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                                                  .

「チ……」

 ノクト・サムスタンプは、舌打ちをしながら手近な塀に凭れかかった。
 "夜"の彼を知る者であれば信じ難いことだろうが、その息は絶え絶えに切れていた。

「巧く漁夫の利を得るつもりだったんだが……見誤ったな。ああクソ、気分が悪い」

 ノクトは頭のいい男だ。よって、この段階で神寂祓葉を打ち倒せるとは微塵も思っていなかった。
 だから祓葉に挑むのではなく、観測と、万一に際して漁夫の利を得ることを目的に動き出したのだ。
 結果としてそれは遂行された。祓葉を堕とす規格外を成した蛇杖堂寂句を強襲して致命傷を与え、暴君の躍動を食い止めることができた。

 誤算は、寂句が想像を超えて強すぎたこと。
 時間帯、タイミング、考えられる限りすべての条件を整えて臨んで尚ギリギリの綱渡りを強いられた。

 結果として命は奪れた。
 が、代わりに右腕を失い、"夜"の活力を込みにしても満身創痍と呼ぶべき重傷を負わされた。
 今だから思うことだが、あの老人が老獪な合理主義者であったことは自分達にとってひとつの僥倖だったのだろう。
 目的達成のためにあそこまで自己を先鋭化できる存在が進んで前線に出張っていたなら、〈はじまりの聖杯戦争〉の結末はまた変わっていた筈だ。
 最後に勝つのが祓葉であるのは同じにせよ、そこに至るまでに何人かは彼の魔の手にかかっていたものと確信する。

「まったく、本当に大した奴だよ。あんたみたいな怪物とは、正直二度とまみえたくない」

 魔術師たる者、身体の不調を誤魔化す手段はいくつも体得している。
 が、物理的な欠損までは一朝一夕では如何ともし難い。

 血まみれの医神が手刀を構えて向かってくる姿は夢に出そうだったが、いつまでもへこたれてはいられない。
 夜の恩恵が受けられるのは季節柄、あとせいぜい一時間弱。
 この身が常人に戻る前に、どうにか負傷の埋め合わせをする必要があった。

 彼は戦地となった新宿を速やかに抜け、港区に入っていた。
 レッドライダーは消滅し、刀凶聯合とその対抗馬であるデュラハンは共に崩壊。
 正直骨折り損の何とやらだが、次の台風の目を御する戦果は挙げられた。

 赤騎士を失った悪国征蹂郎の利用価値は薄い。
 それに、監視用の使い魔が"南進する冬の化身"という冗談じみた光景を伝えてきた。
 用を失った戦場に狂ったハゲタカが集まってきたというわけだ。巻き添えを食うのは御免被る。

 では、ノクトの目指す目的地とは何処なのか。
 何のことはない。彼はただ、傷の分の慰謝料をせしめに行こうというのである。

「が、あんたの"遺産"は有効に使わせて貰うぜ。何せもうじき朝が来るんだ、こっちも蓄えってやつが必要でな」

 港区・蛇杖堂邸。
 もう帰る者のいない、古い蛇の巣穴だ。
 目ぼしい品は祓葉へ特攻するにあたり持ち出されてしまっただろうが、それでも未だ金脈と呼ぶ価値がある筈とノクトは踏んでいた。

 それこそ、この腕の代用になるような礼装でもあれば最高だ。
 接続強化型魔術礼装までは求めすぎだが、あの老人なら近い物は抱えていても不思議ではない。
 そうでなくとも薬に毒、武器、あるいは自分がまだ掴んでいない何らかの情報……何であろうと値千金だ。
 かつてはとても近寄る気にはなれない伏魔殿だったが、家主がいなければただの宝物庫。
 死者が蘇ることは当座ないのだから、命ある者に有効活用される方が道具達も浮かばれよう。

 新宿の抗争は、やはりと言うべきか膠着を吹き飛ばす巨大な爆弾になった。
 もう一匹の蛇然り、ノクトが期待する悪魔の少女然り、その他恒星の資格者達然り。次の火種は無数に散りばめられている。
 この先、昨日みたいな停滞の時間は恐らく二度とない。恐らく不眠不休の常在戦場が前提になる。

(俺の読みじゃ次は神寂縁だ。そして奴が暴れている間に、恒星共が真価を発揮し出すと見ている。
 危険度は測定不能だが、うまく噛めば得られる利益はガキの喧嘩の比にならん。乗りこなさない手はねえ)

 火事場泥棒じみた方針はいつものことだ。
 好き好んで血を流し、傷口を見て喜ぶ変態達の気持ちはいくつになってもわからない。

 ノクト・サムスタンプはいつだって狡猾に、最低限の労苦で一番美味しい部分を掻っ攫う。
 それだけは夜でも昼でも変わらない。だが、悪だくみをやるにも身体が資本である。
 そういう意味でも、彼は誇張でなく蛇杖堂寂句の遺産に今後の方針が懸かっていた。

(首尾よく空き巣できるといいんだが……ま、無理だろうなァ……)

 溜息を吐きながら、自嘲するように眉をハの字にする。
 情けない話だが自覚はあるのだ。自分という人間は、どうやら肝心な時に限って運に見放される。
 新宿の件などいい例だろう。赤騎士の暴走ですべてがしっちゃかめっちゃかになり、寂句には一矢報いられ、残った戦果はなけなしだ。

 そんな彼だから、もう凡そこの後の展開にも予想がついていた。
 恐らく、蛇杖堂邸に目を付けたマスターは他にもいる。
 そしてその発想が出せる人間は、十中八九〈はじまりの六人〉のいずれかであろうと。

 冬の巨人の進行方向的にアギリはないだろうが、他の四人なら誰でもあり得よう。
 万一にでもイリスなど引いてしまえば最悪だ。
 というか、ほぼ詰み。性格的にも魔術の相性的にも、このコンディションで勝ちを拾える未来はどうやったって見えない。

 さあ、鬼が出るか仏が出るか。
 できればまた蛇というのは勘弁願いたいが。

 夜に駆ける傭兵の行く先で、彼を待ち受けていた相手は――



◇◇



「何度も出てきて恥ずかしくねえのか?」
「てへへへ」

 〈脱出王〉ハリー・フーディーニこと、山越風夏であった。
 誇張でなくさっきぶりである。
 考えてみればこの奇術師は最も遺産に興味を示しそうな享楽家だったが、殺し合った舌の根も乾かぬうちの再会と来ては流石に辟易が出た。

「来たのが君ってことは、ジャックは君が殺したのかな」
「まあな。首級の代わりにこのザマだよ」
「そのくらいで済んでよかったじゃないか。もがれるのが首だった可能性も十分にあるだろう」
「そうも言えるけどよ。とはいえ、流石に高い買い物だったぜ」

 が、風夏にそれを引きずっている様子はなかったし、ノクトの方も先刻に比べるとだいぶ態度を弛緩させている。

「夜道には気を付けなよ? 均衡を破るってことは悪目立ちするってことだ。
 イリスやアギリなんかは喜んで狙いに来るんじゃない? あの子達、ああだこうだ言って意外と仲間意識あるからねぇ」
「珍しく真っ当な意見だが、とりあえずそこは問題ねえ。
 ジャックのサーヴァントが生きて落ち延びてる。そいつがスケープゴートになる筈だ」
「へえ。その根拠は?」
「神寂祓葉が穢された。ジャックは死んだが、その前にオペを成功させやがった」

 ――ぱちくり。
 さしもの〈脱出王〉も言葉を失い、目を丸くしている。
 変わり種ではあるものの、彼女もまた祓葉に焦がれた六凶の一角。
 その事実は、暴君ジャックの崩御を知った時以上の衝撃で彼女を打ちのめした。

「……マジ?」
「大マジだよ、俺も目を疑ったけどな。
 具体的に言うと不死性の零落だ。恐らく今の祓葉は、完全な死からは再生できない。
 不可逆かどうかまでは流石に根拠が足りねえが、要するに今なら首でも刎ねりゃ殺せるってわけだ」

 〈脱出王〉は、心の中で亡き暴君に詫びた。
 見誤っていた。軽く見ていた。最大限の警戒など、彼に払う崇敬としては到底不足だったのだ。

 なんて大偉業。
 なんて、荒唐無稽。
 空の星を人の身で地上に引きずり下ろすなど、他の誰にだって出来はすまい。
 確かに此度の聖杯戦争では最初の脱落者かもしれない。だが蛇杖堂寂句はその死で以って、自分達全員に対する勝ち逃げを成し遂げたのだ。
 そしてその勝利は、後出しでは決して覆せない。唯一無二の宝石と言っていい勲章が、神の零落という激震でこれから永久に都市を揺らし続ける。

「――なんてことだ。戦争の根底が変わるぞ」
「まったくだよ。こちとら商売上がったりだぜ」

 〈脱出王〉とノクト・サムスタンプは、質こそ違えど筋書きを描くものだ。
 脚本を練る。戦略を練る。胸に描いたそれを基盤に都市を駆ける手合いが彼ら。
 が、此処で最強無敵、絶対不滅の極星が狂い始めた。
 すべてが変わる。道理が崩れる。この先に何が待っているのか、もう彼らのどちらにも断言ができない。

 書いた脚本は焚書された。
 造った戦略は取り残された。
 これより始まるのは正真正銘、一寸先もわからぬ未知の世界。

「ふふ、ふっふふふ、くく、はははは――」

 だとしても笑ってみせるのは、やはりこの女(おとこ)。

「いいね、面白い! 面白いじゃないか、いいぞいいぞ最高だ!!
 未知(それ)でこそ腕が鳴る、マジックの弄し甲斐がある!!」

 歓喜も露わに、山越風夏は両手を開いた。
 素晴らしい。素晴らしいぞ蛇杖堂寂句、よくぞ天井を壊してくれた。
 これで誰も引き返せない。他ならぬ、都市の神々ですら例外ではいられまい。

 勝っても負けても文句なし、前世のアドバンテージなどあってないが如し。
 そういう時代がやって来るのだ、これを喜ばずして何がエンターテイナーか。

「はぁ、はぁ……。すまない、ちょっと興奮した。
 しっかし私もツイてないというか何というか。そんなことになってるならこっそり観戦にでも行けばよかったよ」
「娯楽屋は呑気でいいな。羨ましいよ」
「まあそう言わないで。ああところで、それはそうと」

 風夏の隣に、渦巻くように英霊の気配が現出する。
 現れた影は、先ほどノクトが相対した銃兵の老人とは違っていた。
 スレンダーマンを思わせる長身の、やけに青白い顔をした美丈夫。

 二メートル超の高みから、男はぬらりとノクトを見下ろす。
 片腕が千切れ、全身の随所に手痛い損耗を刻んだ契約魔術師のことを。
 できる、と傭兵はすぐに見抜いた。物腰こそ卑屈だが、その五体には武錬と呼ぶべき経験が横溢している。

「どうするよ。さっきの続きでもするかい?」
「呑気な上に楽天家か? 強がるなよ、てめえも大概ボロボロだろうに」
「それは認めるけど、今の君にならこの状態でも勝てそうだ。
 こっちには英霊(かれ)もいるしね。潰された内臓の借りをぱっぱと返しちゃうのも、結構悪くないかと思ってるんだけど」

 無論、君がその気なら、だけど。
 向けられた挑発的な笑みに、ノクトも同じニュアンスのを返す。
 一転しての一触即発。が、すぐに殺気は霧散した。

 他でもない、ノクト・サムスタンプがそれを解いたからだ。

「やめておく。お前の言う通り、今はこっちの分が悪い」
「ま、だよねー。私としてもその方が助かるよ、ご指摘通り誰かさんのせいで満身創痍なもんで」

 蛇杖堂寂句の遺産には破格の価値がある。
 誰が来るにしても血で血を洗う争奪戦になるのは必至だったが、この両者間においてだけはその前提が崩れる。
 新宿で負った手傷を引きずっている彼らは無益な争いを避けたい。
 不戦協定を結んでのんびり邸を漁れるなら、それに越したことはないと考えるのは自然なことだ。

「じゃあ此処は一時休戦といこう。期限は今から三十分でどうかな」
「問題ねえ。それまでは互いに見て見ぬ振りといこうか」
「了解っ。よしライダー、行くよ。漁るもの漁ってさっさとトンズラしちゃおう」

 そう言って、〈脱出王〉はいざと邸へ入っていくのだが。
 その背中を、ノクトが呼び止める。

「いや、悪いが終わったら適当な場所で待っててくれ」
「へ? やだよそんな見え見えの時間稼ぎ」
「この際だ、ちょっと話したいことがあるんだよ。
 その分の時間は休戦から差っ引いといてやるから安心しろ」

 〈脱出王〉の眉間に、それはそれは嫌そうな皺が寄る。
 あまねく人間も英霊も翻弄し、自由自在に躍動するトリックスター。
 そんな彼女にさえこういう顔をさせるだけの実績がこの男にはあった。

「えー……。君の話は聞いちゃいけませんって前回散々学んだんだけど。私達共通の教訓なんだけど」
「まあそう言うな。別に契約をしようってわけじゃないし、同盟の申し入れなんて話でもない。
 俺としてもお前みたいな変態と商談なんざゴメンだよ。取引ってのは最低限の一般常識を備えた人間とやるもんだ。
 お前はどっちかと言うとチンパンジーだろ。チンパンジーに契約書を書かせるアホがいるか? ああ、お前はそういうタイプか。アホめ」 
「私いまお願いを聞く側だよね? めっちゃ矢継ぎ早に罵倒されてるんだけど」

 私にだったら何言ってもいいって風潮が形成されてる気がする……と唇を尖らせる風夏。
 そんな彼女の横を通り抜けて、「そういうわけだ。終わったら待ってろ」と言い残し、暴君のお株を奪う傍若無人さでノクトは中に入っていった。

「あ! ちょっ、横入りするなよぅ! 大体何なのさ話ってー!」
「お前のショーが入用な奴らがいる。今言えるのは此処までだ」
「――へえ?」

 追ってくる足音が止まる。
 振り向かずとも、今の〈脱出王〉が浮かべている顔は分かった。
 公演を求められて喜ばないマジシャンなどいない。
 それが天下のハリー・フーディーニ、人類史上最高の奇術師ならば論ずるまでもなし。

 ノクトは家探しに臨むべく歩を進めながら、彼女と再会する数分前に届いた連絡の内容を反芻していた。



◇◇



「――るーんたったー、るんたったー、ふんふんふんふんふーーん♪」

 〈はじまりの六人〉同士の停戦協定が結ばれてから、ややあって。
 山越風夏は鼻歌交じりに、畳敷きの部屋の中で両足を伸ばしばたばたさせていた。
 その手には青色の液体で満たされた小瓶が握られている。

「待たせたな、……って随分上機嫌じゃねえか。何だそりゃ、治療薬(ポーション)か?」
「おー、おかえりー。そ、ドクター・ジャック謹製の特注品だよ。なんでも弱った臓器を修復する効能があるんだってー」
「へえ。よかったな」
「ま、他にも色々かっさらったけどね。そこは君も同じだろ」

 テーブルを挟んだ対面に、ノクトも腰を下ろす。
 絶対安静が解けるのが余程嬉しいのか、風夏は彼の獲得してきた"戦利品"にも目を向けていない。

「ね、ライダー。これで速攻動けるようになるんだよね?」
「失礼ながら"速攻"ではありません。急げば縫合が破け、大量出血で死にます」
「ぶぅ」
「ですが、流石に見事な代物だ。これだけ良質な薬ならば、お伝えした通り安静の時間は一時間そこらで済むでしょう」
「ホント!? いぇーい! さっすがドクター・ジャック! 草葉の陰で見守ってろよーっ! ぴーすぴーす!」

 よほど絶対安静が嫌だったのか、〈脱出王〉はかつてなくテンションが高かった。
 ただそれに絆されるノクトではない。これの中身が性別などあるやなしやの奇術狂い、要するに変態なことは分かっている。
 やかましいのは嫌いではないが、ヘンに捻じくれた精神性を知っているとそれも台無しだ。
 後黒髪なのもいただけない。どうせなら新雪のような白髪にして、肌の色ももっと色白にし、……胸を盛って、人懐っこさを三倍ほど上げて、仕上げに頭頂部にぴょこんと天使のアホ毛をひとつまみ……

「うわなんか今めっちゃ寒気した。ノクト、何かした?」
「してないけどな。気のせいじゃないか?」

 こほん、と咳払い。
 さっき実物を見てしまったものだから内の恋心(狂気)が暴走気味らしい。
 こいつと漫才をしている暇は一秒たりともないのだ。てきぱき話を進めてさっさとおいとまし、次に向けた準備を進めるに限る。

 のだが。
 どうしても気になることがひとつあった。

「ところで、そのサーヴァントだが」
「ん? 何、気になるの? 質問されても答えないよ、流石に私もそのくらいのことは分かって――」
「そいつ、ジャックの縁者か?」

 風夏が固まった。本日何度目かのことだった。特に、このノクト・サムスタンプの前では。
 一方で事の当人、第三生のハリー・フーディーニは薄笑みを浮かべて一礼する。
 その仕草が、疑問の答えを告げていた。

「素晴らしい観察眼をお持ちのようですね、山越風夏殿のご友人は」
「顔が似てる。後は雰囲気だな……にしても、マジでそうなのかよ。
 正直真名に察しは付くが、どういう因果だ? 偶然ってレベルの話じゃねえだろ」

 第三生・蛇杖堂寂尊。
 神寂祓葉に歪められた異聞の現在とは異なる、言うなれば正史の第三生。

 ノクトは推測を済ませていた。
 〈脱出王〉のサーヴァントは彼女自身。すなわち、ハリー・フーディーニ。
 そうだとすれば見る度に顔が違うのも、明らかに単一の英霊とは思えない芸の幅も説明がつく。
 そもそも山越風夏自体、前回のハリーの転生体という胡乱この上ない存在だ。
 ならそういうこともあるのだろう。流石に英霊が内包する未来の中に、あの思い出したくもない暴君の継嗣が紛れているとは思わなかったが。

「真名は明かせませんし、推測の正否を答えることも出来かねますが……、事実わたくしは医者をしております。以後、お見知り置きを」
「一応言っとくけど、貸さないからね。そっちの治療は自分でしてよ」

 ノクトのもがれた方の腕を見て言う風夏。
 そこで彼女はようやく、彼の回収してきた"遺産"に気付いたらしい。

「……って、それがノクトの戦利品? えらいおあつらえ向きなの見つけてきたね」

 それは、"義手"であった。
 ただ、現代のものとは思えない外見だ。
 具体的に言うと材質が古い。ノクトが傍らに置いている義手は、明らかに木製だった。

「これから朝が来る。今までなら引き籠もって日暮れを待つところだったが、流石にもうその段階は過ぎた。
 となると隻腕じゃ色々不便だろ。だから義手、ないしその用途で使える物を探してたんだが……とんだ掘り出し物だったよ。
 お前の言じゃないが、ドクター・ジャック様様だ」

 ハリー・フーディーニは、奇術を極めるにあたり魔術の知識を修めている。
 よって彼女もすぐに解った。この義手もとい木は、ただの木ではない。
 何故なら本体から切り離され、加工され死蔵された今でさえ、明らかにこの木は"生きている"。

 生命の息吹と言えば陳腐だが、確かにそういうものを感じるのだ。
 おまけにその造形の、なんと機能的で美しいことか。
 間違いなくただの義手ではない。寂句が備蓄していたのだからそれ自体は当たり前だが、では果たして、これはどういう礼装なのか?

「こいつは霊木で製造された"生体義肢"だよ。
 似たものは何度か見たことあるが、此処まで出来のいいものは初めてだ。値段を付けるなら数億は下らないだろう」

 それは、とある魔術師の家が製法を伝える品物であった。
 厳密には医療器具ではなく、"修行器具"。
 内丹術の基礎である胎息を高効率で行い、術師と共生しながらその道を助ける第二の肉体。

 正式名を――『胎息木腕』という。

 今やそのことを知る者は皆無に等しいが、過日の蛇杖堂寂句は研鑽の一環で道士の一族と懇意になっていた。
 高乃家。当時の家長と幾度か議論を交わし、互いの知見を見せ合い、遂には研究材料として一本の『胎息木腕』を授かるに至った。
 ついぞ寂句自身がそれを使う日は来なかったが、何の因果か彼の死後、木腕は宿敵の手に渡ることになる。

「これなら腕の埋め合わせとして十分どころかお釣りが来る。年甲斐もなくワクワクしちまったよ」
「そりゃよかったね。とりあえず今後は君との遭遇を全力で避けようかな」

 それで? 
 〈脱出王〉は〈夜の虎〉に問いかける。

「君がわざわざ私みたいな、曰く変態に声をかけたんだ。どんなけったいな案件を持ち込むつもりなのかな?」

 さっきは嫌がって渋ったりしてみせたが、〈脱出王〉は自他共に認める変態である。
 彼女の精神性は祓葉とは別な意味で異形であり、あの都市で唯一最初から超人の域にいた。
 なのでいざ焦らされると、ノクトが自分に伝えたがっている話が気になって仕方ない。
 自分のショーを求めているらしい何某かは、いったい何処にいるのか。そもそも誰なのか、どういう人間なのか。

 気になる。気になる。早く教えろ。
 急かす〈脱出王〉を横目に、ノクトは木腕を腕の欠損面に押し当てて何やら計算しながら口を開いた。

「雪村鉄志」
「え?」
「琴峯ナシロ。
 高乃河二。
 で、まあこいつのは少しベクトルが違うだろうが、赤坂アギリ」
「……、……続けて」
「こいつらの現在の動向をお前に共有してやる。
 時系列の前後は多少あるが、それでもお前ならそこからプロファイリング出来るだろう」

 突如告げられた三人の人名と、見知った一人の名前。
 聞いても答えないだろうからわざわざ問わないが、ノクトは何らかのツテを使い、この四名の動向について捕捉しているのだという。
 〈脱出王〉は黙り込む。さしもの彼女でも、ノクト・サムスタンプが相手となればすべてを即断即決の気まぐれ模様で進めるわけにはいかない。

「"好きにしろ"。お前には別に何も求めない。ただ、昔のよしみでちょっと教えてやっただけだ」

 本来なら、それこそ非常に悪辣な条件の取引を呑みでもしなければ手に入れられないような値千金の情報。
 そんなものをよりによってノクト・サムスタンプが、無条件で一方的に差し出してきた事実に喜びより気味悪さを覚える。

 何がしたい。いや、何をさせたい?
 暫しの思考が必要だったが、しかし〈脱出王〉もさる者だ。
 抱いた違和感を分析し、解体し、奥に隠れた策士の意図を暴き出す。

 答えに至るなり、くく、とハリー・フーディーニは嗤った。
 嗤うしかない。つくづく、ノクト・サムスタンプとはなんとタチの悪い男であろうかと。

「ああ、そういうコト。要するにアレか。君、私に協力者の処理を任せようとしてるのか」
「さあ、何のことやら」
「とぼけるなよ。その情報、元は君のところに舞い込んだ"仕事"なんだろう?」

 考察。
 ノクト・サムスタンプは、いつもの如くどこぞの誰かと契約を結んでいる。
 その取引相手は、極星や暴君を知る彼でさえ容易に背中を刺せない規格外。
 真っ当に関わり合えばパワーバランス的にどうしても事実上の恭順を強いられ、芳醇な利益の代償に絡め取られる危険を背負わされる。

「君は、私に伝えた三人……アギリを含めれば四人のマスターを殺したい。
 だが一方で、依頼を持ち込んできた協力者Xにも適当なところで死んでほしい。
 となると理想の結末は相討ちだ。件の四人が滅び、かつXも倒れて、自分だけが残る――そういう結末を目指している。違うかな」

 適度に利益を貪った上で排除したいが、強大すぎる協力者を真っ当に殺そうとすれば角が立つ。
 どうしたものかと頭を悩ませていたところで、願ってもないことにその協力者から仕事の依頼が舞い込んできた。
 挙げられた名前は四つ。中には不倶戴天の敵たる赤坂亜切も含まれており、これらをすべて排除できれば聖杯戦争は大きく進む。
 仮にその戦いの中で協力者を失ったとしても、必要経費として十分納得できる数字だ。

 では、どうやって協力者Xを消すか。
 どうすれば最も角が立たず、自分の身を痛めない形で事を纏められるか。
 言うまでもない。敵対勢力とその協力者Xが、共倒れになってくれればいい。

「もうちょっと言おうか。君が契りを結んでいる何者かは強い上、とっても狡猾で油断ならない相手なんじゃない?」
「どうだろうな」
「君ほどの男でさえ、できるなら知恵比べさえしたくない。
 兎にも角にも、関わりたくない。ソレのやり口に絡め取られるリスクを極力排したい。
 可愛いじゃないかノクト。口ではああ言ってたが、私と再会できて内心"これだ"と思ってたんだろ」

 が、Xは狡猾だ。それこそ、蛇のように。

「捉え方はお前次第だ。言ったろ? 俺はただ、教えてやっただけさ」

 ではどうするか。その答えを、〈はじまり〉を知る策士は持っている。

「やっぱ君、私が知る限り一番のクソ野郎だな」

 企てを、整備された盤面を、あるべき運命を。
 ソレを崩す上で、〈脱出王〉は祓葉にも並ぶ規格外(イレギュラー)だ。

「いいよ、承ろう。
 いいや――受けて立とうじゃないの」

 ノクトが挙げた名前の面々は、アギリを除いて〈脱出王〉と面識もへったくれもない。
 だが、彼女はこの瞬間にかの運命への参戦を決断した。
 守ろう、顔も知らない彼らの人生を。
 抗おう、顔も知らない巨悪の陰謀へ。
 そしてそれは、もうひとつの大きな意義を持つ決断だった。

「もう一度君の、そして君が契った誰かの敵になってやろう。
 ちょうどよかった。私としても、さっきのは少し消化不良だったから」

 悪意の蛇と、その遺族達。
 彼らの運命線に、二つの狂気が混じる。
 ノクト・サムスタンプとハリー・フーディーニ。

「けど用心することだ。私の奇術(ショー)は、君にだろうと予測させないよ」

 毒を以て毒を制す。
 だが狂気の毒は、服用した結果何が起こるか誰にも予想がつかない。

「心配無用だよハリー・フーディーニ。最後はきっちりお前も殺して、俺の総取りだ」
「ふふ、い~いリリックだ。君もやっとエンタメの何たるかが分かってきたかな」

 よって混沌(ケイオス)。
 精密機械めいて頑然と聳える難関があるのなら、まずはその式自体を壊してしまえばいい。
 彼は非情の数式。そう呼ばれた男。
 自分以外の誰でも平気で裏切り、何ひとつ仁義を持たないからこそ、男は最も恐れられるのだ。

「用件は済んだ。追わないでやるから何処へなりと消えろよ」
「いいの? さっきも言ったけど、この義手上手く付けてくれくらい頼まれると思ったのに」
「あの爺さんの血引いた野郎なんぞ信用できるか。闇医者に頼んだ方がまだ安心できるわ」

 視界の端で寂尊が自嘲げに笑うのが見えた。
 この男の自虐は呼吸のようなものなので、まともに受け取るべきではない。

「あっそ。じゃあお言葉に甘えて」

 さておき、さしもの〈脱出王〉もノクトの傍に用もなく居座りたくはないらしい。
 立ち上がり、幾つかの戦利品を詰めたリュックサックを背負ってぽてぽて歩き出す。

「そうだ、最後にひとつだけ」
「なんだよ。まだ何かあるのか」
「駒として転がされる形とはいえ、貴重な情報を貰っちゃったからね。
 貰うだけ貰って何も返さないってのは、やっぱりちょっとアンフェアだろ」

 馬鹿な奴だなと思ったが、この害悪奇術師は案外形式を重んじる。要するに律儀なのだ。
 形式も様式も舞台には欠かせないもの。
 生粋のステージスターである故に、そこのところを軽んじないよう努めているのかもしれない。
 それ以外の全部が終わっているので、そんな義理堅さ程度では何の加点要素にもならないのだったが……

「だからこっちも君にひとつ、とびきりの話を提供してあげる」
「そりゃ嬉しいね。半信半疑でよければ喜んで聞かせて貰うよ」
「私は、この世界に穴を開けるつもりだ」
「……、……何?」

 そんな益体もない思考が、身体ごと停止した。
 今、こいつは何を言った?

「そう不思議な話でもないだろう。
 私は〈脱出王〉なんだから」

 この世界は鎖されている。
 そこに穴を開けると、奇術師は言った。
 その意味するところは、つまり。

「〈脱出王(わたし)〉は、ノアの方舟になる。それが今のところの、私達の最終悲願だ」

 世界の崩壊。
 聖杯戦争の破綻。
 星をめぐる運命の、強制終了に他ならない。

「――テメェッ!」

 相手が英霊を連れていることも、さっき交わした停戦協定も、すべてのしがらみをノクトは忘れた。
 風を操る魔術を駆使して砲弾を作り出し、もう帰る者のいない邸の中に直線の大破壊を吹き荒らす。
 直撃はおろか、掠めただけでも四肢が千切れ飛ぶ渾身だったが、やはり手応えはなく。

「言ったろう、ちょっとしたお返しだよ。
 いいように使われるのはどうにも性に合わなくてね」

 もう姿も見えないのに、〈脱出王〉の声がどこかから響く。

「せっかくなんだ、君も踊れよノクト・サムスタンプ。文字通り、死に物狂いでね」

 くすくす、くすくす。
 笑い声を残して空蝉した〈脱出王〉の意図を理解し、ノクトは殺意を込めて舌打ちした。

 怪物・神寂縁を退場させるために、追われる者達の元にハリー・フーディーニを送り込む策は成就した。
 が、やはり彼方も狂人。しかも六人の中で、間違いなく最も挙動の掌握が利かない暴れ馬。
 蛇殺しのジョーカーを引き込んだ代償は大きい。なまじ真実を知らされてしまったから、これでノクトも本腰を入れないわけにはいかなくなった。

「……やってくれるぜ、気狂いめ」

 ノクトの勝利条件は三つある。
 "遺族達"の殲滅。神寂縁の排除。そして、〈脱出王〉の抹殺。
 最低でも後者二つは絶対に成し遂げなければならない。
 できなければ自分の勝利が脅かされるどころか、最悪この世界そのものが壊される。

 霊木の義手を弄びながら、傭兵は嘆息する。
 やはり自分は、肝心な時に限って運がないらしい。
 いっそ聖杯にそこのところを願ってみるべきなのかもしれないと思う、ノクトなのだった。



◇◇



【港区元麻布・蛇杖堂邸/二日目・早朝】

【ノクト・サムスタンプ】
[状態]:疲労(大)、複数の打撲傷、右腕欠損、恋
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:『胎息木腕(右腕分のみ。古いもの)』、蛇杖堂邸で回収した幾らかの道具
[所持金]:莫大。少なくとも生活に困ることはない
[思考・状況]
基本方針:聖杯を取り、祓葉を我が物とする
0:負傷を癒やした後、再び動く。
1:神寂縁に協力しつつ、奴が"追われる者達"と相討つように仕向けたい。
2:当面はサーヴァントなしの状態で、危険を避けつつ暗躍する。
3:ロミオは煌星満天とそのキャスターに預ける。
4:煌星満天の能力の成長に期待。うまく行けば蛇杖堂寂句や神寂祓葉を出し抜ける可能性がある。
5:満天の悪魔化の詳細が分からない以上、急成長を促すのは危険と判断。まっとうなやり方でサポートするのが今は一番利口、か。
6:何か違和感がある。何かを見落としている。
7:〈脱出王〉の危険度を格上げ。早急に排除しなければならない敵と認定。
8:それはそうと、頃合いを見て煌星陣営から送られた動画を確認しねえとな。あー忙しい。
[備考]
 東京中に使い魔を放っている他、一般人を契約魔術と暗示で無意識の協力者として独自の情報ネットワークを形成しています。

 東京中のテレビ局のトップ陣を支配下に置いています。主に報道関係を支配しつつあります。
 煌星満天&ファウストの主従と協力体制を築き、ロミオを貸し出しました。

 蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。

 神寂縁から雪村鉄志、琴峯ナシロ、高乃河二、赤坂亜切の現在の動向について連絡を受けました。

 蛇杖堂邸で高乃家の礼装『胎息木腕』を回収しました。
 これが高乃河二の装備している物と同じ性能かどうかはおまかせします。

 山越風夏のサーヴァントの真名が「ハリー・フーディーニ」であろうことをうっすら察しました。

 ファウストから蝗害調査のデータファイルを受け取りました。まだ中身は見れていないようです。


【山越風夏(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:疲労(大)、腹部の手術後、「魔術的治療なしなら2日間絶対安静」との診断
[令呪]:残り三画
[装備]:舞台衣装(レオタード)
[道具]:マジシャン道具、蛇杖堂邸で回収した幾らかの道具(薬あり)
[所持金]:潤沢(使い切れない程のマジシャンとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を楽しく盛り上げた上で〈脱出〉を成功させる
0:"追われる者"達への接触を目指す。
1:過程上で拾えるなら華村悠灯を拾いたいけど、はてさて。こればかりは時の運だね。
2:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
3:華村悠灯がいい感じに化けた! 世界に孔を穿つための有力候補だ!
4:よく分からないけどレッドライダーは排除されたようだし、〈デュラハン〉との義理はどうするかなぁ
5:レミュリンの選択と能力の芽生えに期待。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。

〈世界の敵〉に目覚めました。この都市から人を脱出させる手段を探しています。

蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。

蛇杖堂邸で狙い通り癒しの薬を回収しました。


【ライダー(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:第三生のハリーと入れ替わり中
 三生→健康
 五生→健康
 九生→疲労(大)
[装備]:九つの棺
[道具]:
[所持金]:潤沢(ハリーのものはハリーのもの、そうでしょう?)
[思考・状況]
基本方針:山越風夏の助手をしつつ、彼女の行先を観察する。
0:蛇杖堂寂句の遺産を漁ってマスターを治し、ついでに手品の種を補充する。
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:神寂祓葉は凄まじい。……なるほど、彼女(ぼく)がああなるわけだ。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。

宝具『棺からの脱出』を使って第三生のハリー・フーディーニと入れ替わりました。

第三生のハリー・フーディーニ:
生前の名は「蛇杖堂寂尊(じゃじょうどう・じゃくそん)」、かの蛇杖堂寂句の2人で1人前の「共同後継者の片割れ」です。
蛇杖堂寂句の医術と体術を継いでおり、治癒魔術や治療薬の知識もありますが、治癒魔術の実践はできません。
寂句に自尊心をズタズタにされており、己の能力を過小評価する傾向がありますが、外科医としての腕と格闘術は超一級です。

第五生のハリー・フーディーニ:
神聖アーリア主義第三帝国陸軍所属。第四次世界大戦を生き延びて大往生した老人。
スラッグ弾専用のショットガンを使う。戦闘能力が高い。
ヴァルハラの神々に追われている妄想を常に抱いており話が通じない。

雪村鉄志、琴峯ナシロ、高乃河二、赤坂亜切の現在の動向について聞きました。



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最終更新:2025年12月20日 00:50