時刻は、新宿の決戦が終結し、巨人の寒波が南進し出す幾らか前に遡る。
『それで、やっぱりあの魔女っ子とひとりで殴り合ってきたと……』
『ええ、そうなります』
眉を顰めて言う私に、薊美ちゃんは涼しい顔で頷いた。
が、その身なりはまったくもって彼女らしくないものだ。
全身土埃に塗れ、顔には疲弊が滲んでいる。
どう考えても無事では済まなかった様相だが、それでも相手が相手だ。
『勇み足の自覚はあったんですけどね。
流石に死ぬかと思いました、化け物ですよあの人。正直同じことは二度としたくありません』
楪依里朱を挑発し、挑まなくていい決闘を持ちかけた。
結果は痛み分けに終わったそうだが、生き延びた時点で単独での戦果としては破格すぎる。
茨の王子は、白黒の魔女に抗し得たのだ。
相手の油断や出し惜しみ、更に初見だからこそ引き出せる動揺。
彼女に味方したそれらの要素を踏まえても、驚くべき結果なことには違いない。
『……なんでそんなことしたの?』
けれど、私からすれば驚くよりも疑いが勝つ。
イリスさんが去った後、後を追うように抜け出してくのを見た時から実のところ察してた。
でもまさか、ここまで大胆な真似をやるつもりだとは思いもしなかった。
曲がりなりにもこの集団を率いている身として、理由を聞かぬままにしてはおけない。
『試金石です』
訝しむ念を隠そうともせず問いかけた私に、薊美ちゃんは誤魔化すでもなく答えた。
『この聖杯戦争で生き残るには、どうやったって神寂祓葉……そして彼女を囲う六衛星と対峙するのは避けられない。
だから多少痛い目を見てでも肌感覚を知っておきたくて。まあ、しこたま煽られた溜飲を下げたかったのもありますけど』
理屈は尤もらしいけど、やっていることは完全に狂気だ。
答えを聞いた私は、自分でも分かるくらい渋い顔をしたまま確信する。
やはりこの子は変わってしまった。
身に起きた転機が、彼女を"優秀な女の子"からもっと別種の存在に変生させてしまったのだと理解した。
『いいじゃないですか、お姉さん達に迷惑かけたわけでもないんですから。
私が勝手に突っ走って、勝手に痛い目を見た。それだけで、それまでです』
最初の変化がいつ起こったのかはわからない。
が、どうやら彼女は自力でそこに辿り着き、その上で性悪な上位者に見初められた。
知る限り最もそういうことをしでかしそうな輩の方を横目で睨むも、彼はぐずるお姫さまを慰めながら素知らぬ顔をしている。殴ろうかと思った。
伊原薊美は覚醒し、ウートガルザ・ロキがそこに追加の劇薬を垂らしたのはほぼ確定。
その結果が、楪依里朱への突撃という狂気じみた判断を下して尚涼やかに笑う目の前の彼女なのか。
『それはそうと、小都音さんもロキさんの方に加わった方がいいんじゃないですか。
私結局イリスさんを連れ戻せませんでしたし。まあ、その気もなかったんだけど』
腹の奥で、怒りともまた違う重たい感覚が沈殿している。
不安だった。うまく言語化できないが、何か良からぬ方に事が転がり出したのをにわかに感じていた。
煌星満天との接触と対立。薊美ちゃんの変心。凪いだ水面に立った波風が、予測不能の凶事を招くのではないかと思えてならない。
『……わかった。とりあえず今はそれでいいよ。傷は大丈夫?』
『こう見えて結構タフなんですよ、私。仕事柄体力付けないとやってられないので』
眼鏡のキャスターの指摘が今になって蘇り、耳が痛い。
何人も寄せ付けないほどの武力を持ちながら、その実まとめ役が自分以外いないワンマンチーム。
それでも頭を悩ませ続ける以外の択はなかった。
そうすると決めたのは自分なのだ。今更責任から逃げたくはない。
『――ほら、にーとちゃん。いつまでもウジウジしてないの』
『ぅう、でも……。いーちゃん、どっか行っちゃった……。
いなくならないって言ったのにぃ……うそつきだよぅ、うー……』
めそめそと泣きながらいじけている親友の頭をぺしりと叩く。
あんなこれみよがしな科白まで残していったというのに、どうやら本当にこの小動物はイリスさんの真意に気付いていなかったらしい。
ロキはおー可哀想に……とよしよししているが、このわがまま女に全肯定ムーブなんかやってたらいつまで経っても事が進まない。
『仕方ないでしょ、あの人はあの人の目的があって戦ってるんだから。むしろ私達にいろいろ情報くれただけで感謝しないと。ね?』
『でもぉ……』
『でもじゃないの。イリスさんだって強いんだから、生きてればそのうち会えるでしょ』
本当のところ、にーとちゃんに彼氏(?)ができるなら自分のような人間がいいと思っていた。
こやつは甘やかせば甘やかすほど増長する社会不適合者なので、アメとムチを使い分けないとすぐ見るもおぞましいモンスターになってしまう。
自惚れめいたことを言っている自覚はあるけど、私だって伊達に長い付き合いしていないのだ。
たぶん自分が、世界でいちばんこの女の扱い方を心得ている。
そしてそのことが、実はちょっぴり誇らしい。
なんだかんだ言いつつも、にーとちゃんのいない世界なんか考えられないのが私だ。
だからにーとちゃんのためなら何だってできるし、自分だけ生き残ろうなんて気は微塵も起こらない。
『分かったらしゃんとする。にーとちゃんがメソメソしてたら空気も暗くなるし、みんな迷惑なんだよ』
『め、迷惑だなんてひどい……。ロキくんはそんなこと言わなかったもん』
『少なくとも私は迷惑なの。あんまり振り回すようだとほっぽり出してどっか行っちゃうよ』
自分で言うのもなんだが、私は社交的な性格をした人間だ。
だから友達も多いし、会社でだって上々の評価を受けていた。
何故か浮いた話だけはとんとなかったけど、それでも頑張ればいくらでもありつけたと自負している。
でもそうしなかったのは、この子と過ごす時間で十分だったからだ。
成人しても何も変わらない、むしろ社会の過酷さを知ってパワーアップしてる節さえある。
空前絶後のろくでなし。人の気持ちがわからないし、誰かの不幸を手叩いて笑えるクズ人間。
将来性ゼロ、倫理観ゼロ。あるのは顔の可愛さと、ごくごくたまに見せる健気な一面くらいのもの。
『うぅー……。ことちゃんがどっか行っちゃったら困るよぅ、わたし……』
私は、神寂祓葉も煌星満天も、そう逸脱した存在とは思えていない。
たぶんそれは、狂信者の宿痾というやつなのだろう。
だけど、じゃあにーとちゃんのことをそんな大仰な傑物と捉えているかというとそれも違った。
だってよく考えてみてほしい。
これを見てそんなこと思える?
こいつ二十四歳だぞ。あと無職。
二十超えて平気で人前で泣くし駄々こねるし、女子高生に殴られかけて本気でビビるなんか小さくて憎たらしいやつ。
わざわざ言わないけど、ロキが彼女をああだこうだと礼賛するのを見るとこいつ単に眼鏡の曇った馬鹿なんじゃないのかと思ってしまう。
なのに私がにーとちゃんを星だと信じられているのは、ひとえにあの流星群を見たからだ。
『はいはい。どこにも行かないから、あんまり私を困らせないこと。わかった?』
『…………わかった』
『よろしい。わかったならさっさと満天ちゃんへの謝罪文を考える作業に戻りなさい』
『え゛っ。や、わたしもうあの子とは会いたくないんだけど……キレるとすぐ手出そうとする若者とか怖いし、正直もう関わりたくな』
『な・ん・か・言・っ・た? まさかとは思うけど、ケツ拭くのまで私に任そうとしてるわけじゃないよね? え?』
『ひゅえっ……か、考える考える。じゃんじゃんばりばり考えるよ~、やだなあことちゃんさん、ちょっとした冗談じゃないですか……えへへ……』
実感はないが、認めざるを得ない。
にーとちゃんには、私の常識を超えた何かがある。
幼気のままに、この世の常識をねじ伏せる力。あるいは素質。
ロキはそれを月に喩えた。なら、きっとそう称するべきなのだろう。
ローマ皇帝カリギュラは、月の女神ディアーナに愛されて狂気に囚われた。
月は狂気の象徴で、精神疾患の浮き沈みや犯罪件数が月齢の進行に影響を受けてるなんて話は語り草だ。
だとすると、私ももうとっくに狂わされているのかもしれない。
あのちいさな山の天辺で極天の流星雨を見た日から、とっくに。
――ああ、それでも。
――たとえ、この道が世界(だれか)にとっての悪だとしても。
――それでも、私は――
『……あれ、そういえば』
『私って、いつ、にーとちゃんと友達になったんだっけ……?』
◇◇
煌星満天のライブが終わって数時間。
伏魔殿の女達は、最高の拠点と思われた高層ホテルを後にしていた。
理由はひとつ、新宿からこの渋谷に雪崩込んできた大寒波である。
これを季節外れの異常気象だねえ、とぽやぽやした感想で片付けられるのは仁杜くらいのもの。
どう考えてもサーヴァントの仕業だし、厄介なのはこのまま災害ごと南下してきた場合だ。
なまじ高層階に部屋を取っているので、もし到達してしまえば崩落の危険と隣り合わせになる。
ほとぼりが冷めるまではむしろ外にいた方が安全だ、と判断するに至った。
「ふえーん……わたしのお城……。なんかさっきから踏んだり蹴ったりだよぅ……」
「お城じゃなくてホテルね。落ち着いたらいつでも戻れるんだから我慢しなさい、大人なんだから」
無論、北欧の大幻術師(キャスター)たるロキに拠点の補強を頼む選択肢はあった。
というか、彼は最初からやっていた。幾十層にもなる強度な幻術の防御により、仁杜の城は十分すぎるほど要塞化されていたのだ。
ロキはひけらかさなかったが、具体的には対城宝具の直撃でも一度二度なら耐えられる強度である。並の英霊では文字通り太刀打ちできなかったに違いない。
なのに彼が小都音の提案――ホテルから一度離れようという話に頷いた理由はひとつ。
不足、とみなしたからだ。所詮穴熊とは負け犬の陣形、崩されれば全員で心中するしかない籠城戦法。
土地食いの蝗や神寂祓葉のような規格外の存在が多くいるこの都市では最も脆い陣形と言っていい。
少なくともロキはそう考えた。
一切の油断なく、最大の安全策で足元を掬われるのを防ぐ。
他人の失態を嗤うのが存在意義の奇術王は、逆に嗤われることを最も嫌う。
仁杜は最後まで豪華で安全なお城(ホテル)を出るのに不満たらたらだったが、小都音の言う通りいつでも戻れるのだから特に惜しむ意味もない。
「薊美ちゃんからの連絡は?」
「……今のところはまだ。もしかしたら戦闘に巻き込まれてるのかもね」
現在、小都音達は薊美と別れて行動していた。
楪依里朱の離脱に際してひと騒動起こした彼女は、渋谷への寒波流入を聞きつけるなり偵察役を買って出たのである。
「だといいね。あの子は不穏分子だからな、最悪もっと良からぬことをやらかしかねない」
「ロキくん、そんな言い方……」
「ごめんよ。けど俺は君のサーヴァントで、この陣営の屋台骨だからな。その辺のメリハリは付けないとさ」
仁杜の指摘通りあんまりな言い草だったが、これに関しては小都音も同意見だ。
伊原薊美は化けてしまった。ただの少女ではなくなり、魔女に手傷を与えるほどの油断ならない"魔術師"に変貌を遂げた。
こちらに配慮する気など微塵もないのだろう彼女のことを信用し続けていいかは極めて微妙なラインにある。
仁杜の手前口には出さないものの、いざとなれば"切る"ことも大真面目に視野に入れ始めていた。
無論直接的にではないにしろ、距離を取るくらいは必要になってくるかもしれない。
(もしかしたら、いい仲間になれるかもと思ったんだけどな……)
小都音は仁杜と違い、人の気持ちがわかる人間だ。
相手の立場に立って物事を考え、推測することができる。
薊美が化ける前、最後に会話を交わしたのは恐らく自分。
であればややもすると、引き金を引いてしまったのは己なのかもしれない。
燻る茨姫に火を点け、あの少女を虚構(フィクション)の王子に近付けてしまった。
なら陣営を指揮する身として、いざとなったら責任を取る覚悟はある。
トバルカインを投入し、茨の王子を討ち取る覚悟が。
とはいえ、なるべくならそんなことはしたくない。
仁杜が親愛を寄せる相手を手にかけ、それで彼女が泣く姿は見たくなかった。
なのでこれが杞憂であるように祈りつつ、静かに先頭を歩いていく。
「セイバー、どう? 何かそれっぽい気配はある?」
「……あるっちゃあるんだが」
その隣に侍る褐色の殺人鬼(カイン)は、難しい顔で呟いた。
煮え切らない返事に、思わず足を止める小都音。
「なんつーか、妙だ。何考えてるんだかよくわからん」
「んー、同感だね。殺気の類は感じないけど」
眉根を寄せるトバルカインに、ロキまでもが同意する。
回路を外付けされただけのなんちゃって魔術師な小都音や仁杜は、感知方面に関してはからっきしだ。
なので彼らの判断に頼るしかないのだが、それが揃ってこう怪訝な反応となると困ってしまう。
「……どういうこと?」
「手短に言うぞ」
またぞろ面倒事の気配でも察知したのか、若干嫌そうなニュアンスを声音に乗せて。
「楪依里朱がこの先にいる。しかも動く気配がねえ、どうも私らを待ってるみたいだ」
ただでさえ見通しの怪しい現状を更に混迷化させる、よくわからないことを報告した。
◇◇
街はにわかに揺れている。
新宿を発端とした大災が、隣接するこの区にまで文字通り雪崩込んできたからだ。
が、平和な街が戦禍に蹂躙されることに胸を痛めるのはあまりに今更。
渋谷も既に、蝗害と奇術王の小競り合いによって蹂躙されて久しい。
言うなればとうに恐怖の都。死が吹き荒れたその跡地。
次の最前線と化すことが確定した街の一角にて、黒白の魔女は佇んでいた。
目を閉じれば脳裏に過ぎるのは、先の邂逅で叩きつけられた言葉の数々。
決して激しい問答ではなかったが、それでも下手な悪罵より心を貫く諫言だったことには違いない。
――君はどうして新宿に来なかったんだ? 他の奴らは全員揃ってたのに。
簡単だ。新宿が火薬庫になるのは見えていたし、その規模は想像を超える可能性があった。
ただでさえ兆候があったところにあの女まで乱入するとなれば、いよいよもって誰にも収拾は付けられない。
一都市が混乱と暴動で壊滅状態に陥る程度の被害で済んだことは、魔女に言わせれば奇跡に等しかった。
イリスが想定していた結末は新宿そのものの物理的崩壊、並びに現状の最低でも十倍以上の人命喪失だ。進んで飛び込みたい戦端ではない。
それに、祓葉との邂逅は昼の内に済ませている。
アレに挑むとなれば相応の準備が要るし、単に今はまだ頃合いではないと判断しただけ。
アギリに伝えた答えは決して嘘ではない。が、真実でもなかった。
――君、本当はもう、見つけてるんじゃないのか?
ギリ、という音がした。
砕けんばかりに噛み締めた奥歯が痛む。
つくづく不愉快な時間だったと思う。あんな思いをするくらいなら、やはり昨日殺しておくべきだったか。
『イリス。思うにこの都市で真に純粋なのは、祓葉とお前だけだ』
知らぬ誰かの声がする。
いいや、自分はこの声を知っている。
とうに袂を分かった相棒だ。
主に勝利を運ぶことすらできなかった無能な英霊。
その真価を究極まで引き出せる土地に恵まれておきながら、王冠に至れなかった落伍者。
ならば今更囀るなと嗤いたい気分だったが、死人に声は届かない。
座に還った英霊はただの死人。それに感情を費やすのは、即ちただの独り相撲だ。
『聖杯を諦めろ。願いを捨てて、祓葉と共に東京を出るんだ。
殿(しんがり)は俺が務める。お前が一言命じさえすれば、俺はお前達のすべてを守ると誓う』
少し昔の話をしよう。
〈はじまりの聖杯戦争〉にて掲げられた聖杯は、出自からして幾つも疑問符が付く代物だった。
聖堂協会が保有するというだけで、そこに如何なる由緒があったのかは今時点でも判然としていない。
その聖杯はかつて行われた冬木の聖杯戦争と違い、召喚する英霊の出自や真名に一切の制約が存在していなかった。
ノクト・サムスタンプがハサン・サッバーハを召喚したのは稀有な偶然。
かの傭兵が持つ縁が、極限の自由度の中でさえ暗殺教団の一頁と合致しただけのこと。
証拠として楪依里朱は、冬木では呼び出されることのなかった東洋の英霊を召喚するに至った。
クラスは最優(セイバー)。
もうひとつの適性は、最悪(バーサーカー)。
『たとえ五臓六腑を引き出され、首と胴が泣き別れになろうとも、我が国を守るようにお前達を護ろう。
神の風は常に俺へ吹く。北条の名においてその純真を慈しみ、すべてを捧げて玉砕するともさ』
真名、北条時宗。
北条家第8代執権にして、二度の元寇から祖国を防衛した武士の中の武士。
彼は技でなく心で剣を振るう。故にその剣は岩を斬り、信義に仇成すなら神も斬る。
〈はじまり〉の番狂わせの一位は祓葉だが、二位があるなら彼であったことに異議を唱える者は居まい。
『お前達はこんな戦場なんかじゃなく、平凡な世界で幸せになるべきだ』
信義のためなら、どれだけだって限界を超えられる男だった。
阿修羅を斬り、賢者を斬り、暗殺者の奸計を力一つで破綻させ。
鬼と果たし合い、愉快犯を毅然と説き伏せられる英傑だった。
純粋なステータスでは推し測れない、底力と呼ぶべき熱を持つ英霊であった。
『星を見に行くんだ。祓葉と共に少女へ戻れ。お前だけがそれを許されている。お前以外の誰にも、同じことはできないんだ』
この話を、イリスは他の誰にもしたことがないが。
彼だけは、最後の最後まで祓葉をひとりの子女として扱っていた。
誰もが匙を投げ、或いは魅了される美しきバッドエンドを良しとせず。
大団円(ハッピーエンド)以外認めぬと、彼なりの武士道を貫いたのだ。
これぞ星と、誰かが呼んだ。
これぞ悪と、誰かが呼んだ。
それでも、最後まで。
他ならぬ祓葉の光剣に斬り伏せられて尚。
お前は救われるべき童だと、得意の鬼気を見せることのなかった負け犬。
「――うるさいよ」
イリスは、武士の生き様を否定する。
世迷言を吐き散らすだけの男の言葉に力などない。
修羅を斬り。神を斬り。それでも空の彼方の太陽は斬れなかった。
なら大仰なことを吐くなと、唾のひとつも吐き捨てたくなる。
いちばん長く隣にいた自分だからこそ分かるのだ。
アレは、もはや救えるモノではない。
自ら考え感じて、情動(ココロ)のままに活動する制御不能の核爆弾。
そんな生き物に、どうやって救いの手など差し伸べればいいというのか?
「知った風な口利くなよ…………馬鹿。もう、どこにもいないくせに」
部屋の隅で体育座りしながら放つような言葉さえ、今は平然と立ちながら零すしかない。
狂気は弱さを認めない。殺せ殺せと、こうしている今も喧しく脳裏の奥で喚き散らしている。
この世に星はひとつきり。なら撃ち落とせ、我が〈未練〉に決着をつけるのだと。
――自分でもそれが正しいと分かっているのに、瞳を閉じれば過ぎる影がもうひとつ。
「……いーちゃん?」
自問する。
なんで私は、こっちに来てしまったのだろう。
言い訳なら思いつく。
手近な位置にいる"協力者"と、最悪虱潰しの必要がある"宿敵"なら前者を選ぶのは必然だ。
でも、言い訳はどこまで行っても言い訳。
確かなことは、自分が踵を返したこと。
もうひとつの星を、一時とはいえ本物の極星よりも重んじてしまったこと。
「ねえ、なんで何も言わずに行っちゃったの?
心配したんだよ、もう……ほら、はやくホテルに帰ろ?」
嚇炎の悪鬼は正しかった。
黒白の魔女もまた、とうに絆されている。
腑抜けているのだ。
だから差し伸べられたちいさな手のひらを、塵屑と断じ切り捨てることができない。
「行くわけないでしょ。私には私の戦いがあるの。あんたみたいなクズとは違ってね」
我ながら、憚りもなくなんて矛盾を嘯いているのだろうと失笑した。
なら何故、アギリの諫言に背いてまで踵を返したのか。
袂を分かった筈の月を待ち、忠告などしにきてやったのか。
「そもそも仲良しこよしに付き合うなんて話は最初からなかった。
アレは同盟じゃなくて不可侵条約。私はあんたらを襲わない、代わりに都合がよければ利用する。
あのホテルに一時滞在したのは、単に腹の傷がマシになるまでの休息でしかない。悪いことしたみたいに言われる筋合いはない」
すらすらと、まるで台本でもあるかのように溢れてくる言葉。
イリスは弱者が嫌いだ。力もないのにらしい言い訳を並べることだけ得意な連中のことを、男女問わず唾棄している。
だが、では今の自分は一体何なのか。
取り返しのつかないほど壊れた魂に砂糖水を回しかけられて、粘つき錆びついた魔女の心胆を。
あの手この手で誤魔化して、自他すべてを騙そうとしている――それが今の楪依里朱ではないのか。
「……じゃあ、なんで待っててくれたの?」
「それは……」
仁杜はそんなイリスの心情など知りもせず、こてんと小首を傾げて問うてくる。
だがそれも当然の疑問。
今の言い訳が真実ならば、ここにイリスがいるのは矛盾している。
イリスは強いのだ。
〈蝗害〉を従える彼女は、誇張抜きに万軍に匹敵する力を持つ。
それこそこの魔女が新宿決戦に介入していたなら、倍以上は破滅的な被害が叩き出されたろう。
なのにどういうわけかイリスはこんなところで自分達が来るのを待っていて、そこのところがどうにも分からない。
「あんた達に死なれたら困るからよ」
返答は端的。
されど、嘘ではない。
「今この渋谷には、赤坂亜切がいる。
私達の中でもとびきりタチの悪い殺人鬼。挙句そんな変態が、私の蝗やあんたのロキに匹敵する怪物を連れてるの」
天枷仁杜の陣営は、イリスが知る限り針音都市最大の怪物集団だ。
薊美らの姿が見えないのを含めても、ロキとトバルカインだけで十分すぎるほど凶悪無比。
〈はじまりの聖杯戦争〉にさえ、ここまで純粋に強大な勢力は存在しなかった。
その上、仁杜は〈恒星の資格者〉。未だ謎は多いが、ともすれば埒外の兵器として利用できる可能性を秘めた金卵である。
「真名はスカディ。スリュムヘイムの花嫁よ。そっちの歴オタなら知ってるんじゃない?」
水を向けられた小都音は露骨に顔を顰めた。
「って言ってるけど――ことちゃん、知ってる?」
「……肉親を殺されたことにブチ切れてアースガルドに乗り込むゴリゴリの武闘派。
父の死の原因になったロキが馬鹿みたいな芸をして、それでようやく怒りを宥めたって話だよ」
「えっ……。ろ、ロキくんったらそんな情けないことを……?」
「やってないやってない。別人別人。マジで別人だから。俺そういう下品なことメッチャ嫌いだから」
信じられないものを見るような目を向けてくる仁杜に、ロキは首をもげそうなくらい横に振って否定している。過去一必死の形相だった。
実際ロキはロキでも彼に煮え湯を飲まされた方のロキなので、否定するのは正しい。
ちなみにアースガルドのロキがスカディに披露した芸は、自分の陰嚢を山羊の髭と繋いで綱引きをするというものである。
かのトリックスターをそれだけ必死な機嫌取りに奔走させるほどには、巨人女神の進軍は誇り高き神々の背筋を寒からしめたようだ。
「アギリはこの区でスカディの宝具を開帳するつもり。
あんた達、新宿の異常気象がこっちに流れてきたもんだから慌てて出てきたんでしょ?」
進撃の余波程度に撒き散らされた分でさえ、交通がほぼ完全に麻痺するほどの被害が出ている。
では彼らが本気で館の門を開き、スリュムヘイムの再現をやったらどうなる?
答えは明快、現代の生物は一匹たりとも生存できない。
マイナス数十度の極寒と台風級の吹雪が絶えず吹き荒ぶ魔境がこの地に再現される。
一度矛を交えているイリスでさえ、実のところあの女神の全力を見たわけではないのだ。
限界を知らない悪鬼と、際限なき力を持つ女神。
彼らが織りなす本物の地獄が一体どれほど熾烈なのか、黒白の魔女をして想像がつかなかった。
「悪いこと言わないから、このまま拠点を放棄して逃げなさい。じゃないと取り返しのつかないことになる」
あるいはウートガルザ・ロキならば、スカディの全力とさえ拮抗以上の勝負を演じてみせるかもしれない。
だが勝ったとしても失うものは大きすぎる。
仁杜や小都音が無事で済む保証はないし、漁夫の利を狙う輩も当然現れるだろう。
「……それを、わたしたちに教えに来てくれたの?」
「あのね」
きょとんとした目をする仁杜に、苛立ったようにイリスは爪先を鳴らした。
「勘違いしないで。不本意な形とはいえ、私にとってもあんた達は身銭切って作ったコネクションなの。
無駄死にされたら困るし、使ってやった時間が無駄になる。リスクヘッジは当然でしょ」
そう、それだけだ。
そういうことにして、後はもう振り返らないと決めた。
伝えるべきことは伝えたので、次は祓葉を探しに行く。
ともすればそこが自分にとっての最終局面になるかもしれないが、だからどうしたというのか。
祓葉こそが運命なのだ。
であれば、運命の超克なくして自分に先はない。
故に彼女にとっても神への挑戦はひとつの聖戦。
静かに覚悟を決め、今の今まで抱いていた煩悶を忘却すると誓ったイリスだったが。
「つ……」
仁杜はややぽかんとした後、目を輝かせて。
「ツンデレだ~~~!!!」
何やらわけのわからないことを声高に喚き、きゃっきゃと一人騒ぎを始めた。
「……、……は……?」
「ねえねえことちゃんロキくんセイバーちゃん、聞いた? 聞いた? 今の聞いた~!?
生の"勘違いしないでよね!"とかはじめて聞いたんだけど! うへへへ! リアルJKのツンデレムーブ効っくぅ……!!」
「…………、…………」
ニヤけるロキ。目を逸らすトバルカイン。
高天小都音は仁杜とイリスの方を交互に見ながら、脂汗を浮かべて顔を青くしている。
「確かに聞いたよ。常々思ってたが、だいぶ属性が渋滞起こしてるよな彼女。
激重メンヘラツンデレ魔女っ子で百合趣味って、今日び同人誌でもそう見ないんじゃないの」
「私は知らん。つーか話振ってくんな、バカがうつる」
「おバカ!! ほら早く謝んなさい!!! なんでいい話で纏まりそうなところに爆弾ブチ込むのよあんたは!!!!!!!1」
イリスは俯きながら、わなわなと震えていた。
爆発寸前の活火山を思わす不穏な気配に、トバルカインはさりげなく小都音の前へ立つ。
あくまで小都音の前であって、仁杜のことはまったく眼中に入れていない。
自業自得である。いっそ一回手ごねハンバーグになっちまった方がいいだろと、原初の刀鍛冶はけっこう本気でそう思ってた。
「……いい度胸じゃない……」
こめかみに浮かぶ青筋。
ただ顔は不思議と笑顔だった。
一部の動物は威嚇の手段として笑顔を浮かべるというが、人間もキレすぎると一周回ってにこやかになるらしい。
「オッケー、お望み通りグチャグチャにしてあげるわ。
串刺しにしてスカディのところに持ってったら喜ぶでしょうね、何しろ狩りの女神だもん」
「……あ、あれ? いーちゃんさん? なんで白黒のやつ出してるの?」
「うん? だって強めに当たられるのが好みなんでしょ"にーとちゃん"は。だったら期待に沿えると思って」
「あっあっあっ……! なんか触手みたいなのが伸びてきたよぉ~~っ!?」
馬鹿正直にアギリの言葉を真に受けていた自分が心底阿呆らしい。
この女にその手の感情を抱かされたのは二度目である。
これが〈恒星の資格者〉、祓葉の域に至り得る存在だなんて何の冗談か。
こんな生き物に聖性を見出すやつがいるならそいつもただの馬鹿だ。
すべては間違い、勘違い。適度にボコってさっさと祓葉を探しに行こうそうしよう。
張り詰めた空気はどこへやら。いざ妄言の報いを"わからせ"ようとにじり寄るイリスに、尻餅をついた仁杜が後ずさりしていく。
「あ――」
そこで、不意に仁杜が固まった。
「えっ、あれ……誰?」
何を古典的なことを。
振り向くのも馬鹿らしい、改めて魔女は嘆息する。
しかしそこで、小都音やロキ、トバルカインさえ同じ方を向いているのに気付いた。
自分の後ろ。視線の向き的に、十メートル程度は後方だろうか。
仕方なく足を止め、振り返って――すぐにイリスもそうなった。
「あれ? イリスじゃん。やっほー、昼間ぶりだね」
「は?」
賑やかな空気に吸い寄せられたように。
英霊も伴わず、ぽてぽてと歩いてきた白いなにか。
それは、少女のカタチをしていた。
とても美しい、生娘の姿を持っていた。
〈神〉が、そこにいた。
◇◇
「――セイバー!」
叫んだのは小都音だ。
私達を守ってと、彼女はそう命じたつもりだった。
なぜなら小都音は既に神寂祓葉を知っている。
都市の極星に魅入られてはいなくとも、それがどういう生き物かを最前席で目の当たりにしている。
楪依里朱に伊原薊美。
危険人物と呼べる相手には事欠かない時間を過ごしてきたが、これに比べれば彼女達など童女に等しい。
「……もちろんそのつもりだ。けど、アイツもなんかおかしくねえか?」
そう、思ったのだが――トバルカインの返事は怪訝。
言われて目を凝らすが、小都音には言わんとすることがさっぱり分からない。
艷やかな白髪。小柄だが豊かなプロポーション。愛嬌のある顔立ちに、一度視界に入れてしまったらもう排除できない存在感。
すべてあの時のままだ。そのように見える。少なくとも、只人の視点では。
「おいロキ。どう見る」
「同感だね。誰がやったのか知らないが大したもんだよ。嬉しくもあり、残念でもあり……ってとこかな」
トバルカインとロキ、二騎のサーヴァントは暴いていた。
神寂祓葉、〈この世界の神〉に起こったひとつの変化を認めている。
小都音は相変わらずさっぱり知覚できていなかったが、ふたりの反応を見てある可能性が脳裏を過ぎった。
(まさか――)
そんなことが、あり得るのか。
いや、あり得たとしたら。
それを成した"誰か"がいたとしたら――確かにロキの言う通り大したものだ。大した偉業だ。ともすれば、世界を救うほどの。
(弱く、なってる?)
神寂祓葉を堕とすなど。
太陽を、冷却させるなど。
一体この世の誰に、可能だというのか。
「おい、ふざけんなよお前」
動揺と硬直。
二種の反応に満たされた空間で、最も早く行動したのは黒白の魔女だった。
足元から激流のように沸き立った二色の色彩が、一本の剣を描いて祓葉に飛来する。
祓葉はそれを、片手に生み出した光剣で打ち落としたが。
その行動自体、元の彼女を知る者からすれば不可解だ。
不死であり不滅である彼女は、本来こんな攻撃防ぐ必要さえない筈なのだから。
「あんた舐めてんの?
そんなザマに成り果てて、何をのこのこ私の前に現れてんのよ」
仁杜とのプロレスで浮かべていた憤激など及ぶべくもない。
この時イリスは、英霊でさえ慄然とするほど激しい怒りを以って堕ちた神を睥睨していた。
「説明して。
できないのならここで殺す。欠片も残さず踏み躙って、この世界から消してやる」
〈はじまりの六人〉は祓葉に殺され、祓葉に生かされた生命体。
よって彼らは神の気配に敏感で、誰より鋭敏にそれを察知する。
なのにイリスが、事ここに至るまで極星の接近に気付けなかった理由。
それは、あまりに気配が弱かったから。誰よりも身近で神の鼓動を感じ続けた魔女にすれば、無に等しいほど弱まった脈拍であったから。
かつてと比べ物にならないくらい不安定な輝きは、神の肖像を脳裏に焼き付けた狂人の認識をあっさりすり抜けたのだ。
これが祓葉である筈がないと、本能が理性に先立って判断し、黙殺を選んだ。
「誰がそうした? 何があったの? 何をどうしたらあんたがそうなるのよ。答えなさいよ、ねえ……!」
「――ジャック先生を殺したの」
返ってきた答えに、イリスが一転して固まる。
嚇炎の悪鬼から聞かされた、暴君の崩御。
点と点が繋がる。あの老人がタダで死ぬとは思わなかったが、まさか。
「勝ったには勝ったんだけどね、先生のサーヴァントにグサッとやられちゃってさ」
「ッ……!」
――ここまでやるか、蛇杖堂寂句!
アギリが警戒した、遺命を背負った忘れ形見。
あの悪鬼がそれほど執着するのはイリスとしても不可解だった。
が、件の英霊が"太陽を落とした下手人"なのだとすれば話は通る。
彼に限らず、〈はじまり〉の残骸なら誰だってそうした筈だ。無論、イリスも。
(ライダー)
(あいよ)
霊体化させ待機させている虫螻の王に、激情を押し殺した低い声で念話を飛ばす。
(これが済んだら、私達も残党狩りに出かけるよ。久々に好きなだけ喰わせてあげる)
怒りが沸騰し、今にも穴という穴から噴血しそうだ。
自分の与り知らないところで星が穢され、あまつさえその下手人が今ものうのうと生き残っていることに殺意が止まらない。
殺す。当人もいるのなら協力者も、一人残らず纏めて蝗の餌にすると決めた。
(そりゃあ景気がよくて宜しいが、エラいトサカに来てんなぁオイ。
別にいいんじゃねえの? 殺してえ相手が勝手に弱くなってくれたんだ。むしろ感謝すべきだろ)
(それは――)
つくづく癪に障る奴だと思うが、彼らの言うことももっともだ。
祓葉打倒の最大の障害は不滅。そこの前提条件が緩和されたなら、悲願成就のハードルは一気に下がる。
矛盾。イリス自身も自覚している、狂人特有の病痾。
(ま、俺達はなんでもいいがね。腹が膨れりゃハッピーだ)
シストセルカの複眼、この場にいるだけでも数万対を超える眼差しが、霊体のまま祓葉を観察する。
ロキやトバルカインが抱いた違和感の正体を、虫螻の王はこう看破した。
単純に、生命力の低下。心臓から溢れ全身に共有されるエネルギーの総量が、半分程度にまで低下している。
(で、どうすんのよ。コイツここで殺しちまうのか?)
これをあの老人がやったというのなら、なるほど確かに大したものだ。
イリスの命令に背けばまた大目玉を食らうので勝手な行動は控えているが、今の彼女なら総軍を用いるまでもなく食い殺せるだろう。
不死を剥奪された現人神は丸裸。都市の全員から狙われる、頭の悪い標的に堕した。
それを踏まえての確認だったが、イリスは答えない。
飛蝗の問いに沈黙を返しながら、祓葉を睨む眦に力を込めた。
「……自業自得ね。で、そのあんたがなんでこんなところを彷徨いてんの」
「え? あ、うーん……特に理由はないけど、怒られるためだけにヨハンのとこに帰るのもなんだし」
ただでさえ悪い機嫌を逆撫でされ、思わず舌打ちが漏れる。
そう、こいつは昔からこうなのだ。こういう生き物なのだ。
どんなピンチに置かれようと、まったくブレることがない。
「ほら、私って馬鹿だからさ。イリスも知ってるでしょ?」
たはは、と笑う祓葉には、自分が言葉のメスを振るっている自覚もないのだろう。
確かにイリスは知っている。誰より祓葉を知っているイリスは、彼女がお灸を据えられて懲りるタイプの馬鹿でないことも承知している。
なのにわざわざ不要な詰問をしたのは、魔女がそれだけ揺れているからに他ならない。
祓葉の零落に。
アギリの言葉に。
そして、自分達のやり取りを不思議そうな顔で見つめるもうひとつの星の存在に。
振り子のように忙しなく、黒白の魔女は揺れ続けている。
「ところで、ものは相談なんだけど……」
時に。
皮肉なことに、月と太陽には共通点があった。
「こんなになっちゃったからさ、流石に身の振り方考えなきゃなーって思ってて。
私だけじゃノクトとかハリーと渡り合うとかできない気がするんだよね。
ヨハンもこっち来てからはいつにもまして引きこもりだし、となるといろいろ大変で」
彼女達は、そこにいるだけでいたずらに他者を惹きつける。
善意。悪意。信仰に嫌悪。恒星達は人心を誘う誘蛾灯だ。
現在確認されている資格者は祓葉含めて五人。
天使・悪魔・救済機構が成長型の星である一方、太陽と月は最初から完成度が抜きん出て高い。
言うなれば天才型の星。それが祓葉と、天枷仁杜なのだ。
彼女達は労苦なく輝きを恣にする恒星であり、故に迷いとか悩みと縁がない。
恵まれた成功者の多数に共通で見られる悪癖。それは――
「ねえ、もっかい私と組まない?」
人の気持ちがわからない。
それを言われた側がどう思うのか考えるには、彼女達の視座は高すぎる。
「私とイリスなら、どんな相手だってものの敵じゃないよ」
「……、……」
「喧嘩は昼間に済ませたし、もうそろそろ仲直りしない?
私達で勝ち上がって、最後のふたりになったら今度こそ恨みっこなしで正々堂々。
ヨハンは呆れるだろうけど、きっと許してくれると思うんだ。あの子もなんだかんだイリスのことは信頼してたしさ」
「――あんたってさ、祓葉」
ため息をひとつ。
構成物質は呆れと失望、そして哀れみをひとつまみ。
「本当に、変わんないね」
刹那、白黒の色彩が爆発的に地面を満たしていく。
まるで昼間の喫茶店の再演のような流れと光景。
ただし、今の魔女が発露させる殺意はかつての比でなかった。
本当に、変わらない。
あの頃のままだ、こいつは。
じゃあ、私は?
こいつに置いていかれた私だけが、見苦しく知らない何かに変わっていくのか。
「別れ際に言ったよね。"次は殺す"って」
そんな煩悶も、こいつはきっと知る由もないのだ。
憎たらしい。愛おしい。殺したいくらい愛してる。
狂人達の世界において、殺意と愛は常に表裏一体。
神を堕とした暴君さえ、祓葉を畏れる一方で孫に向けるような愛情を最後まで捨て切れなかった。
「私はさ、幸せになれないの」
自分も同じだ。
命を奪われた挙句人形のように使われて、それでもまだ縛られている。
「あんたがいると、どこにも行けない」
世界は進んでいくのに、魔女(わたし)はあの思い出から動けない。
自分も前に進めばいいだけだと分かっているのに、背中の〈いつか〉が呪わしいほど名残惜しくて。
まるで板挟みだ。ひどく苦しいし腹が立つ。それをどうにかできる手段が、目の前にある。
なら答えはひとつだった。
ここで決着を着ける。
過去も現在もすべて終わらせて、今度こそあの日の青春に幕を引こう。
「死ね、祓葉。私の〈未練(しんゆう)〉」
シストセルカ・グレガリア、出撃準備完了。
並びに色間魔術の"極峰"も展開準備完了。
正真正銘、昼間の一幕など及びもつかない全身全霊。
それを以って神を殺す。かつて確かに、半身だった親友を。
「はいそこまで」
一触即発。
魔女は殺意を爆裂させんとし、神は困ったような顔で光剣を握る。
そんな修羅場に割り込む、嘲笑うように軽薄な声があった。
「この時代じゃ女同士の間に挟まると血を見るらしいが、あいにく痴話喧嘩の類に興味はなくてね」
ホスト風の装いに身を包んだ金髪の美青年が、ふたりの間にすいと躍り出る。
そのまま有無を言わさず手を叩いた。
ぱん。魔を祓う柏手の音が夜暗に響き、それを合図に展開された白黒が塗り替えられていく。
「それに、現人神に用があるのは君だけじゃないんだ。
俺達としても待ちに待った遭遇なんでね、悪いがこっちの都合を優先してもらう」
ぽん。ぽんぽんぽんぽんぽん。
咲き乱れる花畑。どこからともなく飛んでくる色とりどりの蝶々達。
モンシロチョウにモンキチョウ、モルフォチョウにアレキサンドラトリバネアゲハ。
国籍不問、メルヘンチックな鱗翅目のワンダーランド。
「平和に行こう。俺のお姫さまに血なまぐさいのは似合わない」
最後に白いテーブルと座椅子を用立てたら、戦火の兆しは排除完了。
欠伸が出そうなほど牧歌的な、星々のお茶会(ティーパーティー)の舞台が整えられる。
「ああ、君も混ざっていいよ魔女っ子。見た感じ、その方が面白くなりそうだから」
用意された椅子は三人分だった。
カップも同数。湯気を立てるローズヒップティーを、案内人は手際よく人数分注いでいく。
最後にバスケットを置き、指パッチンひとつで焼きたてのクッキーを溢れさせれば出来上がり。
「邪魔してもいいが、その時は俺が責任持ってそれを邪魔しよう。覚悟があるならご自由に。ないなら着席するといい」
ぽかんと口を開けた祓葉。あと仁杜。
射殺さんばかりの眼光で道化を睨むイリス。
役者は三人。太陽と、月と、星に呪われた魔女。
――――こうして、順序も段取りも全部無視した、深夜四時のティーパーティーがはじまった。
◇◇
「え~! そんなおっかないサーヴァントがいたの!? よく勝てたねそんなの……!?」
「いやあ、ほんとに大変だったんだよ?
私達もアギリと一緒にああでもないこうでもないってたくさん考えたんだけど、ケイローン先生ったら全部後出しジャンケンみたいに破ってきてさ。
で、計画の穴を指摘されたアギリとヨハンがまとめてマジ切れしちゃって! そしたら天井からずごーーん!!って阿修羅王が降ってきて!! もうしっちゃかめっちゃかになっちゃったんだから!!」
「うわー……。祓葉ちゃんもいーちゃんも苦労人なんだねぇ。わたしだったらもうヤんなっておうち帰っちゃうよ……」
出鼻を挫かれたイリスは、顰めっ面で紅茶を啜りながらふたりのやり取りを見ていた。
薄々思っていたことがある。神寂祓葉と天枷仁杜。このふたり、恐らく相性がいい。
腹が立つので深くは考えなかったが、やはり予想は正しかったようだ。
最初こそ探り探りのトークだったものの、そこはコミュ力の化身な祓葉。
持ち前の人懐っこさでぶん回し、好意を向けられるとすぐデレデレになる仁杜もすぐさまそれに乗っかり。
後はこの通り、きゃいきゃいきゃぴきゃぴと極めて知能指数が低い女子会が続いていた。
イリスからすると、どうしてこうなった、としか言いようのない光景である。
ちなみにネットミームであることは知った上で使っている。イリスは結構そっち方面の文化に詳しいため。
「そうだよー。私は普通にしてるつもりなんだけど、とにかくみんなに怒られるし狙われるし。こんなんでも祓葉は結構苦労してるんです」
「まぁねぇ。ネット上でもメンヘラ地雷系全開ないーちゃんとリアルでずっと一緒と考えると……苦労が偲ばれますなぁ」
「イリスっていっつもちょっと怒ってるからね」
「わかる。大体眉間に皺寄ってるか、そうでなくても怒り眉だもん。もうそういう顔なのかなって思ってる」
「誰のせいだと思ってんだお前ら」
紅茶が旨いのが余計に神経を逆撫でする。
本当なら、こんな茶番は文字通り武力でぶち壊してしまいたいところだ。
が、この茶会の発起人の存在がイリスにそれを許さない。
奇術師ロキ。今も視界の端で睨みを利かせている彼は、まさしく抑止力の役目を果たしていた。
「にーとちゃんとイリスはネトゲで出会ったんだっけ。そういえばイリスってゲーム好きだったもんねぇ」
「へたっぴだけどね。むふふ」
倒せない相手、とまでは思っていない。
先程戦った時は主従バラバラの状態で、しかもあくまで近郊から集められる程度の戦力だけで戦っていた。
楪依里朱の奥の手でもある、シストセルカ・グレガリアの総軍結集。
それをすれば、また結末は違う形になるだろうとイリスはそう思っている――が、その手は軽々しく切るにはあまりにもリスキーだ。
〈蝗害〉の強みは広域殲滅。都市そのものを喰らい、活動可能面積を減らす土地喰いにこそある。
総軍を纏め上げるのは、目の前の敵を倒す代わりにそんな強みを放棄することに等しい。
ましてこの場には祓葉もいるのだ。最悪の幻術遣いと、気分ひとつでいくらでも限界を突破できる超生物。
どちらか片方ならまだしも、両方を同時に相手取るとなれば腰が重くなるのも当然だった。
「……私はあくまで暇潰しに遊んでるだけ。
朝から晩まで仕事もしないでのめり込めるニートと一緒の物差しで測られても困るっての」
本当に馬鹿馬鹿しい。
なんだって今更私が、こいつと。
こんな奴らと、卓を囲んで呑気にお話なんてしなくちゃいけないのか。
「あ。そういえばだけど、にーとちゃんっていくつなの?」
「24だよ~」
「にじゅうよっ――――――」
何気ない質問の答えに〈この世界の神〉が固まっている。
どう見ても年下か、よくて同年代にしか見えない背丈と言動の女が自分より干支半分ほど年上と分かったのだ。
「だ、大丈夫大丈夫。世の中にはいろんな人がいるもんね……うんうん」
「祓葉ちゃん?」
「ひ、引いたりしてないよ! ただちょっとびっくりしちゃっただけで……。
背丈も雰囲気も中学生くらいかなと思ってたけど、そっか……にーとちゃんってあだ名、ダブルミーニングだったんだ……」
「祓葉ちゃん?????」
「うん、大丈夫応援してる。楽なことして暮らした方が人生楽しいもんね!」
「い……いーちゃぁん……! わたしこの子無理かも……屈託のない笑顔で人の柔らかいところ突き刺してくるぅぅ……」
「人のこと言えた義理かクズニート」
「ひぃんっ! 机下泣き所キック!」
イリスは、自分がこれの年齢を知った時のことを思い出していた。
あのときは画面の前で、今の祓葉とまったく同じ反応になったものだ。
とにかくこの女は一般的な常識だとか良識だとか、そういうものから乖離している。
社会性の無さで言ったら祓葉以上かもしれない。そんな奴が最強レベルの戦力を子飼いにしているのは悪い冗談だが。
「い、イリス! 言い過ぎだよ! 人には心ってものがあってだねぇ……!」
「知った風な口利くなバカゴリラ」
「はぅんっ! 言葉のアイスピック!」
「い、いーちゃん……! 親しき仲にも礼儀ありだよ、祓葉ちゃん涙目になってるじゃん……!」
「…………ごめん本当に頭痛くなってきた。いくら私でも二匹同時は無理」
苛立ちと呆れと、あまり言葉にしたくない感情の三竦み。
揺れる脳内は重苦しくて、思わずこめかみを押さえる。
駄目だ、この茶番に長々付き合っていたらこっちの脳まで馬鹿になる。
仕方がない。ロキの思惑に従うのは癪だが、奴の望みの展開にしてやろう。
「――それはそうと、ニート」
「そろそろにーとちゃんって呼んでほしいな……ちら、ちらちら」
「あんたさ、このクソみたいな茶番の意味分かってんの?」
ウザい戯言は無視して、一気に話のギアを切り替える。
そう、この"お茶会"は決して平々凡々、のんべんだらりと行われる交流会などではない。
星と星、太陽と月が一堂に会して言葉を交わす、その構造自体に意味があるのだろうとイリスは推測していた。
すなわち、祓葉とぶつけることによっての真贋鑑定。
いや、ともすれば更に一段先。
太陽の輝きに触れることで、天枷仁杜という月が化学反応を起こすことに期待した実験だ。
ろくでもない企てだと思うが、自分にとってもこの状況は意味がある。
「そこのロキ野郎があんたを姫だの月だの呼んでるのは何もノロケだけじゃないんだよ。
そいつはあんたが、本当にこの祓葉と並ぶ存在だと思ってるの」
この宇宙に星はただひとつ。
神寂祓葉を除いて他にはない。
〈恒星の資格者〉など、分不相応な肩書きを自称する愚かなまがい物でしかない。
「〈この世界の神〉。触れる者も近付く者も、見上げた者も例外なく焼き尽くす……クソッタレの太陽」
確かめるには、今の状況はうってつけだった。
よってイリスの目的はそれこそ天枷仁杜の真贋鑑定。
足にまとわり付く迷いと憂いを振り払うための、見極めの場。
「この茶番の意図はそこを見極めた上で、あんたに次の段階への覚醒を促すこと」
「見極めるも何も。実際そうなんじゃないかな」
ロキの視線を感じるが、これで臆する魔女ではない。
お茶会の裏事情を俎上に載せたはいいが、そこで当の太陽が割り込んできた。
「にーとちゃんは、私と似てる気がするから」
挙句人の気も知らないでそんなこと言い出したものだから――イリスは唇を噛んで固まってしまう。
「わたしが、祓葉ちゃんと?」
「うん。たぶんね」
否定してほしかった。
なのに祓葉は、イリスの期待に応えない。
自分自身へ向けられた〈未練〉など一顧だにせず、本心のままに目の前の同類を寸評するのだ。
「あんまり人に言ったことないんだけどさ」
いつものふざけた調子で言うのだったら、どれほど救われたことだろう。
が、仁杜を見る祓葉の眼にはもう先ほどまでのおちゃらけた様子は見受けられない。
イリスも覚えがあった。神寂祓葉という人間は基本的に知性のちの字もない馬鹿なのに、時々こういう、遠くを見るような眼をするのを知っていた。
それは決まって、過去について語る時。
「私ね、ヨハンに会うまでずっとさびしかったんだ」
「よはん?」
「私のサーヴァント。すっごくかわいいんだよ」
楪依里朱は、神寂祓葉の前日譚(オリジン)を知らない。
ただ、知らないなりに感じ取っていたのは――寂寞と諦観。
それまでの祓葉という存在は、どうやら彼女基準だとひどく無価値な存在で。
オルフィレウスと出会い、聖杯戦争のマスターとして覚醒したあの日から、自分の人生は始まったと。
そんなことを、祓葉は時折匂わせていた。
直接的に自罰せずとも、目を見ればわかる。そのくらい寂しい顔をするのだ、そういう時の祓葉は。
「にーとちゃんからは、そういう匂いがするの」
ただ、それが目の前の仁杜にも適応できる共通項とは到底思えない。
気弱なくせに図太くて、わがままで、内弁慶なお姫さま。
寂しさなんて概念とはいちばん無縁な人種だろう、と。
そう思った魔女とは裏腹に、当のお月さまは、何か響くものがあったような顔をしていた。
「分かるんじゃないかな。だってあなたにも、私にとってのヨハンがいるみたいだし」
ちら、と祓葉がよそを見る。
「――"ことちゃん"、だっけ?」
その先にいるのは、蚊帳の外からお茶会を見守るもうひとりのマスター。
高天小都音。天枷仁杜の子守役で、曰く、親友。
「あの子が、あなたのヨハンなんでしょ?」
仁杜は、難しいことはよくわからない。
ロキやイリスの言うことも、正直話半分程度にしか聞いていない。
月の女神は追い詰められた時にしか本気を出すことができない生物だ。
なので大体の時はぼんやりと聞き流しているのだが、この時はそんな彼女が、少しだけ真剣な顔をしていた。
記憶の頁が、神の言葉を皮切りにゆっくりと開かれていく。
わざわざ思い出したりなんてしないような、そのくらい昔のことだ。
記憶の色は、黄昏色。見えるものは、机と黒板。聞こえる音は自分の泣き声。
――高天小都音という親友と出会った日のことを、天枷仁杜は思い出す。
◇◇
ちっちゃい頃から、自分がなにか人と違うことは自覚していた。
周りの子がみんなできることができない。
具体的に言うと、足並みを合わせることができない。
園庭を駆け回る級友に"わたしも混ぜて"の一言が言えない。
ふつうに話しているつもりなのに何故か相手が怒り出して、意味も分からず謝らされる。
それなのに、他の子ができないことができる。
いつもじゃない。ときどきだ。
だけどその時、わたしは世界一の天才になれる。
勉強してないテストで百点を取れたり。
突っ込んできた居眠り運転のトラックが、なぜかわたしの目の前で急停止したり。
わたしに嫌なことをしてきた子達のグループが次々知らない街に引っ越していったり。
――お星さまを降らせたり。
わたしが本気で何かを願った時、ときどき世界は、わたしのために形を変える。
自分でもなんとなく、たまにそういうことが起こるのは感じてた。
だけど頻度がまちまちすぎて、とてもあてにできるようなことじゃないし。
そんな"偶然"じゃどうにもならないくらい、この世界は生きにくい。
わたしは生きるのが下手くそだ。
だって人が怒り出す理由がわからない。
というか、他人について考えるのがたまらなく面倒なのだ。
どうして、他人の気持ちなんか考えなくちゃいけないんだろう?
この世界はどこまで行ってもわたし主役のFPSで、周りの人(キャラ)が本当に生きているのかもわからないのに。
レベル上げで倒したザコ敵の気持ちにいちいち思いを馳せないように、それはわたしにとって優先度の低いことだった。
だけどこのゲームじゃ、わたしみたいなプレイヤーは異端扱いを受けるらしい。
中学校にあがる頃には、もうわたしは立派な"おかしな子"だった。
簡単なルールも守れない、わがまま放題なお姫さま。クラス一番の問題児。
いじめみたいなこともたまにあったけど、そういう人達すらいずれ呆れて離れてく。
ちなみに、それを悩んだことはない。
むしろ気分がよかったくらいだ。
わたしがわたしのまま生きてるだけで、他の誰もわたしについてこれない。
これって、強キャラ……ってコト!? とか、そんな風に考えてた。今もちょっぴり思ってる。
勉強は嫌いだけど、本気で頑張ったらなんとかなった。
進学した先は県内有数の難関校。
そこでもわたしはいつもと変わらずわがまま三昧。
あれは確か、宿泊研修の班決めの時だった。
班のみんなが決めた行き先が気に入らなくて、わたしは駄々をこねていた。
何が悲しくてせっかくの宿泊研修でお寺なんか見に行かなきゃいけない。
わたしは近くのアニメイトでご当地限定グッズ買うのって、コミュ障なりに大暴れした。
でも高校生にもなってそんなことで多数決が覆るはずもなく、散々顰蹙買った末に行き先も変更なし。
悔しくて悔しくて、誰もいなくなった教室でべそをかいてた。
そんな時だ。
『――――うげ、まだ残ってたの』
班のメンバーのひとりが、嫌そうな顔をしながらわたしを見てそう言ったのだ。
『泣いても行き先は変わんないよ。
ていうか大体、ウチの研修先はアニメイトです! なんて通るわけないでしょ。学校をなんだと思ってんのさ』
『だってぇ……。
お寺とか見たってなんにもなんないじゃん、侘び寂びなんてお為ごかしだよぅ……あんなのただの寂び寂びだもん……』
『日本の伝統建築になんてこと言うの』
『あだっ!?』
ぴん、と額に走った衝撃に思わず呻いた。
デコピンをされたのだと気付き睨むわたしの前に、その子はひょいとしゃがみ込んで。
『ねーえ。前から気になってたんだけどさ、天枷さんってどうしてそうなの?』
『ふえ……?』
『私も人のこと言えるほど高尚な人間じゃないけど、あんたはちょっと度が過ぎてるよ。
平気でわがまま言うし、人前で泣くし、ニコニコしながら人の地雷踏み抜いてキレさせるし。
覚えてない? 私これでも何回かあんたのフォローしてあげたことあるんだけど』
『ぅ……お、覚えてるもん。えぇと……伊藤さん!』
『高天だよ恩知らず』
『はうんっ』
いちいち叩かないでほしいと思った。たんこぶができたらどうしてくれるのか。
クラスメイトの名前なんて、席の近い人くらいしか覚えてないのが普通だろう。
大声で泣きわめいて不服を表明してもよかったのだけど、何故かその気になれなかったのは、今思うと彼女の目が理由だったと思う。
人はわたしを見る時、大体珍獣見るみたいな目をする。
檻の中の動物。遠巻きに見るぶんには面白いけど、直接は関わりたくないそんな生き物。
でも高天さんは蹲るわたしにわざわざしゃがんで、対等な目線で話しかけてくれたから。
よく勘違いされるが、わたしだって別に良心がないわけじゃないのだ。
嫌いな人もいれば、好きな人だっている。
自分の親もそうだし、ネトゲの友達なんかもそう。
善意を向けられたら、その時くらいはちゃんと受け止めようって気にもなる。
『――わかんないから』
『わかんない?』
『人の気持ちとか言われても、わかんないもん』
だからわたしは、小さい頃を除けば初めて、そのことを誰かに話した。
『わたしは別に頼んでないのに、みんなわたしに近寄ってくる』
人間は嫌いだ。
動物みたいにかわいくないし、うるさいし、何よりやたらと近寄りたがるところが嫌い。
『好きでもない人となんて、別に付き合いたくない』
学校だって、親が行け行けうるさいから仕方なく通ってるだけだ。
そうじゃなかったら誰が好き好んで、わたしがわたしでいると嫌われる場所になんか行くもんか。
『わたしはずっとひとりでいいのに』
ぐす、ぐす、としゃくりあげながら、わたしはそんな痛い主張を目の前のクラスメイトに伝えていて。
だけどそれは、天枷仁杜がずっと抱えてきた世界に対する不満(ほんね)だった。
わたしはずっとひとりでいい。
お部屋と、お菓子と、ゲームにアニメ。それさえあればわたしの人生は万事落着、ハッピーエンドなのだ。
それなのに無理やり大勢の中に混ぜられて、はっきり言って迷惑している。
怒りたいのはこっちだ。わたしの人生に勝手に混ざってきておいて、どうして誰も彼も我が物顔で文句を言えるのかわからない。
『……うーん。まあ、個人の価値観を否定する気はないけどさ』
宿泊研修もなんとか仮病使って休もう。
みんなに顰蹙買っちゃったし、好き好んで針のむしろに入っていく趣味はない。
きっとそうしよう、なんて考えてるわたしに、高天さんは困ったように腕組みして。
『それってさ、寂しくない?』
『……え?』
『そりゃ私だって、一人になりたい時くらいあるよ。
でもずっと一人は嫌。気が滅入ってくるし、何より寂しいじゃん』
何を言ってるんだろう、と思った。
寂しい? この人、わたしの話をちゃんと聞いてたの?
わたしは自分が好き。わたしを好きでいてくれる人が好き。わたしがわたしでいても許してくれる人が好き。
そうじゃないならみんな嫌い。どうでもいいし、近寄ってこないでほしい。
嫌いな人と関わらないで済むのは嬉しいことでしかない筈なのに、"ふつう"の人は違うのだろうか。
『――あ』
戸惑うわたしをよそに、高天さんはぽんと手を叩いた。
ひらめいた、と言わんばかりに。
『じゃあさ、好きな人ならそばにいてもいいんだよね?』
少し迷って――、こく、と頷く。
そりゃそうだ。さっきも言ったけど、わたしにもわずかながらそういう人はいる。
『よし、決まり。
今日から私と友達になろうよ、天枷さん』
何を言うのかと思えば……あまりにも予想外のアイデアが飛んできて、絶句した。
『え、……えぇ……?』
『嫌そう!? ちょ、言ったこっちがこっ恥ずかしくなってくるからそんなリアクションしないでくんない!?』
『だ、だってぇ……。
距離感の詰め方えぐいっていうか、流石のわたしもそれに飛びつくほど飢えてないっていうか……。
な、ナンパされた人ってこんな気持ちなのかな? あははは……ハハ……』
『ほんとにぶん殴ったろかなコイツ』
もう一度言おう、わたしは人間が嫌いだ。
中でも陽キャは別格で嫌い。
だって怖いし。馴れ馴れしいし、そのくせ幻滅すると即反転アンチになりやがるし。
そんなわたしの陽キャ警戒センサーがびんびんに反応していた。
にじ……にじ……としゃがんだまま後ずさりで距離を取る。
高天さんは青筋を立てながら拳を握っていた。こわい。
『はぁ。ていうか天枷さん、私にそんな口聞いちゃっていいわけ?』
『ひっ! 本性!』
『ご当地グッズ。手に入んなくなっちゃうけど』
『……、えっ?』
差し出されたのはスマホの画面。
電子書籍の本棚だ。わたしは目敏く、そのタイトルを見つけた。
わたしが今最もハマってて――全国各地のアニメイトでご当地グッズを出してる、あの漫画。
『……さっきは班の手前ああ言ったけど、実は私も欲しいんだよね。グッズ』
ちょっと照れ臭そうに顔を背けながら、高天さんはぽつりと言う。
『研修先からそんな遠くないし、こっそりバス乗って買いに行っちゃおうよ』
『ぅ……、で、でも。怒られちゃうんじゃ』
『大丈夫。私は誰かさんと違ってみんなから信用されてる』
『うぐ』
言葉のナイフが胸に刺さる。
でも――やっぱりご当地グッズは欲しくて。
これ逃したら転売から買うしかなくなっちゃうし。
『と』
『と?』
『友達になったら、一緒に行ってくれるの?』
『大袈裟だなぁ。まあ別に、そんな嫌ならならなくてもいいよ。
脅迫みたいな真似して友達作るほど、私人間関係困ってないし』
おずおずと見上げるわたしに、ふっと笑って。
『で、どうよ。ちょっとは行く気出た? 宿泊研修』
『………………うん』
『ならよし。ほら帰るよ、もう残ってるの私らくらいだよ』
手を差し伸べてくれる姿を見た時、わたしはなんとなく彼女の言った意味が分かった気がした。
夕日に照らされて、わたしだけに伸ばされたその手が。
あの時は何故か、とても素敵なものに見えたのだ。
『あっ、あのっ!!』
『わっびっくりした。ちょ、いきなり大声出さないでよ』
『お、推し……』
『へ?』
『――――推し、誰……?』
なっても、いいのかもしれないと思った。
この人とは、友達に。
なれるのかもしれないと思った。
だけどわたしはどこまで行っても自分勝手、わがままなお姫さまだから。
ひとつ、試験をすることにしたのだ。
わたしの質問に、高天さんは恥ずかしそうに数秒沈黙して。
『…………主人公の先生。目隠ししたアイツ』
『――――』
『えっ何、地雷だった? もしかして同担拒否?』
『下の名前、なんだっけ』
『……こ、小都音。ていうかマジで覚えてないんだね人の名前』
やがて出されたその答えを受け、わたしの決意も固まったのだ。
『見る目あるぅ~~~~っ!! ことちゃん!! わたしも先生好きなの、ね~~めっちゃかっこいいよねえ!!! 友達なるなる!! なっちゃお!!! いや~~~わたしはことちゃんだけは他と違うって最初から思ってたんだよね~~~~!!!!』
『ちょ、近……っ、距離感の詰め方えぐいのはどっちだおまえ――――っ!!?!』
これが、わたしと高天さん――ことちゃんの出会い。
そしてたぶんその時、わたしはぶきっちょにでも、人間になれたのだと思う。
◇◇
「そうかもしれない」
いつになくはっきりとした声で、仁杜は祓葉にそう言った。
天枷仁杜がまじめに喋るなど、彼女を知る人間なら雨でも降るのかと慄くところだが。
今だけはおふざけ抜きで、月は太陽の言葉を肯定する。
「わたしの現実の友達って、ことちゃんだけだから。
あ、もちろん今はいーちゃんとか薊美ちゃんとか、なんと言ってもロキくんとかいっぱいいるけどさ」
高天小都音は、天枷仁杜が起こした"奇跡"を記憶している。
だが仁杜が彼女と過ごした時間の中で最も大事に抱えていたのは、そのはじまりの黄昏だった。
人の気持ちがわからない自分に手を差し伸べてくれた人。
人間をうまくできない自分に、友達になろうと言ってくれた人。
「確かに、生きてて楽しいなーって思うようになったのは……ことちゃんと出会ってからかも」
孤独は慣れているし、群れるくらいならひとりでいた方が気が楽だ。
その考えは今も変わらない。でもそんな人でなしに、家族ともネット越しの相手とも違う例外ができた。
性格も生き方も正反対。百人中九十人は好感を示すデキる女と、百人中百人が不快感を示すダメな女。
それでも、ふたりは友達だった。小都音がそう思っているように、仁杜も、小都音のことだけは無二の親友だと信じていた。
――はじめて"寂しさ"をくれた人。
――ただの孤独に価値を与えてくれた人。
「そっか……。わたしって、やっぱりさびしかったんだ」
にへ、と顔を綻ばせる。
頷く祓葉は、きっと気付いてもいないのだろう。
自分以外の全員が、仁杜の変化に目を瞠っていたことになんて。
(――――素晴らしい。期待以上だ)
ウートガルザ・ロキは、身震いさえしそうな心地だった。
ちょこんと椅子に座り、微笑む仁杜の存在感が急激に増している。
さっきまでのが遠巻きに見上げる月明かりだとすれば、今は地上すべてを嘗め尽くすような白光。
太陽との邂逅。神との接触。同じ孤独を知る者との、百の問答にも勝る一の語らい。
それがもたらしたものは、彼女にとっての〈はじまり(オリジン)〉の自覚。
分岐点を振り向いた月女神の可能性は、今や一分前と比にならないほど跳ね上がっている。
元より他の資格者に水を空けて圧倒的な素養を示していた麗しの月。
つくりからして他と異なり、極星(オリジナル)に最も近い女は、わずか一歩にして現状最高の資格者へと立ち返った。
(俺の目に狂いはなかった。やはり君こそ、至高の……)
これぞ女神。これぞ夜空の花。
この輝きをこそ至上と信ずる。
祓葉の弱体化など、彼女の特異性を語る上で何の後押しにもならない。
天枷仁杜は最初から、神など霞むほど美しく輝いていた。
最愛の女への自己認識が正しかったことに覚える蕩けそうなまでの陶酔。
そして彼だけに見えた、仁杜を更に先へと導くひとつの条件。
「……ま、怒られたくはないしな」
浮かんだそれを、ロキは一秒の逡巡もなく蹴り捨てた。
彼は月の守り人。狂信者、と言ってもいい。
仁杜が悲しむのなら、自分の野望など喜んで屑籠に放り捨てる。
結局のところ、このどうしようもないろくでなしは、案外一途な男なのだ。
悪意でしか他人と関わることを知らなかった孤独な男が、悠久の時を超えて巡り合った唯一無二。
そんな彼女の微笑みにすべてを捧げてしまえるほど、純粋な男だったのだ。
「やっぱりにーとちゃんって、私と似てるね」
祓葉が言う。
彼女がとびきりの親愛を込めるのはいつものことだが、それだけではない何かが覗いて見えた。
「イリスと仲良しになれたのも、それが理由なのかな」
きっと今、彼女達は通じ合っているのだろう。
ふたりは共に、人の社会に生まれてしまった異物。
不可能という言葉を形骸化させて生きる新生物。
人の気持ちがわからない、わがままでやりたい放題なお姫さま。
「あのね。実はさ、ロキくん……? がお茶会を開いてくれた時から、ずっと言いたかったことがあって」
此処で、証明がされてしまった。
魔女の期待は、まんまと裏切られた。
赤坂亜切の言が妄信ゆえの誤りであることを、今まさに目の当たりにしてしまった。
天枷仁杜は〈恒星の資格者〉だ。
神寂祓葉の同類だ。何か歯車がかけ違っていれば、極星になり得た珠玉の器だ。
もう目を逸らしようがない。
だって、他でもない祓葉/太陽がそれを肯定してしまったから。
超越者同士のシンパシーというこれ以上ない形で、月の輝きを認めてしまったから。
「イリスと仲良くしてくれてありがとう。怒りん坊でたいへんな子だけど、友達でいてあげてね」
ティーカップを傾けながら、祓葉は仁杜に優しく微笑む。
「それは、私にはできなかったことだから」
託すのは、自分にとってのもうひとりの親友のこと。
運命(ヨハン)ではなくとも、確かに自分のそばにあった絆の行方。
どうしようもないほど分かたれて尚、心悪くなんて決して思えない友人の存在だった。
「うん。大丈夫だよ、心配しないで」
仁杜も、へにゃりとした微笑みで応える。
「今はいーちゃんも、わたしにとって大事な友達だから。
いつかいーちゃんを連れて、また祓葉ちゃんに会いに行くね」
「楽しみにしてる。その時は負けないよ?」
「む……、わ、わたしだって負けないもん! なんたってウチにはロキくんがいるんだからね!」
それは、明日を見据えた暖かなやり取り。
太陽は月に魔女を託し。月は受け入れて、いつか太陽を超えると誓う。
青春のような清々しささせ滲む、そんな宣戦布告だった。
よってお茶会は互いにとって益ある形で円満に終わる。
祓葉も仁杜も、疑いなくそう信じていたが。
忘れてはならない。彼女達は、共に人の気持ちがわからないのだ。
だから気付けない。だから、予想などできない。
「――――――――もういい」
自分をそっちのけにして、過去の未練と現在の懸想で板挟みにされた魔女が、そのやり取りを聞いてどう思うかなど。
「もういいよ。本当に、もうたくさんだ」
蝗の群れが、突風のように巻き起こって花畑を吹き散らす。
喰らい、喰らう、暴食の群れ。魔女の眷属、星殺しの刃。
お茶会の番人が誰であるかを分かった上で、すべてがどうでもいいと感情を優先する。
その末に死ぬならそれまで。自分など、所詮この都市では何にもならない端役でしかなかったというだけのこと。
楪依里朱はそんなことには頓着しない。それよりも優先して、晴らすべき鬱憤が今此処にある。
「いーちゃん――」
「話しかけないで」
万では利かない数の蝗を背景にして。
イリスは仁杜の言葉を制し、くしゃりと笑った。
泣き笑いのような、そんな顔で。
「これ以上、私の気持ちを"わかんなく"しないで」
魔女は誓ったのだ。
星など、もはや見ない。
すべての星を、この宇宙から消し去ると誓う。
極星も。そして、それに並ぶモノがあるというのならそのすべても。
あまねくすべてを蝗の腹に収めよう。白黒の色彩で塗り潰し、正常だった頃の世界を取り戻そう。
世界とは孤独なものだ。
寂寞は隣人で、都合のいい希望などどこにもなく、息の詰まるような閉塞感が壁として四方を囲んだそんな世界こそ正しい。
果てのない希望(ヒカリ)など、所詮破滅に誘う悪魔の囁きでしかないのだと思い知った。
心底、思い知ったのだ。自分は大海など知らず、あの辺鄙な村という井の中にいるべきだったと。
ならば取るべき選択肢はひとつ。六凶の誰も選び取らなかった彼女だけの唯一無二。星の、鏖殺。
「死ね、お前ら全員。私はもう、星空(おまえら)なんて見たくない」
神寂祓葉。天枷仁杜。
太陽。月。
そんなもの、最初から知らなければよかった。
出会わなければ、こんな気持ちになることもなかったのだから。
後先など考えず、魔女は視界のすべての死を望んだ。
応えるのは暴食。シストセルカ・グレガリア、神代渡りの大厄災(カタストロフ)。
祓葉が光剣を握り、仁杜が顔を青くして椅子から飛び退いたその瞬間。
『久しいな、イリス。
だが少し待て。祓葉を憎むのは結構だが、物事には優先順位があるだろう』
ひどく傲慢で、それでいて一抹の親愛を示す、そんな声が響いて。
次の瞬間――天の裁きの如き一条の極光が、音もなく、壊れた茶会の場へ降り注いできた。
◇◇
降り注ぐ極光に対し、反応したのはウートガルザ・ロキだった。
掲げる片手に迷いはなく、己が星を射殺さんとした不遜者に殺意を示す。
輝く神の前に立つ、と謳われた盾(スヴェル)の幻影を握って。
対城宝具の全力解放さえ容易く凌ぐだろう防壁を寄る辺に立ち、光と衝突したロキの口から漏れたのは、しかし驚きを意味する声音。
「……へえ、こりゃまた」
盾が砕け散り、掌が原形を失いひしゃげている。
それは即ち、ウートガルザ・ロキの幻術が破られたことの証左。
虫螻の王とテーバイの無敗将軍、更には陰陽道の鬼才を同時に相手取って尚圧倒を維持した英霊が、わずか一撃にしてこれだけの傷を負わされた。
『不思議か? 常識で考えろよ、間抜け。
ボクもまた〈この世界の神〉だ。針音都市とはボクの被造物であり、随意に管理編集できる箱庭でしかない。
世界ごと騙す手腕は見事なものだが、種さえ分かれば単なる手品だろう』
手品は手品。幻は幻。
現実そのものすら騙す虚像であろうと、万を超える視点で分析をかければ枯れ尾花の切り絵は暴かれる。
ウートガルザ・ロキの宝具は、自分自身と要石、更には術をかけられる相手にも夢見ることを求める術理だから。
『数多の視点から探り、暴き、貶めることさえできれば――たかが幻、科学の前では丸裸だ』
万能の皮を被った硝子細工。
ひとつでも条件が崩れれば彼の手品は一気に崩れる。
世界のすべてをつぶさに観察し、分析し、暴くことができる〈神〉などは、まさに彼の天敵と呼んでよかった。
「おーこわ。必死こいて奔走する黒幕ほど情けないもんはないぜ? 造物主(デミウルゴス)」
『そうかもな、指摘は甘んじて受け入れるよ。
ボクとしても、おまえに対処するのはまだ先にするつもりだったんだ。
厄介ではあるが〈蝗害〉同様、生贄どもの頭数を減らすのに貢献してくれると思っていたから』
都市の黒幕、オルフィレウス。
祓葉の運命〈ヨハン〉の出撃はこの聖杯戦争で二度目のことだ。
此度の粛清対象は言うまでもなくウートガルザ・ロキ。
『ただ、少しばかり事情が変わってな』
「ああなるほど。どこぞの誰かにご主人様の不死を剥がされたのは計算外だったと」
『そういうことだ。阿呆の尻拭いは慣れっこだが、正直今回ほど腸が煮えくり返ったことはない』
いや、それだけではなく……
『よって、時計の針を少し早めることにした。
さしあたっては、おまえ達のような"まがい物"には早急に退場してもらいたい』
空を引き裂いて、三つの巨影が降り注ぐ。
都市を揺らした轟震の主は、その降臨だけで牧歌的な茶会の名残を完膚なきまでに爆散させた。
吹き荒れる粉塵と瓦礫のハリケーン。ロキが片手で薙ぎ払わなければ、仁杜も小都音も消し飛ばされていたに違いない。
「場違いだな。現代伝奇が台無しじゃないの」
白磁の装甲に覆われた、三体の巨人をロキは見上げる。
一体一体が超高層ビルに匹敵するサイズを持ち、軍事要塞を凌駕する強度を秘めた人界粛清兵器。
オルフィレウスの人形達、いつか来たる無限時計文明の使徒三機。
刀身に巨大な時計を埋め込んだ、全長十メートルオーバーの大剣を握った機動戦機――〈Seraph=Αρης(セラフ=アレス)〉。
巨大な蜘蛛のような体躯を広げ、足の一本一本から導線の根を伸ばし蠢かす地母神――〈Seraph=Δημήτηρ(セラフ=デメテル)〉。
そして三対六枚の白翼を背負う、最も熾天使(そ)の名に相応しき始まりの大巨人――〈Seraph=Ζήνων(セラフ=ゼノン)〉。
神代を破る未来技術。
科学の叡智による幻術殺し。
これぞセラフシリーズの傑作。
救済機構並びに青銅王との戦闘を参考に改良を施した、いずれすべてを終わらせる天の御使いである。
彼らの眼球(メインカメラ)が微弱な起動音を常に響かせ、何らかの演算処理を行っていることをロキは察知していた。
永久機関を炉心とすることで可能とした超超高速処理。それを用いての観測現実に対するリアルタイム解析で鋼の熾天使は夢を暴く。
「オルフィレウス……ッ、あんた、何を――!」
『それはこちらの科白だ、イリス。いつまで年頃じみた真似をしている?』
ともすれば吹き飛ばされそうな突風の中、堪らず吠えたイリスにオルフィレウスは淡々と言う。
『今やボクらときみは完全な敵対関係にあるが、それでもきみの祓葉に対する想いを軽んじたことはないつもりだ。
なのにジャックに先を越され、極星の何たるかも知らないまがい物が溢れてきたのを知りながら、何故呆けていられるのか疑問でならない』
「うるさい。私は……!」
『今度は、選択肢を間違えないことを期待する』
彼は傍若無人の厭世家。
人を人と思おうとしないのでデリカシーは皆無で、祓葉や仁杜とはまた別な意味で他者の心に鈍感な科学者だった。
が、そんな彼もイリスと同じく、〈はじまりの聖杯戦争〉で彼女と過ごした共闘の日々の記憶を抱えている。
ならばこの物言いは、言い方に棘こそあるものの彼なりの善意だったのだろう。
祓葉と雌雄を決する衛星は彼女(イリス)がいい。
腑抜けなどするな、目を覚ませという不器用な叱咤激励。
ただしそれは、迷いの中にいる魔女を断崖の前に立たせて選択を迫る荒療治以外の何物でもなかった。
『そういうわけでだ、やるぞ祓葉』
「ぁ……えぇと。その、ヨハンあのね。私実は――」
『みなまで言うな、ボクも一部始終はちゃんと見ていた。
そこについては後で場を改めゆっくり話すとして、今は付き合え。太陽の本領を魅せる時だ』
「あ、はい。後でお説教なのはやっぱり確定なのね……うぅ、気が重いなぁ」
オルフィレウスの見解は赤坂亜切の結論と同じだ。
〈恒星の資格者〉は存在するが、それらは本物に及ぶべくもない贋物でしかない。
類似品はどこまで行っても類似品。不法製造された醜悪な不確定要素は、早々に処分しておくに限るということ。
特に天枷仁杜、月を名乗る駄女神はきわめて強大な戦力を有している。
都市のバランスを崩しかねない目の上の瘤。よってオルフィレウスは、時計の針を早めると同時にまずこちらへの武力介入を決定したのだ。
「ふ、祓葉ちゃん……なんで? わたし達、せっかく仲良くなれそうだったのに」
「ごめんね、にーとちゃん。私もそのつもりだったんだけど、ヨハンが駄目だってさ。でもいいよね、遅いも早いもおんなじことだし」
並び立つ三体の巨大機神。
そして地には、光剣を携えた〈この世界の神〉。
太陽と月の接触実験がもたらした結末は、予定を前倒ししての星間戦争と成り果てた。
「だからせめて楽しく遊ぼうよ。それに今思い出した。ロキくんって、あの時のサーヴァントか」
残念がったのもつかの間、ころりと表情が戦闘者のそれに変わる。
「また会えて嬉しいよ。私もね、あなたとはちゃんと決着つけたいと思ってたの」
祓葉(カミ)とは骰子のようなもの。
無慈悲な戦闘狂という本質を無邪気のヴェールで覆った、等身大の怪物だ。
よってこれより始まるのは神話の戦い。古代と未来、月と太陽が繰り広げる、空前絶後の大戦争(ラグナロク)。
「――――はッ」
都市を創造した神々は並び立ち。
月は戸惑い、その眷属は刀鍛冶と共に有事へ備える。
魔女は今も迷路の中。ただし、後はどちらの行き止まりを選ぶかしかない。
三者三様の感情を露わにする中で、ウートガルザ・ロキは鼻を鳴らして笑っていた。
「あ、いや失礼。浅い地金をずいぶん格好よく繕ったもんだと思ってさ」
『何が言いたい』
「縁起がクドいんだよ。要するに君、アレだろ?
大好きなお姉ちゃんが土付けられた挙句、新顔に脅かされそうで肝冷やして降りてきたんだろ」
彼は神を嘲る者。
焼かれた腕をルーン魔術で即座に回復させながら、己が幻を攻略したと宣う天上の造物主を見上げる。
顎を突き出し、眼差しは嘲弄を隠そうともせず、大袈裟な身振り手振りで今しがたのやり取りを品評する。
「自前の玩具にアレスとか名付けてんだし、イカロスの神話は知ってるよな。
太陽に近付いた者は灼かれて落ちる、つまり触れられないからこそ星は星なのさ。
なのに君のお姉ちゃん、なんか人間にしてやられて落っこちてきたみたいだけど?」
『……おまえ』
「相棒ならちょっとは祓葉ちゃんの気持ちになってやれよ、ヨハン君。
負けてすごすご帰ってきたのにあれこれ無理筋擁護されてさぁ、俺だったらこっ恥ずかしくて穴に入りたくなっちゃうぜ」
かつて誰かがこの男を、悪魔の類であると評した。
悪魔は怪物と違って、人の心に造詣が深い。
人がされたら嫌なこと、触れられたくない泣き所。
彼らはそれを一挙一動から容易く暴き、逆鱗の上に飛び乗ってタップダンスを踊るのだ。
「第一君、見通しが甘すぎんだよ」
両手を広げ、次の瞬間翼を生やした。
三対六枚。熾天使のお株を奪う聖翼を戴いて、奇術師の法が都市を塗り替える。
巨人の降臨で踏み荒らされた街並みが元通りに復元され、空を埋め尽くすのは神代の星空。
今はもう存在しない天体が万ほど散りばめられた極天の景色を、ロキは決戦の背景に選んだようだ。
「俺の幻術を暴ける。俺に攻撃を当てられる。
そうかそうか、すごいすごいよかったね。じゃあ今度は俺からひとつ質問しよう」
その星々のすべてが流星となり、右から左へ一斉に流れ出す。
まるでそれは、月と少女がいつか見上げた夜空の再現のよう。
流転。終わらない流星群に演出された舞台の真ん中で、奇術師は魔王のように破顔した。
「お前、その程度で俺に勝てると思ってんのか?」
煌星満天との邂逅を経て、彼は本気を出すと言った。
つまり渋谷で猛威を奮った時でさえ、〈蝗害〉と将軍を相手にしたあの時でさえ、ウートガルザ・ロキは本気など出していなかったということ。
「人類(おまえ)如きが俺を倒せると? 俺は神代の大巨人――――ウートガルズの奇術王だぞ」
オルフィレウスの判断は至極正しい。
ウートガルザ・ロキとは、この針音聖杯戦争におけるある意味で最大のバグ。
聖杯戦争という儀式が発足したのが近代である以上、彼は本来どうあっても手品師の域を出ない英霊だった。
誰も本気で夢など見ない科学の時代。どんな壮大な奇術も、信じ抜く気概がなければ三文芝居に堕ちる。
本気で夢を見られる人間でなければロキの要石たり得ず。そしてそんな人間は、現代においてほぼほぼ絶滅している――しかし。
彼は出会ってしまった。
いついかなる時も夢だけを見て、現実を見ない――運命の人(ファム・ファタール)と。
「極星の座を譲って消えろ。その座は天枷仁杜にこそ相応しい」
此処で消さなければいつかすべてを破綻させる。
この悪魔は、あらゆる運命を終わらせる力を持っているのだ。
『殺す』
「やってみな、青二才(ルーキー)。胸貸してやるよ」
挑むは人類。未来を言祝ぐ機械文明。
受けて立つは神代。万象虚仮にする魔法使い。
――神と人が織りなす第四の戦争(マキア/ラグナロク)。
アストロマキア。
◇◇
【渋谷区・路上(高層ホテル近辺)/二日目・早朝】
【天枷 仁杜】
[状態]:健康、動揺、恒星としての成長
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数万円。口座の中にはまだそれなりにある。
[思考・状況]
基本方針:優勝して一生涯不労所得! ……のつもりだったんだけど……。
0:えっなんかやばいことになってない?
1:ことちゃんには死んでほしくないなあ……。
2:薊美ちゃん、イケ女か?
3:ロキくんやっぱり最強無敵! これからも心配なんてなーんにもないよね~。
4:この世界の人達のことは、うーん……そんなに重く考えるようなことかなぁ……?
5:アイドル怖い……。急にキレる若者……
6:祓葉ちゃんには親近感。そっか、わたしも寂しかったんだ。
[備考]
※楪依里朱(〈Iris〉)とネットゲームを介して繋がっています。
必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来ます。
※祓葉との対話を通じて、資格者としての性質が向上しました。
【キャスター(ウートガルザ・ロキ)】
[状態]:右手にダメージ(ほぼ回復)、ほぼ健康
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし(幻術を使えば、実質無限だから)
[思考・状況]
基本方針:享楽。にーとちゃんと好き勝手やろう
0:殺す。
1:にーとちゃん最高! 運命の出会いにマジ感謝
2:小都音に対しては認識厳しめ。にーとちゃんのパートナーはオレみたいな超人じゃなきゃ釣り合わなくねー? ……でも見る目はあるなぁ。
3:薊美に対しては憐憫寄りの感情……だったが、面白いことになっているので高評価。ただし、見世物として。
4:ランサー(エパメイノンダス)と陰陽師のキャスター(吉備真備)については覚えた。次は殺す。
5:煌星満天は"妖星"。アレは恐らく、もっともオリジナルに近い。
6:――やはり、君こそ最高の星だ。
[備考]
※“特異点”である神寂祓葉との接触によって、天枷仁杜に何らかの進化が齎される可能性を視野に入れています。
【高天 小都音】
[状態]:健康、動揺
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:トバルカイン謹製のナイフ
[所持金]:数万円。口座の中身は年齢不相応に潤沢。がんばって働いたからね。
[思考・状況]
基本方針:生き残る。……にーとちゃんと二人で。
0:にーとちゃんを守りつつ生き延びる。
1:伊原薊美たちと共闘。とりあえず穏便に収まってよかった。
2:ロキに対してはとても複雑。いつか悪い男に引っかかるかもとは思ってたけどさあ……
3:アレ(祓葉)はマジでヤバかった……けど、神様には見えなかった。
4:脱出手段が見つかった時のことを考えて、穏健派の主従は不用意に殺さず残しておきたい。なるべく、ね。
5:楪依里朱については自分たちの脅威になら排除も検討するけど、にーとちゃんの友達である間は……。
6:満天ちゃん達とはできるだけ穏便にやりたい。何やらかしてくれてんだこのバカニートは?
7:キャスター(ファウスト)に機を見て情報を送りつつ、あっちからも受け取りたい。
8:にーとちゃん、あの時のこと覚えてたんだ。
[備考]
※“特異点の卵”である天枷仁杜に長年触れ続けてきたことで、他の“特異点”に対する極めて強い耐性を持っています。
【セイバー(トバルカイン)】
[状態]:健康
[装備]:トバルカイン謹製の刃物(総数不明)
[道具]:
[所持金]:数千円(おこづかい)
[思考・状況]
基本方針:まあ、適当に。
0:目の前の決戦に対処。とりあえず機を見て祓葉らは殺す。
1:何やってんだこいつら馬鹿なのか?
2:めんどくせェけど、やるしかねえんだろ。
3:ヤバそうな奴、気に入らん奴は雑に殺す。ロキ野郎はかなり警戒。
4:あの祓葉は、私が得られなかったものを持っていた。
5:このカスどものお守りいい加減面倒臭いんだけどどうにかならん?
[備考]
【楪依里朱】
[状態]:激しい怒りと動揺、疲労(小)、魔力消費(小/色間魔術により回復中)、顔面にダメージ、未練
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数十万円
[思考・状況]
基本方針:優勝する。そして……?
0:私は――私、は――。
1:祓葉を殺す。
2:薊美に対しては微妙な気持ち。間違いなく敵なのだが、なんというか――。
3:なんで、仁杜(あんた)までそうなの?
[備考]
※天枷仁杜(〈NEETY GIRL〉)とネットゲームを介して繋がっています。
必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来るでしょう。
※蛇杖堂記念病院での一連の戦闘についてライダー(シストセルカ)から聞きました。
※今の〈脱出王〉が女性であることを把握しました。
【ライダー(シストセルカ・グレガリア)】
[状態]:規模復元
[装備]:バット(バッタ製)
[道具]:
[所持金]:百万円くらい。遊び人なので、結構持ってる。
[思考・状況]
基本方針:好き放題。金に食事に女に暴力!
0:――ああ。面白くなってきたなァ。
1:相変わらずヘラってんな、イリス。
2:祓葉にはいずれ借りを返したいが、まあ今は無理だわな。
3:煌星満天、いいなァ~。
[備考]
※イリスに令呪で命令させ、寒さに耐性を持った個体を大量生産することに成功しました。
今後誕生するサバクトビバッタは、高確率で同様の耐性を有して生まれてきます。
【神寂祓葉】
[状態]:不死零落
[令呪]:残り三画(再生不可)
[装備]:『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン)』
[道具]:
[所持金]:一般的な女子高生の手持ち程度
[思考・状況]
基本方針:みんなで楽しく聖杯戦争!
0:ロキくんと遊ぶ。
1:にーとちゃんは私と似てる。できれば友達になりたかったけど、仕方ない。
2:結局希彦さんのことどうしよう……わー!
3:悠灯はどうするんだろ。できれば力になってあげたいけど。
4:風夏の舞台は楽しみだけど、私なんかにそんな縛られなくてもいいのにね。
5:もうひとりのハリー(ライダー)かわいかったな……ヨハンと並べて抱き枕にしたいな……うへへ……
6:アンジェ先輩! また会おうね~!!
7:レミュリンはいい子だったしまた遊びたい。けど……あのランサー! 勝ち逃げはずるいんじゃないかなあ!?
[備考]
二日目の朝、香篤井希彦と再び会う約束をしました。
ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)の宝具『英雄よ天に昇れ』によって、心臓部永久機関が損傷しました。
具体的には以下の影響が出ているようです。
再生速度の遅滞化。機能自体は健在だが、以前ほど瞬間的な再生は不可。
不死性の弱体化。心臓破壊や頭部破壊など即死には永久機関の再生を適用できない。
令呪の回復不可
『界統べたる勝利の剣』は連発可能ですが、間を空けずに放つと威力がある程度落ちるようです。
最低でも数十秒のリチャージがなければ本来の威力は出せません。
【キャスター(オルフィレウス)】
[状態]:健康、苛立ち
[装備]:無限時計巨人〈セラフシリーズ〉→セラフ=ゼノン、セラフ=アレス、セラフ=デメテル
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:本懐を遂げる。
0:ウートガルザ・ロキを排除し、天枷仁杜を殺す
1:〈恒星の資格者〉を消す。最優先は仁杜、残りは状況を見て介入が必要であれば考える。
2:あのバカ(祓葉)のことは知らない。好きにすればいいと思う。言っても聞かないし。
3:〈救済機構〉や〈青銅領域〉を始めとする厄介な存在に対しては潰すこともやぶさかではない。
4:蛇杖堂寂句。おまえの好きにはさせない。
[備考]
前の話(時系列順)
次の話(時系列順)
最終更新:2025年11月29日 02:12