◆
周凰狩魔は、千代田区から退くことを選んだ。
聖杯戦争の同盟者であり、新たに手を差し伸べた”逸れ者“――
覚明ゲンジに一旦休息を与えるためだった。
先の邂逅にて。ゲンジは“バーサーカーの50体同時現界”という無謀にも等しい意地を見せつけた。
それは紛れもなく驚嘆に値する所業だったものの、結果としてゲンジは己の魔力を使い果たしていた。
出来ることならば〈刀凶聯合〉の首領・
悪国征蹂郎の追撃を続行したかった。
しかし相手が現場から既に離れている可能性は高く、更に長居をし過ぎればあの一帯を覆う“精神汚染の瘴気”の影響を受けるという危惧があった。
自分はまだいいが、体力の消耗が著しいゲンジを引き連れた状態で悪国を追撃することは難しい。
ゲンジは魔力の底が尽きている以上、汚染への抵抗力も大きく低下している可能性が高い。
それにあれだけの騒動があれば、警察もじきに動き出しているだろう。
あの場に留まり続ければ、要らぬ横槍を入れられて他主従の目を集める危険性もあった。
狩魔はそう判断して、戦局から離脱することにした。
敵を追い詰めて確実に喰らいつくことよりも、新たに引き込んだ仲間の回復を優先したのだ。
狩魔が撤退した先は、新宿の歌舞伎町だった。
都内屈指の歓楽街。愛と欲望が渦巻く、娯楽と退廃の街。
そこには〈デュラハン〉の主要な縄張りが集中する。
拠点となる施設を数多く確保している他、配下の不良や半グレも数多く存在する。
あの一帯は狩魔にとって、自らの領地に等しい。
彼がゲンジと遭遇した千代田区の西側は、新宿に直接面している。
それ故に時間や労力を掛けずに退くことが出来た。
そして同時に、そこは〈刀凶聯合〉が襲撃すると予告した場所だった。
狩魔にとっては、仮に彼らが12時間後という口約束を待たずして仕掛けてきたとしても構わなかった。
奴らの方から早々に面を拝みにやってくるのなら、此方としても都合が良い。探す手間が省ける。
尤も千代田区で派手に暴れたことからして、すぐに強襲へと踏み込んでくる可能性は低いとも踏んでいた。
故に奴らが宣言を踏み倒して殴り込みを掛けてきたとしても、それまでにゲンジの回復は間に合う。
懸念があるとすれば――〈刀凶聯合〉もまた、更なる戦力を確保した場合だ。
狩魔は今後の抗争に備え、そしてこの東京に蔓延る“規格外の敵”を相手取るために、戦力の拡充を見据えた。
この聖杯戦争において、特記戦力(バランスブレイカー)は間違いなく存在する。
いずれ訪れる大きな波に備えるためにも、対抗可能な同盟関係を築く必要があった。
その結果として彼は覚明ゲンジと原人のバーサーカーを引き込むことを果たした。
とはいえ、ゲンジは度胸こそあれど、決して“強い”主従ではない。
未だに奥の手を隠し持っている可能性もあるが、実力そのものはゴドフロワと共に目の当たりにしている。
いずれ成長する余地はあるとはいえ、彼らだけではまだ波を乗り越えるには足りない。
聯合を早々に潰して、連中の勢力を取り込むことも視野に入れてはいるが。
彼らも同じように同盟の必要性に迫られ、戦争を勝ち抜くための集団を形成している可能性は低くない。
それ故に今はまず、自分達の勢力を拡張する必要がある。
特記戦力との対決。〈刀凶聯合〉との抗争。それらを超えるためにも、備えねばならない。
やがて狩魔達は、新宿へと帰還する。
ゲンジは一先ず、自力で何とか歩ける程度には回復していた。
とはいえ、いまだに消耗していることには変わりない。
故に今は、〈デュラハン〉の息が掛かったバーやクラブが入っている雑居ビルで休息を取らせる。
そこで改めて今後の方針や戦力についても確認を取る。
狩魔はゴドフロワとも擦り合わせた上で、そう決めた。
――そして狩魔は、思わぬ来訪者と遭遇することになる。
◆
歌舞伎町の最果て、クラブやホテルなどが並ぶ通り。
潰れた煙草が地面にへばりつき、酒のアルミ缶が転がる雑踏。
猥雑なネオンの数々は、日中であるが故に光を発することもない。
夜に目を醒ますこの街は、陽の光の下では静まり返る。
此処は、真っ当な道を歩めない“誰か”の隠れ家である。
「――おう、悠灯か」
「どうも、狩魔サン」
路地裏で煙草を吸っていた少女が、狩魔に片手を上げて挨拶した。
黒い地毛が覗きつつある金髪。質素なパーカーにジーンズ。
あどけなさを残す顔には、幾つもの痣が刻まれている。
ポケットにはいつもの銘柄。アメリカンスピリットのライト。
インディアンの絵が描かれた、黄色い箱だった。
狩魔は、その少女のことを知っていた。
幾度となく世話を焼き、その身を案じていた。
手駒になるかもしれない、恩を売っておけば使える、若くて無鉄砲な不良。
――そう語りつつも、結局は“性分”として面倒を見ている相手だった。
華村 悠灯。
この雑踏を孤独に生きる、不良少女だった。
◆
渋谷にて、
シッティング・ブルは“青き騎兵”の存在を確認した。
生前より連なる、不俱戴天の敵。決して相容れぬ、因縁の存在。
この戦争を戦い抜いていけば、いずれ再び相見えることになる。
第七騎兵連隊の指揮官、
ジョージ・アームストロング・カスター。
彼がサーヴァントとして呼び寄せられていることを、認識したのだ。
早々に撤退されたことで追撃は叶わなかったものの、この地に居ることを把握できただけでも大きな収穫だった。
英霊が、生前の伝説を背負っているならば。
宿縁もまた、そう容易くは断ち切れないのだろう。
例えサーヴァントとして呼び寄せられようとも。
清算すべき過去は、己を追い立てるのだ。
シッティング・ブルはそれを悟った。
それ故に――この聖杯戦争で勝ち抜くことを、改めて決意した。
救われなかった同胞達の救済。
あの時代を生きたアメリカ・インディアンを救済する“新天地”を創る。
無残な末路を迎えた者達を、“運命”の一言で片付けることなど出来なかった。
その為にも、彼は己の過去を乗り越えねばならなかった。
胸の内の虚無と絶望は、今もなお彼を蝕み続ける。
大戦士の魂は、荒涼と枯れ果てている。
それでも彼は、同胞を救うために戦わねばならなかった。
そして、己を召還した少女の為にも。
己が未来を見つけられず、閉塞の運命を突き付けられ。
そうして、希望を求めることを選んだ――悠灯の為にも。
シッティング・ブルは、聖杯を掴み取らねばならなかった。
カスターを追う過程で、あの“復讐者”とも遭遇した。
奪われし者。矜持を踏み躙られ、それ故に憎悪に囚われた悪神。
シッティング・ブルは、アヴェンジャーが如何なる存在であるのかも悟っていた。
あの英霊に対し、憐れみと虚しさを抱く想いはある。
出来ることならば、彼と争うことは望みたくない。
だが、彼はサーヴァントであり。
聖杯を求めて馳せ参じた英霊であり。
消えぬ憎悪を滾らせる、狂熱の焔だった。
その道程を止めることなど、容易いことではない。
そして、アヴェンジャーが抱く怨念を理解できるからこそ。
シッティング・ブルは、彼を引き留めることを躊躇った。
あの復讐者とも、いずれ再び対峙する時が来るかもしれない。
聖杯戦争で競い合う敵として、戦う瞬間が訪れるかもしれない。
それ故に、シッティング・ブルは覚悟をする。
因縁と再会し、奪われし者と遭遇し。
そしてこの地には、蝗害を始めとする“厄災”が蠢いている。
今はまだ、辛うじてこの東京の安息が保たれている。
しかし、それが崩れ落ちるのも時間の問題だろう。
シッティング・ブルと悠灯は、共にそのことを察していた。
聖杯戦争の戦火は、これから拡大していく。
強大な主従が跋扈し、徒党を組む主従も出てくるだろう。
その波へと乗じなければ、恐らく災いの渦へと飲み込まれる。
故に彼らは、備えなければならなかった。
単独の主従である悠灯達には、“戦力”が必要だった。
この波を超えるためにも、“同盟”を見据えねばならなかった。
――なあ、キャスター。
そうして、悠灯はシッティング・ブルに提案した。
――ひとり、当てがある。
聖杯戦争の“参加者”かもしれず。
自分たちの“同盟者”に成り得る。
そんな一人の男との接触を。
――本当にマスターなのかも分からないし。
――敵になるか、味方になるかも分からないけど。
シッティング・ブルは、自らの使い魔を各所に飛ばしている。
蛇や鴉の五感を通じて、この東京で虎視眈々と戦局を観察している。
そんな中で、急速に勢力を伸ばしている集団がいた。
〈刀凶聯合〉。二十三区の東側を縄張りにする半グレ組織。
悠灯達は、彼らの異常なまでの進撃を感知していた。
――それでも、会う価値はあると思う。
そして、彼らと真っ向から敵対する者がいる。
破竹の勢いで勢力を拡大する軍勢と、真正面から拮抗する集団がいる。
悠灯が会おうとしているのは、その頭領だった。
あの連中を相手取り、対立関係を成立させることが出来る。
彼が“関係者である可能性”は、それだけで十分だった。
――あの人には、野暮用もあるしさ。
――ただの“借りモン”の話。
新宿の歓楽街の奥底。
クラブやホテルなどの雑多な施設が並ぶ、泥と欲望の掃き溜め。
それこそが“周凰狩魔”の主要な縄張りだった。
彼と会うためには、その辺りへ行くのが手っ取り早い。
其処で待ち伏せていれば、自ずと顔を合わせることが出来る。
悠灯は、それを知っていた。
◆
周凰狩魔は知っている。
華村悠灯は、いつも独りだ。
不良というものは、身内とつるむことを好む。
逸れ者、鼻つまみ者だからこそ、気の合う仲間と群れを成して奔放に振る舞うものだ。
しかし、悠灯は違っていた――誰ともつるまず、いつだって孤独だった。
独りで雑踏を彷徨い、煙草を吸いながら気ままに過ごし、たまに喧嘩に明け暮れる。
少女でありながら、男たち顔負けの腕っぷしと度胸の持ち主。威勢が良く、喧嘩っ早く、野犬のように獰猛。
だからこそ悠灯は誰ともつるまずに居られたし、他の不良達からも敬遠されていた。
悠灯と積極的に関わろうとするのは、周凰狩魔だけだった。
一匹狼として掃き溜めに生きる少女を案じて、何度も世話を焼いていた――デュラハンの一員でなくとも。
多くの逸れ者達に手を差し伸べ、不良のカリスマとして振る舞っている狩魔だからこそ、悠灯と何の蟠りもなく交流することができた。
そんな狩魔に対し、悠灯もまた気を許している節があった――生育環境では得られなかった父性のようなものを、心の何処かで見出していた。
とはいえ、あくまで悠灯は常日頃から孤独に過ごしている。
誰とも積極的に関わらず、野良犬のように街角を彷徨い続けている。
そんな彼女が、自分から狩魔へと会いに来るというのは、彼自身にとっても意外なことだった。
「お前からなんて珍しいな。用か」
「ちょっと借り物あったんで」
開けた路地裏で目立たぬように、彼らは会話を交わす。
そう言いながら、悠灯は懐から“それ”を取り出して。
「ほい」
ひょい、と悠灯がキャッチボールのように投げる。
狩魔が片手で受け止めて、掌の中身を確認する。
それは鈍い銀色の発火用器具。
使い込んで久しいオイルライターだった。
「ジッポ借りっぱなしだったんで」
ほんの一週間ほど前。
悠灯は狩魔と新宿で偶々顔を合わせて、なし崩しで一緒に煙草を吸うことになった。
その時ちょうど悠灯がライターを切らしてて、「いつも吸ってんだろ。持っとけ」と言ってオイルライターを渡していた。
それを返しに、わざわざ顔を出してきた――ということらしい。
「何だ。それくらい気にしねえのに」
「嫌っすよ、狩魔さんから借りパクとか」
「どうせまたライター切らすんだろ」
「今度は気をつけるんで」
やれやれ、と言わんばかりに苦笑する狩魔。
悠灯は誰ともつるもうとしないのに、変なところで律儀なのだ。
そういうところに可愛げがあるのだと、狩魔は知っている。
「そういや――」
そうして悠灯は、ひょいと視線を狩魔のすぐ隣へと向ける。
彼の側に立つ見慣れぬ少年を、じっと見つめていた。
「誰っすか。そいつ」
「ゲンジ。新入りだ」
ポン、と狩魔は自身の隣に立つ少年の肩を叩く。
明らかな身内同士のやりとりにバツが悪そうに佇んでいたゲンジだったが、話題が自身に移ったことで思わず動揺する。
「また掴まえてんすか、あたしみたいなヤツ」
「……ま、そんなトコだな」
居心地悪そうに立つゲンジをまじまじと見つめる悠灯。
狩魔の“いつもの癖”は、悠灯もまた知っている――この人は“こういう人間”なのだと、彼女は理解している。
居場所のない逸れ者に慈悲の手を差し伸べて、自らの身内に引き込む。孤独な誰かの拠り所として、カリスマで在り続ける。
それが周凰狩魔という人間だった。悠灯はそのことを分かっていた。彼女もまた、そうして手を差し伸べられた一人だったから。
「あ……どう、も」
じっと見つめられていたゲンジは、おどおどと言葉を紡ぐ。
――ゲンジは学生としての日々において、ずっと孤独だった。周囲からは蔑まれ、嘲笑われ、親しい友人もいなかった。
他人との交流があるとすれば、せいぜい父親の民生委員の付き添いくらいだった。
彼にとっての“他者”とは、往々にして孤独に染まってしまった老人達だった。
だから彼は、対人関係というものに慣れていない。
自らのサーヴァントさえも言葉を発しないのだから、尚更だった。
彼にとって“不良”というものは、忌避すべき存在だった。
小学生の頃には、所謂“ガキ大将”やその取り巻きから散々に揶揄われたのだから。
中学、高校になってからも、彼らは遠巻きから自分を鼻で笑うように観察してくる。
そのうえ、目の前の相手は女子である。ゲンジにとって、同世代の女子は恐怖の対象に等しかった。
彼女達は決まってゲンジの容姿や所作を蔑んで、距離を起きたがる。
ゲンジの何気ない仕草さえも、まるで虫螻が這い回ってるかのように忌み嫌う。
そんな女子の眼差しに、ゲンジは何度も心を抉られてきた。
その何気ない嫌悪が、ゲンジにとっては腹を突き刺す刃のようだった。
「そいつ不良なんですか?あんまそうは見えないっすけど」
「さあな。どっちだって良いだろ、誘ったのも俺の勝手だ」
――とはいえ、悠灯はあくまであっけらかんと振る舞っていた。
ゲンジにはそれほど関心を抱くこともなく、寧ろ彼を引き込んだ狩魔に対して意識を向けていた。
そのことに関して、ゲンジは微かな安堵と仄かな寂しさを覚えていた。
他人から目を向けられることは痛い。
けれど、他人に何の感情も向けられないのも、遣る瀬無さがある。
「つか悠灯。無茶してねえだろうな」
「暫くは下手に喧嘩するな、特に〈刀凶聯合〉には手ェ出すな――でしょ。分かってますよ」
そんなゲンジの感情をよそに、狩魔と悠灯は言葉を交わし続ける。
狩魔は以前、悠灯に対して釘を刺していた。
“痛い目見たくないんだったら、今は喧嘩は控えておけ”。
“特にあいつらは、適当に喧嘩売っていい相手じゃない”。
それは狩魔が聖杯戦争に関与しているからこその忠告だった。
既に戦火は各所に広がり、町の陰に聖杯戦争の参加者が潜んでいる。
今までのように一匹狼として喧嘩に明け暮れていれば、きっと悠灯は何処かで犠牲となる。
そう考えたからこそ、狩魔は自制を促したのだ。
「大丈夫っすよ。最近あんまケンカやってないし」
「どうだかな。お前喧嘩っ早いだろ」
「あたしだって反省くらいはしますよ」
――そんな心配をしたのは、まさしく悠灯が“危なっかしいヤツ”だったからだ。
何かしらのバックを持つこともなく、たった独りで彷徨い歩く孤独な野犬。
悠灯という少女は、そういう人間だった。
それでいて喧嘩も辞さない彼女が未だに五体満足で居られることは、奇跡に等しかった。
悠灯の強さは、少女としては異常だった。
何か身体を鍛えてる訳でもなければ、武術を学んでいる訳でもない。
それでいて彼女は、束になった不良達を傷だらけになりながら叩きのめす。
天性の喧嘩の才能、そして向こう見ずな意地としか言いようがない。
そしてだからこそ、彼女は一匹狼で居られるのだ。
そんな悠灯だからこそ、狩魔は案じていた。
自力で乗り切れる強さを持っているからこそ、彼女は無謀も辞さない。
生来の才能でごり押せるからこそ、彼女は無茶をしでかす。
そういった生き方を貫いているが故に、戦場と化しつつある東京で悠灯は“何か”に巻き込まれるのではないかと。
狩魔はそう思って、彼女に何度も釘を刺していたのだ。
例え悠灯が、この舞台で作られた“虚構の存在”だったとしても。
狩魔にとっては、面倒を見ている後輩の一人なのだ。
悠灯もまた、そんな狩魔の気遣いを理解している。
周凰狩魔は、巷で恐れられる凶暴な半グレであり。
そして、多くの悪童達から慕われる兄貴分だった。
ヤクザ相手にさえも一歩も引かず、己の筋を貫き通す。
己の仲間を守るためならば、どんな悪党にも喰らいつく。
ただの不良とは一線を画す勢力を持ち、裏社会でもその名を知られている。
そんなカリスマだからこそ――自分のようなちっぽけなガキも、気に掛けてくれる。
悠灯はそのことを理解していた。
それ故に、狩魔について知らねばならないことがあった。
〈刀凶聯合〉という凶悪な集団を前にしながら、一歩も引かぬ彼について。
「……あのさ、狩魔さん」
ほんの少しの沈黙を経た後。
悠灯が、ぽつりと呟く。
「聞きたいこと、あるんすけど」
「どうした。畏まりやがって」
ここ最近の〈刀凶聯合〉は、不自然なほど力を付けているらしく。
ただの半グレでありながら、ヤクザさえも凌ぐ“過剰な重武装”を行っているという。
悠灯もそのことは噂で聞いていたし――シッティング・ブルが使役する“霊獣”の偵察で、既にその様子も確認していた。
ただの不良集団にしては不釣り合いなほどの装備で戦力を増強し、急速に勢力を伸ばした〈刀凶聯合〉。
アウトサイドを居場所とする悠灯は、常日頃からその噂を聞いていたし。
実際に偵察で実態をある程度掴んでいたからこそ、彼らが聖杯戦争と関与している可能性を察知していた。
そんな彼らとの拮抗状態を成立させているのは、他でもない周凰狩魔が率いる〈デュラハン〉。
最早ただの愚連隊の域ではない〈刀凶聯合〉と、真っ向から対立関係にある。
悠灯とシッティング・ブルは、その首領である周凰狩魔を“グレー”と見做していた。
だからこそ、彼女達はこうして彼との接触を試みた。
限りなくクロに近い〈刀凶聯合〉に加えて、各所を騒がせる“蝗害”。
奪われた者の成れの果て、“白き悪神”。
そして、宿縁の相手である“騎兵隊”。
迫り来る厄災と戦火を前に、同盟者が必要であると考えた。
「刀凶の奴ら、随分と派手にやってますよね」
そうして悠灯は、狩魔と接触した。
彼がマスターであるのか。味方になり得るのか。
腹を探るように、それを確かめようとした。
悠灯は、狩魔には何度も世話になっている。
それは間違いのない事実であり――しかし、狩魔がどういう人間であるかも薄々勘づいていた。
――この人は、あたしが敵だったら。
――たぶん、あたしのことも殺せる。
――そんな気がするのだ。
それは、悠灯が狩魔の頼もしさを知っているから。
周凰狩魔という不良の“怖さ”を知っているから。
そんなふうに、朧げに確信を抱くことができた。
だから悠灯は、すぐには話を切り出せず。
こうして、水面下でのやり取りを選んだ。
その遠回りが結果として、第三者による横槍を挟む結果となる。
「狩魔さん、あいつらと――」
悠灯が言葉をつづけようとした、次の瞬間。
――“なにか”が、姿を現した。
赤い影が、空中から勢いよく降ってきたのだ。
毛むくじゃらの強靭な肉体を躍動させて。
そのまま悠灯へと目掛けて、頭上から飛び掛かった。
それは、かつて滅びの運命を辿った原人。
バーサーカーのサーヴァント、ネアンデルタール人。
覚明ゲンジが従える、異端の英霊だ。
◆
覚明ゲンジにとって、最大のアドバンテージとは何なのか。
本来なら駆け引きの中で探っていく情報を、瞬時に視覚化できることだ。
彼の目には“人間の感情”が見える。それは長年の観察眼や洞察力といった類いの代物ではない。
確固たる情報として、個人の“心理”を目視することができるのだ。
彼は“腹の探り合い”をする必要すらない。
他人の心情や意識。その形、向き、大小。それら全てを見通すことができる。
故に彼は条件さえ噛み合えば、誰よりも早く“敵の存在”を掴み取る。
あの群衆の中で、魔術による隠密の看破ではなく――ただ目視するだけで
アルマナ・ラフィーというマスターの存在を察知したように。
時間経過と共に少しずつ魔力を取り戻したゲンジは、狩魔と悠灯が掛け合いをする中で己の魔術を行使した。
理由はささやかだった。
結局、この少女は何を思っているのだろうか。
そんなちょっとした好奇心で、異能を発動したのだった。
周鳳狩魔と遣り取りを交わす少女、華村悠灯。
彼女が狩魔に向ける矢印は、仄かな“親近”であり、そして“緊張”と“警戒”だった。
それだけではない――少女から覗く“緊張”と“警戒”は、行く宛のないベクトルとして周囲にも向けられていた。
それは酷く朧気で、向かう先もないまま散っていくような代物であったものの。
しかし確かにゲンジの目には“形ある感情”として映っていた。
終点となる相手がその場にいない矢印。本来ならば視認の対象から外れる筈の“感情”。
しかしそれを行き場のない矢印として認識できたのは、狩魔との対峙によって悠灯の“緊張”が高まっていたからだった。
ゲンジは少女が見せる感情の揺らぎを目の当たりにして、動揺と焦燥を抱く。
姿の見えぬ敵の存在を警戒し、眼前で対峙する相手を警戒し、絶え間ない緊張に包まれている――。
それは往々にして、聖杯戦争の参加者が見せる感情だった。
ただの民間人にしては不自然な感情の指向性を目の当たりにして、ゲンジは相手がマスターであることを半ば確信していた。
ゲンジはこの一ヶ月で、自らの従者を使役して多くの命を手に掛けてきた。
他者を殺めるという手段を、彼は既に掴み取っている。
しかし彼は、魔術師でもなければ戦士ではない。
異能に目覚めてから日の浅い、ただの少年でしかない。
幾ら殺人を積み重ねようとも、彼は荒事においては未だ半人前に過ぎないのだ。
故にゲンジは狩魔の判断を待たずして、殆ど条件反射的に、独断で奇襲を敢行した。
――その判断の是非を見極める前に。
何より、彼には身に覚えがあったのだ。
咄嗟に動かなければ何かを喪うかもしれない、そんな状況を。
“まさか、殺されるなんて”――。
“まさか、そんなことになるなんて”――。
きっと、そんなふうに油断していたから、ゲンジの父親は入れ墨の老人に刺殺されたのだ。
そうしてゲンジは、この場で誰よりも先に決断した。
彼の猜疑心は、慌ただしく駆り立てられた。
◆
空中からの奇襲を仕掛けるネアンデルタール人。
次の瞬間、風を切るように“それ”は虚空より姿を現す。
茶色の体毛に身を包んだ“鷹”が、弾丸の如く原人の前に立ちはだかる。
“精霊の指輪”。シッティング・ブルが作成し、悠灯に身に付けさせた魔術器具。
装着者の任意、または窮地において発動し、自然の化身である“霊獣”を呼び寄せる。
“原人”による奇襲によって指輪が即座に機能し、悠灯を護るべく鷹が召喚されたのだ。
そうして鷹は霊力を纏った翼を羽ばたかせ、悠灯を庇うように原人へと突撃する。
しかしその嘴が敵を捉えることは叶わず――原人へと触れる前に、鷹は魔力と化して霧散する。
灰に帰るかのように消滅した霊獣。その現象を前にして、悠灯は意表を突かれたように目を丸くする。
「――んだよッ」
悠灯の口元から、思わず悪態が溢れる。
ネアンデルタール人が保有するスキル、『霊長の成り損ない』はあらゆる文明の恩恵を否定して無効化する。
その効果は武具や機械のみならず、現生人類の文化が生み出した魔術にさえも機能する。
シッティング・ブルの呪術によって作られた“精霊の指輪”さえも、彼の前では何の意味も成さない。
呼び寄せられた精霊は魔力へと戻り、在るべき自然へと還る――悠灯は、己を守る盾を剥がされた。
赤毛に覆われた右腕が、悠灯に迫る。
痣だらけの顔を力任せに掴むべく、手のひらを伸ばす。
そして――ほんの刹那の合間に、新たな影が割り込む。
悠灯を守るように立ちはだかった影“シッティング・ブル”は、ネアンデルタール人の右腕を迎え撃つ形でトマホークを振り上げた。
叩き込まれる斬撃――しかし、原人の右腕には鈍い切り傷が刻まれるのみ。
ネアンデルタール人は仰け反りつつも、怯むこともなく地面に着地する。
「無事か、悠灯よ」
「……なんとかな」
トマホークを構えるシッティング・ブルは、背後に立つマスターへと呼びかける。
雪崩込んだ状況に驚きつつも、悠灯は強がるように応える。
『霊長の成り損ない』の影響下に置かれた武具は、鋭利なだけの石器同然に成り下がる。
故にトマホークの直撃も決定打とはならない。されど、シッティング・ブルは動じない。
彼は“神秘の否定”に類する能力を持つことを即座に理解し、次なる行動に出た。
ネアンデルタール人の放った石器の刺突を躱しつつ、すぐさま返す刀でトマホークを振り下ろし――その頭蓋を膂力によって粉砕した。
頭部を打ち砕かれたネアンデルタール人は地にひれ伏し、そのまま霧散する魔力と化して消滅する。
シッティング・ブルは呪術師であると同時に、ラコタ・スー族の大戦士である。
狩猟民族の英雄である彼は、生半可な魔術師(キャスター)とは比較にならぬ白兵戦能力を持つ。
如何に歴史の浅い英霊と言えども、“個”としての名すら残さぬ古代人類とは明確な格の違いが存在する。
こうして英霊が一騎、姿を消した――否。
まだ終わってない。終わっては、いないのだ。
雑居ビルの屋上から、立て続けに二つの影が降り立つ。
ずさりと緩慢な動きで受身を取り、その影はシッティング・ブルを挟み撃ちにする形で囲む。
「……“個”ではなく、“群”の英霊という訳か」
先程の英霊と全く同じ姿をした、赤毛の猿人が2体。まるで群れの仲間が駆け付けたかのように、彼らはぬらりと姿を現す。
ネアンデルタール人の宝具『いちかけるご は いち(One over Five)』。
死体を重ねることで、彼は同胞を生み出せる。マスターであるゲンジは、数多のネアンデルタール人を霊体としてストックしている。
そうして2体の原人は枝に岩刃を括り付けた槍を構えて、シッティング・ブルへと向ける。
警戒するように目を細めた先住民の大戦士――すぐさまもう一振りのトマホークを実体化させ、二刀流のような形で両手に握る。
前後に立ちはだかる2体の英霊を牽制し、傍らに立つ悠灯を守りながら、緊迫の狭間で構え続ける。
槍の矛先。手斧の刃。互いに闘志を相手に向けながら、沈黙と共に睨み合う。
「――ゲンジ」
しかし一触即発の対峙は、その声と共に打ち止めとなる。
眼前の状況を注視していた周凰狩魔が、ゲンジを制止するように彼の左肩に自らの右手を乗せる。
「もういい。手ェ出すな」
間髪入れずに、もう一騎のサーヴァントが現界。
十字架の剣を腰に携えた聖騎士が、シッティング・ブルと片方のネアンデルタール人の間に立ち塞がる。
“いつでも鞘から抜ける”と両者を牽制するように、聖騎士のバーサーカーが剣の柄に触れる。
何処か不服な様子をちらつかせながら、カチカチと柄を動かして金属音を鳴らしていた。
「無理すんなよ」
戸惑うような表情を浮かべていたゲンジに対し、狩魔は身を案じるように呟く。
その言葉に驚いたように、思わずゲンジは目を丸くし――それから間もなく、ゲンジの身体からどっと力が抜けた。
その場で両膝を突き、立つこともままならぬ疲弊感に襲われる。
同時に2体のネアンデルタール人も現界を保てずに霊体化し、その場から姿を消した。
つい先刻、ゲンジは50体以上ものネアンデルタール人を同時召喚するという無茶を行ったばかりなのだ。
下手すれば魔術回路が焼き切れてもおかしくはない無謀だった。
時間経過によって幾らか魔力は回復しているとはいえ、今なお消耗していることには変わりない。
緊張の中で自分自身を誤魔化していたとはいえ、未だサーヴァントを万全に使役できる状態ではないのだ。
伸し掛かるような疲労感に襲われ、膝をついた状態で呆然とするゲンジ。
そんな彼の様子を、狩魔は呆れたように流し見る。
「後先考えず勝手な真似しやがって」
やれやれと言わんばかりに、狩魔は呟く。
その煩わしげな様子に、ゲンジの胸の内からは思わず負い目が込み上げるが――。
「――だが、余計な手間が省けたのも事実だ。
その点に関しては、よくやった」
その上で、狩魔は評価をする。
誰よりも先に判断し、行動を起こしたゲンジを。
結果として“華村悠灯がマスターである”という確証を得られたことも含めて、狩魔は静かに激励をする。
茫然としていたゲンジは何も言わず、ただこくりと頷いた。
なけなしの魔力を振り絞ったことで、ゲンジは矢印の魔術を発動することさえ出来ない。
ゆえに狩魔が何を思っているのかも認識することはできないが――今のゲンジには、最早その必要もなかった。
「立てるか、ゲンジ」
何故なら、狩魔の声色と態度によって、ゲンジはすぐに察することが出来たからだ。
自らの行為を反省しつつ、少しでも“誰かに認められた”ことに対して、ゲンジは仄かな笑みを浮かべていた。
そうして狩魔から差し伸べられた手を、ゲンジは暫し見つめて。
「……立て、ます」
それからゲンジは、そう答えた。
狩魔の手を取り、地に付いていた膝を動かした。
「大丈夫、です……周鳳さん」
よろよろと、疲労に震えながらも。
胸の内から込み上げる、衝動に後押しされるかのように。
その両足で、ゆっくりと立ち上がった。
いつものゲンジなら、自分の心の在処さえも定かではなかった。
しかし今は、ほんの僅かにでも、自分という存在が此処にあるような感覚があった。
それは確固たる現実なのか、それとも朧げな期待が抱く幻覚なのか――その答えは、まだわからない。
◆
――実際のところ、狩魔と悠灯が互いをマスターと認識し合うのは時間の問題だった。
既に悠灯は警戒と疑念を抱いていた中での相対だった。
狩魔もまた、自らの洞察力で悠灯をマスターと見抜くのはそう難しいことではなかった。
腹の探り合いさえ済ませれば、共に確信を掴めていただろう。
しかし、ゲンジはその過程を飛び越えた。
駆け引きすら経由することなく確信を得て、真っ先に行動へと出た。
その独断を狩魔は咎めつつ、行動力と結果は認める――ゲンジと“原人のバーサーカー”の特異な能力を改めて確認できたことも含めて。
狩魔は淡々と思考し、先程の出来事を振り返る。
ゲンジはあの場でバーサーカーを動かし、迷うことなく悠灯への奇襲を仕掛けた。
腹の探り合いや駆け引きといった段階を踏まずして、ゲンジは“判断”することが出来たのだ。
――ゲンジが目に見えない“何か”を認識していることを、狩魔は出会った直後から薄々感づいていた。
でなければ、自らのサーヴァントの能力を悉く無効化されるという窮地の中で、あんな“笑み”を浮かべることは出来ない。
恐らくは異能によるものだろうが、後でそのことについて問い質す必要がある。
そして、もう一つ。
“原人のバーサーカー”は、英霊として紛れもなく貧弱な存在である。そのことは明白な事実だ。
しかしそれは、あくまで超人であるサーヴァントの尺度で測った場合の評価である。
“現生人類のあらゆる英知”を否定する彼の能力は、寧ろマスターに矛先を向けた時にこそ脅威と化す。
例えば――魔術師があらゆる魔術を封じられた時、この英霊に立ち向かう術はあるか。
例えば――異能に目覚めたばかりのマスター達がその力を無効化された時、この英霊の攻撃を凌げるのか。
単体の主従として考えれば十分にリスクはある。
原人のバーサーカー自体が貧弱なのだから、逆に敵襲を受けた場合の防御力と迎撃能力の低さは致命的だ。
されどそのリスクは、“徒党を組む”という至ってシンプルな手段によって解消される。
敵の主力への対処や迎撃は他の主従に任せ、原人のバーサーカーを遊撃や奇襲に徹させることが出来るようになる。
あるいはバーサーカーの複製体と“武具や魔術を劣化させる能力”を利用し、集団戦闘における盾役や撹乱役を担わせることも不可能ではないだろう。
“英傑”には程遠く、単独では活かすことも困難。
しかし他の同盟者による援護やカバーを交えることで、捨て置くことの出来ぬ“厄介な弱者”と化す。
マスターの自衛手段、または立ち回りの肝を他の主従に委ねる。
そのこと自体がまた別のリスクに成り得るとはいえ、戦術面でのアドバンテージがそれ以上に勝る。
ゲンジもそれを理解しているだろう。ゲンジはまともではないが、自分達が弱小であることを客観視できない愚者ではない。
だからこそ、当分は“同盟関係”を捨て置かないだろうと狩魔は考えた。
――どちらにせよ、当面は利害に関係なくゲンジを抱えるつもりでいるが。
狩魔はゲンジを打算によって値踏みする。戦争の同盟者として、勝ち抜くための手駒として。
しかし結局のところ、その根底にあるものは”逸れ者“に対する慈悲であり、かつて己が与えられた”救いの手“の反復だった。
幾ら狂気を飼い慣らし、幾ら暴力を振るい続けても、周凰狩魔という孤独な悪童はそこに行き着くのだ。
◆
立ち上がるゲンジに対し、何処か期待を抱くかのような笑みを微かに見せて。
それから狩魔の視線は、眼前の少女へと向けられる。
「なあ、悠灯」
「……なんすか」
シッティング・ブルに庇われるように立つ悠灯は、狩魔の呼びかけに対してぶっきらぼうに答える。
少年を連れて歩き始めた狩魔は、少しずつ悠灯の方へと向かっていく。
「手ぇ空いてるよな」
「知ってるでしょ。いつもヒマっすよ」
狩魔は問いかけながら、一歩一歩と彼女の側へと近づく。
悠灯はシッティング・ブルに「大丈夫だよ」と一言伝えて、彼を控えさせる。
「群れる気はあるか」
「……今は、そういう気分っすね」
「だったら、都合が良い」
語り掛けながら直ぐ側まで歩み寄ってきた狩魔を、悠灯はじっと見つめていた。
次に出てくる狩魔の台詞を、悠灯は既に察していた。
「話がある。一緒に来い」
すれ違いざまに、狩魔はそう呟く。
そうして悠灯の横をゲンジと共に通り過ぎて、狩魔は歩き続けた。
――結果オーライと言えば、聞こえは良いが。
予期せぬ第三者にペースを崩され、危うく一悶着になりかけた。
そのことに関して、悠灯は何とも言えぬ思いを抱きつつも。
「わかってますよ」
振り返った悠灯は、狩魔の背中へと目を向けた。
かつ、かつ、とコンクリートの地面を踏み頻りながら進んでいく後ろ姿を、暫しの間見つめる。
それから一呼吸置いて、意を決したように悠灯は踏み出した。
「あたし達もそろそろ、デカい波に備えたかったんで」
そうして悠灯は、掃き溜めの雑踏を進んでいく。
街の影へと潜む悪童達の行軍に、少女もまた加わっていく。
――“行くよ、キャスター”。
悠灯から念話でそう告げられたシッティング・ブルは、彼女を追って霊体化をしようとしたが。
背後に立つ気配が未だに此方へと視線を向けていることに気づき、彼は振り返る。
「……人類の祖先か、古の原始人か、あるいは滅びた猿人の類いか」
金色の髪を短く切り揃えた騎士が、独りごちるように言葉を紡いでいた。
伊達眼鏡のズレを指先で直しながら、シッティング・ブルを視界に収める。
「あのバーサーカーの真名は存じませんが――彼を称するに相応しい当世の言葉があるとすれば、大方そんなところでしょう」
彼はゲンジのサーヴァントである“原人のバーサーカー”について振り返り、持論を説くかのように語り続ける。
その場に佇むシッティング・ブルは、何も言わない。
「だとすれば、あの英霊は科学という虚構が生み出した“幻想”に過ぎない」
ゴドフロワは、異教徒もまた人間であることを知っている。異教徒にも、それぞれの信仰があることを知っている。
そのうえで彼は、“十字架への祈り”を選択しているのだ。聖書こそが、神の御言葉こそが真実であると、教義を内面化している。
「偉大なる神は、我々を在るがままに創られたのですから。人に“原初の姿”や“進化の分岐点”などありはしない」
故に彼は、そう語ることに迷いを抱かない。
世界を生み出したのは自然の神秘でも、地球が歩んだ進化の歴史でもない。
すべては、全能なる神による創造物である――ゴドフロワはそう確信している。
では何故、ゴドフロワは己の見解を説き始めたのか。
それはあの少女――華村悠灯が従えていた英霊が、明らかなる“異教徒”であったからだ。
そして救世主(キリスト)なき世界の英霊と、立て続けに出会う羽目になったからだ。
だから当てつけるように、彼は“世界の正しき姿”について語ったのである。
「聖書とやらの教えか」
「おや、少しは学があるようですね」
淡々と問うシッティング・ブルに、ゴドフロワは僅かながらも感心するように呟く。
シッティング・ブルは、既に聖騎士の“十字架の剣”を見ている。
その言動も含めて、彼が“如何なる英霊”であるかも悟っている。
――生前、何度も対峙してきた。敬虔なる白人そのものである。
「無神論者の黄色人種が蔓延る箱庭に馳せ参じ、あの“原人のバーサーカー”や貴方のような英霊と出会うことになった。
……つくづく私は、疑いそうになりますよ」
そうしてゴドフロワは、煩わしげに言葉を続けた。
正しき信仰を持たない時代への――聖書の教義から外れる“異端の英霊”への不服を零すように。
「私がこの舞台に喚び寄せられたのは、もしや異教徒共の“教化”という使命を課せられた為ではないか。
あるいは、異教徒共から聖杯という聖遺物を守護する為なのではないか――と」
“十字の聖騎士”が向けた冷淡な眼差し――その視線の先に佇む“先住民の大戦士”。
互いに警戒と敵意をその瞳に宿しながら、睨み合うものの。両者を召喚したマスター達は、既に結託の道へと進んでいる。
故に彼らは、これ以上踏み込むことはしない。独断で利害関係を無下にするほど、この英傑達は愚かではない。
「……生憎だが、私に聖書は不要だ」
そうして彼らは、相容れぬと理解しながら。
あくまでこの場においては、矛を収める。
険しい表情を浮かべながら、シッティング・ブルは淡々と言葉を紡ぎ。
「君達の“天国”に、我々の居場所はない」
その一言を最後に、自らの肉体を霊体化させた。
この場では争わぬ。だが、忘れる事なかれ。我らは“道を分かつ者同士”である――そう言わんばかりの台詞に、ゴドフロワは苦笑を浮かべる。
「言われずとも、分かっていますよ」
相手の答えなど、とうに察していた。
聖なる言葉を軽んじる蛮族の不敬に対し、怒りを覚えたりはしない。
古今東西で名を馳せ、各々の伝説と信仰を背負って喚び寄せられる英霊――それがサーヴァントなのだから。
我らは元より相容れぬ。異なる信念、異なる矜持、異なる神をその魂に刻み込んでいるのだから。
ゴドフロワはそれを理解している。だからこそ、冷静に受け止めることが出来る。
そしてそれ故に、敵を討ち滅ぼすことに何の躊躇いも抱かずにいられる。
ゴドフロワ・ド・ブイヨンは、強靭にして敬虔なる騎士だ。
彼の向かう先には、異教徒の屍の山が積み上がる。
誰よりも理知的に振る舞いながら、彼は自らの狂気を道具として飼い慣らすのだ。
「――“Deus lo vult(神が望まれるがままに)”」
己の信仰を改めて示すように、祝福の言葉を呟き。
ゴドフロワもまた霊体化をして、その場から姿を消した。
◆
掃き溜めの不良達を統べる、若き神格。
狂気の手綱を駆る、孤独な狼――周凰狩魔。
己を壊して這い回る、ちっぽけな少女。
死にゆく運命を前に、生を望んだ野犬――華村悠灯。
閉塞と絶望に身を沈めた、呪われし少年。
寂寞の果てに心を求める、奈落の虫――覚明ゲンジ。
三人の若者が、雑踏を往く。
来たるべき戦火を見据えて、行進する。
その胸に、各々の思いを抱きながら。
彼らを守護するのは、一筋縄では行かぬ英霊達。
狂信の聖騎士。荒野の呪術師。滅びゆく原人――。
デュラハン。
それは首を喪った、悪しき精霊。
それはアタマを失くした、悪童の群れ。
眠らない街を駆ける、暴威の十字軍。
集うのは、未来なき若者たち。
明日を取り零した、孤独な逸れ者たち。
宛もなく闇を彷徨う、“ひとでなし”たち。
雑踏の片隅で、彼らは厄災に備える。
喧騒の影に潜み、牙を研ぐ戦奴となる。
“戦争”への道筋は、着々と作られていく。
掃き溜めの果てに、“役者”は引き寄せられる。
◆
【新宿区・歌舞伎町の路地/一日目・午後】
【周鳳狩魔】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:拳銃(故障中)
[道具]:なし
[所持金]:20万程度。現金派。
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を勝ち残る。
1:刀凶聯合との衝突に備える。
2:特に脅威となる主従に対抗するべく組織を形成する。
[備考]
【バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)】
[状態]:健康
[装備]:『主よ、我が無道を赦し給え』
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩魔と共に聖杯戦争を勝ち残る。
1:レッドライダーの気配に対する警戒。
[備考]
【覚明ゲンジ】
[状態]:疲労(大)
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:3千円程度。
[思考・状況]
基本方針:できる限り、誰かのたくさんの期待に応えたい。
1:周鳳狩魔と行動を共にする。
2:今後も可能な限りネアンデルタール人を複製する。
[備考]
※アルマナ・ラフィーを目視、マスターとして認識。
【バーサーカー(
ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)】
[状態]:健康(残り51体)
[装備]:石器武器
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:今のところは、ゲンジに従い聖杯を求める。
1:………………。
[備考]
【華村 悠灯】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたい。
1:暫くは周鳳狩魔と組む。
[備考]
【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:健康
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
1:復讐者(
シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
2:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
[備考]
※ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。
※各所に“霊獣”を飛ばし、戦局を偵察させています。
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最終更新:2024年09月25日 01:33