、……」

 ――まったくもって、その通りであった。
 征蹂郎はこの局面で、従僕であるレッドライダーを出すことができない。
 何故ならアレには際限というものがないからだ。
 ついでに言うなら分別もない。少なくない人数の仲間がいるこの建物の中で出すには、赤騎士の暴虐は苛烈すぎる。
 そして何より、征蹂郎自身未だに正確な全貌を掴めていないあの"喚戦"が問題だった。
 我が身可愛さに剣を抜けば、ともすれば単に命を落とす以上の最悪の結果が待っている。
 だから征蹂郎は、この場ではサーヴァントに頼るというもっとも安直な選択肢を取れない。

『――時に。
 王とは冷徹なものだ。特に、分を弁えぬ不敬者には』

 それを承知の上で、真なる王はゴミ山の王を試している。
 価値を示せと、神々のように無理難題を押し付けるのだ。

『見るに能わぬと看做せば殺す。その時は、己の不明を恥じながら世界に溶けよ』

 能わねば死。
 剣は抜けぬ。
 逃げれば、命よりも大切な何かを失う。
 欠落者にとっての最初の試練。
 かつてすべてを手にした古の王が、がらくたの王冠を戴く仮初の王に真価を問う。



◇◇



 政治家を殺したことはある。
 民兵を、悪徳商人を、暴徒を殺したことはある。
 だが、触れられぬモノを殺した試しはない。
 悪国征蹂郎。刀凶聯合の鬼子に、生涯最大の緊張が走る。

 懐から取り出し拳に填めたのは、赤く錆び付いた無骨な手甲だった。
 レッドライダーの宝具『剣、飢饉、死、獣』で具現化させ、携帯していた神秘武装。
 神秘を含有しない現代の人間である故、通常の手段では征蹂郎はサーヴァントに太刀打ちできない。
 その欠陥を埋め合わせるために生み出させた備えのひとつだったが、実際に対面してみるとその何と頼りないことか。

 要人が暗殺を恐れて小刀や小銃を携帯するようなものだ。
 そんなものでは大体どうにもならないと分かっていながら、無いよりはマシだからと備える小手先。
 征蹂郎は実感を伴って理解する。人間が英霊と事を構えねばならない事態は、そうなった時点で九割方失敗であると。
 何しろ恐らくは真体ではない、単なる触覚のたぐいを前にしてさえこれなのだ。
 全身の血液が冷え切り、威圧感に骨身が軋む。
 これは人間が相見えていい存在ではないと、研ぎ澄まされた本能が警鐘を鳴らしている。

 ――立ち姿は半身。
 膝は緩く曲げ、微かに前傾の姿勢を取る。
 手刀の形にした右手を構え、付け根を手透きの左で握り締める。
 その奇矯な構えを見て、竜牙兵を介して彼を観測する古王は言った。

『暗殺拳か』
「……!」
『何を驚く。王の君臨に対し暗殺の影は常に付き物だ。 
 儂の国にも拳を凶器とする者はいた。拳(それ)ならば懐に忍ばせられるように尺を切り詰める理由もない』

 征蹂郎の頬に、冷たい汗が伝う。
 暗殺拳とは無刀の凶刃。
 隠す必要がなく、丸腰のまま抜ける凶器に他ならない。

 極めた者の拳は、剣とも銃とも違う変幻自在の破壊を可能にする。
 例えばそれは、本来直線の破壊力しか実現できない筈の拳を蛇のように撓らせ、理解不能の軌道を描く蛇拳であり。
 そして悪国征蹂郎が体得し、赤き喚戦で底上げされた一撃必殺の抜刀拳である。
 これらはまさしく技巧の極み。サーヴァントにすら通用し得る、番狂わせの鬼札として十分に機能する。

 ――が。
 それはひとつ、絶対的な前提条件が満たされている場合の話。

『ただの一度として、通じなかったがな』

 相手が、初見であること。
 言い換えれば、こちらの手札が"それ"であると認識していないこと。
 この前提が崩れている場合、暗殺拳士の格上相手の勝率は著しく目減りする。

 ただし、征蹂郎の拳は厳密には暗殺拳とは似て非なるものだ。
 何故ならその拳の本質は殺人拳。
 一撃で敵を砕き討ち取る、問答無用の絶対暴力。
 喚戦により強化された威力を以ってすれば、まだ通用の余地はある。
 征蹂郎は冷静だった。だから構えは崩さず、意識だけをどこまでも研ぎ澄ましていく。

 ――勝機のほとんどは初撃にある。

 敵にこちらの拳の実態が割れていない初撃だけが、掟破りの正面突破を可能にし得る。
 求められるのは後先を考えた逃げや日和見ではなく、全身全霊を込めた一撃。
 幸いにも、敵は驕っている。征蹂郎を取るに足らない格下と認識し、推し測ってやろうという気でいる。
 その慢心こそが、無体な殺人拳をねじ込む最大の隙になる。
 靴底が床を擦った。それを前触れとして、悪国征蹂郎の姿が消失した。

「――〈抜刀〉」

 八極拳の達人に匹敵する瞬速の移動。
 超短距離に限り、あらゆる反応を置き去りにする暗殺者の歩法。
 それを以って接敵した征蹂郎の右手が、王に向けて華を爆ぜさせる。

 これぞ殺人拳、〈抜刀〉。
 居合の要領で腕一本に単体では実現不能のエネルギーを乗せ、放つ一撃。
 赤騎士の加護/呪いを受けた征蹂郎は既に人間を超越している。
 その拳は宝具類似現象、英霊の霊核さえ砕き得る威力の発揮を可能としていた。
 王を討つべく放たれた無刀の一振り。
 侮辱の代償に見舞った爆裂の拳は、文字通りの無骨さで佇む古王の器を打ち砕かんとして。

「ッ……!?」

 軌道を反らされ、空を切った。
 初めての事態に征蹂郎の脳が驚愕で支配される。
 あり得ない――馬鹿げている。
 彼がそんな感想を抱いてしまったことは決して責められない。

『読みやすい。
 構えが抜剣に似ている時点で、何が出るか予想が付いた』

 古き王は、放たれた〈抜刀〉へ下から手を添えたのだ。
 その上で力を込め、征蹂郎の一撃を上方へと物理的に反らしたのである。
 言わずもがな、言葉で語るほど簡単な芸当ではない。
 常人がこれを真似れば、触れた腕が瞬時にひしゃげて終いだ。

 古王は、超速で迫る殺人拳を驚異的な動体視力で正確に目視した上で。
 真下からそれに触れ、竜牙兵の柔軟性に乏しい躯体でありながら繊細な手遣いで接触部に発生する筈の衝撃を逃がした。
 そうしながら、とん、と軽く押して反らすことで〈抜刀〉を攻略した。
 それが今起こったことのすべて。
 言わずもがな――常軌を逸する神技である。

『つまらぬ。死んで詫びよ』
「がッ……!」

 殺人拳の空振りは、使い手の死を意味する。
 次の瞬間、征蹂郎は頭部に走る衝撃によって床へ叩き伏せられていた。
 咄嗟に微かでも受け身を取れたのは、彼が優れていたが故に手繰り寄せられた幸運だ。
 もしもそうしていなければ、悪国征蹂郎の頭蓋骨は中身ごと粉砕されていただろう。

『刎頸に処す』

 真上から響く王の宣告が、逃れようのない死を直感させる。
 振り上げられた骨の剣は、今や単なる骨屑のチープな武器にはとても見えない。
 見てくれは何も変わっていないのに、振るう中身が違うだけでこうも荘厳に見えるのか。
 そしてその処断には微塵の容赦も、情けもない。
 王を魅せられなかった興ざめな道化に対し、下された判決は死罪。
 王が直々に振るう処刑鎌は、征蹂郎の首を切断するべくギロチンのように落ちて――

「……、舐め、るな……!」

 迫る死を前に、征蹂郎は額から流血しながらも躍動した。

『無様。地に伏してもまだ身の程が分からぬか』
「そんな、もの……気にしたことも、ない……」

 そう、文字通りに躍動したのだ。
 伏せた状態から爪先だけで地を蹴り、糸を真上に引かれたマリオネットのように跳ね上がった。
 斬首の運命を跳ね除け、次は踵で天井を蹴り古王の頭蓋へ迫る。
 骨剣と征蹂郎の足が――レッドライダーに具現化させた鉄を随所に仕込んである――、衝突した。

「ぐ……!」

 拮抗が成立しない。
 一撃で、ゴム毬のように跳ね飛ばされる征蹂郎。
 古き王は動かない。動く意味がないからだ。
 刀凶聯合の主にして、単純なフィジカルだけであれば演者たちの中でも随一であろう征蹂郎を赤子のように扱う。
 これこそがサーヴァント。これこそが、古の時代の王。
 神々が実在し、英雄が当たり前に生まれ、喜劇と悲劇が交雑し続ける神話の生き証人。

 征蹂郎が再度肉薄する。
 熊を狩ろうとする蜂のように涙ぐましい抵抗だ。
 〈抜刀〉を攻略された今、彼の攻め手は見る影もなく弱化していた。
 王はそれを、微かな身じろぎと剣を合わせることだけで躱し防いでいく。

『やはり卑小だな、儂の視界に含めてやる価値もない。そして貴様、何か忘れておらぬか』

 侮蔑にも似た嘆息が響いた。
 征蹂郎にはそれが、災害の前の地鳴りのようにおぞましく聞こえた。
 もはや剣も、技も用いはしない。
 目障りな羽虫を振り払うように腕を振って、それで征蹂郎の攻撃を弾いた。
 次に来るのは――、――古き王の、剣技。

『――儂は、死ねと言ったぞ』

 征蹂郎の技がどれだけ優れていようが、その肉体はどこまでも現世を生きる人間相応のものでしかない。
 英霊の剣を受けられるスペックというものがそこにはない。
 だからこそ、これを受ければ征蹂郎の身体がどうなるかは自明だった。
 豆腐のように切り裂かれ、泣き別れにされる。
 あの手この手で引き伸ばしていた死の瞬間が、王の決定により一秒後の事象に固定された。

 征蹂郎にとってこれを防ぎ得る手立ては、ひとつしかない。
 彼は一瞬の逡巡の後、両手を組んで頭上に構えた。
 そこにはレッドライダーに具現化させた手甲が装備されている。
 これだけが唯一、王の拳を防いでくれる可能性のある備えだった。

 そして――激突。

「……ッ……! ご、ぁ……!」

 想像を絶する衝撃に、一瞬意識が飛びかける。
 両腕が軋み、毛細血管が断裂して痛々しい内出血をもたらした。
 次いで響くのは破砕音。受け止めた手甲が砕けた音だ。
 商売道具である両手まで砕かれなかったのはせめてもの幸いだったが、しかしどの道征蹂郎はこの時点で詰んでいる。

『終わりだ』

 何故ならこの間合いでは、どうやってももはや逃げられない。
 古き王、骨の躯体に宿った〈それ〉が剣を引く。
 槍術の構えだった。そう、彼の本領とは剣ではなく槍。
 確実に殺すと告げるその一撃が放たれれば、今度という今度こそ征蹂郎には打開の手立てがない。


 故にこそ――悪国征蹂郎にとって、此処が最後の起死回生の好機(チャンス)なことには疑いの余地がなかった。


「〈抜〉――――」


 体勢は不十分。
 込められたエネルギー、同じく不十分。
 確殺には程遠い、打つ前からそれは分かっている。
 だが重要なのは討つことではない、勝つことではない。

 王の剣撃を受け止めた体勢のまま、征蹂郎は密かに右足を引き、左足でそれを支えていた。
 征蹂郎の拳は殺人拳。暗殺拳よりも威力に優れるが、その代わりに些か愚直で読みやすい。
 そう――拳だけならば。

 征蹂郎の殺人拳は人間相手に使えば明らかな過剰威力だ。
 だから、大抵はこれだけで事が足りてしまう。
 暗殺という言ってしまえばまどろっこしいステージに入る必要が彼にはない。
 しかし今。征蹂郎は殺人拳では届かぬ敵(モノ)を相手にしている。
 よってこの瞬間、恐らく実戦では初めて。
 悪国征蹂郎は、己が拳の悪辣の真髄を開帳した。


「――――〈刀〉ッ!」


 〈抜刀〉において重要なのは部位ではなくそのプロセス。
 居合の要領で四肢のうち二肢を扱い、放つことにある。
 つまり、厳密には腕である必要はないのだ。
 "殺人拳"である必要は、ないのである。

 とはいえ拳に比べればその威力は格段に落ちる。
 よってこれはあくまでも次善策、第二の刃に過ぎない。
 しかしだからこそ、状況によっては殺人拳以上に優れた暗殺芸として機能する。
 その状況とはまさに今。放たれた足による〈抜刀〉は王の間隙を突いて轟き、彼の反応を待たずして――骨の躯体、その胸板を打ち抜いていた。



◇◇



『何とも不格好な一撃よ。
 死物狂いで当てたとて、それで殺せなければ目眩ましの火薬と変わらぬわ』

 ――しかし、今の〈抜刀〉はあまりに不完全だった。
 足で放ったこと以前に、体勢も込めた力も必殺を完遂するには程遠い。
 だから成し遂げられた結果は、王の躯体を数歩後退させた程度のもの。
 竜牙を打ち砕くことは叶わず、王はまだ威厳を保ってそこにいる。
 対して征蹂郎は片膝を突き、息を切らして顔に血を滴らせている。
 勝利とは決して呼べない絵面が、そこにはあった。

 だが、これでいい。
 何故なら征蹂郎に求められていたのは、王殺しという解りやすい勝利ではなかったから。

「……あんたは、打ち込んでみろ、と言った筈だ」
『…………』
「だから……打ち込んだ。まさか、二言はないだろうな」
『は』

 そう、この古き王が彼に求めたのは魅せること。
 見るに能わぬと看做せば殺す。
 であれば、無理矢理にでも見せてやればいい。
 それができれば、征蹂郎は王の無茶振りに応えられたことになり。
 それでも殺すと言うなら、打って変わって王の威厳が失墜する。

 王の言葉には責任が伴う。
 単に横暴を振るうだけでは、人はその振る舞いを愚王と揶揄するだろう。
 この厳しい王が"本物"であるならば、決してそちらに堕することはしない筈だ。
 征蹂郎は彼を、その王としての人格を信用していた。そこに賭けて、躍ったのだ。

 もしも王が愚王であったならば、その時はこちらとて容赦しない。
 此処で赤騎士を動かし、刀凶聯合の頭目として敵を撃滅するまでだ。
 そうなれば不利を被るのは彼らの方。
 王は仮の器に収まっており、にもかかわらず心臓であるアルマナが居合わせてしまっているこの状況は必ずや致命的な結果を生むだろう。
 さあ、どうすると。
 決断を求める征蹂郎に、王は表情筋などある筈もない骨の躯体で笑みを浮かべた。
 親愛の笑みではない。不敬者、あるいは敵手に対し浮かべる攻撃の笑みだ。

『王たる儂を試すか、ゴミ山の主よ』
「……試すさ。ゴミ山だろうと、卑小だろうと……オレは、オレの居場所を守る〈王〉でなくちゃいけない。
 あんたは、オレに説教を垂れたが……結局、自分の国を守れない王さまってのが、一番落第だろう……?」
『小僧めが、一端に語るでないわ』

 しかし王は、意外にもその剣を静かに下ろした。
 アルマナとの会談のために設けていた椅子に腰を下ろし、足を組む。
 机に肘を突いて、片膝を突いたままの征蹂郎を見やる姿は見窄らしい骨の躯体でありながら、まさしく王たる者の威厳に溢れていた。

『良かろう。いかにも、王に二言はない』
「……そう、か」
『儂に力添えすることを許す。貴様と有象無象どもの働きに応じた見返りもくれてやろう。
 だが足りねば処断する。儂は寛大だが盲目に非ず。常にその首には刃が添えられていると思え』
「言い返したいところはあるが……この際だ、譲歩する。但しそれはオレからも同じだということを、忘れるな」
『ふん――分かったなら血を拭い、身なりを整えて来い。
 薄汚い鼠と顔を突き合わせる趣味はない。五分、時間をくれてやる』

 征蹂郎は軋む身体で、ゆっくりと立ち上がった。
 王の属国に成り下がるつもりはない。
 この居場所を譲り渡すことは、何人たりにもして堪るものか。
 だが今の戦いで、確信した。
 聖杯戦争とは正真正銘の人外魔境、個の武力では罷り通れない修羅道そのものであると。

 使えるものがあるなら、すべて使ってやる。
 勝つために。それよりもまずは、死んだ仲間の無念を晴らすために。
 去り際、褐色の少女と目が合った。

「……悪かった。驚かせてしまったな」

 喧嘩を吹っかけられたのはむしろ征蹂郎の方なのだが、何となくそう言わずにはいられなかった。
 そんな征蹂郎にアルマナは、ぺこりと小さく頭を下げるのだった。



◇◇



 ――老王カドモスは、竜牙兵(スパルトイ)達に自由意思というものを与えていない。
 それは宝具『我が許に集え、竜牙の星よ(サーヴァント・オブ・カドモス)』の真価を損ねる采配だ。
 だが、存在をあえて希薄化させることでできるようになる芸当もある。

 そのひとつが、悪国征蹂郎に対して見せたものだった。
 竜牙兵へ自身の魂を疑似憑依させ、一時の触覚として扱う。
 魔力消費の観点から此処までの戦いでは使わなかった手段だが、戦況の移行に伴いカドモスはこれを解放した。

(……申し訳ありませんでした、王さま。罰は何なりと受けます)

 征蹂郎を待つ間、アルマナは念話でカドモスに詫びた。
 今回のことを、アルマナは自らの失態だと捉えていた。

(――アルマナよ。おまえは何故、奴に従ったのだ)
(それ、は……)

 何しろ、悪国征蹂郎との接触に際してアルマナは王への報告を怠ってしまっていたのだ。
 これは偵察役として、何より従者としてあってはならない怠慢だ。
 王はさぞや憤るだろう。そう覚悟しての謝罪だったが、それに返ってきたのは問いかけだった。
 言葉が詰まってしまう。そうだ、何故あの瞬間自分はいつも通りにできなかったのだろう。
 感情を遮断して、目の前の事態にただ対処する。
 今の自分はもう、それができるようになって久しい筈なのに。

(…………頭のなかが、ぐるぐるして…………)

 それは――アルマナらしからぬ、王の従者にあるまじき、子どもの言い訳のような拙い答えであった。
 自分でも何を言っているんだろうと、そう思う。
 これでは火に油を注ぐだけではないかと。
 が、カドモスは暫し沈黙して。

(――アルマナよ)

 重々しく、言葉を発した。

(あの男は善からぬモノを自らに憑かせている。
 故に命ずる。この先、おまえは決して立ち止まるな)
(……はい)
(迷うな、惑うな、とは言わぬ。
 ただの人間であるおまえにそれは不可能だろう。
 アレに憑いているのはそういう厄災だ。人間ごときで逆らえる現象ではない)

 カドモスは、戦というものを知っている。
 それこそ、嫌というほどに知っている。
 だから、すぐに悪国征蹂郎に付き纏うその気配に気付くことができた。
 戦火の気配。死と、歪んだ喝采の気配。……ひどくありふれた悲劇の気配。

 そして、彼の推測は当たっていた。
 征蹂郎のサーヴァント、終末を告げる赤き騎士の能力/災害。
 〈喚戦〉。精神を乱し、人心を揺るがす悲劇の肥料。
 常に自分を律するアルマナが征蹂郎との対面で心を乱したのはその影響だ。
 悪国征蹂郎は、厄災(いくさ)に憑かれている。
 居場所を守るのだと豪語するならば、決して連れ合ってはならないモノを宿してしまっている。

(だが、決して足を止めるな。戦場で足を止めれば、それは死に直結する)

 迷うのは許す。
 惑うのも許す。
 だが止まるな。
 王の命令は、いつになく寛大で。
 アルマナは思わず、少し呆気に取られてしまった。

(話は終わりだ。次は許さぬ)
(は……い。わかりました、王さま)

 車道に走り出そうとする犬のリードを引いて躾けるような。
 あるいは、窓の外に飛び立とうとした小鳥へこんこんと語るような。
 そのいつもとは違う叱責に、少しだけ違和感を持ったものの。
 アルマナはこくりと頷いて、征蹂郎が戻るのを待つことにした。

 ――老王は誰より悲劇を知っている。
 自分がどれほど、それに纏わりつかれているかを知っている。
 おぞましき〈喚戦〉と、悲劇に呪われた愚かな王。
 この巡り会い自体が既に悲劇の種であろうと、カドモスはそう感じていた。

 求めるのは聖杯だけだ。
 己は、己の国を救わねばならぬのだ。
 すべての栄光を、最初から存在しなかったことにして。
 あの呪われた国にあったすべての嘆きを、零にする。
 そのためには、今この小鳥に死なれては困る。
 断じて、それ以外の意図はないと。
 己は間違いなど犯してはいない、と。
 どうしようもなく老いてしまった栄光の国の王は、合理と不合理の境目を枯れた足取りで歩み続ける。



【中央区・刀凶聯合拠点のビル/一日目・午後】

【悪国征蹂郎】
[状態]:疲労(中)、頭部から流血、両腕にダメージ
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度。カード派。
[思考・状況]
基本方針:刀凶聯合という自分の居場所を守る。
0:アルマナ陣営と話をする。
1:デュラハンとの衝突に備える。
2:アルマナと交流し、情報を得る。
[備考]
※異国で行った暗殺者としての最終試験の際に、アルマナ・ラフィーと遭遇しています。
※聯合がアジトにしているビルは複数あり、今いるのはそのひとつに過ぎません。

【ライダー(レッドライダー(戦争))】
[状態]:損耗なし
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:その役割の通り戦場を拡大する。
1:ブラックライダー(シストセルカ・グレガリア)への強い警戒反応。
[備考]

【アルマナ・ラフィー】
[状態]:健康、落ち着いた
[令呪]:残り3画
[装備]:カドモスから寄託された3体のスパルトイ。
[道具]:なし
[所持金]:7千円程度(日本における両親からのお小遣い)。
[思考・状況]
基本方針:王さまの命令に従って戦う。
0:もう、足は止めない。王さまの言う通りに。
1:日中は情報収集。夜は王の命令に従って戦闘行動。
2:悪国征蹂郎から情報を引き出し……その後は……。
[備考]
覚明ゲンジを目視、マスターとして認識。
※故郷を襲った内戦のさなかに、悪国征蹂郎と遭遇しています。

【ランサー(カドモス) ※スパルトイの一体に憑依中】
[状態]:竜牙兵躯体の胸部にダメージ(中)
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:いつかの悲劇に終焉を。
1:アルマナめ、厄介なモノを……。
2:悪国征蹂郎のサーヴァント(ライダー(戦争))に対する最大限の警戒と嫌悪。
[備考]
※『我が許に集え、竜牙の星よ』の一体に意識を憑依させています。
 本体は拠点である地下青銅洞窟に存在していますが、その正確な位置は後の書き手さんにおまかせします。


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最終更新:2024年10月09日 15:11