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……へぇ、高浜先生の所でも、ですか。
ならいいかァ。
あっ、これ厳密には守秘義務とかに引っ掛かりそうなんで、ここだけの話でお願いしますよ。
ええ、まあ私も医者ですからね。
いわゆる『パニック値』……数字を見ただけで即座に命の心配をする必要のある患者さんは、過去に何人も見てきましたよ。
「ちょっと最近クラクラする」とだけ言ってた女の子が、極度の貧血でほとんど水みたいな血液で何故か生きてたりとか。
「最近肌が黄色っぽい気がする」って言ってた中年男性が、とっくにとんでもない肝硬変で生体肝移植に回されたりとか。
「ここんとこ階段を登ると息切れをする」と言ってたヘビースモーカーが、極度の肺気腫で肺がスカスカだったりとか。
色んなものを見てきましたよ。
助けられた人もいるし、残念ながら手遅れだった人もいます。
でも……ねえ。
やっぱりあの子が一番の驚きでしたねぇ。
当直をしていた時に運ばれて来た女の子。
たぶん軽い脳震盪だったんでしょうけどね。女の子だってのに不良たちと殴り合いのケンカをして、気を失っていて。
でも万が一ということもあるじゃないですか。一通り基本的な血液検査と、頭部と腹部のCTを撮って……
ほんと、人間って、あんな状態でも生きてられるんですねぇ。
いや、怪我の方は本当にかすり傷だったんですよ。脳内出血とかもありませんでした。
でも、CTで見えたあの無数の影と、クレアチニン、ナトリウム、カリウム、カルシウム……血液ガスもとんでもなかったし……
あれ本当は人工透析にでも回した方が良かったんですかね?
朝になるまで死んでなければ、腎臓内科の先生にコンサルテーションをお願いするつもりだったんすけどね。
とにかく本人はケロッとしてるんですよ。
とりあえず取り急ぎ検査結果を知らせても「えっ知らなかった」って。
「そんなことになってるなんて思ってもいなかった」って。
自覚症状が何一つなかったらしいんですよ。
いくら何でも、って思いましたよ。
意識戻ってからは元気いっぱいって感じで、いやまあ多少は貧血っぽい顔色なんですけどね。
流石にショックを受けてたようではあったんですけど、少し目を離した隙に、脱走されちゃいました。
たぶん病院の事務は、治療代も貰いそびれたんじゃないかなぁ。
それで実はこの話、後日談がありましてね。
すっかり忘れた頃に、ウチの病院の系列の『本院』から、連絡が来たんすよ。
いったいどこで救急で一度見ただけの患者さんのことを嗅ぎ付けたのかは分からないんですけど。
「もしその不良の女の子がまた運ばれてきたら、何を差し置いても『本院』の『名誉院長』に連絡しろ」ですって。
私がいる所は、普通のどこにでもあるような、二次救急までの総合病院ですけどねぇ。
同じ医療法人の中心になっている病院の方には、ほんと魔法でも使うのかっていうような名医の先生方が揃っているんですよ。
本院の先生なら、あの子もなんとか治せちゃったのかなァ……?
いやコレは比喩じゃないって言うか、噂では本院の方には本当にオカルトな呪術に精通している人らもいるって話です。
カウンセラーってことになってる人が部屋で魔法陣描いて呪文を唱えてたとか、怪しい水薬を飲んだ患者が急に良くなったとか。
そんな話が山のようにあるんですよね。
噂では、名誉院長は、現代医学とそういうオカルトの、双方に通じているんだとか。
なので……
ちょっと異例なあの命令も、ひょっとしたら『そっちの方』の話なのかな、って少しだけ思うんですよね。
まともな医学の領域の話ではなくって、魔法とか魔術とか、そういう世界の話。
だって、私が診たあの子。
ギリギリで死んでないというよりも……
呪いか何か不思議な力で、死体が動いてるって言われた方が腑に落ちるくらいの有様でしたもん。
……え、名誉院長の名前ですか?
あー高浜先生は御存知なかったですか?
あるいはウチが同じ系列って知らなかったとかですかね?
蛇杖堂ですよ。
あの有名なジャック先生。
黒じゃなくて灰色の方です。ええ。
◆◇◆◇
深夜の雑居ビルの片隅。
少し汚れの目立つ洗面台で手を洗い、女子トイレの外に出る。
薄暗いビルの廊下。切れかけているのか、蛍光灯が少しの間隔を置いて音もなく明滅する。
「ふぅ……」
いま新宿の街では、既に戦争が始まっている。
緒戦の衝突は、華村悠灯も双眼鏡越しに実際に見た。
双方の組織の一般構成員も含めれば、もう犠牲者は出ている頃合いだろう。
そんな時にもちゃんと出るものは出る自分が、少しだけ可笑しく感じられてしまう。
しかし、まあ……全くの嘘でもなかったとはいえ。
お手洗いを口実に逃げてきたようなものだった。
たぶん最初に会った時点では、覚明ゲンジは、華村悠灯と、大雑把に言って同格くらいの位置だったはずだ。
決して舐めていたつもりはないけれど、ことケンカという一点であれば悠灯の方が上だったとの自負もあった。
そのゲンジが、この短時間の間に、こうも見事に化けた。
あの周凰狩魔にあそこまで言わせるほどの存在になった。
比べても仕方のないことだと分かっている。
焦っても仕方のないことだと分かっている。
けれど、狩魔との会話が途切れてしまえば、どうしたって考えずにはいられないし……
狩魔の隣にいることに、息苦しさも覚えてしまう。
頭上で蛍光灯が明滅する。
無音の狭い廊下の中、世界の全てに見捨てられているような気分になる。
「戻らなきゃ、な……」
悠灯は視線を頭上に……フロアひとつ上の屋上にまだいるはずの周凰狩魔の方向に向ける。
この戦争において、少なくとも序盤の攻防において悠灯の役割はない。
万が一にもキャスターが想定外の危機に陥るようなら令呪を用いて呼び戻すとか、その程度の仕事しかない。
むしろ敵に各個撃破されないように、狩魔と一緒にいて互いの死角をカバーしあうのが一番の役割だ。
気まずかろうと、息苦しかろうと、戻るべきなのだ。
悠灯はそして、廊下の一端にある階段の方に歩き出そうとして…………ふと気づいた。
最初に感知したのは、妙な生暖かさだった。
首から上だけが、人肌くらいの温度に包まれている。
次に、体臭。
ほんの僅かな、ほとんど察知できないくらいの、しかし間違いなく男性の汗の匂いと、男物の香水の香り。
己の髪が擦れる微かな音も聞こえた。
誰かに触られているような、撫でられたような、ほんの小さな音。
ぼんやりと黒い影が、視界の端にやっと見えた。
あまりにも近くてぼやけて見えるが、それは服を着た人の腕のようにも思える。
最後に……それはあまりにも異常な知覚の順番だったが。
最後の最後に、やっと触覚が己の肌に触れる者の存在を伝えてきた。
首から上、頭を包み込むように、抱きしめるように、しかし決して逃がさない強さで捕捉する、誰かの手。
体温を感知してからおよそ一呼吸。
状況を理解できた時には、既に手遅れだった。
(誰かに頭を抱え込まれてる)
(いったい誰が)
(狩魔サンじゃない、キャスターじゃない、もちろんゲンジでもないしゴドーってサーヴァントでも)
(つまり敵)
(そういえば敵には要注意の傭兵が)
(狩魔サンがめちゃくちゃ警戒していた)
(サムスじゃない、ノクト・サムスタンプ)
(向こうも出来るならこちらを狙ってくるはず)
(でもここはキャスターが陣地を作ったから安全だって)
(まさかキャスターも気づいていない? 狩魔サンも?)
(じゃあつまり)
一秒にも満たない時間のうちに、華村悠灯の脳裏に電撃のように断片的な思考が走って……
しかし、そんなことを考えている時間すらも、無駄であり裏目であった。
無意識のうちに悲鳴を上げるべく息を吸い込む、しかし、その息を吐く間も与えられることもなく。
『君の終わりは、きっと糸が切れるように訪れる』
ゴキッ。
華村悠灯の頸椎がへし折れる音が響いて……
生きている者にはありえない角度に首を曲げた彼女の身体は、なすすべもなく床へと崩れ落ちた。
【華村悠灯 死亡】
◆◇◆◇
崩れ落ちる少女の手元の指輪から、遅まきながらも、音もなく鷹の姿をする精霊のヴィジョンが飛び出す――
が、それは無言で立つ人影に向けて反転するよりも先に真ん中から真っ二つになって、空中に霧散する。
詠唱もなく放たれた真空の刃に、頭から突っ込んだのだ。
鷹を狙って風の刃が放たれたというよりも、鷹の飛び出す軌道を読み切って進路上に「置かれた」、そんなコンマ数秒の攻防。
鷹の姿の精霊が戦いにもならぬ戦いで消失したその後に、少女の亡骸は床に到達し、小さな音を立てた。
少女が直前に用を足していたのは、少女の尊厳にとってささやかな慰めであったろう。
無様な失禁などを伴うことなく、少女はそのまま動かなくなる。
ピクリとも動かない。呼吸のための胸の動きすらも起きない。
華村悠灯は、どうしようもなく、死亡していた。
「……こんなものか」
少女の背後には、大柄なスーツ姿の男性が立っている。
褐色の肌。顔にまで刻まれた刺青。
夜の虎。ノクト・サムスタンプ。
その本領発揮。
ただ静かに忍び寄って、徒手にて相手の首を折る。
頸椎ごと脳幹を破壊し、呼吸中枢を破壊する。単純明快にして確実な戦場の技。
アルマナが強行偵察で敵の目を引いているうちに、別方向から静かに陣地に侵入して、敵が一人になったタイミングで仕掛ける。
策そのものは極めてシンプル、しかしそれを成立させる隠密性の高さこそが異常。
『夜に溶け込む力』。
夜の女王の加護、その真骨頂。
暗い廊下で蛍光灯が明滅する。
前触れもなく銃声が鳴る。
既に気づいていたかのように、ノクトは巨体をヒョイと傾けて避ける。銃声を聞いてからでは到底間に合わないような動き。
『夜を見通す力』と『夜に鋭く動く力』の合わせ技は、それくらいの芸当は可能とする。
「……ユウヒッ!?」
嫌な予感、という程度の違和感を根拠に、階段を駆け下りてきた周凰狩魔の直観力と行動力は超人的ですらあったが。
それでも遅かった。
状況を把握するよりも先に放たれた初弾は外れて、そうしてやっと、己のチームの一員が既に息絶えていることを知覚する。
とっくに見慣れてしまった人間の死。
あの角度で手足が曲がって倒れている時点で、もう見込みなんてないと分かってしまう。
動揺を抑え込み、追悼の言葉を発する間も惜しみ、狩魔の手元の拳銃から次弾が発射される。
これも大男は簡単に避ける、が、狩魔はその結果を認識するより先に、力ある言葉を発する。
「……『曲がれ』!」
巨漢のすぐそばを通り過ぎた弾丸が、ヘアピンカーブを描いてまた戻ってくる。
元より狩魔が手にしている拳銃には尋常の弾丸は入っておらず、それどころかとっくの昔に故障している。
放たれていたのはいずれも狩魔の魔力で構築された魔弾。手にした拳銃はそのイメージを補佐するための道具。
この聖杯戦争が始まってから身に着けた、狩魔の魔術だった。
背中側から迫る弾丸を、これまた見もせずに侵入者は避けるが、さらに弾丸は狭い廊下の中でもう一度ターンをする。
きりがないと見たか、ここで褐色の巨漢は初めて口の中で呪文のようなものを唱える。
「『風よ、壁となれ』」
ドガンッ!
狭い廊下に、まるでトラックが衝突したかのような衝撃音が響き渡る……が、しかし、大男は無傷。
これには狩魔も、攻撃的な笑みを浮かべたまま、一筋の汗を垂らす。
「……マジかよ」
「なるほど、当たれば威力はあるみてぇだな。ただまあ、『真空の壁』を越えられるような種類の攻撃じゃない」
侵入者、推定名、ノクト・サムスタンプ。
ついさっきの華村悠灯とのやり取りのおかげで、辛うじて記憶に残っていた。
周凰狩魔が初期から想定し、警戒していた、規格外の特記戦力(バランスブレイカー)のひとり。
あの〈脱出王〉と同等の厄介者。
その介入は周凰狩魔も想定していた。
警戒していた。
もしも来るなら自分の首を直接取りに来るだろうとも踏んでいた。
しかし、これほど早い段階で、これほど近い距離に踏み込んできて、そして……
そして、これほどまでに実力の差があるのか。
魔術の世界ではまだ未熟、知識も技術もないのは承知の狩魔だが、実はこの魔弾の威力に限っては密かに自信を持っていた。
今日この日まで何度も試射を重ね、密かに訓練も続けている。
その気になれば自動車一台くらいは軽く吹っ飛ばせる、ミサイルランチャーじみた威力の魔弾だ。
それがこうも簡単に止められるとは――!
「アグニの坊やには悪いが、ついでだ、ココでトップの首も獲っちまうか。今から『ボーナス』の中身が楽しみだ」
「~~~~!」
ニヤリと笑う巨漢の姿に、思わず狩魔は魔弾を乱射する。
今度は最初から大きく曲げた軌道。四方八方からノクトを包み込むような攻撃。
ドガガガガッ!!
先ほどと同等の衝撃音が立て続けに響き、しかし全く意に介することなく、大男は大股でゆっくりと迫ってくる。
足止めにもなっていない。
どうする。狩魔の頭脳が高速で回転する。
この期に及んで〈脱出王〉の介入はない。
お前の担当だろうと言いたくもなるが、あの自由人にそれを言っても仕方がない。
陣地を構築しているはずのキャスターの介入もない。
流石に異常は察知しているはずだが、ひょっとしてマスターが死んでは動けないのか。
ゴドーは別行動中で攻勢に回っているはず。
そちらを途中で止めるのは惜しいが、それでもここは自分の命が最優先か。
「れ――」
そして狩魔は令呪でゴドフロワを呼ぼうとして、その判断すらも遅かったことを悟った。
ノクト・サムスタンプは既に前傾姿勢。今まさにダッシュで掴みかかってくる体勢。
令呪に載せた命令を全て発しきる前に捕獲されるのは明らかで、そして。
「……っざっけんなァ!」
甲高い少女の叫びと共に、ノクトも狩魔も、まったく予想していなかった介入が、その緊張を断ち切った。
ノクト・サムスタンプの背後から放たれた、見事な跳び回し蹴り。
側頭部にそれを食らった巨漢は狭い廊下の壁に叩きつけられ、そして……
「流石にこれは想定外だ。退くか」
蹴られたダメージ自体はほとんど無いようではあったが。
男はあっさりとそのまま、近くにあった窓をたたき割って、ビルの外の虚空に身を投げた。
あまりにも思い切りのいい、あまりにあっけない、逃走だった。
割られた窓から、一陣の風が吹き抜ける。
「……大丈夫っすか、狩魔サン?」
「いや……それはこっちの台詞だ。
お前こそ、『それ』、どうなってる」
窓の外に警戒し、拳銃を構えたまま、狩魔は少女に問う。
頭上で蛍光灯が瞬きをする。
ありえない光景だった。
間違いなく確認したはずだった。見間違えなんかではなかったはずだった。
けれども、現に。
首を折られて死んでいたはずの、華村悠灯は、自分の足でそこに立っている。
それどころか、あの夜の虎を相手に、跳び回し蹴りまで放ってみせた。
チームのリーダの危機を救ってみせた少女は、よく分からないまま微笑んで……
その笑顔が、ガクン、と傾いた。
「わわっ、これどうなってるのっ、えっ」
「……いやほんと、どうなってんだ」
生きている人間には絶対にありえない角度に首を曲げて、あたふたと慌てる少女。
折れたままなのだ。
首の骨が折れたままで、ちょっとした拍子に本来あるべき位置からズレてしまっているのだ。
自分の両手で頭を掴んで、ああでもない、こうでもないと安定する位置を探している。
そんな状態で人間が生きている訳がない……
よしんばギリギリで絶命は免れたとしても、激痛で立ってなどいられないはず。
魔術師としてはまだ未熟、ゴドフロワから基本的な部分を断片的に聞いただけの狩魔は、なので、まだ気づいていなかった。
華村悠灯の全身を包む不穏な魔力の気配に、まだ、気づくことはできなかった。
【華村悠灯 再稼働】
◆◇◆◇
「~~~~~ッ!! やった、『目覚め』た、間に合ったッ!!」
デュラハンのトップたちが陣取るビルから、少し離れた歌舞伎町の細い裏路地のひとつで。
あまりにも場違いな少女が、声にならない喜びを噛み締めながら飛び跳ねていた。
タキシード姿の少女である。それも舞台用に思いっきりアレンジのされた、ド派手なラメ入りのタキシード。
山越風夏。
またの名を、〈現代の脱出王〉。
狭い裏路地には動く者の気配がない。
常であれば不夜城たる歌舞伎町は、その末端にまで人が絶えることはないのだが。
この大戦争に際して、勘のいい者はとっくに逃げ出しており。
そして勘の悪いものは、とっくにレッドライダーの『喚戦』の影響下に呑まれ、無意味なケンカに夢中になっていた。
この裏路地でも何人か、早々にノックアウトされた者がひっくり返っており、勝者は次の相手を求めて大通りへと駆けだしていた。
「あの子からは『慣れ親しんだ匂い』がしていたんだよ! 私たちに似た匂い!
死から逃げ続ける者の匂いだ! 避けようのない死をそれでも避ける者の匂いだ!
なので『ひょっとしたら』と思っていたんだ!!」
開戦前にもう一度彼女たちと会って確認しておきたい、という願いは、炎の狂人と氷の女神の乱入でとうとう果たせなかった。
相棒たるライダーとの合流もまだ果たせていない。
けれど一番肝心な場面だけは、ギリギリで見ることができた。
向こうから察知されることもなく、盗み見ることが出来た。
「デュラハンが『賢く』判断してサーヴァントだけを前線に出すのなら、ノクトがその隙を見逃すはずがない!
彼は間違いなく速攻で忍び寄ってマスターを殺そうとするだろう……!
それも可能なら、最初は悠灯からだ! 狩魔も狙うだろうけれど、彼は決して順番を間違えない! 両方倒すならこの順番だ!」
一回目の聖杯戦争で散々にやりあった仲である。
魔術の傭兵、非情の数式、夜の虎。
そのやり口は嫌というほど知り尽くしている。
駒がこう配置されている、そうと分かれば、ノクト・サムスタンプが取りそうな手段は容易に想像がつく。
「華村悠灯、あの子の魔術は、たぶん『死を誤魔化す力』だ。『無理やり生にしがみつく力』だ。
よく知らないけれど、死霊魔術って方向の才能になるのかな?
身体強化とか、痛覚の軽減なんて、どんな魔術師でもやろうとすればやれる基本だって聞くしね」
これは一種の賭けだった。山越風夏にとっても、確証なんてない危険な賭けだった。
土壇場でも才能に目覚めず、華村悠灯がただ無為に死ぬ可能性も十分にありえた。
けれどこの、他人の命を勝手にチップにした非道極まりない賭けで、〈脱出王〉は見事に望みの賽の目を出した。
「生きている〈演者〉は、この箱庭から出られない。
死んでしまった〈演者〉は、聖杯にリソースとして取り込まれてしまう。
では……『どちらでもない者』は?!
そう!
生きてもないし死んでもいない者だけが、『ここから出られる』!!
ひょっとすると、それと契約を結んでいるサーヴァントだって、揃って一緒に出られるかもしれない!」
最初からそのつもりでデュラハンに近づいた訳ではなかった。
そもそもその『世界の敵』としての方針だって、ついさっき思い至ったもの。
けれども、そのずっと前から、「何かに使えるかもしれない」と思って手札に入れていたカードだった。
皆の運命を加速させて、そのブレの中で新たな才能が芽生えることに期待する。
この〈脱出王〉の基本方針は、なにもレミュリン・ウェルブレイシス・スタールひとりに向けられたものではない。
例えば覚明ゲンジの急激な化け方だって、狙い澄まして放たれた〈脱出王〉の一言がきっかけなのだ。
「そしてノクトなら、一度退くと決めたら思いっきり退く! 予想外のモノを見たら一旦仕切り直す!
あいつは何度でも似た真似を繰り返せるからね、安全なところまで下がってから次のことを考えるはずなんだ!」
「……御機嫌なようだな」
「そりゃあそうさ! 何もかもが私の思う通りに…………って、えええっ!?」
うっかりそのまま答えかけて、山越風夏は慌てて振り返った。
居るはずのない男が、そこにいた。
褐色の肌。
顔にまで及ぶ刺青。
逃げ場らしい逃げ場もない裏路地で、あまりにも近くまで接近を許してしまった相手。
ノクト・サムスタンプ。
「俺もちっとばかし機嫌が良くってな。なんでだか分かるか?」
「さ、さあ……?」
「何もかもが俺の思う通りに動いているからだよ。多少のイレギュラーと驚きはあったけどな」
ノクトは笑う。小柄な風夏を見下ろして鼻先で笑う。
遠くに逃げているはずの彼が今ここに居る意味を、答え合わせする。
「お前とは『前回』何度もやりあった仲だ。
俺の行動がお前に読まれることは、俺にも読めていた。
にも関わらず、あの二人のマスターは無防備に俺の手の届く位置に置かれたままだった……
即座にピンと来たね。『ああ〈脱出王〉はこいつらを見殺しにする気だ』ってな。
お前の企みの中身は分からなかったが、何かお前の企みに必要な犠牲なんだろう、ってな」
「た、企みって言い方はひどいなァ……!」
「そしてそうであれば、お前は自分の目でその結末を見届けることを、我慢できない。
必ず、どこかあの場所を見ることのできる場所に現れる。
そしてそこからの逃走ルートだって、限られる」
「…………っ」
ノクト・サムスタンプは一歩踏み出す。
山越風夏は一歩下がる。
ノクトが長々と喋っている間に、風夏はとっくに数十通りの逃走方法を検討している。
けれども逃げ切れない。逃げ切れるイメージが沸かない。
そもそもこの距離に詰められていること自体が、既に失敗である。
夜のノクト・サムスタンプは、かの〈脱出王〉にとってすらも、それほどの難敵である。
「御明察の通り、『本命』がデュラハンとの闘争だったのなら、もう少し遠くまで退いてた所だがな。
ぶっちゃけちまうとな。
今回の闘争における俺の『本命』は、『お前』だ。
〈脱出王〉、お前にいまここで確実に退場願うのが、俺の一番の望みだ」
ノクトは身構える。風夏は機を伺う。
自由自在に飛び回っているように見えて、〈脱出王〉の舞台は事前の仕込みが命だ。
今回のこの場での遭遇は想定外。仕込みが全然足りていない。
現地調達で使える材料も、どれほどあることやら。
強がりでしかない笑みを浮かべて、〈脱出王〉はそれでも言った。
「では、見事達成できました暁には、拍手喝采でお応え下さい。
今夜の演題は――『夜の虎の顎の中からの脱出』!」
半グレたちの大戦争を背景に。
太陽に目を焼かれた狂人同士の死闘が、いま、小さな路地裏から、始まる。
【新宿区・歌舞伎町 デュラハン傘下のビルの廊下/二日目・未明】
【華村悠灯】
[状態]:生命活動停止。固有の魔術が発動中。頸椎骨折。混乱中(まだ自分の身に起きたことを理解できていない)
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたかった……はずなんだけど。
0:混乱中。いったい何がどうなってるの?
1:祓葉と、また会いたい。
2:暫くは周鳳狩魔と組む。
3:ゲンジに対するちょっぴりの親近感。とりあえず、警戒心は解いた。
4:山越風夏への嫌悪と警戒。
5:あの刺青野郎ってば最悪!!
[備考]
神寂縁(高浜総合病院院長 高浜公示)、および蛇杖堂寂句は、それぞれある程度彼女の情報を得ているようです。
華村悠灯の肉体は、普通の意味では既に死亡しています。
ただし土壇場で己の真の魔術の才能に目覚めたことで、自分の魂を死体に留め、死体を動かしている状態です。
いわゆる「生ける屍」となります。
強いて分類するなら死霊魔術の系統の才能であり、彼女の魔術の本質は「死を誤魔化す」「生にしがみつく」ものでした。
自覚できていた痛覚鈍麻や身体強化はその副次的な効果に過ぎません。
この状態の彼女の耐久性や、魔力消費などについては、次以降の書き手にお任せします。
【周鳳狩魔】
[状態]:健康、魔力消費(小)、軽い混乱と動揺(悠灯の現状を正しく把握しきれていない)
[令呪]:残り3画
[装備]:拳銃(故障中)
[道具]:なし
[所持金]:20万程度。現金派。
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を勝ち残る。
0:待て、悠灯……お前それ、どうなってる?
1:魔術の傭兵の再度の襲撃に警戒。深刻な脅威だと認めざるを得ない
2:ゲンジへ対祓葉のカードとして期待。
3:特に脅威となる主従に対抗するべく組織を形成する。
4:山越に関しては良くも悪くも期待せず信用しない。アレに対してはそれが一番だからな。
5:死にたくはない。俺は俺のためなら、誰でも殺せる。
[備考]
【新宿区・歌舞伎町 細い路地裏/二日目・未明】
【山越風夏(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:健康、ちょっと冗談抜きで少し焦ってる
[令呪]:残り三画
[装備]:舞台衣装(レオタード)
[道具]:マジシャン道具
[所持金]:潤沢(使い切れない程のマジシャンとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を楽しく盛り上げた上で〈脱出〉を成功させる
0:いやマジでこれどうしよう! ここからノクトをなんとかしなきゃならないの?!
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:華村悠灯がいい感じに化けた! 世界に孔を穿つための有力候補だ!
3:悪国征蹂郎のサーヴァントが排除されるまで〈デュラハン〉に加担。ただし指示は聞かないよ。
4:レミュリンの選択と能力の芽生えに期待。
5:祓葉も来てるようだからそっちも見に行きたいけど……!
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。
〈世界の敵〉に目覚めました。この都市から人を脱出させる手段を探しています。
蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。
今のこのノクトとの遭遇は、流石の彼女にとっても予想外で準備不足であるようです。
【ノクト・サムスタンプ】
[状態]:健康、恋、やる気マンマン
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:莫大。少なくとも生活に困ることはない
[思考・状況]
基本方針:聖杯を取り、祓葉を我が物とする
0:ここは絶対に逃がさねェぞ、〈脱出王〉!
1:デュラハン側のマスターたちを直接狙う。予定外のことがあれば素早く引いて何度でも仕切り直す。
2:当面はサーヴァントなしの状態で、危険を避けつつ暗躍する。
3:ロミオは煌星満天とそのキャスターに預ける。
4:当面の課題として蛇杖堂寂句をうまく利用しつつ、その背中を撃つ手段を模索する。
5:煌星満天の能力の成長に期待。うまく行けば蛇杖堂寂句や神寂祓葉を出し抜ける可能性がある。
6:満天の悪魔化の詳細が分からない以上、急成長を促すのは危険と判断。まっとうなやり方でサポートするのが今は一番利口、か。
[備考]
東京中に使い魔を放っている他、一般人を契約魔術と暗示で無意識の協力者として独自の情報ネットワークを形成しています。
東京中のテレビ局のトップ陣を支配下に置いています。主に報道関係を支配しつつあります。
煌星満天&ファウストの主従と協力体制を築き、ロミオを貸し出しました。
蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。
[備考]
この話の間、それぞれのサーヴァントが何をしていたのかは後続の書き手にお任せします。
特にキャスター(シッティング・ブル)は、華村悠灯の身に起きた異常をある程度は察知しているはずです。
(張っていた陣地や、主従を繋ぐ霊的なリンクから)
前の話(時系列順)
次の話(時系列順)
最終更新:2025年07月08日 21:38