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『――僕の先祖が落ちぶれた魔術師だって話、雪村さんにしましたっけ?』

 後輩の山里瑪瑙がそう漏らしたのは、ある魔術使いを逮捕するために張り込んでいた最中のことだった。
 刑事ドラマでもおなじみのシチュエーションだが、実際の張り込み作業は長くて地味な仕事だ。

 ホシが尻尾を出すまで何週間も息を殺し、その時を待って辛抱し続ける。
 一ヶ月以上張り込んだのに成果を得られずじまいなんてオチも珍しくない。
 "普通"の犯罪者相手でもそうなのだから、道理を超越した魔術犯罪者相手なら尚更だ。

 暇だからと言ってゲームや読書にうつつを抜かすわけにもいかない。
 したがって発散の手段は、必然的に一緒に仕事に臨む仲間との談笑になってくる。
 疲労もあって飲みの席なんかよりよほど口が軽くなり、要らない告白をして後で後悔することもしばしば。
 鉄志にもそういう苦い思い出は少なからずあったし、質実剛健を絵に描いたような同僚が実はガールズバーの色恋営業に入れ込んで本気で結婚を考えてると知った時には大層やるせない気持ちになったものだった。妻子持ちだったのでこんこんと説教をして目を覚まさせた。

 話を戻そう。

『知ってるけど気を付けろよ。
 こんなでも特務隊の隊長だからな、暴露の内容如何じゃ聞かなかったことにはできねえぞ』
『あはは、そんな大それたことじゃないですから安心してください。
 ただのちょっとした小話ですよ。実は最近、実家の倉庫から面白いものが見つかりまして』

 後輩であり、特務隊の創設メンバーのひとりである山里が魔術師の血筋に連なる人間であることは鉄志も聞いていた。
 しかし山里家は"そういう家"ではない。
 あくまで家系図の中に一度魔術師が紛れ込み、一族の歴史にシミを残したというだけのこと。
 なので特務隊結成にあたる厳格な身辺調査にも引っかからず、今も特務隊の一員として日々身を粉にできている。

『マティアス・フォン・ローテンシュタイン。
 博識で知られた魔術師で、ドイツ在住の頃はいわゆる異端狩りのような役職に従事していたそうです』

 代行者という存在がいる。
 聖堂教会のエクスキューター。異端以上に異端らしい、神の裁きを代わり担う者。
 が、排斥と断罪は何も彼らのお家芸ではない。
 何故ならそれらは人類全員の得意技。先祖(マティアス)の地域では特に非公式な異端狩りの文化が強く根付いていたのだそうだ。

『中でも彼は相当知られた存在だったらしくてですね。
 いずれは本家本元の代行者にも取り立てられるのでは、ともっぱらの噂だったようですよ』
『……そりゃまた、ずいぶんと武闘派なマシュー・ホプキンスがいたもんだな』

 それで?
 ぬるくなったノンアルコールビールを喉奥に流し込みながら、鉄志は話の先を促した。

『そんな優秀な御仁が、なんだって文明開化もまだの極東に流れてきたんだ?』
『そう、そこなんです。マティアスが日本に来たのは享保の時代。まだ江戸幕府がバリバリ現役な時世です。
 当時の日本は開国すらされてなかったわけで、ランデブーの果ての駆け落ちってことも考えにくい。
 わざわざ流れてきたとなれば、それは何かから逃げてきた以外には考えられません。僕もかねてから疑問に思っていたんですよ』

 異端狩りの雄。
 噂とはいえ、教会の代行者に迫ると思わせるだけの説得力を持った魔術師。
 山里家の遠い先祖、マティアス・フォン・ローテンシュタインは何故、祖国も貴族の身分も捨てて逃亡を選んだのか。

『倉庫で見つけたのはマティアスの日記でした。
 正確には金庫に収められてたんですけどね。びっくりしましたよ、錠前に魔術の形跡があったんですから』
『……で、お前はそれをぶっ壊して引っ張り出したと』
『ええ、つい。何かと旨みの少ない仕事ですけど、あの時は特務隊の人間でよかったなと思いました』

 ぬけぬけと言う山里に、鉄志は呆れるしかなかった。
 まさか対魔術犯罪用の解錠術をプライベートの宝探しに応用する奴がいようとは。

『日記の中身。気になりますよね?』
『おいおい、自分から話し出したんだろうが』
『へへ、まあそうなんですが……結論から言うと、基本的には平々凡々な内容でした。
 妻との出会いや慎ましい暮らしへの不満、幕府の横暴に延々キレ散らかしてたりもしてて――』

 外国人への偏見が強いどころか、不法入国がバレたら斬刑にされるような時代だ。
 そんな中でマティアスを匿う道を選んだ山里家の女の愚直可憐には驚く。
 さぞかし不便の多い生活だったことだろう。日記の中でくらい愚痴ってしまうのも致し方ない。

『――ただ時折、魔術師としての顔が覗いていた』

 山里の声のトーンが一段低くなったのを、鉄志は感じた。

『こう聞いて、雪村さんは何をイメージしますか』
『……探究心。野心。もしくは、志半ばで郷を追われたことへの無念。とかか?』

 雪村鉄志は魔術師という人種を、自分達と同じ人間だと思っていない。
 それは差別ではなく、ある種の気構えのようなものだ。
 彼らには、自分達の世界の常識が通用しない。
 発想も、思考も、倫理観も、魔術師はあまりに常人とかけ離れている。

『畏怖です』
『……、畏怖』
『なんでも、彼が最後に"狩った"異端の遺物を偶然目にしてしまったようで。
 よほど優秀な人間だったのでしょうね。殺された方も、殺した方も。
 マティアス・フォン・ローテンシュタインはひと目で、件の遺物の価値を理解した。して、しまった』

 そわり、と背中の産毛が揺れるような感覚を覚えた。
 この感覚には覚えがある。
 ああ、そうだ。怪談だ。夜中の長距離運転の友にと借りた有名怪談師のCDを聴いていた時に覚えたそれに似ている。

『ちいさな、なんてことのない懐中時計』
『……、……』
『ただし、その時計には"電池"がなかった。
 エネルギー供給を受けることなく、永久に廻り続ける時計です』
『おい待て、そりゃ――』

 あり得ない。
 科学だろうが魔術だろうが、ヒトはこの令和ですらその領域に辿り着けていない。
 眉根を寄せた鉄志に、山里は妖しく笑って頷いた。

『マティアスが最後に狩った異端の名前は、ヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラー。
 発明家としての名は、オルフィレウス。現代じゃペテン師とされてる、エネルギー科学史の徒花です』

 オルフィレウスの永久機関。
 鉄志は大学時代、講義でその名を耳にしたことがあった。
 もっとも彼にそれを語った教授はいくつか理屈を並べた後、永久機関は成立し得ないと話を結んでいたが。

『山里。おまえまさか、その時計を』
『ふふ。どう思います?』

 冗談では済まない。
 もしそんな遺物が実在し、現存しているというのなら、これは天地を揺るがしかねない大事件だ。
 他の誰かの手に渡る前に特務隊で確保し、早急に破壊処分する必要がある。
 前のめりになった鉄志に、山里は意味深に言って――数秒の後、おどけたように両手を開いた。

『あははは。なんてね』
『――なっ』
『冗談ですよ、冗談。マティアスの日記のくだりは本当ですけど、そんな時計は蔵をひっくり返しても出てきませんでした。
 多分何かの勘違いか、仮に実在したとしても彼が日本に渡る前に処分なり何なりしたんだと思いますよ』
『お、お前なぁ……』
『やだなぁ、僕だって特務隊の創設メンバーですよ?
 そんな物があったら一も二もなく本部に持ってきて判断仰いでますって。
 もう長い付き合いなんですし、ちょっとは僕のことも信用して欲しいなあ』

 要するに、ちょっと物騒な与太話だったというわけだ。
 胸を撫で下ろす鉄志を見て、山里は目尻を拭いながらけらけら笑っていた。
 泣くほど笑うか。どこまでふてえ野郎なんだこいつは。

『けど、ちょっとロマンですよね。もし永久機関が実現可能な代物なら、いつか人類はそこに辿り着けるってことでしょ』
『ロマンなもんかよ。核兵器の扱いですら何十年と喧々諤々やってんのが人間様だぞ』

 十中八九、それはこの世に存在しない方がいい技術だ。
 エネルギー問題は人々の悩みの種であり、ストッパーでもある。
 際限があるから身の程を弁える。できることとできないことを区別して、身を屈める。

 もしその天井がなくなってしまったなら、生まれるのは正真正銘、限界の廃絶された未来文明だ。
 異次元の技術革新は未曾有の紛争を招き、何億という命が灰燼に帰すだろう。

 ましてやこの世には、科学とは境界を異にする超常の世界が存在するのだ。
 無限のエネルギーは境界を超え、あちらの社会にも激動をもたらすに違いない。
 ややもすると根源への到達だって、世迷い言の域を飛び越える可能性がある。その時何が起こるかなんて想像もしたくない。

 マティアス・フォン・ローテンシュタインは、オルフィレウスを葬った。
 彼の見た『遺物』が本物だろうとそうでなかろうと、マティアスは後世に禍根(きぼう)を残さなかったのだ。

『いいや、やっぱりロマンですよ。だって永久機関があるなら、不老不死だって夢じゃない』

 僕はね、死ぬのが怖いんですよ。
 こんな仕事しといてなんですけど、死後に何が待っているのか、考えると未だに眠れなくなるんです。
 タナトフォビア、ってやつなんでしょうね。

『うんと長生きして、みんなの"死にたくない"が絵空事になる日を見る。それが僕の夢なんです』

 山里は、そう話を結んだ。

『SFの読みすぎだ』

 鉄志は苦笑して部下を諭す。
 それで終わり。なんてことのない、ある日の仕事中の一幕。



 この一年後、雪村鉄志は〈ニシキヘビ〉の追跡を開始し、そして敗れる。

 更に三年後、山里は特務隊を去った彼の下に現れ、意味深な一言を残した。

 その翌日に、山里瑪瑙は縊死体となって発見された。見つけたのは、鉄志本人だ。



 死にたくないと零した男は、藪の中に飛び込んで死んだ。
 その選択の先に待つものを、彼とて理解していただろうに。
 飄々とした憎たらしい後輩は、最後の最後で死の恐怖に打ち勝ったのだ。


 彼の死が鉄志の背を押さなかったと言えば、それはきっと嘘になる。



◇◇



【氏名】
 飯島榛名
【年齢・性別】
 10歳女児
【失踪日】
 20XX/05/10
【概要】
 母親にお使いを頼まれ、同日午後16時に家を出る。
 K商店街の八百屋で数点の野菜を購入。その際、顔見知りの店主と会話を交わしている。
 商店街を出るところで足取りが途絶える。以後消息不明。目撃証言は数件あるが、いずれも状況との矛盾が甚だしく信憑性に乏しい。
【備考】
 娘の生死を絶望視した両親が、事件からちょうど一年後に自宅仏間で心中。

【氏名】
 木幡加奈
【年齢・性別】
 4歳女児
【失踪日】
 20XX/6/20
【概要】
 通っていた保育園の運動会の最中、姿を消す。以後消息不明。
【備考】
 園の入口には同年に福岡県で起こった殺傷事件の影響を勘案し警備員2名が配備されていた。
 警備員は両名とも『わからない』『出ていった子供は見ていない』と語っている。

【氏名】
 機浜裕太
【年齢・性別】
 8歳男児
【失踪日】
 20XX/6/20
【概要】
 学校の裏山で友人数名と遊んでいた最中、姿が見えなくなる。以後消息不明。
【備考】
 現場付近には川が流れており、不運な事故の可能性が高いとして処理された。
 尚、当該男児の失踪は木幡加奈失踪と同日である。

【氏名】
 井澤エミ
【年齢・性別】
 9歳女児
【失踪日】
 20XX/12/24
【概要】
 同日21時、両親が帰宅した際に姿が見えなかった。以後消息不明。
 自宅付近で足跡が確認されたが、追跡の手がかりにはならなかった。
【備考】
 当該女児は両親から虐待を受けており、学校にも一年以上通学していなかった。
 近隣住民の証言を元に両親を逮捕。失踪の件でも追及したが、強固なアリバイがあった。
 後に虐待、女児失踪への関与どちらも嫌疑不十分で釈放。

【氏名】
 朝比奈みずほ
【年齢・性別】
 14歳女児
【失踪日】
 20XX/3/12
【概要】
 母親と共にMデパートに買い物に来ており、買い物が終わり次第一階ロビーで落ち合う約束をして別れた。
 しかし約束の場所に当該女児は現れず、以後消息不明。
【備考】
 Mデパートの防犯カメラに当該女児は映っておらず、母親は一人で買い物に訪れていた。
 警察が聴取を行ったが、有力な手がかりは得られなかった。
 防犯カメラには、一人で歩く母親が誰かと会話しているような素振りを見せる様子が記録されていた。



 ――――以上、公安機動特務隊極秘捜査資料より抜粋



◇◇



 ――オルフィレウス。

 ナシロ達からの連絡にあり、そして今白髭の老人が告げた名を、雪村鉄志はどこか茫然と反芻した。
 いつか、もういない部下から聞いた与太話の記憶が脳裏の底から蘇る。

「その様子だと説明は不要のようじゃな。
 話が早くて助かるわい、如何せん奴さん、英霊としちゃドマイナーもいいところだからの。勤勉は美徳じゃぞ、若いの」

 驚くべきことに、香篤井希彦のキャスター・吉備真備は青銅王の統べる杉並区から無傷で生還してきた。
 彼は自己紹介もそこそこに、ほとんど一方的に自分の知っている情報を語り始めた。
 何でもエパメイノンダスに黒幕の名を伝えたのもこの老人らしい。

 ――科学者オルフィレウス。この世界の黒幕にして、人類悪の獣。
 ――数時間前に鉄志達が相対し、カドモスの助力があってどうにか撒くことに成功した、白き巨人の駆り手。

 神寂祓葉も含め、黒幕たる彼らを打倒しないことにはどうあがいても未来はない。
 必要なのは〈神殺し〉であり、聖杯戦争すら彼に言わせれば二の次。
 あの老王の固有結界はオルフィレウスの視座から逃れる数少ない安全地帯で、真備はカドモスに杉並/テーバイを神殺しの拠点にしたい旨を進言した。

 先の希彦ではないが、情報の咀嚼には時間がかかった。
 オルフィレウスの話もそうだが、鉄志の頭を悩ませたのはそこではなく。
 真備に曰く、人類悪に対抗するために抑止力が呼び寄せた幾つかの"人材"。
 〈恒星の資格者〉なる存在がこの世界にはいて、自分のサーヴァントもその一角であるという下りである。

(……なあマキナ、お前そんな重要な存在だったのか?)
(えっ。あ、いや……当機も初耳です、はい。
 当機の製造理念はあくまで悲劇の根絶であり、冠位英霊の代替などという役目を担った記憶はないのですが……)

 鉄志の感想としては、何を言ってるんだ――これに尽きる。マキナも同じだったらしく、念話でも分かるほど困惑していた。

 人類悪なる存在については初耳だったが、概要は理解した。
 人理を脅かす規格外の怪物。もし顕現すれば、それだけで世界を終わりに導きかねない劇物。
 その猛威に対処する冠位英霊なる存在がいる、ここまではいい。
 だがそんな大それたモノの代役を才能のある数人に任せるというのはいくらなんでも飛躍しすぎた話だろう。

「で、あんたは人類悪・オルフィレウスに対抗するために資格者とやらを集めたいってことか?」
「プランとしてはそれもひとつ。が、そう上手くは行かんと思っとるよ」
「……その理由は?」
「儂とそこの希彦は、既に神寂祓葉に遭っている」

 呆けた老人の戯言。
 そう笑い飛ばす択を、真備の言葉がすかさず奪った。
 鉄志も、既にその名前を知っている。
 先刻同盟者達から受けた連絡、そこには確かに『カムサビフツハ』の名前があったからだ。

 鉄志は、まだ〈この世界の神〉を知らない。
 あの葬儀屋を狂わせ、針音の聖杯戦争を開闢させた白き極星を知らない。
 それでも、彼女について語る真備と――唇を噛み締めて俯く希彦の顔を見れば、神寂某が常軌を逸した存在であることを疑う気は失せる。

「直接やり合ったわけじゃないがの、あの娘はオルフィレウスに比肩する怪物じゃ。
 曲がりなりにもアレと同種の才覚を認められてるっちゅう時点で、資格者共は揃って気狂いよ。順風満帆に懐柔できるわけもないわな」
「人のサーヴァントを気狂い呼ばわりか。正直、あんまりいい気はしないな」
「ま、ますた……」

 反射的に眉を顰めた鉄志の横で、マキナが申し訳なさそうにおろおろする。
 そんな彼と彼女のことを、真備は豪快に「うははは」と笑い飛ばした。

「デウス・エクス・マキナ、機械仕掛けの神。エウリピデスの仔、か?
 親心は察するが、事実を感情で歪めるのは関心せんの。
 お前とて分かっとるじゃろう、坊主。そんな英霊(モノ)、マトモな筈もなかろうが」
「――――」

 反論は、できなかった。
 マキナの真名を聞いた希彦が驚いたように、彼女は明らかにあり得ざる類の英霊である。

 ある詩人の嘆きが生み出した機械神。
 世界にご都合主義のハッピーエンドを確約せんとする、救世主の卵。

「資格者なだけ良いと思えよ。ソレは、ともすればオルフィレウスの同類になり得る劇物じゃぞ」

 人類悪の条件とは、世界を圧するほどの人類愛。
 ならば確かに、真備の言は正鵠を射ているのだろう。
 マキナは一見するといじらしいほど純粋な神だが、その幼い機体には無限の可能性が秘められている。

 善のままに世界を救う(ほろぼす)も。
 悪となりて世界を滅す(すくう)も、すべては巡り合わせ次第。
 その事実を嚥下した上で、鉄志はゆっくりと口を開いた。

「……まあ、話は分かった。あんたの真名にも正直察しは付いてる。
 あえて言いはしないが、俺の想像する通りの御人なら無責任に仮説をひけらかすような真似はしないだろうよ。
 信じるし、場合によっては協力もする。ただ、二つほど言わせて欲しいことがある」

 キャスターの真名は、恐らく吉備真備だ。
 安倍晴明にしては老獪すぎる。蘆屋道満にしては中庸すぎる。鬼一法眼かとも思ったが、この物怖じのなさはやはり吉備の賢人だろう。

 稀代の陰陽師に召喚された、伝説の陰陽師。
 なるほど、縁(えにし)だ。
 敵として出くわさなくてよかったと心から思うし、彼が授けてくれた情報は値千金の価値を持つものと信じる。
 が。それはそれとして、言いたいことはあるのだ。

「ひとつ。
 親心がどうこうとか、そういう表現はやめてくれ。
 これでも俺は妻子あった身でね。今でも操を立ててんだ」

 苦笑交じりに、ひとつ目の事項を伝えて。
 次に鉄志は、不快を隠そうともせず顔を歪めた。

「ふたつ。
 俺達の力を借りたいんなら、ウチの相棒に不躾な寸評してんじゃねえ」

 たかだか一ヶ月の付き合いと言えばそれまでだが、鉄志にとってマキナはもう大切な相棒だ。
 彼女が秘めた可能性のすべてを理解しているつもりはないし、今後もこの風変わりな英霊に頭を抱えさせられることが多々あるのだろうと何となく察してもいる。
 されど、見ず知らずの新顔に好き勝手遠慮のない言葉をぶつけられるとやはり腹は立つのだ。
 てめえがマキナの何を知ってんだよ、という反感を率直に込めて、鉄志は真備に釘を刺した。

「あんたの発言によれば、恒星の資格者とやらは見る者の価値観を灼くんだったな。
 それが本当なら確かに恐ろしいと思うし、あんたの言わんとすることは分からないでもない。
 けどな、俺は灼かれてなんかいねえよ。自覚があるし、誰にもそいつを疑わせはしない」

 雪村鉄志は、まだ神寂祓葉を知らない。
 月の女神を知らない。日向の天使を知らない。十二時過ぎの悪魔を知らない。
 自分の無知を承知の上で、それでも棚に上げて。

「だって俺の魂は――今もこんなに燃えてんだ」

 胸に手を当てながら、逃げ出したいほど気障な科白を吐いた。

「マキナは今もこの先も変わらず俺の相棒だ。それを好き勝手詰られると、俺はあんたの人となりを疑わざるを得なくなる」

 人の心が分からない傑物なんて、実際組むには論外だ。
 特務隊の隊長として多種多様な際物達と関わってきた鉄志はそのことをよく理解している。
 だからこそ個人的な不満をぶつけると共に、その辺あんたはどうなんだと問いかけた。

 そんな鉄志に対し真備は怒るどころか、愉快そうに口角を吊り上げる。

「くっくっく。何じゃ、やっぱり親心じゃねえかよ」
「――てめえ」
「怒るな怒るな。年寄りが若者を弄りたがるのはもう生態みてえなもんでの。
 相分かった。確かに不躾じゃったな、実際おたくのお嬢ちゃんは実にお利口さんに育っとるようじゃ。
 オルフィレウスの同類と呼んだのはあくまで仮定の話。今のお前さん方に疑義を投げるつもりはないわい」

 鉄志は思う、希彦が怒るのも分かると。
 この老人はとんでもない曲者のクソジジイだ。
 他人の地雷を踏むことに欠片の躊躇もなく、それどころか嬉々として踏みしめる。
 その結果立った荒波すら佳いぞ佳いぞと歓びながら乗りこなしてみせる、老獪という言葉の擬人化。

 自分が今まさに手玉に取られていたことを理解した鉄志は当たり前に不快を示したが、当の真備はどこ吹く風。
 それどころかこの乗りこなした荒波を寄る辺に、老人はまた平然と踏み込んできた。

「鉄志と言ったか。うむ、素直に詫びてやろう。
 すまなかったな、さっきのはちょっとした軽口じゃ。許してくれい」

 吉備真備。天才陰陽師も特務隊の隊長も認める"クソジジイ"は頭を下げて謝罪し、その舌の根も乾かぬうちに――

「だが気になる。礼を弁えてやるから聞かせい、鉄志。
 お前の魂を燃やす火とやら――それは一体何なりや?」

 雪村鉄志という男の、その魂へとメスを入れる。
 鉄志は、思わず反射的に口を噤んだ。
 礼を弁えると言っておきながら、二の句で約定を破ってきたことへの怒りさえ今は忘れた。

 恒星と共に歩み、それでも微塵も灼かれぬ男。
 理由は一言で説明できる。彼を灼くのは、狂気ではなく使命の火。いや、ある意味ではそれもまたひとつの狂気か。

「……俺、は」

 口を開く。たどたどしいのは、そこまでだった。
 怒りを宿した眼光が、彼の抱える使命(きょうき)の色に切り替わる。

「"なかったこと"に、したくねえんだよ」

 心のなかに、よみがえる声があった。
 忘れた日など、今まで一日たりともない。
 それは後悔。それは燃料。
 もう手の届かないあの子の声が木霊する。


 ――――『お父さん、カミサマに会いに行くね』


「追っている犯罪者(ホシ)がいる。そいつをこの手で捕まえるまで、俺はもう絶対に止まらない」


 そうして雪村鉄志は、吉備真備へと語り始めた。

 〈ニシキヘビ〉。
 正体不明の犯罪者。
 数多の少女・少年失踪事件に関与する何者か。
 ロールシャッハテストのように朧気な輪郭を描いて浮上した、在不在も覚束ない藪中の王。
 いかなる光もそっちのけで、今も鉄志が追い続ける仇/星のことを。

 すべて聞いた陰陽師は、そして――

「ははあ。なるほど、なるほど、なるほどのう」

 合点行った、と言わんばかりに頷いた。

「そりゃ難儀な話じゃ。で、お前さんはその錦蛇がこの都に居ると踏んどるわけか」

 今度は鉄志が頷く番だ。
 彼は信じている。だからこそ、願いも自身の生存もそっちのけで追いかけ続けているのだ。
 ニシキヘビを。藪の王を。他人の命を我が物顔で弄ぶ、下品で下劣な〈支配の蛇〉を。
 そんな彼に、真備は事も無げに。


「まあ――――居るやろな」


 あらゆる苦労も葛藤も、一切斟酌することなく断じてみせた。
 鉄志は、思わず言葉を失ってしまう。
 その言葉は彼が誰より求めていた同意であったし、天津甕星のリアクションから半ば確信に変わっていた事柄でもあった。
 なのに動じてしまう理由は、やはりそれが彼という燃え殻を突き動かす唯一の熱であるからだ。
 返す言葉の見つからない様子な鉄志に対し、老陰陽師はかっかっと喉を鳴らして笑ってみせる。

「なんじゃ、意外な答えだったか? ちょっと考えれば分かるじゃろ……、って言ってもお主は知らんか。
 祓葉は運命に酔い痴れた小娘よ。自覚があるかは知らんが、奴の作った世界は縁(えにし)を愛しとる」

 そう、論拠などそれで十分。
 祓葉は不合理の塊だ。彼女の前では、すべてが感情の二文字で調伏される。
 そんな餓鬼を神として生み出された世界はこの世の何より混沌で、けれどある意味読みやすい。

「お前と、その他大勢。蛇に狂わされた哀れな忘れ形見ども。
 そいつらが無念を抱いたまま令呪を宿しておるんなら、喪失感の向かう先は必ず用意されとる筈じゃ。祓葉はそういう生き物で、針音都市とはそういう場所よ」

 絆には絆を。
 因縁には因縁を。
 そして運命には運命を。

 すべて、神寂祓葉が幼気のままに愛している観念だ。
 命のやり取りすらゲーム感覚で満喫する神にとって、縁ほど遊戯を盛り上げるスパイスはない。
 かつて極星としのぎを削った六体の衛星が、蘇生されて舞台に上がらされたように。
 ここでは誰もが運命の奴隷で、それは雪村鉄志が追う仄暗い蛇でさえ例外ではなかった。

「良かったのう。ああいや、煽っとるわけじゃないぞ。今回ばかりはの。
 仇討ちなんてもん、大概は叶わないんじゃ。機会を得られるだけ僥倖よ。お前ら実に恵まれとる」

 呵呵と、真備が笑う。
 一方の鉄志は沈黙していた。
 願ってもない答えを聞けた筈なのに、どうしてか心の中で途方もない大きさの不安が居座っている。

 そのふてぶてしさは、ああ。
 まるで。

「――――じゃが、のう」

 とぐろを巻いた巨大な蛇の、ようで。

「お前さん、本当に仇の実像を理解しとるんか?」

 燃える男に、老いた伝説は問いかけた。
 おまえの熱意は理解した。
 実に尊い。実に素晴らしい。見上げたものだと称賛しながら。
 しかし待てよと、彼が想定していたのとはまったく異なる角度で本質に切り込んでくる。

 いや、もしくは。

「証拠は残さず、目撃はされず。
 煙のように寡聞として得体が知れず、それでいて如何様にも解釈の風呂敷を広げられるモノ。
 藪に潜む大蛇になぞらえて追われる、幼子を喰らう何者か。問うまでもないわ、そんなもん――」

 彼自身、頑なに注視することを避けていた可能性。

「――誰がどう聞いてもヒトじゃあなかろうよ」

 自分が追っているモノは、そもそも人間ではないナニカだ。
 突き付けられた真理は、殊の外鋭く鉄志の胸に刺さった。

「ロクでなしの魔術師共をちょっとでも知っとるなら分かるじゃろ。特務隊、じゃったか?
 現実の魔術は御伽噺のように万能じゃない、だから奴らは自分達の力を決して"魔法"とは呼ばんのよ。
 そう呼ばれるべき力はそれこそ御伽の郷の彼方にあると、ごうつくばりなりに弁えとるわけじゃ」

 魔術犯罪の捜査の第一歩は、現場に残った痕跡の照合である。
 よほど功名でない限り、魔術を行使すればその残滓が残るのだ。
 無論、ホシが優れた術師であるならそこも隠匿してくる可能性は否定できない。
 だが、ニシキヘビのそれはあまりにも完璧すぎる。
 自分の推測が正しければ奴が関与した事件の数は数百では利かない――それほどの犯行をすべて証拠なくこなし続けるなど、果たして可能なのか。

 そんな人間が、この世に存在するのか。

 いつかの鉄志も、そう考えた。
 けれど、その煩悶ごと酒で流し込んでしまった。
 それはすべてを失った燃え滓の男には、あまりにおぞましい想像だったからだ。

「たとえ生物としてヒトの体裁を保ってようが、お前さんの追うホシはとうに怪異じゃ。
 少なくとも儂は、そいつを人間とは呼ばん。
 天狗か、悪魔か……いいや案外」

 だって、そんなモノ。
 まるで――

「神の如き者、なのやもしれんぞ?」

 ――カミサマの、ようではないか。

 もしそれを信じてしまったら、神に会いに行くと言って消えた絵里は二度と戻ってこないような気がした。
 だから目を背け、忘れて、身を焦がす怒りに溺れた。
 しかし目の前の陰陽師は、あらゆる虚飾を許さない。
 くつくつと笑う顔が、男を見せろよと手前勝手に笑っていた。

「鉄志よ。お前さん……」

 世界に、善良なカミサマはいない。
 いるとすれば、カミサマを気取るおぞましいナニカだけ。
 ただしその力は、贋物なれど神性の域に届いている。

「祟り殺される覚悟はあるんか?」

 それは悲劇の根源。
 善を嗤い、悪を愛し、誰かの涙を美酒と仰ぐ下劣な悪神。

 人喰いの神は挑む者を許さない。
 神の潜む藪を探った者の末路なら記憶に新しい。
 散らかった部屋の真ん中で天井からぶら下がった山里の顔が今も脳裏に焼き付いて離れないのだ。

 なら、自分は。

 俺は――



◇◇



【氏名】
 木崎みう
【年齢・性別】
 13歳女児
【失踪日】
 20XX/11/07
【概要】
 同日午後13時43分、都内のブティック店で試着室に入った後、消息不明。
 当該女児の姉は「試着室から出てきていない」「ずっと見ていた」と証言しているが、試着室に怪しい点は確認できなかった。
【備考】
 店内監視カメラには、一人で店を出る当該女児の姿が記録されていた。

【氏名】
 菅原瑞歩
【年齢・性別】
 12歳女児
【失踪日】
 20XX/12/09
【概要】
 中学校から下校せず、消息不明。
 当該女児はクラスでいじめを受けており、同日の16時頃、3階女子トイレのロッカーに閉じ込めたとの証言が複数児童より得られている。
【備考】
 いじめに関与した児童らはロッカーに閉じ込めた理由について、「反抗された」「いつもは歯向かってこないのに」と話した。
 ロッカー内から当該女児の頭髪・指紋が発見されたため、閉じ込められていたのは間違いないと思われる。

【氏名】
 山城望華
【年齢・性別】
 11歳女児
【失踪日】
 20XX/2/14
【概要】
 同日深夜、巡回中のナースがベッドにいないことを確認。以後消息不明。
 当該女児は末期の小児がんを患っており、自立歩行が困難な状態だった。
【備考】
 当該女児の使っていたお絵描き帳に、黒いスーツの男性と並んで花畑を歩く絵が残されていた。
 両親はこの男性に覚えがないという。

【氏名】
 朝倉響
【年齢・性別】
 2歳女児
【失踪日】
 20XX/5/13
【概要】
 同日17時ごろ、母親が帰宅すると姿がなかった。以後消息不明。
【備考】
 子守りを任されていた兄・朝倉林太郎(8)も共に失踪していたが、後に遺体が発見された。

【氏名】
 朝倉林太郎
【年齢・性別】
 8歳男児
【失踪日】
 20XX/5/13
【概要】
 前項、朝倉響の兄。
 母親から留守中の子守りを任されていたが、帰宅すると妹と共に姿を消していた。
 以後消息不明だったが、失踪から2週間後に都内の用水路から水死体で発見。
【備考】
 失踪する少し前、「響がサンタさんに会いたがってる」と母親へ漏らしていた。詳細不明。

【氏名】
 雪村絵里
【年齢・性別】
 (記載されていない)
【失踪日】
 (記載されていない)
【概要】
 (記載されていない)
【備考】
 ちくしょう。



 ――――以上、雪村鉄志のスクラップ帳より抜粋



◇◇



「――は」

 引き攣ったような笑い声が、男の喉から響いた。

「――――は、はは」

 ぎょっとしたような顔で、マキナが彼を見る。
 希彦も怪訝な視線を向けていた。
 だがそのどちらも気にならないし、配慮しようという気も起きない。

「ははははははははははは!!」

 鉄志は、笑っていた。
 喉を鳴らし、身を捩り、乾いた哄笑を響かせる。
 そうするべきだと思ったし、純粋にひどく笑えたからだ。

「覚悟はあるのか、だって?」

 今更よそ様の英霊にこんな問いを投げられる自分の体たらくが、である。
 娘を失って、特務隊を辞めた。悪あがきのように幾つかの機密資料を持ち出し、それも活かせず燻った。
 死んだ風に生きていたところに部下が会いに来て、死んだ。
 葬儀の帰り道に新造の神を名乗る少女と出会って――そこまでしてようやく、止まっていた時計は動き出した。

 こうまで長く戦ってきて、まだそんな初歩を問われてしまうのか。
 笑えるほど情けなくて、もう俯く気力も起きやしない。
 なので鉄志は、せめて笑った。笑って、そして。

「……あるに、決まってんだろ」

 一瞬で笑みを消し、怒りのままに歯を剥き出した。

「野郎はカミサマなんかじゃねえ、ただの薄汚え犯罪者だ。
 完全犯罪だと? 笑わせんなよ。俺程度に勘付かれてる時点でそいつの格なんざ知れてるだろうが」

 年甲斐もなく闘志を露わにしながら、しかし鉄志は真備に感謝さえしていた。
 とんだ荒療治だが、おかげで心の靄が晴れた。
 あの日死んだ特務隊の雄を覆う最後の一枚が遂に消し飛んだ。
 吐いた言葉がしみったれた弱さを吹き飛ばし、来る日も来る日も職務に燃えていたいつかの男が帰ってくる。

「刺し違えてでも蛇野郎に手錠をかけてやる。その覚悟なら、言われなくても決まってるさ」
「――――ふはっ」

 啖呵を切るや否や、堪えかねた真備が噴き出した。
 腹を抱え、背を折って笑う老人は相変わらず人を小馬鹿にしているとしか思えない態度だったが、今はどうしてかそれが然程気にならない。

 鉄志も、伊達に五十年近く生きてはいない。
 最初は確かに腹が立ったが、今となっては真備の意図も分かっていた。
 要するにこの老人は、発破をかけてくれたのだ。恐らくは自分が無意識に抱えていた"逃げ"も見透かして。

「おぉい、聞いたか希彦よ!
 お前さんも雪村の爪垢煎じて飲んだ方がええんじゃないかのう、えぇ? うはははははは!!」
「はーッ絶対言うと思った! あのですね、何でもかんでも僕へのイジりに繋げてくるのいい加減やめてもらえませんかねぇ!?」

 張り詰めていた室内に、漫才じみたやり取りのおかげもあって和やかさが戻る。
 見ればマキナも「ほっ……」と胸を撫で下ろしている。
 ちなみに「ほっ……」はちゃんと口で言っていた。かわいい奴なのだ。

「……あんた、あんまり希彦くんを弄ってやるなよ。今どきそういう年長者は嫌われるぞ」
「こいつはこれでいいのよ。適度にくすぐってやらんとす~ぐ調子乗るからの」
「まぁそれは……、……見てる感じ分からんでもないが」
「雪村さん?」

 希彦の抗議するような視線から目を背けつつ、鉄志は改めて真備に向き直った。

「悪い。助かったよ、キャスター」
「礼なんざええわ、堅苦しい。十割の善意でやったわけじゃないのも分かっとるじゃろ? お前は」
「まあな。マキナが資格者なら、それを擁する俺が不甲斐ないと色々都合が悪いんだろ」
「そういうことじゃ。そうでもなけりゃ敵に塩なぞ送らんわい。儂も聖杯には用があるからの」

 変に燻ったまま蛇を追い続けて自分が死んだり歪んだりすれば、残されたマキナがどんな方向に成長するか分からない。
 資格者は人類悪を討つために必要だが、彼女達が宿す可能性は制御不能の核爆弾にも等しい。
 ならその存在を把握し、利用したいと思う真備が、不測の事態をケアしたいと考えるのは当然のことだろう。

「で。お前、これからどうするつもりなのよ」
「仲間との情報共有も済んだからな、改めてニシキヘビを探るとするよ。あんた達もいつまでも俺達がいたら邪魔だろうしな」

 それに――、蛇のことを抜きにしてもここで大局に関われないのは致命的に思えた。
 ネット情報で軽く見ただけでも、自分が寝腐っていた間に相当事が動いてるのが分かったからだ。
 なので正確には、ニシキヘビを探りつつ、都市の現状をこの目で見たい。

 神寂祓葉や、赤坂亜切ら六衛星についてももっと情報を漁りたかった。
 最善は前者だが、後者もやはり多少の手がかりくらいは掴んでおくべきだろう。
 首尾よく前回参加者の情報を得られれば、それを材料に赤坂を誘導できるかもしれない。
 琴峯ナシロ達が言う、レミュリン・ウェルブレイシス・スタールとの関係性の前進にも寄与し得る。

「なるほどなるほど、そりゃいい。というか、此処に居座るなんて言い出したらとんだ興醒めだったわ」
「……、というと?」
「なんじゃ、やっぱり感知しとらんのか? 魔術師狩りを謳うならもうちっと鍛ぇよ。神寂祓葉は今、新宿におるぞ」

 真備はこう言うが、これに関して鉄志を責めるのはあまりに酷だ。
 この老人は陰陽術という、ひとつの異能体系のハイエンド。
 感知の勘はずば抜けており、もはや根拠の有無に関わらず肌感覚である程度察せられる領域に達している。

 現に希彦も真備の言を聞いて、「えっ」と目を見開いていた。
 現代最優の陰陽師でさえできないのだから、魔術使いまがいの鉄志にできないのは普通のことである。
 鉄志もナシロ経由で、レミュリンが港区で"それ"に遭った話は聞いていたが、その後の行き先は気絶していたこともありさっぱり追えていない。

「祓葉は都市の極星よ。奴の存在は、誘蛾灯のようにヒトと因果をかき集める。
 新宿……いや、儂らが出遅れてることを考えると隣区辺りか?
 兎に角その辺りに、今考えられる役者の粗方が揃っとる筈じゃ。祓葉の衛星共も、引き寄せられてることに気付いとらん者もな」

 針音都市の聖杯戦争は、どこまで行っても主役を中心に回っている。
 それこそが神寂祓葉。極星たる彼女は、その名に相応しい引力を有する。

 そこまで聞いて、鉄志の脳に電流のような天啓が走った。

「――まさか」
「少女喰いの悪神。そんな奴にしてみりゃ此処は天国みたいなもんじゃろうよ。
 極星、資格者、色とりどりの役者(おなご)共が犇めく極上の生簀。なあ、網を投げん理由はないと思わんか?」

 誰も捕まえられなかったニシキヘビは、しかし既に籠の中だ。
 この世界の神が手繰る運命論の前では、かのフィクサーも所詮演者のひとりに過ぎない。
 鉄志は、別れ際ナシロにかけた言葉を思い出していた。


『もしも俺らが、"なにか"によって選ばれたんだとすれば』

『理由(なにか)が、大小に関わらず、運命―――人と人との"縁(つながり)"だとすれば』

『それを辿ってった先に、この聖杯戦争の"中心"があるのかもしれねえ』


 それの意味するところは、つまり。

「……ニシキヘビは、じきに動く。いや、もう動き出してるかもしれない」

 真備の言葉で得心行った。
 ニシキヘビは非常に狡猾で病的なほど油断のない犯罪者だが、奴は一つだけ巨大な陥穽を抱えている。

 犯行を止められないことだ。
 言い換えれば自分の欲望を抑えられない。
 だから膨大な数の餌を求め続け、彼の残した食痕は雪村鉄志の目に留まってしまった。
 そんな人類最醜の怪物が、此処に来て辛抱などできるわけがないだろう。

 ――蛇の尾に、手が届くかもしれないんです。

 山里瑪瑙の遺した言葉が脳裏にリフレインした。
 十年の熱と絶望すべてが渾然一体と渦を巻き、形容しがたい激情を呼び起こしていく。

「ま、精々急ぐことじゃ。蛇ってのは狡辛くてすばしっこいからの。あまり拱いとるとまた藪に潜っちまうぞ」

 穢れた神に手錠をかけろ。
 その鉛弾を撃ち込んでやれ。

 運命とは引力。それが加速を選ぶなら、支配者と奴隷に然程の差はない。
 縁は巡る。出会い、広げた縁のすべてが、一匹の怪物を浮かび上がらせ始めていた。


【世田谷区・ビジネスホテル(廃墟)/二日目・未明】

【雪村鉄志】
[状態]:疲労(小)、覚悟
[令呪]:残り二画
[装備]:『杖』
[道具]:探偵として必要な各種小道具、ノートPC
[所持金]:社会人として考えるとあまり多くはない。良い服を買って更に減った。
[思考・状況]
基本方針:ニシキヘビを追い詰める。
0:新宿方面へ向かい、蛇の手がかりを探る?
1:アーチャー(天津甕星)は、ニシキヘビについて知っている……?
2:今後はひとまず単独行動。ニシキヘビの調査と、状況への介入で聖杯戦争を進める。
3:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
4:〈一回目〉の参加者とこの世界の成り立ちを調査する。
5:マキナとの連携を強化する。
6:高乃河二と琴峯ナシロの〈事件〉についても、余裕があれば調べておく。
7:神寂祓葉についても静観はできない。調べておくべきだろうな。
[備考]
※赤坂亜切から、〈はじまりの六人〉の特に『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』の情報を重点的に得ています。
※高乃河二達から追加連絡を受け取りました。それ経由で、神寂祓葉の情報も受け取っています。
※アーチャー(天津甕星)の真名を知りました。

【アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)】
[状態]:疲労(中)
[装備]:スキルにより変動
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターと共に聖杯戦争を戦う。
0:マスターに従う。……そこに向かえば、〈この世界の神〉に会えるでしょうか。
1:マスターとの連携を強化する。
2:目指す神の在り方について、スカディに返すべき答えを考える。
3:信仰というものの在り方について、琴峯ナシロを観察して学習する。
4:おとうさま……
5:必要なことは実戦で学び、経験を積む。……あい・こぴー。
[備考]
※紺色のワンピース(長袖)と諸々の私服を買ってもらいました。わーい。

【香篤井希彦】
[状態]:魔力消費(中)、〈恋慕〉、頭の中がぐっちゃぐちゃ
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:式神、符、など戦闘可能な一通りの備え
[所持金]:現金で数十万円。潤沢。
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉の選択を待って、それ次第で自分の優勝or神寂祓葉の優勝を目指す。
0:神寂さんが新宿にいるなら、僕は――。
1:僕は僕だ。僕は、星にはならない。
2:赤坂亜切の言う通り、〈脱出王〉を捜す。
3:……少し格好は付かないけれど、もう一度神寂祓葉と会いたい。
4:神寂祓葉の返答を待つ。返答を聞くまでは死ねない。
5:――これが、聖杯戦争……?
6:〈ニシキヘビ〉なるマスターが本当に存在するのなら脅威。
[備考]
二日目の朝、神寂祓葉と再び会う約束をしました。

【キャスター(吉備真備)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:『真・刃辛内伝金烏玉兎集』
[所持金]:希彦に任せている。必要だったらお使いに出すか金をせびるのでOK。
[思考・状況]
基本方針:知識を蓄えつつ、優勝目指してのらりくらり。
0:さて、さて。面白くなってきたわい。
1:どう身を振るか考え中。希彦の約束もあるからのう。
2:希彦については思うところあり。ただ、何をやるにも時期ってもんがあらぁな。
3:と、なると……とりあえずは明日の朝まで、何としても生き延びんとな。
4:かーっ化け物揃いで嫌になるわ。二度と会いたくないわあんな連中。儂の知らんところで野垂れ死んでくれ。
5:カドモスの陣地は対黒幕用の拠点として有用。王様の懐に期待するしかないのう。
6:〈ニシキヘビ〉なる存在への興味。ともすれば非道い難物が出てきそうじゃ、楽しみ楽しみ。
[備考]
※〈恒星の資格者〉とは、冠位英霊の代替品として招かれた存在なのではないかという仮説を立てました。



◇◇



「おお……」

 感嘆の声が、廃寺の跡地に口を開けた大穴の底で紡がれていた。
 声の主は常勝将軍、エパメイノンダス。
 酸いも甘いも噛み分けた歴戦の英雄が、今は恐竜の化石を前にした少年のように目を輝かせている。

「間違いねえ、これが……! 音に聞く、建国王の青銅か……!」

 廃寺の真下に広がっているのは、異様な空間だった。
 壁も天井も青みがかった金属――青銅で覆われ、由緒ある貴人の墓所めいた威厳を放っている。
 都心から離れているとはいえ東京都。その地下にこんな景色が広がっているなどとは誰も思わないだろう。

「そんなテンション上がる光景かね、これが」
「馬鹿ッ、滅多なことを言うもんじゃねえよ嬢ちゃん!
 見ろこの鈍い輝き、触れれば吸い付く独特の触感……! まさに神話の錬鉄だぜ、こりゃあよ……! ひゅーっ、テンション上がるねぇ!」

 大はしゃぎのエパメイノンダスだったが、ナシロも彼の言わんとすることが分からないわけではない。
 むしろ分かっているからこそ、彼のようにはしゃぐ気には到底なれなかった。
 見れば河二も緊張した面持ちを隠さず、いつ何が起きても対処できるように気を張ってる様子だ。

 壮大な鍾乳洞を前にしたような感動は確かにある。
 だがそれ以上にこの空間は、曲者の侵入を頑なに拒んでいる。

 風もないのに総身に突き刺さる敵意。
 途方もなく巨大な存在に見下され、睨め付けられているような重圧。
 とてもじゃないが長居したい場所ではなかったし、そうでなくても一秒でも早く離脱するべき虎の穴だ。
 留守中を狙って王の寝室に入り込むなど、いつの時代でも刎頸は免れまい。

(おいアサシン、大丈夫か?)
(今のところヘンな気配はないですけど……いやホント、早く出た方がいいですよ其処。何かあっても庇い切れませんよ?)
(……だよなあ)

 地上で見張りを任せているヤドリバエの呆れ混じりの声を受け、ナシロは嘆息する。
 今、彼女達一行は――杉並区を訪れていた。
 この区がある王の支配地と化しているのを知った上で、わざわざこうして踏み込んだのである。
 理由はひとつ。
 杉並に君臨し、圧倒的な存在感で周囲への威嚇を続けていた"建国王"の気配が、突如として消失したからだ。

 これを受けてエパメイノンダスは一転、杉並への上陸と王の拠点探索を提案した。
 雪村鉄志から受け取った、この場所で何があったのかの仔細。
 カドモスの常軌を逸した戦闘能力と、現れた神の片割れ。白い巨人を駆る少年。
 すべて踏まえた上で、英雄は藪に踏み入ることを選んだ。

 幸い、拠点を探し当てるのは簡単だった。
 鉄志の証言もあったし、先刻の戦闘のせいで付近が損壊し、地下に続く階段が完全に露出していたのだ。

「ランサー。まさかとは思うが、ただ観光に来たかっただけじゃないだろうな」
「くっくっく。どう思う? コージよ」
「貴方のことは尊敬しているが、自分の都合で琴峯さん達を危険に晒しているなら承服できない。マスターとして、少々苦言を呈させて貰う」
「――わっはっはっは! 言うじゃねえか。俺はお前のそういうとこが好きだぞ!」

 釘を刺した河二に、エパメイノンダスは腹を抱えて大笑。
 しかしすぐにニヤリと笑い、遂にこの謎な方向転換の真意を語る。

「安心しな、流石に公私の別は弁えてるよ。
 カドモスの城を拝みたかったのは本当だが、目的はちゃんと他にある」
「……と、いうと?」
「ナシロちゃん。どこでもいい、適当な青銅に触れてみろ」

 突然矛先を向けられたナシロは、怪訝な顔をしつつも言う通りにした。
 この地下空間は一縷の隙間もなく青銅で構成されている。よって、触れる場所には困らなかった。
 とりあえず手近な壁に触れてみる。金属特有の冷感と、身の浮き立つような荘厳さが触覚を通じて流れ込んでくる。

「どうだ?」
「どうだ、って言われてもな……。あんまりいい気分じゃないのは確かだ」
「よし。なら次は、その状態で"解析"をやってみるんだ」
「――解析?」

 首を傾げるナシロに、河二が近付いた。
 彼はもうエパメイノンダスのさせようとしていることが分かっているらしい。

「琴峯さんの魔術は"投影"だろう。
 僕も詳しくはないが、モノを生み出せるのなら設計図を見取ることも可能だと思う」

 投影魔術。
 強化、変化といった魔術の更に上を行く高等魔術にして、曰く非常に効率の悪い魔術。
 優れた魔術師が用いても採算を合わせることさえ難しく、好き好んで習得したがる者はまずいない。
 河二は座学の一環で、父からそう教わったことがあった。
 高乃の秘術の肝は義肢の製法。河二としては不埒な考えに感じるが、投影によって製造を簡略化できないか目論んだ者が先祖にいたのだろう。

 素人に毛が生えた程度の知識なのは否めなかったが、それでもナシロの投影は非常に高度に見えた。
 強度もさることながら、黒鍵を投影した彼女は魔力の消耗をほとんど感じさせなかった。
 どこまで応用が利くのかは不明なものの、彼女の投影魔術は既に熟練の域に達している可能性が高い。

「もし琴峯さんがカドモスの武装を投影できるようになれば、大きな戦力の増強が見込める。そういうことだな、ランサー?」
「ご明察だ。いくらかの露払いにはなるだろうさ」

 なるほど、理由は分かった。
 とはいえ解析しろと言われても、どうすればいいか分からない。

(こっちはズブの素人なんだよな……)

 ナシロに魔術の知識はない。皆無と言っていい。
 この都市に放り込まれた時、〈古びた懐中時計〉により拡張させられた魔術回路。
 それがたまさか、本来目覚める筈のない才能を開花させただけだ。
 なのでナシロはとりあえずそれらしく目を閉じ、意識を研ぎ澄ましてみることにした。

(ウチの教会、懺悔室はないんだが)

 イメージするのは、懺悔を聞き届ける聖職者の姿。
 あらゆる告解に耳を傾け、罪を赦す神の使徒像。

 澄まし――棲まし――清ます。
 相手に寄り添い、心を解く要領で意識を先鋭化させる。
 素人知識の瞑想よりよほど稚拙でエビデンスに欠けた工程。
 無論ナシロは、これで何か得られるなど毛ほども思っていなかったのだが……しかし。


(――――ッ)


 ある瞬間、ナシロは自分の頭が"どこか"と繋がったことを確信した。
 息を呑む。冷たい汗が吹き出し、身体が氷のように強張っていく。

「は――ぁ、ぅ――?」

 なんだこれは。
 何が起きてる。私は今、誰の何に繋がっている?

 理解する前に、押し寄せた想像(イメージ)が脳細胞を蹂躙する。
 ナシロの語彙力は、それを"哀しみ"と表現させた。
 哀しい。泣き崩れる気も起きなくなるほどのやるせなさが込み上げて止まらない。

(これは……誰かの、記憶……?)

 だとしたら冗談ではない。
 この感情を抱えて生きるなど、まともな人間には絶対に不可能だと断ずる。

 両親を失った時、毅然とした顔の裏で抱いた喪失感。
 あれを何倍、何十倍、いいやそれ以上にも高めたような深すぎる哀しみ。
 これに長く触れていたら気が狂うと、ナシロは本能的にそう察した。
 そうでもしなければ耐えられないほど、この悲嘆は底が深すぎる。

「ぐ、ぁ――が、ぁぁ……!」

 知らず、叫び声が漏れていた。
 生涯感じたこともない次元の希死念慮が自我を喰らう。
 今すぐにでもハラワタを引きずり出して自害したい、そんな衝動が溢れて止まらないのだ。

 名を呼ぶ河二の声も今のナシロにはまるで聞こえていない。
 手を離したいのに、その選択をする余裕もない。
 選択肢という選択肢が脳裏に浮かんだ端から消えていく。
 そんな嘆きの地獄の中で、誰かの声が魂を揺らした。


『ふざけるな。儂のどこが、この身のどこが、楽園に能う命だというのだ?』

『血を分けた子も救えぬ者が。目に入れても痛くない孫も見送るしかできなかった者が。
 溢れる悲劇を止められもしなかった愚かな王が――何故に、死後の救いなど賜われるというのだ』

『楽園の切符など要らぬ。儂が欲しかったのは、断じてこんなものなどではない。
 儂は、儂は――』


 この声の主は、きっと恐ろしく偉大な人物だ。
 これは哀しみ。そして慙愧。
 己が栄光の功罪から、最後まで目を逸らせなかった男。

『儂は、ただ……幸せな国を創れれば、それでよかったのだ』

 聞いた瞬間、ぐいっと手を引かれる感触があった。
 同時にあれほど絶えず流れ込んできた"青銅の記憶"が途切れる。

「か、……っ、は……! ぁっ、はぁっ、は、ぁ……!」

 何分も水中にいたかのように身体が酸素を欲していた。
 過呼吸さながらに息を吸い吐くナシロの背中を、少年の手が優しく擦る。
 河二だった。どうやらナシロの様子を見かねた彼が、無理やり解析を中断させたらしい。

「大丈夫か、琴峯さん。息をゆっくりするんだ」
「はぁ……はぁ……。悪い、高乃……助かった……」

 河二に礼を言いつつ、今しがた感じ取ったモノを反芻する。
 奔流が止まった今は少し冷静だ。だから分かる。あの記憶の主は、この青銅洞を創り上げた人物に他ならないと。

「すまねえ、ナシロちゃん。無理させるつもりはなかったんだが……」
「ライ、ダー。視えたぞ、ちゃんと」
「なに?」
「たぶん、カドモスとかいう王様の記憶だ」

 つまり、テーバイの建国王カドモス。
 この杉並を現在支配下に置いている、エパメイノンダスも畏れる偉大な英雄だ。
 正直二度とやりたくはないが、無茶をした甲斐はあった。
 戦わずして相手の人となりを知れた恩恵は言うまでもなく大きい。まして相手は、現在進行系で都市を蝕み続ける"栄光の国"の主なのだ。

「そりゃ羨ましいが……そんな景気のいい顔じゃないな。何を見た?」
「慙愧だ」

 断じたナシロに、エパメイノンダスの眉がぴくりと動く。

「せっかくだし、やってみるよ。あんな思いをして成果ゼロじゃ私もやってられん」
「っ、琴峯さん。今は――」
「いいんだ、高乃。やらせてくれ」

 河二の制止を押して、右手を前に突き出す。
 十字を切るイメージで魔術回路を開き、そこに魔力という名の紫電を走らせる。
 身体は重たかったが、思考は不思議なほどクリアだった。
 であれば後は、口を動かすのみ。

「――――投影(エゴー)、開始(エイミー)」

 それは彼女にとって、世界へ宣ずる存在証明。
 投影完了。
 ナシロの右手に、三本の刃が収まった。

「……え」

 驚いたのはナシロだ。
 声こそ出さなかったが、河二もエパメイノンダスも同じ様子だ。
 投影されたのはカドモスの槍ではなく、これまで通りの黒鍵。代行者のシンボル。
 しかしその刀身が、これまでとは違う。深い蒼色と鈍い輝き、放つ荘厳さまでもがこの空間にひどく溶け込んでいる。

「お……驚いたな。思ってたのとはちょっと違うけど、一応成功だよな?」
「そう……だと、思う。何か読み取れていなければ、こういうカタチにはならないだろう」

 ――それは、"青銅の黒鍵"だった。
 ナシロ達が今いる洞窟を構成するのと同じ、カドモスの青銅で構築された投擲剣。
 素人目にも強度も霊格も、今までナシロが投影してきたのとは段違いに思えた。

 よかった、得るものはあった。
 安堵するナシロをよそに、静かに思考するのはエパメイノンダス。
 彼だけは、琴峯ナシロがやってのけたことの異常さを正しく認識している。
 高乃河二も片鱗は感じ取っていただろうが、言語化できるのはやはり彼だけだろう。

(読み取ったカドモスの記憶を、手前の投影に混ぜ込んだのか。
 黒鍵という形はそのままに、外付けで属性を注ぎ足した。
 おいおいこいつは――ともすると、予想以上かもしれねえぞ)

 ナシロの投影は、魔術として奇形なのかもしれない。
 ある種の天才。黒鍵という原型に、解析した属性を付け足す変則投影魔術(グラデーション・カオス)。
 予期せぬ負担を強いてしまったのは面目ないが、得られた事実は大きかった。
 英霊であろうと背景を読み取り、自己の糧に変える聖職者の魔術は、この先の戦いで予期せぬ成果をあげられるかもしれない。

 ……そして。

(一足踏み込んだ時から気付いてた。
 この空間は、あまりにも俺が思うテーバイの姿とかけ離れてる)

 ナシロがエパメイノンダスに伝えた、カドモスの"記憶"。
 それは、彼が抱いていた違和感にひとつの解を与えるものだった。

 道化めいた陽気を振る舞う傍ら、エパメイノンダスはずっと張り詰めていたのだ。
 ナシロと河二は現代の人間。テーバイの名すら、生涯何度聞くか分からない異邦の住人。
 だからまだよかったのだろう。まだ、感じすぎずにいられたのだろう。
 しかし彼は違った。テーバイを知り、彼の国のために生きて死んだ男には、この空間は彼女達が思う何倍も異質なものに感じられてならなかった。

 此処は地獄だ。
 此処はあまりに、痛切な嘆きで満ちている。

(なあ、カドモスよ。我らが誇る大国父よ。
 俺はあんたの築いたテーバイを、この世の何より偉大な国だと信じてきたが――あんたにとっては、違ったのかい?)

 光あれば影がある。
 光が大きいほど、生まれるそれもまた大きくなる。
 なら、英雄の土壌と呼ばれたあの国は。
 テーバイの栄光の傍らに生まれた影は、一体どれほど大きかったのか。

 その影を見つめ続けた男は、果たして何を感じていたのか。

 エパメイノンダスは、少しだけ哀しそうに洞窟の先を見つめた。
 空の玉座を見据え、常勝の将軍は何を思う。
 答えを知るのは、かの王以外にはいない。



◇◇



【杉並区・廃寺跡/二日目・未明】

【高乃河二】
[状態]:疲労(小)、魔力消費(中)
[令呪]:残り三画
[装備]:『胎息木腕』
[道具]:なし
[所持金]:それなり(故郷からの仕送りという形でそれなりの軍資金がある)
[思考・状況]
基本方針:父の仇を探す。
0:琴峯さん、君は……
1:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
2:琴峯さんは善い人だ。善い報いがあって欲しいと思う。
3:ニシキヘビなる存在に強い関心。もしもそれが、我が父の仇ならば――
4:『ことちゃん』とは話ができる可能性がある。が、楪依里朱とライダー(カスター)のマスターには依然として警戒。
[備考]
※ロールとして『山梨からやってきた転校生』を与えられており、少なくとも琴峯ナシロとは同級生のようです。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。
※レミュリンから『イリス』に関する情報を得ました。
※レミュリンと“蛇杖堂絵里”の連絡先を得ました。

【ランサー(エパメイノンダス)】
[状態]:疲労(中)、全身にダメージや傷、多数の銃創
[装備]:槍と盾
[道具]:革ジャン
[所持金]:なし(彼が好んだピタゴラス教団の教義では財産を私有せず共有する)
[思考・状況]
基本方針:マスターを導く。
0:カドモスよ。あんた、何を感じてるんだ?
1:よく頑張ったな、みんな。
2:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
3:〈蝗害〉とキャスター(ウートガルザ・ロキ)に最大級の警戒。キャスター(吉備真備)については、今度は直接会ってみたい。
4:琴峯ナシロは中々度胸があって面白い。気に入った。
5:カドモスと会ってみたいなぁ!
[備考]
※カドモスの存在を確信しました。杉並のテーバイ化にも気付いているようです。

【琴峯ナシロ】
[状態]:疲労(中)、精神疲労(中)、魔力消費(小)、複数箇所に切り傷
[令呪]:残り二画
[装備]:『杖』(3本)、『杖(信号弾)』(1本)
[道具]:修道服、ロザリオ
[所持金]:あまり余裕はない
[思考・状況]
基本方針:教会と信者と自分を守る。
0:しんどい。けど、得られるものがあっただけマシか。
1:信者たちを、無辜の民を守る。そのために戦う。
2:楪及び〈蝗害〉に対して、もう一度話をする必要がある。
3:ダヴィドフ神父が危ない。
4:ニシキヘビ……。そんなモノが、本当にいるのか……?
5:アサシン……?
6:身の振り方、か。……確かに、考えるべきなのかもしれないな。
[備考]
※少なくとも高乃河二とは同級生のようです。
※琴峯教会は現在、白鷺教会から派遣されたシスターに代理を任せています。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。
※ナシロの両親は聖堂教会の代行者です。雪村鉄志との会話によってそれを知りました。
※レミュリンから『イリス』に関する情報を得ました。
※レミュリンと“蛇杖堂絵里”の連絡先を得ました。
※ナシロの投影魔術は一般的なものと性質が異なるようです。
 黒鍵を原型とし、解析で読み取った属性をそこに混ぜ込むことができます。まだ先があるかもしれませんが、詳細は後にお任せします。

【アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)】
[状態]:疲労(中)、脇腹に刀傷、各所に弾丸の擦り傷、高揚と気まずさ(時間経過につれ後者がむくむく肥大化中)、廃寺外で見張り中
[装備]:眷属(一体だけ)
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:聖杯を手に入れ本物の蝿王様になる!
0:居心地わる~い……早くマクドナルドとか行きましょうよぅ。わたしはサムライマックが好きですよ。
1:ナシロさんが聖杯戦争にちょっと積極的になってくれて割とうれしい。
2:あんなチビっこ神霊には負けませんけど!眷属を手に入れた今の私にとってもはや相手にもなりませんけど!!
3:ウワーッ!!! せっかく作った眷属がほぼ死んだ!!!!!
4:ナシロさん、もっと頼ってくれていいんですよ。
5:守りたいもの……かぁ。
[備考]
※渋谷区の公園に残された飛蝗の死骸にスキル(産卵行動)及び宝具(Lord of the Flies)を行使しました。
 少数ですが眷属を作り出すことに成功しています。 
※代々木公園での戦闘で眷属はほぼ全滅しました。今残っているのは離脱用に残しておいた一体だけです。
※“蠅の王”の力の片鱗を引き出しました。どの程度操れるのか、今後どのような影響を齎すのかは不明です。


[全体備考]
※レミュリンから連絡を受け取り、内容を把握した上で雪村鉄志にも伝達しました(『しんでしまったあとのことなんて』時点までの情報)
※新宿近辺に祓葉、ニシキヘビの手がかりがあるかもしれないと知った鉄志がその旨を伝えたかどうかは後の話にお任せします。


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最終更新:2025年10月30日 01:29