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 渋谷区、東部。
 恵比寿商店街。

 幸運にも巨人の進撃軌道から逸れていたその一帯には、北欧から吹き荒ぶ寒波も、極大の矢による砲撃も未だ到達していない。
 さりとて今後も無事で済むか否かは今も街中で縦横無尽に暴れまわる英霊達の胸三寸で決まろう。
 よって当たり前に、近隣住民は一人残らず渋谷区外へと避難した後であり、停電によって闇に飲まれた今の商店街には、慌ただしく動いたであろう人々の痕跡と、決して遠くない戦場から届く轟音が滞留するのみである。

 そんな、混乱地帯のエアスポットに今、擦り切れた革靴が踏み入った。
 落ち着いたリズムで響く足音は1人分。しかし、潜めた息遣いは2人分。

「……追われてるな」

 よれた黒スーツを纏う男の発する、淡々とした呟きと軽い舌打ち。
 断定口調で告げられた危機の継続に、男に抱えられた少女は小さく息を飲んだ。

「化物が。固有結界(あんなもん)まで持ち出して、消費も馬鹿にならないだろうに。
 ……なるほど確かに、しつこさにかけちゃアレは"蛇"を名乗るだけあるね」

 赤坂亜切に抱え上げられた状態で、レミュリン・ウェルブレイシス・スタールはそこそこの距離を移動し、この商店街に至る。
 誰に向けられたものでもないアギリの独り言を聞きながら、レミュリンは揺れる視界、未明の商店街に点在する闇の奥へと、無意識に目を凝らしていた。

 あちらこちらから手招いていた未発達な手腕の束。
 生を受け、産まれ育つという当然の尊厳すら奪われた水子たちの世界。
 無邪気で甲高い喚声の合唱、「こっちへおいで、いっしょにあそぼう」と誘う声は一時的に危機を脱した今も、背骨を氷でなぞり上げられたような怖気を伴い、レミュリンの耳朶にこびり付いて離れない。

 総身を震わせる恐怖とともに確信する。恐ろしいものに目をつけられてしまった。アレはどこまでも追ってくる。決して、決して、逃げられない。
 外灯の絶えた電柱の影、交差点の曲がり角、ぽっかりと黒い口を空ける路地裏の深淵。
 今にも、そこから這い出てくるモノはないだろうか。 
 何より背後、人体の構造上、必然に存在する死角から肩に伸ばされる手は、あるいは既に、もうすぐそこまで―――

「怖いかい?」

 真上から不意に差し向けられた言葉の矢。
 射すくめられたレミュリンはビクリと分かりやすく身を硬くし、自分のすぐ頭上にある男の顔を見上げた。

 赤坂亜切の目が、この街でずっと追っていた"家族の仇"の両眼が、紅蓮に染まる真っ赤な眼が、まっすぐにこちらを見下ろしている。
 男の視線に値踏みするかのような光が伺えたこと、そして先程感じた恐怖心を見透かされていることを理解して、レミュリンは自分の胸にもやっと小火のような反感が灯るのを感じた。

「っ……ぐ……」

 きっと言いたいこと、言うべきことが山のようにある筈なのに、それを上手く言語化できない自分の半端さが悔しい。

「正直、ここから先はノープランだ。
 けど言ったように、僅かでも僕の家族である可能性が消えない限り、死んでもらっちゃ困る。
 君は生きて価値を示す義務がある。それが暫定とはいえ僕のお姉ちゃんから(妹)を外した責任というやつだ。
 不快だろうが、しばらくこの格好で我慢してくれ」

 家族を奪った男が、曲がりなりにも蛇からレミュリンの命を救い、恐怖の只中から九死に一生を拾い上げた。
 混乱がおちついても、未だ困惑は拭えない。
 "怒ってるし恨んでる"。先程の撤退戦の最中、無我夢中で吐き出した言の葉は確かな本音だと思えたのに、こうして対面して尚、『どうしたいか』という肝心な部分だけが掴めない。

「……別に……あなたが怖いわけじゃない……」

 結局、言葉に出来たのは、そんなズレた訂正だけだった。
 誤解しないで、いま怖いのあくまで蛇であって、あなたなんて怖くないから。
 なんて、訂正(つよがり)。

「だったら君には僕がどう見えてる、レミュリン・ウェルブレイシス・スタール?
 言ってみるといい。ちょうど時間が出来たことだし、約束通り君の恨み言を聞いてあげよう」

 アギリは先ほどと変わらぬ目線でこちらを見下ろしてくる。
 その目には一つの負い目もありはしなかった。ただ、何かを見極めるような、粘質な光を瞳に灯していた。
 背中まで突き抜けるような赤い瞳の凝視に、レミュリンは恐怖よりも、なぜか捉えようのない恥ずかしさを感じ、つい目を逸らしてしまった。
 途端、言いようのない敗北感が湧き上がり、こんなんじゃ駄目だと、お腹の底から鬼に立ち向かうための勇気をかき集める。

「……アギリはどうして、わたしを助けたの?」
「家族(いもうと)かもしれないから」
「意味が……分からない、何を言ってるの?」
「分からなくていいさ。今はね」

 レミュリンの出自を理解している様子の男が、なぜ自分を助けたのか。
 そこについては支離滅裂な妄言の羅列ばかりで、ほとんど理解できないけれど。一つ分かるのは彼が自分に何かを見出したということだった。
 逆に言えば、向けられる興味、疑念、あるいは期待のような何かが消えたとき、男はあっさりとレミュリンを殺すかもしれない。

 しかし、蛇というの怪物を敵に回してまで、命がけでレミュリンを助けた彼の行動には一切の迷いが無かった。
 千切れた耳から滴り落ちる血、身体のあちこちに刻まれた生傷が痛々しい。
 妄信の狂気が、果たしてレミュリンの内側に何を見たのだろう。

「……あなたはきっと、イリスさん達が言ってた通りのヒト……かもしれない」

 アギリは狂人。はじまりの六人、その一人。
 壊れていて、歪んでいて、破綻している。
 倫理の観点において、何人もの人間を殺害した悪人、何度も聞いてきた前評判。

「へえ、あいつらに会ったのか、そりゃ苦労したろう」

 今日の対面に至るまで越えてきた苦難を察してか、アギリの眼がすうっと細まった。
 少女がイリスやジャックとの対面を経てここにいる事実に、少なからぬ感心が見て取れる。

「……うん、本当に、大変だった」

 そう、実際大変な目にあってきた。この男に会うために、レミュリンは針音の街を駆けてきた。

『君には復讐する権利がある』――選択肢を示した脱出王。
『その代わり、相応の覚悟はすることね』――レミュリンにとって最初の試練であった蝗害の魔女。

 アギリ・アカサカは悪なのだろう。
 伝聞の通りの、心のどこかで自分が期待していた通りの。
 恨むに足る、糾弾するに足る、悪鬼、なのだろう。
 だけどそれを知るだけなら、会うまでもなかった。

「わたしは、あなたに会いに来た」

 目を凝らす。彼をもっと、よく見るために。
 これまでの道程は、そのためにあったのだから。

『かわいい人だよ』――交錯する現人神。
『奴が現れたからこそ、貴様の姉は……』――真実の一端を処方した医師。

「あなたが、わたしの何であるかは、わたしが決めることだから」

 真実なんて求めなければ自由でいられたのに、と蝗害の魔女は言っていた。
 知ることを選ぶ。それは困難な道だと、ヒーローは言っていた。
 縁のない闇の中を往く、苦しみに満ちた不器用な生き方。
 だけど、歩く価値のある道だとも。

「あなたが、わたしなんかに、何を見たのかわからない。……けど、あなたが見たいなら、見たいだけ見ればいい」

 精一杯の虚勢を張って、慣れてない挑戦的な言葉を使って、できる限り格好をつけてみせる。
 赤い瞳に全ての虚飾を見透かされているような気がするけれど、それでも構わなかった。

 いま、隣にいないヒーロー。一人は心細い。だけど助けてほしい、なんて言えない。
 これはレミュリンの戦いなのだから。
 目指していた瞬間、ここで終わりじゃない。むしろここからが本当の苦難の幕開けだったとしても。
 今は一人で立ち向かわなくちゃいけない。
 遠くで戦い続ける最高のヒーローと、縁を結んだ魔術師(マスター)として、恥じない自分であるために。

「だから代わりに、あなたのことを教えて、アギリ」

 先に進むために、レミュリンはここまで来た。

「あなたは誰なの? どうして、わたしの家族を殺したの?」

 『どうしたいのか』を決めるのも、全部それから。
 それが少女の、熱の日々の、目指す終点に至る道なのか、分からない。
 だけど闇の中で遠くに灯るその導を、ただ一つの目印にして走り続けている。

「わたしは、あなたを……『あの日の真実』を、知らなきゃいけないから」

 今こそ、自らの運命を知る。
 凶の熱視線から、今度は目を逸らさず、レミュリンはそう言い切った。

 ちりちりと身を焼くような魔眼に、まっすぐに合わせられた少女の視線。
 妄信に淀みきったアギリの網膜がほんの僅かに異なる色彩を湛え、此処ではない遠くを見るように収束した。
 赤い瞳がぱちぱちと瞬き、驚きとも関心ともつかないような、一瞬の変化が過ぎる。

「…………君―――」

 僅かな沈黙の後。
 ややあって、ゆっくりと動いた彼の口元はしかし、すぐに引き結ばれてしまった。

「っと残念、時間切れだね」
「ええ!? なん―――わぷっ!」

 あんまりなスカしに、咄嗟に不満を表明しようとしたレミュリンだったが、文句を最後まで口にすることは出来なかった。  
 小柄な体躯を抱えていたアギリの腕に出し抜けに力がこもり、ぐいっと身体を引き寄せられたからだ。
 よれたスーツの生地に顔面が押し付けられ、一瞬、いつか嗅いだことのあるような煤けた匂いに包まれる。
 混乱から間を置かず、強烈な魔力波が視界外から急速接近するのを感じ取り、ああ、意気込んだ矢先、またしても仇に庇われている。
 と、少し抜けた理解に至ると同時、アギリの身体越しでも感じ取れるほどの凄まじい極光と風圧が到達した。

 敵の攻撃。サーヴァントによる長距離狙撃。
 それと理解する暇すら与えられず。
 レミュリンの視界は迫りくる黒白の奔流によって、瞬く間に覆い尽くされていった。


「いや、コレは一体どういう状況なわけ?」

 脱衣所からリビングルームに戻ったアンジェリカ・アルロニカは、手のひらで額と目頭を覆いながら嘆息していた。
 頭が痛い。少し目を離しただけで、何故こうも拗れているのだろう。
 着替えを済ませるまでのほんの僅かな時間に、果たして何があったのか。

 アンジェリカは軽く首を振り、大きく深呼吸をしてから、緊張感に包まれたリビングの状況を確認する。
 まず、リビングの中央、ひっくり返ったソファの横に立つ復讐者(アヴェンジャー)の姿。
 輪堂天梨と一緒にバスルームに入った時点では、まだ衰弱しきった様子でソファに横たわっていたのだが、ようやく意識を取り戻したのだろう。
 多少は回復したのか。元気になったのは良いのだが、現在その手に抜き身の刀があり、あからさまに殺意を迸らせているのは全くもってよろしくない。

「あと5秒待ってやる。退くか死ぬか、さっさと選べよ害虫(キキリ)共が」
「怒るのは分かる……分かるがここは抑えてくれって」

 復讐者の殺意が向かう先はリビング奥側、洗面所から見て反対側にあるベッドルームに続く扉だった。
 正確には、扉の前で仁王立ちする髑髏の仮面。
 全身黒タイツのようなぴっちりした衣服に身を包んだ異様の暗殺者(アサシン)。

 一触即発の雰囲気が立ちこめる空間にて、2騎のサーヴァントの中心に挟まれた少女が一人。
 洗面所のドアが開く音に反応し、薄紫色のショートカットがくるりと翻り、振り向いた天梨の困りきった目がアンジェリカを捉えた。

「アンジェさん……その、どうしよう……」

 縋るような視線を振り払うわけにも行かず、彼女の隣まで歩いていく。

「……で、何があったの?」

 バスルームを出て、天梨の手当を済ませたのが大体10分程前のこと。
 落ち着いていた渋谷区内へと、新宿方面から強大な魔力反応が流入してきたのが、僅か5分程前のことだった。
 その時点では、まだアヴェンジャーの意識こそ回復していなかったものの、アーチャー(天若日子)の千里眼を備えていたアンジェリカ達は、いち早く危険を察知することが出来た。

 新宿にて敵対したアーチャー、巨人スカディの再接近を察知した彼女達は、まず渋谷区を離れることを即決した。
 新宿を氷漬けにしただけでは飽き足らず、渋谷にまで攻め込んできた凍原の女神。
 先の戦闘ではミロクの機転とアンジェリカ達の介入によって何とか退避できたものの、消耗した状態の天梨達を連れたまま正面戦闘に巻き込まれるなどもっての他である。

 その上、ホテルの屋上に陣取っている天若日子からの知らせによれば、スカディの到来を皮切りにして、渋谷にて燻っていた多数の勢力が一斉に動き出したらしい。
 都市のあちこちから立ち上る膨大な魔力反応の渦。
 恐らく、あと数刻もしない内に、渋谷区全土にて同時多発的に戦闘が勃発する。
 そうなってしまえば、後はもう混沌だ。渋谷は既に安全な場所ではない。

 よって、早々に区外に逃れてしまおうと、そういう話だったハズなのだ。
 つい数分前、アンジェリカが着替えと荷物を纏めるために脱衣所に入った段階では。

「それが……その……」

 話が拗れた原因と思われる場所に、天梨が困りきった表情で視線を飛ばす。
 彼女が連れた厄介者(アヴェンジャー)、ではなく。
 それは意外にも、ベッドルームの扉の前に陣取る、アサシンに向けられていた。
 いや、正確にはその更に奥。

「ほむっちが……引きこもっちゃってて……」
「はい?」

 確かに、リビングにはあの瓶詰めの赤子の姿は見えない。
 察するにベッドルームの中に居るということなのだろうが。
 そして、その扉の前にアサシンが居るということは、つまり。

「これ、明確な協定違反でいいよな? 殺してほしいってことで、あってるよなあ?」
「だから待ってくれって。正直言って俺様も困ってんだよ」

 アヴェンジャーに凄まれたアサシンは露骨にたじろいでいるが、やはり頑として扉の前を動かない。
 ホムンクルス、ミロクの陣営が立てこもってしまった。ということなのだろうか。
 何故、こんな唐突に。アンジェリカにも流れがさっぱり分からなかったが、ようやく状況が見えてきた。

「大将は意味のねえ事はしねえさ。だから、ほんのちょっと、時間をくれって」
「その考えってのは何だ?」
「……いや……それは……言えねえけど」
「時間ってのはどれくらい必要だ?」
「……そう、長くはかからねえ……と、思う……あー、20分くらい……だそうだ? いや15分! ……15分でいい!」
「クソが、話にならねえ」

 重ねて不可思議なことに、アサシンすらこの状況に戸惑っている様子だった。
 白い髑髏の仮面の上からでも、主人から下された飲み込み難い指示に困り果てていることが伝わってくる。

 アヴェンジャーが怒るのも、今回は道理と言えるだろう。
 状況は一刻を争う。
 理由も説明できぬまま、足並みを乱されるのは迷惑極まりないのが実際のところ。

「なんなら置いて行ってくれても構わねえよ、大将もそう言ってる」

 アンジェリカの判断としても、それが妥当な対応と言えた。
 これ以上、高層ホテルに留まるのは危険だ。

 アーチャークラスが暴れている現状、流れ弾の一発が致命傷になりかねない。
 よって、つまり状況が拗れた理由は、全てホムンクルスにあるわけでもなく。

「とにかく武器を仕舞って。アヴェンジャー」

 告げた天梨は当惑しながらも、一つの意思を示していた。

「私も残る」
「君は底抜けの馬鹿なのか? 散々振り回されて、少しは懲りたらどうなんだい」

 天梨はホムンクルスを見捨てないだろう。
 ホムンクルスが此処を動かない限り、彼女もまた動かない。

「ほむっちは……私を助けてくれたよ……」
「最初から奴らの標的は人形(ニポポ)だったろうが。アレを拾って来なけりゃ、君は襲われることも無かったんだよ、間抜け」
「それでも……」 

 見捨てられないよ、と溢した天梨は俯き、重苦しい沈黙がリビングを包みこんでいた。

「……あー、ったく」

 アンジェリカはもう一度、目頭を抑えながら、頭の中を整理する。
 選択肢は二つに一つ。
 こんな纏まりのない集団からはとっととおさらばして、アーチャーと二人で渋谷を離脱する。
 魔術師としては、どこに出しても恥ずかしくない、合理的で百点満点の解答だろう。

 天梨のスタンスは聖杯戦争に臨む上では完全に落第と言える。
 話にならない不合理だ。0点の解答。
 よって、アンジェリカにしてみれば、選ぶのは至極簡単であった。

「……ったく」

 繰り返し、嘆息を重ねて。

「15分ね」

 弾かれたように天梨が振り返る。
 部屋中の視線を一挙に集めたアンジェリカは、そのまま堂々と言い切った。

「わたしとアーチャーで、15分だけ拠点防衛の体制を維持する。それ以上は待たない。テンリも時間が過ぎたら納得して移動すること、いい?」
「あ……ありがとう……アンジェさん」
「あのねえ、別に礼とか言われることじゃないから。ここであんたたちと別れたら、何のために助けたのって話だし。終わったらしっかり報酬もらうからね」

 まだホムンクルスから情報も聞き出せていないのだ。
 これまでの苦労を投げ売って逃げるのは、アンジェリカとしても癪だった。


 そして、なにより、天梨の解答は魔術師としては0点であったけれど。
 ヒトとしては、アンジェリカが目指す世界における答えとしては、きっと正しいと思えたから。

「じゃ、そういうことだから。すぐ動けるように、全員ちゃんと荷物纏めときなさいよ」

 やると決まれば時間が惜しい。
 きびきびと廊下へ出たアンジェリカの背に、誰かの足音が追ってくる。

「アンジェさん! 私――」
「もう、怪我人は大人しくしとけっての、あんたにはあいつら(サーヴァント)の喧嘩を抑える役目が……」

 天梨の発した温かな声に、呆れながらも振り振り向いたとき。

「ありがと……本当に、色々と、ありがとうね……」

 アンジェリカの右の手のひらが、少女の両手に包みこまれる。

「………」

 一瞬、きょとんとして固まっていた自分を俯瞰して、アンジェリカはほんの僅かに違和感を覚えた。
 あれ、一体なんだろう、この感覚は。

「うわわ、ご、ごめんね。時間ないのに、邪魔しちゃって、わたし……」
「あ、う、うん、もう行くから」

 ぎこちなく手を離して、陽だまりのような笑顔で見送る天梨と別れ、ホテルの廊下に出る。
 スイートルームは最上階にある。
 窓から屋上に出てアーチャーと合流し、陣を構えて索敵体制を整える。

 魔術師としては落第でも、やることは明瞭で、そこに向かって進んでいける。
 迷いや疑念は胸に無かった。
 先程感じた僅かな違和感も、廊下の窓を開いて屋上に出たときには霧散している。

「……なんか、また、世話の焼ける後輩が増えちゃったな」

 眼下には、秩序崩壊の迫る針音の夜景。
 渋谷全域に伸し掛かる狂宴の気配を肌で感じながら、アンジェリカは闇の奥に潜む気配達に目を凝らした。




「―――あめわか」

「―――心得た」

 阿吽の呼吸、以心伝心。細かい説明の必要もなく従者は主の意思を読み取った。
 高層ホテル屋上、ライトアップされた広告看板の影に立ち、アンジェリカは戦場を俯瞰する。
 呼びかけに応え、背後に像を結んだ青い魔力の粒子はやがて、平安の直衣を纏う美しき弓兵の姿となって現界した。

 外気に晒した頬に、冷たい風が吹き付けられる。
 突き刺すような痛みを伴う、それは人の身には絶えられぬ常冬の世界から齎された北風だ。

 渋谷の夜景は今、華やかさと不気味さを混ぜ合わせたような斑模様と化している。
 日本の首都、人工文化が作り上げた光の絨毯の中に、ぽっかりと開けられた幾つかの黒い穴。
 停電地帯と見られるそこは人工の火に代わり、破壊を物語る野生の炎によって舐め尽くされていた。
 いよいよ秘匿の概念が剥がれつつあるのか、迫る混沌の渦が針音の街を染めていく。

「ひぃ、ふぅ、みぃ…………ハッキリ見えるだけで頭数は十(とお)以上、か。
 之は之は……いくらなんでも役者が揃いすぎているなあ」

 アンジェリカの隣に立つアーチャー、天若日子は広がる戦況を掴み取る。
 高ランクの千里眼を駆使した状況掌握、高所に陣取った弓兵の面目躍如だ。

 彼の声は面白がるようでもあったが、同時に確かな緊張感を伝えてもいた。
 十を超える英霊(サーヴァント)の気配。
 アンジェリカや天梨達を除いても、渋谷に燻っていた火種の数は凄まじく、それらが一斉に点火されようとしている。

「主戦場は三つ。街の西方に一つ、中央寄りの西と北側に二つ。むむ、特に中央の二つは不味いな」
「うん、この距離ならわたしでも分かるよ、アイツら……だよね」

 新宿にて、輪堂天梨とホムンクルスの陣営を壊滅寸前まで追い込んだ、悪鬼と女神。
 渋谷の中心部を移動しながら躍動する巨人の地響きは、千里眼を持たぬアンジェリカであっても十分に感じ取る事ができた。

「同じアーチャークラスで、あちらの目も良さそうだが、よほどの敵と相対しているのだろう。幸い、今は此方に迫る気配はない」

 それが注目すべき戦場の一。
 ならばもう一方は―――

「嵐のような黒虫の群れ……街を喰らう災害。ふむ、おそらくあれが音に聞く……」
「……蝗害」

 幸いどちらの戦場も今少し距離がある。
 今のところアンジェリカ達のいるホテルに近づく様子もない。
 混沌からはいまだ距離がある。しかし懸念は拭えなかった。
 規模の大きな戦闘とはつまり、一瞬の内に目の前に迫る可能性を秘めているのだ。

 特にスカディという、アーチャークラスの敵が居ることが気がかりだった。
 混沌を見つめているとき、混沌もまた――というフレーズが脳裏に浮かぶ。
 敵もまた千里眼を備えていれば、アンジェリカたちに気づいている可能性が否めない。
 今応戦している敵が居なくなってしまえば、此方を標的に定める未来も想定して然るべきだ。

「懸念材料、不確定要素が多すぎるね」

 各戦場の規模が大きく、予想される敵の特性が剣呑であり、かつそれぞれが近すぎる。
 介入するには慎重な判断が求められる上に、今のアンジェリカ達は身軽ではない。
 15分と言わず、すぐにでも渋谷から引き上げたいのが本音ではあったが。

「オーケイ、あめわかはそのまま監視継続してて。こっちは足元を固めるから」
「承知した」

 ちらりと、先程自分を送り出してくれた少女の笑顔が浮かぶ。
 しょうがない。引き受けた以上はやるしかない。

 嘆息を堪え、アンジェリカは暗殺者(アサシン)警戒の為に屋上の四隅へと目を向けた。
 静電気と基礎的な結界魔術の組み合わせ、即席の鳴子を設置しようと回路に魔力を通し始める。
 丁度、その時だった。

「待て……アンジェリカ」
「どうし―――」

 弓兵が、先を告げるまでもなかった。
 アンジェリカの背中が総毛立つ。

「一つ増えたぞ」
「……!」

 新たな戦場の発生。
 この地域において、都合四つ目となるその地点(ポイント)は渋谷区東側、中央主戦場の反対側であり、今までで最も近く、そして何よりも―――

「な……に……なんなの……これ……!?」
「……お世辞にも、趣味が良いとは言えぬな」

 今までで最も凶悪かつ醜悪な気配。
 単純な強さという意味でも侮れないが、なによりも感じたのは薄気味悪さだった。
 本能的な嫌悪感を齎す、底しれぬ貪欲さを解放した悪意の発露。
 見ればアーチャーも顔を顰め、東の方角を注意深く睨んでいる。

「すぐに引っ込んだな、隠れるのが上手い奴。
 だが中々大規模な結界術を使おうとしたようだ。腐った性根が湧き出るように滞留しているぞ」

 彼にしては口さがない、辛辣な口調で告げながら、片手を丸めて目に当てている。
 もう決着がついたのか、あるいは技が不発に終わったからか、少しずつ吐き気を催す怖気が引いていき。

「……一人、こちらに接近してくる」

 混沌が、アンジェリカの足元まで迫るのを感じた。

「どっちかな」
「さて、もうじき顔も分かる」

 状況から言って、東側の戦闘から逃れてきた人物に違いない。
 先程の気配の主か、それが戦っていた相手か。

 おそらく相手はまだ、こちらに気づいてはいないだろう。
 敵ならどうする。やり過ごすか、迎え撃つか。話せそうなら接触を試みるか。
 いかに対応するか、頭を悩ませていたいたアンジェリカはしかし、続けられた弓兵の声に、更に困惑することとなる。

「驚いたな、赤坂亜切だ」
「はあ!? なんで?」
「確かだ、東から移動してくるのが見えた。この軌道だと、おそらく数分もせぬ内に、このホテルの近辺を通過するぞ」

 アギリ・アカサカの接近。
 天若日子に限って見間違いはないだろう。

 ならば、先程の剣呑な気配が戦っていた相手こそ、アギリ。
 ここまでは間違いない。
 解せない点は多い。何故、奴が単独で戦闘に及んでいたのか。
 サーヴァントと引き離されてしまったのか。あるいは別の事情があったのか。

「如何にする、アンジェ? ここで討つか?」

 なんにせよ、これは千載一遇のチャンスであるとも言える。
 アンジェリカはアギリのサーヴァントがスカディであることを、そして今、奴の近くに控えていないことを知っている。
 悪鬼は単騎でも手強いだろうが、サーヴァントの守りのない今ならば。

 仕掛けても良い。いよいよホテルの直下を通過しようとしている気配。
 リスクとリターンを天秤にかけ、アンジェリカは思案する。
 これは聖杯戦争、従者不在を狙われようと卑怯とは言うまいし、なによりアギリ・アカサカの歪んだ人格は彼女も目の当たりにしている。
 輪堂天梨の背を踏み躙り狂笑を浮かべていた悪鬼の姿は、別に殴り飛ばしても胸が痛むことはなさそうだった。

「ただし……それには問題があってな」

 続けられた従者の声に、腹を決めようとしていたアンジェリカは再び困惑の最中に落とされた。

「あやつ、なにやら女児を抱えながら動いているようだ」
「……ナニソレ……どういうこと?」
「さてな……見たところ日の本の子ではない。
 アンジェと同じ異人、歳も同じか少し下くらいの」
「なにか、目的があって攫ってきたか、人質かな」
「保護した、という線は?」
「ないでしょ」
「そうだな、言ってみただけだ。で、もう一度聞くが、ここで奴を討つか?」
「…………」

 つまり、問題が複雑化してしまったということだ。接近してくる悪鬼へと、上から一方的にアーチャーの攻撃を叩き込めば良い、といった単純な話ではなくなってしまった。
 アーチャーの攻撃規模では、アギリが抱えている少女を巻き込んでしまう可能性が高い。
 アンジェリカとしても、敵を討つためとはいえ、無関係な少女を犠牲にするのは目覚めが悪い。
 とはいえここでアギリを見逃して、誘拐されている(かもしれない)少女を見捨てるのも気分が悪く。

「むむむ……」
「ところでもう一つ分かったのだが」

 さて、どうしたものか。
 と、思案する少女をせっつくように、状況は瞬く間に進行していく。

「狙っているのは我々だけではないようだ」
「ああ――そういう」

 しまった。考えれば分かる事だった。と、アンジェリカは額に手を当てた。
 先程までアギリが戦っていた相手、それが健在であるならば、こういう状況は必然的に起こり得る。
 そして従者は目前に迫る状況について、端的に述べた。

「たった今、西方から高速接近する影を確認した。
 もう既に攻撃体制に入っている。どうやら此奴は我々と違って、躊躇がないようだ」

 どうする、時間がないぞ。
 従者は目で問うている。

 実際、細かい指示を飛ばす時間はなかった。 
 よって、アンジェリカは―――

「アーチャー、着地任せた」

 指示を以下の一言に纏めて、ホテルの屋上から、針音の夜へと飛び込んだ。

「後は、"わたしが言うと思うこと"をやって」
「―――心得た」




 夜空を飛来する黒影の速度は音を超え、地上にいる何者にも捉えるすべはない。
 暗幕の降りた夜の下であれば尚のこと。
 空気の壁を叩き割る、ターボジェットの高音すら置き去りにして、流れる星の如く彼女が迫る。

 天津甕星、今の彼女は非常に不機嫌であった。
 元より機嫌は良くなかったが、更に苛立ちが増している。
 理由は明らかだった。
 当初の指示通り蝗害の主を追うべく、中野区方面から渋谷に侵入した彼女は、そこで捕まってしまったのだ。

『ああ、キミ、良いところにきたじゃあないか』 

 忌々しい、男の声。
 虫酸が走る念話が頭に満ちて、鳥肌が立つ。
 しばらく聞かずに済んでいたのに、心底軽蔑しきっている契約相手(マスター)の、念話範囲に入ってしまったのが運の尽き。

『獲物は定めた。赤坂亜切を追い落とせ、アーチャー。いい加減、僕の役に立って見せろ』

 いつになく興奮した様子の声に命じられ、優先順位が切り替わる。
 眼下に捉えた的、渋谷の夜を移動し続けている男、赤坂亜切。
 蛇に睨まれた標的へと、迷いなく矢を番えた。

 腹立たしいし、めんどくさい。
 どうやら蛇は非常に興奮しているようだった。
 頭に響く不快な声は粘性を増し、吐き気を伴って、彼女の攻撃性、もといずぼらさを際立たせる。

「あーもう、やればいいんでしょうが!」

 相手がサーヴァントではなく人間だろうが、巻き添えが出ようがしったことか。
 なにか抱えているようだが、どうせ敵だ。撃ってしまえ。
 さっさと終わらせて、さっさとあの変態マスターと縁を切りたい。
 その一心で、みなぎる魔力を宝具に流し込み。

『―――ああ、それと、一つ言い忘れてたけど』
「え?」

 べん、と。弓の弦が振動し。

『僕のご馳走(レミー)に傷一つ付けてみろ』

 その念話が届いたのは、絶殺の矢が放たれた直後だった。

『令呪をもって死を命じるからな』 
「注釈があるなら早く言えよこのォ―――!」

 彼女の罵詈雑言をかき消すように、轟音が響き渡る。
 眼下では既に手を離れてしまった都合三射の砲撃が、夜を引き裂き目標地点に着弾するところだった。




 無人の路上にて、赤坂亜切は空を睨む。

 西の空から迫りくる黒の砲撃。
 夜よりも暗い闇色の軌跡を描きながら迫り来るそれは、一発一発がアギリの五体を粉々に吹き飛ばすに足る威力を内包している。
 直撃すれば、アギリも、抱えるレミュリンも、命はないだろう。

 黒の光が視界を染め上げていく。
 追手。タイミングから見て、先程遭遇した"蛇"の契約したサーヴァントによるものであろう。
 蛇自体が並のサーヴァント以上に強大であったために忘れそうになるが、あれもマスターならば当然サーヴァントを従えている。

 今は令呪を切る暇すら無い。
 まず、砲に対する解答を迫られていた。
 次に接近してくる敵サーヴァント本体への対応。

 後者は後で令呪でスカディを引き戻すとしても、前者だけは今ある手札で対処する必要があった。
 よって一切の間を置かず、アギリは自らの身体に着火した。

「うわわわ―――!」
「喚くな、君は自分の身を守れ」

 ブロークンカラー。
 彼の全身を包む炎は当然、腕の中のレミュリンへと燃え移るだろう。
 だが先程のようにいちいちレミュリンを放り捨てている時間もない。
 このままでは、迫る矢が齎す破壊事象から守ることも出来ない。

 よってアギリが展開する炎の鎧の中に押し込むしか無いのだが。
 しかし当然、それではアギリの炎自体が、レミュリンを焼いてしまう。

「君ならできるだろう」

 それでも、耐えてみせろ。抗してみせろ。
 先程の逃避行で、アギリは少女の魔術を目にしている。
 ならば、出来るはずだ。いいや、出来なければならない。
 出来て当然なのだと、妄信の狂気は言い切った。

 君が真の星、足り得るならば。
 僕の妹、足り得るならば。
 なによりそんな君が、僕と同じ属性を持つならば。

「い……『赤紫燈(インボルク)』!」

 少女に刻まれた魔術回路が淡く輝く。
 生命の危機を前に、光を放つ右腕の魔術刻印、咄嗟にかざされる手。
 そこから燃え上がるマゼンタが、アギリの嚇炎を押し留める。

「うぅ……熱……い」
「そう、その調子だ」

 勢力を争うように、拮抗する炎と炎。
 苦しげに咳き込みながらもレミュリンは魔力をかき集める。
 全身をプレスするアギリの火に負けてしまえば、そのまま焼き殺されるだろう。

 同時、すぐ前方に初撃が着弾する。凄まじい衝撃波がアギリとレミュリンの全身を叩き、炎の鎧を軋ませた。
 第一波こそ凌いだものの、これしきの火ではまだ、残りの砲から身を守るには足りない。もっと火力を上げなければならない。
 その理屈はレミュリンにも分かっていたが、アギリは全く容赦が無かった。

「更にギアを上げる、ついてこい」

 諦めていない様子のレミュリンを見て、有無を言わさず火勢を強めていく。
 凄まじいスパルタ志向ではあったが、必死に食らいついたかいあって、レミュリンの炎にも新たな変化が訪れた。
 黒の第二射が隣のビルに直撃し、生み出した衝撃波と瓦礫の雪崩が二人を包むも、放射される炎の奔流によって防ぎ切る。

「げほ……けほ……」
「いいね、やれば出来るじゃないか」

 マゼンタの火は嚇炎と融和し、その火勢を利用するようにして温度を上げ続ける。
 隙あらば逆に飲み込まんとする熱を腕の中に感じ、ここまで落ち着いていたアギリの口元も遂には歪んだ。

「よく頑張った。特別に一度だけ、僕を"お兄ちゃん"と呼ぶ権利をあげよう」
「そんなの、いらないっ!」

 腕の中でバタつきながら不満を表明するレミュリンを無視し、アギリは懐から魔眼殺しの眼鏡を取り出した。
 そのレンズを、赤く染まる片眼に重ねて。

「まずは及第点だ。君の輝きは見せてもらった。次は僕の番だな」

 残り一発の砲撃。
 有無を言わさぬ直撃コース。
 共作した炎の鎧も、矢の直撃には耐えられない。

 回避不能、さりとて防御不能。
 追い立てた獲物を仕留める、トドメの一撃。
 ならば選択肢は一つしかなく。

「何度もやれる手じゃないし、できれば使いたくないんだけど」

 撃ち落とす。
 赤坂亜切、始まりの六人、瞳を焼かれたパイロキネシスト。
 彼もまた、他の五人と同様に、奥の手を抱えている。

「仕方ないか」

 しかし彼のそれは、他の者達と少し勝手が違う。
 新たに備えた力ではない。
 それは彼が、元来もっていた筈の力だった。

 ジジジ、と。
 片眼と、重ねたレンズの間に焦げ付くような摩擦の火が生じる。

 彼が魔眼殺しの模造品を持ち歩いていた意味。
 制御を離れ、強まりすぎた魔眼は既に、殺しきれるものではないにも関わらず。
 ならばそれは、安全装置というよりも、寧ろ―――

「唯識―――」

 魔眼の収斂する光が、魔眼殺しのレンズによって希釈される。
 しかし完全には抑えきれていない。粗悪な模造品では暴走する魔眼の出力を殺し切ることが出来ない。
 ビシリと悲鳴を上げ、罅割れていくレンズへと、アギリは構わずタービンを回し続けた。
 すると何が起こるか。尚も殺しきれない光の束がやがてレンズを突き破る。
 結果、より過剰に収斂された熱視線が、魔眼殺しを穿いて。

「―――嚇炎の魔眼」

 それは今や破壊規模と引き換えに失われていた、極限の殺傷性。
 視て、殺す。葬儀屋の本領。レンズの片側が砕け、大きく破損する。
 回数制限付きの曲技にて、かつての精度を取り戻す。

 地から放たれた紅蓮の閃光が一瞬の間だけ夜を劈き、最後の砲撃を撃ち落す。
 その、直後のことだった。

「いい目してるじゃん。人間のくせに」

 急速に接近した4射目、和装に無数の札を貼り付けた異様の少女。
 つまり敵本体―――天津甕星が、すれ違いざまに矢の先端を向けていた。

「―――ち」

 咄嗟に令呪を切ろうとして、宙に手をかざしたアギリの正面にて、放たれる闇色の流星。
 待ち合うか、否か。
 運に身を任せるしか無いと判断する。

 矢がアギリの腕を吹き飛ばすが先か、アギリの令呪が瞬くが先か。
 しかし結末は、そのどちらでもなかった。

「なぁっ!?」

 天津甕星の素っ頓狂な声が上がる。
 結末の到達よりも前に、路上の横合いから放たれた白き矢が、黒の矢の軌道を阻んでいた。

 全員の視線が新たに現れた弓兵に向けられる。
 ひらりと、夜に平安の直衣が翻り、翠なす長髪がたなびいた。
 ちかちかと点滅する外灯の光が、小柄なれど美しい様相を照らし出す。

「……ふむ、これは、これは」

 白と黒の弓兵。
 二騎の視線が静かに絡まり、天津甕星の顔から表情が消えた。

「あんた――天津国の」 
「星神か――奇縁だな」

 そして、誂えたような宿敵との対峙を前に、二柱は迷うことなく互いの得物(ゆみ)を引き絞った。

「神威大星―――!」
「害滅一矢―――!」

 二つの神威が炸裂する。
 螺旋を描きながら空へと上昇していく白と黒。

 この期を逃さず退避を選択したアギリの目前に、迫るもう一つの影が飛び出した。 
 レミュリンを抱えたままでは十分な回避が出来ず、死角から放たれたミドルキックが彼の肩部に直撃する。
 同時に放たれた雷撃が追加で衝撃を加えるも、アギリはレミュリンを離さない。

 展開していた炎の鎧が威力の大半を殺してしまったのだろう。
 それでもノーダメージとはいかなかったのか。
 アギリは軽くよろめきながら、目の前に立つ少女の姿を視界に収めた。

「……君だれ? 邪魔するなら―――」

 奇襲の失敗を察して尚、少女――アンジェリカ・アルロニカは止まらない。
 彼女のアーチャーは、マスターの意を完璧に汲んでくれていた。
 アンジェリカの着地を補助した直後、すぐさま敵性アーチャーを抑え込んでいる。
 よってここから先、少女の救出はアンジェリカの仕事だった。

「集電磁制御(Electro alter)―――」

 チャンスはまだ残っている。
 相手にとって、この技が初見である今ならまだ。

「迅雷速(volt accel)―――!」

 突如発した2倍速でもってアギリの視線を振り切る。
 ほんの一瞬でいい。勝ち取った間隙をもって、アンジェリカは踏み込み、手を伸ばす。

「こっちへ―――!」

 アギリの腕に捉えられたままの少女へと。

「あ―――!」

 奇跡的に、視線が交錯する。
 レミュリンとアンジェリカの視線が絡まり、無言のコミュニケーションが行われる。
 あからさまに戸惑うレミュリンに対し、アンジェリカは渾身の意を視線に込めた。

 ――大丈夫、助けに来た。
 ――こっちへ、こっちへ手を伸ばして。

 魔術回路が唸りを上げて回転する。
 青白く光る手首の刻印が静電気を発しながらレミュリンへと近づいていく。

 対するレミュリンは困惑と混乱の最中にあった。
 伸ばされる手に戸惑い、何となくその意志が分かるからこそ、慌てている。

 ――駄目、きちゃ駄目だよ。
 ――すぐに離れて、近づかないで。

 アギリが纏う嚇炎も、レミュリンが融和させた赤紫燈も今だ鎮火していない。
 不用意に触れたら骨の髄まで焼かれてしまいかねないのだ。

 咄嗟に、レミュリンも手を伸ばす。
 それは繋ぐためではなく、遠ざけるための反射的な動作であったが。
 結果として、それらはほんの一瞬だけ触れ合った。

 レミュリンの右腕、そこに刻まれた魔術刻印。
 アンジェリカの右手首、そこに刻まれた魔術刻印。

 二つが重ねられた。
 瞬間、カチリと、鍵の開くような音とともに。

 レミュリンの脳裏には、迸る雷光が。
 アンジェリカの脳裏には、猛る蒼炎が。
 瞬くと同時、彼女らの意識を相克する雷炎が飲み尽くしていった。




 互いに、互いを助けようと手を伸ばした。
 レミュリンが伸ばし返した腕のやけど痕に、アンジェリカの手首が触れた。
 二人とも、はっきりと分かる記憶はここまでだった。

 空間が真っ白に切り替わり、現実感を損なう。
 "すれ違った"。
 自分でも意味のわからない感覚が二人の頭を過ぎる。

 奇跡的な条件を満たし、何かが開いたことを本能的に理解する。
 背後に消えていく互いの気配に、レミュリンとアンジェリカは振り返ろうとして。

「―――あ」

 唐突に、それぞれの目前にある背中に、釘付けになってしまった。

「―――なんで、」

 靡く黒髪、金のメッシュ。
 それは既に消えた、残影の後ろ姿だった。

「―――お、かあ、さん」

 卸したてのキャンパスのような、真っ白い世界を背景に、オリヴィア・アルロニカが立っている。
 もうずっと前に、世界を走り抜けてしまった女が、ある方向を指さして。
 そこに、アンジェリカの見たことのない、景色を示した。

「―――おねえ、ちゃん……?」

 対角線上では、レミュリンもまた、その影を見ていた。
 妹よりも色素の濃い金髪。少しだけ高い背丈。
 もうずっと前に、世界から失われてしまった少女が、ある方向を指さして。
 そこに、レミュリンの見たことのない、景色を示した。

「―――っ!」

 炎雷が二人を飲み込んでいく。
 それは人知れず仕掛けられていた、二家による連鎖システム。
 故に起こる現象は偶然であると同時に、仕組まれた必然でもあった。

 時間制御魔術。その最終目標、"時計"の精製。
 "燃焼"と"電磁"が目指した終点。
 やがて行き着く先は同一であるが故。
 その精製に至る道程もまた酷似している。

 未来(さき)を予測し、過去(まえ)を掌握するという、避けられぬ過程。
 即ち、現の世界における、始点と終点の観測である。






 /start point α:『Spark』


 これは恥知らずな私の、ささやかな抵抗だ。

 死病は全身に広がって、もう歩くこともままならない。
 漂白された部屋の中で、私は最期の時を待っている。

 ねえ、ジャック先生、私の人生とはなんだったのでしょうか?
 いいえ、もっと主語を大きくしてみます。
 魔術師の一生とは一体なんなのでしょう?

 渡されたバトンは何処にもたどり着かない。
 根源なんて不確かなものに惹かれ続け、次代に呪いを押し付ける。
 本音を言うと私だって、よくわからないまま、親から教えられた生き方を遂行してきたに過ぎない。

 娘に胸を張って、悔いのない人生だった、なんて言える程、できた魔術師じゃない。
 魔術師なんて所詮、時を逆行する愚かな生き物。
 娘には最期まで言えなかった、それが本音。
 でも、だからこそ私は、時を超えたかった。 

 遡るのではなく、進みたかった。速く、誰よりも速く、前へ前へ。
 魔術師としても、人としても、誇れる生き方を娘に示したかった。
 その末路が、こんな終わり方だなんて、笑えますよね。

 死の間際になって、ようやくわかりました。
 誰しも、自分が生きた意味を欲している。
 だから次代に継ぐのでしょう。何のことはない、私も凡百の一人、愚かな魔術師に過ぎなかった、というわけです。
 こんな話、先生に聞かれたら、『今更わかったか、無能め』って、また怒られちゃいますかね。

「おかあさん……」 

 ベッドの横で、静かに佇む娘の顔も、もうよく見えない。
 だから手を伸ばして、その腕を掴んだ。

 ―――アンジェ、その刻印は我が家系の誇りです。

 娘が息を飲む気配が伝わる。
 魔術師としての最期を選んだ母親への、諦めと失望。
 私は、この子に道を示せなかった。口惜しい。
 でも、いまはこれでいい。

 彼女は、強くならなければならない。
 戦うための、強さを備えなければならない。
 たとえそれが、彼女の望む強さじゃなかったとしても。
 いつか、彼女のもとに"あの時計"が届く日まで。


 ―――後は、頼みましたよ。


 手首の魔術刻印に指が触れる。
 私は最期の小細工を仕掛ける。

 きっと不発に終わるだろう、針の穴を通すような、博打以下の悪足掻き。
 脳裏に、もう一人の恩師の顔を思い浮かべ、苦笑いと共に頭を下げた。

 共同研究、かあ。
 ねえ、"スタール先輩"。
 ホントは私、先輩が声をかけてくれるの、ずっと待ってたんですよ。
 あとちょっと、早く言ってくれたらな。

 私は鍵を作る。
 あとは、あっちが鍵穴を用意してくれれば。

 なんてありえない前提。
 伝わるわけのない仕掛け。
 汲まれる筈のない遺志が組み込まれる。

 最期に私は、悲しみに暮れた娘の背後、病室の窓際に、居るはずのない少女の姿を見た。
 色素の濃い金髪。腕に刻まれたシアンの刻印。
 それは16歳くらいの、教室で鎬を削っていたあの頃のスタール先輩そっくりの姿で。

 ―――先輩には内緒だよ、ジュリンちゃん。

 幻のように揺らぐ少女だけが、私の悪巧みを目撃していた。






 /start point β:『Frame』


 ごうごう、ぱちぱち、炎が燃えている。
 周囲で響き渡る悲鳴も、衝撃も、今や薄ぼんやりとした陽炎のむこう。
 ただ、目の前に立つ誰かから立ち昇る、煤けた匂いだけが鮮明だった。

「……こんにちは、私の運命(てんしさま)、やっと来てくれたのね」

 燃えながら、焼け焦げた口で、何十、何百と繰り返した挨拶を、遂に告げる時が来た。
 自分でも惚れ惚れするくらい、スマートにセリフが出来てきて感心する。
 それもその筈だ、リハーサルの機会には十分に恵まれていたのだから。

 私の言葉に、怪訝そうに表情を歪めた彼の姿も、もう何回も見た既定路線。
 嘘、本番は思ったより調子が悪くて、霞む視界じゃ彼の表情なんて見えやしない。

 だけど、この結末は何度も繰り返し再生したものの一つで、なにより私が選んだ最良の終わり方だったから。
 リハーサルの段階で、彼の表情は十分にチェック済みなのだった。
 たしか、そう、次のセリフは―――

「天使なんて柄じゃないよ、僕は……」
「じゃあ、悪魔(Demon)?」
「そうだね、こっちじゃ鬼はそう訳すらしいから」

 知っている。私が両親の予想よりも早く初代(ウェルブレイシス)の域に至ってから、幾度となく夢想したやり取り。

「もう、お父さんとお母さんは燃やしたの? 悪魔さん」
「ああ、君の目の前でやったんだが。見えてないのか?」
「生憎と、この様じゃね」

 彼には今の私がどう見えているのだろうか。
 燃え盛る一本の蝋燭? 炭化寸前の人形?
 いずれにせよ。スタール家の悲願、その集大成たる燃焼時計の完成品に、彼は毛ほどの価値も見出さないだろう。
 私にとっては、それこそが救いだった。

 会話できるのも、あと数秒が限度といったところだ。それが私に許された猶予。
 人の機能を保てるリミット。人として生きることを許された刻限。
 それを過ぎれば、私は世界の根源にも至る燃焼時計として真に完成するだろう。
 人であることを放棄して、永遠に燃え続ける人柱となって在り続ける。ああ、全くもって、願い下げだった。
 だから、その前に、終わらせてくれる彼の火こそ、私の福音なのだった。

「家族を殺した僕が、憎くないのかい」
「そうだね……嫌いになるには、ちょっと気後れしちゃうな。自白すると私たち、共犯者みたいなモノだから」
「共犯?」

 意味がわからないだろうし、説明してあげる時間もない。
 彼がその意味を知る日は来ないだろう。

 私は彼をずっと待っていた。
 私を終わらせてくれる誰か、私の家族を止めてくれる誰か。
 今日が来ることを知っていて尚、誰にもそれを言わなかった。

 家族を見殺しにした。いいえ、殺したに等しいと分かっている。
 たとえ私が消えても、あの人達が残ってしまったら、あの子が次の蝋燭になってしまうだろうから。
 だから、ごめんね、お父さん、お母さん。
 二人のことは大好きだったけど、私には妹の方が大切だった。

「君は何だ? 魂が、火に包まれていて、よく見えない」
「何でもいいでしょ? あなたの標的、そのはずよ?」
「……ああ、そうだな」

 やっぱり、なんとなく、気後れする。
 彼は私の運命(しゅうてん)だったのに、私は彼の運命にはなってあげられない。

 だからせめて、いつか彼にも運命が訪れるよう。
 ほんのささやかな、呪いを贈る。

 さようなら、名も知らない悪魔さん。
 どうかあなたにも、良き終わりが訪れますよう。

 胸を穿く嚇炎。
 蝋燭を内側から破壊する収斂火災が、完成したスタールの燃焼時計を溶かし崩し、台無しにしてしまう。
 ああ、良かった。これで、良かった。

 そう、安堵に包まれる最中、私は見た。

 私を殺す彼の背後、部屋の隅に、居るはずのない女性の姿が佇んでいる。
 黒髪に金のメッシュ。手首に刻まれた魔術刻印。
 それは小さい頃に一度だけ見たことがある、ドアの隙間から覗いた母の友人。

 現実に見たのはその一度きりで、けれど、この頃は何度も陽炎の奥に見た幻影。
 悪巧みの発案者。燃え尽きる間際、生前一度も話したことない幻に、私はそっと声をかける。

 ―――大丈夫ですよ、オリヴィアさん。鍵穴は、私が準備しましたから。






 そうして、結末への扉は開かれた。







 /end point α:『Fall』



 血塗られたステージの上に地獄が顕現している。
 広大な大ホールの中心、8方形のフィールドは真っ赤に染め上がっていた。

 中心には真っ白い天使のような衣装を来た少女が蹲っている。
 膝をついた姿勢のまま小さく振るえ、薄紫色の前髪のむこう、揺らぐ瞳を前方に向けている。

 ステージの上には白い少女ともう一人。
 いや、今や天使の少女一人きりだった。
 なぜなら少女と共にステージに上がったもう一人は、既に生命としてのカウントには当たらない。

「―――ぁ」

 収縮する瞳孔の移す先、黒い衣装が血の海に沈んでいた。
 ステージ上に散らばった黒髪、仰向けに倒れた身体と、見開かれた両目、ピクリとも動かない。
 誰の眼にも、その悪魔の少女が、とっくに生命活動を止めていることは明らかだった。

 だが、ステージに溢れかえる血の量は死体を半ば沈めるほどである。
 少女一人分としては多すぎる。
 いったいこの大量の血は、何処から流れ出たものなのだろう。

「―――ぁ、はは」

 絶望と驚愕に固定されていた天使の表情が、そこで変わった。
 最期の一線を超えてしまった。
 ああ、もういいんだ。と、その綻ぶ口元が告げていた。

 もう、我慢しなくていいんだ。信じなくていいんだ。天使でいなくても、いいんだ。
 だったら、全部―――

「―――してよ」

 だいなしにしても、いいや。

「―――殺してよ」

 絶対零度の眼光が、居並ぶ生命に向けられる。
 赤いケミカルライトが満員の観客席を埋め尽くす。
 翼は今、天に届く。

「―――全部、全部、全部―――全部殺してよッ! 復讐者(アヴェンジャー)!!」

 爆裂する憎悪、黒炎がステージを埋め尽くす。
 賭けに勝利した悪神の霊基が完成する。

 跪いた姿勢で、喉も裂けよと放たれた絶叫とともに、少女の背骨が開かれた。
 空中に伸び上がる、透明な翼がただ一色に着色されていく。
 漆黒に染められた天の翼が、どこまでもどこまでもどこまでも拡張され。


「a―――――――――――aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!」


 極点に至った星。堕天使は飛び立ち、翼は殺意の奔流となりて、この世界を埋め尽くす。
 時計は止まり、針は落ちる。

 何もかもが漆黒に塗りつぶされていく。
 そんなバッドエンドの背景にて。

「あーあ、結局、こんな悲劇(オチ)になるのかよ……」

 ステージに取り残された残骸。
 黒き少女の身体を奪った悪魔。
 賭けに勝ち、あるいは負けた存在は冷めた様子で、滅びいく世界へと吐き捨てた。

「つまらねえな」


 そこで、観測は途切れた。







 /end point β:『Uroboros』



 誰も抗うことは出来なかった。
 正体を看破されて尚、蛇は絶対なる支配者だった。

 今や、東京全土が炎に包まれている。
 つまり、これと同じ地獄が、針音の世界にて同時進行で巻き起こっている。

 肉とコンクリートの焦げる匂いが混じり合い、強烈な臭気を放っている。
 生きるもの全てが真っ赤な濁流に飲まれ、蛇の腹に収まった。
 誰一人逃さない、全滅。丸呑みだった。

「ああ、美味い。美味い。美味かったなあ」

 男の足元には無数の死体が転がっている。
 引き裂かれた修道服の切れ端、破壊された木製義手の破片、血に染まったトレンチコート。
 無惨に食い散らされた残骸の山は、既に原型を留めておらず。
 魔術師(マスター)も英霊(サーヴァント)も、彼の前では大した違いはないようだった。

 彼は燃え盛る都市を背景に、その生魂を啜り上げる。
 遂に完成した燃焼時計の真髄を前に、誰も彼も無力だった。
 言うなれば勝負は、男がそれを手に入れた時点で決していたのである。

「もうすぐデザートの時間だ。君はどんな味がするんだろうねぇ。フツハちゃん」

 喰らうべきはあと一つ。
 男は権利を手に入れた。
 現人神に挑み、冠を簒奪する権利である。 

 男は火に沈めた地上から、最後の目的地、スカイツリーの頂上を見上げている。
 その勝負すら、既に決まったに等しい。
 絶対なる火が、男の手にある限り。

「僕のために、素敵な晩餐を用意してくれてありがとう」

 手のひらに乗せた一本の蝋燭。
 温かなマゼンタの炎を運ぶそれこそが、男の求めた本懐。

「ゲームは終わりだ」

 彼の正体を知る者は既に絶えた。
 男の宣言した蹂躙劇(パニックホラー)は正しく遂行され。
 ここに悪辣な蛇は勝鬨を上げる。

「そうだろう。僕の可愛い、レミー」

 火元から涙のように流された蝋の雫を、ああ勿体ないと舌で舐め上げ、満足げに笑いながら。
 全てを掌握した蛇は最期の仕上げに取り掛かるべく、死体の山を後にしていった。
 そんなバッドエンドの背景にて。

「―――ねえナシロさん。わたし、やっと分かったんです」

 真性悪魔。世界の用意した清掃機構(トリガー)。
 もう一つの、終末因子が目を覚ます。

 瓦礫と共に打ち捨てられていた存在。
 矮小なる悪魔。手足を千切られ蠢くばかりの羽虫。
 忘れられ、消えゆく筈だった存在が立ち上がり、得心した様子で滅びいく世界へと語りかけた。

「ここに至ることが、私の条件だったんですね」


 そこで、観測は途切れた。






「は―――ぐ―――!」

 繋がれた回路が断線する。
 意識を取り戻したレミュリンは藻掻くように息を吸い、周囲の状況を確認しようと努めた。

 激しく揺れる地面と自分の身体。
 押し付けられたスーツから伝わる煤の匂い。
 仇の腕の中に抱えられ、自分は今も夜の街を運ばれている。

 危機的状況は未だ継続していた。
 正面に迫る脅威こそ逸れたものの、ビルの上で空中戦を展開する二騎のアーチャーから放たれる流れ弾が、流星群のように一帯に降り注いでいる。
 一瞬たりとて足を止めるわけにはいかない。アギリもそれは分かっているのだろう。有無を言わさず、星降る街を走り続けている。

 意識を飛ばしていたのは一瞬の事だった。
 走り続けるアギリの肩越しに、路上に膝をついた少女が見えた。

 レミュリンに手を伸ばした少女。
 自分と同じ英国人に見えたが面識はない。
 少女もレミュリンと同じタイミングで意識を取り戻したようで、立ち上がりながら此方を見つめる眼光が少しずつ小さくなっていく。

 助けてくれようとしていたのに。ごめんなさい。
 悔しそうに歪められた表情に、伝わらないと分かっていても、念じずにはいられなかった。

 だけど、それにしても。
 と、考えている場合じゃないことは承知の上で、レミュリンは思う。

 "さっきの"は一体何だったんだろう。
 あの少女と触れ合った瞬間に巻き起こった現象。

 見たこともない、知るはずのない情報が頭の中に浮かび上がった。
 夢のように荒唐無稽ながら、幻と切り捨てられないリアリティを伴う幾つかのヴィジョン。
 あの日の光景。 

 遥か過去(まえ)、或いは未来(さき)で、レミュリンを見つめていたジュリン(お姉ちゃん)。
 針音都市を終わらせる悲劇的な結末たち。
 そして、もっとも気がかりな結末(ヴィジョン)とは。

「やっぱり、ジェームズおじ様だった……」

 蛇がレミュリンを飲み込み、スタール家の魔術を腹に収めるという結末。
 夢の内容は、それが箱庭の崩壊に直結することを告げていた。
 最後の喇叭。音色は様々だが、内の一つに、レミュリン自身が関わっている。 

 理屈は分からない。根拠もない。だけど確認する。
 あれは起こり得る未来だ。観測された終点の一つ。
 確定された未来なのか、回避可能な予測なのか、まだ何もわからない。

 ただ分かることは一つ。
 ジェームズ・アルトライズ・スタールが関わっているとすれば。
 レミュリンの運命が動き始めたのは2年前じゃない、もっと、もっと、以前から――

 まだ、知らないことがたくさんある。
 見極めなければいけない。
 そのために考え続けなければいけない。
 自分の運命に負けないために。

「追いつかれないで、アギリ」
「君に言われるまでもない。更に飛ばすから、口を閉じたほうがいいよ」

 背後に迫る流星群。
 全身を震わせる恐怖を胸中に灯した炎で押し留め、レミュリンはもう一度、先程見た光景の意味を考えていた。





「それで、コレは、一体、どういう状況なわけ?」

 ホテルのスイートルームに戻ったアンジェリカ・アルロニカは、手のひらで額と目頭を覆いながら嘆息していた。
 ああ頭が痛い。もはや何がなんだか分からない。先程発生した不可解な現象について、早く思考を整理したいのに。
 次から次へと発生するイレギュラーに頭が追いつかない。
 たった十五分の間に、果たして何があったのか。

 アンジェリカは軽く首を振り、大きく深呼吸をしてから、再び緊張感に包まれた部屋の状況を確認する。
 まず、リビングの中央、ひっくり返ったソファの横に立つ復讐者(アヴェンジャー)の姿。
 これは出ていく前と変わっていない。

 ベッドルームの扉の前に立つ暗殺者(アサシン)にも動きはない。
 しかし変化はあった。ベッドルームの扉が開いている。
 アンジェリカはアサシンを押しのけ寝室の入口に立つと、既に部屋に入っていた天梨の背中と、それを見た。

 今日は色々あった、今日という日が始まってから驚天動地の連続だった。
 つい先程、不可解な現象に襲われ、混乱冷めやらぬ中においても、アンジェリカは優先順位を間違えなかった。
 人質(と思われる少女)の殺傷こそ防いだものの解放には至らず、アーチャー同士のサーヴァント戦が始まってしまっている。

 拠点防衛開始からちょうど15分。
 こと此処にいたっては一も二もなく脱出するべき。
 天若日子が敵のアーチャーを抑えている間にホテルを離れなければならない。

 一応、天梨達に義理を通すため、部屋に戻ったけれど、まだゴネるようなら流石に全員置いていこうと腹に決め。
 アンジェリカはここまで来た。
 そうして今、奇怪な状況に対面している。

「待たせてすまなかった。天梨、アンジェリカ・アルロニカ」

 寝室に鎮座するキングサイズのベッド、その傍らに透明で鋭利な輝きが散乱していた。

「呼吸器系の神経の接続が難しく、想定以上の時間を消費させられてしまった」

 抜き取られ捨てられたコルク栓と思われる塊が、ガラス片から少し離れた場所に落ちている。

「すぐに、出発しよう」

 ハッキリと伝わる肉声で、人工羊水を介さぬ空気振動のみで、その音は伝わった。
 目の前には、男とも女ともつかぬ純真無垢な容姿をした、見知らぬ童子。
 砕け散ったガラス瓶の傍らに、3~4歳程度と見られる背丈の子供が立っている。
 いや、その青い目と青い髪の毛、なにより、落ち着き払った調子の声に、彼女たちは確かな憶えがあった。

「アンジェさん……その、どうしよう……」

 どうしようと言われても困る。
 おそらく正解であろう結論を頭の中に浮かべながら、アンジェリカは再び嘆息した。

「ほむっちが……こんなに、おっきくなっちゃった……」

 一体何が原因でそうなったのか、アンジェリカには皆目見当つかない。
 しかし、自らの足で地を踏みしめるミロクには、確信があるようだった。

「言っただろう。天梨、これが君の力だ」

 どこか誇らしげな声音に、アンジェリカは何故か、思い浮かべてしまう。
 いやな想像。先程遭遇した不可解な現象。
 根拠のない、しかし膨大なリアリティの伴う悪夢(ゆめ)の続き。

「君は星だ」

 恒星。
 あの少女、白き現人神と比肩しうる存在。
 そんな者が実在するならば、きっと。それらは世界の希望なんかじゃなくて。

「私が、その証明になる、とな」

 やがて、針音の世界を終わらせる。
 世界を殺す。破滅の因子に他ならない。



【渋谷区・超高級ホテル 最上階スイートルーム/二日目・早朝】


【アンジェリカ・アルロニカ】
[状態]:魔力消費(中)、疲労(中)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:ヒーローのお面(ピンク)
[所持金]:家にはそれなりの金額があった。それなりの貯金もあるようだ。時計塔の魔術師だしね。
[思考・状況]
基本方針:勝ち残る。
0:そろそろ一回考えるのやめていい?
1:天梨の手当てが済んだら、ホムンクルスから色々聞き出さないと。
2:神寂祓葉に複雑な感情。
3:蛇杖堂寂句には二度と会いたくない。
4:天梨は祓葉の同類、確かにそうかもしれない。……二人目、ねぇ。
[備考]
※ホムンクルス36号から、前回の聖杯戦争のマスターの情報(神寂祓葉を除く)を手に入れました。
※蛇杖堂寂句の手術を受けました。
※神寂祓葉が"こう"なる前について少しだけ聞きました。

※アルロニカ家の魔術刻印と共鳴することで、世界の始点と終点の一部を観測しました。


【輪堂天梨】
[状態]:疲労(大)、左手指・甲骨折、全身にダメージ(中)、自己嫌悪(ちょっと落ち着いた)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:たくさん(体質の恩恵でお仕事が順調)
[思考・状況]
基本方針:〈天使〉のままでいたい。
0:ほむっちが……!
1:ほむっちのことは……うん、守らないと。
2:……私も負けないよ、満天ちゃん。
3:アヴェンジャーのことは無視できない。私は、彼のマスターなんだから。
4:アンジェさんを信用。誰かに怒られたのって、結構久しぶりかも。
[備考]
※以降に仕事が入っているかどうかは後のリレーにお任せします。
※魔術回路の開き方を覚え、"自身が友好的と判断する相手に人間・英霊を問わず強化を与える魔術"(【感光/応答(Call and Response)】)を行使できるようになりました。
 持続時間、今後の成長如何については後の書き手さんにお任せします。
※自分の無自覚に行使している魔術について知りました。
※煌星満天との対決を通じて能力が向上しています(程度は後続に委ねます)。
 →魅了魔術の出力が向上しています。NPC程度であれば、だいたい言うことを聞かせられるようです。
※煌星満天と個人間の同盟を結びました。対談イベントについては後続に委ねます。
※一時的な堕天に至りました。
 その産物として、対象を絞る代わりに規格外の強化を授けられる【受胎告知(First Light)】を体得しました。この魔術による強化の時間制限の有無は後続に委ねます。



【アヴェンジャー(シャクシャイン)】
[状態]:半身に火傷、疲労(極大)、気絶中
[装備]:「血啜喰牙」
[道具]:弓矢などの武装
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死に絶えろ、“和人”ども。
0:殺す。
1:憐れみは要らない。厄災として、全てを喰らい尽くす。
2:愉しもうぜ、輪堂天梨。堕ちていく時まで。
3:以下の連中は機会があれば必ず殺す:青き騎兵(カスター)、煌星満天、赤坂亜切、雪原の女神(スカディ)。また増えるかも
4:ホムンクルスも殺してぇ……

[備考]
※マスターである天梨から殺人を禁じられています。
 最後の“楽しみ”のために敢えて受け入れています。

※令呪『私の大事な人達を傷つけないで』
 現在の対象範囲:ホムンクルス36号/ミロクと煌星満天、およびその契約サーヴァント。またアヴェンジャー本人もこれの対象。
 対象が若干漠然としているために効力は完全ではないが、広すぎもしないためそれなりに重く作用している。



【ホムンクルス36号/ミロク】
[状態]:疲労(中)、肉体強化、"成長(第二フェーズ)"
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:忠誠を示す。そのために動く。
1:輪堂天梨を対等な友に据え、覚醒に導くことで真に主命を果たす。
2:……ほむっち。か。
3:煌星満天を始めとする他の恒星候補は機会を見て排除する。
[備考]
※天梨の【感光/応答】を受けたことで、わずかに肉体が成長し始めています。
※解析に加え、解析した物体に対する介入魔術を使用できるようになりました。

※輪堂天梨が修羅場を超え、その力が洗練されたことで、ミロクの成長速度も急激に上昇しました。
 現在、3~4歳程度の童子の姿まで変異しています。


【アサシン(ハサン・サッバーハ )】
[状態]:霊基強化、令呪『ホムンクルス36号が輪堂天梨へ意図的に虚言を弄した際、速やかにこれを抹殺せよ』
[装備]:ナイフ
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターに従う
0:大将……まじかよ……。
1:さて、新宿に行ってみるか、それともここに留まるか。
2:大将の忠告を無視する気もないが……ノクト・サムスタンプ、少し気になるな。
[備考]
※宝具を使用し、相当数の民間人を兵隊に変えています。
※OP後、本編開始前の間に、新宿警察署に集まっていた機動隊員たちを催眠下に捉えていました。
※自身が2回目の参加であること、前回のマスターがノクト・サムスタンプであることを知りました。

※この後、彼が新宿に向かって機動隊員たちを指揮するか、ホテルに留まるかは後続の書き手にお任せします。


【渋谷区・路上/二日目・早朝】


【赤坂亜切】
[状態]:疲労(大)、魔力消費(大)、眼球にダメージ、左手に肉腫跡、右耳欠損、妄信
[令呪]:残り三画
[装備]:『嚇炎の魔眼』、M360J「SAKURA」(残弾3発)
[道具]:魔眼殺しの眼鏡(模造品)
[所持金]:潤沢。殺し屋として働いた報酬がほぼ手つかずで残っている。
[思考・状況]
基本方針:優勝する。お姉(妹)ちゃんを手に入れる。
0:レミュリン・ウェルブレイシス・スタールを見極める。そのためにも、まずは蛇を撒く。
1:適当に参加者を間引きながらお姉(妹)ちゃんを探す。
2:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
3:他の〈はじまりの六人〉を警戒しつつ、情報を集める。
4:神寂縁。〈蛇〉。雪村のオッサン相手に使えそうなネタだが、さて。
5:〈恒星の資格者〉は実在する。忌まわしいことだが。
6:脱出王は次に会ったら必ず殺す。希彦に情報を流してやるか考え中
7:じゃあな、蛇杖堂寂句。あんたの英霊もすぐそっちに送ってやるよ。
[備考]
※彼の所持する魔眼殺しの眼鏡は質の低い模造品であり、力を抑えるに十全な代物ではありません。
※香篤井希彦の連絡先を入手しました。

※ホムンクルス36号の見立てによると、自身の魂を燃やす彼の炎は無限ではなく、終わりが見えているようです。
 具体的にどの程度の猶予があるかは後続の書き手にお任せします。
※一回目の聖杯戦争で組んでいたランサーは、鬼若(いわゆる武蔵坊弁慶)でした。


【レミュリン・ウェルブレイシス・スタール】
[状態]:疲労(中)、全身にダメージ(小)、吐き気、決意
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:6万円程度(5月分の生活費)
[思考・状況]
基本方針:――進む。わたしの知りたい、答えのもとへ。
0:あの人は、ずっとわたしのそばにいたの?
1:胸を張ってランサーの隣に立てる、魔術師になりたい。
2:アギリ・アカサカと話す。そうでなくちゃ、わたしはあの日から抜け出せない。
[備考]
※自分の両親と姉の仇が赤坂亜切であること、彼がマスターとして聖杯戦争に参加していることを知りました。
※ルーン魔術の加護により物理・魔術攻撃への耐久力が上がっています。
またルーンを介することで指先から魔力を弾丸として放てますが、威力はそれほど高くないです。
※炎を操る術『赤紫燈(インボルク)』を体得しました。規模や応用の詳細、またどの程度制御できるのかは後のリレーにお任せします。
※アギリ以外の〈はじまりの六人〉に関する情報をイリスから与えられました。
※〈はじまりの聖杯戦争〉についての考察を高乃河二から聞きました。
※アギリがサーヴァントとして神霊スカディを従えているという情報を得ました。
※高乃河二、琴峯ナシロの連絡先を得ました。

※右腕にスタール家の魔術刻印のごく一部が継承されています(火傷痕のような文様)。
※刻印を通して姉の記憶の一部を観ています。

※アルロニカ家の魔術刻印と共鳴することで、世界の始点と終点の一部を観測しました。



【渋谷区・上空/二日目・早朝】


【アーチャー(天津甕星)】
[状態]:健康
[装備]:弓と矢
[道具]:永久機関・万能炉心(懐中時計型。現在は胸部に格納中)
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:優勝を目指す。
0:天若日子を撃破する。
1:当面は神寂縁に従う。
2:〈救済機構〉なるものの排除。……だけど、優先度が落ちたらしい。なんじゃそりゃ。
3:今後のことを考える。
[備考]
※キャスター(オルフィレウス)から永久機関を貸与されました。
 ・神寂祓葉及びオルフィレウスに対する反抗行動には使用できません。
 ・所持している限り、霊基と魔力の自動回復効果を得られます。
 ・祓葉のように肉体に適合させているわけではないので、あそこまでの不死性は発揮できません。
 ・が、全体的に出力が向上しているでしょう。


【アーチャー(天若日子)】
[状態]:疲労(中)
[装備]:弓矢
[道具]: ヒーローのお面
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:アンジェに付き従う。
0:天津甕星を撃破する。
1:アサシンもアヴェンジャーも気に入らないが、当面は上手くやるしかない。
2:赤い害獣(レッドライダー)は次は確実に討つ。許さぬ。
3:神寂祓葉――難儀な生き物だな、あれは。
[備考]
※アサシン(継代のハサン)が2回目の参戦であることを知りました。



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最終更新:2025年12月26日 01:25